2019年10月号(No.489)

新建活動年報2017-2019

  ── 建築運動の継続が地域に結実する日々 

 

前々回大会から、全国大会の議案が載る10月号の特集を「活動年報」とし、大会期二年間を振り返ることにした。多様な活動の一部を取り上げたに過ぎないが、これがリード線になって、大会やその前後の議論で、会員間の経験や手法の交流を期待したい。私達が体得してきた建築まちづくりは、 次代の主役であることを確認しつつ。

 

 

 

 

◆連載

・災害復興の姿


主張

あなた自身の建築運動は?

永井 幸 (永井空間設計/全国常任幹事)

  

 新建第32回大会期全国大会が近づき、この10月号巻末に大会議案を掲載しています。充分練られた議案と事前の根回しで、大会はシャンシャンと行きたいところですが、新建ではそうは問屋が卸 しません。大会当日の全体会で、沢山の意見を出してもらうことを期待しています。期待するというより、そのことが大会の目的だと思います。もっと言えば、一人一人の新建会員が、議案をネタに新建をどう思っているのか、どうしていきたいのか、自分はなにをしたいのかを考えるきっかけにしてもらうことです。それを各支部で話し合い、一人一人の思いをまとめて、大会で伝えるのが代議員の役割だと思います。ですから大会に先立ち、各自が議案に目を通し、支部での議案検討がとても重要なのです。

 大会議案といえば、いつも議論になるのが、「建築運動とはなにか」「建築技術者の課題」「新建の立ち位置」です。その意味合いは、時代によって変わるはずでしょうから、大会ごとに議論されるのも当たり前です。新しい仲間を増やしていきたいなかで、特に若い技術者は「建築運動」「理念」「課題」の言葉を敬遠する、引いてしまうということを耳にします。新建を「新建は建築運動団体です」と紹介する際には、よほど丁寧に説明しないといけない。できるだけ、身近で具体的な話題で、いっしょに考えるようなアプローチが良いの か......といろいろ考えますが、これも重要な「課題」です。また、議案「建築とまちづくりの課題と新建の立場」は明快です。そのなかでも「私はこの部分は違うと思う」と発言し、自由に議論ができる空気と仕組みが重要になってくると思います。周りと違う意見を言うのは勇気がいります。

 これらのテーマはこれまでの「建まち」誌の特集や主張でも何度も取り上げられています。たとえば、特集No139「今、建築運動を問い直す」、 No316「建築運動を語る」、No384「建築界と建築運動の展望」、No393[建築とまちづくりの転換点]、以下主張「新建大会議案IIIの活用、 会員は課題を理解しよう」本多昭一、「議案を読み、話し合い、大会に臨もう!」「建築運動はもう古いか?運動団体としての新建を再確認しよう」三浦史郎、「いま一度原点に返って新建運動を組み立てよう」久永雅敏、「多彩な幹事会の成果を発展させて」「本物の社会派建築家の集団としての新建」山本厚生、「転換期における新建運動の課題」川本雅樹、「今求められる建築運動」 大橋周二、等々です。新建設立わずか18年後のNo139での故西山夘三代表幹事「いまあらためて『新建』の運動を考える」は、今読んでもとても共感できます。日本の情勢は刻々と変容してきましたが、根本的なところは変わっていない。この全体的な社会構造との戦いが、50年も続いてきた新建運動のベクトルなのだと感じます。

 一方で自分自身を振り返ると、日常の仕事は時間もお金も十分でない住宅の設計で、「安かろう悪かろう」的現実との戦いでもあります。これぞ建築運動だとほれぼれするみなさんのお仕事を横目で見ながら、ふさぎ込んだ時もありました。でも大工さんといっしょに、より良いものを作ろうと現場に足しげく通うことも、私の建築運動といえるのではないかと思っています。みなさんにとっての建築運動は何ですか? 最後に、支部での大会議案の討議よろしくお願いいたします!  


神奈川支部 ─「集落調査を通じて保存の意味を考える」

  日時:2019年8月8日(木)  

  場所:神奈川県県民サポートセンター

  参加:15名

 

 福島県、南会津の重要伝統的建築物群保存地区(伝建地区)についての勉強会を開催しました。 事の発端は、仕事でご一緒した加藤晴男氏が、以前、前沢集落の調査を行った、ということを知ったことでした。

福島県の伝建地区といえば大内宿が有名ですが、たまたま前沢集落という伝建地区も存在することを知りました。写真で見る限り、大内宿に負けず劣らず魅力的な景観であることが印象的でしたが、 地図で見ると訪問するには結構大変な場所なので、訪れる機会が持てずに時間が過ぎていきま した。 そのような、私にとっての遠 い憧れの地である前沢集落の伝建地区指定に関わったと加藤氏に聞き、ぜひお話を聞きたいと思いました。そしてどうせお話を聞くならば、多くの方と一緒に聞きたいと考えたことから、 勉強会の体裁でお話を聞く会を設けました。当日は人が参加し、そのうちの半分以上が新建 会員以外でした。 前沢集落は、現在の行政区は南会津町ですが、当時は舘岩村に所属しており、そもそもは村長の「スキー場をつくりたい」 という強い思いにより、スキー場開発に訪れたことから調査が始まったそうです。舘岩村は秘境と言われる桧枝岐からそう遠くはありません。南東北といえども大都市から遠く離れ、冬は雪に閉ざされる大変な地域だったことが想像されます。また、 村内には高校はないので、中学校を卒業した子どもは村の外に出て行ってしまいます。そのように先細りしていく村の活路を観光に見出そうとされたのでしょうか。 スキー場建設の調査時、茅葺民家が多く残っている景観にも注目し、村長も保存に積極的に動いたということが、現在伝建地区に指定されることにつなが ったとのこと。舘岩村には他に水引や湯の花温泉などの集落が ありましたが、比較的まとまって残っていた前沢集落を保存の対象にしたということです。それが1980年頃(調査を記録 した紀要の日付は1984年)でした。 ちなみに、大内宿が世の中に大きく取り上げられたのが、 1960年代終わりだったと聞いています。そのような先例が あり、スキー場と並び観光の目玉になると思われたのでしょう か。理由はどうあれ、今でも景観が残ったことは嬉しく思いま す。そして、地域外からの視点があってこそ残されたものだったと言えるのでしょう。 建物は、馬も同じ屋根の下で生活していた曲がり屋の形ですが、調査当時は、すでに馬のいる家はなかったそうです。加藤氏は、調査時、同じような形態の家に寝泊まりしたそうですが、 冬は、朝起きると外していたコ ンタクトレンズが凍っていたとのこと。それ程までに冬の寒さが厳しく、冬はとにかく家族が 一部屋に集まって過ごしていたとのことでした。 前沢集落は2011年に伝建 地区に指定されました。大内宿 が伝建地区に指定されたのが1981年ですから、いずれも動き出してから10年以上、前沢集落に至っては30年近くの時間が要だったわけです。2006 年に舘岩村は合併により南会津 町になりました。それは、当時の村長の思いを遂げる一助にな っているのか、それとも村独自の活性への道に力尽きてのことなのか、気になるところです。

そして、現在の旧舘岩村は、 当時の村長の思いとどのようにつながり、一方でなにが変わってきているのかいずれ自らの目で確かめたいと思っています。(写真以外は加藤氏資料より転 載) 

神奈川支部・大西智子