2001〜2年主張


主張 (建築とまちづくり2002年12月号)

住宅改善は地域づくり

 

加瀬澤文芳

 

 第二三回全国研究集会(神戸)は全国の会員の豊かな活動経験を持ちより、議論を深めることで大きな成果をあげることができた。私は福祉・介護保健の分科会を担当したが、新建会員内外からの貴重な活動報告を受け、大いに感銘を受けるところがあった。日ごろ障害者や高齢者のための住宅改善に取り組んでいるが、新建会員が関っているものだけとりあげても、その方法は地域ごとにかなり異なり、どのようなやり方が良いというより、地域ごとに到達した方法論ですすめていけばよいと思っている。しかし、今回報告を受けた大阪を中心とした「快居の会」の取り組み方は、いままで私の認識していた方法のいずれとも異なるものだった。そこでは医療・福祉分野の専門家と建築家との連携が強固に形成され、団体のNPO化と、質の高い出版活動、啓蒙活動がおこなわれていた。十数人の設計者が集まって住宅の相談から設計監理に取り組んでいるが、明確に業務として位置付けられ、設計監理費用は団体に納付される。一部は積みたて、往々にして発生する無料相談の担当者の報酬にあて、設計者が過度の負担を生じないよう、なおかつ公平性が保たれるよう配慮がされていた。設計者が集まって度重なる検討がおこなわれた結果だろう。
 高齢者や障害者の住宅改善はどうしても設計者のボランティアに負うところが生じてしまう。介護保険施行後は特にその傾向が顕著だ。住宅改修工事の内容の難しさの割に施工費が少額である。介護保険住宅改修費二〇万円の枠内、ないしはせいぜい数十万円の自治体補助範囲内、依頼者はほとんどが年金生活者など低所得者層で経済的に余裕のある人などめったにいない。施工費の一割程度の設計監理費用が必要だとはなかなか言えず、気心の知れた施工者を起用して、面倒をみてもらうということになる。私が個人的に受けた相談はついこのような処理をしてしまうことがあるが、こんな対応は問題の解決にも設計者の職能の確立にも寄与しない。
 設計者の相談行為が正当に評価され、一定の報酬を保証されるようシステムを確立することが肝要だと思う。千葉「住まいと福祉の会」が行政から委託されておこなっている相談制度は住宅改善の実施を前提にしておらず、取り組みとしては不充分だという批判はあるものの業務を意識せず相談依頼者に率直にアドバイスでき、報酬も保証されている。「快居の会」の相談活動では、自前で報酬を手当てしている。活動を成功させるためには相談行為に対する設計者への報酬を正当に確保することが必要である。
 グループホーム、ケアハウスなど高齢者の生活の場は確かに多様な選択が可能になった。しかし、それが許されるのは一定の条件を備えた人々であり、やはり基本は在宅である。住みなれた地域で住みなれた家に暮らし続けることの大切さはいうまでもない。在宅医療、在宅福祉の前提は住宅の整備である。車椅子など使用するようになったらたちどころに身動きとれなくなってしまう住宅を一つ一つ改善していくしかない。私はそれを地域の医療機関や福祉部門との連携のなかですすめていくことが望ましいと考えている。そして住宅改善の活動はすなわち地域づくりにつながっていくべきだろう。そのことにより、はじめて建築家技術者の社会的責任をはたすことができると思う。


 

主張 (建築とまちづくり2002年11月号)

全国各支部で建築諸団体との積極的な交流を

 

大橋周二

 

 第二三回全国大会決議では、「建築関係団体に対しても、市民・住民本位の建築・まちづくり活動を進める立場から、積極的に協力・協同・交流を呼びかける」という活動方針が示されており、実際に私たち新建会員のなかには、こうした建築諸団体に加入ていたり、その運営に関わっている会員が多数います。
 昨年六月、北海道では初めての試みでしたが、建築士会・建築家協会・建築学会・建築士事務所協会の四団体の後援を得て実行委員会主催で三沢浩代表幹事を講師に招き、「F・L・ライト――建築写真では見られない世界」をテーマに建築講演会を開催し、一〇〇名近い参加者で成功させました。
 この企画がきっかけとなり、建築士会札幌支部との共同の企画としてこの四月から九月まで、「家族と住まいの問題」「都市再生法・建築基準法改正」「札幌のまちづくりを考える」「高齢者・障害者の住宅改善」など「住まいとまちづくり」をテーマに、それぞれの団体の会員が報告者となり、例会を行っています。
 今までこのような企画の開催に経験がないことと、毎月の開催ということで準備を含め苦労した部分もありますが、大きな収穫もありました。
 一つは、例会テーマでの内容が参加者に好評を得たこと。もう一つは、私たち新建築家技術者集団の側からすると、新建を知ってもらう、新建会員がどのような仕事・実践をしているか理解してもらう貴重な場になったということです。
 冒頭に引用した全国大会決議では、その次に「とりわけ建築人の職能問題については、意見交換や交流に留意する必要がある」と明記しています。残念ながらこうした問題について、団体間での交流は行えていませんが、今年の例会のなかでは、設計監理報酬の問題は仕事量との関係で避けて通ることのできない問題として論議になっています。
 前大会では、組織としての財政問題が好転しているなかで、運動そのものをもっと外向きに打って出るものにすることが強調されています。
 今年に入り、建築界をとりまく情勢も、都市再生法の制定や新たなまちこわし・高層マンションの乱立につながる建築基準法の改正問題など、大きく変化しています。今ほど新建の果たす役割が大きくなっている時はないと言えるのではないでしょうか。
 今年九月に開かれた全国幹事会のまとめの発言で、本多昭一代表幹事は、「今提起されている課題の実践のためには、新建会員を全国で一万人の規模へ、全国各支部が一〇倍の組織にならなければならない」という主旨を述べられています。
 先に紹介した北海道での取り組みは始まったばかりです。今年も一一月に三沢代表幹事を招き、建築士会・新建の共催で建築講演会を企画しています。
 こうした取り組みを継続させ、交流の積み重ねのなかで、北海道内における建築関係団体との協力・協同を大きく発展させ、新建としての発言もおおいに行っていきたいと思います。


 

主張 (建築とまちづくり2002年10月号)

地域経済の再生と地域生産システムの再構築をめざして

 

久守 一敏

 

 バブル崩壊によって始まった不況は、十年以上経た今でも回復の兆しはなく、最悪の失業率に見るようにますます深刻になっています。政府が進めてきた経済のグローバル化政策、市場原理の導入による経済構造改革で、地域の中小企業が最も大きな打撃を受けています。不況脱出の最良の方法は、住民の購買力を高め、地域内に幾重もの経済循環をつくり出すことです。破壊的な経済政策から地域産業と住民の生活を守り発展させるため、地域の実情にあった産業の育成と、地元密着型の地域金融システムの確立、住民生活の向上・環境の保全を一体のものとして進めることが重要です。
 公共事業の大手による受注独占と中小零細業者の深刻な倒産・廃業。失業と単価切り下げ等により、ますます深刻になる労働者の生活。「都市再生プロジェクト」と「PFI」方式の導入による都市の破壊と新たな受注独占。自治体財政の癒着による環境破壊と財政破綻の深刻化――。「住宅は、基本的人権の土台、社会福祉の基盤」の全面否定や中小零細業者の整理淘汰が押し進められています。
 建設産業には、地域経済の再生と地域生産システムの再構築を行い、地域に根ざし、住民・自治体・地域社会と一体となった仕事をするという大切な役割があります。「地元の木で家を造る運動」は、そのための一つのきっかけであり重要な視点であると言えます。
 地域の森林・林業の最大の問題は、戦後、営々として植林し管理してきた森林が、採算が取れないために放置されていることです。財界・大企業本位の政治による無秩序な外材輸入の結果、国産材の価格が低迷、生産・加工・流通が全面的に衰退し、加えて、中山間地の農業の衰退を背景に、林業経営者の後継者難、林業労働者の激減と高齢化が進行したためです。さらに、長引く不況下で、住宅着工戸数はここ数年大きく減少し、中でも国産材を多く使う持ち家の着工戸数の減少が目立ち、地域林業は深刻な打撃を受けています。
 反面、森林の持つ機能は大きな評価を受け、注目されています。地球温暖化防止の目標数値を決めた京都議定書の内容がCOP7で合意し発効に向けて大きく動きだしました。わが国でも6%の温暖化ガス排出量の削減が目標であり、森林は3・9%までの吸収源と認められています。
 長野県の田中知事は「脱ダム宣言」を出し、コンクリートダムではなく森林育成に力を入れて緑のダムで治山治水対策を行う方向に行政を転換し、住民の大きな支持を受けています。
 国産材の需要拡大を柱に、二一世紀に展望のある林業を再生する、国産材を大量に使える時期が到来しています。放置されてきた森林が、林業者の暮らしを支えられるものになるように、展望の持てる林業を再生することが必要です。公共施設等への国内産材の使用を強力に進め、国内産材の住宅産直を支援する。間伐材の利用促進と流通加工体制の整備を進める。森林の再生可能なエネルギー資源としての利用を進め、地球温暖化防止や地域エネルギーの自給をはかり、雇用と所得を生み出す。また、地域特産林業を再生し、森林交付金の活用をはかりながら一般林業の再生にも拡大していくことも重要です。
 まもなく全国研究集会が開催されます。今回「地元の木で家を造る活動」の分科会が設けられます。安心して働ける林業の確立を目指し、新規参入林業労働者の確保対策を進め、現役林業労働者の就労対策の整備・充実をはかる。地域の森林を美しく守るために、都市と山村の交流理解を積極的に進め、森林の乱開発を規制し、国土を守り、環境問題を考える。そういった力を強めていくためにも、研究集会の成功がぜひとも必要だと考えます。

(新建築家技術者集団全国常任幹事 京建労常任書記)


 

主張 (建築とまちづくり2002年9月号)

目標や信念を持って仕事をしよう

甫立 浩一

 建築関係者との話の中で出る不況による仕事の厳しさ、新卒の就職難、技術継承の難しさ。設計事務所を経て大工の道へ。自分がなぜこの道に進んできたのか。僕の住んでいる町で、自分がこれからやりたいことは何か。お客さんの信頼に答えるために、常に目標や信念を持って、仕事に取り組んでいく姿勢が大切だと思う。
 大工の息子として生まれ、小学生の時から、夏休みになると、親父と現場に行き、大工という仕事を近くで見てきた。つくることが好きで、小学生の時には、方眼用紙に間取りをせっせと書いている子どもだった。中学生になり、部活から疲れて帰ってきて、親父と親父が建てた家のアフターケアでお客さんのところへ行った。奥さんから、「あなたのお父さんにこんなにすばらしい家を建ててもらったのよ」と、中学生の僕でも理解できた感謝の言葉。後から、親父に聞いた。昔そこの娘さんに感謝のお手紙をもらったと。そして数年前に娘さんが結婚。娘さん夫婦の家も親父が建てた。そして、つい先日も強風で瓦が飛んだようなので見て欲しいとの連絡があった。お昼休みに奥さんが「やっと息子さんも一緒に仕事をしてくれるようになったのですね。良かったですね」と言われた。最初は意味がよくわからなかったが、きっとこれから先も、うちの家や、娘さんの家をしっかりアフターケアしてくれるから安心ということだろうと理解した。
 僕の今住んでいる町は、一九九〇年に道路も舗装されていなかった田舎町。たんぼや畑をつぶして、建売住宅やマンションの建設によって、急激に家が増えてきた。そして一二年の月日が過ぎ、アフターケアまでしてくれる施工会社や工務店が少なく、困った人たちがうちの工務店を覗いては、「少しの仕事ですけど、相談にのってもらえますか」と言って来る。
 先日も台風の前に、屋根を見て欲しいと連絡があり、樋の枯葉の掃除をしてきた。少しずつの仕事で得た信頼から、地元の工務店として、不況の中でもなんとかコツコツとやっていられると思う。確かに昔ほど仕事が多いわけではないと親父も言う。なかなか信頼できる設計者や工務店との出会えないという言葉も聞く。少しの仕事かもしれないけれど、リフォームしたい人もたくさんいる。
 お客さんは本当にどうしたいのか、予算におさまるのか、出来上がった後にどう使われるのかと、要望を聞き出す時ことの難しさを感じることがある。しかし、出来上がった時に、本当にお客さんが満足してくれるものをつくることによって、頂いた感謝の言葉が、自分の励みになることを僕は知っている。
 これから先、いろいろなお客さんと出会うだろう。すべての仕事で、自分が満足することは難しいだろう。でもお客さんが本当に満足してくれたら、きっとこの仕事を選んで、がんばってきて良かったと思うだろう。そのためには、自分がもっといろいろなことに興味を持って、経験を積むことが必要だろう。また、いろいろな人と出会って、交流することも必要だろう。これからも信頼される地元の工務店として、成長し続けたいと思う。
 そして、自分もいつか、「あなたのお父さんがこんなにすばらしい家を建ててくれたのよ」と、お客さんから、自分の子どもに言われるような大工になりたい。

(新建築家技術者集団全国常任幹事 宮工務店)


 

主張 (建築とまちづくり2002年8月号)

欠陥住宅の根絶と品確法後の行方

星厚裕

 

 最近、私の事務所でも欠陥住宅の相談がふえてきた。しかし、ほとんどは完成後か施工後の相談であり、現地を確認しても欠陥は目の見える範囲でしか指摘できず、肝心な構造や地盤、基礎については施工者の資料不足(ほとんど無い)や調査拒否で検証できないものが多い。したがって、今後どう対処するかは弁護士を間に入れて話し合う手段しか残らなくなってしまうというのが現状である。
 相談の内容はいくつかに分類できる。
① 施主も施工者も、建築に対する要求の内容、および使用材料と施工方法が適切でないことを知らなかったことに起因して起きた欠陥。両者の間には設計者が存在していないことがほとんどで、欠陥を是正するには相当な金額がかかる事例が多い。
② 施主の要求が強く、その内容を盛り込んだものの無理があり、無理があるまま強引に施工し、納まり等に欠陥が生じている事例。施工者の説明不足であったり、メーカーの仕様にそぐわない施工を行ったゆえの欠陥で、施工者の認識不足が原因。これらの事例でも設計者は確認業務のみで、監理はしていないことが多い。
③ 地盤や土地の経歴などの調査不足などから生じている欠陥。施主や建売業者が建築時の調査費用を出し惜しんで、家が傾いてきたが欠陥住宅ではないかと相談してくる例が増えている。地盤調査の重要性についての認識が総じて少ない。あるマンションで、大雨のたびに床上浸水する、その補償と改修工事を要求するので原因を調査して欲しいという相談があった。周辺地域で聞き取り調査をすると、近辺の道路は以前から冠水し、建築工事では盛土をするのが常識であるとのことであった。
④ 施工業者の意図的な欠陥。この問題が事例としても一番多い。構造的に致命傷となる釘金物類の欠如、梁などの断面不足。作業工程の手抜き、使用材料の不適正使用、仕上げ工程での手抜き工事など、挙げ始めるときりがない。
 相談業務を受けるたびに、なぜこんなことが生じてしまうのか、なぜ繰り返されるのかとむなしさを感じてしまう。
 品確法の制定や建築基準法の改正など、近年の建築行政の変化は目が回るほどである。その中にも欠陥対策は盛り込まれてはいるのだが、欠陥住宅の根絶になるような手は打てていないと思える。むしろ品確法による性能表示住宅は、もはや大工の職能の域を超えているように思えてならない。住宅金融公庫の廃止が見えている今日、金融公庫仕様がレベルの底を支えてきていたが、その後は性能表示住宅が基準とならざるを得まい。そうなると、もっと欠陥住宅が増えるのではないかと心配している。
 これからは、新築住宅や増改築工事に銀行が融資をする際、性能表示がないと貸し出さないという条件が付くのではないか。つまり性能表示は、銀行からみれば「証券」と同じで、欠陥となればその「証券」の価値はゼロ、当然融資を拒否するということになろう。
 これまでの住宅生産は地元の工務店や大工が中心になって行われてきたが、性能表示住宅はこれを大幅に構造改革する内容であり、住宅金融公庫の廃止とダブルパンチで進んでいく。大工や工務店にとっては危機的状況と言っても過言ではない。そうすると、「意図的な欠陥」が圧倒的に増大する方向で進んでいく危険性がある。そしてそれらの大半は、性能表示住宅ではない一般の住宅の分野で増大していくように思う。
 私たち設計に携わる建築人は、住宅を求める人すべてに対して、住宅を建てるための「基礎知識」を普及させる努力をしていかないと、欠陥住宅対策から抜け出せないのではないかと思う。

(新建築家技術者集団全国常任幹事 アート構造設計)


 

主張 (建築とまちづくり2002年7月号)

暮らしをおびやかす建設市場の拡大策

 

萩原 正道

 長期にわたる経済不況は建設産業を直撃し、中堅大手ゼネコンの倒産、リストラ、仕事確保に懸命となる中小の工事業者、仕事がなく閉鎖に追い込まれる設計事務所等々、私達のまわりには悲痛な声がいっぱいです。
 規制緩和で経済の活性化をとなえる小泉内閣の構造改革と称する政策展開が、建築やまちづくりの分野で激しい勢いで行われています。この数ヵ月の間に、住宅金融公庫や都市公団の廃止が決定され、三月には「都市再生法」と「マンション建て替え円滑化法」が国会を通過、さらに容積率や日影規制の大幅緩和を盛り込んだ「建築基準法」の改定案が国会に提出され、この秋にはマンション建て替えに関連する「区分所有法」の改定も予定されています。
 新建は、公庫の廃止、「都市再生法」、「建築基準法」改定について、それぞれ声明や見解を出しています。
 これらのすべてに流れる共通項は、規制の大幅緩和による自由な経済市場の拡大です。例えば、「都市再生法」では、都市再生特別区に定められれば、既存の都市計画制限のすべてが一旦取り払われ、開発会社が自由な計画をすることが可能となります。「建築基準法」改定では、容積率、道路斜線、日影規制等の規制緩和によって現状より大きな建物が造れるようにしようというものです。また、マンション建て替え関連法では、老朽化の定義を築後三〇~四〇年と法で明記して、厖大なマンション建て替え市場を生み出していこうという目的がうかがえます。
 さらに、構造改革特定目的地区(特区─SPA)構想というものがあります。これは特定の区域について、様々な規制を取り除き民間に開放し、ビジネスに結びつくプロジェクトを実施させようとするものです。全国一律の規制緩和はなかなかすすまないので、ピンポイントで実行していく構想です。例えば、医療特区は病床規制等の医療経営や価格規制を自由化し、レジャー特区では風俗営業などの規制を自由化し、カジノ営業も可とするなどです。この他教育特区、アジアビジネス特区等の多数が地域を想定して構想されています。現在、各自治体に具体的な特区構想案の提出を直接内閣府が求めていると聞きます。特区の認定は総理主導で行い、「各論反対」を封じ込めるとしています。
 まさに市場の拡大のためには「なんでも有り」の状態にみえます。この市場拡大策は、周辺住民や永く続いた社会的規制を無視した大規模な開発が中心で、大資本・大企業のためのものであることは明らかです。バブル型の無秩序な開発が進み、地域住民の平穏なくらしを脅かすことになります。人々の暮らしと地域に生きる建設関係者に役立つ市場拡大策とは思えません。
 「建築とまちづくりにたずさわる私たちは、国土を荒廃から守り、かつ環境破壊を許さず、人々のねがう豊かな生活環境と高い文化を創造する目的を持つ」と憲章でうたいました。今の流れは私達のめざす「憲章」の方向に真っ向から対立するものです。
(新建築家技術者集団全国常任幹事 象地域設計)


 

主張 (建築とまちづくり2002年6月号)

自らのチャレンジ活動のみが職能を確立する

簑原 信樹

 平成一三年度上半期における建築士資格者の登録は、一級建築士三〇万〇一五六人、二級建築士六三万八七九四人、木造建築士一万三四四一人、合計九五万二三九一人、現在ではほぼ一〇〇万人に達しており、そのほとんどが建築士事務所と建設業者に勤めている。建築士事務所は、建設業者の中に存在するものもあるが、個人事務所 六万〇四九四、法人事務所 七万五三六五、合計で一三万五八五九事務所。一方、建設業として平成一〇年度、五六万八五四八業者が登録しており、不況の中で減少していると思われがちであるが、実態は小規模化する形で増えていて、現在ほぼ六〇万に近いものとなっている。
 これら多くの建築士資格者及び建築職人によって支えられた新築住宅の着工件数を過去一〇年間で見てみると、平成八年度の一六三万〇三七八戸を最高に、ほぼ一五〇万戸/年前後であったものが、平成九年を境として、一二〇万戸/年前後と徐々に減少を続け、平成一三年度に到っては一一七万三〇七七戸で、人口減少、高齢化、少子化等の社会的要因から着工件数が一〇〇万/年を切るのも時間の問題となるだろう。
 かなり粗い想定ではあるが、新築住宅の平均工事費を一棟三〇〇〇万円として、建設業者がすべて住宅の建てられる業種の許可を持ったものとし、建築士資格者がすべて住宅設計をしているものとすると、一〇〇万戸の新築住宅を一〇〇万人の建築士資格者が設計して、六〇万社が工事請負をすることとなる。建築士資格者は一人につき年間一戸の新築住宅を設計し、建設業者は一社につき年間一・七戸の新築工事をすればほぼ平均的姿というわけである。建築設計士は新築工事費の一〇%の三〇〇万円を年間の設計料としてもらい、建設業者は一・七戸分のほぼ五〇〇〇万円が年間の工事完成高となる。もちろん、建築工事はすべてが新築住宅だけではなく、公共建築物、商業建築物、工場等もあり、リフォームも建築工事の中で大きな割合を占めるものになっているのだが、多くの建築技術者の姿は、この推測とそれほど遠く離れていないのではないだろうか。
 建築士法第二条で、「設計」「工事監理」は業務として資格を与えられることによって守られた権利とされ、第二一条では、その他の業務を「建築工事契約に関する事務、建築工事の指導監督、建築物に関する調査又は鑑定、及び建築に関する法令又は条例に基づく手続きの代理等」として認められている。また、第二二条では、「建築士は設計及び工事監理に必要な知識及び技能の維持向上に努めなければならない」という義務を負わされている。この権利として守られた仕事は減少の一途をたどっていて、ストックの時代に突入し、仕事の質が変わっている。しかもストックは建築士としての資格がなくてもできる分野が多く、すでに守られた権利だけで生活基盤を支えることはできなくなっている。
 建築家は真に変革していかなければならない。職域を拡げ、その中で専門性の高い能力として何が必要なのかを見極めなければならない。新しいチャレンジを続けることでこそ生活基盤となる職を創り出すことができるのであり、思ってもみない仕事や、誰もしていない仕事の中にこそ、ダイヤモンドや金が埋もれているのである。
(新建築家技術者集団全国常任幹事 簑原アメニティデザイン)


 

主張 (建築とまちづくり2002年5月号)

憲法記念日に思う

水野 久枝


家族は、私たちが最初に出会う最も身近な社会集団であり、その中で私たちは社会生活に必要な基本的ルールを身につけてきました。家族形態を見ると、かつて日本では大家族で暮らしてきましたが、今日では核家族世帯が全体の約六割を占めています。
人々が家族に求めるものは時代の経過によって変化してきており、家族のあり方が大きく問われる時代になってきたと、今日の社会情勢のなかで痛感しています。
戦前の我が国は、個人よりも「家」を重んじる制度をとっていました。戦後の日本国憲法では、家族生活における「個人の尊重と両性の本質的平等」が定められ、法律の上では男女平等が実現しました。しかし、今日においても多くの人々のなかに文化的・社会的な性差による役割分担の意識が残っています。
一九九九年、男女共同参画社会基本法が施行されました。男女の区別なく、個人として能力を生かすことができる社会づくりが進んできていると考えます。しかし、男女共同参画社会の実現には保育や福祉に関する行政サービスの充実やこの法律を活用するための社会システムとしての環境づくりが必要であり、なによりも私たち一人ひとりにも真の意味で性別にとらわれない生き方が強く求められていると思います。
私たちは、家族、地域社会、職場など、いろいろな社会集団のなかで生活しています。家族や地域社会は生まれたときから所属している社会集団であり、生活習慣を身につける場でした。一方、職場や目的を持って自ら参加する社会集団もあり、そこでは自分の能力を伸ばしたり、収入を得たりしています。人間は、社会の一員として生きていくことにより、生活を豊かにすることができます。
個人が尊重される社会の確立に向けて私たちは何をすべきかを考えるとき、今改めて日本国憲法について考えたいと思います。
日本国憲法は、前文に「日本国民は、正当に選挙された国会代表者を通じて行動し……ここに主権が国民に存することを宣言し……日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と明記され、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義は日本国憲法の三つの基本原理として本文に掲げられています。
今の社会情勢のなかで、多くの人が連日の政治報道を見て憤りや政治家への不信感を持っています。しかし、そうした政治家を国政への代弁者として自らが選んでいるという意識を持った国民がどれくらいいるのでしょうか。
五月三日憲法記念日、新聞報道の憲法意識調査(街頭での富山県民一〇〇名アンケート)で“国民主権実感なし”の見出しを目にしました。「憲法で国民主権がうたわれているが国民は主役といえるか?」との問いに81%が「主役でない」と答えています。政治家が主役であり、政治不信に対する不満も述べられていました。私たち一人ひとりの国民主権を確立するための自覚を持った生き方が、これからの日本を考えるうえでとても大切なのだと思いました。
さらに個人が尊重される社会をめざして、私自身も若者気質を理解しながら次代を担う若者たちと機会あるたびに語り合っていきたいと思います。
(新建築家技術者集団全国常任幹事 見浦建築設計事務所)


 

主張 (建築とまちづくり2002年4月号)

「その日暮らし」がいい

丸谷 博男


 地球環境の温暖化が深刻に、そして急速に悪化する中で、あらためて「循環する」ライフサイクルが叫ばれている。
 私たちのごく身近な生活の中でさえ、この循環の実践が容易ではないことを実感している。一歩前に進もうと思うだけでも、壁に当たってしまっているのである。
 循環するライフスタイルということは、無駄がないこと、廃棄物がないこと、環境への負荷が最小限であること、すべてのもののもつ価値と意味を掘り下げて生産と消費のサイクルに組み込んでいくこと、である。行き止まりのないライフサイクルといってもよい。
 さて、戦後の日本経済の根底には何があったのか。そこにあった価値観とは何であったのか。
戦後育ちの私としては、私自身がその戦後経済の申し子でもあるので、あらためて経済の価値を私自身が語ってみようと思う。
 今、一番痛感していることは、出口が見えない日本経済にとって、特効薬としての抗生物質はないということである。政府の金融機関への「錠剤」(浄財)のばらまきは、特効薬にはならず、自らの治癒力を萎えさせてしまったにすぎなかった。元々傷口をふさぐことだけの治療では、健康は戻らない。食材の育成と採集、調理、食し方、そして活動のあり方、それらの有り様を変えなければならないのに、やっていることは見える贅肉を無理矢理落とそうとしているだけなのである。これでは、健康が戻らないことは明らかである。
売る側からの、大量生産、大量供給、マスメディア宣伝の世界には、人間と地球環境が共存する社会哲学が存在し得なかったことは明らかであった。我々は、その原点を変えようとはしていない。小泉内閣への変革への期待も、我々自身のなかに哲学がなかったこと、変革の根幹を熟慮してはいなかったこと、インスタントの変革を期待していたことを物語っている。
何を糧とし、何を仕事としていくのか。何を消費し、何をつくりあげていくのか。目的のない消費こそ無駄であるからである。
 なぜビルを壊すのか。それは目先の経済の活性化のためであってはならないはずである。なぜ消費するのか。それは、生きるためであり、創造するためでなくてはならない。さらには、何を創造するのかという目的が社会的な合意になっていなければならない。それが社会の行方に対してのビジョンであるべきである。ビジョンがあってこそ我慢が存在し得るからである。
 これまでに、「政治」が生んできたビジョンは、消費と破壊と廃棄と地球への近視眼的な負荷の増大でしかなかった。列島改造論、新全総など今となっては毒を隠していた「新薬」としてしか見えない。
政治が長い期間安定し、庶民文化が花咲いていた江戸時代には、「その日暮らし」があった。朝、長屋を出た親父さんが、卸で仕入れた商材をもって、いつもの道を売り歩く。夕方にはいつのもような売り上げがあり、おかみさんに晩飯代として渡す。おかみさんはその足で米屋に走る。安心して暮らせる社会は実は、「その日暮らし」のできる社会なのである。
 日本の経済は、生きるための循環、暮らすための循環という、基本的な商いの原点から出発してほしい。大型スーパーの苦戦も、大手住宅メーカーの苦戦も、すでに価値を失い始めていることを物語っている。
(新建築家技術者集団全国常任幹事 エーアンドエーセントラル)


 

主張 (建築とまちづくり2002年3月号)

学生たちに話しかけよう


山本厚生


 昨年の暮、女子大生が、私の考えを聞きたいと訪ねてきました。
 公営住宅の建て替えにコミュニティ・アーキテクチュアの力が必要だという主旨の卒業論文を書いているといいます。長年住みなじんだ団地の再開発には、住民の直接参加こそが最良の改善につながると思うので、どのように住民の要求を啓発し、計画づくりを支援したらよいか考えてきたそうです。調べたら、日本にコミュニティ・アーキテクチュアという制度はないが、三〇年前からそのような取りくみがあり、それが「新建」だと分かったので訪ねてきたというのです。
 辿り当てて来てくれたことも嬉しかったのですが、それ以上に、論文のテーマを選んだ視点とその追求の確かさに感激しました。
 その大学生に新建の歴史や新しい「憲章」の話、地域に根づいた建築活動や、要求を引き出す設計の仕方などを話し、次週の企画会=忘年会に誘ったら、さっそく来てくれて、その場で新建に入会しました。
 思い出してみると、新建の積極的な会員たちのなかには、学生時代に建築運動へのきっかけを掴んだ人がたくさんいます。学生時代に西山夘三先生やその他の先生、先輩や友人から大事な刺激を受けた人たち、一九五四年から十年余り続いた日本建築学生会議や、一九七〇年から十数年続いた建築学生連絡会などの全国的な交流のなかで、生き方や考え方を学んだ人たちです。
 しかし今は、かつてのような横の繋がりの場もありません。そればかりか、今の学生は大変厄介な状況にいます。
 卒業が近づいても就職が決まらない。卒業後の社会を見ると、暗いこと、嫌なことばかりが目につく。底なしの不況で中小企業の倒産が続出し、大手企業にもリストラがはやり、住宅メーカーも危ないらしい。仕事を増やすための規制緩和が凄まじく進んでいるが、それは環境の保護を放棄することではないのか。しかも、権威のある立場が信じられなくなる汚い出来ごとが多すぎる。
 自分たちは、より良い学校を出て、より確かな会社に入り、幸福な人生を得ることを目標に、せきたてられ、傷つきながら競争に耐えてきたのに、この結果は一体何だ……。
 学生たちがこのように言いたくなるような今日の社会的状況だと私は思っています。
 しかしまた、見方をかえれば違ったものが見えてくるというのも今日の特長です。私たちの学生時代にはなかった条件が育ってきているのです。
 その一つは、青年が自分の人生を自分で選ばないと生きられない時代になったということです。
 女性も男性も自分らしく生きるのが当然になっていく時代だから、それを押えつけるものとの心の葛藤が激しくなっているのです。自分の生きている存在価値を自分で認めたいのに、なかなか出来ない状態です。
 いま一つは、人びとが望む方向に現実を変えていく着実な動きも、見れば見える時代だということです。
 全国各地で人びとの真の要求に応えようとする取りくみがあって、考えや手法を確実に蓄積してきています。例えば、風土と生活になじむ建築、環境と共生する技術、伝統文化の継承と発展、環境破壊や欠陥建築への取りくみ、などなどの追求です。
 冒頭の大学生もそのひとつを見つけ出してきたのです。しかし、多くの学生たちは、自分の人生と未来の見通しを重ねたいのに出来なくて、うずうずしています。
 だからこそ、私たちは今、学生たちへの働きかけを重視すべきです。
 まず、さまざまな機会に話しかけること。要求に見合った企画に誘い、入会を呼びかけること。学生たちの新しい横の繋がりの組織づくりを支援すること。そのためにも、新建内外の教育者の連携の仕方の探求が特に大切だと感じています。
(新建築家技術者集団全国事務局長 生活建築研究所)


主張 (建築とまちづくり2002年2月号)

小泉内閣の「構造改革」この10ヵ月
大不況の長いトンネルは暗くなるばかり、今こそ国民の力で明かりを

今村 彰宏

 小泉内閣は昨年四月に発足しました。小泉総理と竹中経済財政担当大臣は内閣発足と同時に「構造改革」を優先させ、その後に「景気回復」が可能になると主張し、国民に多少の「痛み」も伴うと言ってきました。一〇ヵ月たった今、多くの新聞の社説では、国民の「痛み」は「苦痛」、「激痛」の水準に達していると論じられているます。
 一月のNHKの全国世論調査では、小泉内閣支持率は七〇%を越えています。支持理由は、他に良さそうな内閣はないとのことです。小泉内閣に何を期待しますかでは、四〇%の人が「景気回復」、三〇%の人が「福祉の充実」、一四%の人が「構造改革」と答えています。
 小泉総理と竹中大臣の「構造改革」には二つの柱があります。「財政構造改革」と「規制緩和」です。当初竹中大臣は「構造改革」は三年程でその後景気は回復すると言っていました。昨年一一月の参院予算委員会で、竹中大臣は「仮にあなたのシナリオどおりうまくいったとして、あと何年後に景気がよくなるのか」という問いに対して、「はっきりと成果があらわれるまでは、やはり一〇年ぐらいの忍耐が必要でしょう」と答えています。昨年、青木建設が倒産し、協力会社を入れると一万人以上の人が失業となった日に、小泉総理は記者会見で、青木建設の倒産は「構造改革」が順調に進んでいる証であると言っています。
 竹中大臣の専門は国際金融や国際経済です。小渕内閣時代から経済諮問会議の中心メンバーで、銀行に公的資金を入れることを勧めた人です。銀行や大企業の国際競争力が優先と考えている人です。大臣はその著書『みんなの経済学』で、「日本国はつぶれてもソニーは生き残るでしょう」と述べています。
 この一〇ヵ月で株価が大幅に安くなり、国民の消費は悪くなる一方で、銀行貸出は減少しつづけています。銀行は預金を〇・一%で預かって、三%で貸出すという三〇倍の高利貸業なのです。高利貸業は貸出が減少すれば経営は苦しくなります。大企業や銀行は資産として、多くの企業の株を保有しています。株価が大幅に安くなり、資産が減って経営が悪化しています。国民消費が減少して、中小企業や零細企業も含めてほとんどの企業で経営が悪化し、企業倒産や廃業は増加しつづけています。失業率も最悪を更新中です。私の知人の企業(中小企業)では、昨年の三月はぎりぎり黒字体質でしたが、今は完全に赤字経営になっています。この一〇ヵ月で、黒字が減少した企業、黒字から赤字になった企業、赤字が増加した企業が、経済誌などによると、ほとんどのようです。国民世論調査では、生活不安や老後の不安が消費を減少させています。私はこの一〇ヵ月で所得が大幅に伸びた人を三人知っています。一人は小泉総理です。写真集やグッズの莫大な売上からの所得です。二人目は息子の孝太郎氏です。莫大なビール会社のコマーシャル料やタレント収入です。三人目は竹中大臣です。大学教授に加えて、大臣報酬や講演料等が所得倍増以上といわれています。
 景気を回復させることが急務です。まず生活不安や老後の不安を取り除くために、雇用の安定と医療や福祉の充実が必要です。その結果、消費が活発になり銀行の貸出姿勢も緩和され、企業も新たな設備投資が可能になります。竹中大臣は一〇年忍耐と言っていますが、この不況がさらに深刻となり、国民は一〇年後には生活できなくなると考えます。
 今大事なことは、予算の優先順位です。国民生活、医療や福祉の充実、雇用の安定等を特別優先すべきです。一月二一日から通常国会が始まり、地方自治体の議会も二月に始まりました。国民一人一人が自らの支持議員に景気回復の優先を話して、今までの方針を転換させ、トンネルの先に明かりを灯すことが必要です。
(新建築家技術者集団全国常任幹事 ナべタ築設計事務所)


主張 (建築とまちづくり2002年1月号)

新建第23回大会期の初頭に立って
 
片方 信也


 新建築家技術者集団は01年11月23~24日、松本市において第23回大会を開き、21世紀初頭の大会期のスタートを切った。
 小泉内閣の「構造改革」のもとで不況と失業、中小企業の倒産などますます深刻さを増している経済状況のなかでも、この困難にまけず大勢の市民・住民とともに住まいづくり・まちづくりの協同が前進しており、その発展の方向性について確認した大会となった。分散会などの討議では、とくに住宅金融公庫や都市基盤整備公団などを廃止する政府の方針が公営住宅法の制定とともに始まった戦後日本の公的住宅政策の根本を変え、国民の住宅問題をいっそう深刻にする点で、この政策につよく抗議する必要性が強調された。
 また、欠陥建築問題とその原因ともなっている技術の荒廃などへ適切な改善の手立てを講じる取り組みの重要性が指摘された。品確法、性能保障制度、建築基準法の改訂による民間建築主事の導入にともなう影響等については、今後も十分注目して住み手の立場からその検討を加えていくことが確認された。規制緩和や建築行政の仕組みなどが政府のかかげる「骨太方針」によって急速にかえられつつある。それらへの迅速な批判的検討と対応が迫られることが頻繁におこっており、新建としても全国幹事会のもとで情報収集し、タイムリーに対応する活動が必要との意見があった。
 活動方針の基調は、新建30年をふまえ、21世紀始めにふさわしく、建築活動を発展させること、そしてそのための全国の組織方針を掲げた。建築活動の発展では人々の生活空間改善の要求に応える専門家としての質の高い日常業務・活動の展開やさまざまな実践の交流で研究と理論化をはかることなど。また、全国の組織方針では22回大会期が財政基盤を大きく改善してきた実績を踏まえ、支部活動の前進、「元気印局」などの強化、会員と読者の積極的な拡大、『建築とまちづくり』誌のいっそうの充実などをはかるとした。財政の健全化で新建運動の確信が膨らんだ点が今大会の特徴である。
 今回の大会のもう一つの大きな特徴は、採択以来の「綱領」をその呼び名を含めて改め、「新建築家技術者集団憲章」を採択したことである。6年にわたる会員全員の討議を経て採択された「憲章」のもっとも大きな到達の一つは、前文に「建築とまちづくりにたずさわる私たちは、国土を荒廃から守り、かつ環境破壊を許さず、人びとのねがう豊かな生活環境と高い文化を創造する目的をもつ」ことを明確にうたった点である。
 これは、建築とまちづくりは人びとのねがいに応えることが本質であるとの新建運動の積み上げによって得た会員の総意による認識を明文化したもので、その到達は歴史的な意義を持っている。それは、この本質を明確にしたことで建築やまちづくりにたずさわる私たちの社会的な責任を含んだ専門性の確立の方向を明示したということである。また、「憲章」では、各項目の表現が平易になり、理解しやすいものとなった。
 わたしたちはこの「憲章」を多くの建築家技術者にひろめ、ともに大きな潮流を形成するために惜しみない努力を続けたいと思う。
 23回大会期は、「憲章」採択に象徴されるようにこれまでの30年の蓄積を踏まえたあらたな質を画する期間となる。その具体的なあらわれは文字どおり会員と読者を二〇〇〇人の大台にのせることであり、そのための働きかけをひとまわり大きくできるよう改めて決意したい。

(新建築家技術者集団全国幹事会議長 日本福祉大学教授)


 

主張 (建築とまちづくり2001年12月号)

修繕からリノベイションへ
マンションを取巻く社会的環境の変化の時代を迎えて

 

大槻 博司

 一九六二年に区分所有法が制定された頃から本格的に供給されてきた分譲マンションは現在四〇〇万戸に達しようとしています。二〇年後の一九八二年には標準管理規約や標準管理委託契約の策定、一九八三年には区分所有法の大幅な改正などを経て、当初マンション管理というものがどういうもので、何が問題かわからなかった時代から、その重要性、施策の必要性が認識され、徐々に具体化されはじめ、昨年から今年にかけての新たな法律の制定、施策の策定という大きな変化の時代を迎えています。
 「マンションの管理の適正化の推進に関する法律」(以下・マンション管理適正化法)という新しい法律が二〇〇一年八月に施行されました。その第一条に「この法律は、土地利用の高度化の進展~中略~マンションの重大性が増大していることに鑑み、マンション管理士の資格を定め、マンション管理業者の登録制度を実施する等マンションの管理の適正化を推進するための措置を講ずることにより、マンションにおける良好な居住環境の確保を図り~後略」とこの法律の目的を謳っています。マンション管理士という新しい資格をつくり、管理業者を登録制にすることだけで「マンションにおける良好な居住環境の確保」されるわけではないと思いますが、この法律をつくるための基礎となった国土交通省レベルでの議論は、大まかに次のようなポイントで総合的に検討されたということです。
①マンション管理組合の支援体制、相談体制の強化
②マンション管理センターの強化
③積立金管理の改善~積立金を有効に保管できる体制の検討
④管理会社の改善・育成~マンション管理の専門的企業体として育成
⑤区分所有法の見直し
⑥マンション管理のプロの育成
⑦長寿命化と建替え対策~長く使うための施策、建替えをスムーズに進める施策の検討
 つまり、マンション管理適正化法はその結果のひとつに過ぎず、今後国だけでなく地方自治体での施策の充実を含めて発展させていこうというものです。
 これらの公的な施策、支援が徐々に進んできている背景には、マンションの居住者団体の自主的な運動、マンションの維持管理に関わる技術者団体の活動と無関係ではなく、むしろ少なからず影響を与えているといえます。関西では一九八一年に関西分譲共同住宅管理組合協議会(関住協)が発足し、マンション管理の問題が徐々に現れてきた時代に、様々な相談活動を行い、経験を交流して維持管理のノウハウを積み重ねてきました。その後、維持管理や具体的な大規模修繕等を技術的にサポートする団体として集合住宅維持管理機構が一九八四年に設立され、今日に至るまで、延べ約九〇〇の管理組合に対して建物の調査や修繕計画づくり、改修工事の設計監理などの支援を行ってきました。このようにマンションの維持管理の経験が積み重ねられ、公的な施策、支援も本格化の兆しが見えてきたことで、マンションの維持管理は管理組合自身が主体となって、公的な支援や専門的なサポートを得ながら進めていくべきものであることは広く浸透しています。視点を変えれば、フローの時代からストックの時代へ移行していくべきであることの認識が高まり、私たち専門家にとっても維持管理や改修の技術の重要性がますます高まっていることは明白で、そのことで人々の生活空間を支えていくことが大切な仕事になっているといえます。さらに、今ある空間をそのまま長持ちさせるだけではなく、改造したり付加することで、地球環境にやさしく、すべての人々にやさしい空間につくり変えていくことなど『リノベイション』という観点を持って、より豊かな生活空間づくりを目指していく必要があると思います。
(新建築家技術者集団全国常任幹事・F.P.空間設計舎)


 

主張 (建築とまちづくり2001年11月号)

「マイナスからプラスへ」 同時多発テロ事件から

平本 重徳

 

 9月11日、アメリカ、マンハッタンの世界貿易センタービルの崩壊の報道には、ほんとにびっくりした。飛行機の激突、火災、そして約四〇〇mの超高層ビルが垂直に沈む姿。こんなことが世の中にあるのかと、まるで映画を見ている感じがしたのは、僕一人ではないであろう。それから、二週間あまり、テレビ・新聞は、アメリカの報復のニュースを流している。アメリカばかりでなく、全世界が、テロ撲滅運動に走っている感がする。
 テロは良くないし、なくすべきだと思う。しかし、アメリカ対テロ集団の対立において、何の罪もない一般市民が巻き添えになるという図式が問題なのであり、それが政治の大切な部分であるのに、戦争という道に走り、それを全世界が是認するような流れは賛成できない。報復が報復を生み、一般市民が多くの犠牲を強いられ、人間にとって生きる望みが失われていくであろう。善良な市民が希望を失ったら、地球はお終いだと思う。真の世界平和に向けて、対等・平等な話し合いや国際法廷での裁きが行われてこそ、このテロの解決ではないか。全世界の国々が、今こそ同じ土俵に上がり、平和に向けて議論すべきである。
 我々建築家・技術者は、平和があってこそ仕事ができる。今まで造ってきたものを大切にしてゆかねばならない。もし、アメリカとそれに追随する国が、戦争へ行動すれば、これからたくさんの市民が犠牲になり、多くの建築物が崩され、自然が荒らされ、動物も含めて、被害が甚大になることは言うまでもない。何とかこれ以上破壊が行われないように、世界世論を起こしたいものだ。アメリカでは、小さいかも知れないが、市民グループによるテロへの報復の反対運動が起きている。「報復から報復へ」はさらに拡大し、終わりがない。人類にとって大きなマイナスではないか。世界世論で、全世界の人々が、平和で生きていける地球を求めたいものである。
 日本でもアメリカに従うばかりではなく、報復に反対し、国際法に基づいた司法の場で今回の事件を処理する運動を起こすべきだと思う。
 「貧困な国を援助する」という正論は、その真実を調べると、文化の欧米化であったり、経済支配であったりして、その国の何千年という歴史の中で醸成された生活文化が、むしろ壊されてしまうことが多いのではないか。これでよいのかという疑問が残る。
 日本の都市も家も、近代化・欧米化と称して、日本の古くからの文化がなくなってきている。新しく造ることは良いとして、古いものを壊すことが、衣食住、全てにわたって横行していると思う。
 長い年月で造られたものには確実に良いものが残っているはずである。日本人の日本人たる価値基準を見つめ直し、古いものを壊さず、新しいものを加えてゆく考え方、すなわちプラス指向の行動を起こそう。今からでも遅くない。自分のすぐ廻りの人々とじっくり話し合って、日本の百年先の道筋を見出していこうではないか。
(新建築家技術者集団全国常任幹事 平本設計)


 

主張 (建築とまちづくり2001年10月号)

ゼセッション建築とこれからの建築デザイン

 

竹山清明

 

 この8月に、久しぶりにヨーロッパへでかけ、ウイーンで、オットー・ワグナーを中心としたゼセッション(分離派・オーストリアのアールヌーボー)の建築群を見た。
 ゼセッション建築については、今年の建築とまちづくり5月号「建築論」特集の拙文で、これからの市民に理解され支持される空間デザインを考える上でのモデルになりうるものではないかとの提起を行った。モダニズム建築や現代建築が、抽象的な芸術性を追求するあまり一般の市民には理解できない難解な、逆に商業主義に偏重するあまり文化性・芸術性を放棄した低質な、市民が文化的に好み望むものとは別のものになってしまっている傾向が強いことを指摘した。そして、モダニズム建築に近い技術を用いながら市民に文化的に支持されやすく芸術的にも質の高いデザインのあり方の可能性を示すものとして、ゼセッション建築の価値を、写真集などの情報を元に評価したものである。
 今回、ウイーン市内外の二〇を超えるゼセッション建築を見て回ったが、外部デザインの質は予想以上に素晴らしいものであった。周辺の街並みとバランスを取りながらきらりと輝く魅力があった。やや重苦しい様式建築が並ぶ中で、ゼセッション建築はさわやかな雰囲気を醸し出していた。写真集で見慣れた建物がほとんどであったが、持っていた印象よりは小さめのヒューマンなイメージが感じられるコンパクトな建物が多かった。
 少なくないモダニズム建築も街並みの中には並んでいた。しかし全体としては退屈で生硬な印象のものが多く、街並みを魅力化する力はないように感じられた。中心部の旧市街には、ホラインなどによるポストモダン的な商業建築やファサードデザインが多数見られた。我が国にも建築デザイン誌でよく紹介されているものである。それらのデザインは、現代建築の歴史を示すものとして既に行政指定の保存建築となっているものもあったが、現実に歴史的な環境の中で見ると期待していたほどの魅力は感じられなかった。
 それに対し、ゼセッション建築はシンプルな装飾を魅力的に示すことにより、分厚い歴史的建築に負けず、街並みに大きな魅力を与えていると感じられた。その造形は、様式建築風の彫刻の並んだ仕上げもあるが、直線を中心にやや抽象的なデザインが多い。しかし抽象的なデザインといっても、一般の人々にとっては難解ではなく魅力を感じやすい形を実現しているように思われた。技術的にいえば、彫刻家・熟練職人的な高い個人技に依存することなく、近代的な工業化工法にも矛盾せずに実現できる工法によるものが多いように判断された。例えば、色タイルを塗り壁に並べるなど簡単な技術で、魅力的な壁面デザインを創出していた。このようなデザインの手法は、現代建築であっても十分に利用・活用できるものであろう。
 我が国に限っていっても、モダニズム建築デザインを学んだ私たち現在の建築家技術者は、計画・構造や工法に基づく必然的なそして抽象的な構成以外は、意図的な造形を行うことは罪とされ、ほとんど学んでこなかった。建築デザイン誌を飾るアトリエ派のデザインも同様で、一般の市民が理解でき愛でることのできる魅力的なデザイン力は獲得できていない場合が多い。それを大きな原因の一つとして、わが国の建築や街並みは混乱の中に沈んでいる。
 人々が支持し、それ故に魅力的な街並みを形成できる総合的で魅力的な建築デザイン創出の必要性と可能性を、ゼセッション建築が強く主張しているように思った。
(新建築家技術者集団全国常任幹事 京都府立大学)


 

主張 (建築とまちづくり2001年8/9月号)

不況の中の「技術の荒廃」に思う

髙橋 偉之


 本誌五月号で、最近の京都でのマンション建設ラッシュによる乱暴なまちこわしが摘発されています。本稿では、新たなマンション建設ラッシュの中での「技術の荒廃」について述べたいと思います。
 最近かかわった例でいえば、築二年のマンションですが、クローゼットの中の湿気がひどくカビもはえている――これは外壁に断熱材が入っていないから、雨もりがする――これはコンクリート打継ぎの処置がきちんとされていないから、浴室床から水があふれた――これは超安物のトラップを使っているから、雨の日に外階段から降りようとしたら出たところで床が水びたし――これは竪樋の位置のつけちがい、という有様です。設計図自体があいまいな表示しかしていない部分が多々あります。
 結露とか雨もり、水もれとか音の問題とかは、以前からくり返し指摘されてきた欠陥ですが、減少するよりむしろ最近の新築マンションの中で、ふえて来ているように思われます。
 不況の中で仕事が極端になくなっている、わずかにマンションだけが新築物件の対象になって、建設費のせり下げ競争が止まるところを知らず、その結果は無残な質の低下(欠陥の発生)になっています。
 「技術の荒廃」は目をおおうばかりです。今の世の中でこんな欠陥商品が売れるのは、建築の分野だけではないでしょうか。
 不況であろうが、当面生き抜くための便法であろうが、住まいとしての当然な適切な質を保証しない家づくりは、社会的に許されるわけがありません。技術者のあり方が問われます。
 それをふまえた上で、もう少し考えます。
 日銀の発表した六月の企業短期経済観測調査によると、景況感は一段と悪化しています。こうした中で出されている「不良債権の処理」がすすめば、建設関係の中小企業に対する影響は計り知れないといわれています。「技術の荒廃」を止めるためにも、政府・地方自治体は、中小建設業(零細設計事務所も含む)の仕事確保のために抜本的な施策をとるべきです。
 例えば介護支援のための住宅改造費の助成を大幅にふやすこと、例えば公共事業を見直して、住民にとって身近かな小公園の充実とか、小・中学校の古い施設の更新とかの建設予算をふやすこと、例えば老朽化した住宅地域の、住民の意志にもとづく再開発に積極的にとりくむこと、など。
 また建設関係者は、民間賃貸住宅居住者への家賃減額、家賃補助の実施、ローン減税の拡大、一定面積までの住宅への固定資産税や相続税の非課税化、老朽マンションへの支援など、住まいを求める多くの国民の要求にも目をむけるべきではないでしょうか。
 「技術の荒廃」を止めるためにも、不況を生き抜くためにも、私たちは住民やさまざまな分野の人びととの協同をつよめていきたいと思います。
(新建築家技術者集団全国常任幹事  みんなの建築設計社)


 

主張 (建築とまちづくり2001年7月号)

「木と森林の再生」に向けて 

加瀬澤 文芳


 今夏新潟で開催される建築とまちづくりセミナーは「木と森林の再生」をテーマに行われる。建築の世界だけでなく、ひとびとの営みすべてに環境共生、循環型生産システムが望まれる二一世紀。その最初のテーマとしてまことにふさわしいと思う。同時に、木造建築の設計に携わるものとして切実に身に迫るテーマでもある。「木」特に国産の杉、桧といった建築用材の美しさ、柔らかさ、温かさ、自在な加工性は他の材料にはない魅力があり、私達を惹きつけて止まない。それが、植物の太陽エネルギーを吸収、蓄積するという自然の力によって、くりかえし生産されるのであるから、まったく素晴らしい。二一世紀どころか遠い将来にわたって人間の生活に寄与していく素材であろうと考える。身近な里山も含め、木材生産地が適切に管理され、木材を産出していくことができれば、山を守り、水を清浄化し、川や海を蘇らせて、国土を保全していくことになる。地域産業を活性化させ、大量に放出される酸素は、ひとびとの健康と地球環境をまもることにつながる。
 ところが、国内の木材生産地の現状をみると、極めて厳しい現実に直面している。大量に輸入され低価格で流通する外材の前に国産材は圧倒され、生産原価を割った水準に甘んじることを強いられている。林業家は意欲を失っていき、多くの林産地が荒れるにまかせる状態に陥ってしまった。町場の材木屋でさえ次々と廃業している有り様である。価格を下げるため、一番使われる杉の並材は乾燥度が足りない生材のまま市場に放出される。生材は変形が大きくて、しばしば壁の亀裂などを生じさせ、クレームの原因となる。意義を認めて国産材を使おうとしても、仕事にこだわりのある大工に限って二の足を踏む。ツーバイフォー用材などできれば使いたくないが、こちらのほうが乾燥度、強度ともよほど信頼がおけるのである。
 もうひとつの大きな問題は、大工技術の変質である。低下という生易しいものではない。現場にカンナを使ったことがない大工が入るようになった。カンナを持たないくらいだから、当然墨付けやきざみも経験がない。プレカットで加工した柱梁を建前し、造作材は樹脂でコーティングした既製部材を接着材と釘でとり付けていくハウスメーカーの手法が町場の工務店でも一般的になってきた。伝統的な軸組み工法においては材料の見たてが大事である。材料がどんな素性を持ち、どのように変形するかを読んだ上で使い方を決め、継手仕口を選んでいく。組みあがった架構は材料が変形していくにつれしっかり固まり、安定して、全体としての強度を増していく。それだけの技量と眼力を持ち合わせていないと変形の大きな国産材を扱うことはできない。プレカット工場にはとても期待できない芸当である。
 地元の木あるいは国産材を使って家を建てることは理想だが、なかなか簡単にはいかない。費用を出せば済むという問題でもない。素材の品質、乾燥度の確保。未だ市井に存在する高い技術を持った大工を表舞台にひきだし、後継者をどう育成するか。さらには、産地から建て主までを組織し、流通を確立するためにはどうしたらよいか。そして何より、大工連中から厄介な存在と受けとめられている設計者の総合的な技量を高めることが求められよう。
 木造建築文化はいま瀬戸際に立っている。新建会員共通の課題としてその復興に取組むことを訴えたい。「建まちセミナー」がその契機となることを願う。
(新建築家技術者集団全国常任幹事 加瀬澤建築設計室)


 

主張 (建築とまちづくり2001年6月号)

「木と森林の再生」
「建築とまちづくりセミナー21in妙高」の成功を!

大橋 周二


 私の住む北海道の森林面積は五五八万haで、道内総面積の七一%が森林に覆われています。この森林面積うち国有林は五七%で過半数を占め、道有林一一%、市町村有林五%、私有林は二六%、従って、国・地方自治体の所有下にある森林は七四%を占め他府県より圧倒的に多くなっています。
 統計による伐採量の推移は、五〇年代から七〇年代前半まで一〇〇〇万㎡だったのが九八年には二〇〇万㎡台に大幅に減少しています。これは、伐採後の「天然の更新力を活用」という名のもとに、人工を加えないなど、天然資源が劣化した結果と言われています。
 また、九〇年代には道内大手製材工場の倒産が相次ぎ、九〇年に六三一工場六八〇〇人の労働者が、九八年には四二五工場五三〇〇人に減少するなど製材工場の経営も厳しいものがあります。
 こうした林業の実際は、全国各地に共通する現象ではないでしょうか。
 今年八月二四日から二六日に開催される新建主催の「建築とまちづくりセミナー21in妙高」(新潟県妙高高原町)は、いままでの地域独自の「まちづくり」の実践から「木・森林」をテーマにかかげて開催されます。
 三日間の講座内容としては、「近くの山で木の家を造る」「人工林を蘇らせる」「杉間伐材を利用した家具造り」をテーマとした三講座と、下草刈り・枝打ち体験、人工林見て歩き、森林散策などの「山林作業の体験」講座が準備されています。
 また、開催地周辺の上越市(越後高田・直江津)をはじめ安塚町雪国のまちづくり、高柳町かやぶきの郷の見学など多彩な企画も準備されています。
 新建が毎年開催している「建築とまちづくりセミナー」は、「若い会員や新建外の人が市民・住民本位の建築・まちづくり活動の魅力と展望を学びあう場」(新建第二二回大会方針)として、毎年大きな成果をあげてきました。
 日本は、世界中で最も恵まれた森林の生育環境を保有する一方、世界一級の木材消費国でありながら、森林は手入れ不足のためかつてなく荒廃しています。言うまでもなく手入れのされない人工林などは、建材の問題にとどまらず、防災・資源・環境問題に密接に結びついています。
 建築技術者として、単に建設で扱う建材としての「木」の枠を越え、もっと大きな視点から、環境問題をはじめ、「地域づくり」や「まちづくり」の根幹としての「木・森林」について考えてみることが必要だと思います。
 建築とまちづくりに関わる皆さん、全国からの参加を呼びかけます。

(新建築家技術者集団全国常任幹事 大橋建築設計室)


 

主張 (建築とまちづくり2001年5月号)

新たなマンションラッシュに思う

久永 雅敏

 今、京都の都心部ですさまじいマンションラッシュが起きています。これまでと違い、歴史的都心部に集中しているということと、容積率いっぱいを使い、土地価格の下落と不況による工事費の低下を背景に、『都心部にこの価格で』という「安さ」を売りにした分譲が新たな特徴です。バブル時には「億ション」と呼ばれた高級志向のマンションがまちを壊しました。その時期に建ったマンションの隣に、今またマンションが無秩序に乱立し始め、「マンション銀座」と呼ばれる様相を呈している地域も見られます。
 キャッシュフローという経済行為を押しつける金融資本が、バブル以降放置されてきた土地で商品としてのマンション建設を支援し、まるで誰も喜ばない新たなマンションラッシュを生み、まちこわしを推進している構図に、「まちづくりとは誰のために?」と思わずため息をつきたくなります。
 とりわけ都心部である中京区のマンション建設がひどい状況です。「不動産経済研究所」の調査によると、中京区におけるバブル期(八四年~八九年)の年間販売戸数は四〇〇~五〇〇戸でしたが、九七年以降はその水準をはるかに超え、二〇〇〇年度には八〇〇戸になっています。
 職住共存の歴史的都心部を乱暴に破壊するマンションの典型的な例が、その中京区に起きています。市役所の南、姉小路通り界隈に、東西の長さ五四mに及ぶ一一階建てのマンョンが計画されているのです。著名な建築家で京都大学の教授でもある高松伸氏の設計が売りになっています。姉小路通り界隈は自営業の店や住宅が静かなたたずまいをみせる、都心部のまちの歴史を物語るような落ち着いたところです。九五年にマンション計画が持ち上がり、反対運動が起こりました。その反対運動をきっかけに住民、事業者、行政のパートナーシップによるまちづくりの運動が実を結ぼうというときの今回の計画です。このマンション計画の特徴は、歴史的街区の東西いっぱいにまるで屏風のように建ち、東半分と西半分が二つの学区にまたがっているということです。培われてきた自治会組織を二つに分断しかねない計画なのです。巨大さによる近隣への影響もさることながら、歴史的なまちの成り立ちをもとにしたコミュニティーが破壊されるとして、住民側は建物を学区の境で東西二つの棟に分けることを要望しています。大事にしてきたコミュニティーに配慮して欲しいというごくささやかな要望です。まちの成り立ち、自治組織、人々の落ち着いた暮らし等々、営々と築きあげられた歴史の蹂躙ともいえる乱暴なまちこわしについて、ディベロッパー、ゼネコン、建築家は責任を厳しく問われているのです。
 私たち新建京都支部はバブル期の真っ最中、まちづくり部会を発足させ、特に都心部の居住問題に取り組んできました。京都計画88を発表したり、三都フォーラムで緊急提言をしたり、住民運動との連携を前提にした活動でした。そうした活動を通じて、都心部に過大すぎる容積率が設定されていること、現状はそのような過大な容積率は必要でないことなどを調査をもとに明らかにしてきました。現在のマンションラッシュを見ると、今まさにそのことが証明されていることを感じます。行政ですらダウンゾーニングをいわざるを得ない状況も起きています。
 まちは人々の暮らしを前提につくられるはずなのに、今まちを商品経済が破壊しているのです。時々、絶望感すら感じることもありますが、ねばり強いまちづくりの運動しかこの状況を押しとどめる道はないのだろうと思います。都心部の暮らしに応じた用途地域や容積率の見直しや、そこに住む住民の要望に応え、支援するまちづくり行政が求められています。私たち建築技術者はそのことを声を大にして訴え続ける必要があります。
(新建築家技術者集団全国常任幹事 企業組合もえぎ設計)


 

主張 (建築とまちづくり2001年2/3月号)

 

日常業務として新建運動の前進を

 

久守 一敏


 私が住むマンションで管理組合の総会が開かれます。三棟一五建物六~七階建六四〇世帯の大規模マンションです。
 今期の課題として二つのことが新たに提案されます。一つは、管理組合による完全自主運営の方向を打ち出すこと。住民自治意識の向上と住民としての専門家の参加で作り上げようとしていますし、外部の多くの専門家とのネットワークも作られようとしています。これに対して、大手デベロッパーも懐柔策などで取り込みに躍起になっています。
 もう一つは、マンションのすぐ近くで行われている高速道路とそのランプ工事など、住民の健康と良好な住環境への悪影響に対応するために、自治会と管理組合との協同の中で恒常的に環境対策委員会を設置し、地域住民や近隣自治会と相互に情報交換しながら周辺環境の影響に対処していこうとするものです。工事説明会は、アセスメントと一連の手続き問題、当初説明会開催通知を一部にしかしなかったこと、排気塔や跡地利用、料金所での一時停止、国と市環境基準の違い、マンション測道への流入車両の増大、河川改修や地域環境整備、工法問題などの住民の質問・疑問には、いっさい解答しないといった内容でした。そして、「終了」でなく「中断」を確認して閉会したのにもかかわらず、市は住民への説明はもう終わったとして、道路公団と建設会社を隠れ蓑に、工事に着手しています。
 昨年四月から実施された介護保険では、支援・要介護の認定を受ければ住居改善に一定の給付が行われるようになりましたが、その反面、各自治体での助成制度がなくなったり、低く押さえられたりしています。また、ケアマネジャーの理解不足や点数にならない問題、経済的選択などによる未熟な住居改善が進められています。私達の国保組合では、介護住宅改修支援事業「住宅改修の一割・最高一〇万円(介護保険本人負担分含む)を給付」に取り組み、半年間で二四五件・総工事費八一八一万六三八四円(三三万三九四四円/一件)・総支給額五一四万五三〇九円(二万一〇〇一円/一件)の状況です。私の知る三三件では、最低で一万六二四六円、最高で一〇二万九〇〇円、手摺設置工事のみが一九件、段差解消を含めると二八件と、多くが小規模工事に終わっています。適正な助成や給付、各種の専門家の協力が求められています。
 阪神大震災(1995. 1.17)から六年が過ぎました。三日目に50㏄のバイクで、倒れた高速道路の横を食料や水、ブルーシートを積んで長田まで走った日のことが今でも忘れられません。今の長田は、真新しい三階建住宅郡やビルが建っているものの、その合間に小さな空き地が点々と散らばっており、活気のない生活感のないまちになってしまっています。あの雑然とした中にバイタリティのある、好きだったまちは帰ってこないのかも知れません。毎年繰り返される災害は、予期せぬ出来事なのでしょうか。東海地方での集中豪雨による水害、火山による三宅島の全島避難や有珠山での観光産業への打撃、鳥取西部地震による住宅の倒壊などは、居住の保障がなによりも生活基盤の確立の前提となるものだと指し示しています。
 私たちの周りの多くの人たちが、
自分達の「人権」「生活」「文化」を守って育てていくために、運動と職能両面での多種多様な専門家の役割と協同を求めています。そして、昨年の研究集会でも見られるように、新建と会員・周りの人々は、運動でも日常業務としても要求に答えられる力量を蓄積してきています。二一世紀を見つめ、「新建憲章」の論議と実践を深める中で、大胆に外に向かって打って出ましょう。私は、組織的にも理論・技術的にも信頼の得られる新建運動に確信を持って取り組みたいと思います。
(新建築家技術者集団全国事務局次長 全京都建築労働組合専従書記)