2005年ひろば

2005年12月号 ■群馬支部・埼玉支部合同実践報告会を開催
■住宅免震構造入門セミナー終了――東京支部
■第25回新建全国大会(宇奈月)報告
■富山支部設立30周年記念パーティ
2005年11月号 ■愛知支部「手きざみを知る」講演会に参加して
■「【新建】設計塾・連続講座2005・住宅設計の原点を問う」第2回開催される――北海道支部
■シンポジウム「中越地震から1年――技術者としての対応と今後」開催――新潟支部

『建築とまちづくり』2005年12月号より  

群馬支部・埼玉支部合同実践報告会を開催 
住宅免震構造入門セミナー終了――東京支部
第25回新建全国大会(宇奈月)報告 
富山支部設立30周年記念パーティ 


群馬支部・埼玉支部合同実践報告会を開催

 10月22~23日、群馬県の高崎市営研修施設「おおさる山乃家」にて毎年恒例になっている第7回合同実践報告会を行いました。この建物は、すでに解体された木造校舎の段板、手すり、親柱をそのまま使用してあります。段板は一枚板で、幅が2m以上あります。今となってはなかなかお目にかかることのできない階段です。外観も昔の木造校舎そのものです。私は小、中学校と木造校舎でしたので、どことなく小学校時代を思いださせてくれました。
 昨年の合同実践報告会の日は、新潟県中越地震の起きた日でした。いまだに仮設住宅で多くの人々が生活していることを思うと、本当に被害の大きさを改めて実感します。
 22日は、夕食の後、障害者施設、軽井沢の家、群馬支部見学会の報告がありました。プロジェクターの映像を見ながらの説明でしたので大変勉強になり、有意義でした。いろいろな質問や話題がでることで、おおいに会員どうしの交流にもなりました。
 23日は、松本先生(高崎健康福祉大学)より「介護保険給付額分析から見た地域評価に関する研究」をテーマにした講義をしていただきました。
 介護保険分析に着目した理由は、介護サービスは都市計画の影響を最も受けやすいにもかかわらず、都市計画・地域計画の観点からの分析がなされていない、介護保険分析はこれらとの関係を浮き彫りにするはずである、との話を聞き、その着目・観点に感動しました。
 中央区、川口市、高崎市等一七市町村の訪問介護給付比率のグラフを見ながら、介護と地域特性の関係のお話は印象的でした。また、群馬県内の過疎村の役場、住人へのヒヤリングによる調査の話も大変勉強になりました。松本先生、ありがとうございました。
 解散後、帰る途中にあるドイツ風の建築群のあるレジャー施設を群馬支部の会員と見学しました。とてもよい天気で、この施設の入口より前橋市の街並みをとてもよく見ることができました。
(埼玉支部・西沢恒善)
 今年も埼玉・群馬合同実践報告会を10月22・23日に旧粕川村(昨年末に前橋市と合併)の「おおさる山の家」で行いました。埼玉支部6名、群馬支部6名(非会員1名含む)の参加でした。去年より参加者が少なかったことは少し寂しかったですが、久しぶりの交流・入浴・朝の散策を楽しみました。
 報告は、
◎かがやき共同作業所、ひまわりの家、かすが保育園の報告(埼玉・星)
◎軽井沢「思い出の家」の移築の報告(群馬・高橋)
◎「介護保険給付分析から見た地域評価に関する研究」(群馬・松本)
 私は軽井沢「思い出の家」の竣工写真を見てもらいました。
 建物の構造はしなやかに見えますが、実はスジカイ(合板)と金物を使って堅くできています。南側デッキの外壁は土佐漆喰塗り、木部は松煙入りオイル拭きです。
 松本先生には3回連続で参加していただいています。前回までの報告で群馬県(とくに前橋市)の中心部の空洞化やマンションの資産価値下落にびっくりしました。今回も盛りだくさんの内容でした。
 準備していただいたレジュメに沿っての報告で、「介護保険給付額と地域分析」を「都道府県別」と「群馬県内市町村別」に分けて分析をされています。また「関係機関ヒヤリングと個別情報の収集」も豊富です。
 結果(問題点)の要点は、高齢化が一層進む中で、介護保険の無駄を排除して質の高いサービスや在宅ケア環境の整備のための基礎的資料(コンパクトシティ化の必要性の理論補強)となる可能性が高い。「介護環境の基礎を崩す過疎化について」では、「今回は介護問題から過疎問題にたどりついたが、教育、医療、就労など別の入口から論じても、結局過疎の問題にたどりつく可能性は高い」とのこと。また各村(過疎・非過疎)ごとの問題点・教訓・提言から今後の要研究調査課題にも触れられています。
 最後に、訪問介護給付比率(対総額)として整理されたグラフによると、前橋市・高崎市・本庄市は10%、沼田市5%、赤城村2・6%であるのに対し、草津町は20%、東京都中央区・千代田区・新宿区・江東区は25%と多くなっていて、地域によって差があることがわかりました。また、この比率が高くなるほど住宅改善要求につながり、バリアフリー化が進んでいるとのことです。
 最後にアスベスト問題の話が出ました。我が国の石綿含有建築材料の出荷量は71~01年までの総計が約四三〇〇万トン、推定の石綿量が五四〇万トンとなり、これまでに輸入した石綿量の約50%を占めています((社)日本石綿協会)。55年以来七〇〇〇人の中皮種による死者を出し、その数は今後一〇万人に及ぶと言われているとのことで、非常に懸念されます。
(群馬支部・高橋丈夫)

住宅免震構造入門セミナー終了――東京支部

 5月20日に始まり、全4回で開催した「住宅免震構造入門セミナー」は、11月19日に無事に最終回を終えました。
 当講座は、免震部材を兼ね備えて建設される戸建住宅(木造在来工法、2階建)について、実際の工事の進み具合に合わせて開催されました。
 第1回・第2回は地震の基礎知識、免震部材の種類や構造の視点からの免震構造を学び、第3回では実際の免震部材を現場(東京都三鷹市牟礼)で設置後に見学しました。そして今回の最終回では、住宅が竣工し、免震部材の上に住宅が建つ状況、給水・排水設備(フレキシブル管や雨樋)、外構(建物と敷地とのクリアランス)の考え方、玄関の納まり等を見学することができました。
 講師は住宅を設計された⑰_塊建築設計事務所の柳澤秦博さん(東京支部会員)と、構造設計を担当された⑭_構造計画の摺木勉さん(神奈川支部会員)でした。特に柳澤さんは全回を通して講座から現場の説明まで、参加者一人一人に対し詳しく説明していただきました。
 最終回は見学会と交流会を合わせた内容にしました。これは、第3回目まで参加者から具体的な質問が多かったことへの柳澤さんからの提案によるものです。見学会には30名以上、続く交流会にも27名が参加しました。
 交流会は現場付近の公民館を借り、工務店さんの施工にあたる苦労話や柳澤さんから監理の報告、参加者からの質問で盛り上がりました。特に質問では、コンクリート強度や工期について「工務店が施工にあたるうえでの注意を教えてください」や「免震部材にはゴミがたまらないのですか」等、具体的な質問が飛び交いました。
 第1回目からの参加者は延べ164名に上り、免震に対する興味の多さも垣間見られる講座でした。(東京支部・戸波幸子)
【参加者の感想】
▼私は家づくりを計画している一般ユーザーに対するコンサルティング業務をしています。インターネットの普及により、最近の一般ユーザーは、正しく理解しているかどうかは別として、相当量の情報を得ています。住宅の免震工法については、昨年の中越地震以降、踏み込んだ質問をする相談者が増え、それがこのセミナーに参加するきっかけとなりました。
 このセミナーの最大の魅力は、独自の免震工法を開発した企業や、免震装置メーカー側からの良いことずくめの情報ではなく、実際の現場で試行錯誤されながら住宅免震の設計、施工に取り組んでおられる柳澤先生の生の声が聞けたことです。設計施工上のポイントと注意点、確認申請ルート、工期や費用について、今後の問題点などをわかりやすい言葉で解説していただきました。「震度7の地震を震度3~4まで軽減させる」「現段階で性能表示制度は受けられない」「地震被害のメンテナンス費用を考えると、コストメリットがある」と、印象に残った言葉が多々ありました。
 ここで得たことをコンサルティング業務に生かし、免震工法の住宅への普及の一端を担えたらと思っています。余談ですが、最近の耐震偽造問題で建設業界全体を批判する風潮の中、講師の方々やセミナー参加者の熱心な姿を目の当たりにして、少し明るい気持ちになりました。
(阿比留美和)
▼免震構造とは、免震層に設けた免震部材によって、・①建物の固有周期を長くする、・②免震部材による振動の減衰、等の効果で建物が受ける地震の力を小さくする方法である。
 建物に入力される地震の力が小さくなると、建物本体の損傷防止と家具等の転倒防止に効果がある。免震を採用すると人命・財産の保護、建物の使用継続が容易になるそうだ。
 しかし、いろいろめんどうなこともある。免震を採用する場合、現在の建築基準法では、上部構造は4号建築物として構造計算をする必要がなくても、免震層は構造計算をする必要があるらしい。プランは基本的には制限がないが、外形が複雑になればなるほど、必要な免震部材の数は増え、基礎も複雑になるので、費用的には不利になる。さらに、偏芯率の制限が通常より厳しくなるので(免震は0.03、通常は0.15)、これを満たすように建物形状と耐力壁の位置を設定する必要がある。
 また、費用面でも普段どおりとはいかない。講習の中での事例(木造軸組工法2階建て戸建住宅26坪)では免震部材、副資材、基礎等で約三五〇万円程度の費用増とのことだった。現状では税制、保険等での優遇措置はなく、目に見える形でのメリットは少ないかに見える。
 それでも、免震であれば地震時でも避難せずに住み続けられるかもしれない。これはすばらしいことだと思う。しかし、偏芯率0・03という制約がプランにどういう影響をもたらすか、はたして魅力的なプランになるか。これはやってみないとわからない。
 その他勉強になったこと。
●RCの床版のほうが鉄骨の架台よりも施工しやすい。アンカーボルト等は折り曲げて埋め込み深さを確保する。
●配管類と外周基礎の距離が変位量より小さいと、建物が地震時に変位したときに設備配管が破損することがあるため、床版スラブを貫通する配管は外周基礎との距離を変位量以上とする。
●床版スラブの型枠解体、将来的なメンテナンスを考えると、垂直に出入りする点検口でなく、水平に出入りする点検口のほうがよい。
●コンクリート床版の長期たわみを抑制するために水セメント比を50%以下にする
●部材の提供、すべり板の裏打ち材、落下防止のステンレスアングル、すべり材の支え等の副資材の作成、施工、指導等ができる人に見てもらうとよい。
●剛すべり支承の場合、すべり材を下側、すべり板を上側にした倒立形式にすると、すべり材のレベルが確実に施工でき、また、すべり板裏側のコンクリートの充填が容易になる。
●すべり板の裏打ちは事例では6mm厚、900mm角の鋼板(≒48kg/枚)で、母材自体のゆがみを矯正し3/1000(中央と端部で1.5mm)以内にしている。
●なるべく人の力で持ち上げられる部材を用いる。
●施工工程は基礎を2回つくること、養生期間、丁寧に水平をみることを含んで、1週間程度の増になる。
●防虫、防塵のため基礎と床版間の隙間にはフラップを設ける。
●水切りの位置に注意し、変位時に外壁が損傷しないようにする。
●玄関部分の段差の処理は気を使う必要がある。
●電気設備は引込み柱を立て地中から引き込む。
 セミナーはとても面白く、勉強になりました。ありがとうございました。
(高本直司)
▼柳沢先生の住宅免震構造セミナーは、基礎知識を学んだ後、実際の免震住宅の過程を見ることができる大変興味深いものでした。
 最初の講義では、過去の地震の大きさや傾向、地震の縦波と横波についてや、耐震・免震・制震・除振・防振などと体系だてて説明してくださり、大変わかりやすく、私自身、興味はあってもよくわかっていない分野でしたので、とても勉強になりました。
 実際の免震住宅では、基礎コンクリートの上に免震部材を設置された状態を見ることで、規模によりどの程度の装置が必要なのかを理解でき、とても身近なものとなりました。現場もわかりやすく説明がされてありました。
 参加でき、とても有意義でした。
(藤川曜子)


第25回新建全国大会(宇奈月)報告

 新建設立35周年となる第25回新建全国大会が、支部設立30周年を迎えた富山県・宇奈月温泉にて開催されました。
 開催概要は次の通りです。
《日程》
11月10日(木)
18:00~ 新建賞審査委員会・全国常任幹事会
11月11日(金)
12:00~ 全国大会受付開始
13:00~ 記念講演会「住まい・まちづくりの課題――住まいの現状・問題から見た専門家の役割」黒崎羊二氏
14:45~ 全国大会全体会・分散会
19:00~ 交流会
11月12日(土)
9:00~ 全国大会全体会(分散会報告・議案採決・全国幹事選挙・第1回幹事会)
18:30~ 交流会兼富山支部設立30周年記念パーティ
11月13日(日)
9:00~ オプションツアー「トロッコ電車で紅葉から雪景色天然露天風呂・北アルプスへ」
※「建築とまちづくり展」・「新建賞応募展」同時開催(11~12日)
《会場》
全国大会 宇奈月国際会館セレネ
交流会  宇奈月麦酒館
宿泊   フィール宇奈月
 今大会は全国26支部中、24支部の参加を得ました。中でも福井支部の再建の成果や青森支部の設立初参加となる大会となり、前第24回大会期からの活動方針が具体的に表れ、若い活発なオブザーバーの参加も多数得る等、今後の着実な歩みの予感できる大会となりました。参加者は代議員定数52人中46人が出席して大会は成立。県外からの参加者は評議員・オブザーバーを含め79人、富山支部参加者60名を含め、総参加者数139人を数える有意義な大会となりました。
 しばらく途絶えていた新建賞の復活や、30年前、富山支部設立に深く関わっていただいたまちづくり研究所の黒崎羊二氏の記念講演等々、話題の多い大会でもありました。新建の組織の拡大は十分とは言えないながらも、第25回大会期活動方針「人びとの要求に誠実に応え、つながりを強め、新建の理念や活動を広げ、組織を大きくしよう」の実践への手ごたえを各支部で共有できる大会であったように思われます。
 全大会日程を終えた12日(土)の交流会は富山支部設立30周年記念パーティを兼ねた交流会となり、支部が日頃より交流いただいている建築士会・建築士事務所協会・建築学会・JIAの各富山県代表を招いての交流会となり、支部からも会員の半数を超える50名余りの参加を得、盛会のうちに全国の皆さんとともに富山支部30年の歩みを実感することができました。
 翌13日(日)は晴天。心配された天候の不安をよそに、自由参加ツアー、黒部峡谷の紅葉から雪景色へ移ろいを一望できるトロッコ電車の旅が企画され、日頃の疲れを癒し、富山の大自然を味わっていただく絶好の機会となりました。
 大会に参加いただいた皆さんはもとより、全国の会員の皆さんの支えの中で富山支部の活動があります。「建築とまちづくり展」に出展をいただいた各支部からの支援や、無事、成果のある大会を終えさせていただいたことに感謝を申し上げ、全国大会開催報告といたします。
(富山支部・中野健司)
■記念講演会を終えて
 富山支部では設立30周年記念事業の一環として、初めて全国大会を誘致しました(過去に研究集会を1回、セミナーを2回誘致しています)。
 ホスト支部として準備を進める中、大会記念講演を誰にお願いするかが検討事項となり、幹事会で協議したところ。講師には住まいづくりやまちづくりを語ってくださる人、富山にゆかりの深い人をお願いしようという点で全体が一致し、検討の結果、黒崎羊二さんにお願いすることとなりました。黒崎さん(当時全国常任幹事)は71年の富山支部準備会から75年の支部設立総会まで、毎年富山に手弁当で来ていただき、支部設立に大きな貢献をして下さった方です。すぐに黒崎さんに電話でお願いし、快くお引き受けいただきました。富山支部の30周年でもあり、第25回大会には参加しようと思っていたとのことで、タイミングもたいへんよかったようです。
 記念講演のテーマは「住まい・まちづくりの課題――住まいの現状・問題から見た専門家の役割」。住まい手の主体性や生活者の目線を、専門家技術者が住まい手と共有することの重要性、住宅の商品化の危険、団地やマンションの問題点、高層マンション建設と紛争、まちづくりをすすめる上での障壁、まちなか再生の課題。専門家としての責務では生活像の掘り起こし、生活機能を満足させる、住まい手と施工者の信頼関係の構築等。終わりには、コミュニティの再生や住民と専門家の交流促進についてまで、縦横に話していただきました。たいへん勉強になる講演でした。
 記念講演の1週間後に構造計算書偽造問題が明らかになりましたが、黒崎さんは講演の中で欠陥住宅発生の仕組みについても話されていて、まさに今回の問題が起きた背景そのものだったのが印象的です。
 富山支部としても黒崎さんをお呼びしてとても良かったと思います。支部設立当時からの会員の粟島さん、磯野さん、五十里さん、金山さん、小森さん、土肥夫婦、宮下さん等多数の会員が参加し、旧交を温めることができました。
 大会は、米田支部長、藤岡・水野副支部長、中野事務局長はじめ、支部幹事の一致協力で成功させることができました。大会に参加された全国の会員の皆様にもご協力をいただきました。ありがとうございました。
(富山支部・今村彰宏)
【参加者の感想】
▼地図を俯瞰すると近い、しかし地面を這って行くとたまらなく遠い富山の全国大会へ、静岡からは吉田、金森、多々良、丸山、本多が、加えて新建静岡支部東京支部?の大石治孝さんも駆けつけ、静岡支部からは総勢6名にての参加になりました。2年前、富山の皆さんはこの道を逆に走って富士山麓にきてくれたのだなあ、と感慨深い道中でした。
 静岡支部では、大会に人員を派遣するにあたり、10月22日に支部総会を開催しました。実は当支部、前・第24回大会のときは、皆さんを迎える仕込みで精一杯、それ以前はしばらくの間、支部として大会議案を検討する機会を持てずにいました。以前の静岡支部が大会で借りてきた猫のようにおとなしくしていたのには、そういう事情もあったのでした。支部総会では、方々から指摘される静岡のほのぼのした空気のなか、談論風発、話題は議案から、だんだん展開し……脱線し……(次回にはちゃんと――文案の中に「反対」がいくつあるか言えるくらい――読み込んでいくようにします)。静岡のメンバーが総会の分散会で、『建まち』誌についてアグレッシブすぎるほどの意見を述べましたのは、その支部総会の成果であります。
 それにしても、富山支部の熱さ、大きな輪。新建と他の会の相互乗り入れも盛んのようでした。水野さんをはじめ富山支部の皆さんの努力あってのことと尊敬の念を新たにしました。
 ただ、不思議なこともあります。会費、大変ではないですか? 新建はリーズナブルであるにしても、建築士会、その他、いくつかの会に参加するとけっこう会費貧乏になってしまいます。私だけか。東京支部の佐藤さんと話しました。自身のスキルアップのためならば、各会の催すおいしい企画にビジター参加すればいいので、特に金銭的に余裕のない(↑社会的な問題かも)かつ組織の束縛を嫌う若い人は会員になりにくい、理念実現のためには会員となって活動することが不可欠ながら、それは一朝一夕で飲み込めることでもない、と。そういったことを考えるにつけ、本多先生の『近代日本建築運動史』の運動史年表の先に、良心的運動体やNPOが新建に結集という風に続けばいいのに、と思ってしまいます……。
 トロッコ列車に乗って訪れた黒部渓谷、すばらしかったです。私は往路で三沢先生のお隣に。富山のお酒、銀盤マイルドをストローで大切そうに召し上がる先生から、珍しいお話を聞きながらの道中でした。世界中の三沢先生ファンには、すみませんでしたね。
 幾多のエピソードもありつつ、新建のオピニオンリーダーたちの話をじかに聞くことができる全国大会は、やはり有意義でした。富山の皆さんのすばらしい会場設営やおもてなしに感謝します。最後になりましたが、富山支部設立30周年おめでとうございます。
(静岡支部・本多ゆかり)
▼初めての全国大会参加に緊張しつつ、右も左もわからずの状態で富山にやって来ました。普段聞けない他の支部の話、少し視野が広がったような気がします。
 初参加的に印象深かった「分科会」と「交流会」の感想を。
 私の参加した分科会で面白かったのは、発足から30年、一度も会員数を減らしていないという富山支部の話です。月イチの集まりも出席率が多く、集まりに参加↓入会というパターンも多い。「建まち展」として4年前から施工事例をリレーで見ていく企画を行っている。なるほど見学会なら支部会員のよく知らない人のこともどんな仕事をしているのかわかるし、準備も負担が大きくはならないのでは? いいかもしれない。
 京都支部の「建まち展」の話も興味深かったです。「皆で一緒にやってみよう/どんな仕事をやっているのか知ろう/新建について一般の人に伝えよう」の三点を基本モットーとして、毎年京都府内の各地を場所を変え開催しているので、互いを知ることに加えて、地域との繋がりもできる。ナルホド、参考になるなあ。
 ただ、このようないろんな活動をしていきたいが、実際は仕事に追われ、また動ける人も決まってしまって少なく、新建の具体的な活動に時間を割けないという意見も。千葉支部も実際に動く人の固定化ナド同様の悩みがあります。
 「なるべく一人の人に重荷を負わせない」という富山支部の基本姿勢。ぜひ取り入れたい……。もちろん支部会員の顔がお互いに見えている活動だからできることかもしれません。大変参考になりました。
 夜の大交流会は「宇奈月麦酒館」。ビールに目がない私には、うれしい地ビール飲み放題。宇奈月ビール美味しかったです。
 交流会では、新建賞の発表や今年新たに発足した福井支部、青森支部のあいさつ。青森支部飯田さんの言葉、
「とにかく、皆が楽しいことをやろう。というのがモットーです」
千葉もそういう風でやりたいなあ。
 とにかく建築をめぐる状況や問題は様々。まず自分たちに身近なことから考え、具体的に動く必要があるけれど、支部としては、集まってお互いの意見を交換し合うという基本が一番なんじゃないかな。それには、真面目なセミナーも大事だけれど、やっぱり遊びというか楽しむところがないとなァ。そんなことを考えながら千葉へ帰りました。
(千葉支部・足立圭)
▼12日(土)だけの参加でしたが、皆さんから「元気」をもらうことができました。お世話になりました。
 群馬支部は会員・読者・財政となかなか難しい問題が山積しているが、やはり活動は楽しくなければ皆の運動にならないのだということが改めて実感できました。もう少し時間的余裕をつくって参加すべきだったが。
 当面の予定は、
・①雑誌(青森支部主導の「Ahaus」1・2)は面白い。大学卒業の頃だったと思うが埼玉会館(外壁はタイルの型枠にコンクリートを流し込む施工)を見学したことがあり、前川さんの弘前での初仕事(木村研究所)から、発展してくる歴史の中で確認するとなお面白い。調べ中。
・②11月20日の伝統構法の加力実験(八王寺)に参加する。
・③その晩に支部幹事会がある。
 今期もまた全国幹事ですが、役割を再度確認します。
(群馬支部・高橋丈夫)
▼いつもながら、岡山支部からの出席は、代議員定員通り一人ということで参加しました。
 前回の静岡大会の冨士山麓に引き続き、山の中の観光地、宇奈月温泉で開催ですが、実は、私3回目の来訪(トロッコ列車にも乗ったことがある)なのです。交通費支給の指示通り、早朝に富山駅に着いたので、現地までの途中の町をぶらぶら歩きで時間を費やしながら早めに会場に到着しました。時間があったので全国の支部からのパネル展示をじっくりと見ることができました。これだけ大量の展示も久方ぶりで、良い企画だと思いました。
 まず、黒崎羊二さんの記念講演については、「日常的な一般の人々との交流が我々技術者にとって大切」と言った部分について実例を上げながら話していただいたことが特に印象的でした。
 分散討議については、参加者が一通り早足でしゃべったという印象は否めませんが、言葉のニュアンスから各支部の現状などを感じ取ることができました。
 夜の大交流会は「宇奈月麦酒館」で行われましたが、全国の地ビールを飲み歩くことが趣味の私としましても、ここの地ビール、特にケルシュのレベルが高いと感じました。ビールを思いきり飲んで、おいしい料理をたらふく食べ大満足でした。
 翌日の全体会では、特に一般会員の増減は平衡状態であるものの、読者会員の減少により『建築とまちづくり』誌の月刊が維持できない可能性を知らされ、会員拡大が急務であることを認識しました。
 いつも感じることなのですが、全国大会で全国の会員と会って話をしたり、発言を聞くと、日頃の仕事上のモヤモヤ感がクリアーになってくる気がします。今回、手厚く歓迎してくれた富山支部の組織力に感嘆するとともに、大挙して参加した静岡支部や新生青森支部に勢いを感じました。岡山支部も、9月に最高齢の元代表幹事が亡くなられ、10月に最年少の会員を迎えました。今再び、活力ある支部を目指して第一歩を踏み出さなければ。
 残念ながら、翌日の企画には参加できず、全体会が終り、途中、富山の居酒屋で地酒で一杯やって、富山を後にしました。
(岡山支部・赤澤輝彦)
▼初めて全国大会に参加しました。
 一年半前から福井支部の例会に出席し、いろんな会員の方の普段の仕事の話などを伺って勉強になっていました。しかし、「新建」がどんな団体なのか、他の支部がどんな活動をしているのかなどは知りませんでした。全国大会に出てみて、「こんな団体だったんだ!」と知り、さらに皆さんの発言に共感する部分がたくさんあって、「新建に入ってよかった、この大会に来てよかった」とあらためて感じました。
 また、他の受賞作はみんな「新建」としての活動である中、全く違う「雑木林を楽しむ会」の活動で正賞をいただきました。本多先生に薦められるがまま応募してしまったので、交流会でみなさんに「おめでとう!」と言ってもらうたびに少しくすぐったい感じがしました。
 交流会で話したみなさんは、とってもいろんな活動をなさっていますね。他の支部の方とも交流があることにとても驚きました。
 富山支部のみなさん、お疲れ様でした。人数がとっても多いことにも驚きました。目指せ富山で福井も支部拡大に努めたいと思いました。少人数の福井支部では1・5倍も簡単ではないか!?と思っています。まずは、大学の友達を例会に誘ってみようと思います。
(福井支部・馬場麻衣)
▼全国大会は、静岡の大会に続いて二度目の参加になります。前回も感じたことですが、きちんと議論することは、やはり団体を運営していくうえで欠かせない重要な点で、形式的ではなく、真にいろんな意見に耳を傾け、充分に討論する機会を設けているのが新建らしいというか……背筋が伸びる思いがします。
 議案の中では、「アスベスト問題」と「憲法九条」について随分意見がでましたが、“平和”の問題を語るには、広島・長崎・沖縄ともに支部がないことに気づき残念に思いました。
 富山支部の皆さん、本当にお世話になりました。宇奈月温泉もトロッコ列車も実は二度目でしたが、ベストシーズンの黒部峡谷は最高でした。いただいたチューリップの球根もしっかり芽を出し、今から春が待ち遠しいです。
(京都支部・成宮範子)
▼11月11日(金)~13日(日)と3日間に渡り富山県の宇奈月温泉で行われた新建全国大会へ参加して来きました。東京支部へはこの春に参加したばかりで(昨年までは福井支部にいました)支部の状況など、事情もわからないままでの参加でしたが、新建を理解する上では非常に充実した3日間でした。
 大会会場では〈建まち展in宇奈月〉と題し、各支部の取り組み紹介コーナーが設けられ、特に富山支部のパネルが充実していて、地元の方々の地道な取り組みが伝わってきました。また初日と2日目の夜は新建30周年、富山支部25周年祝うパーティーが開かれ、大会に華を添えました(楽屋姫というかぐや姫のコピーバンドは交流会を大いに盛り上げてくれました。(未だに気づくと歌声がよみがえってくるのですが……)。
 大会の議事進行もさることながら富山支部の皆さんの温かい歓迎が参加者の交流を活発にし、大会を成功へ導いたのだと思います。富山支部の皆さんありがとうござい
ました。
(東京支部・大森直紀)
▼紅葉真っ盛りの宇奈月はとても快適でした。その中での全国大会は、分散会・全体会を通じ議論が活発に行われたと思います。
 私自身も、アスベストなどの社会問題に対し、新建としてすばやく対応する必要性を発言し、多少は全体の議論に貢献できたかなと感じています。ただし、各支部の代議員から支部を代表する意見は少なかったと思います。改めて、各支部での大会議案の議論とそれを大会に反映させる支部代議員としての役割が、多少不鮮明になっているなと感じました(愛知支部は臨時の支部幹事会にて大会議案の討議をし、その内容を私が発言してきました)。
 大会で一番心に残ったことは、建まち展など楽しい活動の中で会員が増えているとの各支部からの発言でした。新建の役割が今こそ求められているときに、会員も増えておらず、財政上もピンチな現状をなんとしても打ち破らなくてはと改めて痛感しています。楽しい活動を通じ、つながりを増やし対話を続ける。こうした地道な活動が求められていると思いました。
 最後に、30周年の富山支部のみなさん、すばらしい大会を準備いただきありがとうございました。愛知支部も、来夏「建築とまちづくりセミナーin犬山」を開催することが決まり、大会でも紹介してきました。犬山市の地名が全国区か心配していましたが、全国的に知られていることが分かりホットしています。明治村の見学を始め、心に残るセミナーとして成功できるよう企画を検討中です。ぜひみなさんの参加をお待ちしています。
(愛知支部・加藤謙次)
▼この文章を書いているとき「構造計算書偽造問題」が起きた。建築が許可制度から届出制度に替わってから起きた最大の問題である。建築を取り巻くすべてといってもよいかもしれない問題が、この一連の事件に集約されている(この件に関しては新建の政策委員会から意見が述べられる予定)。
 建設コンサルタント↓設計↓ゼネコン等の業務流れは、構造の手抜きこそしないだろうが、発注構造は同じであり、いつでも起こり得ることだ。新建会員はたまたまそれに荷担していなかっただけ幸いかもしれない。
 建築家の業務を単なる営業行為と位置づけた建築行政の失敗が、今日、最悪のかたちで露見した。住む側の自己責任といえばそれまでだか、病気を自己管理が悪いと一概に言い切ないし、また何らかの歯止めは可能でもあっただろう。日本人の文化は、性善説というか、日本独特の仏教や、孟子の教えが根底にあるのだろう、まさか構造計算や構造を改竄するとは、誰も考えなかったことだ(木造の手抜は欠陥建築で問題となっていた)。
 昔の設計事務所は入所すると、数年は図面など描かされず、下働きが続き、やっと便所と階段を描かされ、技術的考えを含め仕込まれる。そのとき建築家の心構えも同時に躾けられる。やがてその世代は高齢化した。そのとき、ものづくりの次の世代に精神も含めた伝承は出来たのであろうか。コンピュータで図面を描いていては、自己と対峙する対象が曖昧で、李禹煥のような厳しい空間的哲学は養われないのではないだろうか。
 大会の参加者を眺めるに、筆者を含め次第に年嵩がましている、平気年齢が何歳かわからないが、世の中に合わせ高年齢化しているのは事実であろう。新建は「お達者クラブ」ではない。もっと若い人が執行部にあって欲しいと願うのは、私ばかりの意見ではないと思う。
 新建の会員を雑駁に二〇〇〇人として、一級建築士が登録番号で三〇万人余り、新建の割合は○・七%となる。良くいえば個性的集団、悪くいえばカルト的集団と揶揄されても致し方ない。しかし新建は「教祖も教義もない特異な宗教団体」ではない。
 些か引っかかる言葉に、新建の文言に多くでる「人々」「一般市民」。「市民、大衆」でもよいが、意外にこの「市民、大衆」なるものがやっかいである。あのワイマール憲法下でヒットラーを選択したのも、三国干渉で日比谷あたりを焼き討ちしたのも「一般市民・大衆」である。「一般市民・大衆」とは、時代に迎合しやすい。これほど移ろいやすい集団はない。
 移ろいやすい集団は「平和と幸福」を求める。平和と幸福感は相対的で、世の中すべてが平和で幸福に満ちあふれることはない。あるとすれば、天国か極楽浄土の世界であろう。現世で生きる以上、巷を徘徊する「ヒト」というものと接して行かざるを得ないし、何かを食べなければ生きてはいけぬ。何らかの生き物の命を頂戴して生きるのである。キリスト教では、人間は神の姿を模したもので、人間を万物の霊長などという。生物の頂点に人がいるなんて、西欧思想のおごり、生き物はすべて等価的存在である、そう思うと浄土の彼岸が見えてきて、いくらかでも心が安らぐ。
 随分前から、科学は万能であるかが、疑問を投げ掛けられている、幸福を科学するとか、科学的思想とかいわれる。科学には仮説に基づき実験と実証で証明され、他者の実証で理論となる、科学的思想であるべきであったソ連をはじめとする旧東欧圏は、本来民主的であるべき社会がスターリニズムと決別できず、大量の粛正のあげく崩壊した。中国も一人の独裁者のため七千万人が粛正の犠牲で命を失っている。中国の教科書は七〇万人が辛い目にあったと書かれているだけ、それすら批判できない厳しい言論統制の上の改革開放では、内部矛盾のはけ口を外に向けざるを得ないのである。
 翻って現在の日本、これほど自由に出版、放送(いくらか規制はされ、国民保護法で知る権利が厳しく制限されるが)、集会が出来る国はない。アメリカでさえ反ユダヤ的放送は困難である。放送界がユダヤ系資本に牛耳られ、ホロコーストの真実さえねじ曲げられているという。
 ドグマにとらわれず様々なものの見方考え方で意見を交えることにより、昔風にいうと「アウフヘーベン」することがよいのではないだろうか。おでんの鍋のような、出汁が憲章なら具は会員、相互に時間をかけ、よいエキスが汁ににじみ出て豊かな味になればと思う。
(北海道支部・泉徹)

富山支部設立30周年記念パーティ

 第25回新建全国大会を終えた夜、富山支部設立30周年記念パーティを開かせていただきました。前夜の大会交流会と同じ会場であり、しらけた雰囲気にならないかと心配していましたが、前日をも凌ぐ元気なパーティになりました。
 日頃ご協力をいただいている建築士会から池嵜さん、JIAから青山さん、建築学会から小林さん、事務所協会から鈴木さんがお祝いに駆けつけてくださいました。鈴木さんには「いつも元気な活動を続けている新建を見ている。機関誌も楽しみにしている。これからも頑張って欲しい」との激励もいただきました。
 挨拶の中でも報告したのですが、設立準備会の時期は数名だったのが、支部設立時には一八名、私が入会した二〇数年前は三六名だったと記憶しています。イベントのあるごとに着実に会員を増やし、現在は一〇〇名を超える大所帯になり、そんな活動が評価され「新建賞特別賞」をいただきました。大会交流会、記念パーティと2度の表彰披露もさせていただき、本当にうれしく思っています。この場を借りて御礼申し上げます。
 パーティの様子ですが、アマチュアフォークバンド「楽屋姫」の演奏あり、バックバンドの演奏で、山本幹事会副議長はじめ会員の歌声も披露、丸谷『建まち』編集委員長ご兄弟のデュエット、本当に楽しませていただきました。来賓の皆さんにも遅くまでお付き合いくださり楽しんでいただけたようです。あちらこちらでの建築交流、支部の会員も大いに楽しんでいたようです。心ばかりの商品を賭けたじゃんけんゲームも大いに盛り上がり、終始和やかな雰囲気で、このまま朝まで続くかというくらいの勢いでした。なごりは尽きず、ホテルに帰ってからもホールでの二次会は深夜まで続いたことは言うまでもありません。
 なかなか全国の企画に参加できない支部会員にとって、全国にはこんなに大勢の頼もしく愉快な仲間が大勢いること、改めて確認できる楽しいパーティであったことを報告します。
 全国のみなさん、本当にありがとうございました。
(富山支部・米田正秀)

『建築とまちづくり』2005年11月号より  

愛知支部「手きざみを知る」講演会に参加して
「【新建】設計塾・連続講座2005・住宅設計の原点を問う」第2回開催される――北海道支部
シンポジウム「中越地震から1年――技術者としての対応と今後」開催――新潟支部


愛知支部「手きざみを知る」講演会に参加して

 10月2日、新建愛知支部主催の「手きざみを知る」講演会が開催されました。新建会員7名、会員外25名、計32名の方々の参加がありました。
 講師は新建会員でもある河合定泉さん。河合さんは日ごろから手きざみにこだわって大工としての仕事をされています。また、地元の職人仲間と一緒に「職ネット足助」という職人グループをつくり、職人の顔の見える家づくりを推進されています。最前線で仕事を続ける職人さんの生の言葉は、参加者の心に大きく響いたのではないでしょうか。
 当日の参加者の構成は、建築業界の方々を中心に、一般の方も何人か混じっているという感じでした。みなさん非常に熱心に河合さんの話を聞かれており、とても集中力の高い講演会でした。大工の技の伝承、木の見方・使い方、組み方の配慮などの詳しい話を聞き、それぞれの立場で思いを新たにできたのではないかと思います。また、現代社会で手きざみ技術が埋没されようとしている現実について、現場からの鋭い警鐘を聞くことができたと思います。
 参加者の感想文の中では、「知らなかった」という言葉が多く書かれてありました。「自分の知らない事の多さを、日々感じております」「あてとか、くせの強い木の方がしっかり組み合わさるとは、なんか人間社会にも適用できそうで」「日本の伝統と現在の風潮をどう融和させることができるか、今後の課題になる気がします」「手きざみがあってプレカットが成立していると考えています。プレカットはその手きざみをまねて工業化していることです。大変ですが頑張って下さい」「今日得られた知識をどのように仕事に生かしていくかが今後の課題です」などなど、自分のこととして問題意識を持っていただいたようです。
 知らないうちに伝統の技を消してしまうようなことがあってはならない。大事なこと、守っていかなければならいこと。今一度考えさせてもらえました。
 河合さんや、河合さんと同じような立場で頑張る職人さんたちの言葉は、今後もっともっと大事になってくるのではないでしょうか。
(愛知支部・青木正剛)

「【新建】設計塾・連続講座2005・住宅設計の原点を問う」第2回開催される――北海道支部

 去る10月23日(日)、北海道支部主催の丸谷博男さんによる連続講座「設計塾・住宅設計の原点を問う」の4回シリーズの2回目が開催されました。
 日曜日の昼下がりの時間帯にもかかわらず、22人が参加して熱心に耳を傾けました。ちょうど丸谷さんがアメリカの視察旅行から帰った直後だったので、アメリカの話も交え、熱の入った講座となり、予定していた3時間半の時間も足りないくらいでした。
 丸谷さんの今回のアメリカツアーは、ルイス・カーンを中心にライト(落水荘)やイーロ・サーリネン、谷口吉生のMOMAなどを見てこられたようです。当日は住宅の設計塾ということで、カーンの住宅作品の説明に力が入っていました。
 カーンの住宅は今まであまり紹介されてこなかったので、私も興味津々で、すっかり聞き入ってしまいました。特にフィッシャー邸については、45度にふった二つの直方体をコーナーで繋ぐ構成や、開く窓(通風用)は壁面より下げ、はめ殺し窓(ピクチャ・ウィンドウ)は外壁と面一にするというように、窓の機能を明確に使い分けているという話は参考になりました。
 落水荘については丸谷さんは2回めの訪問だったそうですが、前回に修復中だったところも工事が終わり、きれいになっていたとのこと。ライトの住宅は玄関とキッチンが全体から見るとすごく狭いという指摘があって、日本の住文化との違いを感じました。
 後半は、丸谷さんが実際の仕事で使っている寸法体系として、六進法によるモジュールの話を紹介してくれました。居室の天井高さは2250mmを標準としているとか、コンセントの高さは180mmというような話は、私もかねがね高すぎると感じていたので、とても納得できました。最後には、実作の住宅プランの勘所を種明かしするように解説してくれました。
 実は、翌日も続きがあり、こちらは支部の主催ではありませんでしたが、丸谷さんが数年前にポルトガルツアーでアルバロ・シザの建築を見に行ったときに知り合いになった札幌の建築家・豊嶋さんの事務所を借りてのスライドパーティとなりました。豊嶋さんがJIAのメンバーにも声をかけてくれて、5月の建まちセミナーで講師を引き受けてくれたJIA北海道支部長の圓山さんも参加してくれました。
 前日の設計塾は住宅が中心のスライドでしたが、この日はカーンのエクセター図書館やサーリネンのMITのチャペル、そしてカラトラバや谷口吉生のMOMAなどの大作を見せてくれました。お酒が入っていたせいもあり、一同大いに盛り上がりました。
 このような活動を通じて、北海道(札幌)では他団体との交流の機会が増え、この一~二年で、新建の認知度がかなり高まったと感じています。この勢いを維持して、会員増加に繋げたい、と思っています。
(北海道支部・女鹿康洋)

シンポジウム「中越地震から1年――技術者としての対応と今後」開催――新潟支部

 05年10月22日、標記シンポが新潟県小国町で新建築家技術者集団新潟支部主催により開催されました。参加者は19人と少ないながらも、新潟支部の岩野さん、山岸さんの司会の下で全員がパネラーとして白熱した議論が行なわれました。会場では、いまだに多くの問題を抱えている被災地において今後どうしていくのかが鋭く分析され、今後に向けて活力が醸成されたのではないかと思っております。シンポの内容について何か記録に残しておいたほうがいいと思いまして、全部は網羅していませんが、覚えているところのみ記して本メモをつくりました。多少不正確なところもあるところはご容赦ください。
(富山支部・富樫豊)
■五十嵐純一氏(形象社、小国町出身、東京支部)
●過疎地での災害は残酷だ。そこに住み続けるには経済を含めた仕掛けが必要だ。今技術者に求められているのは、そこの実行ある提案だ。
●一連の鉄系被災仮設住宅の居住性は酷い。行政の対応も及び腰だ。木質系仮設住宅を提唱。環境にやさしく、里山に政策として経済効果を生む。
■渡辺寿夫氏(吐夢建築設計事務所、新潟市)
●小千谷でも床下リフォームの詐欺にあっている例あり。今、裁判中である。専門家から、こうした問題にもっと注意を払ってほしい。(そんなことが起こらないように)
●監理建築士まで遡って責任を問いたい。建築士は責任をまっとうすべし。
■滝沢輝久氏(ガンバ建築設計、上田市、長野支部)
●建築士の責任を追及したい。なぜ、問題のある仮設住宅を使わせるのか。仮設住宅は狭く、結露あり。これは欠陥としかいいようがない。
■小国町の住人の方々
●応急修理は一ヶ月の期間で申請し行うものである。仮設住宅の利用期間は二年間である。
●生活支援について。貧しいから二世帯同居をしているにもかかわらず、これを一所帯として収入算定するものであるから、収入規制に引っかかり支援を受けられないということになる。
■片桐三郎氏(片桐工務店、小国町、新潟支部)
●地域でがんばっているのにハウスメーカーが入り込んできて仕事を取っていく。小国でもけっこうなケースあり。災害復旧支援といって、地元の人間から仕事を奪っていくのが支援なのだろうか。
●仮設住宅より少しましなつくりで結構お金をとっていくハウスメーカの考えは、いいのであろうか。
●建築の社会的役割は大きい。
●一般の人には諸経費の項目を理解してもらえない。諸経費イコール無料という感覚あり。小国では、諸経費入れて見積もりをだし、認めてもらい、今後すべて諸経費の入った見積もりが可能となった。しかし、ほかの市町村では、諸経費の項目を割愛するように指導を受けている。諸経費の分をほかの項目で割り増しするように指導をうけた。
●大工さんは、仕事はするものの、書類つくりを避けたがる。このため、安い援助金の仕事しかできない。高い援助金支給の仕事には必ず書類作成が伴うので。そうした場合、何人もの大工さんに書類を書いた。
●危険度判定のほかに復旧度判定もほしい。
●応急措置と応急修理は違う。修理の方が必要なのだ。
●全壊家屋には応急修理の費用は支給されないが、仮設住宅で条件の悪い居住をしいられるならば、全壊家屋を応急修理して済んだほうが言いと、住民は判断。小国町でこうしたことを要求したところ、被災地全域で全壊家屋に応急修理の補助が認められた。
●被災住宅はほとんど撤去されサラ地になっている。お金をかけてまで何が何でもサラ地にすべきなのか。
■林工氏(『建まち』編集局、東京支部)
●被害の実態を見ると災害への対応はもとより予防の重要性を再認識。
●そのために有効な技術の適用(免震構造等)はもちろんユーザー教育などにも取り組むべき。
●専門家の責任問題と報酬を含む社会的認知は表裏一体。この点については、新建も含む建築関係団体と日弁連とで対話が始まっている。
■木村悟隆氏(長岡技術科学大学、長岡市)
●最近エセ学門やエセ技術が横行している。たとえば、マイナスイオンのエアコンなどいうに及ばない。
●建築でもシックハウス症候群などの話にもエセが多い。
 (ご本人は有機化学系の研究者であり、五十嵐さんと付き合いだしてから、仮設住宅問題に取り組んでおられる)
■富樫豊氏(富山建築・デザイン専門学校、富山支部)
●地元に直接かかわる実務者および市民には力強さを感ずる。それ以外の領域では、やはり人事といった感があるのは事実である。これは、地元民の辛辣な声が一般に伝わっていないということの裏返しであり、こうした観点からも市民に対する専門家の役割や市民と専門家のコミュニケーションのあり方について考えていくことが必要である。
●市民の声は、当事者であるがゆえに、やはり本質をついている。
【参加者の感想】
 「中越地震に際して新建新潟支部としてなかなか組織的な対応ができなかった」というのが岩野さんたちの率直な思いだということですが、それでも今回の新潟の会員の報告を聞くと(五十嵐さんが書いた『建まち』5月号の論文などと合わせて)、個々の会員が被災者の立場に立つ専門家技術者としての存在意義を十分に発揮したことを強く感じました。例えば小国町では全損住宅にも(従来は支給されなかった)応急修理費用を認めさせたという事実。これには片桐さんを先頭にした行政へのねばり強い働きかけの努力があったことを初めて知りました。シンポ後の別席で住民の方もそうした事実を初めて知ったと感想を述べて、たいへん感謝されていたのが印象に残っています。行政から要請されて仕方なく派遣されてくるような技術者もいる一方、新建会員では埼玉の原さんや群馬の高橋さん、兵庫の黒田さん、東京の千代崎さん・細野さん(私が知っている範囲の方々のみ)はじめ、家協会や士市に所属する多くの技術者が遠方より手弁当で現地入りして活躍したことは大いなる希望です。また、まずもって地域と住民生活の復旧をめざした対応が求められている中、行政と結びながら、ときにはイニシアチブを取って行政を動かした新建会員の活動は、まだまだ小さなく存在ではあれたいへん光っていたはずだと誇りに感じます。
(東京支部・林工)