261030-31能登半島地震・豪雨視察報告

2026年10月30日(金)~31日(土)能登半島地震・豪雨災害の被災地の視察をおこないました。

能登半島は,大部分が山地の,海に長く突き出た半島で,過疎と高齢化が進行している。その能登に2024年1月,能登半島地震,続いて9月,能登半島豪雨が発生した。地震で大きな被害を受け,豪雨で被害が重なり拡大した。住宅被害は11万棟,うち6,178棟が全壊した。各地で山腹崩壊,地滑り,道路が崩壊し,一時100以上の集落が孤立した。
 新建災害復興支援会議は,①先遣隊が現地の状況把握,②被災地と近県支部でブロック会議開催,③被災地や近県地域での「建築とまちづくりセミナー」に取り組んできた。能登半島の被災地視察は,2024年に2回,2025年に1回,今回,石川支部の杉山真さんの情報を元に復興支援会議事務局で視察計画を立てた。10月29日夕方,金沢に集合,30日と31日の2日間,11人が車3台で半島を回った。
 主な視察テーマは,液状化被災地の現状,応急仮設住宅の現状,奥能登の復興・地域づくりである。
砂地の上につくられた内灘町の住宅地は液状化し,住宅が沈下,傾斜,道路は波打った。2年半ぶりの内灘は更地が目立った。少なからぬ住民が転出したようだった。
 応急仮設住宅の主流は鋼板製プレハブ。温熱,結露など居住環境の改善はなお残されていた。他方,東日本の仮設住宅では限定的だった,アスファルト舗装と玄関前のスロープは実現していた。集会所が見当たらず気になった。集会所でテレビを一緒に見ているだけでも意味があるという丸谷さんの意見に頷いた。
寺社,文化財,民家の修復,再生はどうか。聖光寺では,傾いた山門を修復する,土佐の曳き大工岡本直也さんが曳屋の手法を語ってくれた。国指定重要文化財の上時国家は倒壊,下時国家も重大な被害を受けた。工事中だったが,上時国家では,巨額の費用が立ちはだかり,地震から3年になろうとしているが,茅葺き大屋根が,大量の古文書を擁して地面に伏したままだった。
和倉温泉の老舗旅館・加賀屋は高層RC造はじめ4棟。公費解体が始まっていた。速やかな建物解体は復旧・復興の重要策だが,加賀屋の公費解体に比べて,国重要文化財の修復支援の不十分さはあまりに対比的だった。
「皆の宿」は,公費解体から大転換,住民と専門家の手で再生した例である。2度の被災で所有者が公費解体を予定した民家だが,住民が七浦(しつら)地区再生会議を立ち上げて購入,宿泊施設として再生した。集落再生支援をしてきた杉山真さんが改修設計をした。再生会議の方に話を聞き宿泊した。
 「ケロンの小さな村」は,上乗秀雄さんが,耕作放棄地を取得,開拓し,2009年にオープンした自然体験施設だが,地震で施設が壊れた。若き2代目が祖父上乗さんと修繕し,2024年春に再開した。石窯焼きピザで昼食をとり,施設を見て回った。
奥能登を巡り,大規模復興事業と住民の取り組みを視察した。地域生活に希望をもたらす支援が重要だが,訪れて知り学ぶ支援も必要だと学んだ。 乾 康代 (復興支援会議議長)

 10/29 18:00 夕食交流会・金沢駅東口「大漁居酒屋まぐろがんち金沢駅」
 10/30 08:50 金沢駅出発→内灘(西荒屋小学校)→羽咋(応急仮設住宅眉丈団地)→七尾市(一本杉商店街・和菓子「花月」)→和倉温泉(加賀屋・足湯)→輪島市(応急仮設住宅・朝市の跡地・「海月山 聖光寺」)
 →輪島市門前町皆月「皆の宿」に宿泊
 10/31 08:30 宿出発→輪島市街地から珠洲方面へ国道249号を走行→白米千枚田の展望台(道の駅 千枚田ポケットパーク)→輪島市町野町「時国家(ときくにけ)平家の末裔と伝えられる旧家」→輪島市里町→輪島市町野町粟蔵(あわぐら)「もとやスーパー」→鳳珠郡能登町斉和(さいわ)「ケロンの小さな村」→能登町「マルガージェラート」→金沢駅

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