2015年7月号(No.442)

特集:縮退社会におけるマンションのあり方

 

分譲マンション(持家共同住宅)は600万戸を超え、都市住宅の主要な部分を占めている。共同住宅の区分所有という仕組みは住み手に一種の運命共同体を強いる一方で、住み手が共同で自らの住まいを維持管理することによる可能性も秘めている。人口減少や高齢化はすべての住宅タイプに、それぞれ難しい課題を投げかけている。社会の縮退がマンションではどのような形で現れるのか、管理組合の主体的な試みによって持続する居住スタイルが展望できるのか、研究と実践の両面から探る。

・《インタビュー》住民の手によるマンション運営を展望する             梶浦 恒男
・3棟のコーポラティブハウスがある小さいけれど元気な町                杉山 昇
・コトーハイツ伏見稲荷の取り組み①
安全で安心して住み続けられる住環境づくりをめざして~小規模多機能自治の取り組み  久守 一敏+大槻 博司
・コトーハイツ伏見稲荷の取り組み②
長期経過した分譲集合住宅における住み続けられるコミュニティづくり         室崎 千重
・関西の都市部における管理不全 マンションの状況と行政の施策           太田 隆司
・《座談会》縮退社会のマンション居住を語る                    松本 恭二+小林 秀樹+杉山 昇+大槻 博司


 

■  新建のひろば
・オリパラ第4回提言討論会
・2nd「ОLA──フィールド」オープニング
・「大震災と住宅政策を考える」院内集会
・国府津・小田原の街歩き
・埼玉・群馬支部合同見学会
・新景観政策から8年──建築デザインを考える
・復興支援会議ほか支援活動の記録(2015年5月1日~2015年5月31日)

■  連載
《建築保存物語26》神奈川県立近代美術館(本館1951年・新館1966年 鎌倉市)        兼松 紘一郎
《木の建築~歴史と現在19》建築の継承と儀礼                        大沢 匠
《書棚から》『こんなまちに住みたいナ─絵本が育む暮らし・まちづくりの発想─』
《創宇社建築会の時代6》創宇社建築会の種子                         佐藤 美弥
《設計者からみた子どもたちの豊かな空間づくり17》学童保育 子どもが安心できる居場所づくり 栗林 豊


 主張 『一人ひとりが生活の質を見直す意義を学ぶ──ある過疎のむらの減築から』

日本福祉大学名誉教授/新建築家技術者集団全国幹事会副議長 片方 信也

 

昨年3月いっぱいで大学を退いて研究室をたたみ、書籍などを郷里(岩手県北上市)の実家に持ち込み、この6月にようやく書庫ができて段ボールを開けられるようになりました。
書棚などを、となりのむら(旧沢内村、いまは合併して西和賀町、以下沢内といいます)の知り合いの紹介の大工さんにお願いして造作してもらいましたが、その大工さん、沢内で古い民家の減築の仕事の合間を縫って、わたしの実家まで通ってくれました。
いろいろなお話しのなかで興味をもったのは、その減築の仕事のことです。      

沢内は、人口急減をもって「地方消滅」を論じる増田寛也(日本創生会議の座長)の「予測」で、もっとも早く消滅する村落の筆頭のところに位置しているとのことです。その沢内で、盛岡に嫁いでいたその民家の娘さんが夫との死別を契機に戻ってくるので、すでにご両親が没して空き家になっていたその民家を独り住まいに見合うように減築することにしたというわけです。
盛岡は県内で一番大きい都市ですが、そこからいまにも消滅するといわれる村落に戻ってくるというその女性。嫁ぐまでいたそのむらの共同体を支えた人びとが互いに助け合うような、そのような慣習はもはや残り得ない状態であるかも知れませんが、彼女は村人とのかつてのつながりや、畑づくりなど土との接触を懐かしんで戻ってくるのではないかと思われてしかたありません。
物の消費を続け、その量を増やすことで成り立ってきた都市主導の消費主義から抜け出て、できるだけ消費の無駄を省き、生活の質を簡素なものにしていくような、そんな生活様式へと自らを見直していく。わたしがその減築の意味合いを感慨深く受け止めていけるのは、そのような理由からです。
創生会議のレポート(2014年)では、女性の出産年齢を20歳から39歳とし、2010年から40年にその層が5割以下になる自治体を「消滅可能性都市」としていますが、その半年後に閣議決定された「まち・ひと・しごと創生総合戦略」では、「ビジョン」のひとつに、その年齢層を増やして彼女たちに出産させ人口増加につなげるために、2050年代にはGDPの成長率1・5~2%を維持することが掲げられています。
相変わらず、企業の設備投資の拡大や高層マンションのような新築住宅需要増などによる経済成長が、「地方消滅」の処方箋のように描かれています。出産可能な年齢層の女性を増やす戦略を語るような創生会議の思想は、人を「数」の問題としてあつかい、その数字でもって自治体の運営の可否を条件づけようというものです。
イギリスにはかつて、「GNP(GDP)がまた伸び出せば、みんな前より幸せさ」という詩があったそうです(シューマッハー『スモール イズ ビューティフル再論』)。北海の石油のさらなる乱採掘と消費拡大によって経済を成長させる「楽しい軌道に戻す」という政府の政策をもじったものだろうと思いますが、まさに「総合戦略」の提示した方向は自然の暴力的利用と破壊をとめどなく進め、消費主義をまき散らすその「軌道」とぴたりと一致しています。閣議決定の方針は、その意味でもまったく時代錯誤の代物です。
しかし、そのような成長率を追い求める消費主義、市場原理主義に立つのではなく、ほんとうに求められることは、沢内の大工さんの減築の仕事がそれとなく語ってくれているように、人びとが必要な範囲のなかで互いに支え合える暮らしの生活空間を作りだしていくことです。それは、かつての村落が持っていたようなフェイス・ツウ・フェイスのまとまりの単位を思い起こさせるものです。
GDPの成長率をあげねばと大規模な生産の拡大と消費をあおり立てるために税や資本の流れを太くする方向ではなく、ひとりひとりの住民が互いに支え合い、人の尊厳を守り自然との交わりを取り戻していけるようなまちづくり、住まいづくりの軌道に変えていく必要があります。沢内の減築の営みは、空き家もまちづくり、むらづくりのための「宝もの」となりうることを物語っています。