2006年ひろば

2006年
11、12月号
□北海道建築セミナー最終回と函館セミナーに計102人参加
□第13回全国建設研究・交流集会「憲法9条と建設労働者」分科会に参加して
□北海道支部 第1回設計部会開催
□新建築家技術者集団第25回全国研究集会――横浜で開催
□衆議院国土交通委員会(06年11月29日)建築士法改正案審議参考人質疑の様子
2006年10月号 □田中敏溥連続講座「人に、街に優しい家の設計作法」
□第8回地方自治研究全国集会報告
□北海道支部第1回設計部会開催
□衆議院・国土交通委員会における建築士法改正案議論についての参考人意見
2006年9月号 □東京支部第2回建まち展「地域で暮らすために個々が出来ること」開催
□故平本重徳さんを偲ぶ
□群馬支部・埼玉支部――合同実践報告会開催
2006年8月号 □2006建築とまちづくりセミナーin犬山開催される
□萩原光男さんを偲ぶ
□耐震補強での対応
□京都支部──最近の企画報告
□2006「建築とまちづくり展」in奈良準備中
2006年7月号 □千葉支部企画――新旧建築探訪倶楽部at銀座・表参道
□北海道(2006)建築セミナーin小樽
□建築ネットワークセンター研修会
□東京支部・新事務所お披露目会
□「地域で暮らす」ために個々が出来ること――東京支部建築とまちづくり展2006
□7月常任幹事会 06年7月16日~17日
2006年6月号 □第25回新建全国研究集会準備状況
□上田光喜さんを偲んで
□「住生活基本法」審議の国会を傍聴して
□新建賞受賞「結の蔵」見学会――東京支部
□東京支部実践報告会開催
2006年5月号 □建築とまちづくりセミナー準備すすむ――夏はこぞって犬山へ!
□イベント目白押し――北海道支部
□緊急シンポジウム「公営住宅の値上げを問う」開催
□第2回全国常任幹事会 議事録 06年5月27日~28日
2006年4月号 □ふくい建築とまちづくり展開催――福井支部
□構造設計偽造問題討論集会開かれる
□全国幹事会 議事録 於板橋勤労福祉会館06年3月25日~26日
2006年3月号 □第3回国宝唐招提寺金堂保存修理事業現場見学会――奈良支部
□耐震偽装問題シンポジウムの報告
□設計協同フォーラム秋田研修ツアーレポート
□「住生活基本法」を考える国会集会に新建が参加
□少人数で座談会を開催――静岡支部富士地区
2006年2月号 □富山大会後の静岡支部企画から
□遠友夜学校の開催と連続講座設計塾最終回――北海道支部
□世田谷区二子玉川――生活者の視点からの再開発を求めて
2006年1月号 □第3回「ちば建築とまちづくり展」開催
□横浜発 地下室マンション訴訟 その後
□吉村順三建築展・前川國男建築展ツアー――青森支部
□設計塾とセミナー「北のデザインを暮らしから発信しよう」を開催――北海道支部
□富山支部12月住宅講座と忘年会
□第1回全国常任幹事会 議事録 06年1月8日-9日 於全国事務局

『建築とまちづくり』
2006年11月、12月号より
 

 

北海道建築セミナー最終回と函館セミナーに計102人参加

第13回全国建設研究・交流集会「憲法9条と建設労働者」分科会に参加して

北海道支部 第1回設計部会開催

新建築家技術者集団第25回全国研究集会――横浜で開催

衆議院国土交通委員会(06年11月29日)建築士法改正案審議参考人質疑の様子


北海道建築セミナー最終回と函館セミナーに計102人参加

 9月に函館見学を行った際、建築士会函館支部の皆さんと相談し、新建青森支部の協力で準備を進め、7月の小樽に続いて函館で初めての建築セミナーを開催することができました。11月10日当日は、士会函館支部、弘前建築家倶楽部、新建青森支部などから合計65名の参加を得ました。かつて北海道に新建が結成された時期に新建活動に参加したことがあるという50代の方々と名刺交換もでき、新たなつながりができました。交流会にも30名を超える方が集まり盛況でした。
 三沢先生の講演テーマは、「函館モダニズム――近代建築遺産の評価」です。函館開港と同時に始まったアメリカ風の建築づくり、そこにはバルーンフレーム工法などアメリカ建築の四つの型があることなどを紹介し、日本の「近代建築」は北海道に始まったことを熱く語られました。講演の後半では250枚のスライドによる解説もありました。
 函館の市街地形成は相次ぐ大火と関係があり、1879年の基坂(もといざか)のように幅20間の道路をつくるなど防火用に道路が拡幅され、街区の角地には鉄筋コンクリート造の小学校など耐火建築物が早くから建設されています。そしてそれらの建物が市内に散在しており、北海道の近代建築史を学ぶ上でも、小樽と並び貴重な街並みが残されています。今回のセミナー当日にも元町にある寺院(真宗大谷派函館別院)を見学しましたが、この建物は1915年の建設、国内では最初の鉄筋コンクリート造仏教寺院です。
 函館セミナーの翌日に札幌で行った北海道建築セミナーの最終回には、37人の参加がありました。強風と雨というあいにくの天候で参加者が前日の函館より少なかったの残念です。
 最終回のテーマは「近代建築のマニエリスム」です。20世紀の建築を振り返り、ポンピドーセンターに見られるハイテク建築の台頭、ディズニーランドに至る商業建築、ハイコマーシャル建築がつくられる時代、そしてホロコースト博物館、ユダヤ博物館、ホロコースト記念碑などのノンコマーシャルの建築など、今回も250枚を超えるスライドで、三沢先生が詳しく紹介されました。
 質疑では、紹介された建築デザインの複雑さ、多様化といったものを見て、「今後の建築、21世紀の建築はどうなっていくのか」「今の時代建築に携わるものとてどう考えるべきか」という前日の函館とも共通した意見・感想が出され、交流の場でも大きな話題になりました。
 日常業務に負われる日々の中、こうした近代建築史を時間をとって学ぶ機会は十分にありません。今年は一年を通して計6回のセミナーを行いましたが、21世紀に受け継ぐべき建築のあり方、建築家のあり方など、今後も論議を積み重ねたいと思っています。
 講師の三沢浩先生には、改めて一年間のご協力に御礼を申し上げたいと思います。また、後援いただいた建築団体と参加者の皆様に御礼申し上げます。来年もまた、こうしたセミナーの開催ができることを願ってやみません。
(北海道支部・大橋周二)

第13回全国建設研究・交流集会「憲法9条と建設労働者」分科会に参加して

 新建が後援・協賛団体になっている「全国建設研究・交流集会」(06年11月19~20日、静岡県熱海市)に参加し、分科会で報告をしました。
 第13回になる今回の統一テーマは「憲法を生かし、安心・安全な地域社会と建設産業を」でした。
 改憲が声高に叫ばれ、その狙いが九条にあり、日本を「戦争をする国」にしたいという動きがマスメディアを巻き込んで大きくなっています。それに対して、大江健三郎さんを始めとした9人の著名人が発起人になった九条の会が日本中で「草の根」のように広がっています。「憲法9条と建設労働者」分科会が初めて設定された背景には、そうした最近の動向があったのでしょう。
 今回は主催者から新建に報告依頼がありましたが、首都圏の新建会員が多く参加している「九条の会・建築とまちづくりネットワーク」の取り組みについて、ネットワーク事務局を代表して高田が分科会で報告をしました。分科会参加者は23名。
 取り組み紹介に先立ち、新建が設立当初から「建築の創造やまちづくりには自由・平和・民主主義が欠かせない」という基本姿勢で、様々な平和運動に取り組んできたこと、2001年の新しい憲章では「建築とまちづくり、生活と文化、自由のために平和を守ろう」という一項を掲げていること、そうした中で全国の会員有志は地域、職場、職域で九条の会の活動に参加し、力を発揮していることを説明しました。
 昨年11月に映画「日本国憲法」を上映した発足会から、靖国神社・遊就館ツアー、メッセージタペストリーづくり、9条の会全国交流集会の報告会、写九の会などの催し、メーリングリストを利用した情報発信などに取り組んできたことを報告しました。また事前に、会場に2枚のメッセージタペストリーと写九の一部を貼り出し、「いいね9条ニュース」1~8号もクリアファイルに入れて参加者に回覧してもらいました。目に見える形での取り組みはユニークなものだったかもしれません。
 報告で強調したのは、自らが参加する形での取り組みを考えているということです。メッセージタペストリーでは、布を渡しながら話しかけると平和や九条のことが話しやすく、関心を持ってもらえたこと、若い世代にも参加してもらえる取り組みで輪が広がったことなどです。また、大きく1枚のタペストリーにするとよりメッセージ性が高まり、「会場に貼るだけで元気になれるから」と他の九条の会発足の時に貸し出すこともありました。
 分科会では、基調報告として建設人九条の会事務局長・後藤英輝さん「建設分野で憲法9条を守る輪を更に大きく」の他、基地の多い神奈川で取り組む神奈川土建青年部「青年部9条の会結成と一連の平和運動の取り組み」、国民保護法による計画策定が現実のものになっている自治労連本部から「自治体における憲法の取り組み」、どこでも署名用紙を持ち5万筆集めた千葉土建が報告を行いました。
 会場からも「戦争中建設労働者が何をさせられたか」「若い層が平和に対してどのような意識を持っているのか」「子どものために平和運動に関心を持ち労働運動に関わってきた、九条を守る運動は今やらなければならない運動だ」など多くの報告が行われ、関心の高さを表していました。後藤さんのまとめでは「ここ一、二年が勝負の取り組み、選挙で改憲派を減らすことが重要」と、07年参議院選挙までの私たちの取り組みいかんで情勢が変わってくることを強調されました。
 今回、九条の会・建築とまちづくりネットワークについて初めて報告しましたが、他の団体と並んで報告すると、私たちの九条の会が持っている性格、特徴がよく見えてきたように思います。発足する時に漠然とは感じていましたが、私たちは組合などを基礎にした組織的な九条の会ではありません。職種でみても設計や都市計画事務所は個人零細事務所が多く、横につながった付き合いをしていません。だからこそ、「組織」に頼らず一人ひとりの自発的な考えと行動で、知人や仕事で知り合った人たちに根気よく九条の尊さを伝えていかなくてはいけないのだ、ということをあらためて感じました。名称についているネットワークの輪をさらに広げ、楽しくそして真剣にこれからも取り組んでいきたいと思っています。
(東京支部・高田桂子)

北海道支部 第1回設計部会開催

 10月27日に当支部内に立ち上げた「設計部会」の第1回会合が開催されました。当支部にも建築の様々な分野の専門家がいます。「設計部会」は、その中の設計(いわゆる意匠設計)を専門としているメンバーの情報交換の場にしようという主旨で、小澤さんから提案があり、幹事会で検討して実現したものです。設計分野だけでなく、例えば「環境部会」や「インテリア部会」、「施工部会」のように専門別の部会がたくさんできると、支部活動がもっと面白くなりそうです。
 第1回設計部会には、会員外3人も含め13人の参加がありました。初めに提案者の小澤さんから趣旨説明があり、その後活発な討論になりました。日々の仕事の中でぶちあたる様々な問題にどのように対応したらよいか、みなさんそれぞれに悩みがあるようで、それらの問題に対して他の人はどのように解決しているのか、お互いに情報交換しあう場にしようという共通認識をもつことができました。若本さんからは、現在進行中の住宅現場の見学会の提案もありました。やっと興味をもてる新建活動が始まった、という意見もありました。
 後半は、北欧建築ツアーから帰ってきたばかりの大橋さんと泉さんのスライドによる現地報告会になりました。大橋さんからは、アールトやアスプルンドはもちろん、ピエティラやシレンなどの報告もあり、学生時代に雑誌に発表されていたことを懐かしく思い出しました。泉さんからは、北欧の木造建築の窓廻りのディテールの紹介があり、意外に北海道のほうが気象条件が過酷であることを知りました。
(北海道支部・女鹿康洋)

新建築家技術者集団第25回全国研究集会――横浜で開催

 新建第25回全国研究集会が06年11月3日(金)~5日(日)、横浜のかながわ県民センターを中心に開催されました。
【1日目】
 初日は12時受付。今研究集会で特筆すべきことのひとつが、事前に全報告を収録した報告集ができあがっていたこと。受付で参加者に手渡されました。
 高橋幹事会議長の挨拶の後、記念講演とシンポジウムが開かれました。
 記念講演は北沢猛氏(東京大学教授)。「横浜市の都市づくり・歴史と展望」と題して講演してもらいました。長らく横浜市の職員として、横浜の都市計画デザイングループに参画し、都市づくりの構想や政策の立場から、まちづくりの現場に精通している北沢氏の話は非常に興味深く、特に旧第一銀行の建物や日本郵船倉庫の建物を文化的な創造的な団体に貸し出した「BankART」プロジェクトは、面白い発想だと思いました。講演の後、会場から質問を受けましたが、ゆっくり時間が取れて北沢氏と会場の充実したやりとりが実現しました。
 その後、シンポジウム『「建築とまちづくり」に市民は何を求めるか』と題し、コーディネーターに片方信也氏(日本福祉大学)、以下の4人のパネリストに発言してもらいました。パネリストは大磯町で歴史的建造物の保存運動を行っている「こゆるぎルネッサンス@大磯」会長の古戸義雄氏、「桜の森を守る会」代表で「ヨコハマ市民会議」の清水康二氏、弁護士で欠陥住宅の問題に精通している星野秀紀氏、新建神奈川支部で一級建築士の小野誠一氏の4人です。
 清水氏報告の、住民運動の力でデベロッパーのマンション予定地を横浜市に公園用地として買い取らせ、その管理を地域住民が行っているという話には、感銘を受けました。古戸氏報告の大磯での歴史的建物保全運動では、その成果と課題が語られました。小野氏は、老朽化した横浜市営住宅の建替え案に対して地域住民が、桜などの樹木の温存、アズマモグラの保護などの要求をし、行政が道路の見直しや一定の桜を残すような改善案で建替えたという報告をされました。住民運動が成功すれば、行政でも民間でも計画が変えられる可能性を感じました。星野氏からは欠陥建築問題の深刻さ、その解決の難しさなどについて、率直な意見を語っていただきました。
 質疑では弁護士の星野氏に姉歯問題をはじめとする欠陥建築問題についての質問が多くありました。建築技術的課題と法的課題、予防か救済かなど、問題に対する視点がそれぞれの職能的立場で微妙に異なるようにも感じましたが、両者が協力しないかぎり救済も予防もできないだろうと思います。最後にコーディネーターの片方氏がまとめとして、パネリストの報告から見えてくる市民と建築・まちづくり専門家との協同の可能性、そしてその先の空間の実現について展望し、シンポジウムは終了しました。
 その後は100人近くが参加した交流会です。横浜中華街の揚州飯店別館で行われました。円卓テーブルを移動しあって旧交・新交を温めました。新建の企画には初参加という方も出席され、にぎやかな雰囲気と熱い議論に一緒になって楽しんでいただけたのをうれしく思います。交流会は21時半過ぎに散会、その後は二次会に行く人、夜景を楽しむ人など、それぞれヨコハマを楽しんだことと思います。
(神奈川支部・川下益司)

【2日目】
 翌日は午前9時30分より午後5時まで、9つのテーマに分かれた各分科会で報告、討論がなされました。午後6時からは分科会参加者が一部屋に集まり、各分科会の座長よりそれぞれ報告がなされました。最後に本多代表幹事の全体のまとめ挨拶により締めくくりました。以下、各分科会に参加した神奈川支部会員からの報告です。
■第1分科会分科会――
地元の木で家をつくる運動
 参加者18名、報告6名。地元の木で家を造ることは、山を守り、大工の技能を高め、施工者、設計者、製材業者、住み手とともに豊かな暮らしをすることであるというのが皆さんの認識であった。
 京都からは地元の木を使うことは手段であって目的ではないという報告。丈夫で長持ちする木造住宅を追し、金物に頼らないという千葉の報告。地元の木を利用するにあたり環境負荷を考えなくてはならないが、輸送エネルギーの観点からウッドマイレージCO2の報告。課題として住み手にいかに環境負荷の問題を提起し続けるかということ。滋賀県産の素晴しい熊ハギ材を使い、林業者から工務店までの感動を与える住まい造りの話。千葉の山武杉も同様で、千葉支部では行政とコラボレーションにより住まい手にアピールをするという報告。長野県の林務部から内地材の不足する時代が近年に訪れるという驚異的な報告。また、エンドユーザーは県産材より木材の履歴に興味があるという報告。愛知の住まい手は檜にこだわりを持っているので地産材の入手の範囲を広げている、参加者の大半は近県材で良いという意見だったとの報告。地元の木で家をつくるときに住まい手側に立って、デザイン、安心安全、愛着心のある家をつくらなくてはならないと竹山幹事会副議長の話もあった。
 地元の木で家を建てることは環境エネルギー負荷低減に非常に貢献するものであるということを感じました。(西村)
■第2分科会――歴史的建造物の再生と活用
 参加者11名。尾鍋氏の問題提起後、6名が各自の取り組む事例を報告した。
 京都支部の榎田氏からは、市民の視点で近代建築を評価する運動や京都の景観行政について説明を受ける。「新しい建築ルール」に少し違和感を覚えたが、京都の全体像がよく理解できた。長房氏は古民家の移築再生の苦労話と魅力を語る。大沢氏の蔵に対する熱い思いと執念を学ぶこともできた。一昨日、築後90年の木造醤油蔵(正田醤油・群馬県)の再生コンバージョンされた本社蔵を見学したので、グッドタイミング。神奈川からは、鎌倉の世界遺産に向けた取り組みとヨコハマ山手のまちなみ景観訴訟について報告した。(岡田)
■第3分科会――福祉のまち・すまいづくり
 参加者は12名。
 「福祉施策後退のなかで、高齢者・障害者の居住要求にどう応えるか」との問題提起のもと、まず今年4月に施行された非常にわかりにくい「障害者自立支援法」の説明と施行後の実態を、現場で携わる太田氏より報告。施設にも利用者にも厳しい現在の状況に立ち向かうために様々な工夫をされていること、今後ますます地域のネットワークの構築が重要ではないかと言われたことが印象的だった。続いて、小規模多機能施設「下宿茶屋」(崎野氏欠席、加瀬澤氏が代理)、渡辺氏の既存建物改修による高齢者施設「すこやかの家みたて」、星氏の障害者グループホーム「ひまわりの家」設立まで、原田氏の「渋谷・すまいの改善ネットワーク」、加瀬澤氏の高齢者のための古民家再生が、それぞれスライドを交えて報告された。どのプロジェクトも関わった方々の暖かいハートが感じられるものだった。
 その後意見交換がされた。私も障害者問題に関わる中で厳しさを実感しているが、今回の分科会は、色々な示唆に富み、今後も継続していくべきだと思った。(野口)
■第4分科会――施設をつくる
 参加者は11名。
 とても大きな話題があり、ものをつくるということ、安心・安全を国民に届ける、技術・技能の向上を図るということが強く問いただされた。市民が考える建物と行政のつくる建物では、ものすごいギャップがあり、市民から見て必要の無い建物が造られたという報告があった。保育園新築のエピソードや打合せの様子なども報告され、ものをつくる過程を皆さんが大切にして、子どもたちと「ふれあい」ながら、とても良いものづくりをしているなと感じ、大変勉強になった。(松井)
■第5分科会――家族と住まい
 参加者は13名、問題提起後7名の報告があり、各々の物件、設計コンセプト、建て主について、まわりの様子などが発表されました。
 どの報告も地域性や、地域との関わり方、施主の生き方までをプロデュースした報告が多く、すばらしい発表でした。10年後、20年後が楽しみになる物件が多く、その後の報告を聞きたくなるものばかりでした。
(伊藤)
■第6分科会分科会――コミュニティ再生・住民主体のまちづくり
 参加者18名。自分が実際に携わっている業務内ではなかなかこのテーマにめぐりあえないので、大きな興味を持って参加させていただきました。
 コミュニティ再生とありますが、個人的には、「再生」も必要だが原則は「守る」ものであり「創る」ものだと考えています。再開発に伴う再生や密集地での共同建替え等は行政参加型のもので、民間活力での再生・創造とは違う何かを感じました。
 コーポラティブファーム「さくらガーデン」の報告は面白いと思いました。活動自体は本当に小さなものですが、同じ生活目的の人間同士が集まり農業という結びつきでできたものでした。本来であれば簡単にアパート等が建つ立地条件の中で地主の理解を十分に得て街中に農地を作る発想に刺激を受けました。
 コミュニティをつくるには人の絆をどのように組み立てるのか?といったこれまでの凝り固まった考え方を変えてくれるいい一日になりました。(山中)
■第7分科会――職能
 参加者15名。欠陥住宅問題に関わって感じることなどを、弁護士も加わり出し合った。
 建築士の代願や施工者側に立って監理機能が成立していないケースが多く、つくり手と住み手との顔のみえる関係ができればそれだけで大幅に改善されるのではとの意見もあった。
 テーマとしては「制度」「報酬」「教育」の3点に絞られた。「制度」では、偽装問題は中小構造事務所で起きている点に着目すべき。役割と責任の明確化が求められるのでは……、「報酬」では、苦慮もあるが、構造設計費の開示や構造設計者の設計監理契約時への立会いなど、理解を得られるための行動も重要……、「教育」では、倫理教育の必要性、教員側に「住」を教えられる人材が育っていないなど、技術者のみならず市民が知識を身に着ける仕組みが必要……、などが討議された。
 技術者として、一人でも人の命を守るために何をすべきか、もっと建築士はまちへ出よう、との声に、目を覚まされた想いがした、そんな分科会でした。
(小野)
■第8分科会――住宅政策
 参加者は13名。進行役は千葉支部の鎌田さん。
 自己紹介、趣旨説明に続いて問題提起を神戸大学の塩崎氏(住宅政策再生の構図)、以下報告者として坂庭氏(公的住宅の位置づけ・役割を改めて問う)、井上氏(団地コミュニテイ形成に向けた取り組み)、大崎氏(ホームレス問題から見た居住保障政策の課題)、松本氏(分譲マンションブームの陰で進むストックの危機的状況)、船越氏(民間借家の抱える問題と借家法改悪の動き)、新井氏(欠陥住宅根絶に何が必要か)。昼食をはさんで午後3時半過ぎまで報告発言があり、残念ながら討論の時間が十分取れませんでした。
 住宅政策と一言で言っても、7つの問題提起と報告を聞いただけで住宅政策の貧困さを感じ、たいへん勉強になりました。
 最後に、この分科会で入会者があったと聞き、改めて新建運動に確信が持てました。(増田)
■第9分科会――建築と町並みのデザイン
 参加者は12名。
 問題提起に対するアプローチは様々で、大石氏は日本の建築の変遷を職人の作る手法から辿っておられた。近代以前のデザインの決定方法は案外忘れがちで、美しいと感じる日本の古い町並みがなぜつくられ得たか改めて認識する。現代におけるデザインのつくられ方に関しては、各報告者のつくり方の手法を聞く。優れたデザインの個人住宅を幾つか紹介された横関氏を始め、伴氏、田中氏いずれも声高なデザイン論を述べられることはなく、町に対してどうあるべきかと模索するうちに良質なデザインを生み出している、という印象を受けた。例えば、横関氏の作品は決して町に対して閉じず、空間の奥行によって住宅の個の空間を確保し、そのような手法が町へのデザインにもなっているように感じた。また、田中氏は必ず植栽のポイントをつくっておられた。
 印象的だったのは、丸谷氏、伴氏、田中氏とも、近年は個々の戸建住宅よりも住宅の集合体をどのようにつくるかという視点で町並みのデザインを試みておられることだった。住宅とそれを取り巻く空間のスケール感や緑の在り方を通し、町並みに与える影響を考えていることが皆さん共通しており、丸谷氏の提案は、これらの抽象的な共通項をベーシックデザインという言葉で呼んでいこうということと受け止めている。(大西)

【3日目】
 最終日は自由参加の見学会です。以下、コースの担当者になった神奈川支部会員の報告です。
■横浜市街地あるきコース
 当日都合が悪くなった方などもいて結果参加者4名。桜木町駅から県立音楽堂(外からのみ)、図書館は中もじっくり見ました。道路向かいの斜面地に大規模なマンション計画の開示があったのが気になりました。その後みなとみらい地区を歩いて赤レンガ倉庫~大桟橋客船ターミナル(なかなか奇抜)をみて、後は関内~馬車道周辺をぶらぶらと歩きました。新旧各時代の街並みの方向性のようなものを感じ取った見学会だったのではないかと思います。(小野)
■鎌倉見学コース
 鎌倉見学コースは東京支部会員・大沢匠さんのO設計室の入る「結の蔵」(秋田から鎌倉に移築した土蔵をオフィス+住宅として再生。05年の第6回新建賞を受賞)に集合し、O設計室主催の「トタン建築展」の見学から始まりました。参加者は学生6名を含む21人とたいへんな盛況でした。鎌倉の現存するトタン建築にふれ、「結の蔵」移築にまつわるワークショップのお話も聞かせていただき、たいへん充実したものとなりました。地元鎌倉に住む私としてはこの土地に蔵を移築する大変さがビシビシ伝わってきたことが印象に残りました。その後、ガイドマップにはない散歩コースを大沢さんの案内によって参加者の皆さんで散策し、楽しみました。地元鎌倉の奥深さを改めて実感、現在のマンション建設ラッシュで鎌倉の見所が次々に破壊されている実態を真剣に考えさせられました。その後は自由散策、皆さん思い思いの場所を巡られたことと思います。(山中)
■大磯見学コース
 地元のまちづくり団体「こゆるぎルネッサンス@大磯」の古戸氏、澤氏の案内で、大磯は初めてという新建メンバー8人と地元の野口・大西が、別荘建築を初めとする古くて魅力的な建物と町並みを見学した。最初に、駅前のエリザベスサンダースホームの澤田美喜記念館を、同じく「こゆるぎ」のメンバーである新倉さんに説明していただいた。新倉さんとはここで別れ、存続の危ぶまれていた通称ドゥゼアン、残せなかった三井邸跡地を通り、旧鎌倉街道を辿りつつ、途中、海岸で海を眺め、旧大隈重信邸を塀越しに伺い見て、滄浪閣にて昼食に中華を頂く。快晴の気持ちの良い散策日和の日で、喉も乾いてビールが美味しい。滄浪閣内の旧伊藤博文邸は結婚式の控え室となっており、残念ながら入ることは叶わなかった。ここで遅れて京都支部の2人と合流、食後再び京都の2人と竹山さんとは別れ、残り11人での町歩きとなった。東海道松並木を横目に、大磯魅力スポットを覗きながら、駅へ戻ると時間は午後4時を過ぎていた。(大西)
■横浜三渓園コース
 三渓園コースは総勢7人の参加でした。三渓園は実業家・原三渓によって、17・5haの日本式庭園に京都や鎌倉から歴史的建造物を移築したものです。庭園を散策しながら10棟を超える建造物をゆっくり見て廻りました。特に桂離宮を思わせる雁行の臨春閣、斬新な意匠の楼閣造り聴秋閣には感動しました。内覧が出来ないのが残念でした。園内のお茶屋でお昼を食べ、午後は山手の洋館めぐりをしました。程よい疲労感を感じながら3時過ぎに解散しました。(永井)

【研究集会参加者の感想】
▼全国研究集会への参加は初めてで、第5分科会「家族と住まい」では、自分が想い運動していることを発表させていただきました。夜は夜で二日間の懇親会で、全国の会員の皆様方と十分に交流を深めることができましたこと、お礼と感謝を申し上げます。
 分科会では、「結(よ)いっこ」について発表しました。
 一般的には「結(ゆ)い」と言いますが、私達の地域では「結(よ)いっこ」と言います。語尾に「こ」を付ける秋田県独特の方言です。
 古来から、「人」が住まうには、人や地域への相互間の結びつきや助け合いが慣行となっていましたが、時の流れで経済主義一辺倒の現代社会へと大変革しました。
 その結果として現代社会では、「人と人」または「人と地域」との結びつきが稀薄となり、また、そのことが起因したと思われる事件や事故が激増しています。欠陥住宅など建築環境も例外ではありません。
 この様な時代背景から、現代型「結(よ)いっこ」を紹介しながら、「もの・ひと・きずな」をテーマとした、まちづくりと住まい造り、地場産業の活性化や伝統文化の継承、そして自然環境の保全などについて発表しました。それは、すべての要因がこの「結(よ)いっこ」につながっていると考えているからです。分科会に沿った個の住まいの詳細については、不十分な説明でもありましたが、現代型「結(よ)いっこ」については、多少の反響はあったようです。
 これまで自分は、他の様々な「会」に参加してきましたが、新建のような穏やかな人間味のある「会」は初めてで、新建のコンセプトがそのまま事務局や会員、そして運営方法などに転写され、終始肩の凝らない全国研究会であったと思います。しかし、このような素晴らしい研究会の報告内容を、どのような形で一般の人たちに発信しているのでしょうか。せっかくの全国規模の報告ですから、全国の人たちに広げることも新建の主旨の一つと思いますので、ぜひ、新建の中だけで終わらずにしてほしいと思います。
 研究集会開催にあたってご苦労された方々に心から敬意を表します。そして有難うございました。
(秋田支部・田中勝昭)
▼今度の集会に出て思うに、いよいよ新時代に入ったと実感するしだいである。そのひとつは、世の中の経済論理で汲々としている多くの技術者に如何に働きかけていくかを考えていくことである。今ひとつは、市民の健全さを市民と専門家で如何に育むか――日常の健全な育み――ということである。教育に身をおくものとして少しでも尽力できればと思う。
 第7分科会「職能」では大いに勉強した。具体的に持った思い3点を以下に列挙する。
(1) 建築は商品にあらず。市場経済至上主義を変えさせるための「建築は商品にあらず」の理解と定着には、やはり教育が重要である。仕事をしている人の顔がしっかりとみえるように、また仕事の苦労や喜びを感じるように、日ごろの営みをしっかりと地道にしていきたいものである。「ものづくりは、皆で作って楽しみ皆で使って楽しむ」を心がけたいものである。
(2) 職能の確立について、理念的な議論ではなく実際の仕事遂行の上で議論されたことは、大変わかりよいものになった。とかく、理念の討議であれば理念の域で終わってしまうことになりがちである。特に、職能人は職能で生活しているので、その意味で報酬はあっていいというのは当然である。これまで何かそのような話は下世話な話として避けられてきたことを思えば、より議論が地についてきたという印象をもった。
(3) 欠陥とか偽装とか悪い面が多く噴出している。こうしたことには各個撃破はしていくものの、積極的によい方向の思索がなかなか出てこないという印象も持った。当然こんなときこそ教育の出番であり、地道にいいものを理解していくことにしたい。その点、ものづくりは、汗水たらしてつくるものといった苦労と喜びを原点としたいものである。先にも述べたが「日常」を大事に育てていきたいものである。(富山支部・富樫豊)
▼久しぶりに、たしか三度目の研究集会に出席して、懐かしい顔、新しい人に真剣な熱気の中で出会えたことは、たいへん嬉しい刺戟になりました。分科会は特に関心のあった「コミュニティ再生・住民主体のまちづくり」に参加しました。
 北沢先生の講演では地方都市の生活空間について触れられていましたが、青森市の現状も同様です。新しい動きも始まっている一方で、好ましくない状況も現れてきています。
 青森市は30万都市では世界で有数の豪雪都市です。多くの市民は年に4カ月以上も雪に苦しめられて生活してきましたが、高齢化が進む中、郊外戸建て住宅での暮らしは直接に生命や安全の問題にまでなっています。市は「コンパクトシティ」の理念を都市形成の指針とし、中心商店街活性化の成果は部分的には現れているようです。居住空間としては、他所からきたデベロッパーによる画一的で一見豪華な中心街高層マンションが「バリアフリーと雪と寒さの対応」をアピールしています。いまどき流行の間取りやインテリアの装いで、郊外住宅から高齢者をどんどん呼び込んでいるようです。ただしコミュニティの視点はありません。
 この方向に対抗するには、微力ながらも「まちなかのコーポラティブ住宅づくり」が有効だと思います。それによって雪国青森にふさわしい住まいとコミュニティのあり方を考え、同時に空地・空店舗の有効利用、地権者の住み続け、雪問題への対応、多様な家族構成と年齢層の居住問題等について、実現・解決の可能性が生まれ、まちの再生に役立つはずです。
 三浦さんの問題提起に賛同・共感してこの分科会に参加しましたが、どんな話題も自然に青森に引き寄せて聞いてしまいました。様々な活動報告の中、とりわけコーポラティブに関するものには、募集の仕方や進め方はじめいろいろなヒントをもらいました。
 時間不足で報告を軸に議論を深めるところまでいけなかったのは残念でしたが、休憩時に札幌に建ついくつかの事例について江国さんに教えてもらえたのはラッキーでした。暖かくなったら関心のある人たちとともに見学に行く予定です。
(青森支部・松澤貴美子)
▼現場からの発信が「住宅政策」に届くのかという思いを持ちつつも、だからこそ現場からの声を確かなものにするための議論を期待しつつ、第8分科「住宅政策」に参加しました。
 報告だけでなくじっくりと議論できる時間があり、居住者の組織や行政、研究者や建築専門職の他、建て替えに困窮する住民の参加もあって、さまざまな次元の意見が活発に出ました。断片的な話題でもそこに通底する「住宅問題」は浮かび上がってくるようです。
 住宅問題の現場から直接語られる話がたくさんあったことはよかったと思います。せっかくの好天でもあったので、できれば外に出て、どこかの現場に行って議論できればさらに面白かったのではないでしょうか。
 「住宅問題」の再発見をこれからの「住宅政策」につなげるために何をすべきか、という問いかけは、わたしたち一人一人に投げかけられているのだと思います。
(東京支部・大崎元)
▼身近にある古民家、古建築、歴史的建造物。これらがある日突然消滅する。どうしたらこれらの文化的歴史的建造物を守ることができるのか――。こんな想いをいだきながら研究集会に参加しました。
 まずは古民家の移築・再生について2件の報告。
 最初は千葉支部の長房直氏の「住み継ぎ棲み繋ぐ木の家」。長房氏のご友人(漆店)紹介の建主は高山生まれの高山育ち。ハウスメーカーや建売住宅には満足できない、できれば高山にふさわしい古民家を移築再生して住みたい。この想いが古民家の移築・再生への始まりであり、設計者の長房氏を動かし、築150年の厨子2階の民家に出会うことになります。民家移築設計のテーマはこれまでの100年をこれからの100年につなげるというもの。軸組みは耐久性に優れた国産材。仕上げは摺り漆、弁柄、柿渋、蜜蝋といった国産の自然塗料。塗装は建主さん御家族で施工。建主・設計者・コーディネーター・施工者の素晴らしいネットワークにより、一軒の古民家が新たな生命を与えられました。
 つぎは東京支部・大沢匠氏の「結の蔵」。秋田県湯沢市の高久酒造の明治21年築の元酒蔵を、神奈川県鎌倉市に賃貸住宅として移築再生した話。持ち主の高久酒造当主は、自社での酒造りを止め酒蔵の解体を決めたが、廃棄処分は忍びない、一方で鎌倉で蔵を移築した賃貸住宅をつくりたいという建て主。普通ではつながらない両者の間を橋渡ししたのが、民家の保存・再生を目的に活動する日本民家再生リサイクル協会。大沢氏は民家協会にも関わっており、移築・活用の情報と実際の解体・建築過程において民家協会のネットワークが有効に機能しました。
 これらの例のように、古民家に住みたい、古建築を利用したいという人が一人でも多く現れれば、それだけ消滅する古民家、古建築は減るわけですが、この両者が出会うことはむしろ幸運なことで、一般的にはきわめて稀なことなのです
 歴史的建造物や古民家は、現在建っているその場所で屋敷全体を保存活用できるのが理想です。それはその場所の風土と歴史の連続性を維持するということだからです。
 このような観点から注目すべきは、京都支部・桜井郁子さんから「京都の近代建築を考える会」の取り組みについての発表です。画期的と思うのは、歴史的建造物の保存・活用において何より重要なことは所有者・管理者の想いを明らかにしてゆくことで、アンケートやヒアリングの実施で得られた資料から小冊子『京都の近代建築35のお話』が発行され、またこの会の集めた情報や会員の意見により「市民が選ぶ文化財」として毎年一つの建物を選定、総会で表彰式を行い、参加者全員でステンレス製のエッチング標識を設置して記念撮影ということです。管理・所有する苦労を所有者に担わせたままの現在、市民が応援しているとアピールしつづけることで、社会の仕組みが良い方向に変わっていくように願っての取り組みで、消滅直前に単に保存を叫ぶのではなく、日常の活動から所有者の意識に働きかけてゆくことで保存につなげていくという近代建築の会の理念と手法は、自分の身近にある歴史的建造物の保存・活用を実践するうえで大変参考になりました。
(神奈川支部・門谷隆康)

衆議院国土交通委員会(06年11月29日)建築士法改正案審議参考人質疑の様子

 前号で、参考人意見陳述の様子を報告しました。今回は、引き続いて行われた参考人質疑の様子を報告します。
 参考人は日本建築士会連合会・宮本忠長会長(以下、士会)、日本建築家協会・仙田満会長(以下、JIA)、新建全国代表幹事・本多昭一(以下、新建)の3人。質問者は国土交通委員のうち各会派代表7人。
*国会の委員会議事録はすべて活字化され、販売されるほか、衆議院のウェブサイトでも見られます。詳しくは正規の議事録を参照して下さい。以下は本多による要約です。
  * * *
大塚高司(自民) 今回の偽装事件の原因と再発防止について、お考えをお聞かせ下さい。
士会 一人の建築士の倫理観欠如が原因。再発防止には団体加入をもっと進める必要がある。士会は現在の10万人を15万人にしたい。
JIA 背景に過当競争、業務環境の悪化があるが、倫理の問題が大きい、JIAとして徹底したい。大学でも倫理教育が非常に不足している。
新建 技術者教育の中に倫理教育必要。しかし、異常者が1人出現するのは防げない。必要なのは仮に異常者がいても確認検査で防ぐこと。民間でなく、特定行政庁がやるべきである。
大塚 管理建築士に病院長並みの管理責任を持たせるべきでは?
士会 管理責任強化に賛成。事務所協会への加入が少ない、強化すべきである。
JIA 管理建築士をプロジェクトの責任者にすべきである。
新建 管理建築士の責任権限強化に賛成。さらに、事務所開設者は管理建築士にすべきであると考える。
小宮山泰子(民主) 今回の改正では、消費者から見ると煩雑であり、信頼性を高める面で不十分ではないか?
士会 我々は既に、専攻建築士制度、CPD義務化、を実施している。これを強化するのが社会に対する責任の取り方。
JIA 建築は総合的である。統括建築士を認定して欲しい。
新建 意見陳述で述べたように士法の冒頭に建築士の使命・職責・権利義務等を明記すべきである。建築士になろうとする若者が読むように。
小宮山 CPDに関して、ご意見を。
士会 士会でやってきたが一団体でなく社会的に広げることに賛成。あわせて登録が重要。指定登録法人に申請を検討中である。
JIA これまでもやってきたが、今度は別組織でNPO「JIA建築教育機関」といったものを考える。
新建 新建では全国研究集会、建築とまちづくりセミナー、実践報告会などで常に勉強しているが、今後、士法でCPD的教育をやる場合、その一翼を担いたい。
小宮山 規律維持のため団体への加入義務化が必要と考えるが、どうか?
士会 加入義務化は私たちの悲願。今回の改正では見送られたが、登録事務を認められれば、全員加入と似たような状況になると思う。
JIA 私たちも資格者団体である。複数の団体がある。そういうところに加入を義務付けるのは賛成。
新建 いずれかの団体に加入は賛成だが、一団体への強制加入には問題。その団体がそれぞれの建築士が目指すものを妨害しないか、検討していただきたい。
伊藤渉(公明) 今回の偽装事件は姉歯の単独犯と思うか等、ご見解を。
士会 やはり建築士は高い倫理観が必要(なぜか女性建築士の活動を紹介)。
JIA びっくりした。確かに単独犯であるが、それを生み出した建築界全体の問題と捉えている。
新建 今回の計算書偽装は、姉歯という特異な人物の単独犯の面もある。しかし全体の問題を含んでいる。たとえば欠陥住宅には建築士が関与している。欠陥住宅が続発していることを見ても、全体的倫理問題が背景にある。
伊藤 設計監理報酬については?
士会 非常に厳しい状況である。一般の人に分かってもらえるよう努力したい。
JIA 大臣告示があるが、20年前のものなので現状に合わない。また、自治体が建築設計予算を、大臣告示の約三分の一で組んでいる実態がある。その原因は、設計入札とサービス設計である。
新建 厳しい状況である。その原因は、設計施工セットでやる企業が、設計料をダンピングあるいは無料でやることである。これを規制すべきである。しかし、この状況下でも、新建会員は建築主によく説明し、きちんと報酬を得ている者が多い。設計者自身の努力も必要。
穀田恵二(共産) 設計監理の施工からの独立が重要であると思うが、今回の改正で十分か?
士会 公共建築では設計と施工の分離が実施されている。マンションなどは公共性があるので、やはり分離が必要である。
JIA この改正で独立性が確保できるか疑問。設計と施工の分離は世界的な流れである。同一企業であっても、設計監理には独立性を持たせるべきで、契約を別にすべきである。
新建 工事監理と施工とを分離すべきである。これは建築運動の先輩である戦前の建築士会が大正時代から主張し、帝国議会にも何回かかかったことである。現行法では、設計施工一貫の企業も認められているが、私が先に「全面的・抜本的改善を」と言ったのは、今後、設計監理を施工と経営上完全に分離する方向で法体系を整備すべきであるという意味も含んでいる。
穀田 (JIAに質問)設計料ダンピングの実情と改善方法は?
JIA (ひどい事例紹介)施工企業によるサービス設計と自治体の設計入札はやめて欲しい。
穀田 (新建に質問)新建意見の4の部分、特に「建築設計の基本にかかわる」という部分を詳しく聞きたい。
新建 たとえば今回の建築業法改正案、第22条3に「発注者の書面による承認を得たときは」と限定をつけて「一括下請けを禁止しないものとすること」とある。建築は、発注者(建築主)の資金で作られるが、しかし、発注者のみの利益を追及して作られてはならないものである。多くの建築は、発注者とは別に、実際の使用者たちが利用するのであり、また、その建築周辺の多くの人々が目にするものである。建築設計は発注者の要望のみに追従してはならないのであって、建築の使い手・住み手、そして地域住民のために行われなければならないのである。このことも建築士法に明記されるべきであるし、教育の中でも強調されるべきである。
日森文尋(社民) 建築関係法が劣化している、「士法は資格法でしかない、あるべき建築士の姿が見えない」と言われているが?
士会 士法は資格法で十分である。職能は法では決められない。専攻建築士制度でやればよい。
JIA 成立経過から見て士法はある意味で過渡的なものだ。建築士を作りすぎて過当競争を起こしている。国際的には建築士教育は5年必要。これも含めてグローバル標準に合わせていく必要がある。
新建 士法・基準法を含めて建築関連法規を抜本的に、わかりやすくする必要がある。基準法などは改正に次ぐ改正で、非常にわかりにくくなっている。
日森 設計報酬に関して告示が機能していないと聞くが、どうしたらよいか?
士会 たとえば工事監理費用を考えていなかった。実際はかなりかかる。
JIA 以前は料率を決めていたが、公取から独禁法違反と言われて廃止した。代わりに大臣告示が出たが、守られるような手だてがないから、ダンピングが一般的になった。5年位ごとに見直す必要がある。
新建 業務をもとに計算する告示のシステムは基本的に賛成。問題は、設計施工込みで「設計料サービス」とか「設計入札」がダンピングを助長することだ。
糸川正晃(国民) 市民から信頼される建築士像を?
士会 本来のあるべき姿とは、国民のための安全で安心なまちづくり。今回の事件は、それを自覚する一つの機会。
JIA 単に施主だけでなく、社会全体、社会資本としての建築によって美しい町並みをつくる。マンションなどにも設計者名を記載し、いい仕事をした人が次の仕事が出来る社会システムにしていただきたい。
新建 先ほど「設計と施工の分離が必要」と言ったが、経営は分離すべきであるが、技術者同士は職種を越えて話し合って、市民にいいものを提供することが大切。そして技術者は、クライアントやエンドユーザーとも話し合って、一緒に建物を、町を、創るという姿勢が大切である。
糸川 職能団体への加入義務付けについて、お考えを。
士会 会員を15万人にしたい。職能は団体で、という考えですので、職能法が必要とは思っていない。
JIA いくつかの職能団体があるので、一団体に強制加入は望ましくないと思う。ある団体に所属することは必要である。
新建 設計者の社会的責任を担保できる団体に加入することは必要である。しかし単一の団体に強制加入には反対である。なお議論が必要。
(時間が来たので、委員長が参考人にお礼の言葉を言って閉会)
  * * *
【感想】意見陳述では各団体が別のことを言いましたが、質疑応答では三者同意見になることがよくありました。たとえば、設計監理報酬が低いこと、その主原因として、施工業者の「設計はサービス」という営業および自治体の「設計入札」があること、また、団体が倫理問題に責任を持つべきであること等々です。団体加入は一団体限定でなく、複数団体を認めるべきであるという点は、JIAと新建が同意見でした(士会は、士会への全員加入が悲願であるが、当面は会員拡大に力を入れるという意見)。意見・関心が共通する問題に関して、士会やJIA、さらにその他の団体とも話し合いをする必要があると感じました。特に倫理問題では、当日帰り際に「倫理教科書づくりを一緒にやりましょうか」と申し上げたら、お二人も「いいですね」と応じてくれました。
 団体加入問題は今回の改正では義務化は見送られましたが、議員(政党)にはその意向もあるようです。検討しておく必要がある課題です。それに関連して新建でのCPDについて考える必要があると思いました。
(政策委員会・本多昭一)

『建築とまちづくり』2006年10月号より  

 

■田中敏溥連続講座「人に、街に優しい家の設計作法」

■第8回地方自治研究全国集会報告

■北海道支部第1回設計部会開催

■衆議院・国土交通委員会における建築士法改正案議論についての参考人意見


田中敏溥連続講座「人に、街に優しい家の設計作法」

 10月17日と10月31日、田中敏溥連続講座(全2回)を国立オリンピック記念青少年総合センターにて開催しました。参加人数は延べ55名でした。田中さんは古くからの新建会員で、建築雑誌にもたびたび登場されています。
 第1回のテーマは「暮らしを形にする」として、単体の住宅を中心に、実例を交えて田中さんの設計作法について、第2回は「向こう三軒両隣り」と題して、住宅の内と外、お隣や道路、まちとの関係について設計で意識されていることについて、それぞれお話をうかがいました。
 1回目の「暮らしを形にする」では、さわやかな暮らしを美しい形としてまとめ上げていくのが設計者の役割、と語る田中さんの住宅の魅力をお聞きできました。
 さわやかな人間関係が保てるよう配慮する設計は、家族、夫婦のみならずお隣や街との関係も常に意識されています。暮らす人の様々な生活場面に配慮し、多様性を受け入れられる空間作り、めりはりを付けた空間構成が「心地よさ」や「やさしい佇まい」につながっていることがわかりました。
 また、土地には良い面と悪い面があるので、良い面をなるべく引き出し、悪い面をなるべく隠す工夫を大切にされているそうです。例えば、比較的条件変化の少ない道に対しては視界を開く計画をよく取り入れられるそうで、道に対して大きな開口で開放的な空間にされた住宅の紹介がありました。しかし、単に開放的ではなく、住戸内の落ち着きはもちろん、隣地や道路を見下ろしたりしない、細やかな配慮もなされていることがわかる例でした。
 遠くからずっと見上げられている建物よりも、道行く人が通り過ぎてからふっと立ち止まって振り返るような家にしたい、と話されました。また、どうしても建て主さんのお気に入りの家具が空間に合わないといった場合は、きちんと置き場所を確保しながらも、みんなの集まる場所から見えないように苦慮することもある、というお話しもうかがえました。
 「いつも、相手の身になって物事を考えなさいよ。でも人の顔色をうかがいながら生きるのはだめですよ」とお母様がお話しになっていたということで、田中さんの設計上の配慮や工夫はそうしたところから来るのかと思われました。建物単体の身勝手な主張ではなく、住む人にも建物のまわりにも配慮され、細部まで考え抜かれた設計が、図面や写真から何となく伝わってくる心地よさの秘密なのかも知れません。
 2回目のテーマは「向こう三軒両隣り」。同じ題名の絵本の作者でもある田中さんが、絵本を題材に敷地と周辺の関係について話されました。
 大切にされているのは、「ものがぶつかるところ」に力を集中して設計することだそうです。それは建物の納まりという点でも大切ですが、道路境界、敷地境界をどのくらい大切に考えているか、どのような配慮や工夫ができるかが実例を交えてうかがえました。
 最近のお仕事では、敷地に境界にブロック塀などを立ち上げず、玄関アプローチとして境界部分を共有した計画等を紹介していただきました。また、植栽による緑のフェンスで、ゆるやかに敷地と道路を仕切ると共に、街や道路に潤いを与える工夫や、クルマが止まっていないときのカーポートを小さな雑木林のように計画しまちにゆるやかに開き、緑で落ち着きのある空間に仕上げる試みもあります。土地の条件を読み、無理のない計画で、まずは一軒の家からできるまちに対する働きかけを意識されているようでした。
 それは建物単体で完結しようとし、まわりに対して閉じてしまうのではなく、土地の条件を読み、周辺へ配慮しながらまちに対して開く、そしてゆるやかに閉じることことによって、人間関係としても、住宅の空間としても「心地よさ」として個々の住宅に表れることへつながっているように感じられました。
 田中さんが設計の上で大切にされていることの根底には、子どもの頃過ごされた実家での路地空間や長屋住まいの体験、それがクルマ社会への変化や経済成長により失われてきたという実感があるそうです。そのことが「向こう三軒両隣り」という絵本の中に記されていますので、ぜひご一読下さい。
 今回の講座は女性建築技術者の会との共催企画として行い、交流のきっかけにもなりました。次回の新建企画もぜひ共催でと、すでに話も進んでいます。
 また、直後に予定されていた研究集会に、古くからの会員である田中さんに報告してもらうことを快諾いただきました。新建東京支部の今後の活動に幅を持たせるきっかけとなれる企画となったと思います。
(東京支部・栗林豊)

第8回地方自治研究全国集会報告

 今回で8回目を迎えた地方自治研究全国集会が10月22・23日に福岡で開かれました。
 集会は全国で21の団体が集まって構成する実行委員会の主催で、新建も実行委員会に加盟しています。この実行委員会形式は93年の第3回愛知集会から始まりました。91年の第2回岩手集会までは「自治労連と推進委員会」が主催でしたが、以降は実行委員会方式になり、新建もその第3回から実行委員会に参加するようになりました。それまでは助言者・参加者として個人的に出席していた会員がいただけでしたが、共同主催の呼びかけに基づき組織的な参加を始めたものです。
 第3回の実行委員会は、国民医療研究所、全日本民主医療機関連合会、新日本婦人の会、日本科学者会議、日本婦人団体連合会、公害・地球環境問題懇談会、農民運動全国連合会、全国借地借家人組合連合会、全国生活と健康を守る会連合会、全国部落解放運動連合会、全国商工団体連合会、原発問題住民運動全国連絡センター、全国保険医団体連合会、日本母親連絡会、自治体問題研究所、全国保育団体連絡会、障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会、そして新建と日本自治体労働組合総連合(事務局)の19団体でした。
 第3回集会は全体で6000人という多数の参加者で、資料の袋詰めは60人で半日がかり、宿泊地に移動するチャーターバスは100台という大規模なものでした。
 次の第4回大阪集会は、新建が一貫して保存を主張した(運動は大阪支部が中心)意義深い中之島公会堂で行われました。私は総合司会と防災の分科会を担当しました。
 今回第8回の福岡集会では新建は再度防災分科会を担当し、千代崎が問題提起を行い、助言者は塩崎賢明さん(兵庫支部)でした。また、住宅政策分科会では簑原信樹さん(福岡支部)が報告をされています。
 実行委員会には前記の団体の他に新たに自由法曹団、全国地域人権運動総連合、民主教育研究所が参加し21団体です。日本の現在と将来を見据え、少しでも地方自治が進むよう論議をしています。こうした議論ができる全国的な場はなかなかなく、実行委員会には引き続き参加して協力協同の関係を築き上げていくべきと思っています。
 自治研集会は都道府県や市区町村レベルでも行われています。各支部もぜひ積極的に参加しましょう。
(東京支部・千代崎一夫)

■参加者の感想
 第4分科会「安心して住みつづけられるまちづくり」に参加しました。分科会参加人数は三三名、新建からは三名の参加でした。
 最初に、助言者である住まい連代表幹事の坂庭さんから「住宅とまちづくり」をめぐる情勢についてお話を伺ったあと、全国借地借家人組合連合会・佐藤さん、都庁職住宅支部・森成さん、新建福岡支部・蓑原さんのそれぞれから報告があり、後半は、参加者による報告と意見交換が行われました。参加者の顔ぶれも、各地の自治体職員のほか、公社団地自治協の方、建築協定違反をやめさせようと奮闘されている住民の方、県営住宅廃止問題に取り組んでいる方など多様でした。
 坂庭さんからのお話は、住生活基本法に基づく住生活基本計画についてでした。
●住宅セーフティネット論のもと、公共住宅がさらに後景へ退けられていること
●安全な住宅に住む権利を保障するため住宅の耐震化が急務となっており、同時に既存住宅の改善を地域住宅産業の振興と結びつけるべきこと
●密集市街地の改善が住み続けられるまちづくりにとって急務の課題になっている一方で、資本による大規模再開発の標的にされており、行政・NPO・住民組織の三者が一体となった住宅まちづくり体制が求められていること
●住宅まちづくりにとって市町村の役割と住民との共同が重要であること
を訴えられていました。
 私自身は、坂庭さんのお話にも絡めて、日頃仕事として取り組んでいる密集市街地の再生の現場で、住み続けられる保障となる従前居住者用賃貸住宅が基礎自治体の施策から消えていっていること、住民主体が無惨に形骸化していることを報告し、協同の取り組みを訴えました。
 分科会終了後、参加者のお一人から「住民の立場に立った建築とまちづくりの専門家集団として新建があることを初めて知った。ぜひ相談したのだが、地元香川に支部はないのだろうか」というお話がありました。残念ながら香川に支部はないため全国事務局の連絡先をお伝えしましたが、新建への期待を強く感じたひとこまでした。
(東京支部・丸山豊)

北海道支部第1回設計部会開催

 10月27日に当支部内に立ち上げた「設計部会」の第1回会合が開催されました。当支部にも建築の様々な分野の専門家がいます。「設計部会」は、その中の設計(いわゆる意匠設計)を専門としているメンバーの情報交換の場にしようという主旨で、小澤さんから提案があり、幹事会で検討して実現したものです。設計分野だけでなく、例えば「環境部会」や「インテリア部会」、「施工部会」のように専門別の部会がたくさんできると、支部活動がもっと面白くなりそうです。
 第1回設計部会には、会員外3人も含め13人の参加がありました。初めに提案者の小澤さんから趣旨説明があり、その後活発な討論になりました。日々の仕事の中でぶちあたる様々な問題にどのように対応したらよいか、みなさんそれぞれに悩みがあるようで、それらの問題に対して他の人はどのように解決しているのか、お互いに情報交換しあう場にしようという共通認識をもつことができました。若本さんからは、現在進行中の住宅現場の見学会の提案もありました。やっと興味をもてる新建活動が始まった、という意見もありました。
 後半は、北欧建築ツアーから帰ってきたばかりの大橋さんと泉さんのスライドによる現地報告会になりました。大橋さんからは、アールトやアスプルンドはもちろん、ピエティラやシレンなどの報告もあり、学生時代に雑誌に発表されていたことを懐かしく思い出しました。泉さんからは、北欧の木造建築の窓廻りのディテールの紹介があり、意外に北海道のほうが気象条件が過酷であることを知りました。(北海道支部・女鹿康洋)

衆議院・国土交通委員会における建築士法改正案議論についての参考人意見

 構造偽装事件を契機として建築行政のあり方が問題になり、建築基準法・建築士法等の改正が課題になりました。今秋の国会に建築士法改正案が上程され、その審議の参考人として、建築士会連合会宮本会長、JIA仙田会長および本多(新建代表幹事・政策委員会委員長)の3人が11月29日、衆院国土交通委員会に出席し意見陳述と質疑応答を行いました。
 私の意見書を紹介します。この文章は、事前に草稿を新建・政策委員会と全国幹事会MLに流し、皆さんの助言を得てまとめたものです。当日はこのプリントを配布し、発言しました。
 最初の意見陳述は、士会、JIA、新建でそれぞれ違う内容でしたが、質疑に入ってからの答弁で、「設計倫理確立の努力」「設計監理の、施工からの独立を」「設計入札反対」など、お互いに共通する考え方があることをあらためて感じました。帰り際に、宮本さん、仙田さんに「倫理教育の教科書づくりなど、一緒にやりませんか」と言ったら、お二人とも「ぜひやりましょう」と応えてくれました。
(政策委員会・本多昭一)

■参考人意見資料
新建築家技術者集団全国代表幹事 本多昭一 06・11・29
 今回の法改正が重大な問題を含み、しかも極めて不十分であることは、多くの関係者が感じていることである。
 不十分になった原因は、課題の基本的なとらえ方、対処の姿勢があやふやであるからである。昨年明らかになった建築構造計算書偽装事件に対応した臨時的・部分的対処なのか、建築行政の山積した諸問題を抜本的に解決しようとする取組なのかが、定まっていないのである。
 私は、結論的に言えば、この際、当面緊急に必要な対応のみに限定すると、割り切るべきであると考えているのであるが、最初に、その二つの対処法によって、法改正にどのような差異が生じるかを整理してみたい。

1 全面的・抜本的な解決を目指す場合
 姉歯元建築士の事件が起きる遙か以前から、建築関係の法体系と建築行政全般に関して問題が山積し、全面的・抜本的検討が必要であることは既に指摘されていた。今回の事件をきっかけに、その全面的な課題に取り組もうというのであれば、それなりの取り組み方があったはずである。たとえば少なくとも国交省・環境省・厚労省・経産省・文科省・法務省等の共同取り組みが必要であろう。その取り組み方に関しては、ここでは省略するが、その場合のアウトプットは、建築士法に関して言えば、そもそも従来の建築士資格と、今回の改正案でちらつかせている「建築設計監理に専念する専門家」に限定した建築士資格とを区分けし、かつ、全体の中での位置づけを整理する必要がある。そして、新たな建築士法では、これも「例えば」ということであるが、まず第一条(目的)を書き換え、充実した内容にしなければならない。
 現行の建築士法、第一条(目的)は次のような文章である。
この法律は、建築物の設計、工事監理等を行う技術者の資格を定めて、その業務の適正をはかり、もつて建築物の質の向上に寄与させることを目的とする。
 たったこれだけである。「資格を定め」「業務の適性をはかり」「建築物の質の向上に寄与」……これでは建築士を目指す若者にも、国民多数にも、建築士のあるべき姿も、その社会的役割もまるで伝わらないのではないだろうか。
 比較のために弁護士法を見れば、第一条・第二条で以下のように定めている。
第一条(弁護士の使命)弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
2 弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。
第二条(弁護士の職責の根本基準)弁護士は、常に、深い教養の保持と高い品性の陶やに努め、法令及び法律事務に精通しなければならない。
 また、医師法では次のように書かれている。
第一条 医師は、医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする。
 これらは、簡潔ながら、専門家としての社会的使命・責任が掲げられているのではないだろうか。
 建築士は、国民生活の場の快適性・安全性の確保、美しい景観の創出、わが国の伝統文化の維持・深化・再生等々の課題を担っている。それらが分かりやすく掲げられなければならない。
 そうした第一条を掲げ、内容には、たとえば永年の懸案である設計監理業務の独立の保障、報酬規程確立などが整理されて含まれなければならない。
 そのような本格的な検討抜きで、当面の対処という性格の作業を行いながら、ついでに一部分拡張した課題にも手を付けようたしているため矛盾が起きているのである。
2 当面緊急に必要な対応であると割り切る場合
 今回の事件による国民多数の不安を軽減するため、緊急かつ限定的な改正という線でいくのなら、今回は、構造設計に関する部分に限定すべきである。
 建築構造設計・構造計算を行う専門家の社会的地位の確立、その専門家の一定規模以上の建築物への関与の必要性担保、確認検査の強化(これは6月の建築基準法等改正である程度実現した)などに限定して行うべきである。
 十分な実態調査もなく、「構造」のついでに「設備」のほうも形を作ろうとしたと言われても仕方がないような改正が、今回の建築士法改正案の「設備設計一級建築士」新設である。こんな形を考えても、現在の一級建築士の中に、この資格を取れる人は殆どいない。一方、既に建築士法第二十条の5、およびそれに基づき建築士法施行規則第二章の3で設置された「建築設備士」は既に3万人以上が活躍している。この「建築設備士」を今後、どう位置づけようと言うのか。
 このような机上の案を、ついでに持ち込むのは無謀であり、もし強行すれば現場の混乱は必至である。
 ほかにも今回の改正から切り離して、全体的に検討すべき部分がいくつかある。たとえば、改正案でかなりの行数(改正案第一四条の4以降、国交省資料でその新設条文が数百行、17頁に及ぶ)を費やしている民間の「指定登録機関」である。従来、国土交通大臣、都道府県知事が行っていた登録業務をまるごと民間に渡そうという案であるが、その是非は十分検討されているとは言えない。
 ある意味で、確認業務の民間移行と同様の問題をはらんでいる可能性が高い問題である。関係諸団体の中でもほとんど未検討の「改正」を紛れ込ませることは問題である。
 要するに、臨時的な対処と割り切れば、構造設計問題に限定すべきなのである。
3 建築基準法等もあらためて抜本的検討を
 以上の問題は、本年6月に行われた建築基準法等改正についても言えることである。
 すなわち、民間確認機関(指定確認検査機関)の指定要件強化や特定行政庁による指導監督の強化その他の「業務の適正化」は、緊急・臨時の対応に過ぎないのである。
 姉歯元建築士による偽装は、彼のような人物の存在自体が特異な事件なのではなく、その偽装を発見し未然に防止できなかったシステムの側にこそ重大欠陥があったのである。そしてその欠陥は、民間営利企業が確認検査を行うことにこそあったことは明らかである。しかし、現実問題として、民間機関抜きには確認業務が実行できないため、やむを得ず当面の対応として「業務の適正化」を決めたと考えるべきである。
 「確認」は、国民の生活・活動の場の安全確保、地域空間の活力向上、美しい町並み景観の持続的創出(その中には伝統文化景観の保存も含む)などに責任を持つべき社会的・国家的任務であり、より充実した人員配置をした上で、公的に、すなわち特定行政庁が行うべきなのである。それをどのように実際的に実現できるかを、じっくり検討すべきである。
 建築基準法については、半世紀にわたる部分的改正の積み重ねにより、条文自体が複雑怪奇な状況に至っていることは、多くの関係者が指摘している。今後必要なのは、部分的な手直しでなく、全面的な作り直しである。建築基準法・建築士法・建築業法等々の配置・構成も見直して、全面的刷新が必要である。
 そのことを見据えながら、当面、建築士法も、臨時の、最小限の改正とすべきである。
4 一括下請け禁止(丸投げ禁止)に例外をつくってはいけない――これは建築設計の基本に関わる問題を含む
 今回の建築業法改正で、建築工事の一括下請け禁止(丸投げ禁止)を強化したことは評価できるが、そこに例外規定を潜り込ませた点は誤りであると思う。
 「○○○以外の建設工事で」「発注者の書面による承認を得たときは」と限定をつけて「一括下請けを禁止しないものとすること」(建築業法改正案、第二二条3)という案であるが、このような限定をつけても、それが抜け穴にならないとは限らない。一括下請け(丸投げ)等という行為が何故行われるかを考えれば、例外を作らず完全に禁止すべきである。
 実は、これは建築の根本にも触れる問題である。建築は、発注者(建築主)の資金で作られるが、しかし、発注者のみの利益を追及して作られてはならないものである。多くの建築は、発注者とは別に、実際の使用者たちが利用するのであり、また、その建築周辺の多くの人々が目にするものである。建築設計は発注者の要望のみに追従してはならないのであって、建築の使い手・住み手、そして地域住民のために行われなければならないのである。このことも建築士法に明記されるべきことである。
 今回の改正の事前検討中に出された社会資本整備審議会答申「建築物の安全性確保のための建築行政のあり方について」の文中にも、たとえば次のような記述がある。
建築士の行う業務は、法令を守りつつ、建築主の利益を保護するため、~~
これは、
3 建築士制度、建築行政の執行体制等の見直しに向けた基本的な考え方
(1)建築士制度に対する信頼の回復
④工事監理業務の適正化と実効性の確保
の一部分であるが、「建築主の利益を保護するため」の部分は当然、「建築主の利益および建築物の実際の使い手の生命・生活を保護するため、また、町並み景観を創出するため~~」に修正すべきである。こういう考え方が、法案はじめあらゆる部分に――義務教育も含めて――明記されることが必要である。

『建築とまちづくり』2006年9月号より  

 

■東京支部第2回建まち展「地域で暮らすために個々が出来ること」開催

■故平本重徳さんを偲ぶ

■群馬支部・埼玉支部――合同実践報告会開催


東京支部第2回建まち展「地域で暮らすために個々が出来ること」開催

 9月16・17日の2日間、東京の下町・谷根千(やねせん)と呼ばれる地域にある不忍通りふれあい館にて「建築とまちづくり展――地域で暮らすために個々が出来ること」を開催しました。2日間の来場者は、地元の根津神社300年祭と重なったこともあり、300名を超え盛況でした。近県の神奈川支部・千葉支部・静岡支部の方々にもお越しいただき、にぎやかな会となりました。

【1日目/9月16日(土)】
 会場は1階・3階・4階で、午前中は1階と4階が展示、3階が相談会場という構成です。10時すぎに開場になりました。
 展示は支部会員それぞれの実践のほか、会員と仕事上のつきあいのある施工者や建材業者、遠くは長野の地域材ネットワークのNPOまで、多くの方々の協力を仰ぎました。
 さすがに午前中の来場者はあまりなく、事前に地元住民に対して宣伝していた建築相談に人が来なかったのは残念でした(その後、相談企画の時間外で2組の相談がありました)。
 午後は3階の相談会場は閉め(抽選に漏れたので)、1階の展示と4階のミニ講座+展示という構成でした。
 ミニ講座が始まるころには来場者も増え始め、第一講座「住み続けるための耐震改修」が中盤にさしかかる頃には席の3分の2ほどがうまる状況で、まずまずの入りだったと思います。
■第1講座「住み続けるための耐震改修」
 NPO設計協同フォーラムの大力好英さん・高本明生さん・木下龍郎さんに、戸建て住宅の耐震改修に関して事例報告を中心に話してもらいました。
 建て主の状況に合わせた耐震改修方法、「すまいの健康診断」の依頼からリフォームに至る経緯、耐震診断・耐震改修に関する行政の支援制度の現状と課題などの内容で、これから耐震改修に関して住民・専門家それぞれの立場で関わっていくうえでのさまざまな可能性・課題の一端を確認できたのではないかと思います。
■第2講座「住民としての建築士のスタンスって難しい」
 神奈川支部の小野誠一さんによる、生まれ育ってきた地元・川崎という“地域”での住民・建築士としての様々な取り組みについてのお話です。
 「子育て~保育園を通しての“地域”とのつながり」「“地域”の中の工務店とのつながり」「技術系諸団体とのつながり」「“地域”にある耐震偽装マンション」「子育て~小学校を通しての“地域”とのつながり」「住民として建築士として【考察】~まだまだ続く“地域”の未知の世界」という小項目にそって、時にはボランティア、時には収入の少ない仕事を通して“地域”と関わっている姿に、自分が生まれ育った地元に根付いて生活していこうという小野さんの強い意志を感じました。
■第3講座「東京問題研究会の取り組み」
 東京問題研究会の野口哲夫さん・松木康高さん・高田桂子さんによる、東京支部の定例勉強会である東京問題研究会のこれまでの取り組みについての報告です。
 内容は、東京問題研究会の活動目的、今後の方向性、韓国ソウル市のチョンゲチョン(清渓川)復元事業の報告という内容でした。東京問題研究会では“地域で暮らす”ことに関わる様々な問題を扱っているのですが、今回はその部分が希薄になってしまったことが少し残念でした。

【2日目/9月17日(日)】
 2日目は1階・3階が展示、4階がミニ講座+展示です。
 天気予報では終日雨となっていましたが、実行委員の願掛けのおかげか、15時くらいまでは何とかもってくれたようで、前日にくらべて来場者も多かったと思います。
■第4講座「山谷プロジェクト」
 新建東京支部会員の大崎元さんによる、東京の寄せ場・山谷地域において98年から新建会員有志が取り組んできた活動についてのレポートです。
 路上生活者など「ホームレス」状態にある人たちへの「居住保障」を実現し、地域居住保障のための方法論を確立することを目的とし、具体的な居住施設建設に関わってきた活動など。一緒に活動してきたNPO「ふるさとの会」代表者の水田さん(とても魅力的な方)は関西から来られた“外部の人間”であり、地域に関わる一つの形態として“外部の眼”や“外部の力”が果たす可能性などについて、興味深い話が聞けました。
■第5講座「下町3階屋・はん亭物語」
 会場近くで串揚げ処「はん亭」を経営されている高須治雄さんによる、住まい・店舗として住み続けてきた木造3階建ての建物にまつわる“物語”です。
 前半は高須さんと建物の出会いから現在に至るまでの様々な苦労・喜びなどを、設計者の浦さんと大工棟梁の芹田さんの体験談を交えながら、実に魅力的に語っていただきました。
 後半は新建東京支部会員の山本厚生さんがコーディネーターとして加わり、高須さんの「はん亭」に対する熱い思い、谷根千地域で明治時代に建てられた建物を維持してきたことの意味、その地域に住み続けてきたのではない人ならではの功績などの内容を、さらに深く掘り下げる“掛け合い”が見所でした。
 この講座がはじまるころには来場者は会場に入りきれないほどに増え(40名定員の会議室で70名超)、内容もその期待を裏切らないとても充実したものになったと思います。
■エンディングセッション「地域で暮らすために個々が出来 ること」
 5つの講座の内容をふまえ、改めて「地域で暮らすために個々が出来ること」とは何なのかを、各講座のオブザーバー(第1講座=新井啓一さん、第2=林工さん、第3=松木康高さん、第4=岸岡のり子さん、第5=山本厚生さん)と参加者とで自由に意見を出し合う形で“セッション”しました。
 まず各オブザーバーが講座の内容を報告し、そのうえで「地域で暮らすために個々が出来ること」という観点から感想・意見をそれぞれ述べました。その後参加者全員で自由に意見を出し合い、「地域で暮らすために何か特別なことをしなければいけないのか」「“暮らす”ことと“生活する”ことの定義の違いとは」「地域に対して外部の人間ができる取り組みとは」「専門家にとっての地域で暮らすこととは」などの内容で活発な議論がなされました。
 セッションの最後に、「“地域で暮らす”と言ってもその形態・考え方は様々であり、“地域で暮らす”ために個々ができること(やりたいこと)も多種多様である。暮らしていく上で特に問題がなければ改めて何かに取り組む気はないという人の方が大多数を占めている。重要なのは“出来ること”の具体的な形態を導き出すことではなく(専門家として関わる上では重要な役割だが)、人にはそれぞれさまざまな“地域で暮らす”形態があり、住民として・専門家として関わる上で決まりごとなどないことを念頭に置き、最終的には物理的よりも精神的に“豊か”になることを目標に生きていくことが大切なのではないか」というまとめと提起を司会者・実行委員の立場から私がして、建まち展スケジュールすべての終了となりました。
■打ち上げ
 終了後、会場近くのバーを借り切って打ち上げをしました。まちあるきにあわせて来場いただいた千葉支部の面々も加わってくれたので、店に入りきれないくらいの大人数になりました。おいしい日本酒・焼酎・ベルギービールを片手にあちこちで議論の花が咲き、24時近くまで楽しく飲み、歌い、騒ぎました。後日、そのときの記憶が途中からない人が多数いることも発覚。痛飲で忘れ得ぬ夜となったようです。
  * * *
 「地域のために個々が出来ること」というテーマはただ1回の建まち展では語り尽くせることのないない大きなものです。今後も今回の報告集や来年以降の建まち展、日常の新建活動の中で考え続けていきたいと思います。
(東京支部・黒崎匠)

故平本重徳さんを偲ぶ

 新建築家技術者集団全国常任幹事、宮城支部の代表幹事(98~05年)を歴任され、長年にわたる設計活動の一方で、欠陥住宅問題にも大きな力を注いでこられた平本重徳さんが06年7月16日に亡くなった。去る9月29日に新建宮城支部が中心となり「故平本重徳さんをしのぶ会」が行われ、各界より70名の方々が出席し、生前のご活躍を偲んだ。改めて本誌を通して、平本さんの真摯な生き方とお人柄を新建運動に刻み込んでおきたい。

■新建運動と平本さん
 平本さんの新建運動との出会いや運動への思いを綴った「新建二十年と私、そして二十一世紀の展望」という小論がある(『建築とまちづくり』164号、90年11月)。
「私の新建みやぎの入会は設立時1971年で、30歳過ぎの頃であった。設計界に入ってまもなくであるが、設計者として一人前になるのに苦労していた時である。従って、入会はしたものの運動については、諸先輩の後についていくのが精一杯で、世の中に対する不満をもちながらも自信のある行動はできなかった。(中略)これからの私達の運動はどのような指標を持てるかを考えると、一つは住民の一員としての自覚と専門家としての役割を明確にして行動することであり、さらには、諸分野の人達と連携を持ち、多岐にわたる問題解決のプロジェクトチームをつくり行動していく必要があると思う。」
 また、
「新建設立の原点をもう一度ふり返って、市民・住民の立場に立って、設計監理本来の仕事や、種々の相談業務をみんなで協力し合って行きたいと思います。」(新建宮城支部ニュース「やっぺあ」98年12月号、支部代表幹事就任時のコメント)
 吹き付ける逆風の中、行く道は平坦ではないがこんな時代だからこそ、平本さんのような筋の通った、言行一致の生き方が最も大切にされなければならない時であると考える。

■住民と共に(欠陥住宅問題など)
 「しのぶ会」には欠陥住宅問題に一緒に取り組んでこられた方が多数参加された。今日社会問題化している偽造事件の根は、かねてから欠陥住宅問題として顕在化していたが、平本さんは問題発生の当初から被害者と共に、その現場で問題と向き合っていた。被害者の方が「しのぶ会」で読み上げた追悼文の一部と、ともに活動してきた方々の言葉を紹介する。
「私は平成11年5月25日の欠陥住宅の会に長男と二人で出席しました。その後平本さんから私の家のケースを担当することに決まったとの電話連絡をいただき、お世話になったのでした。お陰様で業者からの反論もなく約半年で和解することが出来ました。平本さんは寒さ体験をしたいと私の家に一泊して下さいました。お酒の好きな平本さんは二合びんとつまみの料理を持参され、おいしそうに飲んでいられるお姿が目に浮かびます。寒いので風呂に入っていただきたかったのですが、風呂には入りませんでした。聞くところによりますと、欠陥住宅問題研究会を立ち上げる時はお一人であったと聞いております。今後のご活躍をご期待申しておりましたのに、突然のお別れに言葉もございません。お世話になりました数々を感謝しつつ、心よりご冥福をお祈り致します。」
「欠陥住宅問題で20年前からの付き合いで、平本さんにべったりくっついて勉強してきた。裁判の証人尋問でもやさしさが裏目にでることも。尋問への答弁の際に最初に『そうですね』と同意する。これは大変まずい、相手の弁護士はすかさず『はい、結構です』ということになる。その後『しかしながら……』と続く。本当にお金にもならない仕事を弱い人の立場で取り組んでこられた。」(弁護士)
「日本住宅会議でも一緒に活動しました。社会のことはきちんとおさえ、世の中のことを怒っていましたが、人の悪口は言わない素晴らしい人だった。」(大学教授)

■ベジタリアン・コーヒー好き
 ここに平本さんの日常を記す名文「ぼくの生活」(『家族の愛のために、建築のできること』1997年リヴァープレス社発行)がある。
「先ず最初に、ぼくの一日の生活を語ってみる。特別なことがなければ、まず同じ生活パターンである。(中略)テレビ(語学)が終わると、妻が作ってくれた薬草茶と薄い酵母パン二片とサツマ芋一切れをゆっくりと時間をかけて食べる。(中略)昼飯は、クライアントや友達と一緒の時は別にして、ぼくの部屋でとる。妻の握ってくれた玄米のおにぎりと、ぼくが作った野菜汁だ。」
 澄み切った心温まる文章で、全文紹介できないのが残念。酒も純米酒が専門、ベジタリアンに徹していた。が、「しのぶ会」ではある方が、「(平本さんに)玄米にしろ、夜に強くなると言われ実践してみたが効果がない」という話も。
「20数年前飲食業をやっていた。設計をたのむことになり、「焼き鳥とバロック音楽」を基本に、ふるまい酒のみとし、炭で焼き、化学薬品は使わない本物の店にした。英語ぐらいしゃべれないとだめということで今日来ているE氏(平本さんの語学教師)を紹介し、前向きに勉強していた。バリ島にいくことになったが、独特の人相をしているので入国審査が通らなかった。審査官はワイロが欲しかったらしく、結局胸にさしているペンをあげることになり、残念がっていたのを覚えている。とにかく喫茶店が好きだった。」(企業家)
「30年前に山岳連盟で出会った。図面だけではつくれないのであれこれ言いながら仕事をした。その論争相手がいなくなった。」(建設業経営)
「住宅地開発から水芭蕉を残そうという運動を一緒にしました。今も移植し生きています。」(クライアント)
「私の夫は3年前に亡くなりました。(夫も)医者ぎらいで、悪いところは自分で治すという主義。(出席者への思いをも込めて)どうか医者を嫌わないで、食べずに命を刻むことなどしないで。命を大切にしてほしい。世の中と手を繋ぎ合って生きていかなければならないのだから…。お願いします。」(同心座を一緒に開設したS氏の夫人)

■「ゆっくりお休み下さい。平本さん」
 「しのぶ会」の最後に新建宮城支部の元代表幹事で活動をともにしてきた宮田猪一郎氏が思い出と抱負を語った。
「平本さんは25年前に独立されたが、私も亡くなったSさんも一致して新建運動の拠点をつくろうということになった。他Tさんも含めて4人で同心座をつくった。45坪の酒屋の蔵を利用したもので、地域にも開放した。当初は仕事もなく昼間から酒を飲んでいた。「設計を共同化する」というのが目標だったので共同設計を何度もやったが、「対等な共同化」は試行錯誤の繰り返しだった。その後マンション建設のため立ち退きに。Sさんは駅前に移ったので、3人でなかすぎ村をつくった。“村外”の設計者も含めて「住まいづくりの会」をつくり、平本さんは事務局長でゆるやかな共同設計を行ってきた。しかし納得できる状況には至らなかった。みんな好きなことをやってきた。なかなかできないことであり、(平本さんも)幸せだったと思う。あと10年も生きていればこうはいかなかったかも知れない。こんなにたくさんの方にお集まりいただき、本人も幸せだったと思っているのでは。今後とも新建の拠点を守っていこうと思っている。」
「良寛和尚が生まれたところで佐渡島が良く見える生地和島村に帰りました。」(弟・平本正徳さん)
 ご冥福をお祈りいたします。
(宮城支部・宮田猪一郎+加藤日出夫+伊藤雅敏+阿部重憲)

群馬支部・埼玉支部――合同実践報告会開催

 毎年恒例の埼玉支部群馬支部の合同実践報告会が、10月14~15日、前橋市の「おおさる山乃家」で開かれました。会場の都合で昨年より一週間早い開催となりましたが、好天に恵まれ、紅葉も始まって美しい風景の中での開催となりました。埼玉支部から6名、群馬支部から9名の参加(うち2名が初参加)でした。
 初日の14日は夕食後、交流会も兼ねた報告会となりました。まず埼玉支部の星さんから「特別養護老人ホームくるみ」の新築工事について、プロジェクターを使った丁寧な報告がありました。これについては奈良支部から群馬へ転入された深津さんから、自身が奈良で経験した特養の設計の実践をふまえて、①2階建てになった経緯、②2箇所ある玄関について、③浴室について、④トイレについてなどの質問が出され、活発な質疑応答、意見交換がなされました。
 そのほかに、群馬支部から、設計中の保育園の増築・施工中の見学をした住宅の完成写真等が報告されました。
 二日目の15日は9時より研修室での勉強会となりました。
 最初に高崎健康福祉大学の松本先生に「農山村と都市の交流のすすめ」と題して講演をしていただきました。前半では、地方農山村の人口減少問題(年齢別独身男性の割合)・地方都市の都市計画の失敗(人口密度の比較)などが、具体的に群馬の例をあげて解説され、後半では、ご自身が実践された「マンション管理者組合展」に、山村(群馬上野村・甘楽)から観光紹介のコーナーを出店するまでの経緯を報告していただきました。ともにたいへんわかりやすいお話でした。
 次に埼玉支部小幡さんからは、ご自身が活動して制定された八潮市での高度規制や、空き公団団地の1階を老齢者専用の住居として活用させている実践報告がありました。
 また一年後を楽しみに、秋深まる赤城山をあとに帰路につきました。
(群馬支部・貝磯博子)

【参加者の感想】
■小幡さんの報告について
 八潮市の住民運動の報告を聞いて意外な力強さを感じた。
 今まで様々な地域でマンション建設はよく問題になっていたと思うが、ほとんどの場合、最終的には着工していた。よくテレビなどで目にする反対運動では、建設関係者による形だけの説明会が開かれただけで、はっきりと白黒つかないウヤムヤな状態にされ、反対住民を残したまま結局着工に至っていた。そういう事例をどのように撤回に持っていくのか興味深かった。
 レジメに書かれていたように過剰な反対運動でやめさせるよりも、いかに話し合いに持っていくかを考えることが効果的なようだ。住民同士を結束させ、議員やPTA、行政も味方につけ、問題点を整理し、事業者と話し合いを積み重ねるようにする――ということを小幡さんは話されたが、これが非常に大事なのであろう。たしかにお互い一歩も引かないのではなく、いかに歩み寄れるような話をしていくかが重要だ。そうしないとお互いムキになっていくだけで、どちらも妥協できない。反対運動というと過剰な運動を起こしてしまうのもわからなくはないが、これでは良い結果には結びつかないというのも納得できた。
 長期間の運動になる場合、住民同士が結束していないと、運動を続けていくだけの体力が続かなかったり、それぞれが自分の主張ばかりして話がまとまらなかったりする可能性が高い。バザーやお花見、餅つき大会など、イベントを催すことも住民運動には必要なことであるのも頷けた。様々なつながりを持った人や多業種の人間が集まることによって、多方面から多角的に問題をとらえられるようになるかもしれない。
 一市民ではどうにもならないことでも団結した住民運動で良好な環境が守られ、また、携わった人たちによってマンション反対運動がまちづくり運動に発展していくというのは、とても素晴らしいことだと思った。これを実現した八潮市はとてもエネルギーがあると思うし、他の市町村でもぜひ実行してほしいと思った。私の住民運動に対する意識が少し変わったような気がした。
■松本先生の報告について
 群馬には古民家が多く残っているようだが、ほとんど生かせていないという報告があった。
 松本先生が提案した「暇を持て余している都会の高齢者が南牧村に来て農業を体験し村を活性化する」という考えは非常に面白かったし、現実的にも不可能ではないだろうと思えた。旅行会社などが試験的に体験ツアーを行っても希望者はいるのではないだろうか。現に報告の中で首都圏から移転してきた夫婦が意外に多いという調査結果があるようなので、希望者はいるのだろう。
 スキー場も温泉もない中山間地でも、自然はだけはいくらでもある。高齢化が進んでいるが、知恵を絞り人が来るように若返らせることは可能ではないだろうか。報告の中で具体的な話もあり、すぐにでも実現できるのではないかと感じた。私も興味があるので、もしそのような機会があればぜひ参加してみたいと思った。
 都会のマンション事情から古民家再生への着眼点が非常に面白く具体的であるので、とても楽しかった。これによって都市と農山村を結ぶネットワークが確立されれば、都市の人間にとっては農業に触れる機会ができ、農山村の人にとっては村が活性化する。それは双方にとって良いことだと思うし、そうなってほしいと思った。
 高齢化した村の現状を知り、都市とのつながりを見出すことは重要であり必要なことだと感じた。それでいて村興しにもつながり、都市生活からの脱出、農業経験もさせてくれる。まだ調査中であるとのことなので、この先どのような方向に進むのか楽しみです。
(埼玉支部・橋本規男)

『建築とまちづくり』2006年8月号より  

 

2006建築とまちづくりセミナーin犬山開催される

萩原光男さんを偲ぶ

耐震補強での対応

京都支部──最近の企画報告

2006「建築とまちづくり展」in奈良準備中


2006建築とまちづくりセミナーin犬山開催される

 8月25・26・27日の三日間、「建築とまちづくりセミナーin犬山」が歴史と文化の町犬山市(愛知県)で全国から170人余の建築関係者を集めて開かれました。
 今回のテーマは、「ものづくり・まちづくり・ひとづくり」。
 第1講座は、吉田桂二先生の「家づくりとまちづくりを結ぶ」。「空間をもって語らしめよ」と語られるお話と数々の美しいスライド写真に参加者は、魅了されていました。講座後も若い参加者から「吉田先生を囲む会の中でいろいろな話が聞けたのがよかった」と感想が寄せられています。
 特別講座として伝統の山車からくりを現代によみがえらせたドキュメンタリー「平成の職人の挑戦」の上映。「あいちの木で家を造る会」「職ネット足助03」などの地域に根ざした住まいづくりのとりくみが報告されました。
 二日目は、石田犬山市長のミニ講演会「城下町が生き続けるまちづくり」ではじまり、参加者は、「まちづくりは先祖の声を聞いてやれ」の言葉におどろかされ「『変えてはいけないものを大切に』『感動をお金で造ってはダメ』など行政の首長の立場からの言葉としては印象的」とうなずいていました。
 第2講座は、本多昭一先生の「建築に生きるためのいまどきの常識」。「建築設計でメシが食えるか」から「いま進行中の出来事」(建築法改正の動き)までのお話。
 恐ろしいと思ったのはスライドで見た福井県・大野町の体育館建設の話。「犬山市長はトップダウンで道路拡幅を中止し、まちづくりにつなげた。大野はトップダウンで欠陥建築をつくってしまった。手法は同じだが評価は大いに異なると思う」と参加者は比較しています。
 第3講座は、延藤安弘先生の「住まう・遊ぶ・かかわる・変わる・まち育て」。こんなに笑った講演は、かつてなかったでしょう。先生の軽快な語り口と二丁拳銃のようなスライドさばきは、もはや名人芸の域に達しています。「演」から「円」「縁」を感じさせる講義に参加者は、「はじめから終りまで引き込まれて聞いた。ユーコートの話は奇跡のようだ」と感じ入っていました。
 犬山市内見学会は、ボランティアの方々のガイダンスつき。犬山城と如庵という国宝が隣接するという好条件もあって「木曽川が眼の前にあり、本町通りの街並みは、本当に面白かった」と喜ばれていました。
 最終日第4講座は、三沢浩先生の「F・L・ライトの建築と帝国ホテル」。三沢先生の講義を聞いて明治村でそのまま現物を見られるという超贅沢な企画です。貴重なスライドも多く参加者のみなさんは、ライトという天才建築家を肌で感じることができたと思います。
 各講座や見学会は、日ごとにそれぞれ関連しあっていて「犬山市長―本多先生―延藤先生の講座がつながりのある内容で大変よかった」「訪れた町の歴史を知り、町の成り立ちを知った上で見学すると、ぜんぜん違います」と好評でした。
 全体を通してなごやかなセミナーで、参加者はいつもより若い方が多かったようでした。
 「夜の部がまた楽しく討論できて勉強になります」「意識の高い人たちの集団ですね」とみんな熱心に学習し交流していただけたと思っています。
 セミナー会場と宿泊が同じ施設の中で行われたのは、円滑な運営の大きな要因でした。
 愛知支部としては実行委員会を組み、半年以上にわたり準備を重ねて開催にこぎつけました。苦労も多々ありましたが、支部の仲間の絆がより深まったことが大きな収穫で、協力していただいた皆さんに感謝しています。
(実行委員長・愛知支部・河合定泉)

【参加者の感想】
▼愛知支部の皆さん、企画・準備・案内・片付けとありがとうございました。
 「ひろば」欄に感想を、と二次会でだいぶ酔ったころ頼まれましたが、私は2日目の第三講座からの出席で、犬山はたいへんよかったとしか言いようがありません。三日間出席した人に申し訳ありませんので、静岡支部と夏の建築とまちづくりセミナーの関係を書きます。
 静岡支部では夏の建まちセミナーは5年前まで全く無視という感じでした。10年くらい前までは、毎年静岡支部独自で夏にセミナーを行っていました。これと日程がだぶることもたびたびありましたし、以前は全国の行事に対してアレルギーというか、敵対関係さえ感じるような雰囲気で、全国大会・全国研修会の行き手がなく人選に大苦労という状態でした。私もあまり新建の会合に出席していなかったので、まったくと言っていいほど全国の行事には接したことがありませんでした。
 支部で私が事務局を担当したその年の建まちセミナーは岐阜県の飛騨古川・国府であり、内容が大変いいので静岡支部をあげて行こうと行事に組み込み働きかけましたが、希望者はゼロと悲惨なことになり断念しました。
 翌年の建まちセミナーin軽井沢でもう一度チャレンジし、その年は静岡支部の大石治孝氏の講義もあり、5人が出席しました。私も初めてでしたが、講義、見学場所、交流会、二次会と大変楽しく、勉強になりました。
 次の年は近江八幡で開催。すっかり病みつきになり7人、そして昨年の北海道は遠方なのに6人も行きました。
 そして今年の犬山は9人。前年行ったら面白かったので翌年も参加するというメンバーがどんどん増えてきています。会員以外でもポスターを見せると大変興味をもってくれます。今回会員以外で参加してくれた方がセミナーの当日入会してくれました。
 また夏のセミナーがきっかけで、静岡支部独自で以前やっていた夏のセミナーをもう一度やろうという声が出て、3年前から新建静岡支部合宿ということで始めました。昨年は神奈川支部と合同で、小田原で行いました。今年は伊豆の松崎町で6月10・11日に、講師に長谷川尭氏を招き、約30人で行いました。このように全国の支部で遠方で参加できないところは、支部独自でやってはどうでしょうか。
 静岡支部からの参加は来年はもっと増えると思います。皆さんもぜひ一度参加してみてください。大変勉強になり楽しいですよ。
(静岡支部・吉田昌博)

▼新建に入会して10年。ヒラ会員、支部幹事、全国幹事と、トントン拍子に“出世”してきた自分にとっては、遅すぎる建まちセミナーデビューである。そして『建まち』誌という全国版にも、初参加にて初投稿という、またしても大出世である。掲載されるかどうかはわからないから、初掲載とは書かないことにします。
 初のセミナー参加で強く感じたことは、建築の世界は今一度昔を見直し、今後どういう建築が、どういう考え方が、大切なのかを建築士ばかりでなく社会全体として見直さなければならない時代を迎えているということ。単体としても集団としても考えさせられたことであった。
 家づくり(単体)においては、昔なら当たり前のように考えられていた「日照・通風・換気」という本来自然の力でなされるものが、現代はみな機械でなされているという現実を非常に危機的な状況として訴えているように感じた。近年、高気密・高断熱が当たり前のように望まれ、結果、開口を大きく取ることができず、そのことが近所付き合いにも支障をきたし、ひいてはまちづくりにまで影響を及ぼすものだということ。また「住宅を考える上で、個人ばかりでなく近所をも考慮した考え方が大切でそれが町づくりへとつながる」という話に、家づくりの奥深さ、それが決して単体ではないことを深く考えさせられた。
 まちづくり(集団)では、一人の少女が生まれてから自分のまちが自らの行動により住みよいまちへと変貌していく様を描いた絵本の紹介に、時の経過とは逆に何か過去へとタイムスリップをしているように錯覚したものだ。その後の絵本に近い話が現実として紹介されているような地区活動や、集合住宅の話など「一つの建築が、一つの建物が、一つのまちを形成することはあるんだよ。むしろそうあるべきなんだよ」「建築ばかりではない。町中において道は昔茶の間だった」ということも合わせて教えられ、行政で働く人間として非常に考えさせることの多い内容だった。
 「平成職人の挑戦」という平成祭屋台新造の記録映画では、伝統職能の継承ということを改めて考えさせられた。どの職種も最も建築と密接な職でありながら、今では建築の中で見られることがほんとうに稀になった職人芸を、今一度見直すことができた良い機会であった。実際、私の祖父が靴職人で私自身も昔は職人になりたいと思った一人であり、映画に出演する職人一人ひとりが非常に眩しく、またうらやましく思えたものだ。
 その他、国産材利用・活用推進運動等、どれをとっても昔は当たり前みたいに考えられていたことを、今一度思い出さなければならないと感じるものばかりであった。
 反省点を少し。前夜の夜更かしがたたり2日目の市長講演、本多先生の第二講座を聞き逃してしまったことは非常に残念であった。しかしながら他の部屋でもされたであろう、それぞれの夜を通しての先輩方から聞く建築談義も、これまた非常に貴重なセミナーの一環ではなかろうか。
(富山支部・高松利久)

▼2日目の犬山市長の講演と観光ボランティアによる歴史ガイダンス、そして市内見学という流れに合点しました。訪れた街に学び、暮らしを感じたいという思いに応えてくれるプログラムでした。毎回のセミナーに同様の仕掛けを是非にと感じました。
 3日目の三沢浩さんによる講座「F・L・ライトの建築と帝国ホテル」、明治村に移設された帝国ホテルの見学もまた、うれしい企画でした。三沢さんからことあるごとにお聞きする近代建築にまつわるお話が、少しずつ体の中に染みてきているようです。
 1日目の地元の取り組みを紹介する特別講座の中で、長野県庁の職員の方から、地元の木を活かし森を育む取り組みが報告されました。数年前に新潟県妙高で開催された建まちセミナーに参加され、その内容に触発されて、地元長野で取り組みを発展させてこられたそうです。新潟のセミナーでは、地域の森や林業、家づくりや木材利用などを有機的・総合的に絡め取り、とてもすばらしい体験と学習をさせてもらったことが思い出されました。
 その意味では、今回のセミナーは、全体を貫く柱が見えにくかったように思います。
 ところが、さすがは延藤安弘さんでした。犬山市長と本多昭一さんの講義をふまえ、自己了解された風土の大切さ(犬山市長)と、風土を無視した建築に対するしっぺ返し(本多さん)という共通項を示された上で、実は自らもその市民参加のプロセスに関わり、途中で「もういらん」と言われた経過を語られました。その顛末を嘆くとともに、その修復に乗り出した新建への期待を述べられるという切り口に、そうみるのか、と感服すると同時に、自らの感性のなさを反省した次第です。
 都市計画道路を廃止して自然と先達を大切にしたまちづくりを進めようとしている城下町犬山で、近代の宅地家屋計画への反省と町屋の再考が提案され、伝統に根ざしたものづくりへの心意気が映し出され、風土に根ざしたまちづくりへの思いが溢れていました。風土を無視した行為の愚かさが暴露され、ひと・もの・ことの幸せな共振関係が紡がれ、近代建築の風土をとらえようとする過程にふれられたセミナーでした。
(東京支部・丸山豊)

▼今回初めて参加させていただいた建築とまちづくりセミナーでした。参加したのは最初の2日間でしたが、著名な講師の方々の講座や伝統的な建築物が多く存在する犬山を体験でき、充実した時間を過ごすことができました。
 吉田桂二さんの講座では、実際の図面を見ながら中庭・平面計画などの有効性などを話していただけたので、わかりやすく興味深い話でいっぱいでした。
 本多昭一さんのお話では、今福井で問題になっている大野市シビックセンターの問題などを聞き、私の地元である福井のことでもあり、さらに問題の重要さを身近に感じることができました。
 延藤安弘さんのお話は、映像を使ったまちづくりについて。普段私は、専門家の話は少し難しくなかなか住人さんには伝わりにくいと思っていましたが、延藤さんの話はすごくわかりやすく楽しいものでした。このような話し方をすれば、住人の方々に楽しみながらまちづくりというものを深く理解していただけるのだろうと感動しました。
 講座では他にもここに書ききれない充実した内容で、さまざまなことを学ぶことができました。
 最後にこのセミナーを受け、ここでしか味わえない一番よかったと感じることを書きます。それは、講座で勉強し街並みを体験して感じたこと、日頃思っていることを、年齢・所属を関係なく大交流会で話し合えるところです。学生である私の意見にも真剣に耳を傾けて話をしてくれた様々な専門分野の方々のおかげで、実際に働いて感じる生の意見が聞けてすごく感激しました。
 また、教科書や読んだことのある本を書かれている方が目の前で私と対等に話をしてくれているところが、このセミナーに参加にしてよかった点だと思います。普段の学校生活ではわからないことをお話や体験を通して感じることができるので、ほかの学生にも参加してほしいと思いました。
(福井・学生・出蔵善彦)

▼私にとって建まちセミナーに参加することの魅力は、三つあります。
 一つ目は、たくさんの講座に参加できてとても勉強になること。今回は四つの講座と特別講座、市長講演を聞くことができました。どれも大学ではなかなか聞けないような興味深い内容でした。延藤先生の幻燈会は何度か拝見した内容のものもあったのに、やっぱり笑ってしまいました。途中、私も写っている写真や「田村のおっちゃん」が出てきたのが少し恥ずかしかったですが……。
 二つ目は、実際に建築に携わっている方々と直接お話することができるということです。今回は、延藤先生の講座でユーコートのスライドがあったこともあり、何人かの方から私の知らないユーコートの話や、コーポラティブハウスの話を聞かせていただくことができました。また、今回のセミナーには私と同年代の方もたくさん参加されていたので、お互いの建築に対する考え方や将来のことについて話し合え、自分自身についても考えさせられることがありました。
 三つ目は、専門家の解説付きで、専門家の人たちと一緒に建築を見学することができるということです。帝国ホテルの見学では三沢先生の解説があったので、装飾についてや天井の高さについて、あるいは解体される前はどうなっていたかなど、ここでしか聞けない話を聞くことができました。また、さすが専門家が集まっているだけあって、私では気が付かないようなところにも関心を持たれ、それに対する推測や意見などを話し合っていらしたので、私はそれを横で聞いて「ほー、なるほど!」などと思ったりしていました。私ひとりで見学しても帝国ホテルをこんなにじっくりと見学できなかったと思います。とても充実した見学会でした。
 このように様々な年代、地域の人と建築について話しをしたり、見学をするという機会はなかなか得られません。今回の犬山でのセミナーもとても良い勉強になりました。
(京都・学生・田村彩) 

▼今年で2回目のセミナー参加。建築の勉強を始めてから初のセミナーだったので、ものすごく楽しみにしていました。
 電車に揺られ、着いた犬山は木曽川での鵜飼いががあったり、楚々とした町並みがあったりの素朴な町。なかなか良かったです。
 講義はどれもおもしろく、特に延藤先生の幻燈会や「道は街の縁側」、住民と一緒にまちを育てていくという考え方には共感しました。そして本当に先生方が“若く”情熱的で、負けてられないなと思います(もっと勉強せねば……)。
 夜の交流会でも「建築やりたい」魂に火をつけられました。実際に現場で働いている人の話は学生の身には新鮮で、やはり生の声を聞くのは大事でおもしろいです。
 今回のセミナーでは、本当にたくさんのパワーとやる気をもらいました。来年も参加したいです。
(京都・学生・久永亜紀)

萩原光男さんを偲ぶ

 静岡支部会員で長らく全国幹事も務められた萩原光男さんが06年8月15日に亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。萩原光男さんを偲び、静岡支部のメンバーに追悼文を寄せていただきました。
   * * *
▼萩原光男さんは終戦記念日の、去る8月15日、満60歳の誕生日に亡くなられた。退院も間近いと喜んでおられたご家族の嘆きは計り知れない。葬儀に参集された人々は異口同音に早すぎた死について語りあっていた。
 萩原さんに出会ったのは30年以上も前のことであった。記憶に残っているのはけっこう突っ張っていた青年であった。黒縁メガネで現れると次には縁なしメガネであった。わたしたちはよくコーヒー屋で話しあったが、彼はいつもテーブルに肘を立て、手指で顎を支えるポーズで過ごすことが多かった。持病のためお酒は長らく自粛していたが、後年、少量ならばよいと、私たちは陽気な席を楽しんだ。村野藤吾論も随分と軟化した。
 そのうち、萩原さんは地域社会で世話好きな頼られる存在になっていった。町内の親睦会、またいろんな行事に参加してよきリーダーシップを発揮し、近くは民生委員として信望を集めていたのである。新建の会議でも、彼の顔が見えると、わたしはいつもホッとしたものである。場の空気が和らぎ、私の心中にも安心ムードが広がり始めるのだった。
 最後になってしまったが、彼の仕事についても語りたい。萩原さんは新建では数少ない店舗デザイナーであった。もちろん住宅設計もこなしていたが、現場のあれこれを熟知しているとともに、店舗設計のポイントをはずすことがなかったのである。
 いわば無名の、けれども市井の建築デザイナーとして、地域の人々から親しみを持って尊敬され、温厚な面影を残していった萩原さん。それは到底わたしなどに真似できることではない。あとからあとから続く葬送の列を見ていて、わたしは「萩原さん、よかったね」といわずにはいられなかった。
  秋色 日に日に 深く
(大石治孝)

▼私が新建に入会したのは25年程前。萩原さんはすでに会員として活躍されており、その頃から会の中では存在感が漂っている感がありました。
 特別言動に強いところがあるわけではなく、特別リーダーシップをとって会員をリードしていくわけでもなく、萩原さんのゆったりとした語り口調が時には聞く人を笑いの中に引き込みながら話題をまとめていく独特のスタンスを保有しており、持って生まれた良い性格が遺憾なく発揮されていたように思います。
 私が入会当時、静岡支部では年1回程度、日本の古い町並みを訪ねる旅を実施しており、萩原さんと旅行をご一緒させていただいたときに、持病のことをお聞きし、旅行中に薬を携帯してご自分でケアされていたことが印象的でした。
 新建の役員も長く務められ、全国幹事では静岡と全国の橋渡しをしていただき、全国への良き静岡の顔として活躍していただきました。
 近年には、時々話題の建築の見学にご一緒させていただいた折り、以前は薬の保存期間が短かったけど最近は長く保存できるようになったから少しは、長旅もできるようになったんだよと聞いていましたので、いつか旅行でもしましょうかと話をしていました。
 過去にも、時々持病の影響による体調不良で入院されたりしていましたが、いつもすぐに退院され、元気な姿を見せてくれていました。今回も、5月頃入院されたと聞きましたが、当然、また元気な姿で復帰されると思い、さほど心配はしていませんでした。
 そんな矢先、8月15日に突然、新建の多々良氏から萩原さんの訃報の連絡を受け、当初信じることができませんでした。聞くところによれば、容態が急変し、亡くなられたのがご自身の60歳の誕生日だったと聞き、これから建築の設計も円熟の域に入ろうとした矢先の出来事に、ご本人もさぞ無念であったであろうと思います。
 お悔やみの折り、ご遺体の枕元には、嬉しそうな顔をしてお孫さんを抱かれている写真が添えられており、ご家族の無念さもひしひしと伝わってくるようでした。
 現在では60歳は現役バリバリ。あまりにも早い死に残念でなりません。きっと今後の建築の行く末を天国で見守っていてくれていると思います。
 萩原さんのことをこんな形で書かなければならないのが残念です。
(石間均)

▼私が新建に入会した時からなので、萩原さんとは随分と長いお付き合いでした。経験豊富だった萩原さんには何かにつけ話を聞いていただいたり、相談に乗っていただくことが多くありました。
 特に親しくなったのは、萩原さんから静岡支部の全国幹事を2名にしたいという提案が支部総会であり、その時私を含め数名の候補者の名があがった頃からです。総会では決まらず、その後で私がくどき落とされたわけですが、萩原さんの「すごく勉強になるし楽しいことが一杯だよ、ちょっと大変な時もあるけど……」という軽い調子に乗せられてしまいました。
 幸い私も昨年で4年の任期を終えましたが、本当に貴重な経験をさせていただいたと萩原さんに感謝しています。全国のみなさんから得たこともさることながら、萩原さんと一緒に参加した全国幹事会や全国の企画などの際、いろいろと教えていただいたことが思い出になっています。
 そんな中から、萩原さんの仕事の仕方を真似ていることがあります。あるとき萩原さんが、「最近設計の仕事が楽しくてしょうがないやぁ。特にクライアントと打合せはすごく楽しみなんですよ。今設計しているクライアントとは、打合せが夕飯時になるとカレーライスのリクエストを出したりして、食事しながらやっているんだよ……」「とにかく住宅の打合せは楽しく家族みんなと話し合わなくてはだめだよね。これって新建の理念だよなぁ、なんか身についたような気がするよ」。こんな話には大変感心させられました。私もそれから全員参加の打合せを心がけ、現在手がけている2世帯7人家族の住宅ではそれが実行できています。7人と多勢ですが、家族のみなさんと一歩ずつ進んでいる感じがして、すごく楽しんで家づくりをしています。やっと萩原さんの言っていたことが少しずつ実践できてきたような気がしています。
 もう一つの思い出は、少しアルコールが入った時のことでした。「自分は所員を置くことはできなくて、後輩を育ててこなかったことを気にしています」という話をされたことがありました。私も萩原さんと同じ設計監理の仕事をしていて、この仕事を真面目に考える程、若い人を育てる難しさを痛感します。しかし、新建静岡支部には、まちがいなく萩原さんを信じて多くの若い方が入会しています。萩原さんの建築に対する想いは私を含め、若い会員にきっと学ばれていると思います。
 萩原さん、ありがとうございました。
(小杉剛士)

▼萩原さんの突然の訃報。享年60歳。若い。まだこれからだという時に。
 萩原さんとの出会いは新建の場で、私の3年後くらいに入会と記憶しております。第一印象は年齢の割りに分別くさい感じで.はやりことばで「オジサン」という感じでした。親しみやすく笑顔のさわやかな“兄貴”、全国大会、研究集会、講演会や各種行事を一緒になって活動して30年、調整役的存在でした。
 そうした行事の中で、新建静岡恒例[夏の古い町並み旅行]はいつも楽しみにされ、よく参加してくれました。企画する私にいつも、「桑さん今回も良かったよ、来年も期待してるよ」と毎回声をかけてくれました。
 その旅行もここ5~6年行っていません。萩原さんからは会うたびに「早く企画して」と言われていたのに、一緒に旅することもできなくなり、残念でなりません。
(桑高芳明)

▼このところ急に秋めいて、彼岸花が燃えたつように咲いています。
 萩原さんの突然の訃報、通夜そして葬儀からもう一ヵヶ月以上が経ってしまいました。夏の初めの下田でのセッションの折り、萩原さんのお顔が見えないので、お仕事で忙しいのかなあと思いましたら、体調をちょっと崩されたとのこと。面倒見の良い萩原さんだから、施主さんや他の方のことでも精一杯なさるから。皆に心配をかけたくないという萩原さんらしい優しいご配慮に、せっかく前の病気を克服なさったんだからゆっくりされたらなどと、何にも知らずに新建の方と話をしていました。
 私は新建の中で(といっても超サボリだったのですが)萩原さんとのチームで何か一緒に計画したりということは一度もありませんでした。今となってはとても残念なことですが、でも、新建の会合で萩原さんのお顔を見るといつもホッとして、心温かいものを感じていました。
 静岡の新建のメンバーはみなそのような雰囲気を持っていますが、これは、萩原さんの醸し出す優しさが伝わったものではと思えます。いつも穏やかに人の話を聞いてくださり、また話され、他の方をあげつらったり、あるいは威張ったりというお姿を見たことは一度もありませんでした。何か困ったことができたら萩原さんに相談すれば──と心密かに思っていたのは、私だけではないだろうと思います。
 神様は良い人を先にお連れになるのでしょうか。それだったら、萩原さんがもう少し良い人でなかったら、もっと長く私達と一緒にいらっしゃってくださったのではないかしらなどと、あまりにもがっかりしたので、新建の方と愚痴たりしています。ごめんなさい。
 ご冥福をお祈りしております。
(神保昌子)

▼新聞の訃報通知欄を見て、嘘だろうと一瞬わが目を疑いました。その二、三日前、最近萩原さんどうしているかな、しばらくお会いしていないなと思いを巡らした直後だったのでした。
 萩原さんとは新建を通じて二十数年来のお付き合いになります。新建静岡発足から十数年を経た頃、私も事務所運営と両立が厳しくなった頃が萩原さんの入会だったと記憶します。
 見るからに温和な風貌と語り口、一転仕事にはさぞ厳しいだろうなと感じさせるプロの肌合は、たちまちのうちに会員の信望を得、以後新建静岡の顔として活躍してくれました。今日、新建静岡が全国の中で元気な支部と言われるには、萩原さんに接し指導を受けた中堅の仲間たちがしっかり支部の中心に居るからにほかなりません。
 持病を抱えていることは承知していましたが、あまりに突然の死に、失ったものの大きさがひしひしと身に染みます。一度仕事を一緒にしたかった。残念です。
(鈴木武)

▼8月15日、ミツ建築デザイン事務所の萩原光男さんが亡くなりました
 5月の連休明けに腹部の病気で緊急入院され、8月初旬には医師から外泊許可がでるまでに回復されていましたが、亡くなる3日前に肺炎を併発し、遠くへ逝かれました。奇しくもご自身の満60歳の誕生日でした。
 萩原さんは新建静岡支部に所属し、永く全国幹事を努められました。主に店舗および住宅の設計監理の仕事をされていましたので、塗装種、塗装工程、造作木工事に明るく、会員の技術的相談にも精力的に受けられて会員の技術力向上に寄与していたと思います。
 また、支部企画はもとより静岡で行われた研究集会、全国大会などの全国企画にも積極的に参加し、支部の中心的役割を果たしていました。今日の静岡が全国の中で元気な支部と言われるように、人の交わりという種をまいたのは萩原さんだと思っています。
 全国幹事を務められている時、静岡推薦の全国幹事を現在の2名体制になるようにご尽力されました。この全国幹事2名体制により、後進の私たちに、より良い環境に整備していただき、感謝しております。
 葬儀の終わり、喪主である奥様のお言葉に「人がなにより大好きな人でした」とありました。その通りで、隣近所の人々が萩原さんのご自宅に寄り合い、親交を深められ、犬山セミナーの延藤安弘氏講座の中の「まちの中の縁側」そのものを実践されていたように思います。地元では町内会役員、民生委員を亡くなるまで務められていました。
 萩原さんとは私が新建に入会してからのお付き合いで、居住地も近く、公私にわたり親しくさせていただいた二十数年でした。何度か一緒に仕事もさせていただきました。技術はもとより、施主を引き入れ、巻き込んで根気がいる設計手法。設計者、施主、現場職人を含めた施行集団との意思疎通が大事な現場監理など、萩原さんから多くのことを学びました。
 つい最近、「今までは仕事を選ばなかったけど、これからは選ぶんだ」と言っていました。これからは今まで以上に、人に優しい、より萩原さんらしいものを創られるものと信じていましたのに、残念です。
(多々良文夫)

耐震補強での対応

 06年8月7日、欠陥住宅ネットの会員である弁護士・建築士等、約30名ほどが福岡市博多区の賃貸マンションの耐震補強工事の施工途中を見学しました。最初に1時間程度の座学をした後に現場を見学したため、参加者は理解が進み、興味深く熱心に見学をされていました。
 この建物はSRC造12階建て、総戸数91戸、99年10月8日建築確認(当初)で、姉歯元建築士の構造計算で木村建設が施工した物件です。調査の結果、2次設計で0・54と耐震強度が不足していたため、知己であった事業主から「元設計者にではなく福永さんにお願いしたい」との依頼を受け、05年12月から建築確認を行った福岡市と折衝を開始しました。
 耐震補強の主な内容は、(1)耐震壁の増設、(2)構造スリットの設置、(3)アウトリガーフレームの構築(2層)、などでした。
 特に(3)の地下を含むと3層にわたるアウトリガーフレームの構築が重要なポイントです。引き抜き力に対抗するため、杭を4本新設し、その上にフレームを架構しました。
 ここでは新設する杭・柱・梁と既存の躯体をどのような方法で接合するかが課題となり、今回はケミカルアンカーによる仕口を採用しました。建築の主要構造部の仕口にケミカルアンカー使うことは日本初で、国土交通省での個別認定を取得する必要がありました。
 06年3月11日、是正計画書とともに福岡市に確認申請を提出した後、JSCA(日本建築構造技術者協会)のメンバーや大学教授を含む有識者による検討委員会が開かれました。
 このように多くの過程を経て、06年6月7日に建築確認証が交付されました。工事も順調に進み、06年9月下旬に竣工する予定です。
 事業主が物件購入者からの買戻しや入居者の転居等に要した費用は約14億円でしたが、耐震補強工事に要した費用は約3千万円で、補償額の約2%強の費用で改修ができました。
(福岡支部・福永博)

京都支部──最近の企画報告

 7月~8月にかけて京都支部で開催された企画3本について報告します。
■京都聖三一教会見学会
 06年7月29日(土)、新建築家技術者集団京都支部、京都の近代建築を考える会、北区まちづくり研究会の三者で共催した京都聖三一教会(丸太町千本西)の見学会がありました。小雨がぱらつくあいにくの天気で始まりましたが、40名もの多数の参加がありました。
 建物は、1階が集会室で2階が教会になっています。99年に教会を大修繕されたとのことで、そのときの工事の教会側責任者であった信徒の安田さんが説明してくださいました。教会は2×4(ツーバイフォー)の建物で、基礎はレンガ積みとなっており、木の梁が7mほどの空間を柱なしで支えています。
 教会の位置づけとしてはこれは仮の建物だったそうで、これだけ長い年月使い続けるという想定ではなかったようです。そうしたこともあって、その7mの空間を支える柱にゆがみが出て安全ではなくなったため、耐震も考えた大修繕をされたのだそうです。
 構造的には、2階の床を支える梁自体を鉄骨の柱と梁で支えてあげて、これまでの雰囲気を残すために鉄骨を木材で隠す、という工事になりました。
 続いて日本聖公会聖アグネス教会信徒の辻野さんより、信徒であり画家でもあった園部秀治がデザインスケッチを描き、それを元に、ミッション系の設計を得意としていたバガミニーがまとめたということ、大工棟梁の宮川庄助による施工で建物が完成したことなど、建物の来歴をかいつまんで説明していただきました。
 最後に牧師の井田さんから、備品やミサについて説明をしていただきました。ミサの中で歌われる歌(日本人がつくった曲──つまり日本語のミサ曲──もあるそうです)を歌ってくださったり、司祭室等にも入らせていただきました。教会の中で一番大事なのは聖卓だそうで、日によって違う色の布を掛けるということでした。教会は天井が高く、神聖さに満たされていて、金の十字架とドッサル(背面の赤い布)で引き締まっていました。
(京都支部・桜井郁子)

【参加者の感想より】
▼私が聖三一教会を始めて訪ねたのは一昔以上前のことだ。教会の東側すぐにあった武田五一の第一期自邸の痕跡を探しにきたついでに、前を通りかかって外観を眺めたのが最初だった。真壁造の質素ながらいい建物だ、と思った記憶がある。
 今回の催しで、内外含めて、初めてじっくりと会堂を見せていただいた。特に椅子式の会堂は、欄間の格子など和風建築の要素も見られる。何より、質素さの中にも美しさのあるベンチや建具で構成された、素朴な木の肌触りのある空間に接するうち、私はにわかにこの建物のファンになってしまった。
 神父様の熱心なお話を伺っている中で、この教会の信者一人ひとりの思いの積み重ねが、今目の前にある修復・改修された教会堂のたたずまいに結実しているのだな、というありきたりだが強い印象を受けた。
 これからも末永くお達者で、と呼びかけてしまいたくなるような気持ちになったが、そのような建物と出会ったのは久しぶりである。
▼あんな素敵な建物が、ご近所の人たちにもあまり知られて居ないようで、何だか得したような気分で帰途に着きました。古きよき建物の保存には、多くの方たちの努力によって成されるものなんですね。頭が下がりました。良い企画を有難うございました。
▼集合場所である2階礼拝室へ入ると、盛夏の真昼の暑さを忘れさせる穏やかな空間がありました。視覚的にも少しひんやりと感じたのは、ギラギラとした陽光を柔らかな光に変える手作りガラスのおかげでしょう。
 初めての見学会参加だったので、少々緊張しながら集まってこられる会員の方々をしばし観察していました。
 教会の椅子は座り心地としてはいいものとは思えないのですが、長く使われてきたものが醸し出す空気に包まれて、集まってこられた人が次々にその場にすっぽりと落ち着いていくのを感じました。ほんの一~二時間の空間体験でしたが、包みこまれるような安心感を覚えました。
 併設されている幼稚園の子供たちにはこういう空間はどのように映っているのでしょうか。長い時間を経て文化財となった聖三一教会は、物理的に残っていくばかりでなく、子供たちが大人に成長したときも心の風景となっているような気がします。

■新入会員歓迎会
 京都聖三一教会見学会の後、源八鮨にて新入会員歓迎会を行いました。人気のお店なのでしょうか、結構混んでいます。それに安いです。今回はこの一年間の新入会者6人のうち2名(北村さん、山崎さん)が参加してくれました。参加人数は総勢17名。おなかいっぱい、楽しく交流しました。
 (後日談)──会員ではないけれど、見学会のついでにといって参加してくれた絹川さんが、この後会員になりました。
■連続木構造勉強会
 06年8月18日(金)、ハートピア京都にて下山建築設計室の下山聡さんによる木構造勉強会が行なわれました。毎回たくさんの方が来られる人気の勉強会ですが、今回も38名のうち新建会員外の方は30名と、盛況でした。
 基礎計画(ベタ基礎と地盤・不動沈下の関係)から軸組のポイント、耐力壁計画の解説していただき、さまざまな軸組 +荷重のパターンと力の流れをアニメーションで見られてとてもわかりやすかったと思います。
 木造の構造計画は経験則によって建てられていることが多く、また構造設計者によっても考え方の違いがあるのが現状です。ただ、共通認識として、木材の特性を知っておくこと(繊維方向vs直交方向の違い)はとても重要だと再認識しました。構造計画が意匠計画に大きく関わってくる構造体であることに違いなく、意匠設計者として計画段階から、最低限留意していかなければならないと改めて感じました。
(京都支部・小出純子)
【参加者の感想より】
▼構造については人それぞれの考え方があるので、なるほどと思う部分もあるし、そんなもんなのかなぁ?と思う部分もあって、どちらも参考になりました。まだまだ勉強しなくては!という思いを強くしました。

2006「建築とまちづくり展」in奈良準備中

 今日、建築とまちづくりをめぐって、社会的に様々な問題が生じています。たとえば、姉歯元建築士による耐震偽装事件、東横インによるハートビル法違反事件、高齢者をねらいうちした詐欺的金儲けのための「耐震補強改修」「シロアリ対策」などが世間を騒がせています。これらの不正行為は著しく建築士や建築関連業務の社会的信頼を傷つけました。
 しかし、本来、建築やまちづくりは人間が生きていくうえで必要不可欠であるばかりでなく、夢があり楽しい営みです。現に、今日の錯綜した社会にあっても真に人々の住生活を豊かにするために、先人の知恵や経験を受け継ぎつつまじめに努力している建築技術者も少なからず存在しています。
 また、歴史的伝統的なまちづくりにおいても他分野の人々と共同しながら地道に努力を重ねている建築技術者も存在しています。これらの建築技術者の仕事や理念は、建築界と社会の健全な発展のためにもっと広く世の中にアピールされねばなりません。
 以上のことから、今回の「建築とまちづくり展」は、いたずらに新しい流行デザインを追い求めたり、華美を追求することを旨とするものではなく、働く人々の様々な住要求を誠実に受けとめ、地域に根ざして奮闘する建築技術者の日々の仕事を紹介することに主眼を置いています。また、日々の仕事から生じる喜びや悩みを交流し到達点と課題を明らかにするなかで、いっそう豊かな住文化創造に寄与するとともに、建築界の健全な発展と社会的信頼の回復をとりもどそうとするものです。
 この建まち展の開催に向けて、今年の春から実行委員会による打合せを重ね、そろそろ気合いが入ってまいりました。
 舞台は奈良町の中の明治時代から今に残る町屋。その頃の奈良は秋も深まり、町屋のぬくもりが一層感じられることでしょう。
 ひとりでも多くの方々に気軽に参加していただくことを願っています。
■日程
11月25日(土)13時~  26日(日)15時
■会場
奈良女子大学・奈良町セミナーハウス(旧正木家/奈良市毘沙門町)
■内容
[1日目]
13:00~17:00
◆正木家の見学/パネル展示
14:00~17:30
◆活動発表(設計・施工・木材生産の立場から)
◇自然素材を生かしたすまい(松本建築事務所・松本元子さん)
◇身近な住宅改修の実例・リフォーム(藤見工務店・藤見真人さん)
◇東吉野の杉を生かす取り組み(東吉野アグリプロジェクト代表・松田登貴也さん)
18:00~
◆懇親会
参加料3500円程度を予定
[2日目]
10:00~12:00
◆奈良町を歩く
集合=近鉄奈良駅前(行基菩薩の噴水前)
案内=藤野正文さん((社)奈良まちづくりセンター)
13:00~15:00
◆シンポジウム
「奈良町のまちづくり──いま・むかし」
●コーディネーター
西村一朗さん(平安女学院大学教授・奈良女子大学名誉教授・新建奈良支部代表幹事)
●パネリスト
黒田達雄さん(兵庫県庁営繕課)
藤野正文さん((社)奈良まちづくりセンター)
郡司島宏美さん(松山東雲短期大学助教授)
(奈良支部・「建築とまちづくり展」実行委員長・川本雅樹)

『建築とまちづくり』2006年7月号より  

 

千葉支部企画――新旧建築探訪倶楽部at銀座・表参道

北海道(2006)建築セミナーin小樽

建築ネットワークセンター研修会

東京支部・新事務所お披露目会

「地域で暮らす」ために個々が出来ること――東京支部建築とまちづくり展2006

7月常任幹事会 06年7月16日~17日


千葉支部企画――新旧建築探訪倶楽部at銀座・表参道

 新しい建物、旧くからある良い建物、それらは千葉・東京には多くありますが、普段は仕事に追われてじっくりと観て歩く機会はなかなかありません。千葉支部では、そのような新しい建物・旧い建物織り交ぜて街を歩いて、好き勝手言う企画を立てました。それが今回の「新旧建築探訪倶楽部」です。
 基本的には街と建物に好き勝手を言って、最後にビールで乾杯しておしまいです。参加者の年代も色々、ベテラン設計者から若手まで、さまざまな意見が飛び交っています。

■第一回・銀座(3月21日)
 祝日ということもあり歩行者天国の銀座界隈は多くの人で賑わっていました。
 MIKIMOTO Ginza 2[伊東豊雄設計]を起点に,中央通り(シャネル銀座ビル[ピーター・マリーノ]、オーベークギンザ[妹島和世]、アップルストア銀座)から松屋通り(王子製紙本社ビル[KAJIMA DESIGN]、マガジンハウス[第一工房]、電通テック[丹下健三])、万年橋を渡り晴海通り(歌舞伎座[岡田信一郎]、親和銀行銀座支店[白井晟一]、三愛ドリームセンター[日建設計]など)へと向かいました。途中の三原橋周辺のビルや地下にある映画館の通りは懐かしさが漂い別世界に迷い込んだような雰囲気でした。
 晴海通り(ソニービル[芦原義信]、メゾンエルメス[レンゾ・ピアノ])から並木通り(カルティエ銀座ビル[ジャン・ミッシェル・ビルモット]、ルイヴィトン銀座並木店[青木淳])に入り、交詢社ビルディング[清水建設]を見ながら中央通り(ランバンブティック[中村拓志]、資生堂ビル)に戻りました。並木通りは一五年ほど前東京の事務所勤めの時何度か通いました。当時は古いビルや老舗の店が連なり落ち着いた感じでしたが、ブランド店が多く進出し人通りも多くその変貌ぶりには驚きました。
 8名の参加でしたが、久しぶりに参加した会員や会員外の女性、東京の会員も加わりビヤホールライオンでの懇親会は歩き疲れた後のビールを美味しくいただき、楽しい時間を過ごせました。また、東京支部山本氏や岩瀬氏から建築時の様子や社会情勢などの話も聞き、改めて建築は社会と深く結びついていると認識。有意義な企画になりました。(千葉支部・中安博司)

■第二回・表参道(5月28日)
 表参道の見所のひとつ「表参道ヒルズ」で待合せ、新しくて軽くて若いもののあふれる街を、辛口な批評と新鮮な驚きを交えながら歩きました。
 表参道の欅並木を青山方面へ、日本看護協会ビル[[黒川紀章]、ルイヴィトン表参道[青木淳]、TOD'S表参道ビル[伊東豊雄]、ハナエ・モリビル[丹下健三]、明治生命青山パラシオ、ONE表参道[隈研吾]と見て行きました。ひとごみと欅並木の下、建物の全容が下からは見えないのですが、全体に軽い、という印象を感じました。
 表参道の大きな灯篭を過ぎ、さらに南青山方面へ歩きます。ガラスブロック(そして免震構造)のプラダブティック[ルツォーク&ド・ムーロン]、フロムファーストビル[山下和正]、RCでずんと建つCOLLEZIONE[安藤忠雄]、青い外観と中庭のヨックモック本社ビル[現代計画研究所]など、建物全体の存在感の大きな建物が点々と並びます。終点にしていた根津美術館が改築工事のため休館というのは残念でしたが、最後にSPIRAL[槙文彦]を観て近くの鶏料理店にて乾杯。
 「表参道はかつての姿はなくさびしい限り」などの意見もあり、時代と建築とまちとのつながりについても考えさせられる今回の建築探訪でした。
(千葉支部・足立圭)

北海道(2006)建築セミナーin小樽

 7月8日(土)、「北海道(2006)建築セミナーin小樽」を小樽市民会館で開催しました。北海道支部の企画としては初めての札幌以外での開催となりました。
 今回のセミナーは、4回連続講座「北海道(2006)建築セミナー」の特別編という位置づけで、特に小樽に残る近代建築を取り上げてその歴史的意義を再確認しようという試みです。
 小樽在住の会員である山中さんを通じて、北海道建築士会小樽支部から全面的な協力をいただき、当日の受付や書籍販売などは全て同支部の青年委員の皆さんが引き受けてくれました。参加者は72名で、札幌からと小樽からとほぼ半数ずつでした。遠く岩手支部から富岡さんや、三沢先生のお供で東京支部の林さんも参加してくれました。なお、開催の一週間前には、私の旧友で建築士会小樽支部まちづくり委員会副委員長の尾田さんといっしょに地元の放送局「FM小樽」に乗り込み、このセミナーへの参加呼びかけをする、という新しい試みもしました。
 セミナーの冒頭では、建築士会小樽支部の青山支部長から御挨拶をいただき、他団体と協力してひとつのイベントを実施することの意義を語っていただきました。
 今回の講師には、札幌での「北海道(2006)建築セミナー」で講師を引き受けてくれている三沢先生と、地元で研究を続けてこられた北海道職業能力開発大学校の駒木先生にお願いしました。
 前半は駒木先生のお話で、明治から大正へ、大正から昭和へという時間軸に沿ってわかりやすく小樽の建築史をお話してくれました。明治44年の小樽大火を契機にそれまでの木造から木骨石造という小樽独特の工法が生み出されたことや、小樽駅が東京以北で最初のRC造の駅であることなど、興味深く伺いました。また、竜宮閣という清水の舞台ばりの櫓を立てて海上に大きく張り出した料理店が、かつてあったというお話も興味深いものでした。
 駒木先生が地元在住者としての視点からお話してくれたのに対し、三沢先生は近代建築のグローバルな流れの中で、小樽に残る近代建築の意義をお話してくれました。
 日本の近代建築の黎明期に、本州以南ではヨーロッパに範を求めていたのに対し、北海道はアメリカを向いていたというお話は、田上義也がアメリカを探すために北海道に来たということと符合して、納得できました。
 日本の近代建築の直接的な教師であるコンドルの4人の直弟子のうち、3人の作品が小樽に残っていることの意義は、両先生とも強調されていました。
 セミナー終了後は、小樽運河の保存運動にも関わった「観光カリスマ」の小川原さんのそば店「藪半」で打ち上げをやりました。インテリアコーディネーター協会の女性陣や地元で観光案内をしているという人も参加してくれ、華やかで賑やかな会になりました。
(北海道支部・女鹿康洋)

建築ネットワークセンター研修会

 7月15日、NPO建築ネットワークセンター一〇周年記念研修会「住まいは人権・福祉・平和のとりで」が文京区本郷の全水道会館で開催され、当日はネットワークセンターの方々のご努力により一六〇人以上の参加者で大盛況でした。事前に新建東京支部に対しても協賛の要請があり、支部ニュース「ホワイエ」やメーリングリスト等で参加の呼びかけを行い、わずかながらの協力をさせていただきました。
 講師として本間義人氏(法政大学教授)と早川和男氏(長崎総合大学教授)をお迎えしての四時間強の研修会は、今後の住環境を取り巻く様々な問題を考えていく上で、非常に刺激を受ける内容でした。
 本間氏は「住宅政策のゆくえ」というテーマで講演され、
●住宅問題に関してマスコミ等でのマイナー化が進んでいて非常に深刻な状況
●「住生活基本法」は経団連からの働きかけを反映したような内容で、“基本法”と言うより“計画法”もしくは“経済法”と言う方がふさわしい
●国の住宅政策はその国民の意識レベルを反映したもの
等の内容で、今後住宅政策を改善していく事の困難さを改めて痛感させられました。
 一方で早川氏は「欧米の居住権運動に学ぶ――ナショナルセンターをつくろう」というテーマで講演され、
●居住は生存の基盤
●西欧社会の住居とまちはたかだか五〇~一〇〇年前からの多様な居住権運動によって住民自らが闘って実現してきたもの
●「日本居住権ナショナルセンター」樹立と国際連帯の必要性
等を語り、今後の住環境を改善していくための私たちがなすべき課題、その方法の一端が垣間見えたような気がしました。
 さらに両氏が質疑に答える中で出た、
●住宅は社会資産
●救貧から防貧へ
●住宅政策改善の鍵は地域社会福祉計画への住民参加
等のキーワードが、住宅と居住環境を考えるうえでの重要な視点になると感じ、非常に印象に残りました。
(東京支部・黒崎匠)

【参加者の感想】
 住生活基本法が成立しその全国計画案が発表されました。公営住宅の極めて高い競争率からも明らかな、適正負担で居住できる住宅の不足をあえて無視し、「住宅の量的充実」などという現実を真摯に見ることのないおためごかしを振りまく政府の方針は、相変わらず「住宅は個人の甲斐性」であることが明らかになっています。政策課題としての住宅という存在と、その「公共性」を見ようとしない国策にはいつも憤りを感じますが、本間先生はその憤りをきちんと組織しなければならないことを力説します。国政上で住生活基本法に賛成する政党(与党ばかりでなく野党すら)が国民政党であるかのように喧伝する現実に対抗することを抜きにしては居住権は語れないとの指摘。また、早川先生は英国等の歴史から、それを組織するナショナルセンターが果たした役割を語り、日本においても同様な機能が求められていることを主張します。
 こうした提起を受け止めて居住権確立の運動に立ち上がれるかどうか、新建や新建も加盟する住まい連などには問われていると感じました。本間・早川両先生を代表世話人におくようなナショナルセンターが立ち上げる――これを夢想に終わらせないように。
(東京支部・林工)

東京支部・新事務所お披露目会

 新建の全国事務局・東京支部事務局・建まち編集局が長年住み慣れた代々木から新宿区水道町に移転して約1カ月半経ち、所内の整備も目処がついてきました。8月4日の夜、東京支部では、移転の際にお世話になった匠建設さんを招いてお礼をするとともに、どのような使い方をしているのかを会員にも見てもらいたいとお披露目会を開きました。
 会が進むにつれ人数が増え、広くない事務所に総勢18名が集まり、新事務所の開設を祝いました。匠建設さんからは若宮社長をはじめ内部改修に関わった4名の方に参加していただきました。東京建築カレッジの若い学生さん4人も花束を持って駆けつけてくれました。
 まず、東京支部事務局長の黒崎匠さんから挨拶。匠建設さんへのお礼が述べられました。東京支部事務局長の初仕事がこの移転だったとのこと。
 次に移転場所探しから全ての過程に関わった全国議長の高橋偉之さんが挨拶。移転に絡んだお得意の俳句5句を披露してくれました。
 よく来たと梅雨の晴れ間の地蔵尊
 ~~移転は梅雨の雨の日でした。近所の地蔵通り商店街を良く利用しています。
 紙運ぶフォークリフトの灼ける街
 ~~大日本印刷や凸版印刷、東販などが近い印刷のまちです。
 角を曲がれば居酒屋並び夏灯
 ~~地蔵通り商店街や神楽坂商店街が近く、楽しいまちですよ!
 地蔵通りの一膳飯屋油照り
 ~~一膳飯屋も総菜店も多く生活者のまちです。
 『ふとん綿打ち直します』夏のまち
 ~~ビルの大家さんは1階でふとんやさんを営んでいます。町会長も務め、気さくに会員に声をかけてくれるとってもいい大家さんです。
 俳句から新事務所周辺の様子がわかっていただけるのではと思います。すっきり片付き、集まりやすい雰囲気の所内環境、会議や研究会後の飲み会にまちに出かけていく楽しみ、大家さんの人柄で、すぐに馴染むことができたように思います。俳句のように、この地が「よく来た!」と言ってくれているようです。この句は事務所に貼ってありますので、お出掛けの際は直筆の俳句を見てください。
 匠建設・若宮社長さんからは「今回の移転に関わらせてもらって本当に良かった。ここにいる3人の若手が将来を担っていくので、これからも一緒になってやっていきたい。引き続き改善するところがあれば言ってください」というご挨拶がありました。
 以前の事務所の棚板を再利用する面倒な工事でしたが、約4mの板を2階ベランダの細い窓ガラスから、いとも簡単に部屋に運ぶ職人さんの姿に驚嘆したこと、現場を知り現場で柔軟に対応していける熟練の職人さんの技をあらためて実感したことなどが語られ、盛り上がりました。
 また、移転で力を発揮してもらった事務局員の水澤眞弓さんと、仕事場環境が一番充実した『建まち』編集局の林工さんからも一言ずつ最近の様子を語ってもらいました。
 最後になりましたが、お披露目会のために手作りサラダやしゅうまい、お酒など差し入れてくださったみなさま、ありがとうございました。
(東京支部・高田桂子)

「地域で暮らす」ために個々が出来ること――東京支部建築とまちづくり展2006

 東京支部では昨年に引き続き、「『地域で暮らす』ために個々が出来ること」をテーマに今年も「建まち展」を開催することになりました。
 会場は昨年の上野から程近く、根津にある「不忍通りふれあい館」。会場周辺は谷根千(やねせん、谷中・根津・千駄木)の名で親しまれ、古くからの町並みが残っていることでも広く知られた地域です。
 昨年同様、会場での展示や、ミニ講座の開催を予定しています。ミニ講座では、会員の取り組み紹介の他、古くからこの地域で飲食店を営んでいる方に日頃のご自身の取り組みについてご紹介いただけることになっています。また、住民の方々が生活を通して無意識のうちに形成してきたまち並みを体感してもらえるよう「まち歩き情報館」を出展、まち歩きマップなどを用意し、来場者のまち歩きのサポートをする予定です。
 実行委員会が立ち上がったのは7月12日。昨年よりも立ち上げ時期が遅れ、会場確保に苦慮しました。最終的に地域に開かれた建まち展を開けそうと根津に会場を定めました。並行してポスターの制作を進め、実行委員で根津周辺のまち歩きを行ったときに見つけた風景を原画として影絵調のポスターとしました。仕上がったのは開催日一月前……。当日の段取りも進み、「地域」を意識した建まち展が開催できそうです。
 当日のみなさまの参加をお待ちしております。
■日時
 9月16日(土)10~17時
 9月17日(日)10~16時
■会場
 不忍通りふれあい館(地下鉄千代田線根津駅2分)
■内容
○まち歩き情報館
 谷中・根津・千駄木地区のまち歩き情報展示
○ミニ講座
▼住み続けるための耐震改修
▼住民としての建築士のスタンスって難しい
▼東京問題研究会の取り組み
▼山谷プロジェクト
▼下町3階屋はん亭物語
▼エンディングセッション「「地域で暮らす」ために個々が出来ること」
○展示
 「設計事例」「まちづくり事例報告」「自然・国産建材」ほか
○相談会
 住まい・建築・環境に関する何でも相談会
(東京支部・大森直紀)

7月常任幹事会 06年7月16日~17日

 7月16・17の両日、新装なった事務局で常任幹事会が行われた。議論の抄を記す。

Ⅰ 情勢
(1)士法改正問題
●6月26日政策委員長から新建の見解(その2)案が出されたが、同日社整審・基本制度部会で「建築士制度見直しの方向性について(素案)」が発表された。そこから7月10日までに新見解案が政策委員会でまとめられ、常幹・幹事会メールで意見集約をして修正案(政策委員会案)がつくられた。常幹で討議をした上で新建の見解を出したい。
●常幹メールで「建築士制度見直しに関する新建政策委員会の見解」についてのやり取りがされているが、活発とは言えない。身近にいる士会、事務所協会の人とも意見交換したほうがよい。大いに議論するよい機会である。
●構造の建築士資格をつくるかどうかがテーマであった。それが設備の専門資格もつくる流れになった。士会は構造・設備資格を別につくることに反対である。他の団体はやはり、専門資格をつくって図書に記名するようにしないと、国民は納得しないのではないかとの意見。素案は建築団体の意見を聞いてかなり修正される可能性がある。制度そのものは変えないほうがよいという人も多い。新建として提言を出せば、影響力はあると思う。
●業務独占資格のある建築士と建築主事の確認という、二重になっている責任不明確なシステムの問題がある。例えば、建築確認を廃止し、建築許可制度とする。許可は自治体、検査は民間委託。国家資格としての建築士は廃止。各建築団体が資格制度をつくり、資格者を国と自治体に登録する。設計図書に設計者氏名と役割を明記。設計監理者は施工者と別人格が行う。建築主の責任として建築使用許可(5~10年に一度に更新)を設ける、などではどうか。
●建築確認をやめて許可にする案は弁護士からも出ている。確認は法律にかなっていれば下ろすことになっているが、建築主と建築士に主体性があるという利点はある。
●欠陥ネットで弁護士は第三者監理を要求している。設計と施工はあくまで分離。構造と設備の責任を分けると、責任をその人に被せてしまい、全体責任者としての建築士の責任がどうなるか不安が残る。構造の数値の取り扱いもかなり自由で、それが裏目に出ると危険である。一般的には明確な基準があったほうがわかりやすい。
●この歳で試験に通らないと設計できないなどということになったら仕事を辞めるという意見あったが、京都でも高さ20m超の建物を設計しないから新一級建築士は不要という意見が出た。講習をこなせばいい建築ができるというわけでもない。
●技術者の責任、特に倫理問題をどうするかが重要。制度いじりを拙速にするべきではない。今回の素案について新建常幹として意見をまとめるべきだ。設計入札制度についても取り上げたい。委員会に声を上げるチャンスである。
●「もうけ第一主義」で進められる体質が問題で、「倫理」は法律で決めるべき問題ではない。
●耐震偽装の緊急調査委員会報告はよくできている。制度以外の問題が多いのに、制度だけの変更で終わるのはよくない。
●一般の人々は確認許可が下りていれば安全だと思っている。そことの乖離が問題ということ。
●建築士の独立性の問題が重要である。義務のことはいろいろ議論されているが、権利の保障も同時に考えなければいけない。
●地区計画を悪用し、高層建築をどんどん建てている例が増えている。建築士の責任は建築主への責任だけでなく、その地域の人への責任も大切である。
●今回、建築士制度見直しにかぎって常幹見解をまとめ、しかるべきところに送付する。
(2)住生活基本計画
●今月中はパブリックコメントが行われているので、ぜひ意見を出してほしい。公営住宅施策では現入居者の追い出しにより供給量を確保して「施設化」を狙っているが、これではゲットーをつくるのと同じである。無理のない負担で住めることと書いてあるが、具体的な案、目標も書かれていない。性能表示制度についても議論してもらいたい。
●大臣も度々認める発言をしている「居住の権利」を明記する必要がある。計画の中にちゃんと権利を入れさせる。
●東京のNPO建築ネットワークセンターの企画で講演があった。本間義人氏は日本の住宅制度の遅れを悲観していた。早川和男氏は、各分野の専門家が結集して、住まいをどのように認識するか研究し、主張していくナショナルセンターを創設する提案があった。黒崎羊二氏もナショナルセンターの具現化を新建も一緒になって模索することを提案している。
●日中韓居住問題国際会議では東アジア居住福祉宣言が採択されており、新建でも東アジアとの交流と連帯を模索したい。
(3)シンドラーエレベーター事故 に関連して
●住民の立場に立つと、エレベーター管理に関してメーカーにはすべての情報を公開してもらいたい。
●非メーカー系管理会社のメンテナンス費はメーカー系の約半分程度。しかし心臓部である制御装置等がブラックボックスになっており、情報公開の限度を感じるとも言っている。

Ⅱ 企画
(1)建まちセミナーin犬山
●申し込みパンフレットが各会員に配布されている頃と思われる。各講座で150名を目標としたい。あと1ヶ月、大いに呼びかけ拡げよう。
(2)全国研究集会(横浜)
●シンポジウムのパネラーメンバーがほぼ決定。
●シンポジウムでのコーディネーター片方先生からの問題提起について報告。市場原理主義の影響については、新自由主義との関係も取り上げるのもよい。住み手に広がる格差の構造では、ひとつのマンションの中でもいろいろな層の人が入ってきており意見がまとまらないという現象も出てきている。
●分科会参加費は5000円とし、しっかりした資料を用意することで承認。
●各分科会の担当常幹、問題提起者の確認をした。記念講演+シンポジウム部分のコメントは永井担当。
●地方からパックで来る場合のモデルを示す必要がある。宿泊が確保できない人のために、新横浜のホテルの仮押さえはしてあるが、どこに泊まるかは本人が決める。
●資料はしっかりした詳しい資料を用意し、報告集は予定しない。
●今回の研究集会報告を「新建賞」選考の対象とし、来年の大会で発表する方向で準備を進める。
(3)新建学校ほか
●北海道、青森での新建学校、セミナーが活発。

Ⅲ 事務局、各委員会の動き
(1)全国事務局の活動報告
 (略)
(2)政策委員会
①建築士制度見直しに関する新建常任幹事会見解について
●議論の経緯もあるので、構成は大きく変えない。建築士制度を変えることだけで解決するものではなく、資格問題で性急に結論を出すのは良くない主旨を明確にする。
●士法第1条の目的に、建築士の社会的な役割・位置づけを明確にする。
●設計入札は原則禁止とし、使い手の要求を反映できるものとする。
②倫理綱領、アンケート調査の提起
●倫理綱領の目的を絞り、活用方法をはっきりさせる。
●そのために、偽装、エレベーター、パロマ問題に対してどう考えたか、どう個人的に対処したかなど、身の回りのことなど実感のわかるような具体的アンケートをする。
●基本的理念では、建築の中で生活する人、使用する人の命と生活を豊かにすることが最優先されることを明確にしたい。
●各団体共通の倫理規定をつくるための新建案をまとめるという方向でよい。
●自分たちでつくった倫理綱領を持つことに大きな意味があるが、拘束力がなければ絵に描いた餅になってしまう。
(3)事務所移転の報告と
 財政処理方針
●事務所移転費用は約160万円、数名から借り入れて3年間で返済する。これと併せて年内に84万円分のカンパを募る。そのための資料をつけたお願い文をつくる。
(4)『建まち』編集委員会)
●5月号の超高層マンション特集は住んでいる人の報告がほしかった。
●7月中に6月号発行、8月号は特集「私の設計術」、9月号で当月発行に追いつく見込み。
●11月号が通巻350号となるため、テーマ性を持った「振り返る」特集を検討中。

Ⅳ 組織、財政、拡大
●各支部状況 京都、静岡、福岡、埼玉、富山、大阪、千葉、東京、北海道、青森、神奈川の報告があった。
●島根に新支部設立の動きをつくっていきたい(山本)。各方面からの繋がりで支援をしていく。
●会員と『建まち』読者の拡大については、この間の各支部での経験を拡大委員会に集中して、各支部に拡げて、年内目標を達成できるよう呼びかけよう。
●年間財政は80万円程度の不足の見通し。会費の滞納がある支部とは対応が必要。
(文責:三浦・永井)

『建築とまちづくり』2006年6月号より  

 

第25回新建全国研究集会準備状況

上田光喜さんを偲んで

「住生活基本法」審議の国会を傍聴して

新建賞受賞「結の蔵」見学会――東京支部

東京支部実践報告会開催


第25回新建全国研究集会準備状況

 隔年で開催される全国研究集会が今年の11月に神奈川県横浜市で開催されます。神奈川支部では関東の他支部の協力も得ながら、月現在一回で実行委員会を開き準備を進めています。全体のおおまかなスケジュールが決まりましたのでお知らせします(詳細は今後変更されることもあります)。
 初日は、横浜市の都市デザイン室で長く仕事をしてこられた北沢猛東大教授による横浜のまちづくりについての記念講演と、「建築とまちづくりに市民は何を求めるか」をテーマとするシンポジウムを、神奈川県下で活動している市民の方と弁護士さんを迎えて開催の予定です。
 2日目は終日、分科会。事例を報告し合うだけで終わるのでなく、参加者のみなさんが積極的に発言し、議論を深め、多くのことを持ち帰っていただきたいと思います。
 3日目は見学会です。横浜・鎌倉・大磯を予定しておりますが、リクエストがあればご連絡下さい。

■日時
 11月3日(金祝)・4日(土)・5日(日)
■場所
 かながわ県民センター(横浜駅西口より徒歩5分)
■日程
〔11月3日(金祝)〕
12時00分~ 受付
13時30分~15時00分 記念講演「横浜市のまちづくり・歴史と展望(仮題)」
 講師/北沢猛氏(東京大学教授)
15時30分~18時30分 シンポジウム「建築とまちづくりに市民は何を求めるか」
 コーディネーター/片方信也氏(日本福祉大学教授)
パネリスト/古戸義雄氏(こゆるぎルネッサンス@大磯)・清水康二氏(横浜環境市民会議)・小野誠一氏(一級建築士・新建神奈川支部)・神奈川県で活躍の弁護士(交渉中)
19時30分~21時30分 交流会(横浜中華街・揚州飯店)
〔11月4日(土)〕
9時30~16時30分 分科会
17時00~18時00分 各分科会のまとめ発表
〔11月5日(日)〕
午前・午後 見学会(3~4コースを予定、MM地区を中心とした横浜市街・三渓園・鎌倉・大磯など)

■分科会テーマ
1 地元の木で家をつくる活動
2 民家・町家・洋館の再生と活用、歴史的まちなみ再生
3 福祉のまちと住まいづくり
4 施設の設計、施設をつくる運動
5 家族と住まい
6 コミュニティ再生・住民主体のまちづくり
7 職能、まちづくり政策
8 住宅政策
9 建築と町並みのデザイン
(全国研究集会実行委員会・永井幸)

上田光喜さんを偲んで

 3月29日、上田設計事務所の上田光喜さん(一級建築士)が肺炎で亡くなりました。57歳になったばかりでした。
 上田さんは新建埼玉支部に所属し、NPO設計協同フォーラムでは事務局長を務め、昨年の秋に行われた東京支部・フォーラム共催の「建築とまちづくり展」、東都生協主催の「商品フェア」では中心的な役割を果たしていました。仕事に、組織活動に、一生懸命取り組んでいた矢先の、今でも信じられないお別れになってしまいました。
 設計協同フォーラムでは5月16日の総会後に上田さんを偲ぶ会を開き、一周忌を目途に軌跡をまとめようと実行委員会をつくり、他の方々にも呼びかけ、協力していただくことを決めました。
 偲ぶ会では、上田さんとの思い出がたくさん語られました。お酒が好きで、何よりも“ひと”が好き。だから、上田さんと飲むお酒は楽しくそして心温かく、ついつい時を忘れてというのが常だったようです。大力さんと千代崎さんは新建の池袋班で30年前からのつきあいでした。1949年樺太で生まれ、ハバロスクで小学校に入るまでを過ごし、幼少のころ、ロシア語はペラペラでむしろ日本語を覚えるのが大変だったという生い立ちの上田さんと、大学でロシア語を学んでいた高本さんは、ロシアの話しもよくしたとのことでした。大陸的な人間味を感じ、優しさは生まれつきのものなのだろうと、聞いていたみんなが共感しました。地域では平和委員会の活動も行い、声高にそのことを言うのではなく、信念を持って仕事も活動していた人ですと淺川さん。倉坂さんは、上田さんは建て主さんのことがほんとうに好きで、2、3年前の実践報告会で上田さんの報告を聞き「いいなぁ」と思ったそうです。グチもよく聞いてくれたとのことでした。細野さんも新井さんも上田さんとはよく飲んで話をし、不安がない、芯がある、信頼がおけてまとめていく能力がある人と語りました。上田さんの仕事を引き継いだ小儀さんは、建て主さんと上田さんがとても仲良く信頼関係を気づいていたことを感じたそうです。
 設計協同フォーラムでの偲ぶ会の報告を依頼されて書き出しましたが、上田さんの存在や果たしてこられたこと、それぞれのみなさんから話されたことをとても表現しきれません。
 上田さんが入院し、危篤という連絡を受けたのは、昨年の10月11日でした。必ず元気になると信じていました。願いは届かず、総会を一カ月後に控え、次の年度の人事を決める直前に「新しい事務局長のもとで頑張って」と私に語りかけて遠くに行ってしまいました。なぜだか、上田さんらしい半年間だったように感じます。総会では、設計協同フォーラムの中で一番若い設計者の高橋充さんが事務局長の大役を引き受けて下さり、新年度をスタートしました。
 みんなが楽しくつどい、またお酒を飲む席にはこれからも上田さんはいっしょにいるのだと思います。そして困難にであったときに「こんなとき、上田さんだったら」と心の中で、つぶやいてしまうのかもしれません。
 最後に、私自身、設計協同フォーラムの事務局を手伝わせていただいて1年が過ぎました。事務局長の上田さんにはたくさんのことを教わり、みなさんとの交わりを築いていただきました。上田さんは、きっと私に「今度は新建の会員になって」と言って、私の成長を願ってくださっていると思います。上田さんに心から感謝をし、少しでも応えて歩み続ける自分でありたいと思っています。
 追悼集づくりに、たくさんのみなさまのご協力をお願いします。
(設計協同フォーラム事務局・山下千佳)

「住生活基本法」審議の国会を傍聴して

 一生入ることはないと思っていた国会議事堂に、今回この「住生活基本法」の国交省委員会傍聴のため、衆議院と参議院に計三回も入りました。税金もちゃんと払っているのだし、主権者として堂々と、議会制民主主義の国政レベルの「議会」とは、ここのことをいうのか、としっかり観察してきました。三回の傍聴はいずれも大変勉強になりましたが、その中で一番印象に残った6月1日、参議院委員会審議の最終日について感想を述べます。
 この日は、新建も加入している「住まい連」の代表幹事・坂庭国晴さんが参考人として出席されたので、傍聴にも一段と力が入りました。参考人は計4名。
 最初の参考人は東京都の元副知事。現在まで40年間にわたり国や自治体が曲がりなりにもおこなってきた「住宅政策」を、すでに量は足りた、質の追求をという言葉で、その打ち切りと「民間市場」まかせの意見を述べました。
 坂庭さんは、冒頭に実際に住まいを失って困窮している母子やリストラされたサラリーマンの実態を紹介し、住生活基本法の第一条に「国民の居住の権利」を明記することを要求しました。「量は足りた」とする意見に対しては、公共住宅が申込み多数で倍率が高く入居できない実態から、量も足りていないことを明らかにし、公共住宅は「つくらず、入れず、追い出す」で、国の責任を果たしていないことを追求し、また、住居費負担が大きくこれに対する家賃補助制度の提案、ストック住宅の耐震・防災等改修改良を地域で担う中小工務店、職人の育成、これらを進める都道府県、市町村計画の計画段階からの住民参加など、「住まい連」が提言している「住居法」の内容を陳述しました。短い時間配分でしたが、最後に「住まいは人権デー」の存在と国際的に認知されている「住まいは人権」をいっそうすすめることで締めくくられました。
 法案は最終的には賛成多数で可決されたのですが、国会の場で、私たちの意見が発表されたことに大変感激しました。これらは、わずかながらも「付帯決議」のなかに取り入れられ、今後の足がかりになりました。
 午後の討議のなかでは、各議員の発言から、住まいや建築に関連する諸問題が出されていました。広島の原爆ドームの前に高層マンションができ、世界遺産からはずされる懸念があること、木材の不法伐採が横行しており、インドネシア・イギリス共同調査によると50%以上が不法、ロシアでは20%と言われており、輸入材にICチップやバーコードで識別する方法の検討とか、新築の総理官邸で「目がチカチカ」すること、伝統工法の「棟梁育成」は、入塾者が卒業するとき半分になっているなど、「そんな話があるの?」ということが聞け、考えさせられました。つくり手としても住まい手としても、基本法を受けて今秋以降出てくる具体法案に注目が必要です。
 ともあれ、傍聴者は、声を出してはいけない、拍手してもいけない、ハンドバックもダメ、テープやカメラももちろんダメという“丸腰”で、一日中座っているのはかなり疲れましたが、満員の傍聴席は委員会の議員たちに大きなプレッシャーになったと思います。採決のときだけ忽然と現れ、起立している議員には腹立たしいですが、それでも、いつか多数の議員によって「住まいは人権」が可決される日が必ず来ることを確信して、「主権者」としては、小さなメモをたたみました。
(東京支部・萩原幸)

新建賞受賞「結の蔵」見学会――東京支部

 昨年10月、宇奈月大会で新建賞正賞に選ばれた大沢匠さんの「結の蔵」の見学会が6月17日の土曜日に開かれた。蔵の見学会に合わせ、3部構成でまちなみ見学や勉強会が開催された。
■第1部・鎌倉散策
 午後1時。JR鎌倉駅西口集合。連日、雨が続く中、うれしい限りの晴れとなった。ぞろぞろと約30名ほどの方がお集まり。「お寺を見ない鎌倉のまち歩き」と題し、大沢さんのご案内で、午後1時から4時まで、みっちりと鎌倉のまちなみを見て歩いた。
 普通に立ち並ぶ鎌倉の豪邸に、大沢さんの詳細な視点での解説が加わると、こちらの住宅への見方も変わる。私は、専門的な知識はまったく詳しくないが、「へぇ~」といった感じで発見が多く、実におもしろかった。住宅の詳細な説明だけでなく、歴史的建造物の鎌倉文学館や吉屋信子記念館(吉田五十八設計の元吉屋自邸)もコースに組んでくださり、3時間と短い時間でたくさん歩いたが、とても充実したまち歩きだった。
 吉屋信子記念館は小さなお宅だったが、とても風通しがよく、「大自然」が感じられ、心落ち着く所。……お庭には、プラムか、梅か。匂いは甘いが、舐めると渋く、すっぱい。そんなよく分からない実がたわわに実ったしだれた木。背面の山等、周囲の環境が実に素晴らしい!! こんなところに住めたらよい文章が書けるかも?! と思わせる程だった。
■第2部・「結の蔵」見学会
 「結の蔵」は、秋田県湯沢市の高久酒造の酒蔵を鎌倉に移築し、賃貸住宅として再生したもの(一区画を大沢さんが事務所として利用)。移築の経緯や建物の構造を模型等でわかりやすく説明していただいた。
 長さ10間の巨大な棟木を四苦八苦して運び込んだ苦労話がとても印象的だった。
 大沢さんは、過去にも蔵の移築に数回携わっておられるようで、今回も大変なご苦労をされたにもかかわらず、秋田から移築して、自分で補強・改修し、そこに我が事務所を構えてしまう勢いがすごい!。
■第3部・「匠の学校」
 大沢さんが主催する「匠の学校」は、定期的に開かれている勉強会。今回は、一般表具から美術表装までを手がける平野表具店の平野一臣さんから、経師(きょうじ)のお話をいただいた。
 屏風や襖をつくる際に使用する道具や、方法、技術のお話を聞いたが、どれも極めるには、数カ月や数年ではまっとうできないものばかり。長年の経験から来る勘が頼りなのだと思った。
 平野さんのような職人さんは、近年激減しているということを伺ったが、伝統技術を継承していくことがたいへん重要なことがわかった。伝統技術を継承し、75歳で今も現役の平野さんのお話は、実に深く考えさせられる機会となった。
■その後に……交流会
 「匠の学校」終了後、大沢さんと事務所のみなさまにご用意いただいた、「梅」にちなんだご馳走を頂戴した。お酒も入りつつ、陽気な会話が弾むなか、初めて会った方ともたいへん興味深い意見交換ができた。
 今後とも是非ともこのような機会に参加させてほしいものだと思う。
(東京支部・竹原育美)

東京支部実践報告会開催

 東京支部では6月24日(土)に実践報告会を開催しました。参加者は32人。会場は「NPOとしまち研」の会議室を理事の杉山さんのご協力でお借りしました。各自が取り組んでいる仕事などについて13人の会員が報告と発表をしました。
 午前中は、会員の取り組んでいるさまざまな活動報告。バラエティに富んだ報告内容で、あっという間に時間が過ぎました。午後の前半は「子ども」、後半は「密集市街地と共同建て替え」の二つのテーマからの報告としました。関連する報告がそれぞれの視点から語られ、意見交換も活発で、テーマが多方面から深められる場になったと思います。特に年齢も経験もさまざまな新入会員から活発な報告がされ、たいへんに励まされた楽しい実践報告会になりました。
 小林良雄さんが全体の感想を述べてお開きの後は楽しい二次会へ。杉山さんが地元でおつきあいのあるお店で遅くまで論に花が咲きました。
 発表テーマと発表者は次のとおりです。

◎五十嵐純一「中越震災2年目活動報告」
 中越地域の復興に継続して関わっている五十嵐さんは、仮設住宅の雨漏り対応から地域づくりまで、震災後に地域の方が直面するさまざまな問題を報告していただきました。
◎黒田順「60歳の短大生活」
 60歳にして心機一転、物理の教師を辞め大工を目指した黒田さんの東京建築カレッジでの充実した生活と、駆け出し大工としてのこれからのテーマを報告していただきました。
◎林工「書誌編集と建築計画の相似性」
 建築とまちづくり誌の編集を担当する林さんは、本づくりと建築計画の類似性を報告。「だれのためのの雑誌なのか」が大切ということで、共感できる内容でした。
◎柳澤泰博「NPO法人シックハウスにしない家づくりSHS友の会の活動報告」
 建築材料から始まり地球環境の取り組みにまで発展してきた会の活動に共感しました。
◎大崎元「ホームレス問題への視座――居住支援から地域居住の場創出へ」
 長いあいだホームレスの問題に取り組んできた大崎さんは、シェルターづくりに留まらず、地域に打って出るなかでグループホームや賃貸アパートの確保など、ホームレスや低所得世帯の居住の場を広げている実践を報告していただきました。
◎神野佐和子「2歳児保育室における遊び込み環境づくりについて」
 大学で建築を学び、その後保育士として実践をしてきた神野さんからは、卒論と保育士時代に遭遇した園舎増築の貴重な経験で得た視点を、2歳児に焦点を当てて報告していただきました。
◎村上久美子「公設民営保育園の施設づくりの視点と問題点」
 公設民営保育園において設計に利用者の意見が生かされなかった事例を紹介し、使う人の意見を汲み取るシステムづくりの重要性を語りました。
◎岡沢和子「象地域設計の保育園づくり(2005新建賞受賞)」
 象地域設計が続けてきた保育園づくりの理念と実践を、よく整理されたわかりやすい資料で報告していただきました。
◎竹原育美「子どもがまち・まちづくりに関心を持つための方策」
 まちづくり研究所の新人・竹原さんの修論。まちづくりに中学生を参画させた事例。子どもたちが継続してまちづくりに関心を持てるようにするための働きかけを、当事者の中学生からのアンケート結果を検証しながら報告していただきました。
◎野田明宏「木造密集市街地における共同建て替えの可能性」
 こちらも象地域設計の新人・野田さんの修論。「展開の可能性」をキーワードに密集市街地のまちづくりポテンシャルを解析。密集市街地に“プラスの価値”を見いだし、現状からの反転攻勢を目指すという視点が新鮮でした。こうした研究が大学で行われるようになったという“時代性”についても感慨深いものがあるというのは高橋偉之さんの感想。
◎江国智洋「上十条3―5共同建て替え<MG CHAR=" ","+" SIZE=70.0>地域密着型コープ住宅」
 杉山さんの「としまち研」と組んで板橋区で現在進行中の共同建て替えについて、これまでの努力や苦労と合わせて報告していただきました。
◎佐伯和彦「住まいづくり・暮らし改善を基本としたまちづくり(2005新建賞受賞)」
 住みつづけられるまちづくりを目指してコーポラティブハウスの実践を続けている象地域設計の成果と、今後の課題を報告していただきました。
◎杉山昇「地権者参加型コーポラティブハウス」
 居住者が減っていく都心「神田に住む人を呼び戻そう」という活動に取り組んできた「NPO都市住宅とまちづくり研究会」の実践と成果を、わかりやすく報告していただきました。
(東京支部・村上久美子)

『建築とまちづくり』2006年5月号より  

 

はこぞって犬山へ!

イベント目白押し――北海道支部

緊急シンポジウム「公営住宅の値上げを問う」開催 主催・震災研+兵庫自治研

第2回全国常任幹事会 議事録 06年5月27日~28日


はこぞって犬山へ!

 8月25・26・27日に犬山市を会場に開かれる「建築とまちづくりセミナーin犬山」の準備が着々とすすめられています。
 『建まち』2月号でも取り上げられた犬山市は、古い城下町を残しながら町全体を活性化させようとする市民の自覚的な活動によるまちづくりがすすんでいます。実行委員会は先日、その先頭に立っている石田芳弘市長への協力申し入れを行い、快諾をいただきました。セミナー二日目のには、まちづくりへ寄せる市長の熱い想いを語っていただく予定で、今から楽しみです。
 実行委員会では先日、見学コースの下見にでかけました。
 犬山市は、国宝犬山城をランドマークに、城下町の真ん中を貫く道路拡幅の都市計画を「敢えて止める」という独自のまちづくりを進めています。江戸時代以来の道幅はそのためにかえって奥行きとシットリ感を町に与えています。古い商家や文化史料館、からくり館、どんでん館(祭り山車庫)などが建ち並び、その中の一つ「旧磯部家住宅」という町屋へわれわれも入ってみました。 通り庭奥の土蔵が史料館になっていて、保存と再生にかなりの手間ひまがかけられているのが感じられます。
 犬山では慶長年間に城下町の形態が整えられ、犬山十二町と呼ばれる町並みがつくられました。そのうち鵜飼町・外町は堀の外、魚屋町・上本町・中本町・下本町・鍛冶町・熊野町・寺内町・名栗町・練尾町・横町の十町は堀に囲まれた中にありました。城内に入るには厳重を極め、余坂口など七つの入口にはすべて木戸が設けられ、出入りは自由ではなかったといわれています。今でもこれらの古い町名と城下町時代の道割りが残されており、昔をしのぶことができます。
 この他にも、国宝の茶室「如庵」、近くにはフランク・ロイド・ライトの「旧帝国ホテル玄関」のある「明治村」など、見所もいっぱいあります。
 どうぞ8月には、建築とまちづくりの文化と江戸時代の町並みに触れることのできる犬山においでください。
(建築とまちづくりセミナー実行委員長・河合定泉)

イベント目白押し――北海道支部

 北海道支部は昨年に引き続き今年もイベント目白押しで、忙しい前半を過ごしています。『建まち』2月号では昨年後半から今年2月までの活動を報告しましたが、今回はその後、3月・4月の活動を報告いたします。
■3月7日(火)
 新会員の小澤さんの発案により、住宅の設計監理でトラブルを起こさないためには仕事をどうを進めればよいか、というテーマでセミナーを開催。2回に分け、第1回の3月7日には小澤さんと支部事務局長の大橋さんが講師役に。
 まず大橋さんから、昨年手掛けた住宅の設計と監理を通じて体験したトラブルについて報告がありました。相当に悩んだ事例だったようで、言葉ひとつひとつに重みがありました。
 続いて小澤さんから、自分自身で構成した特記仕様書の紹介や、監理で日常的に使っているというチェックリストの紹介がありました。施工管理と設計監理の線引きの問題等について、参加者から質疑も出ました。
■4月4日(火)
 第2回は、数々の欠陥住宅問題に関わってきた石川弁護士を招き、設計や施工のトラブル事例についてお話をうかがいました。76ページもの資料が用意され、極めて具体的な事例紹介でした。参加者もそれぞれ思うところがあるのか、具体的な質問が矢継ぎ早に出されましたが、石川弁護士はひとつひとつに的確に回答してくれました。
 ちょうど小樽市での構造計算書偽装が報道された直後だったこともあり、参加したJIA会員から、新建はいつもタイムリーな企画を立てるので感心します、とお褒めのことばをいただきました。2回を通して32人の参加がありました。
■4月16日(日)
 支部主催の企画ではありませんが、小澤さんの事務所(OZAWA Planning)主催で「絵本探検ツアー」が開催されました。絵本研究家である小澤さんの奥様が古今東西の絵本の読み聞かせをされ、その絵本に出てくる家や家具、街並みについて小澤さんが建築の専門家の立場でコメントしました。
 この催しは北海道新聞に記事として掲載されました。
■4月21日(金)
 今年の支部目玉イベントとして、三沢全国代表幹事による「北海道(2006)建築セミナー」を企画しました。世界的な近代建築の流れを4回に分けて講義していただこう、というものです。昨年の「建まちセミナーin札幌」に引き続き、建築関連4団体の後援も獲得しました。
 第1回目の4月21日は「アーリーモダンと北海道の建築」というタイトルでお話をしていただきました。参加者は自分の身近にある近代建築の意味をあらためて認識したようでした。
 この日は、昼過ぎから松下電工の主催で丸谷『建まち』編集委員長による「建材を選ぶ心と考え方そしてホームアーキの歩んできた道、これからの道」というセミナーもあり、私は丸谷セミナーと三沢セミナーの“はしご”となりました。
■4月22日(土)
 翌日は小樽に移動、7月に予定している特別編「北海道(2006)建築セミナーin小樽」のための取材を兼ねて三沢先生に同行して市内を視察しました。『建まち』編集局の林さんも同行し、「北海製罐」の無骨ながら“裸形のモダニズム”とでも言うべきド迫力に感激していました。
 夜は、三沢先生とともに講師を依頼している地元の建築史研究者である駒木先生や協力をしてくれる建築士会小樽支部のメンバーを囲んで、顔合わせを兼ねた懇親会を開催しました。その日は支部幹事3人と小樽泊。
■4月23日(日)
 翌日、大橋さんは午後からの共産党北海道委員会主催の耐震偽装問題の意見交換会に出席を求められており札幌にトンボ返り(この意見交換会は翌日の北海道新聞に記事として掲載)、泉さんは三沢先生を案内して野幌の「開拓の村」、私は林さんを案内して余市のニッカウイスキー工場に向かいました。
■4月27日(木)
 この日は、今度は共産党札幌市議団主催の耐震偽装問題についての意見交換会があり、専門家集団として出席を求められ、支部から5人が参加。かなり活発に意見が出て、耐震偽装問題だけでなく、高層マンションのメンテナンスの問題や建築確認を含む建築行政の問題、さらには建築業界の下請け孫請け構造や設計料の低さなどにまで話が及びました。
(北海道支部・女鹿康洋)

緊急シンポジウム「公営住宅の値上げを問う」開催 主催・震災研+兵庫自治研

 4月15日、表題に示すテーマで「緊急シンポ」を開催。「緊急」というのは、神戸市が「住まい審議会」で4月中に家賃見直しを決めるという状況を睨んでのこと。報告者4人とも新建会員だが、残念ながら支部幹事会には間に合わず、震災復興研究センター(震災研)と自治体問題研究所(自治研)の主催で開催することになった。
 最初に塩崎賢明神大教授から、「政府の住宅政策の動向と特徴」について報告。戦後住宅政策の特徴が、フロー中心・大量供給主義や経済政策のツールとしての住宅供給にあったとし、そのことに起因して、住宅・住環境水準の低さ、欠陥住宅の多発、バリアフリーや耐震性の欠如、高家賃による家賃滞納とホームレスの増加、等を指摘。一方、少子高齢化、都市化減・人口減と共に新規需要も減少、住宅余り現象に。また格差拡大による住宅所得困難、セーフティネットの多様化、省エネ・地球環境問題、地方分権化による自治体やNPOの役割等々。
 以上、今日の住宅政策再編の背景を概観した上で、政府の住宅政策の動向について、「市場重視・ストック重視」の理念の下に、①市場機能の活用、②ストックの有効利用(耐震化、省エネ化、バリアフリー等)、③消費者利益の保護、④住宅セーフティ機能の向上、⑤良好な住環境の向上、⑥住宅関連産業の健全な発展、等の基本方針を解説。政府も財界と共通の認識だが、①については、耐震偽装問題に見るように市場予定調和論は破綻していて論外、②等については検討の余地はある、と分析された。
 「住宅政策改革」には、住宅問題の原因分析がなく対処療法に偏り、問題を残したままになるか、もしくはより悪化するかも、と評価された。
 続いて竹山清明京都府大助教授は、「住生活基本法について」報告。同法の成立に至る経過と概要について解説された後、現段階における評価をされた。
 ①「住宅基本法」でなく「住生活基本法」となった。箱物行政から生活重視への転換は前進(保健・福祉との連携を明記(9条))、②「住生活の安定の確保・向上」が法目的と明記、③「市場主義」がトーンダウン、④「住宅が国民の健康で文化的な生活にとって不可欠な基盤……低額所得者、被災者、高齢者、子どもを育成する家庭その他住宅の確保に特に配慮を要する者の居住の安定の確保が図られることを旨として(6条)」は、「居住の権利」明記にかなり近い、⑤基本的施策では「実施義務」が基本計画では「努力義務」に後退、⑥住宅関連事業者の「品質又は性能の確保」について責任を明記、欠陥住宅や耐震偽装問題への対応か、⑦同法や景観法は、既存の都市法制(都計法、建基法、再開発法)による乱開発、まち壊しをコントロール可能か、最後に⑨同法を根拠に新しい住宅・まちづくりを求める取り組みが必要、と提起された。
 問題は、この基本法を基に個別実施法を具体化・実行するかどうかにあろう。
 三番目は本シンポのテーマ「県営住宅の家賃値上げについて」を黒田が報告。所得税法の一部改悪(05年1月1日施行)と復興公営住宅家賃の災害特別減免の打ち切り(今年10月から)に伴い、三重苦を強いられる高齢被災者の事例を紹介した。
 原因の一つは「税制改悪」で、公的年金収入が変わらずとも、基礎控除額140万円が06年から120万円に減り、かつ老年者控除50万円も漸減、08年にはゼロに。二つは、震災特例の「特別減免」が今年10月から順次期限切れで「一般減免」に移行。三つに、その改悪によって県民税や市民税、国保料や介護保険アップにも連動。結果、高齢被災者は名目上の課税所得増でトリプルの打撃を受けることになると指摘。事例として、Cさんの家賃は、改悪前の1万1700円が3年後には3万3100円と3倍近くに(表参照)。これに対して県は今のところ緩和策なしという。
 家賃値上げだけでなく、県住の自然損耗の原状回復も入居者負担を県条例で決めている。因みに最高裁判例(大阪府公社賃貸)や建設省98年ガイドラインでも「家主側の負担が原則」。また、厚労省はこの4月から家賃の「代理納付制度」を導入。県は先だって3月に、生活保護者の同意・委任なく、福祉事務所の裁量で生活保護費から家賃を強制天引きできるようにした。
 こうした生活実態無視の血も涙もない県の対応の背景には、家賃収納率が震災以後徐々に減少、03年度は91%に落ち込み、累計11億7千万の収入未済との実態がある。家賃滞納者への訴訟件数と強制執行状況も、95年度約70件から04年度約220件へと急増。これでは行政がホームレス化を助長していることになる。
 国も県も、住宅マスタープランで謳う「安心して住み続けられる」は何処へ?、大震災復興、未だ終わらずと言うべきだ、と結論づけ、今後、「高齢者の居住の安定確保に関する法律」(01年4月)から逸脱している点を追求、世論にしていく必要を訴えた。
 最後の報告は、増田紘兵庫自治研事務局長で、「神戸市営住宅の家賃減免制度を考える」について「一般減免制度の自治体調査結果」を発表。
 県内全市町、大阪府内全市、兵庫と同規模の府県、全国政令市など101自治体を対象、うち54自治体の回答による中間集計では、約9割が減免制度を整備。県内被災自治体では神戸市営の最高70%が最も手厚いが、たつの市、滋賀県、仙台市は100%免除、高砂市、京都市、吹田市、箕面市など12自治体は最高80%と、現時点では17自治体が神戸市を上回っており、類似都市の平均以下であることが判明した。因みに兵庫県は最高60%である。
 以上の報告を受けて質疑に入り、参加者(県住入居者や被災者支援団体等四十数名参加)から「今後どうすべきか」などの声も出た。まとめとして、こうした実態を世論にして審議会等に意見を上げ、先述の「住生活基本法」や「高齢者の居住の安定確保に関する法律」などを論拠に裁判闘争も視野に入れた闘いも必要だと締めくくった。
 シンポは神戸新聞等が大きく報じた。
(兵庫支部・黒田達雄)

第2回全国常任幹事会 議事録 06年5月27日~28日

Ⅰ 情勢
(1)構造疑惑(片方)
 国交省「社会資本整備審議会」の中間報告と大臣「構造計算偽装問題に関する緊急調査委員会」の報告を取り上げ、比較論及。ともに確認・検査の民間開放に肯定的。安全性よりもコスト削減を優先する建築業界の体質が原因であることにふれていない。
●政府建築基準法改正案の罰則強化は建築士会では概ね歓迎、学会では疑問視。
●民主党の改正案は建築士法改正の内容を含んでいる。
●建築士会強制加入の動きが進んでいる。
●建築士がどう姿勢を保つかが問われる。法で縛っても無理。
●建築基準法を新しくつくった方がよい。
●京都の「考える会」ではそれぞれの組織、立場で考え方が異なる。新建がどう対応するかが注目されている。
●支部で勉強会を開催したら30人が集まった。トラブルを抱えている人が多い。建築家が仕事を見つめなおしている。
●建築界に高い倫理観を育み、公正な市場を形成するべき。
●JABEE(技術者教育認定機構)には倫理教育の理念が明記されているが、実際に行われているのか。
(2)住生活基本法(鎌田)
 委員会での審議の様子を報告。八田審議会住宅部会長は住宅政策不要論者(6月2日参議院可決成立)。秋までに基本計画作成。住宅局長は新たな法制度整備はいらないといっているが問題。住民団体は野党議員に理解させて共闘することが大事。
●耐震診断、千葉では診断と改修に助成制度が設けられ、住民に活用されている。行政の登録リストをみて設計者を訪ねてくる。
●富山は事務所協会で無料診断に対応している。協会から若干手当てが出る。
●横浜市は制度があるがなかなか改修までいかない。
●マンションが診断できてない。
(3)行政改革(加瀬澤)
 医療保険改革と言いながら高齢者医療費負担増大。自立支援法により収入の少ない障害者の負担増加。自治体財政の破綻が深刻化。人員削減の進む行政。
(4)その他――大野シビックセ ンターの欠陥(本多)
 大野市のシビックセンター。設計は葉デザイン事務所に特命で委託。監理は奥越設監協から葉事務所に3分の1の額で下請け。雪対策がされておらず破損事故発生。市民から監査請求が出されたが、乱暴な論理で却下された。福井支部では地元の人と共同してこの問題に取り組む予定。全国から助言がほしい。

Ⅱ 企画
(1)全国企画の進行状況
a 建まちセミナーin犬山
 チラシの確認。早急に新しい連絡先に変更する。
b 全国研究集会
■記念講演「横浜市のまちづくり」――講師を北沢猛東京大学教授に依頼済み。
■全体テーマ『「建築とまちづくり」に市民は何を求めるか』
■シンポジウム――コーディネーターに片方(依頼済み)、パネリストに市民運動に直接関わっている人、それに関わる専門家(弁護士、建築家等)
●記念講演とシンポのつながりにこだわらなくともよい。
●シンポのパネリストに北沢氏が入らなくてもいい。
●記念講演は行政主導、シンポジウムは市民サイドからのまちづくりを考える。
●パネリストに倫理についてしっかり提起できる人を入れる。
●シンポジウムのテーマは絞ったほうがいい。
■分科会
 検討の結果、以下の分科会[担当常幹+α]で決定。
①地元の木で家をつくる活動[富岡・竹山+田村]
②民家・町家再生、洋館の活用、歴史的まちなみ再生[桜井・片方]
③福祉のまちとすまいづくり[星・加瀬澤]
④施設の設計、施設をつくる運動[大橋・高橋+黒田]
⑤家族とすまい[山本・水野]
⑥コミュニティー再生、住民主体のまちづくり[川本・三浦]
⑦職能[今村・蓑原+本多]
⑧住宅政策[鎌田・大槻]
⑨デザイン[久永・丸谷]
c 新建学校、各地のセミナー
 北海道建築セミナーは第1回50名参加の盛況。
d 国内外の交流に向けて
●当面国内の海外建築家、留学生と交流する。
●海外学会参加の際に紹介する。
●新建パンフの英訳を中島代表幹事に依頼する(担当・山本)。
(2)支部企画、状況報告
●千葉――新旧建築探訪。佐原で仕事を語る会。
●静岡――伊豆松崎にて「初夏のつどい」。講師・長谷川尭。
●東京――事務局長黒崎氏に交代。5月/新入会員歓迎会。6月/大沢事務所(蔵移築)見学会、実践報告会。
●富山――住宅講座。見学会。県職員による出前講座。
●福井――月1回例会。
●愛知――セミナー準備会合。
●京都――実践報告会。自由法曹団とのまちづくり研究部会。大徳寺玉林院の見学。木構造勉強会。
●大阪――勉強会(断熱材、構造計画)

Ⅲ 事務局、各委員会
(1)全国事務局――事務所移転
●更新にあわせ急遽決定。6月18日引越し。新事務所は11・5坪、10・5万円(旧は13坪、16・5万円)で月6万円軽減。全国は3万円減(東京支部と折半)。移転に伴う費用(150万円)を本多代表幹事より一時借用。常幹にも要望する。
●全会員あてカンパの要請(1口5千円)。『建まち』に同封、働きかけは支部ごとに行う。
●全国分をはっきり示す(75万円)。金額の根拠も明らかに。
(2)政策委員会
●耐震疑惑に関わる問題――建築士法改正についてパブコメが出される前に新建のコメントを出す。片方・三浦・鎌田で検討し、7月には案を出す(まとめ役・三浦)。
●倫理綱領――新建の倫理綱領を提起する。行動綱領作成委員のメンバーが検討メンバーになる(山本・大槻・蓑原・久永・高橋)。会員向けアンケートを実施する。
(3)WEB委員会
 3月に通信員メールグループは完了。支部活動はMLで報告。ロゴは2作品とも使う。

Ⅳ 『建まち」誌
(1)特集企画
 5月・超高層住宅批判/6月・マンション問題/7月・職人とセルフビルド/8月・設計術/9月・登録文化財
(2)発行状況と体制
 7月号月内発行を目指す。
Ⅴ 組織・財政・拡大
(1)各支部の組織運営・財政
 長野支部と滋賀支部が特に重い。担当常幹と全国事務局長で具体的な対応を取る。
(2)会員・読者の拡大
 青森が2名増えて6月より30名に。北海道はあと3名入会で支部史上最大に。

 その他
●田中代表幹事、体調不良のため代表幹事を降りたい旨。大会決定事項であり正式には次期大会で。それまでは休会扱い、資料送付や案内を控える。
●新建主催で海外建築ツアーを企画したい。→多いに進めてほしい。

『建築とまちづくり』2006年4月号より  

 

ふくい建築とまちづくり展開催――福井支部

構造設計偽造問題討論集会開かれる

全国幹事会 議事録 於板橋勤労福祉会館 06年3月25日~26日


ふくい建築とまちづくり展開催――福井支部

 3月11日(土)から15日(水)まで、JR福井駅近くにある市民ギャラリー「えきまえKOOCAN」(駅前空間、商業施設跡地)にて、建築とまちづくり展in FUKUIを開催しました。一昨年11月に引き続き2回目の開催でした。来場者100名は前回より少ないですが、前回は学生の見学者が多かったので、一般市民は今回が多かったようです。
 今回の特徴としては、5日間で6つのミニ講演ができたことです。これを目当てに連日来てくださる方もありました。いずれの講演も、講演者だけが話すのではなく、会場からも意見や感想の飛び交う和気あいあいとした雰囲気でした。また、初日に富山支部の皆さんが展示パネルを持って参加していただいたのが、大いに力になりました。
 環境カウンセラーの酒井良雄氏による「地球温暖化について」では、様々なデータやグラフを用いて、わかりやすく地球がどの程度温暖化しているかをお話しいただき、「これは子どもたちの人権問題に関わるから、早急に対策を!」と熱い思いを語ってくださいました。
 福井大学講師の薬袋奈美子氏による「歩いて暮らせるまち」では、「東京から来た者にとって、福井の街なかに緑がこれほどまでにないことが驚きだった。本当に車がないと生活しにくい」と、ご自身の体験を踏まえ、歩いて暮らせる理想のまちについて話してくださいました。
 新建代表幹事の本多昭一氏による「構造偽装事件を考える」では、一連の構造偽装事件について、なぜこの問題が起こったのか、何がいけなかったのか、など一般市民でもわかりやすいように先生お手製のパネルを用いて話してくださいました。
 田原町デザイン会議代表の竹内幸子氏による「住民自身のまちづくり」では、ご自身が行っている住民主体のまちづくり組織の立ち上げから現在に至るまでの活動や、その想いを語っていただきました。そのほかにも、新建事務局長の今村彰宏氏(富山支部)による「信頼される建築事務所」や、仁愛短期大学助教授 内山秀樹氏による「住民自治政策の最近の動き」の講演がありました。
 また、それぞれの講演内容と同様のパネル展示も行いました。パネル展示はそのほかに、「幻の福井城跡計画」や「粗朶沈床(そだちんしょう)(日本古来の河床建設技術)」、県内建築家による住宅作品展示、学生団体の展示、富山支部、兵庫支部、大阪支部、京都支部による支部活動の展示がありました。
 打ち上げ会では、前回よりも準備期間が短く広報が行き届かなかったので、次回は準備期間を長くして、広報活動に力を入れ、展示全体のコンセプトを統一することを目指したいとの意見がでました。
(福井支部・馬場麻衣)

構造設計偽造問題討論集会開かれる

 3月25日、全国幹事会に先立って標記の討論集会が東京で開催され、全国幹事に加えて在京の会員も参加して活発な討論が行われました。以下、そこでの討論を紹介します(第1部は各地からの報告とレクチャー、第2部は今後の動きに向けて)。
 幹事会に合わせての全国企画は初めての試みですが、短期間の準備にもかかわらず盛会でした。今後もこうした企画を考えてもよさそうです。
 なお、この討論を踏まえて昨年の新建の「見解」を補強する作業が政策委員会を中心に行われています。

【第1部】
■問題提起(千葉支部・鎌田)
 構造計算書偽造問題発覚後、新建は昨年12月16日に声明を出した。その後国等の調査がひと段落したので、新建として深い検討・新しい見解が必要。①事件の解明、②住まい手の救済、③再発防止、の3点を切り口として議論を求める。
■12月16日以後の動き(東京支部・高橋)
①組織的なぐるみ犯罪であることが判明。
②姉歯と非姉歯、福岡や北海道の事例から、共通点は何か、相違点は何か、を明らかにする必要あり。
③計算方法により評価が違うことについて、建築技術者も市民も混乱している。大臣認定プログラムに関する問題+耐震基準に関する基本的な考え方を学ぶ必要がある。
④倫理的な問題と同時に、住み手の中に建築技術そのものへの不信感が増大している。これまで新建が「技術者と住み手使い手の共同により職能の確立を」と努力してきたことが退化の方向へ進むのではないかという危惧がある。建築諸団体はこの問題が起こってから比較的早い段階で倫理の問題に言及している。国により建築士法の改正などが検討されるので、諸団体からさらに提起が必要となるだろう。
⑤中越地震より手厚い救済、と報道されているが、中越地震では戸建が被害を受けたのであり、どちらかというと阪神大震災との比較で語るほうがよいだろう。自然災害ではないことに留意すべき。
■報告1(東京支部・千代崎)
 事件後、「うちのマンション/家は大丈夫か?」という住民の不安が大きい、そこに応えていくべき。姉歯建物と、これまで造られてきた普通のマンションとはどこが違うのか・同じなのか、を検証していくことにより、事件の本質がわかると思う。日本列島に暮らす以上、地震と共存していかなければならないことについて、科学的にわかりやすく住民に伝えていく必要がある。
■報告2(福岡支部・蓑原)
 九州ではサムシング社(02年廃業)の問題が発覚。建物重量を軽く設定し、一貫計算をしないことで、結果として[保有水平耐力(Qu)/必要水平耐力(Qux)]が0・8~0・9程度の物件となっていた。福岡県は、サムシング物件は建築主負担で、地震等による被害は補助を出すと言っている。これに対し本人は、同値が1・0を上回っているという主張を始めている。サムシング社のスタッフが独立したディックスクロキ社の例は、サムシング社の手法が拡大していることを示している。
 限界耐力計算による1・0では議論できない、と自分は考えている。建築主が、安全性の基準も検討して、求める性能を決めるべきだ。限界耐力計算が先にありきではなく、許容応力度法計算をまず行って判断すべき。技術の用い方にかかってきていると思う。
■報告3(北海道支部・大橋)
 同じく問題になった札幌の構造設計者・浅沼氏については、不安に感じた住民自らの調査でことが発覚した。33件のうち、多数が特定の分譲業者のものとなっている、近々に元請も公表される予定。札幌市建築部長が当初「札幌では偽装問題はない」と明言していたので、市民も含め問題となっている。
 北海道支部会員での論議から、驚くべき事実が明らかになった(設計者への圧力の問題など)。
■報告4(神奈川支部・小野)
 被害住民の悩みは「世論が必要」ということである。いわゆる「自己責任論」による、被害住民に対する誹謗中傷が周囲を取り巻いており、外出もままならず、精神的苦痛を強いられている。
 一方で、この問題を通じて入居者のコミュニティが強まった一面もある。
 構造計算だけでなく、施工手抜きも発覚した。
 利子を取り続ける銀行への不満も大きい。
■構造問題についてレクチャー(神奈川支部・摺木)
 地震は日常的に起こるものとしてとらえ、日常生活および設計の上でも対策を位置付けておくことが必要。新計算手法の導入については、個人的には前進だと考えている。
 問題は、①変形力についての共通認識がないこと、②入力地震力のとらえかたが新手法ではよりリアルになったこと、である。なぜ計算方法によって安全性を示す結果が変わるかについてだが、従来の手法は建物の重量に係数をかけたものであるのに対し、新手法(限界耐力法・エネルギー法・時刻歴解析法)は変形をどれだけまで認めるか、ということを問うものである。損傷防止&継続使用を求める場合は(建物の種類によるが)変形角1/200とすべきだし、人命保護を求める場合は変形角1/75程度ではないか、と仲間と話している。エネルギー法は部材の強度をエネルギーに置き換える方法であり、部材の性能が明確な場合(工業製品等)有効である。

◇質疑応答・意見交換
▼設計手法によって評価が変わる部分についてもう少し教えてほしい。
▽評価とはつまり応答変形量を求めることである。性能目標としての設計(1/200、1/75)に入っているかどうかを確認することである。この変形量を勝手に決めることはいけないと考える。変形量をどのレベルにするか、を建築主=発注者と協議するのが前提だが、その際構造技術者も含めて協議してほしい。
▼力がかからなくなれば、建物は元の形に戻るという前提か?
▽中程度の地震の場合、戻って継続使用できるレベルであるし、その後の耐力・変形力を損なわない範囲。
▼改正前の法律での位置づけと何が変わったのか?
▽許容応力度設計の時代では、1/200ということが決まっていたが、改正により建築主の求めるレベルでよいということになった。
▼平成12年以前は建築基準法で1/200ということが設定されていた。限界耐力法の導入により、解釈を認めてしまったことが問題。変形量としての問題や補修に関しての問題もあるので、ものづくりとしてはおろそかになる方向へ進む危惧がある。限界耐力法じたいは技術として確立されたものだが、扱い方がまずい。
▼性能については、結局マンションのエンドユーザーは選べない状況、ディベロッパの判断となっている現状は問題である。

【第2部】
■問題提起(福井支部・本多)
 基本的には技術者の倫理問題である。これまでにも、欠陥住宅・キックバック・談合等の問題があった。きれいごとではなく具体的な倫理綱領を求めたい。具体的な議論をするのが良いと思う。
 社会資本整備審議会の中間報告(国交省HP参照)でも、建築士制度について検討されている。
 建築基準法第6条による建築確認は、営利企業にはできないことのはずである。設備技術者、構造技術者の明記はいいと思うが、国家試験を縦割りにすることは、総合的に学習しなくてすむようになるので、好ましくない。
 建築士の一番大きな問題は設計施工分離にをどうするかである。形の上では独立していても、従属していたら独立した監理はできない。
■報告1(東京支部・山本)
 「倫理綱領をつくろう」という機運は各団体でも高まっている。倫理とは「行動の規範としての善悪の基準」。大多数の技術者の賛同が得られるものでなければならないので、倫理綱領の目的は、「不正をなくすため」にしぼる。
■報告2(兵庫支部・黒田)
 98年の法改正の背景は、アメリカからの圧力であり、その目的は規制緩和・土地の有効利用・国際調和であった。自治事務の商品化を行ったわけだが、結果として民ではできないことが立証された。ここをPRしていかなければならない。再発防止にはシステムの問題と体制の問題があると思う。
■報告3(東京支部・三浦)
 再発防止策としては、①技術者の倫理、②検査機関のあり方、の問題がある。住民保護については、まず徹底した情報開示が必要で、現行の住宅性能表示制度の活用が考えられないか検討したい。瑕疵については、①責任の所在をマンション製造者・供給者の立証責任を伴って明確にするとともに、②経済的な保障の裏づけが必要である。経済的裏づけについては、業界保険も検討できないだろうか。

◇質疑応答・意見交換
▼建築技術支援協会の和田氏がピアチェックということを提起しているが、ピアチェックとは面談で審査することと明示している。
▼関西では172名のアンケートにもとづき2月25日にシンポジウムを行った。建築とは?建築の理念とは?に答えを出すとともに、建築の理念を実現するための方法・仕組みが必要。
▼銀行は、ディベロッパーに融資して住民から回収しているというのが実態である。
▼住宅ローンは圧倒的に提携ローンで行われている。銀行が担保を見誤ったとみるべき。土地の不良債権は銀行がかぶり税金をつぎ込んだわけだから、今回住民救済にあたっては、銀行の責任も議論されるべきだ。
▼現金で一括で購入した人もいるので、ローンだけの問題ではない。
▼品確法・性能保障の義務化は実際に効力があるかは疑問。現在は営業マンがPRしていないのが実情。契約前の情報開示が必要。建物版消費者センターのような窓口が必要。
▼性能表示は1万円払えば弁護士が相談にのってもらえる制度なので、ディベロッパーが発信したがらないのは当然。
▼官の確認や検査は、瑣末なことをうるさく言ってきたのも事実。もっと大事なことを指導すべき。
▼企業の社会的責任について話し合う会合に参加した。何が起こってもおかしくない社会なので自分を守るのは自分しかない、構造計算偽造問題ではマンションを買った人が自分の責任で解決すべき、というような主張もあった。社会的にはそんな考えの人もいる中で議論せざるをえないことを認識して、かみあう議論を展開する必要がある。
▼今日明日の全国幹事会でも議論し、近々に提言を出す方向で検討したい。
(まとめ/東京支部・岸岡のり子)

全国幹事会 議事録 於板橋勤労福祉会館 06年3月25日~26日

◇開会挨拶(三沢代表幹事)
 全国からこんなに多くの幹事の皆さんが集まり、今日の会議の開催になる。会員からの「会費」というものはたいへん大事であるという実感をもちました。討論の内容をぜひ各地で伝えてください。
◇事務局報告(今村事務局長)
 この幹事会開催までに、1月の常任幹事会で50名の拡大を目標にした。結果は60名という超過達成。予算上はあと204名、引き続き拡大を推進したい。

Ⅰ 支部活性化討論

◆北海道支部(女鹿)
●丸谷氏の講座を中心に企画が成功した。これらの活動を通じて参加者の中から5人の会員増となった。
●今年は三沢代表幹事のセミナーを中心に支部独自の企画を計画。
●各地での成功を参考に、「建築とまちづくり展」もぜひ企画し、実行したい。
●支部の運営・企画などの活動が「個人」に集中しないように、支部会員で分担していけるように対策を考えたい。
◆青森支部(飯田)
●会報「Unite A」(年4回)を広報委員会として発行。
●これまで、花見、講演会(安藤忠雄、丸谷博男、渡辺真理・木下庸子)、ゴルフコンペ&懇親会、「新建学校」、「建築とまちづくりセミナー」、見学会&懇親会などの企画を行った。今年はワークショップを数回予定。
●企画の準備は、会員をグループ分けし、担当者を決めて実行している。
◆愛知支部(福田)
●ACC(設計者・施工者で20名の団体)と協力。お互いの企画案内をメーリングリストで宣伝し、共同して取り組む活動。
●「建築とまちづくりセミナー」をきっかけに、各会員の所属している団体に呼びかけ協力関係をつくりたい。また、若手会員の拡大対策として「セミナー」を位置付けたい。
●「まちづくり研究会」を発足。当面6~7名、各人の専門分野からの状況報告や情報交換から始める。
●世代間の交流として支部ニュースを活用。学習会・座談会も検討中。
●「仕事を語る会」は04年4月から定期的に開催され、会員の実践の交流は活発に行っている。
●相談活動は組織的には十分に取り組めていない。
◆静岡支部(多々良)
●幹事会+セッション(一般会員が担当)で企画・活動を行っている。3~4年前から「セッション番外編」を開催、出かける企画で一般会員が担当、主に見学会など。移動中での会員相互の交流を大事にしている。
●県内2カ所で「座談会」として交流会を定期的に実施している。
●神奈川支部と合同実践報告会を開いた。
●「建築とまちづくり展」を企画している。
◆富山支部(水野)
●建築士会、事務所協会、JIA、建築学会、富山地域建築組合などと企画の協力、「建築とまちづくり展」を通知している。
●幹事会の「顔が見える活動」を大事にしている。組織体制として、役員が一般会員に連絡、一般会員から役員に報告を入れるというスタイルが定着している。
●企画に対する要望のアンケートを実施、幹事会に提案、早い時期に会員に知らせ、予定を組んでもらい参加しやすくする努力をしている。他団体に知らせることで、より大きな企画を実施したい。
●昨年の富山大会にあわせて県内3カ所で開いた「建築とまちづくり展」は、外へ広げる活動として大きな意味があった。地域ごとの集まりができたこと、交流が深められたことは支部会員の顔が見えてたいへん意義があった。
●実践報告会は毎年企画している。他の会員の実践を知ることができて好評。
●機関紙では全会員の「声」を載せることが目標、近県支部の「声」も載せたい。県内を5地区に分けて編集作業を分担、地域性が出て情報も知らせることができる。多くの会員が携われるなど機関紙を通して支部会員の交流と「顔」が見える。
●機関紙「ゆるゐ」を近県の会員へ発送している。石川支部設立を目指して応援していきたい。
◆福井支部(本多)
●2年前に5、6人で発足、古い会員+新会員が集まり、毎月月例会を実施している。毎回ゲスト(非会員の場合もある)を呼んで勉強会も兼ねて実施、非会員や読者も参加することが多い。
●「建築とまちづくり展」を実施、富山支部から5人の展示パネル持参の応援があった。パネル展示では非会員も参加、会場で講演会もできたいへん良かった。
●例会では、①次回の日程、②次回のゲスト、③支部の実務(会費の集金など)を行う。
◆京都支部(川本)
●「建築とまちづくり展」では建築士会の方にパネリストとして参加してもらった。200名ぐらいの参加者。開催中は職人さんの実演を披露(大工さん、瓦職人など)。今年も開催予定。
●忘年会では非会員の方の参加(2名)もあり、後に拡大につながった。
●相談活動ではまちづくり部会が対応した。マンション問題など。
●支部機関紙は毎月発行している。新入会員などの紹介、会員の情報交換の場として。
◆岩手支部(富岡)
●例会は年数回、「新建いわて」メール版発行。
●会員個々の活動は各所属団体で活発に行っている。少ない会員だががんばりたい。
◆千葉支部(中安)
●JIA、士会などの中心メンバーとして活動している会員がいるので、他団体とも積極的に交流していきたい。
●「住まいと福祉の会」は毎月例会を開いている。「住まいづくりフォーラム」は一般の方との交流を目的に活動している。
●「建築とまちづくり展」を3年連続で開催。続けていくことが大事。参加者が住まいづくりフォーラムにも参加してきている。
●100号記念の機関紙「新建千葉」を読んでみたら、会員の活動が見える内容だったのに感動した。
◆神奈川支部(永井)
●支部の企画に他団体からの参加はないが、会員個々人は所属の他団体の企画に参加している。
◆埼玉支部(吉野)
●他団体との交流はないが、会員個人は所属する各団体の企画には参加している。
●実物大耐震実験の報告会、見学会、群馬支部合同実践報告会などを実施。
◆群馬支部(高橋)
●地域材を使う会、伝統木構造の会などの見学会に参加。会員個々にはそれぞれ交流はある。
●支部幹事会は月2回実施、1回は勉強会として交流している。
●実践報告会は埼玉支部と合同で開催した。支部企画はこれから計画していきたい。
●カバンに入れて持ち歩いていた『建まち』誌で読者を拡大。
◆東京支部(黒崎)
●今年もいろいろな企画を予定している。他団体との共催をめざしたい。
●支部企画は目玉として、①建築とまちづくり展、②実践報告会、③連続講座を計画。これまでは企画参加者への対応が継続的になっていないので検討していきたい。
●相談活動などをより広く公開するなど、新建の存在をアピールしていきたい。
●支部機関紙「ホワイエ」の発行は順調。会員の「顔」が見える編集をしたい。
●支部のHPは更新されていない。更新が滞らず継続的に行えるようなシステムを構築したい。
●会員名簿の未整備状況が長く続いている。情報として活用できるよう整理、お互いに連絡が取り合えるようなシステムにし、会員同士のつながりを構築していきたい。
◆秋田支部(木谷)
●弁護士会の相談活動に参加(2名)、秋田の銘木を見る会との交流会など。
●首都圏の設計共同フォーラムと交流。報告、感想などの文書を待っている。
●古い酒屋の保存運動に参加。国の有形登録文化財となって残すこととなる。
●憲法9条の意見広告の署名活動をしている。
◆大阪支部(栗山)
●士会に支部企画の案内を送っている。他団体との交流はなかなかできない。
●見学会などはあるが他の企画が少ない。年間計画を立案し精力的に取り組みたい。
●運営、企画準備など幹事会で行っているので、会員拡大や企画の宣伝など十分でない。若手会員に積極的に呼びかけ任務分担しながら育成をはかりたい。
●支部機関紙は隔月発行になってしまった。情報はメールで流しているが、機関紙として充実させていくことが必要と感じている。
●支部HPが立ち上がった。今後活用していきたい。
◆長野支部(関)
●支部役員会は開かれていない。個々としては活動しているが、支部としてまとめることが大事と考えている。今後、会員在住の地域性も考慮しながら活動できる内容を検討していきたい。
◆兵庫支部(黒田)
●支部幹事会は日程が決まっていても半分くらいしか開かれていない。幹事会が開かれないと活性化もしないので意識的な会員を中心に頑張りたい。当面、中国での仕事の実践報告などできっかけをつくりたい。
◆福岡支部(蓑原)
●幹事会が開かれていない。会員の名簿(状況把握含む)と会費の問題を整理したい。
●「セミナー」などを開こうと呼びかけている。会員が興味のある内容でひきつけていきたい。
◆まとめ
●全体として企画を立てて実践していこうという機運が感じられる。要求に応えていくことが新建を大きくしていくことである。
●企画を考え始めるとたくさん出てくる。材料はあるということ。成功させるには具体化する「力」が問われるが、外部も引き込んで実行する「力」は新建にはあるので、もっと積極的に進めていいのではないか。
●全体的にうまくいっているとは思うが、全国幹事の役割が重要。全国幹事が支部の中での企画等に率先して「力」を発揮していくことが大事。
●東京、北海道で同じ講座を開催して差が出るのはどうしてか。全国幹事会での討論の成果を支部に持ち帰り発揮できるかによる。大きな支部は「力」があるのに、その力を出しきっていないのではないだろうか、今日の討論を持って帰り、各地域で頑張っていきましょう。

Ⅱ 大会後の情勢と対外活動の発展

①住まい連と住居法(鎌田)
●住まい連では住宅政策の基本法として「住居法」を提言、団体署名は一一四八団体に及び11月29日国交省に対し署名提出と交渉を行った。
●「住生活基本法を考える国会集会」に参加。集会では「住居法」の提言と「意見書」を採択。
●問題点として、「住生活基本法」では基本理念を定めるのみで具体的な内容は閣議決定によるという法案。国民生活の重要性に鑑み、具体的内容も国会の審議を経るべきであること。公共住宅の位置付けやその施策が著しく弱まっていること。他にも重要な問題があるが、詳細は「住生活基本法案についての意見書」を参照。
●「住居法」を考える連続シンポジウムを企画、進行中。第1回は新建が講師を担当。今後は木造住宅耐震化改修、マンションの将来問題などを企画していく予定。
●建築の専門的分野からの分析や指摘などについて、専門家集団としての新建がかかわる意義は大きい。
②アスベスト問題(高橋)
●新建としては十分対応しきれていない。署名への協力については成果がなかった、全国では一四六万の署名が集まった。
●石綿新法が成立、年度内施行に決定(2月3日)。中皮腫や石綿が原因の肺がん患者に医療費、その遺族に特別遺族弔慰金などを支払う新法。
●石綿の除去を進める関連4法が改正。新たに工場プラント解体時の石綿飛散対策を義務づける大気汚染防止法、溶融処理による無害化促進のための廃棄物処理法、建築物の増改築時に除去や封じ込めを義務づける建築基準法、公共建築物の石綿除去を地方債で賄う特例規定を設ける地方財政法。
●問題点として、①労災対象は中皮腫と肺ガンのみ、②給付水準が低いこと、③国、企業の責任を明確にしていないこと、④石綿製品の前面禁止をうたっていないこと。
③構造設計偽造問題(本多)
●常幹声明は正しかったか? 声明で危惧したことが現実に起きてしまった。
●再発防止策について、昨日(25日討論集会)の討論をふまえ、これから全国の幹事の皆さんの意見を聞いて政策委員会としてまとめたい。
●偽造の資料をもとに建築構造学的な勉強も必要。常幹として意見をまとめ、全国幹事に諮る。実務上の意見などの議論が直接法案に結びつくような課題であるから、新建以外の人へ伝えることも大事。建築の倫理をかかげ、業務の報酬もふまえて意見をまとめ、必要なところへ、必要な時間に出していくこと。
◇討議
●談合問題やまちづくり三法などの問題も出してほしい。
●『建まち』2月号に世田谷の例が載っている。PFI問題は創るところから運営まで民間へ出してしまう。市民参加のまちづくりで今まで培ってきたものが破壊されている。そうした現状を世の中に明らかにしていく必要がある。
●税制の改正で、高齢者の収入の評価が上がり公営住宅の入居費が上がる問題など予測される。兵庫でシンポジウムを予定しているが、全国に波及する問題である。
●4月1日に弁護士、医者によるアスベスト問題110番に参加する。
●政府の規制緩和政策は建築分野のみでなく、全体として動いている。他団体と接するうえで、他分野についても知る必要がある。
●京都市の景観を考える「時を超え光り輝く京都の景観づくり審議会」の中間報告は、前進面もあるが問題点もある。高さ制限について許可制度を導入、デザインなど一定の条件がよければ限度を超えることが可能。歴史認識が違っている、京都は本来、「上京/下京」に大別され、下京が中京区と下京区に分かれている。今回の報告はその上京が抜けている。

Ⅲ 第25回大会決定の活動方針・特別決議の具体化

A 全国的活動の充実
①建築とまちづくりセミナーin 犬山(福田)
●日程は8月25(金)~27(日)。
●会場は犬山館、参加者180人を目標。
●参加費は3万円以下になるよう旅館と宿泊費の交渉中。
●講師は吉田桂二氏、本多昭一氏、延藤康宏氏、三沢浩氏が決定。『建まち』2月号でインタビューした犬山市長にも交渉中。
●4月中にはパンフレットを発送する予定。
②全国研究集会(永井・林)
●日程は11月3(金)~5(日)。
 11/3 基調講演、交流会
 11/4 大分科会、小分科会
 11/5 見学会
●会場は神奈川県民センターを予約済み。
●報告集は分科会での資料を原稿とする。
●宿泊場所は新横浜周辺のホテルを検討中。1泊8000円前後を予定。
●記念講演(基調報告)、シンポジウムのテーマ、大分科会と小分科会、見学会等については引き続き検討する
●神奈川県下の他団体にも積極的に参加を呼びかけたい。
●テーマは法改正をにらんで、耐震問題ではどうか。
●社会問題が深刻化している状況なので、社会科学系のテーマではどうか。
●士会などとも共催したいので、やりやすいテーマとしたい。「横浜のまちづくり」などローカル色を押し出してはどうか。
●横浜について知りたい。その方がやりやすいのではないか。
●学生たちを対象に、時代を牽引してきた技術者・時代を支えている技術者などをテーマにしたい。
●平和を守るという観点で、米軍のこと、横須賀基地のことなどもテーマにしたい。
●横浜のまちづくりは官主導でできた「手法として古いタイプ」であることは注意しておきたい。
●講演と分科会は全く別のものでもよい、という見方もあるのではないか。
●耐震偽造問題は時期的に遅いのでは。倫理問題としては遅くはない。
●「防災」という観点まで広げれば地域住民とも接触しやすい。
●大分科会/小分科会に分けず小分科会だけの方がすっきりするのではないか。
●提案された10の分科会にこだることはない。吸収されることもあり得る。
●分科会を大小に分けると時間不足ということもあり得る。
●横浜は見るものが多い。見学対象に入れて欲しいものがたくさんある。
③『建築とまちづくり』誌
(丸谷・鎌田・小林)
●現状は1カ月遅れで発行、現在の編集体制ではなかなか取り戻せない。年間に2号分ぐらいを外注すれば遅れは取り戻せるかも知れない。
●「ワーク&ワーク」の新シリーズを提案。4頁立て隔月で1編、3年間で18作品、最終的には書籍として出版を目指す。会員が共有できる建築観が立ち現れてくることを期待する。
●「建築欠陥問題と建築職能」というテーマで日弁連と誌上意見交換を企画中。新建側の執筆者を決めてほしい。→政策委員会で対応する。
●弁護士と建築士の違い、弁護士がテーマに対してどう見ているか知りたい。
●『建まち』誌に対する評価、反応が示されるとこれからの編集に元気が出る。
●「新建賞」各該当賞の内容を2頁程度に要約して記事にしたい。受賞者はやり方も含め検討してもらいたい。
●『建まち』の原稿はデジタルデータでほしい。できればそのまま印刷に使えるデータ(イラストレーターなど)でお願いしたい。締め切りは厳守で。
●セミナー特集号などは外注せずとも内部的にまかなえるのではないか。→実際の編集作業には相当の手間と時間がかかり、結局編集局が対応することになるので難しい。
●アンケートをとった各支部に送っている宣伝誌の部数は現行のままで。
④WEB委員会(星)
●各メーリングリスト参加者は移行の手続きを済ませてほしい。
●通信員は各支部の企画などについてなどの記事を送ってほしい。
●通信員を各支部1人に限定しメーリングリストをつくりたい。
●全国サイトではセミナーや研究集会などのチラシができ次第掲載する。
●各支部のサイトは手軽なブログなどでもOK。リンクも可能。
●募集したバナー案についてはHPで紹介する。
⑤政策委員会(本多)
●住宅政策(住生活基本法)の議論、耐震偽造問題、都道府県から道州制への制度変更がが提起されるなど問題はたくさんあるが、政策委員会としての論議が少ない。改善策としての仕組みを考えたい。ブログ形式で立ち上げ、委員以外の人も見られるように検討中。将来は一般の人も見られるように、意見も出せるようにしたい。
⑥他団体との交流(今村)
●耐震偽造問題などについては広がりがあった。さらに発展させたい。
●支部同士の交流もいくつかの支部であった。
⑦海外の建築団体との交流
(今村)
●外国の団体との交流・連携は不十分、事務局で今後対応したい。憲章外国語訳については文言の精査をして早急に進めたい。
B 組織・財政の充実と会員・読者の拡大
①支部・全国事務局の民主的運 営と組織活動の活性化
●組織体制を各支部で文章化してほしい。富山は文章化したものをつくっている。
●東京も富山を参考にして各個人の「顔」が見える組織にしたい。大きな支部では特に意識して会員と接していかないと、会費請求の時期にしか連絡や接触がないとなりかねない。東京では組織改造をして役員全員が受け持つ担当を決めた。
●全国から各支部に企画などの打診をしてほしい。
●支部役員がどう後輩にバトンタッチできるかが問題。
●会員が50名を超えると事務局が一人では大変。富山ではどのように人づくりをしてきたのか知りたい。
●以前に全国から出した「組織活動の手引き」を再度整理してはどうか。
●富山では40名前後の頃「手引き」が示され、内容をチョイスして「手引き」をつくった。
●各支部の状況に合わせてつくることが大事。メールは気軽だが連絡網は電話がよい、話をして顔が見える。維持会員(辞めない会員)にはうるさく電話はせず、新会員に積極的に話をする。どうフォローするかが大事。
●富山はかつての福岡を参考にして組織体制を作成した。
●一人の連絡分担を富山のように5人とすると、京都では5人の事務局長が必要ということになる。
●福岡は組織が60~70人で推移している。今は連絡網が機能していないので会員の「顔」が見えない。事務局体制が上手に世代交代できなかったことに起因している。
●幹事会をキチンと開くことが大事なのではないか。
●役員や担当部署の構成員について、交友関係や年齢などについて幹事会で検討する。
②拡大委員会とネットワーク(水野)
◆知らせる活動と誘いかける活動の重視
●12月末までに目標を達成したい。ついては「拡大委員会ネットワーク」を提案したい。
◆知らせる(広げる)自主目標の設定
●全国幹事レベルで自主目標の設定をしたい。集計は3回に分けて行う。
◆会員・読者1800名の実現
●緊急拡大・拡大委員会の報告をもとに各支部で実践していただきたい。当面、12月末まで「知らせる活動」を中心に拡大を実践して1800名の実現を目指したい。
※拡大が進んでいる支部より
●静岡――県下を3地区にグループ分けして活動している。富士地区では毎月「座談会」を開き、新会員がまた新しい会員を連れてくる。事務局長は2年で交代、誰がなっても同じという感覚。
●青森――全国からの後押しが力強かった。
●北海道――拡大は自然増、いろんな活動の中で自然に寄ってきた人を拡大できた。動く人が一人の支部には全国の応援が必要ではないか。他団体との協力を築いてきたことが結実している。
●富山――大会後は会員10増3減で純増7。入善町では住宅見学会を10年ぐらい続けている。「顔を見せ合う活動」、「楽しい企画」、「続けられるコアスタッフ」が大事。
●千葉――この数年中心メンバーに変化はないが、無理をしない企画、組織ばらずにやりたいことをやるというスタンス。個々の会員の実際の見学会をしている、非会員も参加してもらい、会員がどんな仕事をしているかを伝える「場」にしている。
③空白県に新しい支部を
●栃木で2名にアプローチしている。
●長崎で3人に支部づくりについてアプローチしている。
●拡大委員会として「お手紙」を出す。
●支部組織一覧には全県名を記入するほうが良い。
●点在会員に何らかの働きかけをしてほしい。
④収入の確実な確保と単年収支 の成立(今村)
●今年度予算については拡大を前提とした予算である。拡大が目標に達しない場合は何らかの支出削減を大胆に行わなければならない。
●「知らせる活動」の自主目標を各支部で立て、ぜひ実施してほしい。
●07年度からは会員・読者の実数で予算を立てることとしたい。
●右肩上がりの拡大でないといけないことを確認したい。
●各支部読者名簿を確認し、読者の再確認と購読を辞めた人に再度お願いしてほしい。
⑤財政実務のネットワーク(今村)
●ネットワーク案について各支部で検討してほしい。

Ⅳ 全国幹事の任務分担と今期の日程計画

A 全国幹事の任務分担(全国幹事アンケートより)
●アンケートの結果を整理。全国事務局で検討する。
B 日程
●日程表で確認。

Ⅴ その他

A 全国幹事会顧問の推薦
●顧問として、平本、千代崎、蔵田、久守、中林の5氏が推薦され承認。
B 名誉会員の推薦
●富山支部より同支部・磯野文夫氏が推薦され承認。
C その他
●全国事務局員勤務体制は週5日だったのをこれから週3日(月・水・金)とする。
●『建まち』発送を宅配便に変更するか検討する。
●全国事務局の場所について引っ越しを含めて検討検する。
●退職して収入がなくなり会費が払えずやめていく人がいるので、高齢会員(70歳以上)の創設を検討してほしい。
●故萩原正道氏の文章をまとめた本の出版を企画している。夏のセミナーには間に合う予定。普及などで全国にも協力してほしい。
(まとめ・星厚裕)

『建築とまちづくり』2006年3月号より  

 

第3回国宝唐招提寺金堂保存修理事業現場見学会――奈良支部

耐震偽装問題シンポジウムの報告

設計協同フォーラム秋田研修ツアーレポート

「住生活基本法」を考える国会集会に新建が参加

少人数で座談会を開催――静岡支部富士地区


第3回国宝唐招提寺金堂保存修理事業現場見学会――奈良支部

 1月21日(土)午後、奈良唐招提寺で奈良支部主催の唐招提寺金堂解体修理の見学会を行いました。
 見学会は今回で3回目になり、1回目(00年)は解体前工事概要説明と金堂屋根足場にあがり、屋根の鴟尾、金堂の小屋裏などを見学、2回目(03年)は大屋根を解体した状況での見学、そして今回3回目は、一度解体した後、軒部分まで復元した状況での見学でした。
 唐招提寺の金堂は、奈良時代建立の金堂として唯一現存する建物で、正面七間、側面四間、南側正面一間通りを吹き放しとした単純寄せ棟造りで、国宝に指定されています。
 前回までの参加者は、1回目約20名、2回目約60名(多すぎて問題あり)。今回は37名の申込み、若干の欠席で、30名(内訳は、東京支部4名、福井支部2名、兵庫支部2名、京都支部6名、大阪支部5名、奈良支部4名、会員外7名)の参加となりました。
 初めに概要説明を受けた後、作業小屋から案内されました。小屋内には金堂から取り外した修理中の木材、新しく使用する加工中の材料、瓦(鴟尾)、各時代の金物等がならび、奈良時代から明治までの使用材料やその建築過程、補修方法の説明を受けました。また、金堂の模型で、構造及び今回工事目的である構造補強の説明も受けました。
 次は工事用の素屋根がかかっている解体修理中の金堂に移ります。金堂のすべてを一度解体し、発掘調査後に新たに建物を組み上げている作業中です。柱が立ち上がり、組入天井、組物等を取り付けています。
 見学は、1階廻りから上階の作業台にあがる順序で進み、金堂の装飾、組物、彩色模様を眼の前で見て、当時の技術の高さに関心しました。また、一二〇〇年も前の木材の丈夫さ、大きさには驚かされました。
 今回の保存修理は、柱の内倒れなどの構造変形に対する構造補強でありますが、建立時期、建立後の平安ないし鎌倉、江戸、明治時代の修理がどのような形で行われていたのかの調査、木材の年輪年代測定による建築部材の調査、また発掘調査を行い、創建当初の金堂の基壇の状況変遷なども確認調査を行っているそうです。修理は09年(平成二一)完了で進められています。
 文化財保存事業に携わっておられる県の職員さんによる丁寧な説明で、私たちの関心のある場所を十分に見せていただき、良い企画となりました。4回目の見学会も是非企画したいと思います。
(奈良時部・乾井哲)

【参加者の感想】
▼2006年1月21日、国宝に指定されている奈良県唐招提寺金堂の保存修理事業の見学会に参加した。
 私自身、唐招提寺といえば、小学生のころに遠足で訪れたか、いつかのテレビニュースで解体修理されると何となく聞いた程度の知識しかなく、それほど興味を持っていたわけではなかった。ただ、数年前にお寺の本堂の設計をしたのをきっかけに、木造建築の持っている美しさや力強さに気付いた。柱間や垂木の間隔、斗組みの寸法など全て意味があり、ある基準に基づいて決められているということを知った。高い技術力や深い知恵などに支えられ、何百年という時間を経て、なお悠然と存在し続ける姿にあらためて感動した。
 前置きはさておき、今回はそんな建築物の内側を垣間見られるまたとないチャンスだと思い、今回はじめて参加させていただいた。
 まず意外に思えたのは、工事自体が民間の施工会社ではなく奈良県が直営で施工しているということ。整然とした作業場の中には使用される美しい材木が積み上げられ、それらがこれから何百年と建物の一部分として支えていく瞬間を待ちわびているかのように思えた。1/10の模型では屋根の小屋組みの様子がよくわかった。
 金堂本体は柱の建方が終わり、慎重に組みあげられている状態で斗組みが取り付けられ、徐々にその姿をあらわしつつある。しかし、改修工事の本番はこれからだと感じた。
 真近に組まれた足場からは軒の構造が手にとるように見え、特に斗組みの寸法なども実測できたのでとても参考になった。これからあの作業場に積み上げられていた木材が小屋組みとして組み上げられていく様子も、機会があれば是非見てみたいと思う。
(兵庫支部・河合貞宏)

▼今回の見学で二度目になりますが、さらに多くのことを感じました。修理と保存と発展が多くの矛盾をかかえながら進んでいくということ。これはいつもやっている改装の仕事と少し重ね合せながら見てしまいました。
 建設当初から幾度かの解体修理をくりかえすなかで屋根勾配が変わったり、小屋組の補強をしたりと元からの軸組と変更されている部分を説明していただきました。
 梁がかりのなかで尾垂木がかかる斗供が一見して切り欠きすぎではないかと思える部分がありました。聞いてみると、屋根勾配を変えたために尾垂木の角度が変わり斗供を切り欠くことになった時代があるということです。割れたり欠けたりしている部分は埋木で補修してありましたが、この切り欠きはその時代の変更を保存しようとすると、そのまま残さざるをえない部分でもあります。強くしていける部分もあれば、このままでしょうがないところもあり、なるほど難しいものだなーと感じます。建物が大きいだけに、そういった部分も見えてきます。
 解体修理というのは単に傷んでいる部分を直すというだけではなく、普段の仕事のなかにある耐震補強をしながら生活も考える、そのことに近いようにも思えたのでした。
(京都支部・清原正人)

▼まずはあの大きな唐招提寺金堂を完全に修理しようという意志に感服。奈良県の直営事業として取り組んでいることを知り、文化政策としてはまったく素晴らしい、日本も捨てたもんじゃない、と思いました(他の分野はもっとがんばるべきところ多数アリ)。
 補修は当時の技術のトレースではなく既知の技術を適用しながらのもの。現代の金物なども相応に使われています。すでに建立後何度も補修が行われており、その時々に当時の技術が適用されているわけですし、材が痩せたりもしている。以前にその当時の技術で補修されたものもうっちゃることはできないですから、建立当初の原初形には復原できない・しないのは当然です。
 しかし当然ではありますが、「補修して世に残す」のだという意欲からすると、そうした原初の技術を実物として存在させ続けることも意味のあることとも思えます。もちろんそうした「保存(博物館的保存)」という考え自体が「近代の申し子」であることには違いありません。ポストモダンの時代には「保全」が「保存」を乗り越えて重要なのだという意見には強い説得力があります。あるのですが、どちらかといえば動的に活用するより静的に建ち続けること――信仰の表象あるいは記念碑として――が重視される「寺社」というビルディングタイプの性格上、そこにある時点の歴史断面を遺封することにもいくばくかの意味はあるような気がします。つまり文化史を映し出す貴重な教材として。そもそもそんな時代のものはほとんど残っていないのだから、それを今の技術で直すよりは原初形で再現・保持することの方に、より意味があるような気もします。
 補修現場を見たことで、歴史の扱いについていろいろ考えさせられました。
(東京支部・林工)

▼唐招提寺の見学まで少し時間があったので、「西の京」駅を降りてすぐ南の薬師寺を訪れた。
 薬師寺は昭和42年、当時の高田好胤管主により白鳳伽藍の復興が発願され、以来、金堂、西塔、中門、回廊、大講堂と復興された。それらの建築を指揮したのが「最後の宮大工」「法隆寺の鬼」といわれた西岡常一である。西岡は法隆寺などの復興の経験から、学者たちが木の補強のために鉄材を多く使おうとすることに猛反対した。「今の溶鉱炉でつくった鉄は、百年もてばいい方で、百年後にはさびてぼろぼろになり、取り替えなければならない。ところが、鉄がぼろぼろになる際、周囲の木材を腐らせる。千年もつ寿命を、わざわざ鉄を使って百年に短くすることはない」と主張した。そして、西岡の仕事の集大成といわれる薬師寺西塔の復興をなしえるのである。1300年前に建築された東塔を手本にして復元した純木造の三重の塔で、鉄の補強材はいっさい使っていない。西岡は綿密な調査と数多くの経験から、もはや途絶えてしまったと思われていた古代人の伝統的な建築技法を現代によみがえらせた。
 再興なった薬師寺白鳳伽藍とは対照的に、唐招提寺金堂は奈良時代に建立された金堂建築として、唯一現存する建物である。だが今回の保存修理に伴う調査によって、創建以来1300年の間幾度かの修理が行われ、その時代の考え方と技法によって部分的には大きく形も変えられていることがわかった。現代建築の現場では感じない、生々しい迫力の保存修理の現場を目の前にして、1300年の間にこの建物にかかわった多くの棟梁たちの葛藤と西岡常一の生涯が重なり合い、日本の建築文化の奥深さが強く私の胸に迫ってきた。
(大阪支部・栗山立己)

耐震偽装問題シンポジウムの報告

 京都で耐震偽装問題をテーマにした二つのシンポジウムが行われました。一つは2月25日に行われた「なぜ耐震強度偽装はおこったのか」というシンポ。新建京都支部も参加した実行委員会が主催したものです。もう一つはまちづくり市民会議が3月2日に行った「マンションラッシュと規制緩和――耐震偽装問題から見えてくるもの」です。この二つのシンポについて簡単に紹介します。

■シンポジウム「なぜ耐震強度偽装はおこったのか」
◎シンポジスト   高津尚悟(日経アーキテクチュア副編集長)
飯田 昭(京都第一法律事務所・弁護士)
宮内尚志(京都市職員労働組合・一級建築士)
◎コーディネーター 片方信也(日本福祉大学教授)
 冒頭に、この問題を執拗に取材し続けている高津氏は、日経アーキテクチュアの独自の取材をもとに、この間の経過と関係者への取材結果、アンケートに見られる技術者の生の反応等を紹介しました。発注者から設計者にたいして、スピードと経済設計が猛烈に求められている実態や、構造計算書のチェックの実態などが詳細に報告されました。また、再発防止策について触れ、屋上屋を重ねるような制度上の対策を批判、集団規定は「公」が、単体規定については保険と融資の担保として「民」がチェックするという手もあるのではないかと提案しました。
 欠陥住宅やマンション問題に取り組んでいる弁護士の飯田氏は、営利追求を本質とする民間機関に確認検査の業務が移されたのが最大の問題として、現在京都で住民の反対運動が起きている「船岡山マンション」や葬儀場の例を示しながら、民間機関による確認業務の杜撰な実態を告発しました。そして、司法行為である確認は公正・中立の厳格な立場で行わなければならないと主張しました。
 主事資格も持つ宮内氏は、建築基準法を所管する京都市の職員が、民間確認機関が業務を開始した99年以降大幅に減らされ、00年には構造審査の担当係を廃止する等の大きな変化を報告。また、京都市の行政による確認業務の割合が99年には73%に、04年は実に2.8%まで減っていることをもとに、国の政策が建築行政を大きく転換させ、そのことが今回の事件を引き起こした根底にあると述べました。
 フロアーからの発言では、「構造計算書偽造問題を考える会」によるアンケート結果の報告、新建の常幹「見解」も紹介されました。
 シンポの最後に、片方氏がまとめの発言を行いました。規制緩和と「官から民へ」の流れがきっかけをつくり、公正・中立に審査すべき行政が撤退したことがこの事件の最大の原因であること、民間の競争によってすべてうまくいくという予定調和論の破綻、98年以降「建築」のとらえ方が大きく変質したこと等を指摘しました。最後に、この間の議論で、人々にとって「建築」とは?という観点が抜けており、たとえば「建築基本法」のような建築の本質を明らかにするような理念法を検討する必要があり、それに沿った行政の公的責任を具体化する作業が求められているのではないか、と提起しました。
 このシンポには、労働組合や市民団体など、実行委員会の構成団体の人たちだけでなく、一般の市民やマンション居住者の参加も多く見られ、この問題への住民の不安や関心の高さを感じさせました。

■シンポジウム「マンションラッシュと規制緩和――耐震偽
 装問題から見えてくるもの」
◎パネリスト 本多昭一(京都府立大学名誉教授・福井大学シニアフェロー)
川下晃正(京都建築事務所・京都設計監理協会会長)
中島 晃(市民共同法律事務所・弁護士)
 この紹介記事を書いている私自身がシンポに少し遅れて参加したため、十分な報告ができません。各パネリストの発言の一部を紹介することにします。
 本多氏は、建築確認や設計と施工の役割の違いなどを解りやすく説明し、今回の事件や建築現場での手抜き工事を許さないためにも、設計・施工の分離の必要性を強調しました。また、マンションという売買を目的とする建物は設計や施工のプロセスに住み手が関わらないために、この事件を生み出す要因の一つになっていることを指摘しました。最後に、防止策に関わって、「許可」か「確認」かという論議があるが、「確認」は建て主の建てる権利を前提としたものであるということ、またそれは、確認業務の主体が「公」か「民」かではなく、住民の権利や要求を容れる仕組みづくりが大事であると提起しました。
 川下氏は、この事件に対する京都設計監理協会の見解を紹介したあと、マンション業者の営利主義と、官・民を問わず確認審査能力が欠如していることがこの問題の根底にあると指摘しました。また、発注者の圧力や役所の入札で設計料の低価格が常態化している等の例を出しながら、設計事務所の独立性を守ることが重要であると強調。そのためにも、設計事務所の設立をより厳格に規定する必要があるし、その倫理性が問われると述べました。
 中島氏は、この問題の背景にあるものとして、建設業界の体質や確認業務の民間開放、規制緩和政策とマンションラッシュ、不良債権の処理とゼネコン救済策等をあげ、国と自治体の行政責任を指摘しました。また、法律家としてマンション問題に数多くかかわっている立場から、建築確認がまちづくりの視点を欠如させており、住民の請願・議会の監視とのリンクが不可欠であると述べました。最後に今後の課題と対策に触れ、確認は行政で行うことによって、安全審査への責任、まちづくりの機能の回復をはかることを提起するとともに、マンションラッシュを招いた規制緩和政策を是正させる必要性を強調しました。
 参加者はマンション問題等の住民運動に関わっている人たちが多く、会場からも、今回の事件を引き起こした原因と根は一つであるとして、国の規制緩和政策への批判が出されました。
(京都支部・久永雅敏)

設計協同フォーラム秋田研修ツアーレポート

 2月26日(日)~27日(月)秋田県能代市からお誘いをいただき、設計協同フォーラム(新建に参加する設計者有志で構成)として16名で行ってきました。
 能代市は秋田スギを基幹産業として古くから栄えていたまちでしたが、近年は住宅建築様式の変化や建築工法の近代化によって木材の需要が低迷し続けていることから、市として秋田スギと地場製品をPRして需要拡大につなげたいと、首都圏で活動をしている建築士を対象に、5人分ぐらいの旅費補助が用意されての呼びかけでした。
 フォーラム理事会では、市からの補助に加えてフォーラムから1人1万円の補助、あとは個人負担として、できるだけみんなで参加しようということが決まりました。具体的には、設計集団環協同組合の佐藤友一さん(新建秋田支部)と、東京支部の事務所で12月にお会いし、その後はメールで連絡を取り合って進め、「秋田研修ツアー」が実現しました。
 26日の9時20分、秋田空港に到着。佐藤さんと能代市環境産業部木材振興課の大倉幸一さんが迎えに来てくださいました。雪が時折強く降るあいにくの天気でしたが、帰りの秋田空港までの2日間、能代市教育委員会のマイクロバスで移動することができ、時間を有効に使うことができました。
 はじめに秋田県立大学木材高度加工研究所を見学しました。所内の耐震木造実験検証住宅や町営住宅「山根団地」(二ツ井町)・農産物直売所「杉ちょくん」・集会所「麻生会館」などを設計した設計集団環協同組合の田中勝昭さん(秋田支部)や、秋田スギとコンクリートを調和させた能代市立常盤小・中学校と木造校舎と松の調和がすばらしい能代市立東雲中学校を、設計に携わられた佐藤さんに案内していただきました。
 昼食は天然秋田スギをふんだんに使った明治23年創業の老舗料亭「金勇」(国登録文化財)でとりました。
 最後に、老人福祉施設「ケアタウンたかのす」を訪問しました。デンマークを視察し、“福祉のまち鷹巣”を住民とともに創ってきた町長が選挙で敗れた後も、その意志をつなぎとめてがんばっている施設ですが、やはり以前とは違った大変さが印象に残り、さみしい気持ちになりました。
 国民年金健康保養センター能代温泉「のしろ」に宿泊し、ゆっくり温泉につかった後、能代市役所職員・地元木材業界・設計者の方々22名と懇親会を行いました。二次会は、大倉さん、佐藤さん、田中さん、木谷正一さん(秋田支部)らと、どちらも大いに盛り上がりました。
 二ツ井町には部落の人たちが互いに手を貸し、手を借りる、相互に助け合いながら暮らしを営む「結(ゆい)っこ」という風習があるそうです。そんな地域の絆を秋田で迎えてくださったみなさんから、そして秋田スギを使った建物が、子どもを育む教育の場(学校)や町営住宅、集会所、農産物直売所などとして形を成していることから感じました。
 日本の伝統工法のすばらしさに触れ、感動し、たくさんのことを学ばせていただいた「研修ツアー」でした。設計集団環協同組合と設計協同フォーラムの交流、秋田と首都圏の新建会員の親睦の場ともなって、「良い仕事をする」という誇りを喜びあえたような気がします。
(設計協同フォーラム事務局・山下千佳)

【参加者の感想】
▼[秋田で考えたこと]――「参加して良かった。新建に入っていて良かった!」と思った二日間でした。具体的には、①地元の木材を生かす設計をしている設計者と交流ができたこと、②行政(能代市)が地元の木材の活用を真剣に考えているという事例を見られたことです。東京では、見学したような伝統的な工法が可能な施工者は少ないと思います。東京近郊の木材を同様に生かせることができたら一番良いですが、秋田との交流もぜひ続けたいと思います。
[雑感その1]――見学した常盤小学校の秋田杉の床はウレタン塗装のようでした。管理上、無塗装というわけにはいかないのだろうけれど、そうできればもっと良いなぁと感じました。
[雑感その2]――凍った道はアイゼンでもつけないと、本当に危ない。登山靴を履いて行った私も、数回滑って転びそうになりました。
[雑感その3]――木材高度加工研究所にて購入した「コンサイス木材百科」(販売・秋田木材通信社、2500円+税)。私も推薦します。「ちょっとマッた。ベイマツはマツじゃない。赤松などのマツ科マツ属ではない。マツ科トガサワラ属である」など、楽しく学習できます。
(藤木良成)

▼2月26・27日と秋田ツアーに行ってきました。このツアー、秋田県の能代市で秋田杉を使おうと頑張っている人達に刺激を受けてこよう、とフォーラムから誘ってもらったものです。
 秋田は遠いとばかり思っていましたが、飛行機、空港からのマイクロバスは快適な睡眠場所となり、あっという間に能代の海近い秋田県立大学木材高度加工研究所に到着していました。
 木材高度加工研究所は黒松の防風林に囲まれた広い敷地に建つ、集成材とRCの混構造の建物です。集成材と無垢の材料とではやはり雰囲気が違うなと思いながら建物を見学し、敷地内を案内された先には、伝統工法、筋かいを耐力要素とした工法、面材張り耐力壁で固めた工法の3種類の工法による住宅が建っていました。それぞれの工法ごとの構造特性を実物大で実験し、検証したのだそうです。実験のために住宅を3棟建てる。そんなスケールの大きいことをしているのだと知り、びっくりしました。
 昼食をはさみ次に見学したのが、能代市立常盤小・中学校。まず驚くのが、正面の「融合空間」と呼ばれる場所です。一抱えもある杉の丸太柱が立ち並び、梁が頭上を飛び交う、迫力のある、だけれどもなんだか落ち着く空間。放課後、子供がここで宿題をやっていたりすると聞きました。RC造でも鉄骨造でもこうはいかない、木造ならではの空間でした。
 校舎の中はまた違った雰囲気でした。内部は木の柱・梁・筋かいが見え、床は杉とブナ、建具も杉と、木をふんだんに使っていて親しみやすい印象を持ちました。杉はやわらかく、多くの人が使う場には適さないと考えていましたが、生徒さんが大事に使っているのか、目立った傷はなく、きれいに保たれていたことも印象に残っています。
 木造で学校の校舎をつくる場合、防火のことが気になりますが、この常盤小・中学校ではRC造の棟を間に挟むという配慮で解決をはかっているそうです。結果だけを聞けばあっさりと聞こえますが、木造で学校の校舎をつくるというアイディアを実現させていくのは大変なことだったのではないかと思います。行政も先生方も設計者も施工者も、いろいろな人が一丸となって頑張った上にこの学校があるのだなと感じました。説明を聞く中で「不登校の子がいなくなった」という話を聞き、その頑張りが一つの形になったのかなと思いました。
 こういう事例を隅から隅まで自由に見せてもらえたということがとても貴重な体験でした。一人でふらりと行っても、とても見せてもらえないと思います。秋田杉の製品だけでなく、製品をつくっている人、製品を使って建物を設計する人、それを通して木材をもっと使っていこうとしている人たちを見て、しっかり刺激を受けて帰ってきました。行ってよかったです。
 そうそう、秋田杉、わが事務所の本棚の材料に使ってみることにしました。

(高本直司)
▼去る2月26~27日にかけて設計協同フォーラムの研修会に参加、季節的に豪雪を心配しましたが直前の暖冬に雪が解け、当日は小雨、翌日は小雪とまずまずの天候でした。
 見学は能代市職員の大倉さん及び「設計集団環協同組合」の佐藤さん、田中さんの案内で、担当した建物を主体に常盤小・中学校、東雲中学校、山根団地、麻生会館、農産物直売所、道の駅など地場産材および大径木を使用した多くの施設を見せてもらいました。
 伝統工法の納まりと自然素材である大径木の柱、梁で構成された空間は力強く、大変印象的でした。特に大径木の素材が発するオーラを感じたのは私だけではないと思います。
 しかし他方では、大径木に頼って空間構成した建物も見られ、材料の持つ潜在的なエネルギーを引き出し、有効に生かすことの難しさも感じました。
 大径木の木材は大変希少なものであり安易に利用すればその力に負け、量的には瞬く間に枯渇します。使用する側(設計者)の素材を本当に生かす(材料と空間の相乗効果)力量が問われます。木材のみならず素材を有効に生かした住まいづくりの大切さ、難しさを改めて実感しました。
 地元木材業者との懇親会においては、木材組合での交流や情報交換のみならず協同による製品の集約や情報の発信など、組合としての役割りが十分に生かされる必要を感じました。
 全国には戸建住宅を大切に考え真面目に取り組んでいる設計者や施工者は多くいます。また木材業者も同様に多くいます。ハウスメーカー等による大量使用による需給関係ではなく、川上、川下の関わりなど、地産地消を含め少量の需給に対してもサービス可能な、各地域で相互に連携ができるシステム作りが求められていると思います。
 能代市の取り組み、設計者及び施工者、地元の人々など多くの関係者の熱意、努力によってできていることも理解できました。有難うございました。多少強行気味ではありましたが、短時間で多数の施設を見学でき、大変有意義な研修会でした。
(大竹司人)

「住生活基本法」を考える国会集会に新建が参加

 住宅政策の新たな基本枠組みを定めた「住生活基本法」案が2月9日に閣議決定、今国会に上程されました。昨年来、新建も正式加入した「住まい連(国民の住まいを守る全国連絡会)」では、住宅政策の基本法として「住居法」の制定を提唱しています。05年9月29日には住居法実現実行委員会を結成。住居法実現を求める団体署名は1148団体に及び、昨年の11月29日に署名提出と同時に国交省交渉を行ってきました。
 3月6日には住まい連主催の「住生活基本法を考える国会集会」が開かれ、11団体106名(新建からは5名)が参加、議員及び秘書16名の他、報道5社も参加した盛会となりました。
 主催者報告に続き、参加団体の報告があり、基本法に対する意見書と住居法の提言を採択し、国会議員と国交省へ要請活動を行うことを決めました。また、穀田(共産)、田邊(民主)、二比(共産)の各議員から挨拶を受けました。
 各団体の主な発言を紹介します。
■全国公営住宅協議会――収入基準の引き下げ、収入超過者(全体の20%)の市場家賃化、居住権継承の制限(3親等から1親等へ)など、居住の安定が脅かされている。
■全国公団住宅自治会協議会――公団民営化は阻止できたが、公的住宅としての位置づけが弱い。機構になって採算性と効率性が強調され、当面は家賃値上げと管理民営化(中小団地管理の民営化。長谷工が食指?)が課題。政策から抹消されてしまうのではという不安が付きまとう。
■都庁職労働組合住宅支部――東京には最低居住水準以下が60万戸あるが、石原都政7年間で都営新規建設はゼロ。規模も4人家族で57㎡で止まったまま。子育てファミリー支援と称して,10年間の定期借家で50㎡12万円の住宅を計画しているが、一体誰が住むのだろうか。
 こうした、居住の現状に対して上程された基本法は施策内容が実に貧弱です。上程された法案が修正されることは稀といわれますが、実質的には秋にまとめられる国の基本計画が勝負になるわけで、そのためにも今国会審議での追求から始まって、波状的な働きかけが求められます。住まい連においても、専門家集団としての新建への期待は大きく、積極的な発言が求められています。
(政策委員会・鎌田一夫)

少人数で座談会を開催――静岡支部富士地区

 静岡の富士周辺では、5~10人と小規模ながら無理なくできる形で座談会を行っております。耐震補強・外断熱等の勉強会、支部の企画の準備、また大会やセミナーの報告など、内容は様々。お蕎麦屋さんで集まったり、雰囲気や場をかえて楽しむこともあります。
 3月23日に「ミース・ファン・デル・ローエ」(2004)DVD鑑賞会を行ったので、その様子をお伝えできればと思い、参加者から感想をいただきました。
(静岡支部・金森千恵)

【参加者の感想】
▼映写会には若手からベテランまで6名の参加がありました。ミース・ファン・デル・ローエのドキュメントを1時間、伊東豊雄の仙台メディアセンターの映像を30分ほど見てから、コーヒーを片手に座談会を行いました。ミースの高層建築が現在の都市の中にあっても美しく存在感があり、多くの人々に愛されていることや、ミースの作品を現代の建築家が真剣にリニューアルしていく姿は感動的でした。
 参加したベテラン陣にとってミースといえば、若い頃に勉強した思い出がたくさんあり、持参したディテール集を若手に見せながらの話で盛り上がりました。建築の美しさや建築家の姿が人々に感動を与え、生きた建築となって人々に大切にされている。そのような建築を造る可能性は、このような語らいの中から生まれていくのではないでしょうか。建築を理論的に展開していく運動ももちろん必要ですが、すばらしい建築をつくりたいと思っている若手には、特にこのような会話が大切でありベテランにとっても良い刺激になります。
 これからもこのようなザックバランに語り合える機会を設けたいと考えています。
(小杉剛士)

▼木曜日の座談会企画ありがとうございました。このところ雑務やら体調やらと自分でも思うようにいかなく、頭の中が詰まっていたところでした。スクリーンを見て建築だけのことを考えられたことが良かったのかな。もう少し落ち着いた時に見れるともっともっと自分自身にいいのかな。
(佐野光司)

▼3月23日には建築家の作品を解説付きで観賞させてもらったが、内容もさることながら、解説がフランス語で響きが心地よかった。僕は意匠よりは技術系というか施工的なものの方に興味がいってしまうので、今回は鉄骨とガラスのディテール及びプレファブリケーションの技術が学べてよかった。次回の“構造設計の基本的なことについて考えてみましょう”にはなおいっそう興味がそそられます。
(丸山秀雄)

▼モダニズムというひとつの時代を築いたミースの仕事に対する姿勢・表現方法は、時代を越えて、いつの時代においても学ぶべき部分であると感じる内容だった。特にものごとを研ぎ澄まし、余分なものを削ぎ落とすほどに膨らんでいく空間の豊かさには、改めてそのすばらしさに感服させられた。
(伊達剛)

▼映像は、素材の良し悪しのみならず編集によって固定化されるがゆえに、作品としての価値を持ちます。この点においては建築と非常に似ていますね。
 今日、ミースが再考されている理由は、社会がシンプルさを求めているという側面があるのではないでしょうか。ロバート・ヴェンチューリの「Less is bore」やジャック・デリダ以降の混沌とした状況、機能などが複雑になりすぎたために誘発される事故などへのアンチテーゼとして、見直されつつあるのかもしれません。また、ユニバーサルデザインの必要性が叫ばれ、わかりやすいデザインが求められている点においてもミースの精神は重要であるからですね……。
 建築士は社会形成にとって重要な役割を担ってきましたが、今日、建築士の置かれている状況も不安定なので、このような場での意見交換は必要ですね。また次の機会を楽しみにしております。
(二見直弘)

『建築とまちづくり』2006年2月号より  

 

富山大会後の静岡支部企画から

遠友夜学校の開催と連続講座設計塾最終回――北海道支部

世田谷区二子玉川――生活者の視点からの再開発を求めて


富山大会後の静岡支部企画から

 静岡支部の企画は、年間計画事業として幹事会が催す「支部企画」、一般会員2~3名のグループによる「セッション」、年間計画事業とは別に有志が臨時に呼びかける「セッション番外編」の大きく三つに分かれます。それぞれは年3~4回ずつ行われています。
 このような企画運営の中で富山大会後の動向を紹介します。
  * * *
■セッション/「民家と町並み」スライド上映会&忘年会(21名参加)(05年12月18日)
 富士宮地区会員による企画。富士宮駅近くの公民館にて、桑高氏(静岡支部会員)が長年撮りためた民家や町並みの写真、約800枚を上映。秋田県角館から福岡県柳川まで日本列島を縦断し、終盤はヨーロッパの町並みまで、2時間半にわたる圧倒的なボリュームでした。家並みの単純さゆえの美しさを感じる町並み、現代の建築にない職人技の美しいディテールの数々、地域の気候風土から生まれたデザイン性、現代では失われつつある地域社会のまとまりなどを感じる貴重な機会となりました。
 その後は、スライド上映会参加者全員揃って忘年会会場にうつりました。中華の円卓を囲んで美酒と終始楽しい会話で盛り上がりました。
■セッション番外編/(東京)前川國男展・吉村順三展鑑賞(8名参加)(05年12月23日)
 静岡支部恒例の青春18キップでの旅です。静岡7時21分発の電車で出発、途中富士で合流し4時間弱で東京着。東京駅ステーションギャラリーにて前川國男展鑑賞、上野公園で昼食、東京芸術大学美術館にて吉村順三展を鑑賞してきました。
 前川展は初日とあって比較的ゆっくり鑑賞できたのですが、吉村展は混雑の極みで陣取り合戦よろしく人垣の合間をぬっての鑑賞でした。両展を見て、同年代の両巨匠の原寸の感覚と、その大切さを感じて帰路につきました。
■支部幹事会及び有志の会(6名参加)(06年1月17日)
 1月22日の支部総会の準備及び資料について話し合われました。
■支部新年総会&新年会(26名参加、委任14名)(06年1月22日)
 05年活動報告、06年活動計画(全国企画の予定紹介、支部企画、セッション、幹事会の予定承認及びけん建まち展開催の確認他)、支部規則の討議、06年役員選出(全国大会間の2年任期が慣例の支部事務局体制の交代承認)、新入会員を含めての自己紹介で締めた約3時間の総会でした。
 総会終了後に場所を移して新年会となり、これまた美酒とよもやま話に華が咲いたひと時でした。
■セッション番外編/(東京)アスプルンド展鑑賞(4名参加)(06年2月11日)
 関東方面行きには恒例の7時21分発の普通列車にて。途中富士で合流して東京は新橋で開催の「グンナール・アスプルンド展」へ。その後、六本木のスウェーデン大使館で開催されたシンポジウム「知られざるアスプルンド」に参加しました。帰路もまた4時間弱の鈍行列車で。
 参加者からは、「展覧会会場は適当な規模で比較的ゆっくり視聴できた」、「なかなか中に入る機会のないスウェーデン大使館は色や素材使いがいかにも北欧という感じで納得した」、「建築家・人間アスプルンドを勉強できた」などの話が聞かれました。
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以上、富山大会後の動きでした。
 この間に新入会員も9名増え(03年静岡大会から18名増)、54名の会員数になりました。
 若人が増えた上、職種も多彩になったので、今後の会員相互の勉強会も充実しそうな気配を感じています。この調子で、これまで以上に支部企画、セッション等を充実して活動したく思います。
(静岡支部・多々良文夫)

遠友夜学校の開催と連続講座設計塾最終回――北海道支部

 昨年8月から始めた丸谷博男さんによる4回シリーズの「設計塾」を2月4日に最終回として開催しました。それに先立ち、1月20日には「遠友夜学校21c」として日本の建築運動の歴史と新建の理念についてのセミナーを、同じく丸谷さんに講師になっていただいて開催しました。
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■遠友夜学校21c
 「遠友夜学校21c」は、実は丸谷さんからの提案で開催することになったのですが、昨年の北大を会場とした建まちセミナーのとき、丸谷さんが遠友夜学校のことを知り、大きな刺激を受けて遠友夜学校を現代に再興しようと思い立ったそうです。
 遠友夜学校とは、北大教授だった新渡戸稲造が1894年、私費を投じて設立した学校で、貧しくて公立の学校に通えない子供たちや勤労青少年のための夜学校で、授業料なし、講師陣も無給で運営していたそうです。それでも1944年まで五〇年間続き、延べ千百人以上の卒業生を送り出したそうです(私もこの原稿を書くにあたって調べ、初めて知りました)。
 今回は、「豊かな建築と街を志す建築人の原点を問う――姉歯問題が語ること」というタイトルで日本の建築運動の歴史とそれを受け継いだ新建の理念についてお話してもらいました。分離派建築会宣言からはじまり、創宇社の展覧会を軸とした運動、さらに新興建築家連盟の結成と挫折、そして日本工作文化連盟にいたる流れを当時の時代状況との関わりのなかで解説していただきました。特に、富山大会のときトロッコ列車から見た発電所の設計者である山口文象(当時は岡村蚊象)を取り上げ、彼の生き方を通して建築運動の流れや考え方をお話してくれたので、具体的でわかりやすいセミナーでした。
 いつものセミナーとは少々異なるテーマだったので、どれだけ参加者が集まるかと心配していたのですが、意外にも会員外の参加者5人を含め15人の参加がありました。会場に並べた本多先生の著書『近代日本建築運動史』(昨年の新建賞大賞!)も5冊売れ、こういうテーマに興味のある人が意外に多いのだと、再認識しました。ちょうどこの日はJIA北海道支部の新年交礼会と重なってしまったのですが、交礼会を抜け出して駆けつけてくれた人もいました。
■設計塾「住宅設計の原点を問う」
 昨年より連続して開催している丸谷さんによる設計塾「住宅設計の原点を問う」の最終回のテーマは「素材と造形」でした。最終回にふさわしく、4回のうち最多の30人の参加でした。青森支部からも森内さんと飯田さんが遠路はるばる駆け付けてくれました。シリーズ全体を通しては、52人の参加者がありました。
 今回は建築をかたちづくる様々な素材について、その特徴や使い方のノウハウ、さらに「和紙」などはその製造過程についても詳細にお話してくれました。小休憩をはさんだ「木材」のお話のときは、仕事で木材を扱っている参加者が持ち込んでくれたたくさんの木材のサンプルを示しながらの講義となり、興味深く聞くことができました。他に「草・竹」、「土」、「金属」、「石」、「塗装」についてのお話もありましたが、和紙と木材に力が入りすぎたせいか、これらはやや飛ばし気味になってしまったようです。金属のところでは、以前にある建物で木板の下地に直に亜鉛板を葺いたところ、1年で亜鉛がボロボロになってしまったという失敗談も披露してくれました。
 最終回の講義を通して、使おうと思った素材についてはその製造元を訪ねて自分の目で確かめる、という丸谷さんの姿勢は学ぶべきものと感じました。
 講座修了後は、丸谷さんが昨年末のインテリアコーディネーター協会のクリスマスパーティで意気投合したという勝山シェフのお店で貸し切りのダイニングパーティとなり、こちらも定員20人のところ参加者が22人で大盛況でした。料理のテーマは「地産地消」。道内各地の海の幸・山の幸が次々と運ばれてきました。その後は、参加していた豊嶋さんのご厚意で、豊嶋さんが主宰する設計事務所「画工房」の最上階のギャラリー兼スタジオに場所を移動してさらにパーティは続いたようです。
 さらに、4日後の2月8日には画工房の主催で、丸谷さんが講師の「建築家吉村順三から何を学ぶか」というセミナーも開催されました。これは昨年暮れに東京芸大で開催された「吉村順三建築展」に因んで丸谷さんと豊嶋さんが企画したものです。こちらは最初からアルコール入った気楽なセミナーでしたが、直に吉村順三に接していた丸谷さんならではのリアリティのあるお話でした。この日はJIA北海道支部長の圓山さんをはじめ10人近くのJIA会員、ほかにもインテリアコーディネーター協会の会員、そして新建の会員で、総勢25人ほどになりました。
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 昨年からのこれらの企画を通じて、新たに5人の会員を迎えることができました。やはり活動を通じて新建に興味を持ってもらい、いっしょにやってみたいと思って会員になるという自然な拡大の仕方が良いのではないか、と実感しています。
(北海道支部・女鹿康洋)

世田谷区二子玉川――生活者の視点からの再開発を求めて

■原っぱが育むまちづくり
 関東大震災の恐怖を体験した父が、世田谷区玉川地区の耕地整理内に借地して家を建てたのは、様々な偶然が重なった結果にすぎなかった。けれども、以来70年、ここは私にとって「住めば都」となった。
 玉川村の全円耕地整理は、東隣の田園調布が電鉄会社による開発であったのに対し、こちらは農民の手で進められた。その事業には戦争をはさむ長い時間がかけられ、農民も土地を離れることなく、植木職や食べ物屋などして商店街の中心を担い、新来の住民の暮らしに協力してきた。
 子どもたちはその生活エリアにいくらでもあった農地や原っぱで、小動物を追いかけ回して日を送った。現在の世田谷でも「猫じゃらし公園」など、住民の意思を反映したほとんど何もない公園がつくられ、住民の手で維持されて、全国のお手本となっている。
 《原っぱには、何もなかったのだ。けれども、誰のものでもなかった何もない原っぱには、ほかのどこにもないものがあった。きみの自由が。》(長田弘「原っぱ」)

■争点を公共の目に曝す訴訟
 玉川地区の南限、神奈川県川崎市との境を流れる多摩川では、昭和30年代まで、盛夏には河童たちの水泳が盛んに行われた。
 旧大山街道(現在の国道246号線)が国分寺崖線の緑の切り通しを過ぎ、二子の渡しのあたり、富士を望む景勝の地に、昭和60年まで東急電鉄の経営する遊園地があった。以来20年も更地同様であったのが、駅前の商店街を含めて11haもの大規模再開発の種地に使われることになった。
 新建東京支部の東京問題研究会が、この再開発計画の現地調査を始めてから3年が経つ。現地周辺の住民による「二子玉川東口再開発計画を考える会」の人たちなどの前で、象地域設計の三浦さんは「遊園地跡地だけなら東急のマンション開発にすぎない。それを再開発計画として補助金を獲得するべく、駅前の土地を巻き込んだ」と批判した。また、上流に隣接する狛江市の駅前開発を住民の手で変えさせた経験など、UMACの吉田さんの話を聴く会も開かれた。
 バブルの頃に表面化した再開発の動きは、六〇人ほどの小地権者たちとの権利調整に難航。一部の積極派が潜行して進めたこともあってか、周辺の住民からの質問にもきちんと対応できず、昨年ようやく組合認可にこぎつけたところである。
 「考える会」は長い間、超高層建築を含む巨大なこの計画に住民の意向を反映させようと、ビラ撒き、当局への要請など進めてきた。その効果が形になって、各住民グループが「にこたまの環境を守る会」に結集、裁判に訴えた。
 公判では裁判長が積極的に訴訟指揮。原告訴状にある道路渋滞や私鉄の混雑など、周辺住民の権利侵害について被告側に説明を求めるなど、第一ラウンドは原告有利に展開。近く裁判官による現地調査が予定されている。
 《砂の枕はくづれ易い/少女よ あらはな膝はかくしましょう/沢山な星が見ていますれば》(堀口大学「砂の枕」)
■暮らしの将来計画を求める声
 最近になって再開発組合の事業説明会が開かれた。限られた時間の3分の1を使って事業のスライドを上映するなど、見た目だけ、形だけの説明会が目論まれた。
 ところが、会場に詰めかけた一般の主婦などから、地域の基本計画について、生活に根ざした体験からの鋭い質問が集中。開発側の曖昧な回答に失笑が起こることも。超高層化の理由についても、「公開空地」とか塔状の棟の「透明感」など、再開発本来の土地の高度利用とは別の説明がくり返されるなど支離滅裂。聴衆から公共の立場からの説明が求められるなか、区の部長職から最近天下ったばかりの組合事務総長の立場・役割にも批判が。
 事業を急ぐあまり、暮らしの視点からの計画が不在となっている。その再開発の弱点が、誰の目にもますますはっきりしてきている。
 《やがて子供たちが背負うでしょう/海山美しいこの星を/ひとりひとり太陽の光を提灯にして/天の軌道を渡るでしょう》(石垣りん「太陽の光を提灯にして」)
(新井英明)

『建築とまちづくり』2006年1月号より  

 

第3回「ちば建築とまちづくり展」開催

横浜発 地下室マンション訴訟 その後

吉村順三建築展・前川國男建築展ツアー 青森支部

設計塾とセミナー「北のデザインを暮らしから発信しよう」を開催 北海道支部

富山支部12月住宅講座と忘年会

第1回全国常任幹事会 議事録 06年1月8日?9日 於全国事務局


第3回「ちば建築とまちづくり展」開催

 昨年11月25?27日、千葉支部主催、第3回の「建築とまちづくり展」が船橋市市民ギャラリーで行われました。
 これまでの志向としては会員の仕事を知ってもらうこと、言い換えれば作品発表的な傾向が強かったと思いますが、過去2回の経験から今回は、より市民の関心の高いテーマを選び、会員が社会問題に対してどう取り組んでいるかを訴えていきたいということで、市民向けミニ講座を企画しました。講師は会員が務めました。テーマは「介護保険とバリアフリー」「木造住宅耐震のすすめ」「アスベストとシックハウス」。耐震やアスベストの話はよく整理されていて一般の人が聞いてもわかりやすかったと思います。ところが肝心の観客が少なかったのは残念。私はバリアフリーの話を担当しましたが、知り合いなどが駆けつけてくれてかろうじて格好がついたかというところ。事前の告知不足を痛感しました。
 ミニ講座の観客は少なかったのですが、別にお願いした千葉大学教授の福川先生の記念講演では、30近く用意した椅子がほぼ満席になるほどの聴衆がありました。
 福川先生講演のテーマは「都市再生の5か条」。
1 「高密度=高層」ではない(人間的・強調的な都市空間へ)
2 ビジョンと戦略(コンパクトシティーへ)
3 個別の行為が全体をつくる(個をエンパワーする都市計画へ)
4 参加(つくる戦略)
5 コミュニティーデベロッパー(「参加」を超えて)
(以上講演のレジメより)
 長いこと町並み保存とまちづくりに関わってこられ、その実践を通した結論から今回のテーマを提起されたものと思われます。大工には難しかったという声もありましたが、お話のテンポも良くて、特に後半は川越や佐原の町並み保存の具体的なお話が中心で、私は大変面白く聞かせていただきました。
 展示については、今年初めて参加した実績ある会員や社会人大学の研究成果を発表した会員のパネルなどで新鮮な内容となっており、充実していました。木組みや左官材の展示も前回・前々回同様に取り組みました。来場者が少なかったのは構造計算偽造問題が勃発した直後ということで、その影響があったのかも知れません。逆にこんなときこそ、市民の立場に立って活動する新建会員の姿勢を訴えていきたいものです。
 「建まち展」の目的は「市民に新建会員の仕事や活動を知ってもらう」「会員が日常の仕事ぶりを含め、互いに知り合う」「新しい仲間づくり(拡大)」の三つです。その目的は十分にはたされたとはいえませんが、さらに工夫をしていいものにしていきたいと思いました。
(千葉支部・加瀬沢文芳)

横浜発 地下室マンション訴訟 その後

 94年(平成六)の建築基準法改正によって、住宅の地下室面積1/3まで容積率不参入となって以降、これまで開発の手が入ることのなかった斜面緑地に、大規模な意図的盛土とともにマンション建設されるケースが増え、地域紛争が増大した。その後横浜市は04年(平成一六)3月、全国に先がけて通称「地下室マンション規制条例」を制定した(昨年、これをさらに厳しく改正した)。この施行直前に着工されたとする、港北区日吉本町の赤門坂と呼ばれる地域での3つのマンション建設問題に関わっている。
 第一種低層住居専用地域、第一種高度地区、第三種風致地区で、絶対高さ10m制限がある地域だが、道路側から見ると10階建て、30mもの高さのマンションが分割開発により3棟の計画(現在3棟ともほぼ完成)。これを環境破壊問題だとし、地域住民が「あかもん坂の緑と環境をまもる会」を立ち上げ、活動を始めてすでに5年目となる。
 問題を要約すると、?開発許可逃れの分割開発の問題、?開発行為の制限解除要件の問題、?8mを超える大規模な盛土による意図的な平均地盤領域設定の操作問題、?からぼりの地盤面判断の問題、という4つに集約される。これらのからくりを縫うように、地域にあってはならない建築ボリュームがつくり出されている。
 地域住民は、3棟の建築差し止め等の民事訴訟、開発、確認取り消し等の行政訴訟と、複数の訴訟を進めてきた。これに、神奈川支部の岡田氏、永井氏と小野で、弁護団との対策会議打ち合わせ、意見書・証拠資料の作成、裁判官の現場協議の場での説明、証人尋問など継続的にサポートを行った。
 これら訴訟のうち、05年(平成一七)6月3日横浜地裁民事訴訟にて、3つのマンションはすべて違法建築であると断罪し、業者らに対し損害賠償を命じる勝訴判決(平成一六年(ワ)第1530号 建築差止等請求事件)を勝ち取ることができた(現在控訴審中)。
 また、05年11月30日には民間審査機関と横浜市に対する行政訴訟でも、建築確認処分は違法とし確認を取り消す勝訴判決(平成一六年(行ウ)第18号 建築確認処分取消請求事件)を勝ち取った(民間審査機関から控訴)。ここでは「民間審査機関に故意や過失があった場合、確認の権限を持つ横浜市が賠償責任を負う」という判断が示され、この時期発覚した構造強度偽造事件での民間審査機関や行政の責任問題の追及に大きな影響を与えるものになった。
 暮れの12月10日には、「あかもん坂の緑と環境をまもる会」主催の住民のつどいに参加した。弁護士、原告の方々、建築士からと、この間の取り組みの報告や今後の方針などを語り合った。地域住民からも約40名の参加者があり、会場がいっぱいになるほどだった。また、勝訴判決後ということもあってマスコミからも取材が来て、関心の高さが伺えた。
 こうした地域住民の地道な運動から、この間、地下室マンション条例の改正や分割開発に対する規制強化も生まれ、制度改定にも大きな影響を与えたものと思われる。そして、こうした取り組みを通して、周辺地域で同様の問題を抱えている住民たちとも交流ができつつあり、情報交換も行われていることもすばらしい。住民の一人が言った「いくら違法を認めてくれても、もとの緑が帰らないのではやっぱり理不尽だ」という言葉が印象に残った。
 今後は、控訴審への対応や、横浜市へ是正命令権限行使の要請をしながら、義務付け訴訟へと進むことになると思われ、まだ取り組みは続くことになる。
*新建全国MLにて制限解除についての情報をいただきました。情報を下さった皆様、ありがとうございました。
(神奈川支部・小野誠一)

吉村順三建築展・前川國男建築展ツアー 青森支部

 青森支部に『建まち』編集委員長の丸谷博男さんから「吉村順三建築展」と「吉村順三を語る会」のご案内をいただきました。「吉村順三建築展」は上野公園に隣接している東京藝術大学美術館で11月10日から12月25日まで開催されました。上野公園には弘前市に縁の深い前川國男設計やその師匠であるル・コルビジェ設計の建物があります。ということで、上野公園にある建物や東京ステーションギャラリーで同時期に開催している「前川國男建築展」の見学も付け加えて、さらに、江戸東京たてもの園で前川の自邸まで見ちゃおうという欲張りな私の企画に賛同してくれた7人が、青森支部から参加することになりました。
(青森支部・飯田善之)

■「吉村順三建築展」を見て
 12月23日、24日の丸谷さんによる一連の企画の最初・吉村順三建築展を見てきました。朝10時という時間にもかかわらず会場内はかなり混み合っていて、吉村人気の高さを改めて知らされました。
 そんな混雑の中で限られた時間内に全部をじっくり見るということは難しく、ほとんど住宅にしぼっての見学、鑑賞になってしまったのは少し残念でした。吉村先生の住宅はずっと前から大好きで、本や雑誌の写真や図面を何度も繰り返し読んだり見たりして、その空間の簡素な美しさに感銘を受けてきましたし、考え方やディテールからはいろいろと教えられてきました。ですから今回の建築展は私にとって総復習、再確認のつもりで出かけましたが、新たな情報にも出会うことができて嬉しいものになりました。
 特に印象深かったのは「南台の家」が現在の形になるまでのプロセスを知り得たこと。増改築を何度重ねても、最終的にはもちろんのこと、それぞれの段階の条件のもとでも豊かな空間を創ることができるのだという実例に先生のすごさを感じました。
 次に「御蔵山の家」ですが、ここでは実施プランに至るまでに提案され検討された幾つもの案を見ることができました。示されたプラン案が興味深かったと同時に、どんな条件に対しても真摯な姿勢で向き合われた様がDさらによくわかりました。
 もう1つは「軽井沢の山荘」です。35年以上も前になりますが、私は一度だけ身近で先生にお会いしたことがあります。学生時代、研究室の夏ゼミ合宿で白馬に行った帰り途、7人位で軽井沢に立ち寄りました。レーモンドの教会や池辺陽の住宅などを見てまわり、吉村山荘もさがし当てて行きました。幸運にも先生がおられて、突然大勢で押しかけた他大学の学生たちを中に招き入れ案内して下さったのです。隅々まで見せていただき、静かな語り口で説明をしてくださいました。そのときのかつて経験したことのない素晴しい空間体験の記憶は今でも鮮明です。そんなことを思い出しながら図面集の頁をめくりつつ幸せな気分になりました。
(松澤貴美子)

■「前川國男建築展」を見て
 23日昼食後、吉村順三建築展から東京ステーションギャラリーで開催されている前川國男建築展へ場所を移します。上野公園にある前川國男設計の東京都美術館を眺め、師であるコルビジェの国立西洋美術館と向かい合うように建つ前川の東京文化会館を見学しながら、しかも谷口吉生設計の国立博物館法隆寺宝物館も見るという無駄のない贅沢な移動となりました。
 最高の導入で迎えた前川國男建築展でしたが、見学の時間が足りませんでした。4月に弘前で2回目の開催が予定されていますのでそのときにじっくりと見ることにして、今回は我慢しました。
 モダニズムの先駆者である建築家前川國男の生誕100年を記念しての建築展で、建築図面約150点、模型約30点のほかスケッチや写真、コルビジェやレーモンドの図面も加え、前川の50年余に及ぶ仕事を振り返っています。とても短時間ではすべてを見尽くせない圧倒的なボリュームで前川の建築を紹介するという点ではすばらしいものでした。前川の人物像を知るためには建築展だけでは伝えきれない感がありますので、記念シンポジウムなどへの参加が必要と思います。弘前での開催を心待ちにしています。
 時間不足の建築展でしたが、翌日に江戸東京たてもの園で前川の自邸の見学をして、少し欲求不満が解消されました。実際の建物に触れながら、居間のソファーに腰を掛け、写真や図面ではわからない雰囲気やディテールを楽しむことができました。同行した松澤さんは、大学に入学して初めての製図課題が前川自邸のトレースだったとのことで、感慨深げに見学していました。
 ここで、2回目の「前川國男建築展」が弘前で4月15日から5月28日に開催が予定されていますので、この場をお借りしてみなさまに弘前を宣伝させていただきます。弘前には竣工から70年以上を経たいま、脚光を浴び始めた前川の処女作「木村産業研究所」から晩年に近い「弘前市斎場」まで8棟が小範囲の中に建っています。さらに、会場となる弘前市博物館は桜で有名な弘前公園内に建っています。開花予想は例年4月の下旬で、青森支部では昨年、弘前市博物館前の芝生で観桜会を開催しました。建築展と共に前川の建物、日本一の桜を訪ねてください。
(長内幸広)

■「吉村順三を語る会」に参加して
 23日夕方から、丸谷博男氏が主宰する梅が丘アートセンターで「吉村順三を語る会」が開催されました。語り手は、中央設計・研究所所長の永橋為成氏です。吉村建築設計事務所の元所員であり、東京藝術大学で吉村順三の教え子でもあり、新建の第二代全国事務局長でもあります。聞き手は、北海道、青森、福岡、地元から参加した約20名。永橋氏は吉村順三建築展実行委員会編『建築家吉村順三のことば100「建築は詩」』の監修もされ、師として、あるいは建築家としての吉村順三の考え方や建築について語ってくださいました。
 永橋氏が大学を卒業して吉村設計事務所に入社した年、初めて担当を任されたのが「浜田山の家」でした。吉村先生からはスケッチも何もなしで「君が住みたい家をつくってごらん」と「新手を考えてね」と数少ない指示だけがあったそうです。大学出たての若者が、自分が住みたい家を、それもオリジナルの設計を命じられたわけです。それに意気を感じ、大いに張り切ったそうですが結局は吉村の手のひらの内にあったのかなと感じているそうです。新卒の若者に対しても一人前のあつかいであり、いつでも誰に対しても同じ目線で接するところが建築家としてはもちろん、教育者としても魅力ある人物であったことが想像できます。
 戦災で失われた明治宮殿のあとに新宮殿の設計を担当した吉村は、実施設計を宮内庁でやるのであれば基本思想を一貫することはできないという理由で宮内庁に辞表を提出したという話がありました。このことが建築と設計とのルールを確立することにつながればいいと考えての決意だったようです。設計者としての良心がさせた行動で、建築にかかわる者としてどうあるべきか示唆しているように思います。
 その他、レーモンド事務所で原寸の感覚と大切さを学んだこと、設計に対して時間のある限りかまわず変更して追及する姿勢、楽しかった愛知芸術大学の設計などのお話が印象的でした。
 日本の近代建築史上に大きな足跡を残したといわれる吉村ですが、実は私はよく知りませんでした。建築展では吉村の建物を知り、語る会では吉村の人間性に触れ、遅ればせながら吉村順三ファンの仲間入りをさせていただきたいと思います。吉村は、弘前に縁のある前川國男と同年代の生まれでレーモンド事務所で一緒に働いていたのですね。今になって、前川と吉村の関係や、吉村から見た前川観などについてお聞きすればよかったなと思っています。またの機会があることを願っています。
 その後の交流会、翌日の住宅見学会も楽しく有意義に過ごさせていただきました。この会を企画しご案内いただいた丸谷博男先生に感謝申し上げます。ありがとうございました。
(長内幸広)

設計塾とセミナー「北のデザインを暮らしから発信しよう」を開催 北海道支部

 丸谷博男さん講師による新建設計塾については昨年の『建まち』誌11月号で2回目の報告をしています。12月10日には第3回を21人の受講者で行いました。テーマは「室内気候のコントロールから環境共生へ」。丸谷さんが用意されたテキスト資料はA3版で60頁と「OMソーラーを勉強する本」です。
 講義では、資料を片手に、ポット式石油ストーブに煙道熱交換方式を組み込んで行った暖房方式、床下に地面から1mまで円柱状に12tの砕石を積み込んでつくった蓄熱槽、体育館でのバッシブソーラーシステムなどご自身が設計に関わった実例をもとに紹介がされました。これまで丸谷さんからは「形」を主にした建築デザイン論についてうかがうことはありましたが、今回は目に見えない空気、室内環境を建築家、設計者としてどうデザインするかという内容が中心です。講義全体を通して「建築と暖冷房器具の一体化」を強調されていたことが印象的でした。
 12月に札幌で開催されたもう一つの丸谷セミナーは、北海道インテリアコーディネーター協会が主催したものです。今年春に新建主催で行った北欧から学ぶ建築デザイン講座に参加された同協会の方々が共感し、「北のデザインを暮らしから発信しよう」をテーマに8月から行っています。今回はその最終回で12月13日に30人の参加でした。 前2回のまとめということもあり、「改めてインテリアコーデイネーターの役割を実践的にシミュレーションしてみよう」というものでした。講演の骨子は以下の内容です。
●生活文化を伝えることの大切さ
●商品にも文化があること
●デザインにも風土と文化があること
●北欧の生活から学ぶこと
●北国である北海道での「北のデザインとは」どうあるべきか
●健康と安全をつくるための基本知識・考え方について
●安心と信頼をつくるコンサルティングデクニックとは
●インテリアコーディネーターと建築家の協同
 前段で紹介した、新建設計塾の最終回となる第4回は2月4日に「素材から形へ」をテーマに行います。そして、インテリアコーディネーター協会の方々との交流も続いており、2月7日には旭川市でセミナー開催も準備中です。
(北海道支部・大橋周二)

富山支部12月住宅講座と忘年会

■12月住宅講座
 富山支部の第2期住宅講座が03年4月からスタートし、そろそろ3年になろうとしています。第2期の講座の講師は富山の会員を中心に会員外にも協力をお願いしたり、時には全国の仲間にお願いし、気軽に参加できる講座にしようと努力しているところです。
 12月10日に行われた第17回の講座は「コーポラティブハウスのすまいつくり??集まって暮らす」で、講師は京都支部の川本真澄さん(もえぎ設計)にお願いしました。
 ちょっとしたトラブルがあり、川本さんからお土産に頂いた八橋を食しながらの「座談会」からのスタートになってしまいましたが、これでかえって雰囲気も和み、後の講座がスムーズになったようにも思います。
 もえぎ設計の目指すコーポラティブハウス、京都まちなかの状況など、パンフレットやスライドを交えての説明はとても解りやすかったと思います。図面、スライドで4つの事例を紹介していただきましたが、まちに対してどんな建物であるべきかなど、住み手に対しての丁寧な対応には感心させられました。また、講師の川本さん自身が事例のコーポラティブハウスに住んでおられるとのこと、妙に納得させられました。新建の理念をそのままに仕事のスタイルにしておられるありようは、新しい会員には驚きを、古い会員には刺激を与えてくれたものと思います。
 富山ではまだまだなじみの薄いコーポラティブハウスですが、地域コミュニティが希薄になりつつある現在、地方の都市・地域にも可能性を感じたのは私だけではないと思います。きっと近いうちに、富山型のコーポラティブハウスが紹介されることでしょう。

■忘年会
 住宅講座の後、場所を変えての忘年会でした。もちろん、講師の川本さんにも参加をいただきました。雰囲気は写真のを見てもらえば一目瞭然、たいへん和やかに楽しく時間が過ぎていきました。会場は講師の川本さんに雰囲気を合わせたため、富山支部らしからぬ上品な会場となりました。講座ではなかなか聞けなかった質問も出ていたようです。設計者として、住まい手として接する住民に変化は?京都へコーポラティブハウスの見学に行きたい!住まいには満足してますか?などなど。川本さんにはぶしつけで大変失礼いたしました。
■おまけ
 住宅講座と忘年会に大いに満足し、川本さんの次の日の午前中は時間的に余裕があると聞いた私は「ぜひ、我が家を見に来て下さい!」などと言ってしまいました。
 次の日、JRで約1時間の入善まで。お土産のクッキーまでいただき申し訳ありませんでした。小さな家ですが、地元の職人さんたちと一緒に創ったOMソーラーの家です。家族4人と犬1匹、多少の苦労もありましたが、大いに満足しています。いろいろと建築・新建・普段の生活・仕事の話などなど、家族も交えて楽しい時間を過ごさせていただきました。本当にありがとうございました。
(富山支部・米田正秀)
【参加者の感想】
▼京都、私が20代の頃、初めて車で長距離を走った思い出の地で、今でも2年に1度くらいは訪れています
 住宅講座でスライドで投影された一条通り、また細い路地通りは、私が時々車で走ったことがある場所でした。来年でも訪れててみたいと思っています。
 この講座の意味合いとまた違うかもしれませんが、一人暮らしの老人の死、事件に巻き込まれての若い人の死、そんな新聞記事をよく見かける昨今、若い人、年老いた人、そしていろんな職業の人たちが集まって共存するコーポラティブハウス。それが必要な時代はもうそこまで来ているような気がします。
 「隣は何をする人ぞ」という言葉が昔よく聞かれましたが、これからは、独立しながらも、共存して生活できる場所が、都市中心部には必要ではないでしょうか。
 富山の田舎は、まだまだ、隣がどうしているか、困っていないだろうかと各戸で気遣っています(干渉されたくない人には住みたくないかもしれませんが。でもこれもコーポラティブの変形かな?)。
 コーポラティブハウスだけでなく、いろんなことを考えさせられる講座でした。(山本典弘)
▼コーポラティブハウスをつくる時の住民へのアプローチ(勉強会や選考方法)等が参考になりました。意見が対立した時、話を先延ばし延ばしにするというところが、心にとまりました。
(上梅沢保博)
▼日曜日の朝に住人同士が中庭に集まってコーヒーを飲める環境はとてもうらやましく思えるし、コーポラティブならではのことだと感じました。
 住人が写っている多くのスライドからは、楽しい暮らしがよくわかり、人と人とのつながりの中に住人の生きがいを感じ取れました。
 このような事例にたずさわってこられた川本さんのリアルな講演はとても参考になり、今後の住まい方、つくり手側の提案として多くのことを考えさせられました。
(越坂政也)
▼開発業者主体で建てられてしまったものを、早いもの順に買い求めていく集合住宅と違い、あらかじめ決まっている住まい手たちが「手づくり感覚」で設計にかかわっていくスタイルは、まさに「住み手側に立った家づくり」であり、昨今のマンション強度偽装問題とはほど遠く、崇高なものに感じられる講座でありました。
(島田俊明)
▼コーポラティブハウスとは何かということが初めて理解できたような気がしました。
 建築していく上での協議やまとめ等、苦労は大変多いものだと想像しました。その分、完成したときのうれしさも大きく、その後もみんな仲良くやっていけるのかもと感じました。
 住む人のための建築が感じられ、大変やりがいのある施設だと思います。
(高松利久)
▼コーポラティブハウスをつくるには時間的に長いスパンを考えていく必要性があることがわかり、また集まって住む人が基本的に大変だと感じました。
 集まって住むという考え方は富山でも可能なのかなと少し疑問も感じました。コーポラティブハウスの全国レベルの状態(数)が知りたいと思いました。
(武田俊之)
▼「コーポラティブハウス」という単語を知っていた程度なので、今日の講演の内容はたいへん勉強になりました。
 京都府の土地事情は富山のそれとは異なりますが、応用の仕方ではまちづくり(都心部の活性化等)に使える手法だと思います。貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
(藤澤貴規)
▼コーポラティブハウスについて再認識することができ自分の置かれている環境と合わせて考えてみようと思います。
 また、旧市街地のまち並みづくりのヒントになるのでは?
(藤本秀夫)
▼川本さん自身も、コーポラティブハウスの住人としての視点をもって“集まって住む”楽しさ・豊かさが伝わってくる講演でした。
 「集まって住む」というテーマで専門学校の設計課題に出していますが、学生にぜひ聴かせたい内容でした。
(宮下忠司)
▼とても楽しい講座でした。集まって住むことにとても興味があり、富山での住み方(集まって住む)がありうるのではないかと思っています。
 事例はどれもみな魅力的なものばかりで、そんな仕事に関わってみたいなァーとも思ってしまいます。
(米田正秀)

第1回全国常任幹事会 議事録 06年1月8日-9日 於全国事務局

 25大会期の第1回全国常任幹事会が1月8-9日に開催された。本多代表幹事の挨拶から始まり、情勢から大会決定の具体化などについて討議、高橋議長の挨拶で閉会した。

A 新しい情勢と抱負
 参加者全員から発言があった。主な意見は以下の通り。
●大会後は姉歯問題が大きい。インタビュー、原稿依頼、シンポジウムへの出席などがあり、事態を改めて整理することに時間を割いた。
●自分がかつて設計した住宅を木耐協が診断し、150万円の耐震補強が必要といわれた。コンピューターデータの改竄があった。筋違いがまったくないことになっていた。国交省お墨付きの木耐協に行って抗議したい。
●去年は姉歯問題以外でも建築問題が多く、いんちきリフォーム、吊り天井落下、アスベストの4つの問題があった。
●今年度は組織を広げることを実感できる討論をしたい。他の建築団体の会員減少ほど新建は減少していないが、新建が大きくなる助走になるようにしたい。
●女子高の体育館吊天井構造について相談があり、助言した。県からはアスベスト調査の仕事を請けたが、国交省から早急にという通達があり大変な状態である。構造偽造問題では各市町村にも通達があったが、官庁物件の調査では計算ソフトの認定書のチェックのみで中身の確認はしない。
●支部に若手が少なく元気がなかったが、私の事務所の若手2名が入会したので、今年は企画に期待している。
●年賀状に「本物の建築士が求められていますね」とあり、本物の建築運動が求められていると感じている。
●昨年は建まちセミナーと丸谷セミナーで会員も増えた。ベテラン会員、新しい会員の共通認識をいかにつくるか課題だ。行動指針を基に丸谷さんの勉強会を企画中。
●国交省、学会とのつながりを生かしたい。住まい連の住宅運動を少し積極的に運動したい。耐震改修を土建と一緒に取り組みたい。
●マンションの所有形態(区分所有法)に無理があるのではないか。この問題にも取り組みたい。
●『建まち』誌を使った建まち運動を起こしたい。運動団体の雑誌としてレベルが高い。また『建まち』のつながりで朝日新聞記者と交流が始まった。
●富山の大会では新建第3期の始まりを感じた。青森でも実績ある設計者が参加して来ており、大きくなる予感を感じた。
●アスベスト問題に取り組んでおり、調査に翻弄されている。「耐震偽装問題から暮らしを考える」フォーラムに他団体と共に参加する。岩手県内において他団体にも新建を呼びかけたい。
●昨年3月定年退職した。引き続き住居学研究室に勤務しているが、4月から週1回程度の非常勤になるため、大津の自宅に住む予定。しかし新建福井支部の拠点スペース(研究室)は確保したいと努力している。日本科学者会議福井支部(事務局長)の方も引き続きがんばりたい。
●耐震性についてマンション居住者から心配しているという相談があるが、対応の仕方を新建で話しあっている。都市再生区域隣接地の超高層マンションの敷地が都市再生地区に編入されたところがある。新代表に新建に参加してもらいたい。
●個人的には3人拡大を目標に動いている。妻の父親が構造設計者で岐阜の姉歯物件の調査を依頼されたようだ。私は耐震診断と介護リフォームをやっている。
●いんちきリフォーム、耐震、アスベストなど相談事例が増えている。不安に付け込む仕事が増えており相談も多い。「顔が見えることが大事」と事務所でも確認した。まちづくり懇談会でも内々の勉強会でなく外に出て相談会をやりだした。事務所の活動を新建に返していくのが私の役割。事務局運営にも力を出したい。
●事務所で姉歯問題を議論した。安全安心には地道に仕事をするしかない。相談に対してうまく説明しきれない。支部活動が楽しくなるよう、全国の情報を支部に伝えることに力を入れる。編集のほうも楽しくやりたい。
●正月に宮崎に里帰りした。町が合併で消えた。親戚のお年寄りを見舞いに行った。国土がどうなるのだろうかと実感した。京都では耐震偽装問題で技術者にアンケートを行う準備をしている。建築行為の様々な問題に考えさせられる。新建が頼りにされているのでがんばりたい。拡大も進めたい。
●福岡は昨年地震被害を受けたので、耐震偽装問題には関心が高い。マンション欠陥問題では2棟目を裁判で争っている。福岡市が窓口でJIAとして相談会に参加した。今年は支部としては例会を持つことをやっていきたい。支部の組織化をがんばりたい。
●私学に在職しているが、改革につぐ改革である。
●98年の基準法改正の時に、国会より参考人として意見を求められた。その時、姉歯問題のようなことが起こるのではないかと考えていた。98年の法改正は何だったのだろうか。建築の捉え方が変わってしまった。民間開放と性能規定には、競争によればいいものができるという考え方がある。
●支部活動では京都都心街区の計画への取り組みをまちづくり部会でがんばりたい。
●支部機関誌「ゆるゐ」100号を発刊できた。
●全国大会では新建を広めることが見えてきた。拡大委員会として各支部の把握に努め、常幹を中心とした全国役員が一丸となって動き出せるネットワークを構築する具体的な取り組みをしていきたい。
●11月に神奈川での研究集会開催を決めた。会場は横浜で予定。テーマや報告者選定には皆さんの協力をお願いしたい。若手の会員を入れたい。
●地域の小学校隣接マンション問題ではPTAでがんばり、譲歩案を引き出した。