
建築用途の不定型化/法と技術のズレ
建築基準法がまた改正された。おおむね規制緩和の方向であり、建築界には肯定的に受け止める向きもある。しかし、この改正が建築確認の現場で起きているトラブルやズレを軽減するものではない。むしろ、目先の状況で、規制の緩和と強化を繰り返す建築行政は現場の混乱を拡大している。本特集では、実際に起こったさまざまな矛盾と問題点を解き明かし、豊かな建築まちづくりを支える建築法体系を展望する。
・行政マンの憂鬱が、民間に与える悪影響 大矢 和男
・前時代の残像が建築法・技術の本質を見失しなわせている 伴 年晶
・路地空間と建築基準法 山口 達也
・国民のための豊かな建築まちづくりの実現を目指す建築法体系を 大槻 博司
◆新建のひろば
・実効性ある住宅セーフティネットを求めて──住ネット法改正から1年目の国会院内集会
・31大会期第2回全国幹事会報告
・東日本大震災から7年の取り組み報告
・復興支援会議ほか支援活動の記録(2018年4月1日~ 4月30日)
◆連載
《英国住宅物語16》団地再生の時代 近代ハウジングの修復と再生 佐藤 健正
《普通の景観考8》大阪ミナミのDEEP 中林 浩
《創宇社建築会の時代34》新建築家技術者集団結成への道 佐藤 美弥
《書棚から》『室内』の52年~山本夏彦が残したもの~
主張『「主張」テーマおよび筆者一覧(2016年4月~2018年5月)』
<2016年>
・4月号 №451 戸建て住宅における「既存ストック活用」に向けて
加瀬澤文芳/(株)ゆま空間設計
・5月号 №452 熊本地震―建築技術者の知恵と力を発揮しよう
川本雅樹/川本建築設計事務所
・6月号 №453 会員たちのすてきな生き方
山本厚生/新建全国幹事会議長
・7/8月号 №454 研究集会に集おう
星厚裕/(株)アート設計事務所
・9月号 №455 使えるモノに「老朽化」のレッテルを貼ってはならない
大槻博司/F・P・空間設計舎
・10月号 №456 公共施設の維持管理計画を考える
久永雅敏/もえぎ設計
・11月号 №457 省エネ法改正を前に、連続断熱をアメリカに学ぶ
大橋周二/(有)大橋建築設計室
・12月号 №458 混迷する時代、多様な主体と連携する建築家技術者に
岡田昭人/住まい・まちづくりデザインワークス
<2017年>
・1月号 №459 変革期を迎えるための合言葉―40年前の「点検、構想、実践」に比して
垂水英司/新建全国代表幹事
・2月号 №460 空き家の行方
大西智子/ぶなのスタジオ
・3月号 №461 国際社会と居住の基本的人権保障―ハビタットⅢのアジェンダを読んで
片方信也/日本福祉大学名誉教授
・4月号 №462 障害者差別解消法への理解を拡げよう
今村彰宏/建築工房すまい・る・スペース
・5月号 №463 奈良公園の魅力を損なうホテル開発はいらない
川本雅樹/川本建築設計事務所
・6月号 №464 熊本地震から教訓を学ぶ
片井克美/片井建築設計事務所
・7/8月号 №465 2020年―東京五輪の開催と新建50周年をどう迎えるか
中島明子/和洋女子大学名誉教授
・9月号 №466 被災者と被災自治体の真の復興にむけて
三浦史郎/東京支部
・10月号 №467 建築インテリア家具の職人・デザイナーを育てる
丸谷博男/ICSカレッジオブアーツ学長
・11月号 №468 「戦争と平和」について大いに語ろう
永井幸/永井空間設計
・12月号 №469 被災者が築いた新しいまち「あおい地区の復興」から学ぶ
岩渕善弘/新建宮城支部
<2018年>
・1月号 №470 家族の再生と地域コミュニティ
山本厚生/新建全国代表幹事
・2月号 №471 地域製材業との連携の道を探ろう
加瀬澤文芳/ゆま空間設計
・3月号 №472 障害者が普通に住まい働く、街中の場所づくりをめざして
星厚裕/アート設計事務所
・4月号 №473 知恵と技術とAIと〜「技術」が技術を低下させる
大槻博司/F・P・空間設計舎
・5月号 №474 文化財保護法の改正を考える
久永雅敏/もえぎ設計
◇上野戦争激戦地と西郷銅像
最初に150年前の上野戦争激戦地の上野の山へ。江戸幕府無血開城に反発した上野御徒町周辺の徒士や町民二千人が彰義隊として山に立てこもります。しかし取り囲む三万の官軍に動揺し半日で撤退。亡くなった二百人の碑が西郷像の傍らにあることをご存じでしょうか。明治三十一年築造の西郷像がなぜ浴衣姿に犬を連れているのか、その所以もお話あり。おおらかなイメージを喚起させる銅像に、初めて政治色が見えました。
◇清水観音堂
清水観音堂から不忍の池を一望できます。ここは上野戦争後の焼き払いからも第二次世界大戦からも免れて現在に受け継がれています。不忍の池は、琵琶湖を模しています。
◇精養軒の西洋たる矛盾
時代が下って東京市になってから建てられた「時忘れじの塔」を眺め、お昼休憩のため「精養軒」へ。1876年明治9年、岩倉ら政府要人から斡旋され、築地から現在の一等地である不忍池畔に移転。昨今の同じような構図に苦笑い。しかも尊王攘夷と掲げながら、ドレスを着飾る王侯貴族や各界の名士が集ったといいます。時代の権力者は常に矛盾に満ちています。
◇廃仏毀釈で隔てられた東照宮と五重塔
続いて向かうは五重塔。隣接する東照宮とは高い柵がありますが、江戸時代にはなかったもの。明治政府は仏教と神道を徹底して分けましたが、寛永寺の中に東照宮があることが矛盾しており、塔はお釈迦を祀るものとして、柵を設けることで、東照宮とは関係のないもの、と理屈をつけたようです。こうした新政府の廃仏毀釈は、神道国教・祭政一致の政策でした。このあたりも、キナ臭くて今に通じるものがあるような感です。
◇法隆寺宝物館はなぜ国立博物館に
国立博物館敷地内にある法隆寺宝物館、なぜ奈良県斑鳩の法隆寺にあるはずのものが上野にあるのか、ここにも廃仏毀釈の影響があるわけです。法隆寺の高層たちは宝物を皇室に寄贈することで、寺や伽藍を維持しました。拝観料のはじまりもここにあるそうです。
◇博物館動物園駅
さて、時代はぐっと下がり昭和、博物館動物園駅の跡地へ。1933年昭和8年京成本線開通に合わせて開業し1997年に休止、2004年に廃止された駅です。新建の持田さんは、この駅舎について書籍「ぽち小屋探歩」に記されており今回実地にてご説明くださいました。本稿書くにあたり調べたところ、4月19日には東京都選定歴史的建造物に選ばれたことを知りました(鉄道施設としては初選定)。
◇黒田記念館、国際こども図書館
その後は、黒田記念館(1928年岡田信一郎設計)、国際こども図書館(帝国図書館として1906年建築、1988年に安藤忠雄が日建設計の技術者らと共に再生)を各自自由見学。
◇国立西洋美術館のロダン彫刻
ル・コルビュジェの話はともかく、ここでの萩原さんのお話も印象深いものでした。収蔵されているフランス絵画や彫刻の多くが松方コレクション(実業家松方幸次郎の収集)、現在常設展示されているこれら作品には憂うべき経緯があります。貴重な作品は戦災をまぬがれるために仏国へ預けられましたが、サンフランシスコ条約により仏国の国有財産とされてしまいます。長い交渉の末日仏友好のためにその大部分を「松方コレクション」として日本に寄贈返還することが決まり、受け入れのための美術館として、1959年国立西洋美術館が誕生したという経緯。日本はあくまでも返還を望みましたが、両国妥協で作品のいくつかは戻らなかったそうです。世界文化遺産の建物の背景に、様々な悲劇が垣間見られます。前庭にあるロダンの彫刻、有名な「考える人」は本物です。本物という意味は、ロダン存命中の鋳造作品、「生存鋳造」という意味です。生存鋳造の「考える人」は世界で二十一体、ロダンの死後、鋳造職人が「考える人」と名付けたとか。考える人と対峙する形で展示されている「地獄の門」、この大作から考える人をはじめとするロダンの独立した作品が生み出されたそうです。
(東京支部・川田綾子)
会員14名、会員外4名の計18名の参加がありました。小林さんが開発されている「ビレッジガルテン」は定期借地権を利用し、コモンと呼ばれる大きな庭をシェアして暮らす分譲戸建街です。事業の動機は「村人になりたい」。ビレッジガルテンの原点はそこにあり、まちづくりは様々なアレンジを続けながらも変わらないテーマです。近年、都市・郊外にかかわらず、「地域コミュニティの一員である」また「地域コミュニティの中で役割をもっている」と自覚している人の数は非常に少なく、この先さらにその数は減少傾向にあるのではないかとも予想されます。しかし、数が少ないとか減少傾向にあるとかは問題ではなく、問題があるとすれば、地域コミュニティの一員でなく、役割をもたない人が身近に少なくない数で存在していて、本人も周囲もそれに違和感を覚えていないことではないでしょうか。都市や地域のチカラは、実はこのソリューションを続けることで向上したりするのではないかと、小林さんは考えています。講演の後、ビレッジガルテン小野原を実際に見学し、コモンの豊かさと緑の多さに、参加者は皆、驚きました。現地での説明を受けた後、会場に戻り、活発な質疑が交わされました。
(大阪支部・栗山立己)
アルミサッシを製造するLIXIL小矢部工場は日本国内でも重要な位置付けの工場で従業員数1261名の大きな工場です。アルミ地金から製品までの一貫工場で地域の住民との交流や環境にも配慮した素晴らしい工場でした。先ずは座学で工場の説明から始まり製品が出来るまでのフロート説明を受けました。バスに乗って広い工場内のそれぞれの製品製造棟で各工場の現場担当者から作業内容や製品の出来るまでの説明を丁寧に教えてもらいました。何処の工場も綺麗に整理整頓されていて、作業通路も明確になっている近代的な工場でした。住宅を作っている現場も一緒ですが、綺麗に整理整頓されている現場はきちんと良い仕事が出来ています。大きな工場も小さな住宅の現場も整理整頓されていない現場から良い物は出来ないことを実感してきました。
大きなプレス機械でアルミ地金を押し出してアルミの材料を作る工場では横にとても長い工場で、アルミに色を付ける工場では深い水槽が何基も有って天井から水槽までが高い工場です。大きな機械が規則正しく動いていますが、操作している従業員は工場内では見かけないハイテク工場でした。製品の組み立て工場では小さな部品の管理もコンピューターで行い、万が一ネジが一本でも床に落ちていたら、組み立て製品に部品が規定通り組み込まれていない事になるので、既に組み立てた製品を再検査して部品の確認をする徹底した組み立て工場でした。
工場見学が終わったら今度はLIXILの製品を展示しているLIXILラボで製品の説明を受けました。ラボではLIXILの商品を分かりやすく展示してあります。他社の製品も比較展示してありましたが、LIXILの商品と他社の商品の特徴を分かりやすく展示してあるので、それぞれの商品の良い所が分かってとても参考になりました。午後1時30分から午後4時30分の3時間の工場見学でしたが見る物を多くてあっと言う間の時間でした。
普段現場で使っている製品が、製造から組み立て配送までの過程を見ることが出来ましたのでカタログからの商品説明以上に商品知識が増えた良い勉強会になりました。ご協力頂きました皆様に感謝を申し上げます。
(石川支部・木下聡)
大阪出身の延藤先生は、新建愛知支部の会員であり、京都大学大学院を経て、熊本大学、名城大学、千葉大学、愛知産業大学大学院の教授を歴任しました。都市住宅やコーポラティブハウス、地域住民主体のまちづくりに、たくさんの書籍や絵本作家と幅広く執筆し、近年は台湾やブルガリアなど海外へも活動をされていました。「NPO法人まちの縁側育くみ隊」を名古屋市で立上げ、事務所である「まちの会所」を錦2丁目に移し、錦2丁目長者町地区のまち育てを2004年より始めました。その後、愛知万博や東日本大震災があり、「大震災のなかで、私たちは何をすべきか」、「津波被災区域が模索するふるさと再生」、など、震災後の被災地の復興をはじめ、名古屋市長者町繊維街の復興にも貢献をされました。
偲ぶ会の実行委員長である立命館大学の乾教授は、40年以上の親交があり、「彼は、地域に寄り添い、人に出会い、仲間を引きつけ、楽しい場所を創り出して、また別の場所に去っていく『風の人』だった。延藤先生の活動を明日につなげていきたい」と述べられました。延藤先生の妹さんは、「兄が皆様にどんなに愛され、慕われ、支えられ、そして豊かにあふれる幸せをどんなにたくさん戴いたことかと思いますと、只々ありがたい。そして、偲ぶ会のモットーは、‐おわりは、はじまり‐これからも縁側の縁が延々と(縁→円→延)続き広がりますように願っています」と、感謝とお礼のお手紙を頂きました。
実行委員で、準備に参加をしました私が感じたのは、延藤先生のもとで、20歳から一緒に活動をしてきた「NPO法人まちの縁側育くみ隊」の代表理事でもある名畑恵さんたち、若い方の活躍だと思います。偲ぶ会準備会の中でも、実行委員の皆さんは、仕事帰りに長者町にある「ちょうじゃまちば」に集まり、みんなの食事を用意してくれる方や、350名の申込みと聞いて名札の準備をして、500名を超えたと聞けば、再度集まり名札を準備して、記念撮影を一緒にしたいと等身大パネルを作成し、ありがとうコーナーには、そっくりの模型も準備をして、書籍や絵本を飾るコーナーなども前日の手作りでした。偲ぶ会後の2次会も思った以上の参加者で、どのテーブルでも延藤先生の等身大パネルでの記念撮影があり、延藤先生も一緒に2次会から3次会へと連れられて、風にように消えて行きました。
(愛知支部 甫立 浩一)