2007年ひろば

2007年6月号 □愛知支部定例「仕事を語る会」
□宮城支部月例会
□太陽光発電見学会――千葉支部
□東京支部――「よりまし耐震改修」と赤羽台団地見学会
□寺子屋in高崎哲学堂――レーモンドの作品を見る、聞く
□神奈川支部企画「川崎市立日本民家園を歩く会」
2007年4、5月号 □建まちセミナーin千葉会場のご案内
□北海道支部――設計部会第3回開催
□新景観条例成立記念シンポジウム「歴史都市京都の保全・再生をめざして!成果と課題」
□東京支部──新入会員歓迎会開催
□京都支部――まちなかに建つ会員の仕事その他気になる建物見学会報告
□第25回大会期第3回全国幹事会・第5回全国常任幹事会報告
2007年3月号 □大阪支部――第36回支部総会と実践報告会開催
□5年ぶりに実践報告会開催――設計協同フォーラム
□京都支部企画「景観問題とまちづくりビジョン」
□建築とまちづくりセミナーin千葉準備中
2007年2月号 □阪神淡路大震災から12年
□静岡支部「建築とまちづくり展」報告
□京都住まい連が交流会
□京都の新景観政策をめぐる闘い
□新建連続講座2007(東京支部企画)――大石治孝さん連続講座の報告
□奈良の景観を守ってきた力と理論――「奈良の景観政策に学ぶ」に参加して
□東京の住まい・まちを考えるフォーラム開催
2007年1月号 □第25大会期第4回全国常任幹事会 07年1月7日~8日
□北海道支部第3回仕事を語る会
□京都市の「新たな景観政策の素案」をめぐる動き――「今の機をのがさず」実現させることが大事
□「耐震強度偽装」について構造技術者が思うこと――NHKのインタビューを受けて
□奈良の景観を守ってきた力と理論――「奈良の景観政策に学ぶ」に参加して

『建築とまちづくり』2007年6月号より  

 

愛知支部定例「仕事を語る会」

宮城支部月例会

太陽光発電見学会――千葉支部

東京支部――「よりまし耐震改修」と赤羽台団地見学会

寺子屋in高崎哲学堂――レーモンドの作品を見る、聞く

神奈川支部企画「川崎市立日本民家園を歩く会」

 


愛知支部定例「仕事を語る会」

 愛知支部では、毎月最終週の水曜日に「仕事を語る会」を開いています。
 2004年4月から始まり、この5月で30回になります。支部会員各自の日頃の仕事の紹介やいま抱えている仕事上の悩み、実践的相談などを持ち寄り、お互いに学びあいアドバイスを出し合ったりしていこうというのが会の目的です。
 会に参加する人のほとんどが木造に関心をもっていることから、自然とテーマは木造に関連したことになってきています。会員である大工さんに“材”の使い方や“胴付き力”が生み出す計算外の力の話を聞いたり、それぞれの「現場での失敗談と対応策」を出し合ったり、在来木造住宅の場合の基礎についての各自の選定基準や基礎工事の品質管理の方法、木造住宅の耐久性をどう考えるかなど、毎回雑談を交えながらの2時間余りの会です。
 ある月例会では、「『いっしょに暮らす』とユニバーサルデザイン」というテーマで、グループホームの設計経験のある会員が中心となって、設計を通して考えたことや実践例を紹介してもらいました。設計上の配慮以外に、親の介護のことや各自の将来(高齢者になって)をどういう形で暮らしていくかということまで話が発展していきました。
 「仕事を語る会」は事前にテーマが決められていることが少ないので、参加者の中からはテーマや問題提起者を前もって決めておいた方がいいのではという意見が出ています。会の内容を充実するためにもその必要性は感じていて、現在支部の幹事会企画部を中心に改善策が話し合われています。
 しかし私個人としては、技術的な話や建築の知識も大切ですが、肩の力を抜いて日常実務の中での“疑問”や“不満”を聞いてもらい応えてもらえる場として、また仕事に対する姿勢の再確認の場としての会のあり方にも魅力を感じています。
(愛知支部・奥野明美)

宮城支部月例会

 宮城支部ニュース「やっぺあ」にある行事予定欄に、事務局、幹事会の会議予告はあるが、見学会や勉強会など独自の行事のないときがある。他団体の行事がその後を補っていたりする。事務局だよりの報告内容もこれを反映している。幹事会は幹事だけの顔合わせで終わる。これではいけないというので、今年度の活動方針に盛り込んだのが月例会。まずは会員の集まる場とするのがねらいである。
 これまで開いた月例会は次の通り(2~5月、5月の報告は省略)。講師は経験豊かにしてなお活躍中の方々である。

■2月月例会 「建築設計界のいまを考える」~街並み景観、入札問題などをめぐって~

 街並み景観。日本と西洋との違いについて、31年前に新建主催の欧州都市見学ツアーで感じたことを思い出す。西洋では人工的建築は不変でその積み重ねが都市景観の歴史となっているが、日本では人工的なモノはうつろい、変わっていくものと見る。変わらないものは山や丘。したがって、日本人の原風景は山並みにあるのではないか。しかし、今の日本の景観はどうなっているか。その都市の歴史性や地域性を感じ取ることができなくなっている。
 建物は都市景観の大部分を構成していて、都市の風景をなす。この風景の中の建築は、否応なく人の目にはいるものであるから、すべて公共建築と言うべきであろう。地域の活性化などといって取りざたされている景観形成などには、こういう意識をもってもっと力を入れてとりくみ、地域特性を喚起させる街並みづくりにもっていくことが必要。自然発生的ではいけない。西洋では統一した厳しい規制をもって建物をつくっていることを想起する。
 仙台市営地下鉄東西線工事と関係する青葉通りのケヤキ移植問題。多額な移植費と財政問題。ケヤキの寿命と移植効果の問題。建築と環境、都市と自然について真剣に考える機会ではないか。
 入札問題。地下鉄東西線工事の入札では、低入札がマスコミでも問題となった。どこから低入札なのか、予定価格とは、設計価格とは、その根拠が問題である。なぜ談合が発生するのか、突っ込んだ議論が必要だ。原点には設計を入札行為で捉えている点にあると言えよう。

■3月月例会 「近くの山の木と住まいを結ぶ」

 森を見て、木を見て、木の家をつくる、その家に住む。そういう運動をビデオで紹介。紹介するのは「杜の家づくりネットワーク」の主宰者で今回の講師。このネットは、林業家、製材業、大工、左官、工務店、設計士などの参加する職能グループで、地元の木と地元の職人による自然素材の家づくりを提唱、実践している。
 仕事と資源の循環を可能にし、伝統技術を生かし、引き継ぐことをねらいとする。丁稚奉公して覚えた技がいまようやく生かせる、と職人さんが言う。森林見学会に参加した人は、手を入れた杉山と放置された杉山の違いを目のあたりにする。ここで育った木がわが家になるのかなと思ったりする。県産木材で建てた家の見学会では、木がそのままあらわしになっているのをしげしげと見て廻る。漆喰壁ともども湿度調節作用があり、化学製品の使用を抑えることで、健康によい快適な家になるという説明を受ける。最近、そういう住宅を望む人が増えているということである。この家をつくっていま住んでいる人が登場して、家づくりに寄せる思いを語る。

■4月月例会 「地域における、障がい者の施設と暮らしは、今」
           ~障がい者自立のための施設づくりと、まちづくりの連携を考える~

 「障害者」ではなく、「障がい者」と書いたこと。教えるのではなく、気づかせること、気づくこと。教えではなく、気づきの働きが大切であること、などの構え方が語られる。
 さて、施設づくりは地域の環境づくりから始まる。身の周りにあるさまざまなバリア。
 ①物理的バリア(身体障がい者や車いす利用者の通行の障害となる段差や階段など)、②制度のバリア(入学試験や資格試験、公的な助成や介護面の障壁など)、③文化・情報のバリア(視覚や聴覚障害のために情報が伝わりにくいなど)、④意識のバリア(障害に対する偏見や誤解などで、正しい認識や対応がされないことなど)。
 このようなバリアをなくして障がい者が孤立した生活から健常者とともに地域社会で生活できるよう環境を整えた社会にすることが大切で、健康な人(健常者)の生活においてはほとんど問題にならずに見過ごされていることであるが、このことに気づいてもらうことが必要である。ノーマライゼーションの理念が広く行きわたることが求められる。
 障がい者が障害の種別や度合いにかかわらず、ひとりの市民としてごく普通の生活を送れるようにすること、住みなれた家や地域で暮らし、学び、働き、政治に参画できるようにすることで、福祉社会を実現し、すべての人々が平等に参加できる社会をつくることである。障がい者は、自分の障害をどう考えるか、どこができて、どこができないかを気づかなければならない。リハビリテーションによって自立を図り、ノーマライゼーションによって共生を実現することになる。
 障害者年(1981年)の影響により、日本の福祉も大きく変わり始めたが、差別に対する問題や虐待問題に対する意識が低く、スウェーデンやデンマークなどのような福祉先進国と比べると、日本は本来の福祉国家にはほど遠い感がある。
(宮城支部・加藤日出夫)

太陽光発電見学会――千葉支部

 小雨交じりの5月17日、懸案だった太陽光発電見学会が行われた。
 何ヶ月も前から予告しながらその都度流れてきた企画がようやく実現したもの。平日ということで何人来てくれるか心配だったが、それでも参加者8名。十数年ぶりの懐かしい顔も見え、和気藹々とした中で行われた。
 訪れたのは佐倉市内にある京セラの研究所内のモデル施設。天気の良い日がよかったが、こればかりはどうしようもない。
 センター棟の研修室で説明を受けたのち場内の施設見学に廻る。
 センター棟の屋根は発電パネルで覆われていて、およそ20年経過しているが、パネルの更新はごく一部で、性能の低下はみられないとのこと。いつまでもつかわからないが、とりあえず20年くらいは健全な状態でいられることは間違いないようだ。
 太陽光で稼動している噴水を見ると、陽射しの変化に反応して噴き上げ高さが変化する様子が見て取れた。敏感なもので、なにか生き物のようだった。
 屋根材の設置モデルが面白い。地面から50cmほどの高さに軒桁を位置して屋根を張り、瓦、コロニアル、金属屋根など様々な仕上げに対応した設置要領が観察できるようにしてある。
 戸建てモデル住宅には、現在の発電状況が即時わかるモニターが備えられている。
 研修室に戻った後、説明が行われた。ここからが際限ない質問の始まり。そもそも、生産過程での環境負荷を考えると決して環境にやさしいシステムとは言えないのではないか、製品寿命を含めるとコストパフォーマンスはペイしないのではといった懐疑的な質問が浴びせられた。それに対しては、環境負荷は数年で回収できること、他のエネルギーを利用した場合とのコスト比較にも十分耐えられる旨の明快な回答がされた。メーカーが回答しているのだから当然か。シリコン半導体が発電をする原理にまで質問が及び、担当者も当惑していた。ヒネたおじさんたちの意地悪な質問に若いメーカーの担当者が一生懸命答えようとするからなかなかキリが付かない。
 予定していた時間を大幅にオーバーして、もういい加減にしようという雰囲気の中、研修は終了した。聞く立場としてはいろんなことが見えてきて大変勉強になった。
 化石燃料の枯渇、地球温暖化の原因となるCO2削減が叫ばれるご時世で、流行に苦手(?)な新建会員と言えども、オール電化だの太陽光発電だのを無視できない情勢にある。参加者の関心の高さが感じられ、それなりに盛り上がった研修であった。
 地味ではあるが、今後もこのようなノウハウものも大切にしていきたい。
(千葉支部・加瀬澤文芳)

東京支部――「よりまし耐震改修」と赤羽台団地見学会

 5月18日に新建東京支部・相談部の主催で「“よりまし”耐震改修」の見学会が開かれました。内容は本誌本号の特集記事のひとつ「“よりまし”耐震改修を経験して」で新井さんと宮田さんが対談している内容を実地に見たものです(詳しくは該当記事を参照ください)。
 耐震改修自体は外見的には目立った補強があるわけではなく、独立柱に鉄板を巻いて圧壊を防ぐ程度のものとのこと。補修したかどうかは初見ではほとんどわからず、デザイン的にもいかにも後付けという印象を受けることなく、元からあったような佇まいを見せています。
 新井さんによれば、きちんと耐震診断したわけではなく応力の集中しそうなところに補強をしただけとのことですが、阪神淡路大震災でのRC柱の剪断破壊や圧壊を思い出すと、相当程度の「よりまし」な補強になったように思えます。
 ただ、その後発生した福岡西方沖地震の被害からの知見では、構造体そのものは大丈夫で生命を脅かされることがない場合でも、住戸界壁や玄関扉周りなど非構造体へのダメージがあれば、住生活上は大きな影響を被ることがわかってきました。今後はこうした非構造体についての対策も「よりまし」改修の対象になるかもしれません。
 「よりまし耐震改修」の見学会はそこで終わり、その後は新井さんの案内で近所の公団赤羽台団地の見学会に流れました。耐震改修のおまけ企画なので特段の解説が用意されていたわけではなく、何の予備知識も仕入れずに参加した不心得な私は、ピクニックよろしくキョロキョロと見て回りました。
 後日ネットで調べたところ、日本住宅公団が東京23区初の大規模団地として整備した賃貸型の団地(三三七三世帯)で、入居開始は昭和37年とのこと。本誌前号の特集記事、石崎健彦氏による「集住のスタイル――公団住宅の系譜を例として」の分類にもとづけば、公団住宅創世期(昭和30年代)の団地ということになります。『僕たちの大好きな団地』(洋泉社)という本では、「聖地・赤羽台団地」と評されています。
 全体として緑が豊かで、広い中庭のある囲み型の住棟や、8棟の星形住棟、廊下と住戸との関係が一見しただけではわからない不思議なスキップフロアの住棟、赤羽台トンネルを巡る団地自治会の記念碑など、その歴史を感じることができました。
 一方、歴史があるということは、建て替えがすすめられているということでもあります。すでに新しい囲み型の住棟が建設されています。
 道路側から見たその外観は、生活の暖かみというより工業的なかっこよさをねらったデザインで、好き嫌いで言うと微妙です。内部に入ると、住棟に囲まれた中庭スペースはそれなりの広さがありましたが、その面積の半分以上は立体駐車場になっています。現代の生活では仕方がないかと思いつつ、駐車場の屋上へ。隙間から草の生える駐車場用のブロックと車路を覆うパーゴラで構成されています。パーゴラにツタが廻れば、上から見たときの印象は良さそうです。
 それ以外にも、住戸の玄関周りに領域性を演出したりと、様々な工夫がありそうでした。
 この団地の歴史は、建物の歴史、コミュニティーの歴史だけではないのですね。建て替えを待つ住棟の足下で、遺跡の発掘調査が行われていました。弥生時代から古墳時代を中心とする集落跡で、現在までに20軒ほどの住居跡が発見されているのだそうです。人類の歴史を感じてしまいました。
(東京支部・丸山豊)

寺子屋in高崎哲学堂――レーモンドの作品を見る、聞く

 東京支部では毎月一回第3水曜日に集まって、近代建築を多角的に検討する会「寺子屋」を開いています。会の立ち上げから担ってこられた全国代表幹事の三沢浩氏を主な講師に、07年5月には128回を数えました。今回は時候も良いことから、群馬県高崎市での出張「寺子屋」です。参加者は25名。哲学堂のボランティアスタッフや群馬音楽センターの館長やスタッフの方など、多彩でした。いつもの東京のメンバーだけでなく埼玉や群馬からの参加もあり、とてもにぎやかでした。
   * * *
 高崎哲学堂は旧の井上邸。ブルーノ・タウトの日本での庇護者でもあった高崎の名士、井上房一郎氏の自邸だったところです。アントニン・レーモンドとも親交のあった井上氏がレーモンドの麻布笄町の自邸を「写し」たもの。左右逆転していたり事務所棟がなかったりはしますが、別荘やわずかな住宅を除いて、現在私たちが直接目にできるレーモンドスタイルの実物として唯一といえるかもしれません。
 「哲学堂」は井上氏の長年の夢であり、レーモンドも案としての設計をしていたとのことですが、資金難で動いていませんでした。それが、井上氏の他界による自邸公売の話が起こったときに、多くの有志が資金を出し合って競売を勝ち抜き、旧・井上邸を哲学堂として再興しました。今回の寺子屋in高崎哲学堂にあたって尽力をいただいた水上勝之氏も高崎出身で有志の一人であり、もと三沢建築研究所の所員だった方です。
 三沢さんはその中心の一人でもありますが、旧・井上邸の原型、笄町のレーモンド事務所に勤務し、レーモンド(とノエミ夫人)にも身近に接して日常の生活スタイルを熟知しされています。そうした経験から、レーモンド夫妻の生活の考え方、自然の取り入れ方、気候に対する考え方、自邸の中での他人との関わり方、さらには事務所経営の考え方まで、さまざまな逸話が語られました。そうした生活のありよう一つ一つが空間に、設えに、家具に、きちんと表れていること、それがこの建物の真摯な魅力を生み出していることが、とてもはっきりと感じられました。
 まさしく、レーモンドの5原則、「Simple/Natural/Eco-nomical/Direct/Honest」そのものです。しかも、それが単に建築家の自邸としてだけでなく、もう一人の主人井上房一郎という人をも惹きつけたということ、そしてそれが多くの人の願いによって保存されたということは、“生活を生きる”器としての建物の根源にある時間や場所を越えた価値を体現しているのかもしれません。
 庭の木々を越えて入ってくる陽光と庇の影が織りなす明暗の揺らめきの中で、ゆったりとしかも生き生きと語られる建築生成の物語は、建築の初心を思わせてくれました。なぜか、写真家の故さとうつねをさんと一緒に行った改修前の自由学園の光景を思い出しました。自然の前で何かを学ぶ姿は「寺子屋」の本義なのかもしれません。
   * * *
 こんな感慨もたまにはいいかなと思いつつ、しかし、実際の高崎市を歩いてみると、まさに地方中心都市の力の衰えを感じずにはいられませんでした。駅前の中心地は、大規模な区画整理なのか、多くの空き地とマンション建設で、地場商業の活気が消えています。若い学生は結構歩いています。しかし、行き場所がなく駅ビルの周辺に集まっています。
   * * *
 群馬音楽センターは市民の力によって生み出された文化の器です。センターの館長さんが案内をしてくださり、まさに言葉通り、舞台裏まで見ることができました。館長さんはじめセンターの方も夕食と交流会に参加され、高校時代に親しく接してくれた井上房一郎氏のことなど、地元話に花が咲きました。それとともに、群馬音楽センターの存続も含めて、センターを核にして市民の文化への取り組みを再興する動きをつくっていこうという思いが語られました。
(東京支部・大崎元)

神奈川支部企画「川崎市立日本民家園を歩く会」

 5月27日(日)、神奈川支部の企画「川崎市立日本民家園を歩く会」に参加しました。昨年4月に京都支部から神奈川支部に移ってきた浜野がレポートします。
 支部の行事に参加するのは初めてのためドキドキしながら集合場所の小田急向ヶ丘遊園駅南口に、遠く小田原から80分をかけて到着しました。迎えてくれたのは本日の世話役永井さんひとり、10分ほど歩いて日本民家園のゲストハウスへ、他の参加者と合流しました。結局、本日の参加者は、永井さん(設計)、今井さん(大工)夫妻、伊藤さん(設計)と野乃ちゃん、哲平くんの親子、私の7人で思ったより少なく、ホッとするやらアレッと思うやら。みなさん旧知の間柄のようで民家園の説明展示を見ながら和気藹々の顔合わせとなりました。
 民家園は、川崎市小杉陣屋町にあった原家住宅を筆頭に、24の民家、高倉、門、回り舞台、船頭小屋などを、「宿場」「信越の村」「関東の村」「東北の村」「神奈川の村」の5つのグループ別にかなりの高低差のある広い敷地に配置し、豊かな緑の中よくデザインされた散策路でつないでありました。私は建物よりも雰囲気を楽しむ方ですが、民家の曲がりくねった太くて長い梁、それを支える細い柱、小屋組、軒の造作などの今井さんの説明にいちいち感心し、土間のかまど、農機具などの民具、商家の帳場や看板、箪笥など古い家具が置かれた室内に居て懐かしさと安らぎを感じることができました。
 昼食は、信越の村ゾーンにある白川村の合掌造り「山下家」がそば処になっており、とろろそば、ざるそば、山菜そばなどで軽く腹を満たす。年長組の野乃ちゃんは恥ずかしがり屋さんでしたが、今井さんの奥さん、私とともにスタンプラリーに挑戦するうちに慣れてきて、最後のスタンプを押し終わったときは「やったね!」と手をパンと合わせるくらいに意気投合していました。もうすぐ1歳の哲平くんはと言えば、人見知りもせず今井さんに抱っこされてニコニコずっとご機嫌でした。聞けば、朝、奥さんの「連れて行くのは野乃だけ?!」のひと言で連れてこざるを得なかったとのこと、ほほえましくも厳しい子育ての一面を見た思いでした。
 園内は、日曜日とあって家族連れや中高年のグループ、若いカップル、外国人や民家を水彩スケッチするグループなどで賑わっていました。また、体験講座が開かれていて、民家の土間に敷いたむしろに座り込んで小学生を中心にお父さんお母さんと一緒にわら細工のぞうりづくりに取り組んでいました。とにかく、気持ちのよい時間を過ごし、癒された一日となりました。
 最後に自己PRを少し。私は35年間の地方公務員生活で京都府の建築・住宅行政を担当し、まちづくりや地域おこしを見たり、学んだりしてきましたが、退職した現在、その延長戦をする気力はありません。これといってお役に立つことはないと思いますが、行事に参加して若いみなさんから元気をもらい、私の行政経験の話を聞いてもらったり、趣味の囲碁などを通して交流できたらと考えています。
(神奈川支部・浜野幸雄)

『建築とまちづくり』2007年4、5月号より  

 

建まちセミナーin千葉会場のご案内

北海道支部――設計部会第3回開催

新景観条例成立記念シンポジウム「歴史都市京都の保全・再生をめざして!成果と課題」

東京支部──新入会員歓迎会開催

京都支部――まちなかに建つ会員の仕事その他気になる建物見学会報告

第25回大会期第3回全国幹事会・第5回全国常任幹事会報告

 



建まちセミナーin千葉会場のご案内

 今年の建まちセミナー(8/10~13)は千葉で開催、ホストの千葉支部が精力的に準備中であることは、先月号の本誌でお知らせいたしました。セミナーの準備には新建代表幹事の和洋女子大学・中島明子教授の研究室をお借りしています。中島先生も準備会に出席。先生のお力添えもあり会場はその和洋女子大学をお借りすることができました。中島先生に和洋女子大学のご案内をいただきました。みなさん奮ってご参加ください。
■和洋女子大学へようこそ!
――セミナー会場のご案内
 和洋女子大学は今年110周年を迎えます。100周年を記念して始動したキャンパス再開発計画は、残すところ体育館の改修のみとなりました。
 設計は石本建築事務所です。家具と照明器具はヤマギワの女性たちが担当し、北欧のものがかなり採用されています。
 セミナー会場となる西館1階とオープンラウンジは、ハートビル法改訂後の建築で、大変使いやすい。
 一日目の交流会は東館タワー18階のラウンジです。スウェーデンのラムホルツのシネマチェアに出会えます。
 ここからは、ゆったりと流れる江戸川を眼下に東京を一望し、奥多摩から丹沢の山々を従えた富士山を見ることができます。交流会では、おそらく息をのむほど美しいサンセットショーをご覧になれるでしょう。さらに運がよければ、北に筑波山、南に房総半島も姿を見せます。“運が悪ければ”雲の中にいる体験ができます。
 国府台は川の文化と歴史豊かな地域であり、また戦前までは陸軍の町でした。その中にそびえ、こぢんまりとした優しい女子大学という空間での講座をお楽しみください。
(代表幹事・中島明子)

北海道支部――設計部会第3回開催

 4月13日に「無暖房住宅から見える、日本の住宅の課題」をテーマに設計部会第3回を行いました。参加者は32名、内会員は12名でした。
 報告者は、会員でもある今川建築設計監理事務所所長の今川祐二さんです。報告は、ご自身が03年から06年にスウェーデンで視察された無暖房住宅についての最新情報を、200枚を超えるスライドを使い紹介しました。
 はじめに地球温暖化の防止に対するEU諸国の試みとして、06年から導入された建物のエネルギー性能、他の建物との比較、エネルギー改修の具体的な提案を表示する「エネルギーパス」について説明。この制度を通じて建物の低エネルギー化の促進と二酸化炭素排出の削減にも取り組んでいることを説明しました。
 最も強調されていたのは、北欧で確立されている建築物理学のことでした。「熱はどこから逃げるのか」――熱損失、熱伝導の箇所はどこかについて、床、壁、ドア、窓、換気など部位ごとに詳しく説明。日本での内断熱か外断熱かの議論以前に、熱移動に対する考え方、対応が根本的に違うと述べています。
 具体的には、日本の次世代省エネ基準で示されているガラス中央の熱還流率、窓全体の数値ではなく、スウェーデンの無暖房住宅は「建物の熱伝導をいか断つか」という点を重視、断熱材の多層化によるヒートブリッジ対策、高性能な窓・ドアの採用、風除室を設けた二重玄関、高性能な熱交換換気装置による熱回収が行われていることを、事例を含めて説明しました。
 この他、ベランダのでは躯体と縁を切って熱橋を防止すること、日本のPVCサッシがガラスの性能に窓枠が追随できていないことも強調しています。
 最後に「日本の総人口に占める北海道の人口割合が5%に過ぎないことを考えれば、メーカー頼みの製品選択では北海道の気候風土に適した住宅づくりは難しい」という住まいづくりへの問題提起も行われました。
(北海道支部・大橋周二)

新景観条例成立記念シンポジウム「歴史都市京都の保全・再生をめざして!成果と課題」

 さる4月14日、きょうと景観ネット(まちづくり市民会議、自由法曹団京都支部、新建京都支部で構成)の主催で行われたシンポジウムの報告です。
 3月13日に京都市議会で可決された新景観政策に関わる一連の条例をどう評価するか、既存不適格となる高層マンションの問題をどう考えるのか、美観地区等のデザイン基準や駆け込み建設への対応、今後のまちづくり運動への取り組み等々を論議しようという呼びかけで開かれたものです。4人のパネリストの問題提起と参加者による討論が行われました。
 司会は榎田さん、開会挨拶は片方先生、パネリストに中林先生と梶浦先生、閉会挨拶が本多先生と新建のメンバーが大活躍。この問題への取り組みを考えると、当然といえば当然です。
 以下、各パネリストの問題提起の要旨と会場からの発言の一部を簡単に報告します。
 中島晃氏(弁護士・まちづくり市民会議事務局代表)は、新政策を実現した要因とその評価、実現までの経過や今後の課題について発言し、特に重要なのは、長年にわたる住民の運動が大きな成果を勝ち取ったことであると強調しました。
 木村万平氏(まちづくり市民会議代表委員)は、自ら調査し続けている都心部(田の字地区)のマンション調査をもとに、駆け込み建設が急増している実態や、それへの住民側の対応の仕方について述べるとともに、町なかの路地への配慮が都心居住を守ってきたとし、「表高裏低」の建築原則の重要性を提起しました。
 中林浩氏(平安女学院大学教授)は、新政策のもつ意義について報告し、とりわけクルマ社会とともに景観破壊の二大元凶である建築の高さ規制の強化は重要な意味をもつと述べました。また、デザイン基準についてふれ、新条例をスタートラインにして、建築家団体によるデザインガイドラインづくりの活動を提起しました。
 梶浦恒男氏(大阪市立大学名誉教授)は、既存不適格となるマンションの問題について、建て替えられなくなるという反対の意見が多かったが、そもそもマンションの建て替えそのものが大変困難なことであり、今住んでいるマンションを大切に維持管理して長持ちさせることの方が現実的で重要な課題であると、海外の事例や考え方などを紹介しながら述べました。
 会場からも今回の施策を歓迎する立場からの発言が数多く出されました。
 これを出発点に京都のまちづくりビジョンを住民の側から提起していく必要があること。地場産業のまちのあり方を景観の課題にどう位置づけるかを考えよう。景観法にある地区計画の制度を利用して、もっと小さく身近な範囲でまちの景観を守ることができるようになった。不適格マンションを新基準に適合させるとすれば、どんな対策が必要になり、どんなまちがイメージできるか提案する必要がある。等々、新たなまちづくりの課題を提起する発言も出されました。
 これまでの運動への確信を参加者みんなで共有することができたとともに、新政策を契機に、私たち建築の専門家に課せられた課題や、期待の大きさも感じられたシンポジウムでした。
(京都支部・久永雅敏)

東京支部──新入会員歓迎会開催

 東京支部では4月14日(土)、支部幹事会の後に18時より、事務局近辺の神楽坂商店街のお店で新入会員歓迎会を開きました。集まったのは新入会員3名を含む13名。新入会員は自治体職員の石原重治さんと、象地域設計の新人2名、出蔵善彦さんと丸山潤さんです。
 まずは乾杯~っ!! その後、既会員をスタートに、ひとりずつ自己紹介をしていきました。
 石原さんは、東京支部有志を中心とする「東京問題研究会」に誘われて参加、昨年の横浜での研究集会にも参加して、「こういう考え方で運動している人たちとなら一緒にやれる」と思って入会されたとのこと。それを聞いた全員から大きな拍手が。出蔵さんは大学院在学中の一昨年には富山の新建大会、昨年は犬山での建まちセミナーにも参加、昨秋にオープンデスクで象地域に来ているときには東京の建まち展でも一緒に準備をしてくれました。すでにそのころから東京のメンバーとも顔見知りで、改めて就職おめでとう、ようこそ東京へ! 丸山さんは千葉大大学院で市川市行徳のまちづくりを実地に研究。卒業後もその地に関わりたいと行徳に住みながら象地域で働いています。研究フィールドワークを自分の仕事につなげようとする生き方に感嘆の声が。
 3名それぞれから、携わっている仕事を通して、これまで取り組んできた研究を通して、日々の暮らしを通して、憲法問題など関心のある事柄について……互いに思いを語り合い、囲んだテーブルのあちこちで話に花が咲きました。普段はなかなかゆっくり聞くことのできない話が盛りだくさん! 楽しく有意義なひとときとなりました。
 募る思いは、一人より二人、二人より三人、伝え分かち合っていくなかでまた膨らんでいくものです。こうしたネットワークがそれぞれに携わる仕事や活動に活かされ、一歩一歩前進できる取り組みへとつながっていくことを願いましょう。
 こうした場をこれからも大切にしていきたいですね。
(東京支部・神野佐和子)

京都支部――まちなかに建つ会員の仕事その他気になる建物見学会報告

 4月21日、午前中、京都の市民共同法律事務所で、景観条例かけこみ110番に参加した。自由法曹団から、中島さん、小林さんと秋山さん、新建から本多、久永、小伊藤。電話の前で待機したが、電話はかかってこない。弁護士と建築士との雑談になったが、これはこれでよい機会になった。この仕事は午後も続いたが、新建側は午後は別の企画があるので抜けた。昼、久永さんと二人で新風館3階の店で担々麺を食べて、地下鉄1駅分、歩いて仏光寺へ。
 仏光寺の境内に入ると社務所の庇下に縁側があった。本堂前庭で遊ぶ鳩を眺めながら、気持ちのよい縁先に腰掛けて集合。7人集まったところで、久永さんが地図と資料を配付して、今日の全コースを説明。

■ボナレテラ吉文字
(ワンルームマンション)
 最初の見学は、仏光寺近く(柳馬場高辻下ル吉文字町)のワンルームマンション「ボナレテラ吉文字」、設計は京都建築事務所の神崎さん。ご近所への配慮から現場では説明できないから、と、仏光寺で説明を聞いてから現場へ。
 東西に細長い町家があった敷地に建つ5階建て28戸のワンルーム。ファサードは柳馬場通りに面している。通りから見ると、1階だけ表情が変えてあり、2階から5階までは型板ガラス手摺のあるベランダ。各階3戸(1階は2戸)で計14戸、あと14戸は裏側(東側)に面している。南北面は壁で窓はない。つまり、東西に長いマンションで、大きな南面に窓はなく、狭い東西面のみ開いている形である。近隣(南北)は2階建て町家だから、窓を開けるわけにいかないらしい。なかなか難しいな。「変に凝らずスッキリしたファサードにしたかった」という意図どおりにできていると思った。

■フォレスト倶楽部
 (町家改造店舗)
 古い町家を改造して店舗(リラクゼーションサロン)にした。その改造設計をしたのが小出さん。元々、ごく普通の町家で特に「保存」という意図はなく、一般的な店舗にして欲しいという要求だったが、設計者が「なるべく町家のよさを生かしたい」という考えからの提案がある程度受け入れられ(ある程度は受け入れられず)できあがった、という。改造して店舗になってから既に10年経ったが、いい雰囲気で使われている。

■アクティ綾小路
 (高齢者向け優良賃貸住宅)
 綾小路と富小路の角地であるが、通りは両方とも細い。通りから見える1階は店舗。細いアプローチの奧に共同住宅の入り口がある。この奥まった感じが町家の裏の路地を思わせる。住宅はワンルーム型の高齢者住宅28戸とオーナーの住居。8階建てなので、かなり高いが細い2棟に分割し、頂部に切妻屋根をつけて、威圧感がないように工夫してある。2階の東面は、タイルで虫籠窓風な表情を作っている。設計は京都建築事務所の若林さん。
 途中で、予定にはなかったがヴォーリズ設計の救世軍会館を見つけた。工事中だが、まさか壊されることはないだろうな。
 富小路を上がって四条通を横断し、さらに北上して錦小路の手前で、木村万平さんが紹介してくれた平屋建ての集合住宅を見た。こんな都心部でなぜ平屋?よくわからない。
 錦小路商店街を少し東に歩いて、御幸町を上がる。そこに、まんが「ギャートルズ」に出てくるような大きな石貨を2階壁面の装飾として付けた居酒屋を見る。石貨の穴が窓になっている。これは小出さんがデザインしたらしい。非常に印象的で、記憶に残る装飾だ。店をおぼえてもらうには有効だろう。
 御幸町をブラブラ北上し、旧毎日新聞社ビルの角を右折して三条通りを東へ。
 町家で開業していた富田歯科医院が、ギャラリーになっていた。新建の企画で使えるかな?

■村山ビル(貸店舗ビル)
 さらに東へ歩いて、三条小橋で小田裕美さん設計の「村山ビル」を見学。通りから見ると、中央にガラスブロックの階段室、その左右に縦長のビルが2棟あるように見えるが、その全体で1棟である。
 5階建ての貸店舗ビルで、平面が17m×9mだからそれほど大きくないが、それでもその大きさを縦に3分割して、こまやかな街並みになるように工夫してある。
 階段室のブロック以外は、全体が茶系統の色で、木造の街並み風のカラーにしたのだろう。この中の喫茶店2階でケーキとお茶でおしゃべり、楽しい見学・町歩きでした。それぞれの設計で、設計者から「本当はこうしたかったが、建築主の意向で、そうはできなかった」という話もあり、そういう残念だった話も聞きながら努力のあとが見られて、大変勉強になりました。
(福井支部・本多昭一)

第25回大会期第3回全国幹事会・第5回全国常任幹事会報告

 全国幹事会は07年3月10日11日に大阪で行われました。議題は以下の通りです。
Ⅰ 最近の情勢から――報告と  討論
●アパホテル等新たな耐震偽装問題
●京都市の景観政策をめぐって
●東京のオリンピックを目指した都市再生政策「成熟した都市へ」の実態
●各地方自治体の「住政策基本計画」を見て
Ⅱ 支部活性化――各支部報告  と討論
Ⅲ 全国的活動の報告と討議
●全国研究集会の総括
●建まちセミナーin千葉
●ヨーロッパ旅行
●『建まち』誌
●Web委員会+HP
●政策委員会(建築学会の提言について他)
●倫理綱領
●新建賞
Ⅳ 組織・財政
●大会後の会勢の消長、各支部別の特徴
●拡大への取り組み、会員読者1800名をめざして
●空白県に新しい支部を
●財政報告
Ⅴ 大会準備
●開催地と会場などの準備
●議案づくりの担当者(グループ)とスケジュール
●開催日程
Ⅵ 建築とまちづくり関係諸団体の意見交流の場づくりの提案
●大会時にシンポの開催ができないか
●参加団体(建築学会、家協会、士会、事務所協会、JASCA、日弁連、科学者会議、建設業者、住み手・使い手など)
●準備――例えば5・7・9月にプレシンポ
Ⅶ 新建「50年」を見据えた運動のあり方と課題を考える 懇話会開催の提案――松井さんの「新建再生会議」の提案に応えて
●課題――最近の建築とまちづくりをめぐる情勢の基本的なとらえ方/運動の当面のスローガン/組織のあり方(企画内容、NPO問題、名称、会勢拡大、他団体との関係など)
●集まり方――東西に分けるか/メンバー構成

   * * *

 5月の全国常任幹事会は3月の全国幹事会の討論を受けて、1日目を拡大常幹としました(2日目は通常の常幹)。議題は以下の通り。
Ⅰ 新建運動の活性化について
●情勢をどうとらえるか
●情勢に見合った活動と組織のありよう
●大会までの具体的方針
Ⅱ 倫理綱領(案)の検討
Ⅲ 大会議案の骨子(まとめか
た)、議案作りグループ(兼
活性化委員会)の構成とすすめ方
Ⅳ 全国企画の報告と討議
●大会時の他団体との交流シンポ
●ヨーロッパ旅行
●建まちセミナーin千葉
Ⅴ 事務局・各委員会報告
●全国事務局会議
●政策委員会
●Web委員会
●新建賞
Ⅵ 『建まち』誌報告
Ⅶ 組織・財政報告
Ⅷ その他

   * * *

 今回の2つの会議の特徴は、通常の全国企画や支部活動の報告、組織・財政の報告討議のほかに、松井名誉会員(元『建まち』編集委員長)からの「新建再生会議」の提案を受けた「新建運動活性化」の議論や、「倫理綱領」の議論が深く行われたことです。そこで通例の議事録報告と違った形で報告をします。
 ヨーロッパ旅行、建まちセミナーin千葉、新建賞などについては、別の形で『建まち』に掲載されています。

■「新建運動活性化」についての討論
 松井さんの提案の趣旨は「建築および住環境をとりまく社会は、現在大変容期に入っている。それに対して新建はその役割を十分に果たしていない。組織の硬直化、会員の減少傾向、財政赤字などの諸課題を解決するため全国幹事会議長直属の諮問機関として『新建再生会議』を発足させよう」というものです。
 1月の全国常任幹事会では、「大変容期」というとらえ方については異見も出されましたが、新建の活性化が必要という思いは全員一致して、大会の方針づくりもかねて「活性化委員会」を設置することとし、3月幹事会には松井さんに参加していただくことになっていました。残念なことに当日の手違いで実現できなくなって、改めて4月3日に数人で松井さんと意見交換を行いました。
 それもふまえて、5月の全国常任幹事会の前に高橋議長が事前資料を各常任幹事に送り、各常任幹事も多くの積極的な意見を集中しました。
 当日は時間を充分予定したつもりでしたがなお不足で、討議を深めるべき課題を残しました。
①最近の情勢をどうとらえるか、その中で新建運動を活性化させる勘所は何かについて
●情勢については、発足時と比べて住民運動も建築運動も質的に大きく発展しているが、建築とまちづくりをめぐる情勢は厳しく変貌している、この質的変化を押えた「トータルビジョン」の構築を具体的に追求する必要がある。
●会員のニーズに沿った組織として理念を明確に打ち出し、外へアピールすること、常に発言し提案できる組織になること、同時に今までどおり地道にさらに幅広い企画を続けること。
●多くの他団体と交流・協働し、諸団体同士の接着剤の役割を果たすべき。
②情勢に見合った新建組織の拡大の努力の方向について
●HPに新建活動の歴史や、新建賞や個々の会員の仕事を紹介するなど、全体的に新建の知名度を高める努力をすべき。
●全国幹事会は、全支部に対して情勢に見合った行動提起をもっと具体的にすべき。
●魅力的な企画を連続的に。丁寧に誘い、必ず入会を勧める。
●会員や会員外の人たちの要求をつかむこと。特に学生に対する特別な取り組みを。
●自由に発言できる新建の魅力をもっと押し出す。
●若手とベテランの協働による運営を追及する。
●全部の県に支部をつくる。
●大都市圏での拡大のために検討を深める。
●支部事務局長間の活動交流を。
●NPO法人化について検討をすすめる。
③9月までの拡大と財政健全化目標
●会員読者合わせて現状の2割増をめざす。
●財政活動困難の3支部とりわけ長野支部に対して、全国事務局は協力する。
●広告集めに積極的に取り組む。
■倫理綱領(案)の検討
●「新建」の倫理綱領ではなく、建築界共通の倫理綱領づくりに貢献するための新建案をつくることであると、改めて意思統一した。
●内容は、『建まち』07年1月号の山本さんの主張、「建築とまちづくりにおいて、いかなる場合でも厳守すべき原則は、①そこで生きる人びとの生命と財産を守り、その生活を豊かにすることである。②その結果がもたらす地域の生活環境や歴史環境、自然環境への悪影響を最小限に防止することである」をベースにする。
●この「倫理綱領(案)は、大槻、久永、山本、蓑原、高橋(行動指針検討委員)と本多・三沢(代表幹事)で、7月常幹に成文化して提案する。
●新建の「行動指針」は引き続き検討、議論を続け、大会に間に合わなければ、次回まで延長する。
■大会準備について
●大会時の他団体との交流――関西の建築家協会・建築士会・設監協会などの役員とのつながりはある。大会は大阪なので、7月に「倫理綱領」案ができればそれを届けて「懇談会」を行い、大会に報告することはできるのではないか。それをめざしてすすめよう。
●「日本建築学会の提言」への見解(07年3月全国幹事会)は、他団体からの初めての反応として、学会から好意的に受け止められている。
●大会方針づくりの委員には、議長(高橋)、副議長(竹山、久永、山本)、政策委員長(本多)、事務局長(今村)の6名を選出。
(幹事会議長・高橋偉之)

『建築とまちづくり』2007年3月号より  

 

大阪支部――第36回支部総会と実践報告会開催

5年ぶりに実践報告会開催――設計協同フォーラム会

京都支部企画「景観問題とまちづくりビジョン」

建築とまちづくりセミナーin千葉準備中

 


大阪支部――第36回支部総会と実践報告会開催

 2月24日(土)、第36回支部総会に先立って実践報告会を行いました。
 大阪支部では例年、支部総会にあわせて実践報告会を行っていますが、特に周到な準備をして大々的にやっているわけではなく、一人か二人の報告予定者だけを決めておいて、時間の範囲で飛び入りもあり、というように気楽にやっています。今回の報告は、予定していた栗山さんの「八尾北山本M邸の作品紹介」と、飛び入りの伴さんの「コーポラティブハウスの一連の仕事」でした。
 栗山さんは年間四〇~五〇戸を供給する分譲中心の地域のハウスビルダーに勤務し、その中で建替えを担当されていて、その仕事のうちのひとつを報告しました。「八尾北山本M邸」の家族構成は、老夫婦・息子夫婦・小さな女の子3人の、合わせて7人の二世帯家族。住み手の要望は「親夫婦が静かに暮らせること」「開放的なキッチン」「十分な収納」「子供部屋はできるだけ開放的に」「近隣からのプライバシーは守りながらどの部屋も明るく」「外観はシャープでモダンに」ということで、その解として、南側に親世帯の寝室・居間・客間を並べ、完全に囲まれた10畳の中庭を囲むように玄関・リビング・キッチン・廊下を配置したとのことです。写真を見る限り、かなり設計に精力を注ぎ込んだ感じが伝わり、ビルダーの中の設計者としての努力が感じられる仕事でした。
 伴さんの「コーポラティブハウスの一連の仕事」は特定の作品の紹介ではなく、これまで取り組まれてきたコーポラティブハウスを、時系列あるいは類型別に紹介しながら、コーポラティブハウスにも、その動機や経過、住み手の属性あるいはそこで営まれる生活などは様々であること、そして住み手の土俵に上がって対話を深めていくことで住まいができていく、という話。本誌1月号で伴さんが書いた「できる建築」の予習のようで、伴さんの建築観がよくわかった感じがしました。
 報告会終了後に第36回支部総会が行われました。会員12名の出席と奈良支部からオブザーバー1名の計13名の参加で、委任状などをあわせて何とか成立しましたが、会員数から見ると寂しい限りです。今年は大阪で全国大会が開催される予定になっており、全国大会に向けて「新建おおさか」を盛り返し、「建築とまちづくり展」を支部をあげて取り組んで、気運を盛り上げていくことを決議しました。
 最後に、常幹の大槻の怠慢で渡していなかった「新建賞」の賞状を上林先生から松井さんに授与していただきました。
(大阪支部・大槻博司)

5年ぶりに実践報告会開催――設計協同フォーラム

 3月14日、関東地方の新建会員有志で構成する設計協同フォーラム(03年9月にNPO登記)の実践報告会が5年ぶりに開かれた。会場は西池袋にあるF・L・ライト設計の自由学園明日館(重要文化財)。一人20分の持ち時間、9時から17時まで13名が発表した。60頁を超える立派な「実践報告予稿集」が事務局の山下千佳さんにより用意された。
 高橋充事務局長の挨拶があり、報告開始。全体を午前は4人ずつの2グループ、午後は3人ずつの2グループに分け、間に休憩を挟んでの報告会。すべての人がプロジェクターを使用。以下、概略を伝える。

■矢加部雅子(アトリエRAUM)
 「おっ! わんぼっくすハウス」。木造2階建て。喘息の長男のために自然素材を徹底使用。浴室以外には仕切りなし。トイレもドアレス。中をぐるりと巡れる構成のワンボックス。階段を舞台に見立てた楽しい住宅である。

■戸波幸子(象地域設計)
 「K邸――家族が楽しく過ごせる家づくり」。木造2階建て、一部に小屋裏個室。中心に吹き抜けを設け、音楽好きの夫の防音室、読書好きの妻の図書室、遊び好きの子供たちに用意されたロープブランコなど随所に工夫をこらした明るい住宅。

■大竹司人(設計工房大竹建築
 事務所)
 「築50年の住宅改造」。80歳代の老夫婦の住まいの改造。1階は機械工場跡、2階が住居の街角に建つ入母屋瓦屋根家屋。住居部分を1階に移し、耐震補強とバリアフリー化。織物と縫製を趣味とする夫婦各々の場を設けた設計。外観は耐震壁の追加と外壁塗装のみ施し、まちに対して特長ある佇まいを保持した住宅改造。
■小儀一男(東葛企画設計事務所)
 「若い家族の住まいをつくる」。30歳代の若い夫婦と誕生したばかりの乳児の3人家族。資金計画、暮らしづくりを丁寧に相談しての設計。

■中島みさを(生活建築研究所)
 「24年目のリフォーム」。元は注文建売住宅。元の住宅では当時30歳前後の夫婦と2人の幼児の家族、基準間取りを家族室通過型に修正して実現。その二四年後のリフォーム。生活の特徴と架構をみごとに整合させたプランに改造。

■高橋充(高橋建築デザイン事務所)
 「中庭のある住まい」。南北に細長い敷地。両親+中高生2人のお子さんの4人家族。2ブロックに分けて木製中庭デッキを設け、1階2階とも廊下で結ぶ。片面は空き地だが、将来を見越してプランを町家型としたのが特長である。

■高本直司(アークライフ)
 「耐震改修と雨漏り改善事例」。築16年の2階建て三世帯住宅。雁行した複雑なプラン。耐震診断を一般診断、簡易診断、基準法壁量計算と三種類実施し、最も厳しい結果を基に補強を実施。軒の出の少ない庇なしの窓、打ちつけ木枠とシーリングによる1・8m角の複数の嵌め殺しガラス窓。蟻害による劣化等を丁寧に追及しての雨漏り改修報告。若い報告者の執拗な追求と誠意のこもった頼もしい報告。

■倉坂充(匠デザイン工房)
 「住みながらの耐震補強」。鉄骨の柱、梁構成のオープンな駐車場の上に2階建て住居を載せた増築部分を持つ築28年の住宅の耐震補強。診断に際し、安全重視で、鉄骨部を木造と想定。鉄骨梁と2階の木造土台、柱の結び補強に鉄プレート使用。既存木造部分の基礎と柱との連結固定にはアラミダ繊維ロープ使用。鉄骨部分は柱を一本追加の上、2箇所のブレースで補強。多数の部分納まりを映像で説明。

■大力好英(ING設計室)
 「マンションの全面リフォーム」。築21年になる10階建てマンション、その中の1住戸のリフォーム。段差解消、ドアを引き戸に変え、居間、和室に雪見障子を追加。収納の増設、床暖房(電気式)施設、ヒノキのフローリング、階下への遮音対策を含み、自然素材を多く使ったリフォーム事例。

■浅川淑子(地域建築空間研究所)
 「新座団地管理組合集会所並びに管理事務所増築工事」。公団分譲団地(千戸)自主管理組合による入居30周年記念事業。「葬儀を団地内集会室でできるように」が第一要求。企画では「事務室を除き既存部分を取り壊しての増床」が条件。平屋RC壁構造の強度を確認し、取り壊さず軽い鉄骨造を2階に載せる計画を提案。1階既存部分はキッチンセットを備えた誰でも集える談話室に改造、2階は可動間仕切りを備える大集会室とした計画。竣工式時と現在の使われ方を投影しての発表。

■千代崎一夫(住まいとまちづくりコープ)
 「長生きマンションへのプログラムを一緒にデザインしましょう」。92年、住宅について誰でも頼れる事務所を目指して開設。マンション管理士の資格が制度化した00年、最初の試験に合格。以来、管理組合運営の補助・助言・指導を展開。現在、顧問契約8組合。区分所有法と建替え円滑法制定に際して参院での参考人として立つなど、来し方を語る。続いて大規模改修の標準的な流れについて報告。住民が内発的発展を遂げ顧問解消を目標に取り組んでいること、高齢者や障害者が自立した生活をするにはハードだけでなく制度整備、ボランティアを含めた人のネットワーク・協力体制構築が何より大切と語った。

■細野良三(ほその設計室)
 「伝統構法・限界耐力計算による民家再生事例」。山梨県の築二〇〇年になる土蔵を大田区に移築し、住宅として再生。プランは6m×9m、一部、中2階。限界耐力計算法による計算書添付での確認申請。貫を使う伝統木構法では柱の断面欠損が大きく、135mm角以上は必要。貫の継ぎ手、楔の経年の緩み、古い柱の根継ぎの問題点等を説明。

■新井啓一(生活建築研究所新井室)
 「お寺の収蔵庫を手がけて」。寺の納骨堂、お堂、収蔵庫を継続的に設計監理。そのうちの収蔵庫とお堂の紹介。周りは細い道路のみで敷地奥の厳しい条件。収蔵庫は経典を収める。RC造、2階建て。2階は無梁板。中心にパイプ構造の螺旋階段を配置し、その真上、屋根の頂部から採光。四方は壁量多く収納に振り向ける。小さな火頭窓が内外効果的。お堂は鉄骨の屋根を載せた10規模、仏像を納める。正八角形平面で壁はPC版。出隅をスリットにしてガラスを嵌め込み、軽く鉄骨の宝形状の屋根を載せた清楚な佳品。敷地条件から現場組み立てPCを採用したとの報告であった。

   * * *

 報告終了後、高橋偉之代表がまとめの感想を述べた。
 「NPOとしての活動は大きくは以下の三事項です。『具体的な住まいの相談啓発活動(基本は毎週2日。当番制)』『そのための知識や技術を深める活動』『住まいに関わる活動を展開している他団体と交流』。これらは地域に根ざしながら、依頼される住まいをより良いものにするには何が大事で必要かを考えて設定したものでした。どの報告にもこの目的に向けての努力が現れており、充実した報告会でした。一層の研鑽を期待します。」

   * * *

 一時間の休憩の後、会場を中2階の食堂に移し、一年前の3月に亡くなった前事務局長・上田光喜さんを偲ぶ会を、ご家族と多くの方たちの参集を得て開催した。
 司会は細野良三さん。最初に上田さんの経歴を簡潔に紹介した。次いで、上田さんの遺作につき、山本厚生さんが、「どれも住まい手の生活をよく考えた誠意ある住まいであり、一部の住まいには、上田さんが幼少期を過ごしたロシア・沿海州の家屋の佇まいがほのかに現れているようにも感じる」とパネルを示しながら解説、講評した。
 協働した施工者も多く参加され、日フィルのチェロ奏者による演奏があり、人柄を偲ぶスピーチが続いた。
 最後に夫人が挨拶に立ち、「思い出を語るには一年では短すぎます」と涙ぐみながら述べられた。
(東京支部・小林良雄)

京都支部企画「景観問題とまちづくりビジョン」

 京都市の「新たな景観政策」の提起を受け、京都支部では「景観問題を考える」シリーズの企画を今年1月から始めました。第1回は「奈良の景観政策に学ぶ」(1月24日開催・本誌07年1月号で報告)、第2回は「町家の景観と実情及び見学会」(2月23日開催)で京都支部会員・荒木智氏(アラキ工務店)改修の町家を会場に大谷孝彦氏(京町家再生研究会理事長・武庫川女子大学教授)の講演と見学会を行いました。その第3回として「景観問題とまちづくりビジョン」を3月16日に開催しました(参加者13名、うち会員外1名)。
 昨年11月末、京都市が「新たな景観政策」(素案)を提起して以降の論議は、建物の高さやデザイン、あるいはマンション居住者の権利などに集中しがちで、「景観とは何か」「なぜ景観を守らなければならないのか」という本質的な部分があまり語られることがなく、「新たな景観政策」に賛意を示した住民・市民団体はまちづくりや住環境の視点を強調していたのに、マスコミはその点をほとんど取り上げることがありませんでした。
 京都市がこれまでの方向を大きく転換して「新たな景観政策」を提起した背景には、景観法の成果を大きく示したいという国交省の意図とともに、この数年、京都市が最重要政策として取り組んでいる「国家戦略としての京都創生」(「日本に京都があってよかった。」のポスターで全国展開中。http://www.city.
kyoto.jp/koho/sousei/)が大きく影響しています。「京都創生」は、京都を日本の歴史文化の象徴として守り育てることによって日本人のアイデンティティの確立や美しい日本の再生に貢献することを目的としており、安倍首相の唱える「美しい国」とも重なります。「新しい景観政策」は「京都創生」の中核とされ、国家主義的なきな臭さを感じさせる側面も持っています。
 景観の国家主義的な利用は論外ですが、京都支部では、景観や住環境を守る住民・市民運動に関わってきた経験から、景観問題は建築デザインに矮小化されるものではなく、まちづくりの将来ビジョン、すなわち住民の生活像、経済政策、社会・福祉政策、住宅政策(マンション問題はこれと深く関わる)、交通政策などと深く複雑な関係にあり、より広い視野で捉える必要があるとの認識がありました。これらの関係を再度考えてみようというのが「景観問題を考える」シリーズ第3回「景観問題とまちづくりビジョン」の趣旨で、京都で景観をめぐる住民・市民運動が盛んになる時期から関わり続けてきた片方信也先生(京都支部代表幹事・日本福祉大学教授)に「『京都の景観・まちづくり20年』と京都の構想――新しい景観政策の提起を受けて」というテーマで報告をしていただきました。
 報告は、1960年代初めの京都タワー問題に始まる京都の景観とまちづくりをめぐる問題に対する住民・市民運動と行政の対応の経過をたどり、運動の成果、政策の特徴、それらの関係などを整理することで、いわゆる「景観論争」の到達点を考えるとともに、今後の住民・市民運動や政策の課題を提起するという質量ともに膨大なものでした。
 ここではその詳細を書ききれませんが、景観論争の到達点として、①行政が「景観の公共性」を明示したこと、②眺望景観や地区別規制などの具体的方法の前進、③住民の「まちづくり憲章・宣言」が都市計画行政を動かしてきたこと、などを評価されました。また、問題点として、①これまでの政策によるまちこわしへの反省がない、②今後発生する不適格建築物への具体的対応策が明示されていない、③住み続けられる生活空間確保のためのまちづくりの目標像を見直す視点が欠如している、などを指摘され、特に最後の点が大きな問題であると強調されました。
 長い景観論争の過程で、住民・市民運動は「景観破壊=まちこわし・住環境破壊」であるとの認識を深めてきました。これを故・西山夘三先生は「景観というのは、人間の住む地域環境の最も総括的、かつ直接的な表現形象」「景観の変化は、地域の人間生活に及ぼす変化を敏感に反映するもので、住民の人権に関わる重大な問題」と表現し、(『京都の景観 私の遺言』)、片方先生自身も景観は「地域の現実の総合指標」であると述べています(『景観 くらし息づくまちをつくる』)。
 このような景観の捉え方に対し、国の景観法は「景観とは何か」の定義がないままに「良好な景観」の保全・形成を掲げており、この枠内にある京都市の「新たな景観政策」も同様です。市民の暮らしや生活環境と景観の関わりに言及できていないため論議が建築デザインに矮小化してしまう懸念がある一方で、景観という具体的な形で現れる「まちづくりの目標像=ビジョン」をどのようにするかということに論点が必然的に移ってくることにもなります。
 そこでは、市民の暮らしや生活環境の再生・創造を根本に据え、当面する課題への対応と中・長期のまちづくりビジョンを検討し早期に確定することが重要で、①新建や住民・市民運動もそこに力を注ぐ必要があること、②「京都計画88」で取り組んだような「課題明示型」のビジョン提示が施策を具体化する力を持つこと、③都市軸と保全・再生・創造のゾーニングではなく、日常生活圏の集合体で都市を構成すること、④大景観の包括的保全の基本方針の下に地域ごとの小景観イメージを具体化すること、などが今後の課題として提起されました。
 内容があまりに豊富で議論の時間が十分にはとれませんでしたが、「新たな景観政策」のデザイン基準についてが話題の中心となり、京都市自らが言う「成長するデザイン基準」に対し、現場を通じて設計者の立場から議論を進めていく必要があるなどの意見が出されました。この点で片方先生は、「新たな景観政策」では町家街区の「表高裏低」原則がなぜか無視されているが、これに従った形で敷地の利用形態やデザインを考えていくことが、歴史的街区や住環境の保全・再生には必要であることを指摘されました。
 京都支部では「景観問題を考える」シリーズを引き続き企画しており、第4回「まちなかに建つ会員の仕事その他気になる建物見学会」を4月21日に開催します。また「新たな景観政策」やまちづくりビジョンの提案にもまちづくり部会を中心に取り組んでいくことにしています。
※ 「きょうと景観ネット」ホームページ(http://kyoto-keikannet.justblog.jp/)では、京都市の「新たな景観政策」に関する資料へのリンク及び「京都の景観問題に関わる年表」などを掲載していますのでご覧下さい。
(京都支部・榎田基明)

建築とまちづくりセミナーin千葉準備中

 千葉支部では8月10日~12日の建築とまちづくりセミナー開催に向けて、ほぼ隔週の実行委員会を和洋女子大中島研究室で行っています。セミナーの全体テーマは戸建木造住宅の設計に携わることの多い千葉支部会員の志向が色濃く反映されたものとなりました。以下各講座の内容をご紹介します。なお詳細なスケジュールや参加費などは追ってご案内いたします。
■日程 8月10日(金)~12日(日)
■場所 和洋女子大学キャンパス(千葉県市川市)
■全体テーマ 木造構法の可能性――すまいからまちづくりへの展開
 木造構法は大変優れた架構法であるとともに、その原材料入手、加工、流通、維持管理の各過程において、地域性に富み、環境負荷の少ない生産技術系をなしています。このセミナーでは、経験豊かな建築家・研究者を迎え、すまいからまちづくりへ展開する技術系としての木造構法の全貌を説きあかします。
■第1講座 民家の知恵と構法を現代に生かす
◎講師 安藤邦廣(筑波大学芸術学系教授)
 安藤氏は民家構法研究の第一人者であり、かつ実践を伴った建築家でもあります。民家構法の歴史的変遷を下地に、「屋根」「壁」「床」といった基本部位を、建築技術的な造り手の視点から読み解き、そこから現代の建築材料を点検し、これからの住まい、建築のあり方を解説します。
■第2講座 伝統的なまちの空間構造に学ぶ
◎講師 福川裕一(千葉大学教授デザイン工学専攻)
 『建まち』誌06年10月号で「都市再生」の欠陥を鋭く指摘した福川氏は、伝統的なまちとコミュニティの研究者でもあります。川越や佐原など伝統的なまちの優れた構造を明らかにすると共に、そうした空間構造を現代の都市計画に応用展開する方法を解説します。
■第3講座 山元と直結したいえづくり――民家型構法の展開
◎講師 藤本昌也(現代計画研究所主宰、関東学院大学教授)
 集合住宅地の設計からまちづくりのマスターアーキテクトまで幅広い活動で知られる藤本氏は、一方では伝統技術をベースにした民家型構法による住宅や学校づくりを展開してきました。今回は、木材の伐採、製材から建設まで一貫して行った山口県での事例を中心に、木造技術への熱い想いを語ります。
■第4講座 伝統と先端技術の融合――地域と木造
◎講師 三井所清典(アルセッド建築研究所主宰、芝浦工業大学名誉教授)
 『建まち』誌06年7月号で紹介されたように、三井所氏は地域と木造にこだわった建築家です。単に伝統技術に拠るだけでなく、現代建築の解法として積極的に位置づけています。また地域の生産力(設計者や工務店)との協働は氏の真骨頂です。長年にわたる木造技術の追求と、山越村など新たな地域での活動を語ります。
■第5講座 パネルディスカッション・すまいとまちづくりを担う、これからの建築家技術者象――求められる倫理・技術力と支える制度
◎パネリスト 藤本昌也
       三井所清典
       本多昭一(京都府大名誉教授)
 人々の要求に応え、安全で質の高いすまいとまちを実現するために建築家技術者に求められる倫理・技術力とそれを支える制度はどうあればいいか。建築士会の要職にある藤本氏、長年教育と設計に携わってきた三井所氏、新建の代表幹事の本多氏であるが、ここでは一人の建築家・建築人として存分に語り合います。
■第6講座 仏教施設のリニューアルとコンバージョン――求道学舎
◎講師 近角真一(集工舎都市建築研究所主宰)
 浄土真宗の説教場である「求道会館」は1915年に、僧侶の寄宿舎である「求道学舎」は1926年に、建築家武田五一の設計で完成しました。この仏教施設の創設者近角常観の孫にあたる建築家近角真一氏は会館のリニューアルに続いて、学舎を定期借地コーポにコンバージョン。12日の見学会のガイダンスも兼ねた講座です。
(千葉支部・加瀬澤文芳)
▼建まちセミナー実行委員会では講師をお願いした方々に直接お会いして、講座の内容について打ち合わせを重ねていますが、その中で現在の建築界について各講師に共通した認識を感じたので、それを報告します。これが今年のセミナーの基調低音のように思えるからです。
 第一は市場経済社会に対する対応。日常の仕事は多少の差はあれ市場経済と関わらざるを得ないわけですが、突出した経済主義はすまいとまちづくりを壊しているという共通認識です。パワービルダーもそうですが、売り逃げ型のマンションディベロッパーに対して定期借地型コーポを実践した近角氏は、持続可能な集合住宅運営を提唱しています。
 第二は、そうした建築界の中での新建の存在は認識されているということ。地道に住み手の要求に応えた、家づくりに取り組んでいる建築家技術者の集まりと受け止めています。印象的だったのは「私たち(の運動または試み)と同じように」という言葉を何回か聞いたことです。新建と同じような取り組みを多くの団体がしているとしたら、こんなに心強いことはありません。「木の建築フォラム」の安藤氏は、私たちも全国で八〇〇人の会員の組織ですと、ある種の近親間を滲ませていました。
 第三は、建築創造、表現における真摯な態度です。藤本氏は地域性を読み解いた建築表現の重要性を強調し、三井所氏は地場の工務店でできない技術で家をつくるものではないと語ります。今回の講師ではありませんが、「雑誌受けしそうなデザインが浮かんでも、現代社会が求める回答ではないときは捨て去る」という建築家もいます。独りよがりの自己表現を戒める建築家は少なくありません。これも心強いことです。
 第四は、新建の会員以上に自らの建築創造を社会化する努力をしていることです。新建会貝は常に住み手の要求に真剣に取り組んでいるのですが、解法はそのたびごとという傾向があります。それに対して講師の方々は、成功した解法を社会的に一般化することに力を注いでいるように見受けました。組織やしくみをつくり、場合によっては公的な制度にまで高める努力をしています。この点は学ぶべきだと思いました。
 しかし、社会化を進めようとすれば、既存の利権や市場経済とぶつかります。そこで、建築家技術者のアイデンティティをいかに維持して結果を出すのか。その場面で活動し闘っている建築人が、新建もふくめて『現代建築のフロント』の一角を形成していると感じました。
(千葉支部・鎌田一夫)

『建築とまちづくり』2007年2月号より  

 

阪神淡路大震災から12年

静岡支部「建築とまちづくり展」報告

京都住まい連が交流会

京都の新景観政策をめぐる闘い

新建連続講座2007(東京支部企画)――大石治孝さん連続講座の報告

奈良の景観を守ってきた力と理論――「奈良の景観政策に学ぶ」に参加して

東京の住まい・まちを考えるフォーラム開催


阪神淡路大震災から12年――1月16~17日神戸レポート

 95年1月17日の阪神淡路大震災から12年がすぎました。今年の1月16~17日、現地を訪ね12年後の神戸を見てきました。
西宮市役所を訪問
 16日は西宮市防災課を訪問。西宮市では震災で亡くなった方は一一四六人です。役所の6階から上(7階建て)が潰れて全体を補強したことを聞き、防災マップをもらいました。
 西宮市職書記長・鞆岡誠さんにタイミングよくお会いでき、話を伺いました。西宮市でも10年目までは市が早朝集会で花代を出していたが、11年目からはお金を出さないというので、組合がカンパを募って集会を開いているとのこと。市と組合が対立していると新聞が取り上げたそうです。
 耐震補強をした兵庫県西宮総合庁舎・県営西宮真砂高層住宅を見て、甲子園駅まで歩きました。その途中で低層の公営住宅を見ましたが、被害はなかったようでした。
芦屋市若宮町のまちづくり
 16日午後からは、全国自治研集会(福岡)の際に神戸大の塩崎賢明さんに推薦された、芦屋市若宮町のまちづくりを見に行きました。「打出駅でおりて行けばわかる」と言われましたが、近くにお住すまいの京都府大の竹山清明さんに電話をしてみるとご在宅。幸運にもお忙しい竹山さんに案内をしていただくことができました。「行けばわかる」――なるほど、まさに百聞は一見に如かず。公営住宅も4階までで地域に調和し、敷地は地域のゆとりになっていました。公営住宅の明るい色合いがよく、広々として公園もところどころにありました。「改良住宅方式」で行い「まちづくり憲章」「建築協定」があります。
「市民の一分」!
 竹山さんのすてきなお宅の隣にマンションができ、プライバシー確保のためのフェンスが、それはそれは見事に建っていました。新聞や『建まち』05年10月号でも紹介されたのでご存知の方も多いかと思いますが、まさに「武士の一分」ならぬ「市民の一分」です。ベランダから立派な家が見渡せると思ったらとんでもない。「のぞかないで」の張り紙が飛び込んでくる始末。マンションのその側は売れていないそうです。
災害被害者支援と災害対策改善を求める全国連絡会の総会に出席
 芦屋から深江駅まで、高速道路が倒壊した箇所を見ながら歩きました。再施工された橋脚は他と形が違います。これで大丈夫なのかと、不安も残りました。
 神戸勤労会館会議室で行われた全国災対連総会に出席。少し遅刻したせいで、満員のため廊下で話を聞くことになりました。それぞれの被災後のたいへんな状況が報告され、被災地の人だけでは展望が見えないなかで、今後どのような支援が必要なのかを考えさせられました。
 明日は我が身かもしれません。表面的な「復興」ではなく人々の「福興」に国や自治体が全力をあげ、尊い命が失われないように防災に真剣に取り組むことが責務であることを、みんなで声を大にしないといけないとも思いました。
阪神淡路大震災12年メモリアル集会
 1月17日5時46分、諏訪山公園ビーナスブリッジで今年も早朝集会が行われ、その後、13回忌の法要と12年メモリアル集会が神戸勤労会館で開かれました。早朝集会はあいにくの雨で、「忘れません。いつまでもあなたの無念を」という看板が涙を流しているかのようでした。千代崎さんが新建を代表して挨拶をしました。
Eディフェンス見学
 17日早朝集会の後、メモリアル集会が始まる前に三木市にある独立法人防災科学技術研究所兵庫耐震工学研究センター(通称・Eディフェンス)を見学しました。
 実大三次元震動破壊実験装置は、実際の地震と同じ三次元の揺れをつくり出す15m×20mの振動台に最大1200トンの構造物をのせ、阪神・淡路大震災クラス(震度7)の地震も再現できます。1分間に最高30回、左右1m、上下0・5mの震動を与え、建物の破壊度のデーターを取り、さらに破壊するまで、震動を与えられる実験設備です。2006年1月に1970年代建設の6階建てマンションを想定して破壊実験を行い、話題になりました。木造住宅での実験もたくさん行っています。地盤の液状化の実験も可能です。広大な土地に巨大な施設ですが、データーが技術となって建物が強くなることは必要なことなので、見学して勉強になりました。
まだまだ行きました!
 Eディフェンスに行く途中で、毎年神戸を訪れる際に定点観測している「東山コーポ」に行きました。震災後10年間建替えができずに、10名ほどの方が住んでいらっしゃったところです。やっと建物が除却され、「花コーポ・神戸東山館」として免震構造の高層マンションが建つという工事中の看板が出ていました。
 建築家の浅野弥彌一さんがコーディネートされたグループホーム「星の丘ホーム」も外からですが、勝手に見せていただきました。住宅街に溶け込んだかわいらしいホームでした。
 震災後、建替え1号となった「御影メイツ」というマンションも見てきました。私たちが建物を見ていると「建替え後2年ぐらいで水漏れなどの不具合があった」と住民の方が話してくださいました。
 天候が悪かったのは残念ですが、2日間でたくさんの方とお会いでき、いろいろなところを見てくることができよかったと思います。うまく報告ができませんので、「一“文”は一見に如かず」、ぜひみなさんも訪ねて見てください。
(東京支部・山下千佳)

静岡支部「建築とまちづくり展」報告

 静岡支部では2月11日と12日の二日間にわたり、がれりあ布半(静岡市)で「建築とまちづくり展――現代すまい考」を開催しました。準備の過程から実施までを報告いたします。

【経過報告】
 2006年度新年総会に10月建まち展開催と早々と予定は組んだものの、いったいどんな催しをやったものか、誰も皆目見当も付かない状態でした。7月に静岡市内のいくつかのギャラリーを物色し、会場の予約だけは取り付けておきましたが、この段階で秋はどこの会場も展示会などの企画が目白押しで、予定した時期に予約は取れず、12月中旬となってしまいました。会場も取れ、開催予定も延びたし、二ヶ月もあれば準備できるだろうとの根拠のない楽観もあり、たいそうくつろいだ気分で犬山セミナーに出かけたのを思いだします。
 しかし、9月の支部幹事会でもテーマすら決まらず、具体的な準備計画にはいれません。そこで一足早く開催する東京支部の様子を視察に行こうとなり、そこで多彩な活動を紹介する展示パネルとテーマに沿った催しものなどよく準備された内容に触れ、事の重大性を認識することとなりました。
 戻ってすぐ幹事会を開き、臨時支部総会にかけて、会員の意思統一を図ることにしました。全国メーリングリストに相談を寄せたのもこの頃でした。
 残り二ヶ月では、どうしても時間が足りないと思えました。総会では延期を促す発言をしたのですが、12月開催を検討しようとなりました。意外に強い意志を感じ力強くも思ったものです。ここで特筆したいことは、総会が「建まち展を全員参加で成功させる、そして新しい会員を迎え入れて成功させよう」と決議したことです。静岡支部が民主的な支部運営体質を備え、自覚的な建築運動団体であることを示したシーンでありました。感銘をもって総会の模様をMLで報告したものです。
 とは言ったものの、スケジュールはきわめて厳しいもので、すぐに代替え会場を探し予定表を添えて説得、第一回実行委員会で現開催地に変更して貰いました。
 今後の参考にもなろうかと思いますので、準備期間は年表風に記しておきます。
10月7日 臨時支部総会 
実行委員会結成
  14日 第一回実行委員会 会場変更を決定
  28日 第二回実行委員会
11月9日 テーマ発表
  11日 第三回実行委員会
  24日 第四回実行委員会 パンフ図案発表
12月9日 第五回実行委員会 ポスター図案発表
12月14日 ポスター及びパンフレットを配送
  ―――この後四回の実行委員会を開催――
2月11~12日 静岡支部「建築とまちづくり展」
 会場設定でもたつきましたが、テーマを決めるまでが一つのピークです。問題意識の共有を図ることが出来れば、会議にも一定の方向性が出てくるように思います。

【実施報告】
 会期中の入場者数は、正確にカウント出なかったのですが、パンフレットの残数から鑑み一〇〇名程度と見込まれます。初日の講演会には、会員を含め四六名が参加しました。次に出展数ですが、会員二四名が参加しています。四五%の参加率となっています。展覧会に何らかの形で参加した会員が四四名で八一%の参加率となりました。
 また宣伝では、地元工業高校や専門学校・建築士会をはじめとする他団体事務所にチラシとポスターを置かせていただき、新聞社への投げ込み、タウンニュースに催事記事を投稿する、当日朝の新聞折り込み四〇〇〇部などをしましたが、会員のダイレクトメールが一番効率がよかったようです。ご当地静岡市の宣伝を強化する手だてが足りませんでした。

【祭りのあとに】
 さて、ここらで何か教訓的な事柄と今後の展望も語らなければなりません。
 準備に際して支部MLを主要な通信手段としました。便利ですが、一方通行になりがちで会員同士のコミュニケーションが深まらない弊害がありますし、インターネットに馴染めない会員もいます。そうした会員を置き去りにしてしまう危惧もありました。実際、ついていけないと退会を表明していた方も居りましたが、今回出展に参加してくれました。地域のリーダーが訪問して、彼の初心を引き出したのです。組織の団結と連帯を築くのは、肉声による励ましに勝るものはないということでしょうか。
 これから私たちは、人の心の琴線をふるわせるような連帯を築きつつ、(出展された作品がデジタル化されたものがほとんどであったことから)インターネットの活用も発展させていきたいと思います。まずは技術部会を再構築して、静岡版仕様書などまとめてみようかと思います。問題意識の共有、経験の共有など、期待して余りある部分です。今回の経験でつかんだインターネット社会の二面性です。(静岡支部事務局・大塚功二)

【参加者の感想】
▼静岡支部「第一回建築とまちづくり展」は、準備期間も短く少予算でありながら、主に実行委員会の非常な頑張りにより、ある程度の成功を収めたと言ってよいと思う。
 象地域設計の「三浦氏の講演」も素晴らしく、桑高氏の「民家まち並み探訪記」のスライドも見応えがあった。また、パネル展示物(パネル、模型、CG等)も、会員の仕事振りが窺え、興味深かった。
 ただ、現実的な諸問題を全く無視した独断と偏見での感想(反省)としては、
●会場の場所の設定――人を集めにくい場所ではなかったか?
●展示の内容――テーマが見えにくい・インパクトが弱い
●講演の内容――内容は素晴らしいが、はたして静岡という地域性にマッチしていたか?
●総じて、一般の人がはたして行ってみようと思ったか?
 最後に私の独り言。他の会や協会とは一線を画した(?)せっかくの「新建築家技術者集団」、もっと他ではやらないような思い切ったことをやってもよかったかも(それが何かは解りませんが……)。(会員・男性)
▼建まち展お疲れ様でした。事前にパンフをいただいたときは実行委員の皆様の気合いを感じました。デザインが良い感じだったことは当然ですが、ポスターとパンフの2部が用意され、新建のアピール+集客的なことがしっかり押さえられていたからです。
 当日会場に着いたときは青い看板が印象的でした。中に入ると密度が濃くもなく薄くもなく、良い感じの展示だったと思います。新建は他の建築団体にはない活動や歴史、また会員個人が高いレベルを持っていると実感いたしました。先生の講演や庭木の手入れなど、良い感じの内容だったと思います。
 会員の作品展の開催の大変さは一昨年他の団体で実感しました。今回のように上手にまとまったのは凄いと思いました。技能士会の方の「何を言いたいのか」という感想は印象に残りました。「私たちの作品展です」ではなく、もうワンランク上の答え(コンセプト?)が欲しかったんですかね? それって話し出したらまとまらないですよね……。でも、作品展だから作品がすべてかなと思います。
 要は人の誘い方ですよね。パンフ渡して来てって言うだけだと、ほぼ確実に来ないですよね。来たとしても「何を言いたいの?」で終わっちゃうんですよね。宣伝するのって大変ですよね。改めて実感しました。(会員・男性)
▼ルーツを万葉の時代にもち、長い歴史を誇る老舗が軒を連ねていたわれらがまちは、太平洋戦争末期アメリカの爆撃によって壊滅させられた。戦後の復興もままならぬうちに、経済成長につれてまちから人々が去り、消えていった店の跡地は駐車場になり、シャッターを下ろしたままの店が増えた。多額の費用を負担してアーケードをつくり、歩道を整備してかろうじて商店街の体を整えてまちの再生を願ったが客足は戻らなかった。そして、後継者のいない不安に怯えている間にわがまちに高層アパートが林立し始めた。
 三浦氏の講演の、都市再生で進められるまちこわし~コミュニケーションを欠いたまちづくりの話には大いに共感し、多くの貴重な示唆もいただいた。
 さて、無力感に苛まれ続けているわれらが商店街は、これからどうしていったらよいのだろうか。
(がれりあ布半主・長倉禮子)

京都住まい連が交流会

 「住まいは人権」の実現をめざす京都連絡会は、2月24日、京都社会福祉会館で、第1回住まいの交流会を開催しました。
 公営住宅団地からは、収入基準が切り下げられ、新入居が難しい上に、収入超過で追い出される人も多く、空家が増えている状況、また「入居承継の厳格化」(配偶者に限る)問題などが報告されました。府営住宅のある地区では就学援助が7割の小学校もあり、住宅問題は教育問題でもあるという指摘もありました。公営住宅改善の方針が出たが、予算は打ち切りになってしまった(エレベーターも大型から小型に変更)という発言もありました。
 借家問題では、①賃料がバブル期に高騰して高止まりしていて、裁判に訴えれば下がるが、なかなか訴訟もできず困っている人も多い、②家賃が払えず滞納し、立ち退き、ホームレスとなる例も多い、③老朽化を理由にした明け渡し請求が多いが、明け渡し請求があると請求された家族には必ず病人が出る、④今のところ借地借家法があるが改悪されそうだ、「正当事由」をなくしてしまう借家法改悪をなんとしても阻止したい――など、切迫した状況が報告されました。
 生活保護切り捨て政策の一環として、高齢者の家と土地を担保に金を貸すという政策が導入されそうであるが、これはおかしいのではないかという訴えがありました。
 特別養護老人ホームからは、予算削減、職員の減給・能力給導入などの問題が、また共同作業所からは「自立支援法」による一割負担が引き起こした大変な問題が報告されました。
 障害者の住居改造に取り組んでいる新建会員からは、補助金が減額されているが、相談員の手当を下げることで助成金は下げないように頼んでいると報告がありました。また、耐震診断・補強を普及するための方策が必要ではないかという指摘もありました。
 新景観政策との関係で駆け込みマンション確認申請が急増しているが、住環境問題の面から監視が必要との指摘もありました。
 それぞれの分野の状況は非常に深刻ですが、住宅運動として盛り上げる方策の議論がさらに必要だと感じました。
(代表幹事・本多昭一)

京都の新景観政策をめぐる闘い

 京都市の「新景観政策」は、建物の高さ規制を大幅に強化する(従前45mを31mに、同31mを15mに)など、全体として景観破壊を食い止める内容です。
 昨年(06年)11月、この新政策素案が発表されると、不動産業者を中心とする勢力が、これが市議会で決定されないように「時期尚早」を叫び始めました。その勢力は新聞に1頁大の意見広告を連発して、新政策の一部分にクレームをつけて「慎重審議」を主張しました。また同趣旨で集会や請願署名を行い、与党市議に働きかけて決定を「延期」するよう運動しました。
 結果はすでに報道されたように、この「新政策」の内容が条例として決定されました。
 この間の経過を、私たちの運動の報告を含めて紹介します。

(1)新景観政策素案が
 できるまで
 時系列的に簡単に振り返っておきます。
04年11月 「景観法」施行
05年7月 「時を超え光り輝く京都の景観づくり審議会」設置
06年3月 「審議会」中間とりまとめ発表
06年4月 中間とりまとめを受けて市長記者会見
06年11月 「審議会」最終答申
     「新景観政策素案」発表
 この経過を振り返ると明らかなように、今回の「新政策」素案は「景観法」をきっかけとして準備されたものです。「審議会」が設置された時点で、すでに方向は決まっていたと言えます。
 例えば「諮問に当たっての4つの視点」として、当初から以下のことがあげられていました。
①建築物の高さやデザインの更なる規制・誘導
②眺望景観や借景の保全
③京町家など歴史的建造物の保全とそれを活用した都市景観の形成
④看板など屋外広告物や駐輪・駐車対策の強化
 そして「中間とりまとめ」の時点で、市はすでに新政策の骨子(例えば高さ規制の強化、45m→31m、31m→15mなど)を実施する方向であることを表明しました。遅くともこの時点で市の方針は明らかでした(したがって、11月に素案が発表され、一ヶ月間でパブリックコメントが募集されたとき、一部の勢力が「そんな短期間で意見は出せない」とクレームをつけたのは正当な抗議とは言えないものでした)。

(2)パブリックコメントとその後 の論争(06年12月~07年3月)
 11月27日~12月28日、市民意見(パブリックコメント)の募集。後に発表された集計によると、意見は五七六通一四一〇件ありました(パブコメを受けて市は1月30日、修正案を提出、最終的に条例化されたのは修正案の内容)。
 07年1月に入ると反対派(延期派)の動きが表面化しました。1月17日京都新聞、19日朝日新聞・読売新聞に1頁大の意見広告が出ました。素案にはいろいろ問題があるから決定を急ぐな、という趣旨です。意見広告は1月末から2月初めにかけて、さらに連発されました。正面から反対はできないが、決定を引き延ばそうというのが彼らの方針でした(規制強化の実施が延期されれば、駆け込み建設が可能だからです)。彼らは集会や請願署名集めなども行い、市議に圧力をかけました。
 京都の景観を守るために永年活動してきた「まちづくり市民会議」「新建京都支部」「自由法曹団京都支部」などは、「この政策が出るのは遅すぎた、これ以上の延期は絶対に許せない」と判断し、新政策早期実現のため活動を開始しました。この3団体が呼びかけて、2月13日「きょうと景観ネット」という組織を結成しました。「景観ネット」はHPで情報を発信するとともに、街頭宣伝・ビラ配布を行って、早期実施を訴えました。
 不動産業界は日常的な関係を活用して多くの市議に「延期」の働きかけましたし、新聞1面を使った広告の連発はそれなりの影響を市民に与えたと思われますが、多くの市民は最近の高層マンション林立を押さえるには規制強化が必要であることをすでに感じていました。そのうえ「まちづくり市民会議」などが新政策を支持していることが明らかになり、新政策賛成の声は確実なものになりました。例えば京都新聞が世論調査をしたところ、新景観政策に賛成が83%に及びました(2月15日発表)。おそらく調査者の予想を超えた高率だったと思われます。
 市議会では、当初「時期尚早」を主張した与党議員もありましたが、世論に押され最終的には全会一致で条例が成立しました。

(3)今後の課題
 反対(延期)派が巨額の資金を投入して新聞広告を連発したり、市議に働きかけたりしたのに対して、私たちは短期間に集中した活動を行いました。条例は可決しましたが、その実施は9月からということになったため、それまでに「駆け込み」確認申請が増えると思われます。当面、この「駆け込み」を阻止することが課題です。
 さらに、この間の運動の経過をきちんと総括して、今後の活動方向をみんなで確認する必要があります。そのため「景観ネットは」次のようなシンポジウムを開催します。ぜひご参加ください。
(代表幹事・本多昭一)

■新景観政策シンポジウム
 日時 4月14日(土) 午後2時~5時
 場所 キャンパスプラザ(京都駅前)

新建連続講座2007(東京支部企画)――大石治孝さん連続講座の報告

 東京支部では07年2月に「新建連続講演会2007・大石治孝日本建築連続講座――和風空間の豊かさ」と題して、長年数寄屋づくりの住宅を手がけ、和風建築についての著書もある大石治孝さん(新建静岡支部、全国監査)に講師をお願いし、全4回の連続講座を開催しました。40人近くの参加者は大石さんのやさしい口調に魅了されながら、体内化していると思われるほどの「和」の神髄に近づけたのではと思います。
 企画段階から参加してくれた橋本規男さんと高本直司さんに感想を寄せてもらいました。
▼まず初めに、今回東京支部が企画する連続講座にスタッフとして誘っていただいたことに感謝いたします。私が初めて新建セミナーに参加したときも軽井沢で行った大石さんの講座でしたので印象深く、参加できることを嬉しく思いました。
 都市やその周辺にマンションが建ち並び地方では過疎化が進む今日、数寄屋を設計する機会というのは少なくなっていると思います。しかし、建物を設計するときに和風を取り入れることは決して少なくないと思います。この講座では茶室や民家、大石さん自身の作品などのスライドを交えて話をしていただき、大変興味深かったです。また、大石さんは歴史的事実や宗教的な考えの説明、それからご自身の推測も織り込んで順序立てて話してくださったので、とてもわかりやすかったです。
 第1回の講義では「辿ってきた道」というテーマで大石さんのこれまでの歩みを聞くことができ、その内容はまた一味違った面白さがありました。幼少時代に親の仕事の手伝いで旅館等の実測をして見取り図を作ったこと、オルゴール組立職人の仕事、劇団の舞台装置の仕事などを経て設計事務所に入社したこと……。
 私はまだ建築を始めて3年足らずしか経っていませんが、日々仕事をしていく中で、無駄になる知識や経験などまったくないのではないかと感じています。大石さんも色々なことを学び、経験されてこそ今があることを考えると、改めて建築の奥深さを感じました。また、行動することや数々の出会いも大切にしたいと思いました。
 和風という大きなテーマから始まりましたが、特にポイントの一つとして「縁側」がありました。家屋と庭の境目である縁。境目だが各々を分ける働きではなく両方の調和をとり、一体化するような縁側。あえて境界線を曖昧にすることが目的なのか、ただ単純に日本人が好むのか。よく考えてみると日本の文化自体がかなり曖昧なものを好むような気がします。第3回の講座でも取り上げられた「侘び」や「粋」もそうですが、食文化でも「まったり」や「こってり」など何とも説明しづらい言葉が多い気がします。またしばしば「日本人はYES/NOがはっきりしない」と言われることなど、私たち日本人は物事を曖昧にすることによってある種の心地よさを見出しているのではないかとさえ思えます。漠然とした言葉でしか言い表せませんが、本当に美しい縁側というのは建物と庭の微妙なバランスのとれた曖昧な空間なのかもしれないと思うようになりました。
 もう一つ私が個人的に特に興味深かったのは「光の反射」についてです。照明の当て方で色や見え方が変わったり、軒裏の色を考えるときは床などに反射した光も考慮しています。ただ、木造で垂木あらわしの軒裏を美しく見せるために、反射光が当たることを予測してその見せ方をデザインする、ということまで考えたことはありませんでした。確かに反射することはわかっていても、言われてみると予想以上に目に留まる気がします。目立たないようでも細部について注意深く設計することで、より調和のとれた美しい設計ができるのだと感じました。ただし、様々な材料の特徴や納まり、構造の考え方を知っていないと総合的に判断できません。良い材料を適切な部位に最適な工法で使うことによって、より美しく見せることができ、それが本来の美しさなのだと感じました。
 今まで自分なりになんとなく考えていたことも、改めて具体的な話を聞くことによって自分の中で整理され、はっきり形になることが予想以上に多いと感じました。自分で本を読んで勉強することはとても大切なことですが、話を聞くことや実際に見学すること、このように感想を書いたり、記録をとったりすることは特に大切な経験として留めておきたいと思いました。材料の本来持つ美しさを生かすも殺すも設計者次第なのだという気持ちで、今回得たものを生かす機会を大切にしたいと思いました。
 まだまだ建築だけでなく多岐にわたる知識、経験が必要不可欠だと感じました。感想文もお話しいただいた内容に比べて陳腐な文章になってしまったと感じますし、今回は初めての企画のお手伝いでしたので、これを期にもっと積極的に活動に参加していきたいと思います。
(埼玉支部・橋本規男)

▼和風建築を長年設計してこられた大石治孝さんが講師の「和風空間の豊かさ」という連続講座に参加しました。
 講座の目的は二つ設定されていました。一つは大石さんがどう生きてきて、どのような作品を作ったのかを学ぶこと。二つ目は実際和風の建物を設計できるようになることでした。
 4回の講座のうち、一つ目の目的を担うのは1回目の「辿ってきた道」。二つ目の目的を担うのは2回目の「日本建築を観察しよう」、3回目の「近代数奇屋の誕生」と、4回目の「自作を語る」でした。
【第1回】
 1回目の「辿ってきた道」では、大石さんが建築に取り組んだきっかけ、経歴についての話を聴きました。
 大石さんには、特に意識せずに身近に建築に触れていた少年時代があり、図面を描きたいと思いながらもかなわなかった時代があり、演劇の舞台装置をやることでその思いを発揮し、そして将来に向けて様々な経験をつんでいた時代があったそうです。
 演劇の舞台装置の経験はたいへん勉強になったそうです。舞台が始まるとやり直しはきかないので失敗は許されず、場面転換では段取りよく作業することを求められます。その中で許容できることとできないことのシビアな判断力が培われ、現場監理に活きたと大石さんはおっしゃっていました。
 また、舞台における照明の当て方も大変勉強になったそうです。当時はコンピューター制御などないため、スポットライトをひとつずつ、少しずつ動かしながら、場面ごとの照明の当て方を設定していったそうです。どういう風に照明を当てたとき一番効果的かを手探りで確かめたことが、設計の中で照明を考えるときに役に立ったとのお話でした。
 ようやく設計事務所に入って図面を描く仕事についたときの喜びは大きく、その後も日本建築と出会う、色々な人と出会い会話をすることを通して、建築を学んでいったとのこと。例えば吉村順三との何気ない会話の中の「大理石を外部に張ればいい建築か?」「本当の建築家はお互いにケンカしない」など言葉から学んだとのことでした。
【第2回】
 2回目の「日本建築を観察しよう」は、日本建築はどこに特徴があるのか、何に着目するといいかについてのお話でした。
 大石さんは谷崎潤一郎の『陰影礼賛』に触れ、日本建築の特徴というのは大きな屋根と、その屋根の下の薄暗い空間であると指摘しました。この屋根の下は絶対的な照度で計れば暗いけれど、様々な工夫によって多様で美しい空間をつくることが可能な空間だとのこと。
 例えば天井、庭の地面に反射して入ってくる光が天井を照らすと、大きな屋根がもたらす薄暗い空間の中で天井がとても明るく映えます。そこに磨き丸太や晒し竹を垂木として使うととても効果的です。磨き丸太や晒し竹は「ヒカリモノ」、天井面とのコントラストをつくるのに使えるそうです。大石さんの実例をスライドで見るとまさにその効果が発揮されていることがわかりました。
 日本建築を観察すると軒先と軒天は手がかかっていることが多く、天井は光が反射する面として、目線が集中する場所として大事にされてきたようです。
【第3回】
 3回目の「近代数寄屋の誕生」は、吉田五十八ら日本近代建築の巨匠たちが、なぜそろって数寄屋を設計したのかについてでした。
 吉田五十八は大学卒業後のヨーロッパ旅行で、イタリアのフィレンツェの建築に衝撃を受け、「これはかなわない」と感じて帰国します。一方、当時日本人の生活はどんどん近代化・洋風化していました。この生活の変化に和風のつくりかたが合わなくなってきていました。
 吉田五十八はヨーロッパ旅行を通して、単なる西洋の真似をしてもかなわないということをわかったうえで、歴史と風土に基づくデザインを志向し、和風という回答を導きます。比較的柔軟・自由で形式にとらわれない数寄屋に着目し、和風でありながらこれからの生活にあったものとしての近代数寄屋を生み出したのだそうです。
【第4回】
 4回目の「自作を語る」では、大石さんが設計してきた実例をスライドでたくさん見ました。
 大石さんの実例は、2・3回目で見た日本建築や近代建築家たちの作品とはまた違った個性があって素敵でした。民家風の要素を取り入れて木曽ヒノキの梁組みを見せた住宅や、洋風のモダンな住宅もありました。どれもなんとなく落ち着く雰囲気があって、実際のものを見てみたいと思いました。
【感想】
 日本建築や近代建築家達の作品を見た後で大石さんの実例を見て、どうやったら個性が出るのか疑問に思い、4回目の講座の後の交流会で聞いてみました。答えは、自然に自分がいいと思うものを突き詰めていけばよいのではということでした。
 例えば大石さんが設計する場合、内法高は6尺より高くしたことはあまりないそうです。それより内法が高いのは好きではないと。そのような好み、あるいはべつの好みを突き詰めていった上に、大石さんならではの落ち着いた感じの空間ができいるのかと思いました。
 設定されていた講座の目的の二つのうち、実際に和風の建物を設計できるようになることについてはまだ自分の中で達成できていないと思います。しかし、日本建築の特徴の捉え方、反射光の扱い方について学び、近代建築家たちの考えの筋道を概略なぞったことは、和風建築にどう取り組むかの案内としてよかったと思います。
 また、生き方については、大石さんが若いときに考えたり、悩んだり、実践していたことを自分に照らし合わせることができ、とてもいい勉強になりました。
(東京支部・高本直司)

奈良の景観を守ってきた力と理論――「奈良の景観政策に学ぶ」に参加して

 07年1月24日7時よりハートピア京都で開かれた企画「奈良の景観政策に学ぶ」に参加しました。参加者は学生さんも含め15名でした。
 ふたつのことが印象に残りました。ひとつは、奈良の景観を守ってきた力は、その歴史的な価値を自覚した住民の運動と、それに寄り添うように地道な活動を展開されてきた新建をはじめとする建築とまちづくりの専門家たちであること。ふたつは、その運動を導いてきた景観を守る理論が運動の初期の段階から存在したことです。ここでは紙幅の関係で、後者についてのみ報告します。
 それは、1971年の「奈良市景観整備に関する調査研究」(扇田信也先生)などを通じて理論化されてきた高さ規制についての考え方であり、その骨格は、遠望型景観に対する高さ規制(大景観)と、環境型・町並み景観に対する高さ規制(小景観)の組み合わせで景観を守ろうというものです(図参照)。
 「遠望型景観」は現在京都の新条例案で論議されている「眺望景観」に関する規制とほぼ同じ考え方ですが、奈良の場合には東大寺や五重の塔がその対象となります。京都の場合は限られた視点からの規制であるのに対し、奈良の場合は視点そのものが面的な広がりを持っているという点でより徹底していると感じました。
 一方「環境型・町並み景観」の方は、基本的には通りの表の高さを低く抑え、裏は通りから見えない範囲で高さを許す(表低裏高)というものです。これは京都の職住共存地区における「新しい建築のルール」などに盛り込まれて来た考え方に似ていますが、この考え方はそのまま京都に適用できるものではないようです。この点について木村万平さんは「京都の町家は伝統的に表高裏低でつくられ、それによって、裏長屋も含めた住環境を確保してきた」として反対されていることはすでにご存知のとおりです。この間まちづくり部会で京都の街区の模型づくりをしていますが、確かにそのとおりだと感じています。見え方だけでなく住環境の質の問題として景観を捉えることが必要なのだと思います。もちろん奈良には奈良の住まいづくりの伝統があるのですから、この理論の奈良での有効性を否定しているのではありません。逆に今度奈良町を歩くときはぜひ町並みの裏側の暮らしをのぞいてみたいと思いました。
 京都の景観条例について業界の意見広告が出されるなど情勢は緊迫していますが、質疑討論ではこのことに話が集中してしまいました。川本さんがまとめで話された「その場に来ると歴史的追体験ができ、史的想像力を発揮する余地があるかどうかが(景観の)ひとつの判断基準」ということについて、もう少し深める時間が欲しかったです。
(京都支部・吉田剛)

東京の住まい・まちを考えるフォーラム開催

 07年2月15日「東京の住まい・まちを考えるフォーラム」が東京芸術劇場で開催されました。東京自治問題研究所、板橋・生活と自治研究所、世田谷自治問題研究所が共同して昨年7月に出版した『東京の住宅政策――地域居住政策の提言2006』東京住宅政策研究会編を記念して開催されたものです。
 当日は、12名の執筆者のうち11名がそろい、各々の担当部分を熱く語るという形式で進められました。3時間弱で11名ですから、一人10分強。全く時間が足りないわけですが、本のあとがきにある「この提言をたたき台として、様々なところで議論し、多くの皆さんのご意見をお寄せいただきたい」という思いが伝わってくる催しでした。
 今回の提言は、91年の『東京の住宅政策――地域住宅政策の提言一九九一』東京住宅政策研究会編に続く第二弾で、04年1月から第二次東京住宅政策研究会を立ち上げて議論してきたものだそうです。
 前回の提言は、80年代後半、バブル経済と異常な地価高騰に直面した東京都が90年4月に「東京都住宅政策懇談会報告――生活の豊かさを実感できる住まいをめざして」を発行した時期に、その報告が東京の一極集中に沿った新規住宅供給論に根ざしていること、都民の居住権を保障し発展させる視点や住民参加の視点が欠如していることなどを指摘し、居住権保障や地域社会の再生を強く主張した内容だったそうです。
 一方、今回の提言は、政府の提起する「都市再生」戦略に東京都の都市整備政策が呼応し、それに住宅政策が従属する流れの中で、従来の住宅局が都市整備局に統合・再編されたのち最初の住宅政策についての答申「東京における新たな住宅政策の展開について」が東京都住宅政策審議会から06年6月に出された下での提言だということでした。
 提言の名称が「地域住宅政策」から「地域居住政策」へと改められています。この名称変更には、個別の住まいの問題と地域社会の発展を結びつけながら展開する住宅政策、住まいの問題と医療や福祉そしてまちづくりなどと連携させながら実施する住宅政策を、これまでの住宅政策を乗り越える意味からも「地域居住政策」と呼ぶようにしたい、との思いが込められているとのことでした。
 各執筆者からの報告は、都営住宅・民間賃貸住宅・防災対策・マンションを内容とする「安心・安全の居住政策」、都市再生・密集市街地・地域コミュニティを内容とする「都市・地域コミュニティの再生」、住宅行財政・23区の住宅政策・住民参画と地域システムを内容とする「自治体住宅行財政と基礎自治体」の3部構成で行われました。松本恭治さんから警告のあったマンションスラム化の地獄絵、中島明子さんから提案のあった地域居住支援センターの構想が特に印象に残りました。
 6年ぶりに東京に活動の拠点を移した私にとって、現在の東京の居住政策の実態を総覧し、その問題点をつかみ、運動の方向性を考える良い機会となりました。主催者の思いと同じく、地域からの居住政策を実現するため、多くの人々との連携を深め、実践を続けていきたいと思います。
(東京支部・丸山豊)

『建築とまちづくり』2007年1月号より  

 

第25大会期第4回全国常任幹事会 07年1月7日~8日

北海道支部第3回仕事を語る会

京都市の「新たな景観政策の素案」をめぐる動き――「今の機をのがさず」実現させることが大事

「耐震強度偽装」について構造技術者が思うこと――NHKのインタビューを受けて

奈良の景観を守ってきた力と理論――「奈良の景観政策に学ぶ」に参加して


第25大会期第4回全国常任幹事会 07年1月7日~8日

 全国常任幹事会は07年1月7日8日に全国事務局で行われました。冒頭、本多代表幹事から年頭の挨拶があり、以下の議論や決定がされました。

Ⅰ 情 勢
(1)基準法・士法改正について
 国会で参考人として意見陳述を行った本多さんからの報告を受けて、次のような意見交換がされた(本多さんの陳述内容やその後の質疑については本誌06年10月号、11・12月号に掲載されている)。
●確認検査は民間機関でなく特定行政庁が行うべきという点を主張した(本多)。
●民間の「指定登録機関」についいては、建築士会が行うことで話がまとまっている気配がある。
●建築士の登録は建築士会、建築事務所については事務所協会が行っていたが平成17年に廃止。「指定登録機関」制度が提案、併せて「指定教育機関」も提案された。単一の団体が行うのはいかがなものかとの意見もある。
●新建が講習会を行う必要はあるが任意団体だけでは難しい。例えばJIAと組んで新しい指定講習機関をつくるなどはどうか。
●国会で主張した内容はすばらしい内容なので広めたい。思いがけない方面や友人、知人などからの反響はある。
●士会、JIAなど他の団体とどうするのかの道筋をつくりたい。今度の大会などでシンポジウムを計画するなど、意見交換の場をつくっていこう。
(2)「都市再生」及び住宅に関す る政策
 「都市再生」政策の結果として東京ではミニバブルの様相を呈していること、住生活基本法に基づいて都道府県の住生活基本計画の策定が進んでおり、その内容をチェックしていく必要がある、といった報告が鎌田さんからあり、以下の意見交換をした。
●住環境保全策として、景観法を活用する。景観地区の導入で小さい規模でも住民の意向を反映させて都市計画の決定・変更を提案できる。
●京都の景観政策が一時緩めた規制をきびしくしていく方向で動いている。商工会や財界は賛意を表明しているが、地主やマンション住民は反対している。
●今後、金融公庫が行う債権化は郵便貯金に代わる住宅資金調達方法だが、日本の住宅が債権としての価値を持ちうるか。今後どうなるかわからない。
●住宅運動団体と新建との交流をもっと進めるほうがよい。公営住宅居住者の経験など、会員は馴染みが薄いから。
(3)松井さんの「新建再生会議」 の提案について
 かつて『建まち』誌の編集委員長であり、長老格の松井昭光さんから新建を活性化するための「新建再生会議」の提案があり、高橋さんから内容が報告され、議論が交わされた。弁護士など外部委員を含めた再生会議が本当に必要かといった意見が出されたが、次回の全国幹事会で松井さんから直接趣旨を聞く他、ワーキンググループで扱いを検討することとした。

Ⅱ 『建まち』誌について
 林さんが誌面製作作業に加え、編集委員への執筆者リストの催促、執筆者への原稿依頼と催促などを一人でやらざるを得ない状態が遅れの原因。編集委員が工程管理するのも実質無理、編集アシストの中田さんもそれはできないという状況が、丸谷、鎌田さんから報告された。
 「林さんが年間12号こなすのは無理であれば2号分外注したら」との意見も出たが、プロの編集事務所は費用がかかるし、編集スタイルが常と変わってしまう。結論としては、外注せず現有勢力で対応していくため、工程管理を鎌田さんが担い、編集委員への催促、執筆依頼と原稿催促、原稿の整理を中田さんの補助で行い、林さんの負担を軽減することに決まった。さらに、本多さんが編集委員会に参加して、特に西編集委員会は責任を持つ。
 今年は1号4週ペースで進め、4・5月は合併号として、来年には前月発行を目指すこととし、年間スケジュールと特集テーマを確認した。

Ⅲ 全国企画
(1)神奈川研究集会(永井報告)
 報告集に予想外の出費が生じたため、収支は若干の黒字。利益が出なかったのは残念という報告が永井さんからあった。
 運営に関しては、
●報告集が事前にでき各分科会の内容が把握できたのはすばらしい。
●ポスターは活用しきれないので、部数は少なくてよい。
●第2分科会に古民家再生のテーマが入ったが、歴史的まちなみ保存のテーマに馴染まなかった。
●大磯の見学参加者が少なく、第2分科会内で見学する方法も検討したかった。
などの意見が出された。
(2)建まちセミナーin千葉
(加瀬沢報告)
 今年は千葉支部担当で、07年8月10~12日に和洋女子大学市川キャンパスで行う。テーマ等内容は検討中。近々実行委員会を発足させる。という報告があった。
(3)全国大会(今村・高橋報告)
 今年は大会の年。11月23~25日に大阪で行うべく、会場を仮押さえした。今後は東京と関西で交互に開催するようにしたい。前回は議案と決定をそれぞれ『建まち』に載せたが、今年は議案は別送し、決定を『建まち』に載せるといった方針が示され議論に入った。
●議案は別冊にして第3種郵便で送る方法が提案された。
●課題討議は常幹メール活用する。
●分散会の時間を長くし3日目も討議という意見には、負担金の問題あり、1泊2日で終わらせるべきという反論もあった。
●記念講演、各論報告、分散会の持ち方についても様々な意見が出された。大勢は、記念講演は止めて分散会にしっかり時間を取るべきとの意見。事務局で検討することとした。
●開催地については、支部活性化につながる場合もあり固定的に考えないほうがよいという意見が多かった。

Ⅳ 事務局、各委員会
(1)全国事務局報告(今村報告)
 毎月第3金曜日、オブザーバー含め10名程度で開催、実務討議してよく機能している。全国事務局内の拡大委員は永井、加瀬澤さんが務める。
(2)政策委員会(鎌田報告)
 メールでの議論が進まない。政策委員会としての議論と自由な意見交換か混乱していることもその原因なので、仕分けをはっきりする。できるだけ幹事会から諮問していく。
(3)倫理綱領(山本報告)
 山本さんから本1月号「主張」欄に掲載された倫理綱領づくりのための試案が提示され、それを基に議論を行い、綱領案をつくって3月の幹事会で意見アンケートを行うことにした。主な意見は次の通り。
●建築界全体の倫理綱領か新建の綱領か。新建のであれば憲章があれば足りる。
●建築界というより国民に示すもの。5条ぐらいがいい。
●倫理の基準を何にするかは新建にしか言えない。そこで生きている人の安全、地域と環境を守ること。創造性、意匠はそれを踏まえて発揮するもの。
●新建の考えを示し、建築界全体の倫理としたい。他の団体への呼びかけは併行して行う。
●11月大会時には他団体(JIA、士会)とのディスカッションの場を設けたらどうか。
(4)WEB委員会(星報告)
 MLのメンバーのアドレス確認を行っている。3月の幹事会までにリスト整備して一覧表を出す。新建カレンダーの書き込み者は丸山さんの他、支部に一人ずつほしいという報告。HPのトップページから「ひろば」に直接クリックできるように、という要望が出された。

Ⅴ 組織、財政
(1)組織(今村報告)
●会員+読者の現勢1400名。1600名にしないと次期予算が組めない。目標2000名で努力する。
(2)新支部づくり(山本報告)
●島根で12月に林泰義+黒崎羊二で講演会をし、30人ほど参加。グループの中から新建につながる人が現れるよう働きかけを続ける。
●石川には点在会員が4人いる。三沢代表幹事が講演をする。
(3)財政(今村報告)
●引越し財政は3月の幹事会でさらにカンパを訴える。松井昭光氏の本の売り上げカンパなど、他の努力も併せて行う。
●相変わらず3支部ほどで重い会費滞納がある。

Ⅵ その他
●新建賞は、寄付していただく上林氏の意向で盾授与とする。以前の盾にとらわれず、新規製作する。
●6月のヨーロッパ旅行は新建企画とすることを了解した。
●市民向けのすまいとまちづくりの小冊子(ブックレット)つくりたい。本多、久永、竹山さんの京都勢で検討を始める。
(文責・加瀬澤文芳)

北海道支部第3回仕事を語る会

 06年12月9日に北海道支部の「仕事を語る会」が開催されました。タイトルどおり、その一年に携わった仕事について皆の前で発表し、悩んだことや苦労したこと、工夫をしたことなどを語り、皆から感想や意見を聞く、というものです。一昨年はできませんでしたが昨年は再開3回目の開催でした。かなり以前には毎年行われていたようですがしばらく休止していて、03年に再開しました。
 会では会員外の人も含め、8人から発表がありました。再開してからは会員になってくれることを期待しつつ、会員外の人にも参加を呼びかけています。
 発表の一人目は昨年会員になった小澤典仁さんで、彼が独自に開催している「絵本探検ツアー」のダイジェスト版をやってくれました。絵本探検ツアーとは絵本の研究家である奥さんが絵本の読み聞かせをして、そのあと小澤さんがその絵本の絵を建築専門家の目で取り上げ建築に関わる解説をするというものです。今回はオランダの絵本を題材にして風車の歴史や内部の様子、市街地の前に傾いたファサードの意味、川縁に建つ不思議な小屋(厠)などの話をしてくれました。「雨にもまけず」を取り上げ、宮沢賢治から住宅の設計を依頼されたという想定で、設計で気をつけなければならないことのお話もありました。
 二人目は私(女鹿)で、一昨年から昨年にかけて竣工した道内各地の公園のトイレを図面と写真で紹介しました。市・町の発注のトイレですがグレードの高いものを求められ、坪単価が175万円くらいになったものもあり、税金の無駄遣いではないかと思うこともありました。
 三人目は、まだ入会はしていない山本亜耕さんで、プロジェクターは使わず、持参したパネルや事務所紹介のパンフレットなどで手掛けた住宅の紹介や仕事の進め方などを説明してくれました。独特の語り口で人を引きつける力があると思いました。
 四人目は新会員の渋谷誠一さんで、まず自己紹介をしてくれて続いて職場で設計を担当した住宅について発表してくれました。総2階・総タイル張りのグレードの高い住宅で、細い木で編んだような天井が印象的でした。
 五人目も新会員の山下一寛さんで、やはりまず自己紹介をしてくれました。札幌の西の中核地域である琴似で古い倉庫を拠点として活動していた劇団があるのですが、数年前に再開発によりその倉庫が取り壊されてしまいました。その劇団のための新しい劇場をつくる設計チームの一人として山下さんも参加していて、その経緯や工事中の写真を紹介してくれました。
 六人目は泉さんで、10月に丸谷さんや大橋さんといっしょに行ったフィンランドツアーで目にした窓周りの納まりについて説明してくれました。特に窓下の水切りの両端を立ち上げて、壁面を水が垂れないようになっていることを指摘し、フィンランドでは相当昔からこのような納まりになっていることを強調していました。
 七人目は若本隆志さんで、竣工間際の住宅について土地取得のトラブルから始まる数々のトラブル、施工業者とのやりとりなど苦労話をたっぷり伺いました。新年早々にはオープンハウスもあり実物を見せていただきましたが、苦労の跡を感じさせない清々しい住宅でした。
 八人目、最後は事務局長の大橋さんで、昨年手掛けた2軒の住宅を紹介してくれました。大橋流“普通の家”です。私などはその都度、何か変わったことをしてみようと思うのですが、そういうところのない完全に使う側の視点に立った設計姿勢から学ぶべきこともあると感じました。
 一人当たりの持ち時間を15分程度、八人で2時間程度を予定していましたが、それではやはり短く、予定時間を30分オーバーしてしまいました。3回やってみてわかりましたが、一人当たり30分くらいの時間がないと十分な説明ができないようです。今年の「仕事を語る会」は、そのあたりをふまえてさらに充実した会にしたいと思います。
(北海道支部・女鹿康洋)

京都市の「新たな景観政策の素案」をめぐる動き――「今の機をのがさず」実現させることが大事

 ご存じのように、2006年末、京都市は「新たな景観政策の素案」を発表し、全市にわたる建築物の高さ規制強化と「デザイン基準」などを示しました。
 現在、新政策にかかわる条例などが2月の京都市議会に提案されるかどうかという局面をむかえるなか、住民サイドの動きも活発になっています。07年1月19日、まちづくり市民会議・自由法曹団京都支部・新建京都支部共催で「新たな景観政策を考える研究会」が開かれました。出席者40人、新建からは13名が参加しました。
 報告では、片方信也氏(日本福祉大学)は、素案を全体には評価しながら、高さは下げても容積率はそのままで居住条件改善という点で問題があること、今なおすすむ高速道路や京都駅以南の大規模開発との整合性・都市の全体ビジョンを欠いていることなどを指摘されました。
 木村万平氏(住民運動活動家)は、京都市が高さ規制強化を打ち出した06年、「駆け込み」の高層マンション建設が増えている実態を、自らまちなかを隅々まで歩き回った調査をもとに話されました。
 中林浩氏(平安女学院短大)は、年表を使いながら、これまでの住民運動が景観のあるべき姿を示してきたことを改めてあきらかにされました。
 また、飯田昭氏(弁護士)は、新政策によって既存不適格となる建築物の建替え問題について、住民生活を守るという視点から方向を見いだしていくべきことを強調されました。
 討論では、不動産業界や宅建業界から反発が強く、「あなたの住宅・マンションは新景観政策が施行されても同じ大きさで建替えできますか」などの大見出しで、3件の新聞全面広告がだされています。それらの中には、ケラバの出や植栽基準が設けられることなどの「デザイン基準」の問題を前面にだしながら、「高さ規制」も含めた全体がダメであるかのような印象を描き出しているものもあることが報告されました。
 とはいえ1月30日、「高さ規制」は素案どおり、「デザイン基準」についてはパブリックコメントなどをもとに狭小宅地への配慮をいれたものに見直し、2月議会に提出することが発表されました。さらに2月9日、京都市が高度地区の変更などにかかわる都市計画案縦覧や条例改正・制定のプログラムがあきらかにされました。しかしながら、議会をめぐってはおもてだった反対はできないものの、先のような業界の圧力を受けるなかで与党からの「時期早尚」の声が根強くあるようで、予断を許しません。
 こうした状況のなか、2月13日、先の3団体共同の呼びかけで約50人がつどい、「新たな景観政策の早期実現をめざすきょうと景観ネット」(略称・きょうと景観ネット)が結成されました。
 わたしたち新建京都支部まちづくり部会は、昨年暮れの説明会に参加した実感などをもとに、「新たな景観政策の素案」には賛成だが、きちんと時間をかけて大多数の市民・住民の支持のもと進めていくことが大切だ、という主旨の意見をまとめていました。
 しかし、これらの議論に参加するうちに、この高さ規制を「今の機をのがさず」実現させることが大事で、「デザイン基準」は市民的論議のなかでどんどん成長させていけばよいという認識に変わり、専門家集団としてできることをしていこうという構えです。ひとつは、先のような新政策に否定的な意見広告の内容を具体的に検討をすること、もうひとつはきょうと景観ネットでつくられる「駆け込み」マンション相談チームに参加することです。
 全国からもいろいろなご意見やご支援を寄せてください。お願いします。
(京都支部まちづくり部会・小伊藤直哉)

「耐震強度偽装」について構造技術者が思うこと――NHKのインタビューを受けて

 07年1月24日、「富山市内在住の建築士(JSCA所属の建築構造士)が、京都市内のホテル2物件で耐震強度の偽装をしていた」という報道がありました。この件につき26日、NHK富山支局よりコメントを求められました。
 NHKでは県内の建築構造士10名ほどに尋ねたとのこと。私は「この事件の一番の被害者は、エンドユーザーすなわち住み手ないしその建物で働く人々および利用者であること、それらの人々の救済を第一に考えなければならない」と答えましたが、担当者によるとこうしたことを述べたのは私だけがだったそうです。
 そのためかどうか、後日(2月1日)、テレビカメラの前でインタビューを受けることになりました。以下そのときの談話を紹介します。
   * * *
――今回、富山県内の建築士が京都市内のホテルを耐震強度偽装していたと報道されていますが、どう思われますか?
こういった事件の一番の被害者はエンドユーザーだと思います。命が脅かされるのですから。残念なのは、どうして着工前に、遅くとも竣工前に、事実が明かされなかったのかということです。
――なぜこのような事件が起こるのだと思われますか?
 個々の案件についての直接の原因はわかりませんが、根っこの部分では、設計者が建物は社会資本であり、居住者および使用者の命を守るものだということを、どれほど意識しているかということだと思います。
――構造計算をする人はそういう意識を持ちにくいのですか?
 仕事の流れ、お金の流れを考えて見るとわかると思います。私ども計算をするものは、建築の設計者から、建築主と打ち合わせをしてまとまった図面を示されて、その建物の構造計算書と構造図を作成します。その設計図書を建築の設計者に納めます。そして後日、その設計料を建築の設計者からいただきます。結局、建築主には一度も会わないことも珍しくありません。
――耐震強度について、検査機関は70%しかないと言い、設計者は充分あると言う。そんなことはあり得るのですか?
 いま問題になっているのは、構造設計の一部、耐震設計についてですが、現在行われている耐震強度の検証法――計算ルート3――について話します。
 耐震要素(柱・梁・壁)それぞれの終局耐力を同一変位下で積み上げて保有水平耐力を求める。一方、建物の必要保有水平耐力を算出します。そして保有水平耐力を必要保有水平耐力で割った商が1より大きいときに耐震強度があると判定します。
 ここで問題なのは、必要保有水平耐力の算出です。これは建物重量に二つの係数を掛けて求めます。一つは建物のバランスに因ります。水平面のバランス(偏心率)と垂直面のバランス(剛性率)があって、それぞれ1.0から1.5までの係数です。もう一つは、耐震要素の剛・柔・靱・脆によって決められる0.25から0.55までの係数です。すなわち、建物重量に掛ける係数は0.25から1.24までの大きな幅があります。
 さらに、これらの係数が決定される際には、構造設計者の裁量に委ねられる建物のモデル化が影響するのです。従って、合理的なモデル化が非常に重要となります。
――こうした問題が起きないようになるためには、どうすれば良いと思われますか?
 まず、建物は人々の命を守り、文化的な生活を保障するものであるという基本事項を確認し、その業務に携わっていることを自覚する。社会システムもまたその基本事項に沿ったものとし、システムが正しく機能するように労働環境を整える。さらに、教育もこの基本を外さないようになされなければならないと思います。
   * * *
 以上がインタビューのダイジェストですが、本多代表幹事の衆議院国土交通委員会での参考人意見(本誌06年10月号)でもふれられている建築士法・弁護士法・医師法の各第一条から私の思いを汲み取っていただければ幸いです。
(富山支部・千代固志)

奈良の景観を守ってきた力と理論――「奈良の景観政策に学ぶ」に参加して

 07年1月24日7時よりハートピア京都で開かれた企画「奈良の景観政策に学ぶ」に参加しました。参加者は学生さんも含め15名でした。
 ふたつのことが印象に残りました。ひとつは、奈良の景観を守ってきた力は、その歴史的な価値を自覚した住民の運動と、それに寄り添うように地道な活動を展開されてきた新建をはじめとする建築とまちづくりの専門家たちであること。ふたつは、その運動を導いてきた景観を守る理論が運動の初期の段階から存在したことです。ここでは紙幅の関係で、後者についてのみ報告します。
 それは、1971年の「奈良市景観整備に関する調査研究」(扇田信也先生)などを通じて理論化されてきた高さ規制についての考え方であり、その骨格は、遠望型景観に対する高さ規制(大景観)と、環境型・町並み景観に対する高さ規制(小景観)の組み合わせで景観を守ろうというものです(図参照)。
 「遠望型景観」は現在京都の新条例案で論議されている「眺望景観」に関する規制とほぼ同じ考え方ですが、奈良の場合には東大寺や五重の塔がその対象となります。京都の場合は限られた視点からの規制であるのに対し、奈良の場合は視点そのものが面的な広がりを持っているという点でより徹底していると感じました。
 一方「環境型・町並み景観」の方は、基本的には通りの表の高さを低く抑え、裏は通りから見えない範囲で高さを許す(表低裏高)というものです。これは京都の職住共存地区における「新しい建築のルール」などに盛り込まれて来た考え方に似ていますが、この考え方はそのまま京都に適用できるものではないようです。この点について木村万平さんは「京都の町家は伝統的に表高裏低でつくられ、それによって、裏長屋も含めた住環境を確保してきた」として反対されていることはすでにご存知のとおりです。この間まちづくり部会で京都の街区の模型づくりをしていますが、確かにそのとおりだと感じています。見え方だけでなく住環境の質の問題として景観を捉えることが必要なのだと思います。もちろん奈良には奈良の住まいづくりの伝統があるのですから、この理論の奈良での有効性を否定しているのではありません。逆に今度奈良町を歩くときはぜひ町並みの裏側の暮らしをのぞいてみたいと思いました。
 京都の景観条例について業界の意見広告が出されるなど情勢は緊迫していますが、質疑討論ではこのことに話が集中してしまいました。川本さんがまとめで話された「その場に来ると歴史的追体験ができ、史的想像力を発揮する余地があるかどうかが(景観の)ひとつの判断基準」ということについて、もう少し深める時間が欲しかったです。
(京都支部・吉田剛)