建築とまちづくり2021年11月号(NO.512)

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<目次>

<主張> 主体の主体性を取り戻そう

 1980年代から続く「民活」「民営化」の流れは国民の主体性を著しく低下させてきた。国民は役所よりも民間企業の方が効率的であるという謳い文句を信じ、結果としてこれらを受け入れてきたが、サービスの低下や事故の増加など、効率化による弊害の方が目立っている。しかし、弊害に対する反省はなく「公共サービスの産業化」は広範囲に推進され、コロナ禍における病床不足など、深刻な事態を招いている。私たちはこれらの国民生活を顧みない政策に対して、主体としての立場から状況を正確に理解し、公共に戻すことを含む、その改善を要求すべきである。
 導入されて20年近くになる公共施設の指定管理者制度も「民活」の手法として、今ではあらゆる施設で用いられ、新しい施設は開設時には当然のように指定管理者が決まっている。公共施設の本来の所有者は市民であるはずで、行政は市民に付託されて管理運営を行うべきところを、民間へのまた貸しがまかり通っているのである。これも利用料の値上げ、利用形態や時間の制限、たとえば図書館では司書が適切に配置されないなど、指定管理者側の効率化のために主体である市民の利便性が犠牲になっている。しかし、この制度の場合は主体である市民が団体を構成して自ら指定管理者となることは可能であり、評価は別としてN PO法人が指定管理者である事例も少なくない。公民館の管理運営を自治会が担っていることと類似と考えてもよく、30年かけてじわじわと低下してきた主体性回復の契機にできるのではないだろうか。
 指定管理者制度によく似た「第三者管理方式」と呼ばれる手法がマンション管理に導入されて約10年が経過した。区分所有者の自治を前提につくられたマンション標準管理規約では、「区分所有者が理事会を構成し理事長が管理者となる」ことを標準としてきた。しかし、2011年に区分所有者限定要件を撤廃し、2016年には外部専門家を管理者に選任するための規定を追加して、事実上「第三者管理方式」推進に舵を切った。この仕組みの背景として、区分所有者の高齢化と賃貸化および理事のなり手不足、それらに起因する管理不全マンションの抑制が強調されているが、「外部専門家」としてのマンション管理士や管理会社の仕事創出の狙いも見え隠れする。
 日頃、主体性のある管理組合からの相談に対応している私たちは「第三者管理方式」の広がりに気づかないでいたが、リゾートマンションや投資型マンションでいち早く導入され、続いて超高層マンション、そして「第三者管理方式」を前提に分譲される新築マンションが増えていると聞く。「煩わしい理事をやらなくてよい」ということを『売り』にしているらしく、デベロッパーが販売戦略に利用することは想像していなかった。さらに既存の一般的な中高層マンションでも、某管理会社では大阪支店だけで来春から20件ほど「管理者」を引き受ける予定とのことで、想像以上に増えているようだ。管理業務を受託している会社がそのマンションの「管理者」になることは利益相反取引ではないかと思うが特に禁じられておらず、主体である区分所有者の主体性は無に等しい扱いと言わざるを得ない。
 私たちは住み手使い手の立場に立ってその専門性を発揮することを仕事にしているが、これは専門性を生かして住み手使い手の主体性の発現を促す作業ともいえる。さらに住民と一緒になって私たち自身の主体的能力を向上させる取り組みとも言える。専門家は住民の要望に応えるだけではなく、専門的見地と社会的観点に立って要求実現と豊かな社会の実現を統一的に目指していくべきであり、その意味で主体の主体性を高めることは重要である。建築まちづくりの仕事を通じて、設計や計画の一般的な業務を超えた、人づくり、コミュニティづくりに関わってきた経験を活かして主体性の向上を意識しながら、住民とともに豊かな生活環境の創造にむけた活動を多彩に広げていきたい。

大槻博司・F.P.空間設計舎/全国常任幹事

<特集> 実践実践交流の新しいスタイル 
          ―第32回新建全国研究集会から

 2年に1度行われてきた全国研究集会。2020年は新建設立50周年であり記念行事の一環となるはずでした。しかし、新型コロナ感染拡大により開催地を決めずに新しい実践交流スタイルを模索し、第32回全国研究集会は、11月のオープニングセレモニーから分科会、8月の終わりの会まで一部を除きオンラインで開催されました。
 11分科会が独自に開催日時や回数、報告を設定し、新建ホームページのカレンダーで開催情報を掲載しました。継続して行われる分科会となり、会員は興味のある分科会に好きなだけ参加できるようになり、報告も含めて会員外への広がりが見られました。分科会ごとにテーマをより深く掘り下げることができ、実践交流を今後も継続することにつながったと同時に、各分科会を横に貫くテーマも認識できたと思います。
 オープニングセレモニーと終わりの会を開催したことで、初めに私たちの活動の意義を確認し、最後に展望を語りあうことで、これまで大切にしてきた「集まって話し合う」ことを表現されたのではないでしょうか。

 本誌では、オープニングセレモニーを2021年1月号(No.503)に掲載し、各分科会の経過に沿って報告を毎号掲載してきました。今号では分科会の報告から4篇とパネルディスカッション、参加者感想、分科会報告一覧を掲載します。
 分科会報告一覧を見るとこれまでの報告数を超える多くの報告がされたことを実感します。分科会の開催は11分科会併せて、50回の開催、113報告、延参加者は1084人となりました。
 本誌での報告の紹介は、これまであまり紹介されていない活動や仕事をメインにしています。地域とのつながり、建築以外の専門家との協働、環境問題と建築、持続する住まいとまちづくりという建築まちづくり活動が直面するテーマが並びました。
 最後のパネルディスカッションは、会員のなかでは若手による「私の仕事の『かたち』の今とこれから」がテーマです。仕事や活動の幅が大きく広がり変化している建築まちづくりの現場にありながらも、変わらず対話や相談にこだわりを持ち続けて進んでいることに、新建50年の歴史と意義を大いに感じさせてくれます。私たちのこれからの議論が楽しみになる提起がされています。

 分科会の記録はDVDの報告集としてまとめられ、11月に行われる全国大会を機に発行をしています。報告集を冊子ではなくDVDにするのは初めての試みで、写真や図をカラーで見られるのがDVDの良さです。報告を聞き逃した方、オンラインでは参加できなかった方で関心のある方はぜひ取り寄せてください。
 今回のオンラインという新しいスタイルを機に、継続的で全国の会員が気軽に参加できる実践交流の場が数多く生まれていくことを期待したいと思います。

担当編集委員/高田桂子、大槻博司、永井 幸

<ひろば>  奈良支部-「建築とまちづくり」誌の読書会

   奈良支部では、毎月第3金曜日の夜に『建築とまちづくり』誌の読書会を開催しています。当初は会場を借りて開催していたのですが、緊急事態宣言で集会ができなくなって以降、徐々にオンライン化を進め、参加者のオンライン対応がほぼ終わった昨年秋以降は、毎回、片手で数えられる程度のささやかな参加人数での開催を続けています。時間は2時間、読む記事はふたつ程度というのは変わりませんが、オンライン化前後で少しだけ会の進め方が変わりました。
   以前は集まって、たわいのない話をしながら『建築とまちづくり』最新号をパラパラとめくり、記事を選んでから読み合わせを行うという形で進めていました。オンライン化以降はZoomミーティングのリンクを送る際に、先読み記事をひとつ選んで知らせておき、会が始まれば、記事を読んでいる前提で感想や意見を話し始めます。1時間ほど話をしたら、次の記事を選び、休憩を兼ねて15~20分程度の読む時間をとり、その後は読んだ記事について話し合いを行います。また話し足りなくても、2時間程度で終わるように心がけています。
進め方を変えたのにはいろいろと理由があり、ひとつはオンライン化当初は参加者がZoomの操作に慣れていなかったためです。今はほとんどありませんが、Zoomを利用し始めた頃はミーティングに入室できない、音が出ない、映像が出ないなどの些細な問題の対応に結構な時間をとられていました。ふたつ目は音声のタイムラグが原因で、話しを終えたタイミングが伝わりにくいためです。たとえ読み間違いを訂正するためであっても、声が重なると途端に聞き取りづらくなります。あとはリアクションがないと、音読する人はつらいよねということだったりします。
人はそれぞれ読むスピードやスタイルが違いますので、いまのところ各自のペースで読んでもらった方が、内容の理解も早いのではないかと思っています。しかし、進め方を変えましたがこの進め方がベストだとも思っていません。たとえばミーティングの前後のちょっとした時間で交わす「たわいのない話」の時間は、今となっては結構重要な意味があったと思います。これがオンラインでの集まりでは失われてしまいがちです。記事の内容をきっかけにして延々と脱線してしまうようなことがあっても、話を遮ってまで無理に話を戻すことはないようにしています。その結果、ひとつの記事を読むだけで終わったこともありました。
   また完全にオンライン化してしまったことで、オンラインに対応できない人とは断絶してしまったのではと思っています。残念ですが、人と会うこと自体がリスクだということになってしまったので、これはなんともしようがありません。
   「短期間我慢すれば、コロナ前の生活に戻れる」という期待はおそらく現実的ではなく、「元に戻ることはない」というのが現実だと思います。いつの日かマスクやアクリル板の衝立もない状態で読書会を開催できるようになった時には、今とは違う形の読書会になっているはずで、そろそろ真面目に次のやりかたを考えないといけない時期にきているのだと思っています。
                                                                                                   奈良支部・細井健至

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