2016年9月号(No.455)

特集:建築風土の転換──革む文化をリードする

 

この7月に新建関西ブロックが主体になって、関西建築会議が開催された。40年ほど前にも同様の会議が開催されているが、建築を取りまく社会環境は大きく変化している。中山間部から都市まで余った建物があふれる一方、時代が遺した建築とまちを私たちの手で革(あらた)むことの大切さが認識されてきた。本誌でも毎年さまざまな角度から建築のストックや、その活用法が論じられてきた。本特集は建築会議での報告をもとに構成する。いまこそ建築風土を転換するチャンスに立っていることを実践事例を通して共に認識したい。

・今あるモノを革(あらた)む-新技術が人々の生活を潤す!           伴 年晶

・「賃貸共同住宅におけるセルフ・リノベーションの計画技術に関する研究」の紹介 亀山 寿浩

・伝統建築を革む-時代の要求に合ったデザインと耐震化             横関 正人

・つながる広がる商店街に暮らしながら革む                   小島 奈苗

・革める暮らしと六人の住まい-「ことらいふ嵯峨野」の実践から         久永 雅敏

 

■  新建のひろば

・住まい連他3団体開催――「住まいは人権デー」の報告
・東京支部会員有志企画――沖縄基地問題学習講演会 講師 写真家嬉野京子氏の報告
・千葉支部――「仕事を語る会2016」の報告
・東京支部――第1回防災実践報告勉強会の報告
・関西支部共同企画――関西建築会議の報告
・復興支援会議ほか支援活動の記録(2016年6月1日~7月20日)

■  連載

《ハンサム・ウーマン・アーキテクト13》
座談会から2「彼女はハンサムな行動をする人です」     中島 明子
《創宇社建築会の時代18》創宇社、最後の展覧会      佐藤 美弥
《20世紀の建築空間遺産12》レスター大学工学部校舎   小林 良雄
《新日本再生紀行〈 序 〉》 新たな連載を始めるにあたって    片方 信也

■  第30回全国研究集会/分科会の内容と活動報告の募集


主張 『使えるモノに「老朽化」のレッテルを貼ってはならない』

F.P.空間設計舎 大槻 博司

 

「老朽化」とは、辞書によると「古くなって使えなくなる」と説明されているが、私はこの説明は言葉足らずであると思っている。漢字の「老い」と「朽ち」は連動しているのではなく、「古いけど使える」モノはたくさんあり、建物も古くなっただけでは使えなくはならない。適切に維持管理し時代に合わせて改修すれば、古くなっても使えるだけではなく、逆に古い方がよい場合もある。少なくともなかなか朽ちることはない。したがって辞書の説明としては「古くなって放置(放棄)された結果、使えなくなる」とすべきである。
バブル経済の頃、地価高騰を背景に「タダでマンションの建替えができる」という幻想がふりまかれた。いくつかのマンションでは、「老朽、損傷、一部の滅失その他の事由により~中略~過分の費用を要するに至ったとき」という区分所有法の建替え要件を争点として裁判になり、「老朽化」しているとは認定されず建替え決議が無効になった例がある。「このまま使うためには建て替えるほどの費用がかかる」までに老朽化していなければ建替えは認められないという当たり前の理屈を、国は建替えを阻害するとして2002年にこの要件を撤廃し、多数決(4/5)だけで建替えができるようにしてしまった。日本は依然としてスクラップアンドビルドという時代遅れの経済活性化策を転換できていないだけではなく、「特区」という名の無法地帯をつくって刹那的開発を誘導するという、持続可能社会とは正反対の道を進んでいる

本誌前月号は「東京五輪と連動する大都市開発」という特集であった。オリンピック自体は歓迎されるべきものであるが、その肥大化、商業主義、メダル至上主義が指摘され、競技施設については市民の声と財政事情から既存施設の活用が少し増えたものの、国立競技場をはじめとして新しいものをつくりたいという姿勢に変わりはない。そして「東京五輪」を冠した便乗的開発、各種「特区」を駆使した東京大改造の加速の問題を取り上げている。競技施設だけではなく大規模な交通基盤の整備も予定されており、その中で東京都知事選後に特に注目を集めているのが、都心と臨海部の競技場を結ぶ主要ルートであり、70年前の都市計画道路である環状2号線の整備と、その予定地にある築地市場の移転問題である。
築地市場は1988年に再整備基本計画が策定され1991年に工事に着手したが、すぐに中断した。「再整備」とは現地建替えの計画であり、仮設の用地がないからできないというのが理由である。建替えようとするからできないのであって、建替えではなく改修であれば営業しながら工事ができたのではないかと思うが、1935年の開設から80年を超え「老朽化」しているので限界であるという。都が発行しているパンフレットでは「現在地での再整備はできません」ときっぱり言い切り、とにかく移転しかないということである。そして豊洲に新市場が建設され、すでに決定している移転日(11月7日)が迫りくる中で問題が噴出している。各種報道によると、①店舗の間口が狭くてマグロの解体ができない②床の設計荷重が小さすぎる③場内運搬車がヘアピンカーブを曲がれない④土壌汚染対策は本当に充分か⑤繁忙期に4日間での移転は不可能である、等々不安と不満が続出し、延期を求める声が日に日に増大している。使い手の立場に立っていない不幸な施設ができようとしているのかもしれない。場内市場と場外市場の分断、豊洲「千客万来施設」の事業予定者撤退などの、一般客および観光客集客の問題も指摘されている。
「いったん立ち止まって考える」という新知事は、関係者との懇談を行い、築地と豊洲の両方を視察し、リオ五輪の閉会式から帰ったら「総合的に判断する」としている。この「総合的」の中身には、①環状2号線を東京五輪に間に合わせる②築地の跡地を売却して豊洲の事業費を賄う、という既成事実が大きな位置を占め、使い手である市場関係者の声が反映されるのは困難かもしれない。そして東銀座駅から徒歩15分の一等地である築地の跡地利用イメージは「オフィス、マンション、ホテル」と相変わらずの計画だったり、あろうことかアメリカのカジノ会社も狙っていたりと、都民の財産が前世紀的発想の金儲け手段に使われようとしている。
開発前提で「老朽化」と断じるのではなく、さまざまな不便や不具合はあっても、80年経っていても使えているのだから、耐震改修を含む大規模な改修を発想すべきではなかったか。利用をしながらの大改造工事は、その要否の議論は別として、巨大ターミナル駅の大改造で技術的には充分経験済みである。
「古い」だけで「老朽化」というレッテルを貼らず、古いものをうまく使いこなすことに価値を見出す、あるいは革む技術を駆使して価値を付与し、人々の豊かな暮らしに資することが、これからの建築技術者の仕事であり役割であると考える。