2015年11月号(No.446)

 特集:富山という解き方

 

コンパクトシティ構想で注目されてきた富山は、北陸新幹線の開通で首都圏や長野と近くなり、新たな活況を呈しているようにみえる。その一方で富山は、まちなみ保存、地域福祉、ものづくり、職人養成などで、全国から注目される取り組みを以前から進めている。地域が主体の時代に、大小のまちづくりの課題を富山はどのように解こうとしているのか、多角的に探る。

・《座談会》コンパクトシティという解き方をめぐって
 廣瀬 康夫+松原 和仁+薮内 朋子+今村 彰宏+中野 健司+富樫 豊
・砺波平野の散居村――世界遺産の登録をめざして         天野 一男
・高岡で暮らすこと  大菅 洋介
・空き家からはじまる歴史都市・高岡の再構築           加納 亮介
・まちの中の小さな福祉拠点に地域共生・小規模多機能の有りよう  山田 和子
・職藝学院の紹介──職藝人育成のための専門学校         北岡 正弘


■  新建のひろば

・「建築とまちづくりセミナー2015inふくしま」の報告
・第29回大会期第5回全国幹事会の報告
・「2015埼玉・群馬合同見学会──日光」の報告

■  連載

《ハンサム・ウーマン・アーキテクト4》4Kのトイレをオアシスに変えた小林純子さん  中島 明子
《創宇社建築会の時代9》設計者の立場の獲得と若い建築家の参画            佐藤 美弥
《20世紀の建築空間遺産3》シュレーダー邸                     小林 良雄


 主張 『平和のために自分にできることは?』

京都府立大学名誉教授/新建代表幹事 本多 昭一

 

安倍内閣による憲法違反の集団的自衛権容認・戦争法(安保法)強行採決は、決して許されない。私たちは引き続き、その閣議決定を覆し、悪法を廃案にするため努力したいと思う。そのことは本誌読者には言うまでもないことだと思うので、ここでは別の側面から平和のための行動を考えてみたい。
多数の国民が戦争法廃止の声を上げていることは事実である。しかしそれと同時に、あるいはそれと裏腹に、偏狭な排外主義・古いナショナリズムの影響を受けている人も多数存在している。これを忘れず、直視し、その人たちとフランクに話し合う必要があると思う。

 

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南シナ海で中国が建設している人工島から12海里以内の海域へ、米軍がイージス艦を派遣したことが報道された(10月27日)。中国が人工島を建設していることは、たしかに愉快なことではない。しかし、そこに米国が軍艦を派遣することも、穏やかではない。不測の事態が起きるおそれがないとは言えない。
日本人の相当多数が中国の人工島建設を苦々しく思うと同時に、米国が武力を顕示して中国を威圧することに内心で快哉を叫んでいる。近所の人々や趣味の会などで世間話をするとよくわかる。政治テーマでないSNSなどでも、それが感じられる。
日本政府が米軍の行動を「歓迎」するのは予想通りだが、一般市民がそれに拍手を送るのは軽率であり危険である。そのことについて身近な人々とじっくり話し合う必要がある。
軍艦を出すのでなく、話し合い解決を目指すべきだという世論の高揚が望まれるからだ。

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3年半振りにやっと日韓首脳会談が行われた(11月2日)。日韓首脳間で「歴史認識」に関して何らかの妥協が――米国の意向を受けて――行われると思われる。韓国が従軍慰安婦問題を中心に日本支配層の歴史認識を批判することを、「しつこい」と苦々しく感じている日本人が多い。本当に「しつこい」だろうか。
旧日本軍は中国・韓国その他のアジア諸国で相当の蛮行を行った。また中国、朝鮮(韓国・北朝鮮)からの多数の労働者を日本国内の鉱山などで酷使した。その事実も忘れてはいけない――現在のドイツ国民がユダヤ人迫害・虐殺の事実を忘れないように。
この話も、身近な人々と話し合いたい。もし「私の周りには従軍慰安婦問題で韓国を非難する人はいない」という方がいたら、それはかえっておかしい。狭い範囲の人としか話し合っていないかもしれない。

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在日トルコ人とクルド人多数が東京のトルコ大使館前で衝突したと報じられた(10月26日)。原因はトルコ国内の政治問題だ。一般の日本人がその問題に詳しくないのは当然かもしれないが、「喧嘩するなら国に戻れ」的な感想しか言わないのは残念だ。なぜ争うのかに関心を持つとか、仲裁に入るとかの人情がほしいと思う。
シリアなどの難民受け入れに関しても、日本社会の力量からいえば一定数の受け入れは可能であり、その上で、シリア内戦の中止、問題解決のために努力する必要があるのではないか。

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数年前にも緊迫した尖閣諸島領有権問題でも、日本国民の中に過激な国粋主義が盛り上がった。これも軍事的にでなく、話し合いで解決すべき問題である。
与謝野晶子の有名な詩「君死に給うことなかれ」を思い出した。
~旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。~
商家の掟にないだけでなく、私たち庶民には領土問題で戦争する必要などないはずである。しかし、こうした問題でも扇動されやすい人が身近にも結構いる。身近な人たちと自治会・町内会や趣味の会や、その他さまざまな場で腹を割って話し合うこと……そうした行動が平和のために必要なのではないだろうか。