2017年4月号(No.462)

大震災からの復興とは何だったのか

 ─6年を過ぎた被災地の実相

 

被災後5年間の集中復興期間が終わり、復興・創生期の2年目に入った。政府は復興の進展を謳い、堤防やまちのインフラの整備は進み、原発事故被曝地では避難解除を進めている。しかし、実態としてのまちの再生はまだ緒に就いたばかりで、住宅再建の目途が立たない人が取り残されている。本特集ではこの6年間を振り返り、復興とはそもそも何だったのかを包括的に考えてみた。これからも続く道程を正しく歩むために。

・東北の復興 六年の現実と今後         塩崎 賢明

・住民による復興が生みだすもの

 仙台・荒浜とあすと長町での取り組みから    新井 信幸

・原発事故被曝地/まちの再生は可能か      間野 博

・災害にしなやかに立ち向かう地域力の構築を   鈴木 浩

 

■新建のひろば

福岡支部──「熊本地震に学ぶ」の報告

東京支部──設計協同フォーラム主催「暮らし 健やか 住まい展」の報告

東京・オリパラ都民の会主催 五輪競技施設と豊洲「新市場」の視察ツアーの報告 

愛知支部──「わが町見学会in大高」の報告──大高は今も昔も名古屋南の玄関口──

 

■連載  

《英国住宅物語 3》

 ハウジングの原点 オクタヴィア・ヒルの貢献、LCCの計画住宅開発  佐藤 健正

《創宇社建築会の時代23》建築から政治へ──その後──  佐藤 美弥 

《Work & Work4》酒井田柿右衛門邸 (有)夢木香 松尾進(矢野 安希子・片井 克美)

《20世紀の建築空間遺産19》ロイズ・ビル  小林 良雄 

  

主張『障害者差別解消法への理解を拡げよう』 

建築工房すまい・る・スペース/新建全国幹事会副議長  今村彰宏

 

 障害のある人や私たち障害者運動関係者に、待望の障害者差別解消法が平成28年4月1日から施行されました。

 施行から1年ですが、まだ多くの国民に理解されていません。私はこの1年間に障害者団体や福祉団体など5カ所で、障害者差別解消法について話をしてきました。多く聞かれたのは、名称は知っているが内容は知らなかったとの声でした。障害者団体や福祉団体の方たちですら、理解されていない状況です。

 法律の名称は、「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(障害者差別解消法)」です。富山県では、障害者団体の多くが運動を拡げ、国と同様の富山県条例が、平成28年4月1日から施行されました。富山県条例の名称は、「障害のある人の人権を尊重し、県民皆が共にいきいきと輝く富山県づくり条例(富山県条例)」です。

 国の法律や富山県条例ができた背景は、近年、障害のある人の権利擁護に向けた取り組みが国際的に進展しており、平成18年には「障害者の権利に関する条約」が国連総会で採択されました。日本は、平成19年に権利条約に署名し、国内法の整備をはじめとする取り組みを進め、平成26年1月に批准しました。国は、平成16年の障害者基本法の改正で、基本的理念として「障害を理由とする差別の禁止」と「合理的配慮の提供」を規定しています。

 また、この基本原則を具体化するため、平成25年に「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」を制定しました。日本でも、障害のない人と一緒に勉強をしたり、働いたり、文化活動に参加するといった社会参加がだいぶ進んできました。しかし、まだ障害者の社会参加をさまたげる、たくさんの障壁・バリアがあり、障害者やその家族、関係者があきらめてしまう場合が多いことも国などの調査でわかりました。

 富山県でも、障害のある人を対象に行った調査では、「障害のある人に対する周囲の理解が進んでいない」「進んでいるが不十分」との回答が6割を占めていました。その理由として、多くの人が「障害が正しく理解されていない」ことを挙げました。

 障害のある人もない人も、ともに住みやすい社会が求められます。その社会づくりには、障害にもとづく差別を禁止して、平等な機会・チャンス・扱い(待遇)を保障するために、国の法律や富山県条例が施行されました。

 国の法律や富山県条例の目的は、障害のある人もない人も、互いに、その人らしさを認め合いながら、すべての障害のある人が安心して暮らすことのできる社会をつくり、障害のある人もない人もみんながともに、いきいきと輝く社会をつくることです。

 国の法律や富山県条例でもっとも重要なことは、「障害のある人」とは、身体、知的、精神、その他の体や心のはたらきに障害がある人で、その障害や社会的障壁によって、毎日の生活や活動に相当な制限をうけているすべての人のことで、障害者手帳を持っている人のことだけではありません。多くの国民が障害のある人なのです。私も障害のある人です。この法律や富山県条例を守るのは、障害のある人・ない人、役所や会社、お店など、国民みんなです。

 内容の中心は二点です。一つは障害を理由として、差別はしないこと。二つは合理的配慮の推進です。第一の障害を理由としての差別とは、障害があるというだけで、断ったり、条件を付けたりするなど、障害のない人と別の対応をすることです。第二の合理的配慮とは、障害のある人から「手助けが必要です」と言われたときに、負担が重すぎない範囲で手助けをすることで、「合理的配慮」をしないことが、差別になります。

 法律も富山県条例もスタートしたばかりです。内容を1人でも多くの人に知らせていくことが、すべての人が安心して暮らすことのできる社会になります。

 


[福岡支部]─建まち誌「熊本地震特集号」セミナー「熊本地震」に学ぶ

  日時:2017年2月25日(土)17:00~20:00 参加:28名(会員18名)

  講師:第1部 多賀直恒氏(九州大学名誉教授)第2部 西村正巳氏(M-arc設計)

  第1部は多賀直恒教授による「熊本地震の特性と建築技術者への問題提起」というテーマでの講演。九州地方の地震環境、被害から学ぶこと、被害の実態、被害の特徴、マンション被害の中で非構造壁の被害実態に対しての問題提起。また住宅の耐震化に向けて壁となっている費用負担など、様々な角度の切り口から熊本地震に対する考察がありました。 

 第2部は「熊本地震からもうすぐ1年。地震のその後、熊本の今。そしてこれから座談会」。まず熊本在住の西村正巳さんにより震災直後からの体験談。車中泊や水の確保にも苦労された話。避難所の仮設間仕切を提案した話。住まいるダイヤル・建物修復支援ネットワークでの活動状況。そして自宅マンションの管理組合理事として、応急修理制度の実態の説明がありました。被災者を早急に元の生活に近い環境に戻す制度なのに矛盾した対象範囲の制限があり、加えて別の建築士が安易に居住者への情報提供し管理組合の信頼関係構築にも苦労され、応急処置をどう行うかの方針すらまとまらない状態との事。制度の壁が復旧を阻害している生の声を聞き、震災とは違う被害があることに胸が痛くなりました。

 その後新建会員が見た熊本地震として4名の話がありました。古川さんからは仮設住宅の話(従来の仮設住宅より住戸間が広く木材が多く使用された快適性を増した仮設住宅)、大坪さんからは阿蘇のカルデラが出来た頃までさかのぼり太古の歴史からみた熊本の地形と地層の話、渋田さんからは被害にあわれた住宅の図面を分析した1階・2階の重ね図を明示し、壊れてしまった後を見ても分からなかった問題点(構造上の欠陥)を明らかにしていただきました。最後に矢野さんからは、地震の事を勉強してしる私達に、話は聞いているけれど「実際に防災グッズを整備し、枕元に懐中電灯を置いている人は?」と、核心をついた問題提起がありました。

 

 セミナー後は、近くのお店に場所を移し懇親会にて引き続き13名の参加で感想を話しました。震災後1年になる熊本地震ですが、隣の県である福岡でもNEWSで流れる程度の情報は分かるものの、復興の実態は伝わってきていない事を気づかせていただきました。

(報告 / 巻口義人) 


[東京支部]-設計協同フォーラム「暮らし 健やか 住まい展」報告

  日時:2017年2月25日(土)

  場所:板橋区立グリーンホール2階ホール

 2月25日(土)板橋区立グリーンホール2階ホールで、NPO法人設計協同フォーラム主催の「暮らし 健やか 住まい展」を開催しました。

協賛は東京都学校生協、生活協同組合消費者住宅センター、新協建設工業、エコハウス研究会、東都生協、草野工務店、新建東京支部・神奈川支部・千葉支部・埼玉支部・群馬支部でした。

「住まい展」は毎年、設計協同フォーラムの大きな取り組みとして、講座・パネル展示・無料相談会などを1日かけておこなっています。毎回、集客に苦労し、今年も50名と少なく、課題はたくさん残りました。しかし、耐震診断業務を依頼されたり、マンションの防災の問い合わせや相談があったり、耐震ドアの業者さんに見積もり依頼があり、近くのマンションを見に行くなど次につながる動きもありました。そして、会員と出展業者さん、講座に参加してくださった方々との交流と学びの場となりました。

午前中の講座は千代崎一夫さんと山下が担当しました。テーマは「熊本地震のマンション被害、耐震診断・耐震補強の実際-防災訓練と我が家の減災対策・自宅避難」でした。冒頭で、糸魚川の大火・マンションの火災被害・熊本地震でのマンション被害の状況を映像で紹介し、続いて耐震診断や補強をした6つのマンションの事例を報告しました。築44年になるマンションでは、東日本大震災がおこる前に耐震補強工事をし、その成果があったなど、どのマンションも合意形成に至るまで時間はかかりますが、長く安心して住み続けるために必要な工事であることを強調しました。

午前中の講座の終わりに「非常食をみんなで食べてみよう!」と混ぜご飯のアルファ米にお湯を入れて20分、参加者全員で非常食の試食をしました。おいしいと大変好評でした。

 午後からは、戸建てを中心とした講座をおこないました。はじめに「首都直下型地震に備える! 間違った耐震リフォームをしていませんか?」小野誠一さんが地震のしくみから耐震診断・耐震設計までを具体的に解説しました。診断結果についての注意点や動画を使っての耐震効果など、立体的な講演になりました。また、新建神奈川支部が神奈川県建築士事務所協会主催の仮設住宅コンペティションで最優秀賞を受賞した「未来に活きる仮設住宅を問う」も披露されました。

 午後の2番手は、高本直司さんの「これからの暮らしと住まい-少しのエネルギー消費で快適に暮らせる、安心して永く住み続けられる」で健康を守る省エネ住宅のつくり方として「①健康のために冬の温度を一定に保つ ②地球環境のために省エネが必要 ③断熱することで室温維持と省エネが両立できる ④さらに省エネするためには給湯が狙い目 ⑤太陽光発電をすることで消費エネルギーが計算上ゼロになる」が事例をもとに紹介されました。「原発をなくすことは、人類のミッションです」という力強い思いもこもった内容でした。

最後の講座は、丸谷博男さんの紙芝居「人々の暮らしと”いえ”物語-日本の先人たちの暮らしを想像しながら、日本の家をつづる」と「怪傑ZERO」プロジェクトコンクールの「暮らしのイメージ懸賞作文」募集についてでした。一晩で書き上げたという丸谷さんのデッサンを紙芝居風に語られた講座に、参加者は引きつけられるように聴いていました。

耐震ドア、緊急地震速報の機材、サッシ、遮熱材の展示、住宅生協さんや新協建設工業さんのコーナー、住宅ローンの相談コーナー、「建築とまちづくり誌」紹介コーナー、イラストレーターのふゆはるさんコーナーがパネル展示と併せて、会場をにぎやかにしました。

終了後は同じ会場で交流会をおこないました。課題はいっぱいでも、また取り組みたいという思いがあふれる交流会でした。                 

(東京支部 山下千佳)


[東京支部]− オリパラ都民の会主催

   五輪競技施設と豊洲「新市場」の視察ツアーの報告

  日時:2017年2月26日(日)

  場所:オリンピック施設等の現場、豊洲市場等

2017.2/26(日)、新建東京支部も参加している「オリンピック・パラリンピックを考える都民の会」のバスツァーに参加しました。正式のタイトルは「都民の目で4者協議をチェック!――2017ウォッチングバスツァー オリンピック競技施設はどうなった」という長い名前の企画です。

  参加費2,300円。途中ホテルでの昼食代は別途1,500円。参加者は24名。うち新建からの参加者は5名。視察コースは、①新国立競技場(メインスタジアム)周辺、②臨海副都心の各種五輪施設、③汚染の発覚で開業不能に陥った豊洲新市場です。

 この日は、「東京マラソン」の当日で、東京にはあちこち交通規制がかかっていましたが、私たちの乗ったバスは少し遠回りこそしましたが、ほぼ予定の時刻で移動することができました。東京マラソンは9:10に小池百合子都知事の号砲で新宿の都庁前をスタートしましたが、私たちのツァーもほぼ同じ時刻に千駄ヶ谷駅を徒歩でスタートしました。東京マラソンの優勝者はケニアのキプサング、記録は2:03:58でしたから、私たちがわずか1km弱を歩いてメインスタジアム周辺の視察を終え、外苑前にたどり着きバスに乗った10:30にはキプサングは20km地点あたりを走っていたはずであり、私たちがバスで臨海部の「アクアティクスセンター」の建設予定地に到着したころ、東京駅前では辰野金吾の東京駅舎を背にゴールするキプサングの雄姿が見られたはずです。

 とにかく、熱くなく寒くなく実に快適な日で、解散は16:00築地市場の前でした。大変勉強させられた一日でしたが、詳細は東京支部機関紙「ホワイエ」に2号連続で掲載します。ここでは私の感想を少しだけ述べさせていただきます。

 新国立競技場周辺では、JOCなどは、世界的に有名な建築家ザハさんのデザインを生かすために、風致地区の高さ制限を取り払わねばならないとの説明をしていましたが、それは全く嘘でした。「ザハ案」が潰れてからも80mの高さ制限緩和は撤廃されず、今、周りには高さ制限の緩和に便乗したホテルやマンションやオフィスビルが続々と建築されつつあります。真の目的は周辺の超高層ビル建設の方にあったということが視覚的にも確認できるようになってきていることを確認しました。

 臨海副都心の諸施設では、「半径8kmのコンパクト五輪」というスローガンを打ち出した意図がはっきり分かりました。東京都の臨海部開発の失敗を取り繕うために、「売れない都有地」を五輪施設建設予定地として売ってしまおうという知恵者がいたようです。「半径8km」は既存の施設が競争相手にならないよう排除するものだったのです。

 豊洲新市場では、都は最初は古くなった築地市場を現在の場所で再整備するための工事に一部着手していました。しかし、大企業などが築地を、オフィス、住宅、カジノとして利用する構想を打ち出し、その構想を実現するため登場した石原都知事によって、豊洲移転が決定されました。この土地は石炭を原料として都市ガスを製造する東京ガスのガス製造工場があり、製造過程で生成されるタールが野積みされていたひどい汚染地であるにもかかわらず、生鮮食品を扱う築地市場の移転先とするという決定が行われたのです。そこから後、何が起きているかは皆さんご承知の通りです。

(東京支部・片柳順平)