建築とまちづくり2024年10月号(NO.545)

目次

<目次>

特集
「縮退」社会での建築とまちづくり
④地域に開く住まい

中島 明子
生活空間新たな地平を探る

小伊藤 亜希子
縮小する家族の住まいと住み方

山田 翔太
住まいを地域に活かす
――世田谷における既存住宅活用の取り組み

大森 直紀
都心の賃貸で永く住みあうために

月成 かや
コラム:SharedHome はたけのいえ

連載
失われた家、受け継がれた家――阪神淡路大震災30年〈3〉
初めての「発見」
中尾 嘉孝

私のまちの隠れた名建築〈31〉
岳間茶寮 好信楽
(元深牧邸)
熊本県山鹿市
鹿瀬島 隆之

主張
憲法14条を読み直そう――自分らしく生きられる建築とまちづくりを
高田 桂子

新建のひろば
大阪支部――“竹原義二”講演会
愛知支部――愛知サマーセミナー参加の報告
東京支部――地域で支え合うということ

<主張> 憲法14条を読み直そう―自分らしく生きられる建築とまちづくりを

高田桂子 企業組合とも企画設計/全国常任幹事

9月で終わってしまいましたが、NHK朝ドラマ「虎に翼」は内容、俳優の演技力とも秀逸で些細なところまで見入ってしまう面白さでした。戦前、日本で初めて法曹界に入り、弁護士、裁判官を務めた三淵嘉子さんをモデルにし、男女差別、選択的夫婦別姓、LGBTQ、原爆裁判と原爆補償、尊属殺人、少年法など、現在も決着がついていない内容も含めて扱っていました。時代の流れとして、太平洋戦争による夫や肉親の死、日米安全保障条約をめぐる学生運動など、歴史的な背景も描かれます。最初は女性で初めて弁護士になった人の偉人伝ドラマと思っていましたが、珍しく社会的メッセージが込められていました。
 そして主人公・寅子の「はて?」という口癖は、なぜ結婚が人生の目標なのか、なぜ法律の勉強をしてはいけないのか、という女学生時代の悩み。仕事より子どもを産む方が大事に決まっているという恩師の考え方など、女性が人生のなかで一度は悩まされる社会の理不尽な意見への疑問が詰まっています。脚本を書いた吉田恵里香さんは、「はて?」という言葉は「私は疑問を持っています。対話しましょう」という意味を持たせて使った、とNHKのインタビューで答えています。社会に反発しつつも相手と対話して解決方法を探る姿勢は、ドラマの後半、部下を持つ判事になった主人公が最後まで貫いていた姿勢でした。

 さて、戦前に一度は弁護士を辞め法曹界を去った主人公が、戦後裁判官として復帰する大きなきっかけになったのが「法の下で人は平等である」という日本国憲法ができたことを知ったからでした。その中心になっているのが憲法14条です。
 「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」 戦前、戦後直後に比べると社会は大きく変化しているものの、本当に差別されない日本社会になっているかと問うと、経済格差は広がり、ジェンダーギャップ(ジェンダーギャップ指数118/125カ国、2024年)も広がったまま、高齢者や障がいを持つ人、外国人労働者や家族の不安的な生活など、自分らしく生きることが難しくなっているのではないでしょうか。生きづらいと感じる人が増えているのを感じます。そうした今だからこそ、14条を読み直し、話し合ってみたいのです。

 ジェンダーについて考えてみましょう。ジェンダーとは社会や文化によって作られた性別に対する考え方や役割のことで、生物学的性とは異なり、歴史や慣習で形成されたものです。例えば「男の子は青、女の子はピンク」という色の決めつけも一例です。
 専門家や市民代表で構成される自治体の審議会ではどうでしょうか。私が住む調布市にもさまざまな審議会がありますが、都市計画審議会は13人中4人が女性、「女性の参加が多い」と思われる環境審議会は13人中3人が女性という現状です。人数ではないという意見もあるでしょう。しかし、多様な性が参加するからこそ多様な視点になり、地域のあり方を検討する審議も充実するのではないでしょうか。
 住民の豊かな生活環境を創造していく新建の取り組みでは、ジェンダー平等はもとより憲法14条、そして個人の尊厳を守ることを規定する憲法13条のめざすところはなにか、を常に意識したいものです。住まいや施設づくり、まちづくり。仕事であっても地域活動であっても、その人(たち)が自分らしく生きられる環境づくりに貢献したいと思います。

「おかしいと声をあげた人の声は決して消えない。いつかきっと変えられる」。劇中のこの台詞が大きな勇気をくれます。ともすると変わらない現実に諦めそうになりますが、意見の異なる人とも対話を続けながら、理想を掲げて仕事や新建の活動に取り組みたいと思います。

<特集> 「縮退」社会での建築とまちづくり 
④地域に開く住まい

『建築とまちづくり』誌は今年度の年間テーマを、「縮退」社会での建築とまちづくりとしています。日本社会の劣化と経済の停滞は、1990年代から顕著になり始めました。そのことは住まいにも大きな問題をなげかけています。
 日本の住宅政策に関しては、もともと先進国の中での遅れが指摘されてきました。社会的なニーズが存在するにもかかわらず、制度の拡充がはかられていません。硬直した入居資格のために公営住宅に入れないケースも指摘されてきました。
 2010年くらいからの日本全体の人口減少が住まいの問題を深化させました。目立つのが大都市圏内の郊外居住地・衛星都市での人口減少です。いっせいに高齢化がすすみ、単身者世帯が増えました。郊外の親の持ち家が、非正規雇用の若年層のセーフティネットとなっているような実状もあります。もちろん都市の中心市街地でも衰退がいちじるしく、かつてあった居住地の質が低下したところもめだちます。
 また、単身者世帯が増えているのも特徴です。 今回の特集では、貧困層や孤立する人々、ジェンダーなどから新しい住まい方の歴史とこれからの住まいづくりの新しいあり方、縮小する世帯・世帯内単身に着目し、調査して浮かび上がる社会の課題、一人暮らしの高齢者の住まいを地域に開き豊かな暮らしを創出する取り組み、築30年の賃貸住宅を持続可能な賃貸住宅に改修する取り組み、最後に重度医療ケアを受けながらシェアハウスで暮らす若者たちの住まいを作る取り組みを紹介します。
 私たちは目指すべき社会を見据え、豊かな生活空間や持続可能な社会システムを作り出すことができるのでしょうか。孤立しがちな社会のなかで、地域と密接に関わることで、豊かな生活空間づくりにつなげたい。今号で考えてみたいと思います。 特集担当/髙田桂子

<ひろば> 大阪支部―”竹原義二”講演会

竹原義二講演会を6月29日、大阪市中央公会堂にて開催した。99名参加であった。

五十年前と今日
 大阪支部の代表幹事である建築家・竹原義二氏の講演会の開催内容感想を、私が氏との希少関係位置から報告することになる。新建に入会し、中之島まつりの準備活動を、高田さんの運営するCOM計画研究所前の路上で頑張っていた二十歳代の若者だった私と竹原氏。若くして建築事務所を牽引し、今は共に代表幹事という位置。新建創立時、五十年前の大阪支部は、建築学者向井正也、前衛建築家黒川紀章、遠藤剛生などに講演していただいていた。
 それから、「支部全体で学ぶ講演会」の空白は長きにわたり今日今回に到っている。空白が意味するものは、第一に、新建会員が日常業務に集中して豊かな建築情報に触れ、個々に学ぼうとした態度の結果であり、第二に、私たちは新建活動で社会が求める建築課題を修得し「全国研究集会」を自前で積み重ね、前衛の講演会は方向違いになったと思う高揚〝観〞からである。もちろん、建築ジャーナルを賑わす稀有な新建会員の竹原氏は、建築課題を社会に求める希少な建築家であり大空白後の最適講演者となる新建大阪のここぞという企画である。

学生運動・中之島を守る
 建築学生だった竹原氏が当時の学生運動を経験して、大阪の中之島を守る運動にも参画していたという講演内容には、氏の建築人生に時を外して遭遇した参加者に、「建築家竹原の感性豊かな若き本質」を魅せ、新建築家技術者集団の歴史的存在を認識させることになった。そして、講演する建築作品パフォーマンスは途切れない言語に映像が応援し、黒板カラーチョーク手法による設計対話作法に至るまで充実する。

プロミスとパフォーマンス
 講演会を終了し、希少同位置の私から一般建築行為を次の二面から評価してみよう。①に、社会から与えられる建築課題のプロミスと、②に、当たり前に建築が担っている目標を性能高く実現するパフォーマンスだ。目標(課題)が明快な諸スポーツこそ、〝パフォーマンス〞しか課題にならないが、生活を受容する建築はそうではない。五十年の建築活動、①②双方を大事にしてきた二人にはその重心の違いで、プロミス派とパフォーマンス派に区分できる。新建入会十年後に、プロミス派に位置取った私は、パフォーマンスだけにこだわる建築拡大再生産に支配されるシンボリックアーキテクトを見下して、高邁なフォークアーキテクトを目指した。
 五十年経って初めて、建築において、隈研吾でも安藤忠雄でもなく、今日の建築課題を施主と社会に求め、上質パフォーマンスする竹原義二氏は、私に、パフォーマンスに重心を置く建築家のすばらしさを八十才に到達しようとする今、遅くに接して新鮮に修得し、プロミス重心の建築家人生へ最後の応援歌をいただいたのである。大空白を経た今回講演会は、次々と続いていくことになろう。建築とまちづくりにおける「地域に根ざすパフォーマンス」「地球課題に根ざすプロミス」双方とも、新建がリードするほかはないのだから。(大阪支部・伴年晶)

<ひろば> 愛知支部―愛知サマーセミナー参加の報告

7月14日、5年ぶりに愛知支部として愛知サマーセミナーに参加し、講座を担当しました。講師は、愛知支部会員の壬生伸次さんでした。参加者は、学生4名、一般2名、新建会員5名。セミナーの講座内容は、「地震に備える家について」を名古屋市内の中学校の教室で行いました。
 愛知サマーセミナーは、7月の3連休の期間に開催されています。若手教師たち3人が立ち上げた「『学ぶ』ことは、本当は、もっともっと楽しいことなのだ。授業の枠からはみだして教えたいことは山ほどある。『教えたいことだけを教えて、学びたいことだけを学ぶ』そんな学校ができたら……」という理念を持ち、1988年から35回開催されました。講座数は、初年度は72でしたが、今では2000以上となりました。
 地震が起き、建物が倒壊すると、その瞬間から生活が一変してしまいます。家を失い家財を失う、ケガをする、または命を奪われるかもしれないし、火事を起こす原因になるかもしれないし、道路を塞くかもしれない……。家を失った避難生活では、十分な睡眠が取れない、暑い寒い、落ち着かない、プライバシーがない、今後の生活不安から気が滅入る、食事が不十分、栄養が偏る、運動不足、排泄が不自由、健康を害する……などの問題が起こります。一方、倒壊を免れた家では、人的被害もなく、修理が要らないか少し修理をして家に住み続けられるならば、一時的な避難生活からたやすく自宅生活に戻ることができます。防災というと、非常食の備えや避難訓練も大事ですが、「家」が大丈夫であることが求められると思います。どのような「家」が地震に強いのか、新しい「家」はどのようにして地震に強く作られるのか、今住んでいる「家」はどれくらい地震に強いのか、どうしたら地震に耐える「家」にすることができるのかを考えてもらう講座をしました。以下、参加者の感想を掲載します。
●地震が実際におきたときのことを想像できて良かったです。避難所でトイレに行かないよう、水や食事をひかえる高齢者がいて、それが災害関連死につながることなど、ショキングでした。耐震補強方法が勉強になりました。学生や一般の参加者もいらっしゃって良かったです。
●「大きな地震がおきたらどうなるでしょう」や「家が倒れたらどうなるでしょう」など、思っていてもあまり考えたことがなかったと思いました。また、避難所での生活の中で、仮設トイレの重要性を再確認して、自分でも仮設トイレやビニール袋、凝固剤などを準備しておこうと思いました。自分や家族が寝ている部屋の家具固定を見直し、工場にいる愛犬も安全な場所なのかも再確認したいと思いました。そして、今年1月の能登半島地震時は、犬の散歩をしていたので、犬の散歩するルートの安全も確認したいと思います。
●中学生の参加があったことに驚きました。なにか学校の課題と連動しているのでしょうか?中学校の机、時代を感じました。「天板拡張くん」という部材で、我々の頃の机と比べると、1・3倍くらいの大きさになっていました。
●講座には約10数名の(生徒も含む)の参加がありました。地震発生時に起きることをひとつひとつ参加者から引き出すことで、リアルにイメージできたと思います。講師の方は、模型や図面、写真なども用意してわかりやすい説明でした。
●大地震が起こると家はどうなるか、その後にどんな生活が待ち受けているかなど、被災後の対応は自分の中ではイメージできていて、災害用備品も準備できていると思っていましたが、参加者一人一人がリストアップしていくことでよりリアルに感じました。地震に備えての家具の配置や固定など見直しをするいい機会になったと思います。
(愛知支部・甫立浩一)

<ひろば> 東京支部―地域で支え合うということ

施設の位置づけと入居者の暮らし
 JR武蔵野線「新三郷」駅よりバスで5分、そこから加えて徒歩5分程の市街化調整区域内に計画されたファンハウスは、周囲を学校や田んぼに囲まれています。
 当施設のコンセプトについて、これは私見ですが、ファンハウスのテーマは「地域密着型サービスの具現化」「農作業を通しての生きがいづくり」の2点だと考えています。
 地域密着型サービスとは、そもそも高齢者が、希望する地域で生活できるようにする仕組みです。対象者は、指定を受けた市町村に住んでいる要介護認定を受けている方などで、通所サービスや訪問サービス、施設サービスなどさまざまな形態の介護があります。しかし、そのような施設は、周辺地域住民コミュニティと密接につながれていないところがまだまだ多いということが課題です。元来、高齢者や障がい者の介護、介助、補助は各家庭や地域の中で行われていました。つまり、各人の暮らしのなかで営まれてきたものなのです。しかしながら近年では、暮らしやコミュニティの変容により、それがかなわなくなったことでサービス化されてきたという経緯があります。
 ファンハウスでは、認知症の方が自由に自分らしく生活することができるよう、外出をはじめとする活動になるべく制限をかけないサポートをしています。その中で、ある方は自転車に乗り、近所の学校の敷地内に入ってしまうことがあるようなのですが、その学校もファンハウス入居者の人柄や施設の運営方針に理解があり、一緒に支えてくれるようです。それは、近所の住民の方も共通なようで、地域全体で支え合うようすがみてとれました。
 また、敷地内には畑があり、実った色とりどりの野菜を収穫し調理する様子が見られました。収穫も調理も、入居者が自主的に行っています。「暮らしの中で生きる」ということを大切にしていることの表れだと感じます。

入居者の見守りと主体性の保障の葛藤
 当日、ガイドをしてくださった施設長が、ファンハウス内の案内中に何度も話していたことがありました。それは、「入居者の自由な暮らしと、施設としての見守りのバランスをとることが難しい」ということでした。ファンハウス内には、個室とは別に入居者がひとりになりたいときに一息つくことができる空間があります。そこは、「談話コーナー」と呼ばれ、入居者が周囲の視線から解放されるよう、スタッフルームや居間(食堂)から視ると死角に確保されています。とはいえ、見守りの観点とは相反することなので、入居者が談話コーナーから外に出る窓やドアに近づくと、フロア内にお知らせ音が鳴るように設備設計がされています。
 また、1階各個室の掃き出し窓からは、入居者が自由に行き来することを施設として許容しています。転倒による怪我などを考えると心配になることはもちろんですが、その点も施設ではバランスをとりながら日々の暮らしを保障することを念頭にサポートをしているようです。
 一方で、施設長は「見守りと主体性の保障は、そもそも背反構造ではない」とも話しています。確かに、暮らしの中の生活においては、孫がじいちゃんばあちゃんを見守ることは当たり前ですし、誰がなにをどう考え生活しても(限度はありますが)、それは個人の自由といえます。家族というコミュニティ内では当たり前にできていることを、ファンハウスの中でどのように展開していけるかを、今後も考えたいと仰っていました。住まいづくりに関わる者として、住まう人の想いを、葛藤や矛盾も含めて理解していくための努力を積んでいきたいと考えた企画でした。
(東京支部・澤田大樹)

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