<目次>
特集
これからの住まい方と建築技術者
中林 浩
ポジティブな集住
桜井 郁子
コラム:京都ソリデール――京都における異世代ホームシェア
安東 健雄
《インタビュー》分散型サ高住「ゆいま~る高島平」
木村 よしひろ
共生型コミュニティの誕生
――少子高齢社会の小さな拠点「那須まちづくり広場」
馬場 麻衣
コラム:多様な人々の住まうデンマークの「みんなの住宅」
櫻井 信
山形市中心市街地の学生向けシェアハウス「山形クラス」
――大学・県・市・公社の連携で
伴 年晶
これからの住まい方
――独立接地型のコーポラティブ住宅
連載
原子力災害避難計画を考える〈10〉
地震大国に異常な原発密集 池田 豊
タイの住まいづくり・まちづくり(14)
建築家の役割、日本への示唆――バーン・マンコン事業7
石原 一彦
私のまちの隠れた名建築〈10〉
緑雨亭
三重県鈴鹿市神戸
黒野 晶大
主張
パブリック・コメントに思う 川本 真澄
新建のひろば
神奈川支部――大磯 かたつむりの家見学会とまち歩き
京都支部――まちづくりの実践から見えてくるもの
研究会だより――第3回子ども環境研究会報告
<主張> パブリック・コメントに思う
川本真澄 企業組合もえぎ設計/全国幹事会副議長
建築・まちづくりに関わるパブリック・コメントが募集されていると、しっかり意見を言わないといけないと思いつつも、出しても虚しいことも多く少しモヤモヤします。京都市のHPには、パブリック・コメントについて、「市民の皆様に市政に参加していただく大切な制度です。提案内容を公表し、寄せられた意見を考慮して政策を決定します」とあります。でも寄せられた意見を元に本気で議論をし政策を練り直すプロセスが用意されているわけでもなく、体のよいガス抜き制度のように思うこともあります。そもそも提案内容をつくる段階では、有識者など選りすぐりのメンバーで組織された会議が粛々と進められ、市民から意見を求められる仕組みや途中の情報開示がされることはほぼありません。そして膨大な提案内容が公表され、いかにも決定しましたというような風情の印刷物がつくられ、1カ月間のうちに意見を述べよとなりますが、内容を理解するだけでも大変なことです。提案の目的や趣旨が大抵ふわふわしたキャッチフレーズで語られているからです。
さて現在京都市では、「『みんなが暮らしやすい魅力と活力のあるまち』の実現に向けた都市計画の見直しについて」という提案が出され、パブリック・コメント期間中で、まちづくりに関心のある人たちはそれを理解するのに頭を抱えています。
提案の概念図によると、京都駅以北を保存・再生ゾーン(魅力の源泉)とし、少し重なりを持たせた南部を創造・再生ゾーン(都市活力の伸びしろ)としています。この南部に5つのエリアを選定し、都市計画見直しの提案がされているのです。
たとえば京都駅の南部エリア、都心の中の工業地域エリアなど、交通の便がよくて土地利用率が比較的低いところが選ばれ、そのエリアの特徴に合わせて誘導するまちの像を描き、きめ細かく用途地域や容積率、高度地区の見直しがされています。すべて緩和の方向に見直されていて、残念なことに2007年に新景観政策でダウンゾーニングされた幹線道路沿いの高度地区20mあるいは25mを、誘導する用途に合うことを条件に元の31mに緩和しているところがいくつもあります。
この提案書の基本的な考え方の中に、「京都の未来を支える若い世代に選ばれる居住環境の創出」というのがあります。
今年8月28日の新聞に「京都市の人口 日本一減った」という見出しが一面に掲載され話題になりました。確かに都心部では住宅が高騰しすぎて手が届きにくくなっています。他都市に流出する若者の人口が増加し、子育て世代が減っていることも市内の保育園が定員割れを起こしている要因になっています。またインバウンドを狙った土地利用が促進されてきたことにより、借家や長屋が激減しています。
今回の提案は、これを受けて住宅と職場を供給する対策のようにも見えますが、都心で起こっている〝普通に暮らせない〞問題にはなんの対策も立てられていません。それどころかホテル誘致や企業主導の都市開発などが繰り返されています。
また私が気になっているのは、「居住環境の創出」としながらその中身のなさです。幹線道路沿いに高層のマンションを建てて、1階に店舗などのにぎわい施設を入れて(保育園を入れたら高さを緩和すると書かれている!保育園は単独で建ててほしいし豊かな園庭もほしいと思います)、それでどんな居住環境が創出されるとイメージしているのでしょうか。容積率を増やし高度地区を緩和し住宅供給を誘導する仕組みの中には、コモンスペースを生み出す提案があまり見られません。都市計画の役割として、都市の構造と居住環境の相関性について考察することや、居住環境として大切にされるべき要素についての記述がないのです。この辺りをパブリック・コメントにどう書いたものかと考えています。
<特集> これからの住まい方と建築技術者
住宅すごろくの「アガリは持ち家戸建て」を支えていたのは、社会の人口増加、地価上昇、終身雇用や収入の増加であったが、今や人口は減少し、人々の収入も横ばいであり、持ち家志向にも変化が表れている。しかし、我が国の中古住宅市場は未熟で、住宅はいまだ一生に一度の高価な買い物である。
そんななか、新型コロナウィルス感染症を契機として、働き方改革が大きく進み、人々の生活様式、場所、住まい方にも変化が生まれ始めている。シェアハウスという暮らし方は、コロナ化で低迷するかと思われたが、独りではない安心感から人気となった事例も多く見受けられる。二地域居住やアドレスホッパーなどの新たな暮らし方も現れている。それらは、特殊な選択ではなく、自分がどのように生きたいのか、自分らしさをより追及したまさに幸せの選択なのだろう。
私たち建築技術者が、このようなポジティブで新たな選択に寄り添い、仕事として携わっていければと思い、この特集を企画した。
今号では、高齢者の住宅としてUR高島平団地の分散型サ高住、高齢者と若者世代が共生するする那須での共生型コミュニティづくりや京都の取り組み、山形の街中に広がる学生の住まい、長屋型のコーポラティブ、デンマークの多様性を享受する賃貸住宅、ポジティブな集住という選択とその共用空間の概観と多様な事例が紹介されている。ぜひ気になる記事からご一読いただきたい。
担当編集委員/馬場麻衣、桜井郁子
<ひろば> 神奈川支部ーー大磯 かたつむりの家見学会とまち歩き
7月9日は少し雲がありまち歩きには大変良い陽気でした。見学会参加者は8名でした。まずは、大磯駅に集合して、吉田茂邸の建物見学です。さすが大磯は政財界の大物が多く別荘を建てた土地柄です。海沿いの大きな区画に名だたる人の別荘があります。
吉田茂邸の庭を散策しました。そこには吉田茂の銅像が海に向かって立っており、銅像には「日米講和条約締結の地・サンフランシスコ、さらには首都ワシントンを見据えるように、吉田像は立っています」と書かれていました。みんなで銅像と同じ方向の海を見ました。右手には大磯ロングビーチがあり、昔の芸能人プール大会の話題でもりあがりました。
数年前に火事にあい復元された建物の内部見学をしました。当時の造りの贅沢さと、建築的美的センスの素晴らしさは良くわかりました。
食事の後、障害福祉サービス事業所「かたつむりの家」に移動し、見学と交流会をしました。建物は、木のぬくもりが感じられ、周りの風景に溶け込む素晴らしい建物でした。小野誠一さん(新建神奈川支部会員)の設計コンセプトと建物を使用する利用者さん、施設スタッフの方、施工者工務店の方の熱意、理事長の野口さん(新建神奈川支部会員)の思いを感じる建物です。すでに利用者さんに付けられた傷もありましたが、小さな傷も歴史になると思いました。使い勝手と、光と風を感じる建物でした。交流見学後、施設で販売しているクッキーやラスクを買うことができました。
そのあと支部長の大西さんのテリトリーである神揃山を散策しました。名前の如く国府祭で神様が揃う場だそうです。お祭りの時は各宮から、ここに神輿が揃います。またこの近くで、2年前に「よいとまけ」を行った石場建の住宅が完成しており、遠巻きに見学をしながら大磯駅に戻りました。
打ち上げで、大磯駅近くの茶屋町カフェにて親睦会を開き、少し喉を潤して解散しました。
神奈川支部・伊藤篤
<ひろば> 京都支部――まちづくりの実践から見えてくるもの
7月19日京都支部の企画として、もえぎ設計のお隣の町内に住んでおられる河合博司さんに講演いただきました。河合さんは行政学、自治体論の専門家で、最近新建会員になってくださいました。実は20、30代の頃の地域活動では京都支部と関わりがあり、北海道で仕事をされていた頃には北海道支部とも関わっておられ、とても縁を感じます。
河合さんのお話の中心は「笹屋町1丁目町内会の地縁法人」についてです。今から150年前、明治憲法下での「地方自治」がいかに巧妙な集権体制を作り上げるための制度であったかについてお話されました。当時地方から中央政府に対し意見を述べることは許されず、当然地域社会が行政に対しモノを言うことも許されませんでした(太政の建議の禁止)。これが日本の戦前の自治という考えの根本です。国政との関係、あるいは地域との関係を巧妙に遮断していたことが良くわかります。現代においても忖度というカタチで踏襲され、沖縄の辺野古基地移設問題などにも影を落としています。
都市政策の研究者で戦前、大阪市の市長(1923~1935)を務めた関一の都市経営の考え方についても触れられました。関市長は「市民生活のベースを作ること」を重視し、都市は市民の福利と厚生のためにあるべきだという考えを具現化した市長です。文化・学術の重要性を説き、日本初の公立大となる大阪市立大学を開学しました。関が実現し市民の福利と厚生をベースとした「都市経営」という考え方は、現代において大阪維新の会などが唱えている都市経営という概念とはまったくの別物です。地方自治の大きな動きとしては1999年に「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律」、いわゆるPFI法が制定されたことが挙げられます。「平成の市町村大合併」や「21世紀のまちこわし」の元凶がここにあります。
本題は「認可地縁団体」についてです。1991年に認可地縁団体が地方自治法で規定・制度化されました。一定の要件を満たし、不動産所有などの条件を満たせば「地縁による団体」と行政が認定し、法人格が得られます。不動産などの財産を町内会や自治会名で登記できることとなりました。笹屋町一丁目はこの制度を利用し、地縁法人格取得の手続きをしました。戦時中は町内会が行政の末端組織として国家総動員法により機能していました。この反省に立ち、地方自治法では地縁団体を「地域的な共同活動を行うこと」「構成員に対し不当な差別的取り扱いの禁止」「特定の政党のための利用の禁止」と明確に規定しています。この制度により笹屋町一丁目町内会が町内で保有する町家(ちょういえ)は町内会構成員の共同所有となりました。地縁団体所有とすることで将来に渡ってその土地の商品化や分割ができなくなります。
笹屋町では町家にお地蔵さんを祀り、盛大に町内総出で地蔵盆を行っています。地域での町家を中心とした結束は町家両隣のビルや家屋の解体が契機となっています。住民総出でまちなみや景観の維持発展を目指し知恵を出し合い、勉強会なども開催します。解体業者への申入れや町家の文化財としての認定取得など考え得るさまざまな取り組みを行ないました。22世帯6業者参加の下、景観まちづくり協議会も発足させました。全員が知り合いのまちで、直接民主主義の良さが生かされています。町内会はさまざまな二面的な評価がありますが、生活レベルでの町内会の役割は重要です。面として地域の共同管理をしています。「近助」、近所で支え・助け合う町内会は労働運動・職域運動・市民運動とは違う面での活動で、有財産制を乗り越える可能性も感じています。
今、京都では各所でまとまった土地にホテルやマンションが建てられることでまちこわしが進行しています。行き過ぎた自由や民主主義の名の下、土地の私有化が進み過ぎており、デベロッパーは民地が私有財産であることから、土地などを商品化し大きな利益を得ています。京都市には142の認可地縁団体があり、それぞれ不動産の共同所有という手法を用れば、まちこわしの動きを多少なりとも抑制する力になるのではないかと考えています。京都北山エリアでは京都府と京都市の公的な土地が、民間デベロッパーによる大規模開発の危機に直面しています。この開発はPFIの手法を用い、まさに公共という概念を形骸化するものです。笹屋町一丁目の取り組みは、行き過ぎた自由や民主主義という概念を「公共」という概念でどう作り変えられるかを考える手掛かりになっていくと思っています。 以上のようなお話をいただきました。
京都支部・大森直紀
<ひろば> 研究会だより――第3回子ども環境研究会報告
2022年9月4日(日)16時より、東京支部の佐藤未来さんより「保育を支える設計 エピソードに学ぶ」という題でお話を聞きました。Zoom開催で参加者15名でした。
なくてはならない居場所とその事例
保育園での小さな居場所づくりを、とても大事にしてこられた佐藤さん。「いろんな子どもがいていい、日々受け止めてくれる保育園空間にはどんなことが求められるのか」。なくてはならない居場所づくりの大切さを保育園の先生たちと対話を重ねて積み上げられてきました。 今まで設計されてきた保育室の片隅にある天井が低い小部屋や、はしごをのぼっていく少し高い床など、たくさんの事例を写真で紹介してくれました。その中には開設数年で倉庫になってしまったスペースが整理され、大人の打合せコーナーになったという事例もあり、子どもだけのスペースばかりでないお話も印象的でした。
もっともほっこりした写真は、保育室にある一段下がった円形コーナーをつくった事例です。子どもたちが下がったところに工作で作った魚を置いて、釣りをする姿にはくすっと笑ってしまいました。先生たちも予想できなかった子どもたちの使い方に驚かれたようです。事前に「こういうふうに使いたい!」と思う先生たち。でも、それとは異なる子どもたちの発想。対局にあるわけではないけれど、どちらも豊かな空間になっているのだなと思います。小物が飾られる棚も階段脇などにある写真もあり、しっかりと空間を確保することだけでなく、ちょっとした場所をつくることも大事なのだというメッセージも大いに共感しました。
時間とともに使われ方が変わっていく小さな場と力
小さな居場所も設計当初に想定していたことが変わっていくエピソードもありました。ある保育園でホールとつながった2段スペースを設計されたそうです。初めは子どもの遊び場としてしっかり使われていましたが、数年後に物置スペースとなってしまいました。しかし発達障害のある子どもが入園し、その子がゆっくりと遊べるスペースとして見直されました。やがて、朝の時間そこでひとり遊びをしてから、友だちと園庭遊びをするルーティンが定着し、他の子どもとかかわりをもつようになります。そのスペースは遊びの途中状態も確保でき、片づけないでいい空間に。一人で自分の場所を持っていいことがその子どもの支えになったようです。年によって場所や遊びの内容が異なるため、保育の流れもあって使われなくなる事例もあります。保育園にときどき伺っては、経過を注視していくことは大事だという話も、身に染みました。
園舎設計を通じて
保育園にはさまざまな子どもがいて、そのなかには障害やさまざまな困難を抱えた子どもを含んだ集団が毎日同じ生活を繰り返しながら、体と心が日々成長していきます。たとえば病院に病気などで入院する子どもの環境から、隣に同じ大きさの子どもがいるという環境そのものが大切だという話がありました。
また「保育の質の向上」を考える時、プロセスの質と構造の質に分けて評価することが大事で「構造のどの要素がプロセスの質にダメージを与えているのか」という大宮勇雄さんの文書の紹介もありました。
構造の質は保育士配置、面積基準や処遇などを指し、プロセスの質は子どもと子ども、子どもと大人、大人と大人の相互的なやりとり、保育実践を指します。
佐藤さんはその2つの質が両輪となるよう意識しながら、保育園の先生たちと設計するように心がけているようです。複数の先生と打合せをするときには、みんなが同じ意識でやっているとは限らないので、限られた時間の中でどうやって考えや要望をひきだすのか、工夫が必要ということも。同じ事務所の栗林さんから複数体制で打ち合わせに臨んでいる様子の話もあり、設計の話をわかってもらえるにはどうしたらいいかなどの苦労話も参加者から多く話題になりました。
定員を満たす保育室をつくることだけでなく、そのまわりに少し離れて過ごせる場所が散りばめられてあって、そのときどきで子どもが選ぶことができたら、子どもはより自分らしく安心して楽しく過ごせるかなと想像します。でも、実現するには丁寧な対話が欠かせないです。「あったらいいやん!」で終わるのではなく「できてしまった」でもなく、「なくてはならない場所だよね!」というところまで保育園と設計者が話し合うということがいかに大事か。安全対策にももちろん配慮しながら、子どもを育む豊かな空間をともに考えられたらと思います。どんな子どももどんな時の子どもも受け入れてくれる空間にするために、小さな場をつくっていきたいです。
京都支部・目黒悦子