建築とまちづくり2024年7/8月号(NO.543)

合併号 定価900円

目次

<目次>

特集
奪われる公共空間 立ち上がる市民運動

岩見 良太郎
「稼げるまちづくり」と公共空間

鯵坂 学
京都府立植物園・府立大学は守られた
――市民・住民運動の成果

大原 紀子
コラム:民間都市開発事業を後押しする都市緑地法改定
~日本の緑はどうなってしまうのか

原 和加子
明治神宮外苑再開発反対運動を通じコモンズネットを立ち上げ
――コモンズの緑を守る全国ネット

髙田 桂子
米軍基地跡地利用は儲け優先でなく、市民要望が生かされてこそ
――横浜市瀬谷区・上瀬谷通信施設跡地

柏木 修
コラム:「ゼロカーボン・デジタルタウン」を白紙にした小田原市新市長

連載
失われた町、受け継がれる舎〈1〉
それは兵庫・長田の下町から始まった
中尾 嘉孝

私のまちの隠れた名建築〈29〉
伊勢遺構の展示施設
滋賀県守山市
畠山 重弘

主張
いまの歪んだ世の中を 自分たちで変えていこう
山本 厚生

研究会だより
第13回子ども環境研究会報告
『人口減少時代における建築、まちづくりの基本方向』目黒 悦子

新建のひろば
大阪支部――「中之島を緑の島に~未来へのおくりもの」
支援本部第2次視察――能登半島地震の被災地を巡る
東京支部――三浦史郎さんを偲ぶ会

<主張>  いまの歪んだ世の中を 自分たちで変えていこう

山本厚生 建築家/新建全国代表幹事

 今の世の中、あれもこれも歪んだひどいことばかりです。貧富の格差が極度に広がって貧困家庭が増え、身内の犯罪も後を絶ちません。地球規模で生物の絶滅や資源の涸渇など、自然環境破壊が進み、大災害が待ち伏せしています。企業誘致しやすい街づくりや国土改造が進む一方、海外産のあやしい商品も増えていますし、非正規雇用で先の見えない不安も広がっています。この人間社会の歪んだ流れを急いで変えないと、大変なことになるぞとたくさんの警告表示が出ています。しかし、多くの人々はそんなことに気付いていない。考えようともしない。なんとかなると思い込んでいる。いや、思い込まされている、騙されているのです。誰が、なんのために、どのようにして、このような歪んだ社会にしてしまって、押し付けてきているのだろう。ここでは、私の考えてきた結論を簡潔に書きます。財力と権力を握った支配者が、人々の働きで作り出した富を着々と掠奪するために無責任な社会の仕組みを横行させながら、それが知られないように、問題を隠して平気だと思い込ませてきたのです。
 では、この歪んだ社会の流れを誰がどうやって変えていくのか。私たちが自分たちで変えるのです。決して、ひとまかせにしないことです。それには自分自身が社会の歪みに敏感になること、それに腹を立て、変えるべき立場と役割をしっかり自覚し、実行すること、そのために自分の生き方も変えることです。つまりさまざまな場所や場面で、大企業やそれにつながる支配者側の押し付けてくる物・事を拒否して、身近なところから追い出していくことです。そうした行動を、かかわりのある地域に根付いて、そこの住民に知らせ、共感を広げ、自覚の高い仲間を増やすのです。
 私たちは7年前、東京の大田区から神奈川県の秦野市に移り住んできました。この少し上の丹沢山の登り口で孫たちが育っていて、学校への行き帰りのバスが目の前を通るので、毎日手を振って楽しんでいます。ここは素晴らしい盆地です。水も、風も、太陽も、景観も、人々も皆々美味しくて、やさしくて、頼もしい。そこで私は、覚悟を決めました。この「終の住処」で「まちづくり」をしながら、世の中の流れを変えていくのだと。
 そうしたら次々と良い人との出会いがあり、ついに4年前、「秦野住み良いまちづくり協議会」を始めることになりました。今、さまざまな要求やテーマに取り組み出しているところです。専門家がリードしてくれたワークショップや意見の違いを話し合った運営会議や総会で具体化が始まりました。「緑」と「水」と「暮らし」を守る運動では、すでに「矢坪沢」の樹木全伐採や住民追い出しをやめさせる成果もあげてきました。「学校給食」の無償と安全で豊かにする動き。秦野の汚染されない「農地」に、都会から若い人を呼び寄せる動き。「子どもの遊び場」を川や山や公園につくり支援する動き。そして「みんなのベンチプロジェクト」では、今、4箇所にベンチができています。その地域の住民が置く場所、ベンチの形、作る手作業を自分たちでわいわいやるうちに仲良くなり、楽しそうに維持管理しています。評判を伝え聞いた自治会連合会や市の社会福祉協議会も、秦野盆地全体に広げたいと張り切っています。
 今こそ「支配と掠奪」を見抜いてなくし、世の中の流れを変えて、未来への道を切り開こう。私は新建の皆さんと一緒に平和、自由、平等、人権、福祉、自治の未来へ早く進んでいきたいと心待ちにしています。

<特集> 奪われる公共空間 立ち上がる市民運動

 いま、全国各地で、市民の公共空間が、開発事業者の利益追求のための事業用地として狙われ、あるいは奪い取られています。これらは成長戦略の名のもとに、際限のない規制緩和や本来の目的から逸脱した法改定と、離れ業のような制度の創設によって強引に推進されています。
 標的になっているのは公園や学校を含む公共施設、植物園や天文台などの研究施設、そして公営住宅団地建て替え事業にまで及んでいます。特に公園では「Park-PFI」による「にぎわい創出」と銘打って飲食物販店舗建設のために樹木伐採が横行し、市民の憩いの空間ではなく消費喚起型の商業空間と化しています。さらに樹木伐採は公園だけではなく道路、遊歩道、河川敷など、あらゆる場所で維持費削減の名目で緑が失われています。
 市民の憩いの場、大切な財産を奪い取り、環境の悪化を招く開発に対して、これらに抵抗する市民運動が各地で起こっています。この間の市民運動の特徴は、さまざまな立場の複数の団体が合同、あるいは連携して運動に取り組み、大きな影響力を発揮しているという点です。また、運動の形態や方法が多様化し、これまで関心を持たなかった、あるいは気づいていなかった人たちに情報が届けられ、共感を得るなどの拡がりが生まれていることです。
 このような運動の拡がりによって、開発事業の中止や大幅な変更を勝ち取る事例が生まれていることは各地の運動の励みになり、これからのまちづくり市民運動のひとつのスタイルとして期待されます。しかし一方で、市民の抵抗が大きくなればなるほど事業者や行政当局が市民の声を徹底的に無視し、強行姿勢を打ち出すような状況も起こっており、闘いは激化しています。
 公共空間を守るためには、さらに運動を拡げて多くの市民の関心を喚起し、大運動を展開していく必要があります。そんな中で現在約20団体が参加する、公園や緑を守る全国ネットワークが設立されたことは、画期的な動きと言えます。
 本特集では、公共空間を収奪する新たなまちこわしに抗する市民運動を紹介し、その中で私たちはどのように関わっ ていけるのか、なにを期待されているのか、専門家としての立場と役割を考えます。 特集担当/大槻博司

<ひろば> 大阪支部―「中之島を緑の島に~未来へのおくりもの」

 新建大阪支部は、去る5月3日から5日の3日間、「第五十一回中之島まつり」において、「中之島を緑の島に~未来へのおくりもの」をテーマに、通算で3回目の展示会を開催しました。
 中之島は、この数十年の間に「東洋陶磁美術館」や「地下鉄駅入口」「護岸工事」「レストラン」などの建築物の増加に加え、昨年のインターロッキング舗装工事によって街路樹が減るなど、元来豊かであった緑は最盛期の四分の一程度に急速に減少しています。
 展示会では、黄色と青色の二色のプラダンのパネルに、中央公会堂や府立図書館、取り壊された大阪市役所の写真、中之島再開発計画、中之島を守る会などの写真、緑の減少が一目でわかる航空写真などを展示した中之島の保存運動の歴史などについて、写真を見ながらより理解を深めてもらうために「中之島博士ちゃんクイズ第2弾」を実施し、クイズに回答したら「ストーンアート」ができるというイベントです。
 中之島公会堂を含む歴史建築物(日銀、市役所、図書館、公会堂)の配置を当てる問題や、中之島の保存運動を含む近代史について回答してもらいました。みな熱心にパネルを見ながら真剣に回答し、スタッフにいろいろ質問する参加者や昔の思い出を語る参加者もいました。「クイズは難しかったが楽しく学べた」「公会堂で結婚式を挙げたが保存運動で残ったことを始めて知った」「歴史的な建物が残ってよかった」「昔のように緑を増やしてほしい」などの感想が寄せられ、出店した意義はあったと思いました。
 ストーンアートでは、各自が選んだコブシ大程度のさまざまな形をした石に、親子やカップルが魚や動物、植物などの絵や文字をラッカーペンで描き、テント内は終日大変な賑わいでした。3日間のクイズ参加者は240名、ストーンアート参加者は約400名でした。
 来年の中之島まつりでは、「中之島を緑の島に」の展示とあわせて、夏の暑い時期のインターロッキング舗装と木陰での温度の違いがわかるデータ比較や昨今の公園つぶし開発などの実態を展示し、中之島の緑の復活が豊かな都市空間を取り戻す上で先駆的役割を担うような提案をしたいと考えています。(大阪支部・中西晃)

<ひろば> 支援本部第2次視察―能登半島地震の被災地を巡る

 能登半島の被災地はまだなにも進んでいないというのに、3月16日、北陸新幹線が華々しく全線開業した。6月4日、私は、常磐線の特急と北陸新幹線で4時間の快適な旅をして金沢に来た。
 地震からすでに半年すぎていたが、賑やかな金沢の市街地を抜けるとすぐに、地震の揺れの凄まじさを物語る光景に出くわした。市内沿岸部の内灘町は深刻な液状化被害だった。住宅は傾き道路は波打っている。能登半島のあちこちで、大きな瓦屋根が地面に伏したような全壊の住宅や寺院を見た。中にいた人は無事に逃げられただろうか。道路に飛び出した瓦礫は片付けられたが、敷地内の瓦礫はどこも放置されたままである。珠洲市役所ではいまだトイレが使えず、不便な生活を強いられていた。石川県の災害関連死を含む死者は300人にのぼった。大阪万博や大阪の巨大再開発などへ向けられた人や資材を被災者の生活再建に投入する、信念ある政治が欠如している。
 能登半島には志賀原発がある。かつては、珠洲原発計画(珠洲市高屋町、寺家町)があり、また、ほとんど知られていないが、日本原子力産業会議が1970年に作成した『原子力発電所と地域社会』の原発計画地の一覧表には、福来町(現・志賀町福来)の名前もある。住民の反対運動がなければ、能登半島は、若狭湾のように原発が集中立地する半島になっていたかもしれない。
 なぜ、能登半島が狙われたか。若狭湾と同様、能登半島の海岸線には山が迫っている。そこには、農地が十分に取れない過疎問題の深刻な漁村がある。そんな漁村が、原発事業者には一番のターゲットとされたのである。若狭出身の水上勉は、『若狭がたり:わが「原発」撰抄』で、次のように書いた。
 「原子力発電所は、河村集落のうら側にあった。半島は、内陸側からみると、牛が寝たように見えている。その先端の方に、ふたつ小山がもりあがってちょうど、その小山のうらから、牛の首にあたる方角へ向けて、外海に面した岩盤地をえぐって原発はつくられている。もともとそこに、入江があって、低い谷がかくれていた様子だが、そんな所を適地とみて、工事されたのだろう」。原発事業者には、能登半島も若狭と同様に好ましい環境だった。
 志賀原発を訪れた(図1)。半島で最大の震度7の揺れに襲われたところだが、10年以上止まっていたため過酷事故は免れた。もし、3・11が起こらず、稼働中だったら、どんな事態になっていただろう。
 次に、珠洲市高屋町に来た。関西電力が珠洲原発を計画したところで、1986年、チェルノブイリ原発事故が起こったにもかかわらず、市議会は誘致決議をした。しかし、2003年、関電ほか電力会社3社は珠洲原発計画を凍結した。
 高屋町は震源に近く、地震で大規模な斜面崩壊が起きて道路が各所で寸断され(図2)、反対運動の中心的存在だった住職・塚本真如さんの圓龍寺は全壊した(図3)。もし、住民の反対を押し切って珠洲原発が建設され、稼働していたら、半島は?
 そして、日本はどうなっていただろう。   (全国代表幹事・乾康代)

<ひろば> 東京支部―三浦史郎さんを偲ぶ会

 2月19日に他界された三浦史郎さんを偲ぶ会を令和6年6月8日(土)17時10分~20時、四ツ谷の主婦会館プラザエフで行いました。新建築家技術者集団からは宮城支部1人、群馬支部1人、茨城支部1人、千葉支部1人、東京支部22人、神奈川支部3人、富山支部1人、大阪支部2人、京都支部2人、福岡支部1人の方にご参加いただき、全体で77名の方にご参加していただきました。
 司会は象地域設計(以下:象)の佐藤未来さんと栗林豊さんで進められました。はじめに、東京支部で史郎さんとNPOすみださわやかネットで一緒に活動された中島明子さんと「コミュニティーコーポあるじゅ」の大家さんでうたごえ喫茶ともしび店長の斎藤隆さんからご挨拶いただき開会しました。
 続いて元東京東部法律事務所代表弁護士の榎本武光さんから献杯のご発声をいただき、歓談中には三浦史郎さんとの思い出の写真をスライドショーで映し出しを行ったり、会場で流れている音楽も三浦史郎さんが最後までお聞きになっていたCDをご家族の方からお借りして流させていただき、とてもあたたかな雰囲気の中で会は進んでいきました。
 メインのプログラムとして「三浦史郎さんの歩みを振り返る」と称して象のメンバーで進行しました。第一章・秋田から東京へ、第2章・家族との暮らし~仕事の葛藤~、第3章・大きな決断~象に参加~の進行役を佐伯和彦さん、第4章・住民と共に歩んだ30年~象での実践の進行役を江國智洋さん、第5章・より深い被災地支援へ~としまち研での実践~の進行役を澤田大樹さんに担っていただき、第1章と第2章では、ご家族の方からお話をいただき、象にいたことにはあまりお聞きできなかった、家庭での史郎さんの一面をはじめて知ることができました。第3章では、仕事に矛盾を抱えながら理想と現実の乖離に悩みながら新建、象に参加することを決断し、やりたかったことを実践することができるようになってからは悪い酒がなくなったというエピソードは、穏やかな史郎さんしか知らなかった私にはとても驚きでした。第4章では史郎さんと共に実践してきた方々にお話をいただき、仕事とだけ捉えるのではなく、生き方として学ぶべくことがたくさんあると改めて感じました。第5章では象にいた頃はできなかった被災地支援の活動を中心に東京支部の杉山昇さんにご紹介いただき、全体で17人の方に史郎さんとのエピソードをお話しいただきました。
 会の終盤には2023年1月16日に思いを語った映像をご紹介し、最後に三浦史郎さんを偲んで象地域設計代表取締役の江國智洋さん、新建築家技術者集団全国幹事会議長の片井克充さんからお話いただきました。
 史郎さんの歩みを皆さんと振り返り、たくさんの方から貴重なお話をお聞きしたことで、史郎さんが大事にしてきたコミュニティの大切さを改めて感じました。史郎さんの想いを引き継ぎ、地域の要求に耳を傾け、実践していかなくてはならないのだと深く感じた会でした。  (東京支部・安達一八)

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