2019年12月号(No.491)

地方自治の危機と乗越える独自の取組み 

 

2011年の平成合併以降、地方創生、自治体戦略2040構想、と矢継ぎ早な政府の地方制度改革に自治体はますます疲弊している。本特集では「、公共サービスの産業化」という政策の危険性を指摘し、さらに官民癒着による五輪選手村用地疑惑を取り上げる。政府の施策は出生率や人口移動を見ても失敗は明らかで、各自治体は独自の取り組みを始めている。ここでは、そのいくつかを取り上げるとともに、イギリスの施策と住民運動からも学ぶ。 

・地方自治体の危機と住民自治の未来                 岡田 知弘

・オリンピック選手村用地の不正譲渡を追求する 住民訴訟

   ─  東京都と共同企業体の癒着構造                淵脇 みどり

・大都市の地域ガバナンスの変容 ─ 大阪市「地域活動協議会」を事例に  柏原 誠

・人口七〇〇人「源流の村」の取組み    和田 隆男

・県営住宅の大規模改修 ─「地域開放スペース」と

   「シングルマザー専用シェア ハウス」はできたが…        新井 隆夫

・新自由主義の都市再開発を軌道修正させた 英国住民運動        岩見 良太郎 

 

 

◆連載

・災害復興の姿


主張

アスベスト二次被害を防げ

片井克美 片井建築設計事務所 / 全国幹事会議長

 

 第32回大会で、幹事会議長に選出されました。50周年を迎えた新建は、会員が職場や地域で憲章を活かしながら活動してきたことが原点です。全国の会員や新しい執行部とともに、これからも社会で必要とされる新建を担っていきたいと考えています。ご協力をお願いします。

 11月11日、福岡高等裁判所は、九州建設アスベスト訴訟で、国と建材メーカーの責任を認め、被害者への賠償を命じた。また、「一人親方」についても同様の賠償を認めた。

 石綿(アスベスト)を使用した建材の粉塵吸引により、石綿肺、肺がん、中皮腫などの重篤な病を発症した建設作業従事者とその遺族が起こした裁判である。被害者は高齢で発症しており、九州建設アスベスト訴訟では、被害者28名のうち、23名が亡くなっている。全国各地の訴訟でも、国や建材メーカーの責任が認められているが、被告の上告により解決が長引いている。

 アスベストは安価である上に、耐熱性・耐火性が高いために、鉄骨などの耐火被覆に使用されてきた。国が耐火被覆材料として推奨した建材でもあり、1956年から2005年までに施工された建物で使用されているといわれている。

 石綿肺の危険性については戦前から、肺がんや、中皮腫にしても1972年ころには危険性が判っていた。国や建材メーカーは、建設労働者の健康を守るために、使用を禁止しなかったばかりか、その使用にあたっても十分な措置を行わなかったことが問われている。

 アスベストの使用が規制されたのは、1975年に5%を超える吹付、1995年には1%を超

える吹付が禁止となり、2004年には1%を超える材料、2006年には0・1%を超える材料が禁止となって、ほぼ全面禁止となったのは13年前だった。

 アスベストによる石綿肺、肺がん、中皮腫などは潜伏期間が平均40年で、今後被害者の数はますます増えていくといわれている。この裁判を支援してきた福岡県建設労働組合や弁護団などは、国や建材メーカーは責任を認め、全面解決のための補償基金制度の創設による救済を行うべきだと呼び掛けている。

 アスベストは耐火被覆のみではなく、混ぜると耐久性が増すとして、塗料、下地処理材などの左官材料にも混入させていた。見えないアスベストが多くの建物に使用されている可能性が高い。

 現在、建物の解体等を行う場合は、「大気汚染防止法」で、アスベストを含む特定建築材料について調査や届け出を義務付けている。しかし、そのなかには、塗料や下地処理材などは含まれていない。コンクリートの解体にともなう粉塵にもアスベストが混入している可能性があるが、大気汚染防止法では規制の対象となっていない。先日、目撃した解体現場では「石綿障害予防規則に基づく石綿使用の有無の調査を行った結果、当現場では石綿を使用しておりません」との掲示が行われていた。調査方法は、「現場での目視確認等」となっていたが、塗料や下地処理材に含まれる石綿(アスベスト)は目視では確認できない。

 現在の規制については、各自治体で対応があいまいである。熊本県では、既存建物の外部足場の審査には、アスベスト調査が前提となっていると聞く。塗料や左官材料への混入は、現場で含有調査を行わない限り把握できない。調査には15万円ほどの費用が掛かり、対応があいまいなままでは確実に行われる保証はない。建設労働者と近隣住民への影響が懸念される。

 アスベストは国が推奨してきた建材であり、対策にも国の責任で行う必要がある。各地で再開発による解体や建物改修が盛んにおこなわれているが、既存のアスベストによる二次被害はないのか、十分に注意したい。


奈良支部 ─ 実践報告会と記念講演

     「建物調査で、何を見て、何を考えているか」

  日時:2019年9月29日()  

  場所:奈良県文化会館

  参加:6名

 

 奈良支部実践報告会が9月29日、奈良県文化会館にて開催され、6名が参加しました。仲間が情熱を持って取り組んでいること、生活するなかで楽しく豊かさを感じていること、失敗しての苦い思い出話など。

 テーマは自由に、時間を意識しないでとことん話し合える場として企画しました。報告者は5名でした。発表時間は十分あったはずでしたが議論が弾み、終盤の発表は駆け足となり二次会に突入してしまいました。

①「ユニバーサルデザインについて」バリアフリーは、障害のある人が社会生活をしていく上で障壁(バリア)となるものを除去するという意味ですが、ユニバーサルデザインは、あらかじめ障害の有無、年齢、性別、人種にかかわらず多様な人々が利用しやすいように都市や生活環境をデザインする考え方で、人の心のバリアを具体的に解消するための意識改革が求められている。

②「日頃現場で心がけていること」現場に整理棚を設け道具を分かりやすく分類することで、作業が円滑に進められる。また、作業の合間には清掃を欠かさない。それは次の作業をスムーズに進めるために必要なことでいつも心がけている。

③「釣りにいく」建築とは直接関係ない話になりますが、気心の知れた仲間と三重県の尾鷲に大物のマグロ釣りにいった時、大型マグロを仲間との協同で釣りあげることができた。日頃の仲間との生きた関係が仕事上にも反映されていると思うと、趣味と実益を兼ねた話。

④「仔やぎのおでかけ」仔やぎを連れてよく散歩をするが、入れるお店は限られてしまう。あっても小動物しかダメだと言われる。ペットとの社会生活での不自由さを感じている。

⑤「奈良町長屋暮らし」新建材を多用した建築にはいささかうんざりしていたところ、縁あって奈良町の古い長屋を借りることにした。奈良町での暮らしは新たな住民との出会いもあり、野菜を育てる楽しみもあり、不便だけれど豊かな暮らしとはなにかを見つめなおす機会となっている。

 次に10月6日に大和郡山交流会館にて開催された、新建奈良支部総会に合わせ、奈良支部代表幹事の上野邦一先生(奈良女子大名誉教授)の記念講演を行いました。参加者は9名でした。

 テーマは「建物調査で、何を見て、何を考えているか」です。初めに学生時代のお話から、岐阜県と静岡県の古民家調査に携わったことがきっかけで「時間が蓄積してきたものを壊すことに疑問が日ましに強くなった」とのこと。民家の調査を経験したことで、痕跡の手がかりを組み合わせることにより、過去の事実にせまる楽しみを知ることができた。建物を見る場合は、楽しむことで、なにが綺麗でかっこいいかをよく観察し、細部の意匠を見て感じることが大切である。建物は時代とともに変化し、特に細部の意匠は変化すること、その様相を探ることが重要である。そのことにより相対的な位置づけが可能となるので、一つの建物だけを見て価値判断することは困難である。

 調査作業は、図面の作成から始まり、調書を作成。そのためには、建物の特徴を把握し、次に建物の痕跡をたどることで建物の遍歴を探ることができる。調査書の作成にあたっては、対象建物の特徴をつかむために正しい知識が必要になる。たとえば①裳階(もこし)、薬師寺の五重の塔を例に見ると六層に見える塔だが、実は三層で各層に裳階がつくことで六層に見える。裳階は建物本体とは別構造で裳階を取っても本体構造は維持できる。②組物は、柱から軒先までの軒が深く建物の陰影を濃く建物を美しく見せている。そのために肘木と斗を幾重にも組み合わせて桁を載せ、その上に瓦を載せ、屋根を支えている。③建物の規模を表す間面記法(かんめんきほう)の「間」とは、建物の中心部分で梁がかかった空間を身舎といい、その身舎の桁行方向の柱間数を言う。「面」とは身舎のいくつかの辺に庇がかかっているかをあらわす等々、古代の建築を考える上での基礎となる。

 「痕跡」をたどることは、建物の修理の過程を探ることで、その後の修理の過程、当時の間取りや構造の変遷を痕跡が示していることに注視してほしい。たとえば千葉県の成田山新勝寺の光明堂は現在、半分土間で奥半分が床張りになっている。それは、本堂を建てた時、旧本堂の光明堂が移設された際、全面床張りであったものを半分土間にした例で、柱には一定の高さで縦長の木が埋め込まれている痕跡がある。これは、もとは通常の仏堂であったものを移築の際に前半分を土間にした例です。このように痕跡を探すことにより、過去の事実を明らかにすることができる。

 古民家調査でも、特に痕跡から民家の変遷が読み取れると同時に、その当時の生活を読み取ることができ、逆に言うと生活をイメージしないと民家の復元ができないことを学ぶことができました。

(奈良支部・乾安一郎)


岡山支部 ─「西粟倉村~大原町」見学会 

  日時:2019年10月12日(日)  

  場所:西粟倉村周辺

  参加:4名

 

 去る10月12日(土)、かつて政府主導で行われた2004年の〝平成の大合併"と言われる市町村合併を拒み、〝自立した村づくり"を目指して生きる道を選んだ西粟倉村周辺の見学会を開きました。

 あいにく、この日は台風19号が静岡県に上陸した日で、前日に智頭急行線と新幹線の午後からの運行休止が決まっていて、工事現場の台風対策に追われる方や兵庫県から列車で参加予定の方などが急遽参加できなくなり、総勢4名での見学会となりました。

 参加メンバーは車に同乗し、西粟倉に11時半頃に到着しましたが、風雨が強まっていました。まずは、道の駅「あわくらんど」に行き、2018年に建設されたCLTパネル工法のトイレを見学しました。CLT積層材を使った建物でも構造材として使用した例は国内ではまだ少ないのですが、この建物は、構造材として杉積層パネルを梁とともにダイナミックに構成して美しく仕上げていました。

 「あわくらんど」で昼食をとった後、この日の主目的である地元産材のヒノキを使った家具を中心に製作する木工房「ようび」を訪ねました。案内は「ようび建築設計室」(建築設計事務所も併設されています)の与語一哉さんにしていただきました。創業時の「ようび」の工場の建物は、2016年1月の火事により全焼しました。当初再建は困難だと思われていたのですが、90㎜角の杉材をつないでいくツナギ工法というユニークな工法で、2018年5月に工場とショールームを完成させました。

 まずショールームを見学させていただいたのですが、ツナギ工法の空間が広がります。同じ形状に加工された杉材を組み合わせていくこの工法は、素人にも組み立て可能ということで、多くの一般協力者の参加により組み上げられたそうです。将来認定工法を取得すれば多く使用される可能性を秘めていると感じました。また、展示されている家具も桧などの地元の素材を中心として製作されていて、木目の揃った無節の桧材を加工した家具がこんなに美しいものだということを改めて認識させられました。また、一般ユーザーが宿泊体験できるようにウッディーな浴室や洗面所を備えていることもユニークでした。

 次に、台風のために家具工場が操業されていなかったため、特別に内部見学させていただきました。家具専用の木材が整理されて積み上げられ、加工機が整然と並んでいました。椅子の背板などの曲面が必要とされる部材は、無垢の木材の削り出しで製作されています。また、2階の会議や飲食会に使用されているガラス張りの美しい部屋も見学させていただきました。建物の内外装の所々に足場板などの古材が使用されており、新しい木材と絶妙のバランスを保っていました。建物、家具とも大変参考になるものを見せていただいてありがたかったです。

 その後雨と風も治まり、次の見学地の旧影石小学校(木造校舎)の教室を利用したローカルベンチャー企業の店舗を見学しました。雑貨屋や食べ物屋さん等が入居しているのですが、私は、そのなかの一つ、燗酒名人の女性店主が経営している日本酒販売店「酒うらら」で鳥取県若桜町(伝統的町並みがある)の銘酒「辨天娘」を購入しました。次に、美作市大原町古町の旧因幡街道宿場町の伝統的町並みを見学して帰途につきました。

(岡山支部・赤澤輝彦)


埼玉支部 ─「江戸東京たてもの園見学会 

  日時:2019年10月19日(土)  

  場所:小金井市江戸東京たてもの園

  参加:3名

 

 10月19日(土)11時、埼玉支部主催の江戸東京たてもの園見学会を開催し、3人が参加しました。

 

 江戸東京たてもの園は都市公園である小金井公園(一部が小平市、西東京市、武蔵野市にまたがっていて80haの広さ)内にり7haの広さがあります。三つのゾーンと、屋外展示物からなり、旧武蔵野郷土資料館から引き継いだ物も展示されています(吉野家住宅、光華殿ビジターセンター、鍵屋など)。1993年の開館です。西ゾーンは、山の手通りに面した住宅、武蔵野の農家10棟、センターゾーンは歴史的建造物6棟、東ゾーンは下町の街並み14棟、計30棟が再現されています。建物ごとに説明員が配置されていて、詳しい説明をしていただきました。

 まずは、センターゾーンのビジターセンターの展示室で「小出邸と堀口捨巳」の展示を見学しました。ここには、昭和初頭建立の「紫烟荘」の写真、図面などの資料が展示されており、図面の美しさに感動しました。もちろん撮影禁止でした。30棟全部見るのは時間の都合上不可能なので、三井八郎衛門邸、前川國男邸、高橋是清邸を重点的に見学、ほかの建物はざっと見ることにしました。

 まず三井財閥総領家11代三井八郎衛門邸です。主屋は明治39年今井町(現港区)に建立されましたが、戦災で焼失後、昭和27年麻布笄町(現西麻布3丁目)に新築されました。これが寄贈され1996年にたてもの園に復元されました。材料などは、京都油小路、大磯、世田谷用賀・今井町から集められました。和洋折衷の建物で、北側が鉄筋コンクリート造、南側が木造で、境が中廊下になっています。建物内部の1階玄関ホールにアールデコのフランス工芸家ルネ・ラリック作の球形の天井灯が、入側西南壁に桂離宮を意識した櫛形窓があります。隣接している土蔵は明治7年建立。江戸時代は絹蔵であったと伝えられています。今日まで3度の改修を行っていて、外観は創建当初、内部は戦後の西麻布のままとしています。柱材は埋め木が結構多くみかけられますが、これは明治以前のものが使用されている可能性が高いです。

 次に前川國男邸です。太平洋戦争真只中の昭和17年に竣工しました。資材の調達が厳しいなか、しかも述べ面積100㎡以上の住宅が法律で規制されていたなかでの工事でした。この建物は三つの時期に分けることができます。まず、1942年〜1945年:自邸、1945〜1954:事務所兼自邸(1945年に設計事務所が戦災に会い焼失、1954年銀座のMIDビルが完成するまで)。1954年〜1973年:1956年に耐震補強、台所増築、犬飼育のため居間床の変更など実施。1973年軽井沢別荘へ解体されて保管。1996年に復元されたときは、解体された材料が使用されました。平面計画は吹き抜け居間の大空間を中心に、それを挟むように各々寝室ブロック、書斎ブロックを配置して、5寸勾配の大屋根が架けられています。居間入口の襖を使用したヒンジドアは当時としては珍しかった建具です。鉄砲階段で上がる2階の床を支える根太の先端は成を小さくして、軽やかに見える工夫がしてあります。説明員の方から、「この建物は耐震補強のため、来年から閉館になります。いい時にきましたね」と言われました。

 最後に高橋是清邸です。1902年(明治35年)に建物が完成。本所押上に住んでいた是清は赤坂へ移り住み、1936年(昭和11年)の2・26事件で暗殺されるまでの34年間生活しました。是清は1854年(安政1年)江戸の芝で生まれ、その後、仙台藩士の高橋家へ養子になります。14歳で藩からアメリカ留学を命じられ、渡米。その後まもなく明治維新を知り帰国しました。その後職を数回変えて、39才で日本銀行に入社。58才で日銀総裁、その後大蔵大臣、農商務大臣、総理大臣を歴任しました。建物全体に化粧材として栂が使用されています。ガラスは表面がゆがんでいる初期のものです。主屋は仏間とその前室を除く和室には床の間を配置し、1階の二間続きの10畳は縁側を通して南の和風庭園と連続しています。

(埼玉支部・菅野茂)


三重・愛知支部 ─ 合同企画わが町見学会

        三重 「いなべ市北勢町阿下喜のまちあるき」 

  日時:2019年10月20日(日)  

  場所:いなべ市北勢町阿下喜

  参加:10名

 

  10月20日(日)阿下喜まちあるきは参加者10名で行いました。

三重・愛知合同企画で支部間の交流ができて良かったです。案内は、地元で川瀬開発不動産および丸正建設有限会社を営む川瀬正人さん(三重支部)にしていただきました。

 いなべ市は人口約4・6万人、面積220㎞2。名古屋市から車で50分のところに位置し、三重県の北端です。西側に藤原岳を望み、それを超えれば近江の国、北には養老・関ケ原があります。東の桑名と阿下喜を結ぶ20㎞の三岐鉄道北勢線は、線路幅がJR在来線より300㎜狭いナローゲージで、全国では三路線しか残っていない路線です。黄色い車両がゆっくりと、ブロック積のめがね橋・ねじり橋の上を走る姿は、鉄道ファンや地元の人に愛されています。

 その阿下喜は昨年、終着駅サミットを開催、新庁舎(日建設計)完成、高速道路インターも建設中です。また、新しいオーナが古い建物を磨き直した再生建築が増えています。上木食堂は地元旅館の解体を聞いた若者が、名古屋のシティボーイを誘って作ったお店です。また、昭和12年に建築された旧阿下喜小学校校舎を保存活用する「桐林館(とうりんかん)」阿下喜美術館では地域おこし協力隊から転身した方がカフェ経営しています。新いなべ市役所横には「にぎわいの森」もできて、おいしいパンのお店などが軒を連ねます。雄大な山々とともに生きている三重県いなべ市北勢町阿下喜を、地元の川瀬さんとともに歩きました。

 阿下喜まちあるきの行程は、阿下喜駅〜栄町通り〜大西神社〜にぎわいの森・新いなべ市役所庁舎見学〜上木食(昼食・オーナー松本耕太さんのお話を聞く〜桐林館(コーヒータイム・いなべ市教育委員会の三品さんが再利用経緯など解説)〜岩田商店ギャラリー(鈴鹿市のキャンドルアーティスト行方兵伍さん個展)〜遊木館(木製建具職人の木村修さん・八十八歳の現在は木工作家〜家具工房クオリ(澤裕司さんの工房見学)夕方からは民家を改修した自然「千とせ」にて、市川史明さん(三重支部)とも合流できました。

 栄町通りでは、古民家や酒屋の空き家を再活用すべく動いている川瀬さんの活動を聞きながら、立派な空き家に驚きました。大西神社は山車小屋や立派な社があり、地元祭の拠点で阿下喜のもっとも西側に位置します。上木食堂は、旅館厨房をそのまま厨房にしてカウンターの雰囲気をそのまま残し、床のクッションフロアも残すなどのセンスある松本さんから移住者としてのお話をお伺いしました。大家さんや地元材木店の方々に助けられながらお店をオープンするまでの経緯や、阿下喜の若い移住者とのつながりの話をしていただきました。今では地元の集会の場として大活躍のようです。若い農園の方などとともに法人化していて、料理は自然野菜中心のお年寄りから子どもまで喜ぶおいしい料理でした。

 桐林館では焙煎士の帖佐真之介さん(当日不在)こだわりの中国産コーヒーをいただき、教育委員会の三品さんとともに交流しました。机はそろばん塾から譲りうけたことや、これからの耐震の課題・活用方法の広げ方など話をしました。当日のお昼は待ち時間が必要なほど込み合っていて、若い女の子が木造校舎の廊下でインスタ写真を撮影する風景などが見られました。桐林館は国登録有形文化財に指定されています。

 木製建具職人・木村さんには即席木工教室を開いていただいたり、アーティスト行方さんにカラフルな作品や炎のゆらぎなどを解説いただき、みんなで家具工房から見える藤原岳と三岐鉄道を眺めました。

 川瀬さんも岩田商店も上木食堂も桐林館も遊木館もみんなつながっているようです。30代の若い方たちや80代のベテラン職人さん、阿下喜のたくさんの魅力ある人と建物や作品、食事にたくさん元気をいただきました。

(愛知支部・黒野晶大)