250402東日本大震災から14年、宮城県を訪れて

                            山下千佳(新建災害復興支援会議)

 東日本大震災は、2011年3月11日午後2時46分に発生したマグニチュード9.0の地震で、日本国内の観測史上最大規模のものでした。岩手県、宮城県、福島県を中心に広範囲で巨大津波が発生し、甚大な被害をもたらしました。震災関連死を含め、死者・行方不明者は2万2,000人に上りました。
 震災から14年となる今年、秋に「建築とまちづくりセミナーin仙台」の開催が決まり、その相談も兼ねて、4月2日~3日にかけて宮城県内を新井隆夫さん(群馬支部)、千代崎一夫さんと山下(東京支部)で訪ねました。2日は名取市閖上に行ったあと、欠陥住宅全国ネットの吉岡和弘弁護士と短時間お会いし、その後に仙台市青葉区上杉にある「一般社団法人 宮城県マンション管理士会」の萩原孝次さんとお会いして、当時のマンション被害と相談や支援、行政に対する働きかけなどのお話を伺いました。夕方はホテル白萩で宮城労連議長の高橋正行さん、宮城支部の岩渕善弘さんと佐々木文彦さんと食事をしながら、セミナーの相談をしました。
訪問先とその印象を紹介します。

名取市震災復興伝承館(名取市)
 東日本大震災による津波被害の実態や復興の歩みを伝える施設。名取市では震災により954人が亡くなり、うち749人が閖上地区の方々でした。展示物ひとつひとつに込められた「忘れない」という強い思いが、静かに心に響きました。震災前の閖上のまちの模型から、賑わっていた様子が伝わってきました。
 近くの「かわまちてらす閖上」にも立ち寄りましたが残念ながら定休日の店が多かったです。


閖上保育所(名取市
 津波に襲われた閖上保育所は、保育士たちの迅速な判断と行動により、園児たちは無事避難できました。名取市震災復興伝承館のパネルに詳しく紹介されていました。命を守ろうとする大人たちの責任と勇気を改めて感じました。


みやぎ東日本大震災津波伝承館(石巻市)
 三陸沿岸に残る震災遺構や防災教育を担う施設。被災地から集められた数々の記録に触れることで、自然災害への備えの大切さを再認識しました。たくさんの資料をいただきました。


石巻市震災遺構 門脇小学校(石巻市)
 津波と火災により甚大な被害を受けた小学校で、そのままの状態で遺構として残されています。有料で校舎内に入ることができます。焼け焦げた校舎に立ち尽くすと、言葉を失いました。「逃げる」という選択の難しさと、避難の重要性を痛感しました。


石巻市震災遺構 大川小学校(石巻市)
 大川小学校は、津波によって児童・教職員84人が犠牲になった場所。石巻市全体でも、死者・行方不明者は3,800人を超え、国内でも最も多い犠牲者数となっています。
 ここでは、語り部の方の話を通して、「過去から何を学び取るか」が今を生きる私たちに強く問われていると思いました。


石巻市十三浜地区(石巻市)
 かつては漁業が盛んだった十三浜。津波で壊滅的な被害を受け、十三浜地区を離れた方、高台に移転された方がいます。佐々木文彦さんの自宅兼事務所も津波に流されてRC造の高基礎のみが残りました。再建された事務所と祖父が植林した木で建てられたというご自宅を訪問しました。


昼食:北上川テラス 七間倉
 4月3日の昼食は、佐々木さんに紹介していただいた石巻市北上町十三浜にあるカフェレストラン「北上川テラス 七間倉」でいただきました。
このお店は、大正4年(1915年)に建てられた米倉を移築・改装した建物で、国の登録有形文化財にも指定されています。店内は梁が見える高い天井と大きな窓が特徴で、北上川の河口や追波湾を一望できる絶好のロケーションにあります 。メニューは、地元の特産品を活かした料理が中心です。とてもおいしかったです。

最後に
あいにくの雨でしたが、静かな雨音の中、街は少しずつ賑わいを取り戻しているのを感じました。けれど、失われた命、変わってしまった景色、そしてあの日の記憶は、今も確かにそこにありました。ご家族を亡くされた方と家や財産を失っても、ご家族が無事だった方の時間の流れ、再建や復興の違いから、災害で命を失わないための建物やまちづくりを改めて考えて、専門家としても防災・減災を実行していかなければならないと肝に銘じることができました。
また、被災地を訪ねて「記憶を風化させないこと」「未来の命を守るために伝え続けること」が大切で、10月25日-26日に開催される「建築とまちづくりセミナーin仙台」も、この思いを胸に次へとつなげていきたいと思います。

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