2005〜6年主張


主張 (建築とまちづくり2005年12月号

耐震偽装問題について

竹山清明
新建築家技術者集団全国常任幹事 京都府立大学

 耐震偽装問題が大きな社会問題になっている。大変な問題であるが、私なりに主張をまとめてみたい。
 【第一】にその原因だが、国の経済政策としての建設促進策と、そのための規制緩和策にある。その結果、次のような事態が進行した。
1) ディベロッパーや建築専門家が、販売競争の中でコスト削減の必要を迫られ、違法に耐震偽装などを行った。
2) 規制緩和の一環として、建築確認が民間化された。民間確認機関は市場競争のまっただ中にあり、スピードやサービスで競争をせざるを得ず、確認申請図書のチェックが疎かになった。
3) 構造計算がコンピューター化して計算書が膨大になり、民間・公共にかかわらず限られた法定期限内にすべてをチェックすることは困難になっていた。
4) 国は、建築確認の迅速化のため、国交省の認定証があれば構造計算書すべてのチェックをしないでもよいなどとする、やや曖昧な規制緩和を行っていた。
 【第二】に、この問題はどこに責任があるかという点である。
1) まず責任を問われなければならないのは、多くの人々に大きな犠牲を強いる犯罪であることを承知しながら耐震偽装を行ったディベロッパーや建築専門家である。法人・私人の全力を挙げての贖罪が必要とされる。
2) 同様に責任が大きいのは、建設促進と規制緩和で耐震偽装を許した国の責任であろう。被害者の受けた損失のうち、ディベロッパーらがあがなうことのできない部分を、全面的に国の責任で負担すべきである。
3) 次いで責任が大きいのは、官民を問わぬ建築確認機関である。団体や個人の責任はキッチリと明らかにされ、罪をあがなわなければならない。
 【第三】として、被害者の立場から問題を解決・改善する方策を考えたい。
1) ディベロッパーらと国の責任で、被害者の損害を全面的に回復すべきである。被害者にはディベロッパーや国に対するねばり強い運動が必要とされる。
2) 国は、取り壊し費用のみを負担し、後はディベロッパーらが費用を負担し、不足分は被害者が自費を出して再建する方策を主張している。しかしこれは極めて危険である。あわてて取り壊してしまえば、結局のところ被害者がほぼ全面的に自己負担をせざるをえず、多額の二重ローンに苦しむことになる可能性は高い。
3) 国の十分な支援が難しい場合の次善の策は、十全な補修・修復である。阪神淡路大震災の被災マンションは戸あたり百万~数百万円(倒壊寸前のもので一千万円)の負担で補修・修復を行った。キッチリと構造の安全性が確認できる建物に改善されれば、資産価値の低下はそう大きくなく、被害者の損害を相対的に少なくできる。
 【第四】には、今後このようなことを起こさないための、実際的な建築確認の改善のあり方についても触れたい。
1) 建築確認は国や自治体の責任で行う。ただし一般に今後、自治体で質の高い技術者の新たな雇用は困難な状況であり、OBや民間技術者の技術力を自治体が適切に活用する方針が現実的である。
2) 確認機関を市場競争に晒すのをやめ、地域独占の三セクか非営利法人とし、公正性の確立に必要な費用(人件費など)は自治体からの補助金で支援する。
3) 構造審査の手法の総合化とコンピューター活用などの技術改革が必要である。
4) 構造設計に限界耐力設計法が導入されたが、従来の五~六割程度の鉄筋量でパスすることを構造設計者は不安に思っている。この点では慎重な取り扱いが必要である。


主張 (建築とまちづくり2005年11月号

「建築とまちづくり展」の輪を広げよう

久永雅敏
新建築家技術者集団全国常任幹事 企業組合もえぎ設計

 2003年の第24回全国大会で、誰もが参加できる「建築とまちづくり」展を全国で展開しようという特別決議をしてから、まる2年。きっかけをつくった千葉支部をはじめ、全国にその輪が広がりつつあります。
 「理論は難しくても、準備やつくることには誰もが喜んで参加できます。私たちの活動を市民に広く伝えるうえでも有効な活動です。また、若い人たち、新建会員の周辺の人々も参加しやすい取り組みです。思い出してみれば、20年、30年前にはそんな活動をしていました。創設当初からの先輩会員たちが若い頃のことです。今あらためて、この展覧会の活動をとらえ直してみると、あらゆる意味から今の新建に必要不可欠な活動に思えてなりません」。私の所属する京都支部でも昨年と今年、「建まち展」を連続して開き、まさにその通り、あらゆる意味で大切な活動だなと実感しています。
 支部の活動や歴史をパネルにしました。これまでもいろいろな住民運動団体と協同の活動をしてきましたが、一般の市民の方々には新建の存在は知られていないのが実情です。今年も、住民団体や建築団体、マスコミや建築系の学校に開催案内を送りました。見に来てもらえなくても案内することは大事です。そのような中で地元のラジオ局が取り上げてくれ、出演して新建と「建まち展」をアピールすることができました。今こそ新建の出番、広く市民に新建を知ってもらういい機会です。
 実践報告会で会員の仕事や活動を交流する機会はありますが、そんなに多くの会員の仕事に接するというわけにはいきません。昨年は18点、今年は29点の仕事や活動の紹介をすることができました。住宅や施設の設計や施工、高齢者・身障者のための住居の改善、町家の改修、造園、CAD、写真、スケッチ、まちづくりや保存運動等々、ところ狭しと並べられたパネルや模型を見ると、新建の会員が建築とまちづくりにかかわる実に多彩な人たちの集まりであることを、あらためて感じることができました。今年は会員の大工さんの力作、はずしたり組み立てたりできる木造の継ぎ手や仕口の模型や、瓦屋さんによる瓦葺きの実演まであり、建築とまちづくりが市民にとっても身近で面白い世界であることが解ってもらえたような気がします。
 出展する会員にとって、パネルをつくることは日常のプレゼンテーションの延長ですから、そんなに手間のかかることではないようです。むしろ、日頃の仕事や活動をまとめる機会にもなり、見学者の反応や感想に励まされます。仕事や活動を広く知ってもらいながら、いずれは、新建会員の仕事を広げる共同の営業の場になればという夢も持てそうです。
 たくさんの会員が準備に奔走しました。展覧会当日までにやらなければならない仕事が山ほどあります。日頃あまり顔を合わせる機会のない会員同士が、一つの目標に向かって力を合わせることで連帯感が生まれ、活動の楽しさを感じることができます。
 今年も会場でミニシンポを開きました。今までおつきあいのなかった地元の商店街の方や建築士会の方にパネラーをお願いして、新しい交流と私たち自身の視野の広がりが生まれたような気がします。毎年場所を変えて開催することになっていますので、これからももっともっと交流が広がることが期待できそうです。
 また、多くの会員が参加してくれたことと合わせて、二人の新入会員を迎えたことは今年の特筆すべき成果でした。
 新建を知ってもらい、仕事や活動をアピールでき、会員が元気になり、交流が広がり、仲間が増える。いいことずくめの「建まち展」の輪を全国に広げたいものです。


主張 (建築とまちづくり2005年10月号

障害者自立支援法に思うこと

星 厚裕
新建築家技術者集団全国常任幹事 (株)アート設計事務所

 衆議院解散によって消滅したかに思えた障害者自立支援法案が、総選挙後の臨時国会で再度浮上してきた。
 改革のグランドデザインとして提案されていた自立支援法案(身体障害者福祉法、知的障害者福祉法、精神障害者保健福祉法、児童福祉法の基本的な法規と、福祉サービス供給について規定した支援費制度を変更し、これらを一元的に規定する内容)であるが、その詳細は示されないままに時間のみが過ぎてしまったように思える。今国会でその詳細部分が見えるように議論を尽くして欲しい。
 政府としては、障害者に対する法体系を現行の高齢者の介護保険法に統合する方向で進めているようであるが、利用者の所得に応じて支払う応能負担制度から、利用した量・金額の定率10%を払う応益負担への制度改変は、障害程度が重いほど負担が高額になり、それが収入を上回るというケースも出る状況で、納得できるものではない。このことが法案のすべての問題の元凶であると思う。
 私も少なからず障害者の施設建設や住宅の改造などの仕事に関わってきたが、そのたびに思うことは、つましく生活している障害を持った仲間たちに、もっと豊かに・楽しく・気持ちのいい空間で日常生活を過ごしてもらいたいということである。しかしいつも資金の壁にぶつかり、その都度知恵を出し合い、何とか乗り越えるということをくり返してきた。その実態はつねに苦しいことばかりであった。法案がそのまま通れば、こうした状況はさらに厳しいものになるだろう。
 政府の方針では、入所施設の新設はせず、地域で自宅やグループホームなどの生活に移行していくという。さらにその建設資金については特別な場合を除き補助金は出さないと言うのだから、入所施設の建設は自己資金のみでまかなうこととなり、その可能性はなきに等しい。
 障害者の仲間たちが地域で生き生きと生活できるようにするという法の理念はたいへんすばらしいが、そのために必要な社会資本が整備されないままに法体系のみを移行するという内容であり、障害を持つ仲間たちにとっては「健康で文化的な生活」を問われる問題である。そのうえ応益負担が重なり、身体障害を持つ仲間など重度の障害者にとっては生存権を奪われるような内容である。
 こうした情勢の中で私たち建設技術者はどのように対応していけばいいのか。障害者の仲間と一緒に「よりよい法案の内容に変える」提案をする活動はもちろん大事である。同時に「地域での生活」に必要な社会資本の整備をその地域の行政に訴える運動、専門技術者として仲間たちが使いやすいしくみ・施設の建設などを提唱することが大事と思う。
 多くの場合、知的障害者で重度の仲間は身体障害と重複していることが多い。特に高年齢の障害者には素早い対応が必要となる。彼らのための住宅改造などでは、医療や介護の専門家との連携は必須条件であり、設計や工事の対応には細やかな配慮が求められる。そのための技術者のネットワークがどうしても必要になってくる。私の地域ではまだこれからであるが、ケースの報告や情報の交換が重要である。
 障害者の要求に応え、よりよい空間を提案していけるよう、「技術者の仲間」を増やしていく必要がある。


主張 (建築とまちづくり2005年9月号

「住まいづくり」の連帯・協同の活動を広げたい

高橋偉之
新建築家技術者集団全国常任幹事 NPO法人設計協同フォーラム理事長

 先般、東京支部で「建築とまちづくり展」が開かれ、その中で、シンポジウム「欠陥・悪徳リフォームなどさまざまな建築被害をなくし安全で豊かな暮らしと住環境を手に入れるために」が行われた。
 このシンポジウムでは①事例の交流・研究と予防のための活動、②相談活動と救済のネットワークづくり、③欠陥発生の仕組みの改善と法整備、④地域に根づいたつくり手と住む人びととの結びつきの強化、⑤住み手の主体性を確立する運動の前進、などを課題としていた。詳細報告は「ひろば」欄に掲載されるだろうが、いくつか印象的な発言や提起があった。
 弁護士さんからの、裁判官の認識を深めるためにも建築士との協同の強化を望むこと、予防的相談はほとんどないが本来それを中心に考えたいこと、11月の「人権擁護大会」ではいくつかの課題と同時に安全な家に住むのは基本的人権であることを宣言する「住宅安全基本法」制定の提言を用意していること、などの発言。そして、初めて聞いたという東都生協=消費者の主体的な取り組みへの大きな関心。
 「東都生協住まいの改善事業」担当職員の方の発言では、住み手の主体性を大事にする住まいづくりをめざして、課題は、組合員の「住まい」に対する考え方をどのように育てていくかであるという点。
 議論を深める中で、コーディネーターが、設計監理者、弁護士、消費者の三者の連合を発展させる課題を提起した点。

  ◆ ◆ ◆

 政府の「構造改革」によって、「民」が主体の住宅市場の開拓が始まっている。住宅生産団体連合会は6月に「住宅基本法の制定にむけて」を発表し、日本経団連も「住宅・まちづくり基本法の制定に向けて」の提言を行い、政府の社会資本整備審議会(住宅宅地分科会)も「新たな住宅政策」の報告案を出している。
 こうした中で、新建も加盟している「国民の住まいを守る全国連絡会(住まい連)」は、8月に「国民の住まいを守り豊かにする住居法の提言」を発表し、住宅のつくり手と住み手の協同による住居法の実現を呼びかけている。9月29日には、これに応えて「住居法実現実行委員会」の結成集会が開かれた。
 「住まい連」はこの提言の中で、「住居法」の条文に盛り込むべきこととして、次の10項目をあげている。
●居住の権利
●住まいの水準と国の責務
●住居費負担とその低減
●公共住宅、一般住宅と国、自治体の役割
●住宅の質向上と美しい住環境の形成、欠陥住宅等の根絶
●既存住宅の改善、改修の重視
●居住における差別の禁止
●強制退去の禁止と定住保障
●住民参加と住教育の重視
 こうして見ると、前記のシンポジウムで議論されていることと、「住まい連」のこの提言には、多くの共通点がある。そこで、加盟団体である新建の課題として、次のことを考えたい。
 ひとつは、「住まい連」の運動を大きくしていくために、弁護士さんの団体や住み手のたくさんの集まりが、この運動に参加してくるための「つなぎの役割」を新建は果たせないだろうか、ということである。もちろん他の建築関係諸団体も。
 もうひとつは、戸建住宅の設計監理者が会員の多数を占める新建が、その立場から「提言」の充実のためにどこまで積極的な提起をできるだろうか、ということである。
 これは次期大会期の活動方針の具体化につながることだと思う。


主張 (建築とまちづくり2005年8月号

頭でっかちの住まいづくりを憂う

川本真澄
新建築家技術者集団全国常任幹事 企業組合もえぎ設計

 「名前は言えないんですけど……」と言いながら、事務所に電話がかかってくることがある。「断熱材は何を使われていますか、屋根は外断熱をされていますか」と矢継ぎ早に質問が飛んでくる。まるで抜き打ちの試験を受けているような緊張感と不快感。ああ、また困った電話を受けてしまったなあ、と閉口しつつも、この人が満足いくように全部答えられたら設計の依頼が来るかもしれない、と思うと、無碍にもできない。建て主を選んでいる余裕などないのだし。じっくり話し合えば、家づくりというのは部分の性能ばっかり追い求めることじゃないんだとわかりあえるはず、と使命感にも燃える。だが、残念ながら二度と電話がかかってこないことのほうが多い。「坪単価はいくらですか」という質問の答えで選考からもれているのかもしれない。
   ◆ ◆ ◆
 先日かろうじて合格した例がある。かなり切羽詰まった雰囲気で、とにかく話を聞きましょうということになり、Mさんが事務所にやってきた。Mさんは40代の専業主婦、とりとめのない話をとにかく聞き続ける。家づくりの動機と目的、条件付建売で売り出されていた土地の建築条件を外した苦労話。ある設計者にめぐり合い、基本設計を始めたが、なかなか自分の希望が聞き入れられず、契約を破棄しようと思っていること。これまで自分が如何に頑張ってきたかということ。そしてまるで受験勉強のようにつめこんだ木造住宅のつくり方についてのさまざまな質問。
 それからしばらく、電話とFAXで繰り返し質問攻めにあい、大手企業勤務の夫Fさんにも会い、ようやく設計を依頼された。私たちが取り組んでいる「京・杉の家・座」の家づくりについては共感され、無垢の木の家などとても手が届かないと思っていたのに、自分たちの家づくりが日本の林業を守ることにもつながるのかと喜ばれた。
 ところが、時間もお金もないので、没にした基本設計をベースに実施設計からやってほしい、などと無茶なことをおっしゃる。基本設計図を見れば確かに設計者好みのすっきりしたデザインではあるが、プランには色々改善の余地がありそうだった。どんな暮らしが展開されるのか、あまり話し合われていないのがわかる。料理の仕方や子育てのことなど、細かいことまで話し合ううちに、結局かなり違ったプランに収束していった。
 そうしたなかで、Mさんが少しだけ楽しそうになってきた。一人で背負い込んでいた「家づくり」という肩の荷を少し下ろすことができたのだろう。とはいえ相変わらず、カタログの収集とショールームめぐりには余念がなく、「これほどサッシにこだわる方は見たことがありません」とサッシメーカーが音を上げるくらいの入れ込みようだ。
   ◆ ◆ ◆
 家づくりに関する情報は、確かに氾濫している。脅迫まがいの主張も多い。メーカーは売れ筋ばかりを追って次々に新商品を売り出す。油断をすればすぐカタログがあふれかえる。
 住まいづくりに何を求めるのか。私たち自身がいつも話し合っていないとうんざりしてしまいそうだ。


主張 (建築とまちづくり2005年7月号

ヘタな構造技術者にはだまされるな

簑原信樹
新建築家技術者集団全国常任幹事 簑原アメニティデザイン

 建築基準法は地震の発生ごとに改正されてきた。78年宮城県沖地震により81年に新耐震設計法が採用され、95年阪神・淡路大震災により02年には限界耐力計算法が導入された。
 具体的には、81年新耐震設計で構造計算の計算手順を示し、ルート1は比較的小規模な建築物に対し壁量・柱量の確保を行い、ルート2は高さ31m以下の特定建築物に対し層間変形角の確認により靭性のある全体崩壊メカニズムの確保を行い、ルート3は高さ31mを越える特定建築物に対し保有水平耐力を確保することになっている。さらに、それまでの許容応力度設計法に加え、90年には終局強度型耐震設計指針が出、99年には靭性保証型耐震設計指針が出された。さらに02年に建築物の限界状態設計指針が出され、より高度な技術として超高層建築物の設計を可能にし、より経済性を加味した工学的判断ができるようになった。
 この背景には、コンピューターによる解析能力のアップと実験成果の蓄積により倒壊や破断に近いところまでの評価が可能になったこと、荷重データの蓄積、実験解析の発展により確率モデルとしてのばらつきについての有意な定量化が可能になったことがある。今や、構造計算ソフトによってデータ入力を行うと、途中の計算を見ずに出力結果を見るだけで設計を進めることができるほど簡単な作業になっている。一方で、一般に構造計算を行う技術者でさえソフト自体を信頼しているのみであり、ほとんどブラックボックス化している状況にすらある。
 しかしながら、耐震計算ルート1~3の計算過程においても技術者としての判断によるところが多くあり、入力時点でのデータそのものの選択にもその判断が求められるものもあり、ある意味、技術者の裁量による範囲が大きく存在する。そのため、故意であれ無意識であれ、元来持つべき構造安全性を低下させたものをつくってしまうこともある。
 例えば鉄筋コンクリート造の3階建て建物の設計の場合に、通常のプランであれば柱・梁とともに壁があるが、すべての壁と柱との間に構造スリットを設けて構造計算ルート3の保有水平耐力の確認を行う方法によって計算上のOKを取ることができる。この方法は純ラーメンの計算をしているものであり、壁による剛性のアップと余力そのものを切り捨てたことになり、元来のつくり方で通常つくり出せる建物強度より弱い建物となる。
 壁の剛性評価を行いながら構造計算を行うとなると非常な煩雑さを伴うが、それをきらうがために当初からルート3による保有水平耐力の確認よる計算を行うなどは、本来の計算ルートを設けている主旨に反し、工学的な犯罪ともいうべきものであり、技術者としては行ってはならない行為である。
 新耐震設計では従来の設計法に比べ、客観的評価により荷重や耐力の設計値を決めることができ、より明確に説明することが可能になっており、透明性、説明性の高い設計法となっている。しかし、従来の仕様規定であれば特段の説明は不要であったかもしれないが、ルート選択も含め性能(評価)規定による設計法において技術者にすべてがゆだねられている点からすると、その内容についてインフォームドコンセント(説明と承諾)が必須である。技術者の一人よがりの判断だけで計算結果を出してよい時代ではなくなっている。福岡県西方沖地震において、震度5程度で高層マンションの非耐力壁が剪断破壊により室内が見通せるほど大きな×印のヒビ割れが発生してしまったのを、誰が了解していただろうか。
 すでに、住み手・使い手に対してきちんとした説明を行うことが求められる時代となっている。職業倫理そのものが問われ、技術者としての職能とは何かが改めて問われている。


主張 (建築とまちづくり2005年5/6月号

独自な支部活動の展開と運動の拡大を目指して

水野久枝
新建築家技術者集団全国常任幹事 見浦建築設計事務所

 新建24大会期も一年半が経過しました。この間、全国の拡大委員会では支部の状況を把握し議論する中から、新建活動は「支部が主役」であり、支部の活性化が図られてこそ組織としても充実し、その結果として拡大に繋がる展望が拓けると、今改めて確信しています。そのためには、他の支部で実践されている取り組みを自分たちの状況に照らしながら、自分たちらしい取り組みとしてひとつずつ実践していくことが第一歩と考えます。
 内容としては、●支部幹事会を定期開催すること、●支部企画へ取り組み、内容を具体化すること、●立案した企画を会員外へ知らせ、外の人を巻き込んでともに運営する(他団体との協同)、●『建まち』誌や新建パンフレットを活用し、新建入会への誘いかけを日常的に推進する、●企画を旺盛に実施する(実践報告会・建築見学会・勉強会・講座・講演会など)、●企画へ参加してくれた人たちに、後日参加のお礼や次の企画への案内をする、●「建築とまちづくり展」の開催(今までの蓄積を外へ向け発信する企画展の位置付け)、●新建学校を開催し、支部の多くの会員が意識的に活動できる基盤づくりとなるような空気を創る、●ブロックごとの交流を進め、ともに企画し、支部間で協力しあう、●支部役員・全国幹事・全国常任幹事が一丸となって、それぞれが積極的に知らせる活動と広げる活動を進める、等です。
 今年の5月に開催された「建まちセミナーin札幌」では、地元実行委員会の皆さんの丁寧な取り組みが功を奏し、多くの教訓と成果が示されました。セミナーを通して生まれた新しい出会いによって、新建を広める動きと新しい会員を迎える気運の高まりが感じられ、北海道支部のさらなる発展を強く確信しました。企画に旺盛に取り組み、成果が生まれていく中から、支部の組織体制も少しずつ豊かになっていきます。多様な企画が展開できる力量も高まっていきます。そのことが新建の理解者を広め、新しい仲間づくりの発展につながっていきます。
 今年、富山支部は支部設立30周年を迎えます。記念講演会、会員の作品見学会、建築とまちづくり展等、年間計画を基に支部幹事が中心となって、他団体との協同も含めて企画に取り組んでいます。この節目の年に支部をひとまわり大きくして、11月の大会を迎えようと意気込んでいます。
 先日開催した、新建代表幹事・建築家の三沢浩氏を招いての「F・L・ライトの華麗なる建築変化」記念講演会では、支部幹事が中心となって「新建を知ってもらう機会にしよう」とたくさんの人を誘い、積極的にそれぞれの役割を担いました。当日は111名もの参加で大盛況でした。一般参加70名、20代の若い人が目立ちました。当日の参加者の状況を踏まえ、三沢先生がわかりやすい共感を呼び起こすようなお話をして下さり、ライトの魅力が存分に伝わった素晴らしい講演でした。
 当日のアンケートでは企画への要望や感想が多く寄せられ、新建を知ってもらう活動としてとても意義がありました。私自身、誘った若い人から「とても勉強になった、建築に対する自分の思いを新たにした講演だった」などの素直な意見が聞け、そうした人たちと新建を語っていける空気が持てたことが大きな成果でした。何より、関わった自らが元気になり、新建を広めていく確信が持てたことを全国の皆さんに伝えたいと思います。
 3月幹事会では、現勢を松本大会時点の会員・読者数になるよう確認しあいました。5月の常任幹事会では、まず常幹が先頭に立って自主目標を持ち、拡大を実現しようということを確認しあいました。今のこの思いを大切に、11月第25回全国大会まで、全国各地で大きな拡大運動が展開されることを確信します。


主張 (建築とまちづくり2005年4月号

新建35周年第25回大会を組織の発展の中で迎えよう

今村彰宏
新建築家技術者集団全国常任幹事 ナベタ建築設計事務所 

 新建は03年11月の第24回大会で、「建築とまちづくりに関するさまざまな歪みや矛盾はさらに深刻になり、人々の批判や要求はいやが上にも高まり、広がっています。専門家の中には、それを意識し自覚した行動も進んでいますが、人々の高まる要求に十分に応え、全体の流れを切りかえていくまでに至っていません。私たちは、住み手・使い手や住民の主体性を高め、人々とともにその要求の実現を追及し豊かな創造活動を展開する新しい専門家像の構築をめざして実践を重ねてきました。このことによって切り開いてきた展望に確信を持ち、積極的に広げ、連携して建築界の自己改革のために行動することは、私たちの急務となっています。そのために旺盛に活動を繰り広げ、新建活動を質量ともに飛躍させるよう全会員の皆さんに呼びかけます」との特別決議Ⅰを採択しました。
 この間一年半が経過し、福井と青森では新しく支部ができ、活発な活動を展開しています。全国各地の多くの支部でも旺盛な活動が繰り広げられています。
 大槻博司氏は本誌1月号の主張「新しい専門家像の構築をめざして」の中で、自身の日常の仕事については、「これまでの活動・仕事と、その人たちとのつながりが次の仕事につながっています。普通の人たちの要求実現の支援としての仕事がすべてであり、市場経済の中のモノづくりとは無縁のところで生きています」とし、「私のこれまでの経過は別に特別なものではなくて、普通過ぎるほど普通だと思います。この普通のこと、この新しい専門家像こそが生き残る道であることを多くの建築家技術者に広げる」ことが必要であると書いています。
 また、山本厚生氏は本誌4月号の主張「未来の展望を共有しよう」の中で、「望ましい未来のイメージを持つためには本来どうあるべきかに戻るのが最良だと考えました」「今の時代の社会の仕組みの中で増長してきている歪められた部分を建築とまちづくりの本来のあるべき姿に変えながら発展させていくこと、つまり、人びとの、人びとによる、人びとのための建築とまちづくりにしていく行動を積み上げることで確実に未来を拓いているという実感を共有することができるのだと私は信じています」と書いています。
 いずれの主張も、新建が理念として掲げ、かつ実際に重要であると会員に認識され実践されている仕事や活動の重要性を述べたものと思います。
 4月の拡大委員会では、改めて「新建の成果と魅力」についての議論がされました。そこでは、「多くの出会いがあり仲間ができ、自らの成長になっている」「新建憲章や行動指針(案)が日常における自身のあるべき姿勢を示している」「仕事や活動の経験交流が本音でできる」「自分の仕事の進め方を学べ、建築主との関係がうまく構築できるようになった」等々、多くの魅力が語られました。他にも「他団体との協同の成果」や「新会員を迎えての成果」等について、勇気づけられる報告・議論がありました。
 そのあとの5月の常任幹事会でも、「支部活動の活性化についての具体策」や「異なった職域や世代間の交流、他団体や幅広い市民との協同の具体策」、「第25回大会まで目標」等について討議しました。
 第24回大会特別決議Ⅱの「建築とまちづくり展を全国で展開しよう」も、この間、多くの支部で取り組まれ、またこれから予定されています。「建まち展」は新建を知らせる活動に結びつき、大きな成果になっています。
 新建の成果と魅力に確信を持ち、展望を実感し、新建を知らせ、組織を一回り大きくして、11月の第25回大会を迎えたいと思います。


主張 (建築とまちづくり2005年3月号

未来の展望を共有しよう

山本厚生
新建築家技術者集団全国常任幹事 生活建築研究所 

 明るい未来のイメージと、そこへ向かう運動への関心と確信が広がってほしい。私は今それを強く望みます。若い人たちが未来への夢をおおらかに語らなくなっていると思えるからです。
 確かに、増大するうとましい出来事を見渡していると、その流れの先に見えるのはたまらなく悲観的な未来ですが、だからこそ、その流れに抗し、向きを変えようとする当然の動きがあることもしっかりと見ておきたいと思います。
 例えば、凶暴化、日常化する犯罪や、平然と続けている道理のない戦争。自殺を増やし、富の偏差を拡大した不況の定着。国民の要求を足蹴にする政治や、経済と権威に支配される教育と言論。地球が悲鳴をあげる環境破壊。心病む人を量産する競争と抑圧の仕組み、などがあります。その一方では、スローライフや環境を守る生き方。伝統の発展的評価や地域コミュニティーの再生。人間の尊厳を守る福祉や、災害ボランティア。自立と協働を育むとりくみ、などの広がりがあるのです。
 しかし、後者には個々のすばらしい取り組みがあるのに、それが全体の流れを大きく変えるほどの勢力になっているとは見えません。建築とまちづくりの状況でも同じことです。
 このような状況で今必要なのは、未来を拓こうとする運動の着実な広がりがよく見えるように、それらの目指す方向を明確にしながら、さまざまな動きをそこに位置づけてつなぐことだと考えます。
 そこで新建では、三〇年の実績で何をどのようにすべきかという共通の認識が高まってきたことを基に、まず「憲章」をつくり、目的と目標をかかげました。それをさらに具体化して、共同も強めることができるように「行動指針」をつくろうとしています。
 私はそれは、未来像を現在の行動とともにイメージすることでもあると考えています。
 では、どのようにしたらそれをわかりやすく捉えることができるのか。私は、望ましい未来のイメージを持つためには「本来どうあるべきか」に戻るのが最良だと考えました。
 建築とまちづくりは本来何のためにあるのだろうか。それは、「その建築とまちのなかで生きていく人びとの生活を守り、それをより豊かにするため」にあると考えます。つまり、それ以外の動機や目的をその上に置いてはならない。つくる側の利潤追求や権威名声や自己満足などが優先されてはならないはずだ、ということです。
 新建では「そこに生きる人びと」をより簡明にして「住む人・使う人」とも言ってきました。「住む人」は家やまちに住む人であり、そこを生活の拠点とする人です。「使う人」はそこで生活を展開する人であり、そこへ来て活用する人などです。
 提案されている「行動指針」案では、六項目のすべてに「人びと」が貫かれています。人びとを主体者に(1項)、その生活の視点で(2項)、その地域で結びつく(3項)、人びとに役立つ力を(4項)、そのために自分たちの状況を変える(5項)、人びとと共に世の中を変える(6項)、という主旨です。
 今の時代の社会の仕組みのなかで増長してきている歪められた部分を、建築とまちづくりの本来のあるべき姿に変えながら発展させていくこと、つまり、「人びとの、人びとによる、人びとのための建築とまちづくり」にしていく行動を積み上げることで、確実に未来を拓いているという実感を共有することができるのだと、私は信じています。


主張 (建築とまちづくり2005年2月号

「全総時代」の終焉

片方信也
新建築家技術者集団全国常任幹事 日本福祉大学

 「朝日」(05年1月30日)によれば、国土交通省は全国総合開発計画(全総)を廃止し、06年度に新たに始める国土計画の概要をまとめた。法制度しては全国総合開発法と国土利用計画法を一つに統合する新法を3月の国会に上程する。その内容は、脱開発型に改めるというものである。
 これによって、1950年に制定された国土総合開発法に基づいてこれまで進められてきた62年以降の全総の時代は、終焉することになる。98年に閣議決定された5全総(「21世紀の国土のグランドデザイン」)に、国土総合開発法を環境管理に視点を移して抜本的に見直す方針が盛り込まれた。その後、02年の国土審議会基本政策部会による「国土の将来展望と新しい国土計画制度のあり方」に関する報告などがあり、今度の方針はこうした一連の審議の過程を受けたものである。
 この背景には、苫小牧東やむつ小河原の工業基地開発の破綻などに対する国民の厳しい批判があった。全総廃止は、こうした批判を受け止めざるを得なかった側面がある。これは基本的には全総の時代の終焉として当然の流れであり、国土交通省がその転換点であることを認めた点で歴史的な意義を持つ。
 50年代から21世紀初頭にかけての「全総時代」は、どのように総括すべきかが問われる。それを試論としてここに提示したい。
 第一に、全総は一貫して経済効率を達成する「国土改造」に最大の目標をおいてきた。どのような生活空間が望ましいかについて、国民の間にコンセンサスが形成された経過は一度もなかった。GDP(旧GNP)優先主義は、現実の生活空間の矛盾のありかから国民の目をそらせる役割を果たしてきた。
 第二に、全総は公共投資をバックボーンにして進められてきた。ゼネコンやデベロッパーなどの開発利益取得が大規模プロジェクトの形で実施され、国土は虫食い状に開発された。これにより、国土利用のアンバランスが拡大した。近年は民間資本の導入(PFI)もはかられているが、公共投資を最大の財源にして注ぎ込む流れを変えたわけではなく、PFIはこれまでの大企業本位の仕組みを温存させ、むしろ助長する役割を果たしている。
 第三に、全総は東京を中心にした巨大都市の出現をその存立の条件としてきた。巨大都市の姿こそ成長のシンボルであったのである。都市の生活空間をめぐる困難やゆがみを客観的、科学的に予測し国民の立場でそれを正面から取り上げるのではなく、都市成長の誇大予測をもって幻想を振りまいてきた。現在の「都市再生」もその延長線上にある。
 この方針転換を、手放しで楽観することはできない。先の02年の報告は、財政事情が先進国中最悪であり新規の社会資本投資の制約が厳しくなることなどを認めているが、21世紀の望ましい国民の生活空間のあり方の検討をまともに掲げているわけではない。それどころか、生活空間にかかわる内容としてはモビリティの向上に対応した広域的な地域づくりを中心に据えている。具体的には道州制のもとで高速道路、国際空港整備等の従来型のプロジェクトの計画とその事業の管轄を道州制に移していく可能性がある。これでは、次の新規の計画も住民の監視の目から今以上に離れて行く危険があるということである。また、厳しい財政の制約のもとでの効率的な工夫、施策を行うことや多様な自然との共生を目指す循環型の国土づくりを掲げる一方で、国際的な地域間競争に勝てるような国土開発の路線を押し出していることを見逃せない。
 この切り替えを、国民の生活空間の基盤として国土の安全を確保し、自然環境の保全や快適な生活を実現する都市と農村の環境回復に役立てるための機会にするには、批判と提言の活動を通して国民の世論を大きく盛り上げることが決定的に重要である。


主張 (建築とまちづくり2005年1月号

新しい専門家像の構築をめざして

大槻博司
新建築家技術者集団全国常任幹事 F.P.空間設計舎

 05年は新建第25回全国大会の年となります。前大会から1年余りが経過し、討議されたことが実践され、少しずつでも成果を持ち寄って25回大会を迎えたいものです。
 03年の第24回大会の中で強く印象に残っているのは、特別決議の中の「私たちは、住み手、使い手や住民の主体性を高め、人々とともにその要求の実現を追及し、豊かな創造活動を展開する新しい専門家像の構築をめざして、実践を重ねてきました」という認識です。そしてこれが「そのことに展望と確信を持って、積極的に広げ、連携して建築界の自己変革のために行動することは、私たちの急務となっています」という課題につながっています。この「新しい専門家像」という表現が非常に重要な意味を持っていると思います。
 今のこの不況下では、仕事がない、事務所を縮小した、廃業したという話を耳にしますが、私を含め新建の仲間には、忙しい、何とか食べていけている、という設計者の方が多いようです。この違いは「新しい専門家像の構築をめざし」て活動、仕事をしているか否かの違いであると思います。少し手前味噌になりますが、自分自身のこれまでを振り返り、検証しながら確信につなげたいと思います。
 私は大学卒業後、小規模の設計事務所に勤め、そこでは住宅・病院・店舗・分譲マンションなど比較的幅広い設計をしていて勉強になったのですが、若かったせいか、そのうちにマンションばかりを担当するようになりました。民間の分譲マンションですから、「いかにたくさん詰め込んで売れるものをつくるか」という世界に巻き込まれていましたが、その中でも、例えば開発公園の取り方を工夫して周辺への影響を少なくする、などのささやかな抵抗をしていましたし、そういうことに理解のある事務所だったことは幸いでした。また、分譲マンションをたくさんつくってきたことは、後に出てくるマンションの維持管理の仕事に逆説的に役立つことになります。
 88年、バブルの到来とともに独立し(てしまい)、数年は食べるためだけの仕事はたくさんありましたが、これは裏を返せばバブルの片棒を担ぐようなもので、仕事は最低限にして多くの時間を新建活動に費やしていました。バブルが崩壊し、そういう仕事が潮を引くようになくなって、たちまち行き詰まりましたが、新建活動を通じてバブルの反対側にいた人たちとのつながりができてきました。そこから、食べていくには心もとないものでしたが、住宅の小さな改造であったり、欠陥住宅で困っている人からの相談だったり、マンション建設反対運動であったりと、ささやかながら「人々とともにその要求の実現を追及」するような相談がくることになります。
 同じ頃、当時は見向きもされていなかった、分譲マンションの維持管理の仕事を専門にしている技術者のグループと出会いました。マンションの管理組合は、いわば宿命的に自分たちの住環境の保全、改善を課せられている居住者の団体で、住み手としての主体性を必然的に高めざるを得ない属性を持ち、この人たちの相談に乗って専門家として支援していくことは、きわめて新建的な仕事であると感じ、今も続けています。
 今のところ、何とか潰れずに事務所を続けることができていますが、これまでの活動・仕事と、その人たちとのつながりが、次の仕事につながっています。普通の人たちの要求実現の支援としての仕事がすべてであり、市場経済の中のモノづくりとは無縁のところで生きています。
 私のこれまでの経過は別に特別なものではなくて、普通過ぎるほど普通だと思います。この普通のこと、この「新しい専門家像」こそが生き残る道であることを、多くの建築家技術者に広げることが、第24回大会特別決議の実践につながることだと思います。