2017年6月号(No.464)

共にデザインを学ぶ/デザインミーティング

 

2011年から3年間開講された「新建・東京デザイン塾」は新建史上に特筆される活動であった(本誌2015年2月号、5・6月号に特集)。この塾を継続・発展させた活動が、現在取り組まれている「デザインミーティング」である。デザイン塾同様、新建会員以外も多数参加し、自由な形でデザインを語り合っている。実践的な交流はもとより、文化論、人生論へ議論は拡散し、それ故に豊かなデザイン論へ戻ってくる。そうしたミーティングの様子を通して、建築家技術者が〈共にデザインを学ぶ〉素晴らしさを共有したい。

 

 

・「デザインミーティング」という活動  柳澤 泰博

・「ニュートラルなデザイン」について  伊藤 寛明

・グッドマッチングを目指す私のデザイン長野 智雄

・建築を他の文化と並べて考えてみる  秋山建築設計/秋山 隆男

・ユーソニアンハウスに魅せられて  遠藤 現

・プライバシーと開放性を両立し、庭と室内の連続性をはかる  新井 崇文

・住み手の課題に応えるデザイン  小野 誠一

 

■連載  

《英国住宅物語5》英国近代のユートピア アーツ&クラフツ運動、住宅復興、田園郊外  佐藤 健正

《創宇社建築会の時代25》竹村新太郎の「放浪時代」  佐藤 美弥 

《新日本再生紀行8》千葉県館山市(その二)  岡部 明子 

《20世紀の建築空間遺産21》ユトレヒト大学 エディカトリウム  小林 良雄 

 

主張『熊本地震から教訓を学ぶ』 

片井建築設計事務所/新建全国常任幹事 片井克美

 

 熊本地震から1年が経過した。福岡支部では2月から「熊本地震に学ぶ」とした企画を行っている。2月25日に「熊本地震の特性 建築技術者への問題提起」として多賀直恒先生による講演を聞いた。(建まち4月号で報告済)

 そして5月20日~21日には「熊本地震に学ぶ2」として現地熊本の今を視察し、各地でキーマンのお話を聞くことができた。

 昨年4月14日から16日にかけ、震度7、6強、7と3回の大地震に襲われた益城町。

 もっとも被害の大きかった木山地区では、公費解体が進み、あちこちで更地が広がっていた。そして解体した後には新築工事も始まっていた。昨年の建まち誌熊本地震特集号で紹介した、構造用合板が施工されていない「なんちゃって」ツーバイフォーの住宅は跡形もなかった。その一 方でまだ倒壊したままの住宅も多い。

 布田川断層帯の木山断層が真下に位置し、宅地のあちこちに地盤の亀裂が走っている。

 町の中心部でもあるこの地区は、木山復興土地区画整理事業の策定が進んでいる。今年中に都市計画決定を行い、平成33年3月には造成工事を終えるというスケジュールである。

 ゾーニング(素案)では、地区の中心を貫く県道高森線を2車線から4車線に、役場は現在地に建て替え、住宅地は元の位置となっている。

 県道高森線の拡幅は、震災前から歩道設置の要望はあったものの、4車線への大規模な拡幅は広範な立ち退きも強要され、だれも望んでいない。住民は怒っているとのことであった。県と国による復興のシンボルとして突如浮上し、計画が進められていると見られているようだ。

 また、住宅地は断層の真上に計画されており、3度の大地震を経験した住民には不安しかもたらさないとの声が強い。特に、家屋の中で家が壊れるさまを目の当たりにした人たちの恐怖心は、同じ益城町で激しい揺れを体験した人にも理解できないほどであり、断層の上には住むことはできないという拒絶感があるそうだ。

 益城町では、震災前に役場など公共施設はすべて耐震改修が行われていた。この耐震改修のおかげで役場は倒壊を免れたようだ。役場の建て替えは、震災直後のアンケートで80%が賛成とのことであった。しかし、このアンケートでは母数が公表されず、何名がアンケートに答えたのかが不明で、住民の中には、なぜ役場が先なのかという声があるそうだ。

 事業の実行までに待ちきれず、あちこちで新築工事が始まっている。土地区画整理事業が始まれば、立ち退きの可能性もある中での新築とのことだった。

 最大の仮設住宅団地で自治会長のお話をうかがった。避難所での自主運営、コミュニティつくりの重要性、そして仮設住宅への入居やその後の生活にそのコミュニティをつなぐことなど。

 宇城市小川町。江戸や明治期に建てられた家が街並みを作っていたこの地区では、1棟また1棟と公費解体が進んでいる。修復すれば残せる文化財級の建物が壊されている。このような建物は、公費解体ではなく公費再建ができないのかという声もある。その中で、住民による再建の動きが出ていることは明るい兆候である。福岡支部では、この地区の再建を継続して手伝っていくことにしている。

 近年の大規模な災害を経験する中で、被災者のためになることが、1歩1歩ではあるが少しずつ、前に進んでいる動きもある。木造仮設住宅の建設や宅地内造成工事の補助などである。

 木造仮設住宅は鉄筋コンクリート基礎に、断熱性能など耐久性・温熱環境を高めた住宅を実現している。「被災者の痛みを最小限に」という知事の声で実現できたとのことであったが、今までの仮設住宅は標準化の名のもとに最低の仕様で「標準化」していたとの指摘もあった。

 キーマンのお話の中で共通していたのは、各地にネットワークを持っていたことが役に立ったとのことであった。新建も全国組織、いざというときに繋がれるようにしていきたい。

  


熊本地震から1年-

「メモリアルふっこう集会」と「学術会議の報告会」参加報告

  日時:2017年4月14日(金) 17:00〜

熊本地震は、2016年4月14日と16日に震度7を観測する揺れが、熊本県益城町等の地域に2度起こりました。連続する余震とその後の豪雨災害で、55名の方が亡くなられ、多くの住宅が倒壊し、熊本県全体で住宅被害が約18万5千棟にのぼりました。地震から1年にあたり、集会と報告会が行われ、現地の状況を見るのと併せて、千代崎さんと東京災対連のメンバー4名と参加しました。

 14日、早朝に東京羽田空港を出発し阿蘇熊本空港へ。空港でレンタカーを借り、益城町で福岡支部の片井さんと合流。益城町で設計事務所をしていて事務所が倒壊し、同じ益城町にある自宅も被害にあわれた設計者の方にお話を伺いし、益城町を案内していただきました。倒壊した事務所のあった場所の地面の下が、地震直後には左右に揺れているのがわかったそうです。また、はじめは避難所で生活していて、小さいお子さんがいるので、衛生面での心配もあり、自宅の駐車場の車で約1ヵ月過ごされたということでした。益城町は倒壊していた住宅は、ほぼ片付き、多くが空き地になっていました。午後からは新建福岡支部の会員になられた方のマンションの被害状況を見せていただきました。生活する上で被害が大きいものの、判定が半壊とならず、なかなか補修ができないという状況がありました。

住宅被害の8割近くが一部損害で、自宅以外で避難生活をしている方が4万2千人にのぼり、応急仮設住宅に約1万1千人、みなし仮設に2万8千人という状況で、生活再建の困難さを感じました。被害が大きかった益城町で進められているのは、空港の整備と生活道路の4車線化ということでした。

19時から、くまもと県民交流館パレアで、NPOくまもと地域自治体研究所と、いのちネット「熊本地震」被災者支援共同センター主催の「被災者が希望をもてる復興へメモリアルふっこう集会」が開催され、新建からは福岡支部の卯野木さん、鹿瀬島さん、片井さん、古川さん、京都支部の久守さんと千代崎さんが参加しました。記念講演は、「一人ひとりの被災者の『人間の復興』をめざして~『創造的復興』の失敗から学ぶ~」岡田知弘氏でした。

岡田さんは、新建設立45周年で講演をしてくださった自治体問題研究所の理事長です。

 最後の主催者あいさつで、新建からの参加が報告されました。全体の参加者は104名でした。岡田さんの講演は、阪神・淡路大震災、東日本大震災など、これまでに進められてきた「創造的復興」がもたらした第3次被害とも言うべき状況や宮城県と岩手県の知事の違いにより、さまざまな条件が違っていることなどが具体的に紹介されました。熊本では、地震で亡くなられた方は50名、それに対して関連死が3.5倍と過去最大になっている、避難所が使えずに車中で過ごしたり、たくさんの病院が被害を受け、治療が継続されなかったり、避難生活からのストレスと深刻な状態も報告されました。

 記念講演のあと、会館前の公園で追悼。地震の起きた21時26分に黙祷しました。

 15日は、午前中に熊本城の加藤神社へ行きました。足場を組むための仮設工事をしている熊本城を観ることができました。午後から日本学術会議の公開シンポジウム「熊本地震・1周年報告会」に参加しました。400人入る会場は、いっぱいでした。1学会11分と短いプレゼンでしたが、あらゆる角度から報告が聞け、勉強になりました。報告会には、古川さん、久守さん、千代崎さん、山下が参加しました。阿蘇熊本空港近くの500戸ある益城町テクノ仮設にも行きました。 

(東京支部・山下千佳)


[京都支部]-「向日市、桜と長岡京遺跡巡り」

  日時:2017年4月22日(土) 

  場所:向日市 参加:会員7名

4月22日(土)、「向日市、桜と長岡京遺跡巡り」を開催しました。今回の企画は大阪の「日本文化再発見の会」の皆さんとの合同企画で、新建からは7名の参加がありました。講師には造園家、鎮守の森の会会長の上田さん、京都支部会員の小林さんをお招きしました。

  朝1000に西向日駅に集合し、阪急が開発したという閑静な住宅街を通り、途中この住宅街の中でもひと際目を惹く「寿岳邸」の前で小林さんから説明をしてもらいました。さらに歩きながら所々登場する長岡京の遺跡について、上田さんから説明をしてもらいました。今回初めて知ったのは、長岡京の中心は現在の長岡京市でなく、向日市にあったということです。この事は京都に住んでいても知らない人の方が多いと思います。向日市はもっとアピールした方が良いのではないかとか色々言いながら、先へ進みます。

 お昼には地元で有名な神崎屋さんで旬のたけのこ弁当などを各々買って公園で食べました。昼食後には桜ミュージアムを通り、これまで見たことのない数々の種類の桜を鑑賞。これらは上田さんが整備に関わっておられるとのこと。ソメイヨシノの時期には遅れましたが、花が咲いている桜もいくつかありました。さらに向日神社、東向日駅に向かって、小林さんの絵のスケッチポイントなどにも立ち寄りながら歩きました。桜の満開には間に合わず惜しかったですが、天候にも恵まれ気持ちの良い一日でした。

(京都支部 宮田 希) 


[静岡支部]-「実践報告会」の報告

  日時:2017年4月22日(土) 14:00〜16:30

  場所:静岡労働者福祉基金協会会議室

  日時:2017年4月30日(日) 10:00~17:00

  場所:静岡市清水区

静岡支部では四月二十二日と四月三十日に実践報告会と完成見学会が行われました。その模様を報告いたします。

●四月二十二日 住宅温熱環境設計セミナー PM2:00~4:30

静岡労働者福祉基金協会会議室を会場にして、十七名の参加で住宅温熱環境設計実践報告と「そらどまの家の作り方」と題した自前のセミナーを開催しました。自前というのは、支部会員が講師を務めたことを指します。支部ではこれまで、学習会といえば外部に講師を委託しての開催が主流でしたが、それでも会員外の方が四名お見えになり、身内の四方山話とは異なる少し緊張間のある報告会のはじまりとなりました。

 実践報告は新住協の会員でもある石間氏。実例をデータと写真で、省エネ設計の目指す社会と設計手法が紹介されました。支部内では初のZEH住宅の報告となりましたが、技術論ばかりが詳述されるのかと思いきや、省エネ設計の目指すべき理念に時間を割いた報告でした。「そらどまの家の作り方」はエコハウスマスターの石垣氏。日本の気候風土に合わせて発達してきた民家の技術を科学すること、夏と冬の断熱・遮熱、OMソーラー技術、輻射熱暖房など、魅力的な「そらどまの家」のスペックが次々と紹介されました。そして、最後に温熱環境設計とは、温度や湿度の数値を管理するのではなく、人の心地良さをデザインするのだと結んだのでした。

住宅の省エネ義務化は秒読み段階に入っています。メーカーや行政の行う講習会は、口には出さずとも、「乗り遅れるな」「補助金を営業ツールとして活用せよ」「生き残れないぞ」といったワードがちりばめられています。それらの強迫観念にとらわれて、建築設計を、数値を達成する術に貶めてしまいそうです。彼らに当日のような格調高い空気は醸し出せまいと思うのです。上質の余韻の残る学習会でした。

 

●四月三十日 完成見学会 10:00~17:00

静岡市清水区で会員の小杉氏の設計による住宅の完成見学会が開かれました来訪者二十名。住宅はプライベートな建物ですが、氏は完成のほとんどをこうして見学会で公開して頂いております。施主とのコミュニケーションも見習いたいものです。

さて、建物は矩形の隅を切り取ってテラスを設けた十七坪の小住宅。この五角形に寄せ棟で屋根を架けている。振れ隅を垂木表しで仕上げた曲者です。大工の技量が内装の造形美を左右するといってもよい大技なのです。大胆かつ繊細な空間構成、低く抑えた外観プロポーションもさることながら、施工畑の私が喝采を送りたいのは、キッチンを含む家具建具類です。施工業者は三社見積もり競争で落札した地元の大工さん。施工図などの提出を望むべくもなく、家具建具は業者指定して馴染の家具店に発注し、小杉氏自ら施工図を引いて、家具を造っている。既製品を並べて設計しましたとする設計者はあまたいますが、水回りを設計出来る人は少ないでしょう。まして職人を指導して自作するとなるとさらに稀有な存在ではないか。隅々まで“寸法に責任を負って”造り込まれており、十七坪の小空間に設計者の矜持が詰まっているようでした。

(静岡支部・大塚功二)