建築とまちづくり2024年1月号(NO.537)

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目次

<目次>

特集
建築とまちづくりセミナーin彦根

川本 真澄
建築とまちづくりセミナーin彦根の概要

栗林 豊
【レクチャー1】魅力あふれる滋賀の歴史的建造物の特徴および彦根城天守と保存修理

阿部 俊彦
【レクチャー2】銀座街商店街のまちづくり

大坪 克也
地元、大学、コンサルタントの協働
――座談会報告

藤塚 慎也、井上  一
銀座街商店街再生の取り組み
――彦根銀座街商業協同組合のみなさまから

彦根の歴史といま
――ウォッチング感想

まちづくりのこれまでとこれから
――「建まちセミナーin彦根」に参加して

連載
「居住福祉」の諸相〈12〉
社会的処方の拠点 本とコーヒーと暮らし
岡本 祥浩

構造の楽しみ〈9〉
「御影音楽祭」で新建の仲間とJAZZを演奏しました
松島 洋介

私のまちの隠れた名建築〈23〉
岸本家住宅主屋
埼玉県幸手市
古里 実

主張
住民参加のまちづくり
浜崎 裕子

研究会だより
第10回子ども環境研究会
「ただいま」が声になるまで、みんなが「仲間」になるまで――北中城村しまぶく学童クラブの実践記録
目黒 悦子

第34回新建築家技術者集団 全国大会概要報告
新建第34回大会期全国役員

新建のひろば
NPO西山文庫の研究資料が公的機関に
鎌田一夫さんの想いをつなぐ会
愛知支部――「建まちセミナーin彦根」アフタートーク会&忘年会

<主張> 住民参加のまちづくり

浜崎裕子 生活福祉文化研究所代表、久留米大学地域連携センター顧問/新建全国代表幹事

 去る12月12日に『林さんを送り出すかい(会)!』に参加してきました。いつもニコニコした笑みを浮かべて接してくださった林泰義さんの安らかな顔を拝見し、長い間お世話になった感謝の気持ちがこみ上げるとともに、直にお別れに来てよかったと思いました。
 2022年7月に象設計集団が設計した保育園と林・富田夫妻が関わった用賀プロムナードの視察をした後に、世田谷のご自宅に伺って、3人でゆっくり話して食事をご馳走になり、とても幸せな気分になった楽しい時が最後の思い出であることは、さみしくも嬉しく思います。
 林さんは、大学時代から私の憧れのまちづくりプランナーでした。自分が都市計画分野で働いているときは遠い存在でしたが、1999年に社会人院生として千葉大学の延藤研究室に入学し3年間の博士課程に在籍した間、いつも院ゼミに林さんや自治体職員が参加してくださり、リアリティのあるコメントをいただけるようになりました。その後は、環太平洋コミュニティ・デザインネットワークの国際学会にご一緒したりして、林さんの理念や見識を身近に体得できました。
 私の研究テーマは、「住民参画による高齢者生活福祉の『場所』づくりのプロセスデザインに関する研究」でした。福岡市南区で、地域住民・介護スタッフ・建築士の3つの立場の参加者によるハード・ソフトの高齢者施設づくりのプロセスについて、延藤先生のご指導を受けながら、ファシリテーターとしてワークショップを開催し、その成果を活かした地域活動を分析・考察して理論化するものです。その時の延藤研の院生は、大半が全国の違うフィールドで住民参加のまちづくりを展開していました。
 日本の住民参加のまちづくりの創始者とも言える林さんが若い頃にファシリテーショングラフィックの前で話している写真などを拝見すると、その業績の蓄積を再認識します。世田谷区の地元で市民の力を育て、「住民参加から住民主体へ」と唱えながら、世田谷まちづくりファンドなどの体制を築いていった実績は、現在の区民の暮らしにも大いに影響を与えています。全国的にはNPOの設立/進展にも貢献され、まさに官民協働のまちづくりを推進した方です。
 延藤先生は、私が建築学会近畿支部でハウジングの研究分野にいた頃から学問的に慕っており、大学教員になってからはよけいに近い距離感で幅広く教え導いてくださいました。参加型まちづくりの運営に悩んでいると、「ワークショップは生き物だからねえ」と言われ、なるほどと思考転換を図れたり、「トラブルをエネルギーに変えて」を繰り返し、ワークショップの合意形成だけでなく、行政や他団体との交渉など、どんな難局も乗り越えていく力を得たように思います。先生は、「まちづくりからまち育て:『地域のタカラ、人間のチカラに気づき、共にそれを育くみ合う活動』へ」を提唱し、伝道師のごとく幻燈会をしながら全国行脚しておられたことは、本当に信念をもった生きざまだったと思います。
 近年、地方自治体においても都市計画やまちづくりの推進において、住民参加の大切さを認識している体を示すべくワークショップを開催しています。しかし、その実態はワークショップの技術の表面的な模倣に留まり、いわゆる「アリバイ作りのワークショップ」であると言わざるを得ないようなものを見受けます。もっと専門家が関与して、熟慮した企画と包括的な視点をもって民意を汲み上げ、時間と手間をかけて行政計画やまちづくりに反映していくことが必要です。
 林泰義・延藤安弘という日本の参加型まちづくりに大きなうねりを創った両氏と長い時を重ねて教えを乞い、ユーモア溢れる会話を楽しんでこれた私は、これから少しでも真に住民の意向を反映したまち育てに関与できればと思っています。

<特集>  建築とまちづくりセミナーin彦根

 おそらく滋賀県での新建の全国企画開催は四半世紀ぶりくらいではないだろうか。場所の良さ、テーマの今日性、地元の人たちとともにつくったセミナーという点で非常にいい企画になった。今回の開催地である彦根は、都会の真ん中にいる身からすると「まち」を実感できる、すなわち暮らすにはいいところだと感じられた。
 銀座街商店街は全国に先駆けて防災建築街区造成事業を成し遂げ、まちの中心的商店街としてにぎわったが、全国の既存商店街と同様に縮退の局面にある。人口減少は当然作用しているが、短絡的にみると彦根のまちで暮らしている人々の多くは、日常の買い物やちょっとしたイベントには、駅の東側の大規模小売店に車で行っていることも大きな要因ではないだろうか。 観光客を引き寄せるのではなく、まちの主体を育て増やしていくことで、銀座街商店街が再びまちの人たちのくらしの中心になれば、まちの豊かなくらしが見えてくるのではないだろうか。
 銀座という街と、築50~60年の鉄筋コンクリート長屋をどう使いこなすか、使いこなしたい人をどうつくるか、さいわいなことに比較的若い人たちが商業協同組合を担っている。大学の研究を受け入れ、外からのコンサルタントと一緒に活動し、模索しながらも少しずつ主体性を発揮し、課題を見つけながら新しい取り組みを実践している。商店街の2代目が瞬間的に集まって盛り上がるというパターンではない、新しい可能性が感じられる。
 観光客の受け皿は「夢京橋キャッスルロード」に任せながら、銀座街商店街がまちのくらしの中心として活気を取り戻せば相乗効果が期待できるかもしれない。彦根城や足軽組屋敷などの貴重な遺産は観光資源という意味だけではなく、くらしに根付いたまちの人たちの共通の財産として有効に活用することで、持続可能なまちづくりにつながっていくのではないだろうか。そんな期待を抱かせる有意義なセミナーであった。
 地元の人たちがこれだけ関わった新建のセミナーはおそらく初めてであり、新建のこれからの運動の展開を示唆する重要な機会であり、専門家の運動体として実態にどう関われるか、地域の人々の要請にどんな形で応えていくかを考えていく契機にしたい。 

                                                         担当編集委員/大槻博司

<ひろば> NPO西山文庫の研究資料が公的機関に

 2023年9月、京都大学名誉教授で建築学者だった西山夘三(1911~1994)の多数の資料が、彼の記念文庫から京都府の京都府立京都学・歴彩館に寄贈されました。この資料は1995年に設立され、1999年にNPOとなった文庫によって管理されていました。所蔵する資料には、西山のボックス資料1000箱、日記・研究ノートなど500冊、スケッチブック100冊、報告書や書籍多数が含まれています。NPOは検索可能なシステムも構築しました。資料の運送量は4トントラックで数台になりました。
 西山夘三は住宅政策や都市計画で活躍し、彼の業績には日本の住宅設計への大きな影響があります。彼の研究は建築史や都市計画史において重要で、多くの研究者や国際的な訪問者に利用されています。この分野は自然科学と違い、歴史科学なので残された資料はナマの研究対象です。住宅政策や都市計画においては第一線で活躍しましたから、近年の学術史研究の隆盛のなかで閲覧が増えていました。建築史や都市計画史の研究者が多数訪れて、論文や出版に利用していただきました。オランダやアメリカなど海外からの訪問もありました。また、彼は自己の経験に基づく自分史も記録しました。
 西山夘三の先見の明には驚かされます。ここ数年話題になっていることに多方面でかかわっています。それほどクルマの走っていない1960年代にいちはやくクルマ社会への警告を発しました。クルマが日常生活と地球環境に悪影響を及ぼすことは現在では常識です。そのため京都市電を守る運動にもかかわりました。また、レクリエーション・観光こそ人間と地域を発達させるという発想は、こんにちのオーバーツーリズム問題に重要な視点を提供しています。景観・文化財保存の活動もし、世界遺産条約の批准の運動も展開しました。日本学術会議の会員を五期務めました。関連する資料だけで本棚2つ分ほどあり、西山が日本学術会議をいかに重視していたかを物語っています。
 移管すると閉架になりますが、より活用できるように歴彩館と協力して整理にあたります。木津川市にある現在の文庫の場では、残された書籍や新たに届けられた書籍も整理し、ビジュアルな展示を工夫し、新しい研究拠点を整備することになります。研究会活動にもとづく新たな出版助成事業を拡充します。(京都支部・中林浩)

<ひろば> 鎌田一夫さんの想いをつなぐ会

 3月23日に他界された鎌田さんの偲ぶ会を11月11日(土)14時~17時30分、建築家の前川國男氏が設計した建築家会館で行ないました。亡くなる直前まで神宮外苑を守る運動の理論的支柱のおひとりでしたので、午前中は神宮外苑の視察をしました。そして午後からは外苑の近くの会館で、鎌田さんの想いをつなぐ場として開催しました。宮城支部1人、群馬支部1人、大阪支部3人、京都支部1人、福岡支部1人、千葉支部3人、茨城1人、 東京支部21人、会員でない方8人、全体で40人の方にご参加いただきました。
 司会は東京支部の江国智洋さんと川田綾子さんで進められました。みなさんに献花をしていただいた後、黙祷、千葉支部の中安博司さんのあいさつで開会をしました。東京支部から千葉支部には2004年「仕事を語る会」が行なわれたころに移られ、2007年に千葉で開催した「建築とまちづくりセミナー」では講師の方など、準備の段階で力を発揮してもらったことが話されました。
 続いて司会の江国さんから経歴紹介がありました。年表に沿って紹介があった後、私が15年間ぐらいの鎌田さんの活動をスライド上映で話しました。「1944年に東京の日本橋で生まれ、1960年に東京都立上野高校に入学、1963年に千葉大学工学部建築学科へ入学しました。そのころの方たちとは同窓会をされていました。1967年に日本住宅公団に就職、1969年に結婚をされて3人のお子さんに恵まれています。2008年9月『団地再生ドイツ・イタリアツアー』に、私も参加して歴史・まち・建築などについて教えてもらいました。そして報告集ができました。2009年には、山本厚生さんのふるさと、島根県隠岐の島の旅にご夫婦で参加されています。2011年3月11日に東日本大震災が起こり、4月5日に新建東日本大震災復興支援会議を設立、その日の夜に第1次先遣隊として東北に行きました。『サポートイン仙台』を拠点に、岩手・宮城・福島とどれだけ足を運んだでしょうか。でも鎌田さんが望むような情報収集やネットワークができず、歯がゆい想いばかりでした。その後、東北だけでなく各地の被災地でブロック会議を開催しました。設立40年を記念して『社会派建築宣言』の出版にあたっては中心的な役割を果たし、2012年8月「建まちセミナーin仙台」は申込みだけで200人を超し、当日は地元の方もいらして、状況が良く把握できない人数になりました。2015年8月「建まちセミナーin福島」はバス2台が満席、帰りの電車で別の車両から鎌田さんが来て、涙しながら握手をしてくれたことを覚えています。スライドの最後にはオンライン会議で鎌田さんが神宮外苑再開発に対して話をしている動画を5分ぐらい流しました。動画で「空間や環境をつぶすことは、なんとしても止めなければならない」と力強く私たちに託していました。
 歓談の時間にはご家族の方から届いた鎌田さんの好きだった曲、ブルックナー「交響曲 第7番 ホ長調」と都はるみさんのベストヒットCDを流しました。カラオケで気持ちよく歌っている鎌田さんの姿が思い浮かぶようでした。
 その後、20人の方に思い出のお話をしていただきました。『建築とまちづくり』編集委員会として一緒に過ごした東京支部の林工さんは、「建築がいかに生産されていくべきか、政策的な国土計画とローカルな都市開発の関連性、現状の都市を改善していく道筋など、都市と建築の社会性に関してさまざま教えていただきました。単体建築くらいしか知らなかった私にとって、都市や建築と社会との連関、社会の中での都市と建築について多くを学ばせてもらった偉大な先輩でした。2002年の欧州建築ツアー(三沢浩団長)に、費用が出せないと渋る私に、一緒に行こうよとお金を貸してくれたのも鎌田さんでした。まだ返していないので、鎌田基金でも設立したい」と、こんなエピソードが話されて、笑いと拍手がおきました。
 全国代表幹事の中島明子さんが「鎌田さんと喧嘩をした」という話に、宮城支部の阿部重憲さんが「私も」と続き、「被災地に対する鎌田さんの熱い思いに、時に応えきれずに、1年近く話をしないでいました。しかし、本気になってぶつかり合える素晴らしい先輩でした」と話され、鎌田さんと仲直りや喧嘩もできない寂しいという気持ちを同じように感じている方が多くいらっしゃるのだと思いました。全国代表幹事で茨城在住の乾康代さんは、茨城大学で講師として来てもらって、学生たちと議論したことや里見村(現・常陸太田市)で一緒に米作りをしたことなどが懐かしいと語られました。
 閉会のあいさつは鎌田さんの後任として、現在『建まち』誌編集委員長である高田桂子さんにお願いしました。
 鎌田さんからたくさんのことを求められ、次の世代につなぐ「宿題」が残されていること、いろいろな形で心に刻まれた会になったと思います。鎌田さんの功績をあらためて共有し、新建の魅力も感じたひとときでした。
(東京支部・山下千佳)

<ひろば> 愛知支部―「建まちセミナーin彦根」アフタートーク会&忘年会

 12月2日(土)、福田さんの事務所でもある支部会所にて、彦根セミナーアフタートーク会を開催しました。セミナーに参加できなかった方々へ、参加者から気軽に伝えてもらい、皆で話しをして感想を言いあう企画です。参加者6名で、セミナーへ参加された中森さん・甫立さんに、当日の充実した資料のスライドや現地写真を見せてもらいながら2時間ほどお話しを伺いました。
 今年10月の「建まちセミナーin彦根」は、大阪や京都奈良など他支部の協力のもと、滋賀支部の方々が頑張って開催してくださったそうです。セミナーには滋賀支部が10名ほど参加されていたそうで、資料も講師の方々も充実していた様子がよく分かりました。
 彦根城に近い銀座商店街は、1961~1973年頃のRC造3階建の建物が町家のような区割で連なっていて、抜け道や入り組んだ造りで九龍城のようだったそうです。空間はおもしろくてポテンシャルは高そうでしたが、所有区分のあいまいな所もあり、漏水問題や上階へ直接行ける階段がないことなど多くの問題があるようです。そんな混沌としたなかで、令和2年頃からヒアリング調査・現況調査など行いながら、商店街をプラットホームに、彦根市・大学・外部支援専門家の方々などが連携して、学生さんたちの提案や多様な人の関わりが生まれているそうです。学生さんの提案は、界壁や床スラブを一部切抜いて、横のつながりや吹き抜けをつくりながら活用するダイナミックな提案のようです。まずはそこから突出した人や、小さな拠点が生まれれば、可能性が広がっていくと思いました。
 またその他のお話しでは、滋賀県は歴史的建造物・中世社寺建築の大変多いことや、彦根城天守の平成の保存修理の分かりやすい市のDVDを見たこと、大変資料が多くて時間が足りないくらいだったそうです。城下足軽組屋敷は、ちょうど特別公開期間だったそうで、カフェ・お茶席・資料館などがあって、多くの見物人で賑わっていたそうです。
 彦根は、私自身15年ほど前に5年ほど住んで仕事をしていた土地です。お城・復元された歴史的町並みなどが観光資源としてあって、江戸風情を残すキャッスルロード周辺、大正ロマンの四番町スクエアにつづき、住民の方々の生活が充実することを大前提に、昭和商店街の風景が残ることに期待したいなと思いました。京都に近く、冬は50㎝ほど雪が積もりましたが、その雪景色のきれいなこと、柿渋塗の柱梁と漆喰のコントラストがいっそう雪景色に映えます。 企画のあと場所を移して、会員2名が合流して忘年会を行いました。1年前は考えられなかった密な空間で、1年のトラブル話や今後の仕事のことなどで盛り上がりました。参加者は少数で少し残念でしたが、まだリアルで集まる企画には懸念があり、仕事で高齢のお施主さんと接する機会が多く参加できない方や、持病を持っている方などもいるので、リモートと併用での企画開催など、改善が必要だなと感じました。(愛知支部・黒野晶大)

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