2017年12月号(No.469)

住まいの貧困と向き合う建築家技術者

 

戦後の国土開発や繰り返された市町村合併により、日常生活の共同体的な力は弱まり、行政依存の意識構造がつくり上げられた。成長信仰は競争的環境を生み、個人主義が嵩じて人々の孤立が深まっている。こうした状況を脱して、心情の通う共通の場と人間らしい生活にふさわしい空間を再構築する試みが各地で続いている。本誌連載の「新日本再生紀行」執筆者の座談会を軸として、都市と農村を貫く「地域の包容力」を視点に、コミュニティ再生の課題を追った。

 

・居住貧困に建築技術者はどのように立ち向かうか                中島 明子
・やさしい居場所を地域に埋め込む                       東 由美子
・建築士会による福祉のまちづくり

-住まいづくりはADLからQOLへ まちづくりは地域の町医者的な建築士の手で   中村 正則
・様々な課題を抱えた人々の住まい

-女性支援の場面からみる「施設」と「住まい」の間               大崎 元
・新たな住宅セーフティネットと地域の家づくり 坂庭 国晴
・〈インタビュー〉住宅セーフティネット法改正をどう生かしていくか       小林 秀樹

 

◆新建のひろば

・復興支援会議──「福島県浪江町視察」の報告

・「関東大震災メモリアルシンポジウム」の報告

福岡支部──新建学校「今あるモノを革む」の報告

岡山支部──例会「今、あらためて触れる北欧デザインA・アールトとG・アスプルンド」の報告

東京支部──「豊洲新市場・オリンピック村開発問題についての勉強会」の報告

京都支部──「綾部市里山交流研修センター森もりホール見学会」の報告

・復興支援会議ほか支援活動の記録(2017年10月1日~ 11月30日)

 

◆連載

《英国住宅物語10》マスハウジングの時代 高層化、工業化、メガストラクチュア    佐藤 健正

《創宇社建築会の時代29》新日本建築家集団(NAU)の結成と活動           佐藤 美弥

《普通の景観考2》京都・壬生                            中林 浩

   

主張『被災者が築いた新しいまち「あおい地区の復興」から学ぶ』

新建宮城支部/新建全国会計監査  岩渕善弘

 

 先月末に開催した新建第三十一回全国大会は、新たなスタートをきり方針と役員を決定した。
 一九七〇年の創立から、節目の五十年を二〇二〇年に迎える。
 当時、公害・環境、まちづくりなど住民要求に応えられる建築家・技術者の全国組織をのぞむ声の高まりから新建が創立された。
 地域に根ざし、住む人・使う人の立場で専門職能を生かし、全国二五の支部と十一の連絡先を持ち、建築家、大学研究者、行政職員、住まいとまちづくり技術者などで構成されている。
 二〇〇〇年に、「六つの憲章」、①建築と社会②住む人使う人との協同③建築の伝統・理論と技術・創造④専門性⑤分野間交流⑥生活と文化/自由と平和、を採択している。
 憲章第二は「地域に根ざした建築とまちづくりを、住む人使う人と協同してすすめよう」とある。
 会員の近年の実践に、建設分野の政策形成や諸課題解決に大いに参考となるモデルがある。
 一つは、新建叢書出版である。建築とまちづくりの実践から得た知識や経験を伝え、ともに考えるという趣旨による出版である。
 第一号は、NPO集合住宅維持管理機構主任専門員である大槻博司会員の著書『大規模修繕どこまでやるのいつやるの』である。
 住む人の疑問に応えながらマンション修繕「これは必要な修繕、これは不要な修繕、この本で少しだけ勉強してください」の奮戦記といえる。
 六三四万棟一五一〇万修繕費六千億円市場のマンション居住者が「長く快適に住み続けるため、住む人使う人との協同」作業への挑戦である。
 新建は、今後、「豊かな保育空間」、「京都のまちづくり」などの叢書の予定がある。
 二つは、東日本大震災からの復興顛末である。
 すべての日常が流されもどる地域を失った東松島大曲地区六百世帯の、住む人使う人の協同に寄り添った「あおい地区」の復興まちづくりである。
 NPOとしまち研編著「東日本大震災からの復興まちづくり」(防災集団移転・災害公営住宅整備)の記録集。
 東松島市と特定の係わりがないなかでの、大曲地区への防災ラジオ寄贈が縁の始まりとなる。
 としまち研は阪神淡路の教訓から、短期・中期・恒久住宅移行の各課題やコミュニティに根ざした住宅再建(生活再建)などのノウハウをポイントに取り組んできた。①技術的信頼や被災者との信頼構築②コンサルタント契約③なにを業務とするか、について行政との協議から始まった。
 当初、市との協議は難航したが、二転三転したがめげずに指示された業務「点在仮設住宅に赴き大規模な意向調査、防災移転事業への被災者への説明」など、困難な移転前調査に着手した。
 被災者間の意見の対立や一致と不一致を議論し、一歩一歩前に進め、やがて共同(コーポラティブ)作業が開始した、と丁寧に報告している。
 できたこと七項目、できなかったこと五項目、復興まちづくりに残せた五分野と十六項目の詳細な成果がある。コミュニティをもとにしたコーポラティブ方式のまちづくり、争うことより譲り合うことでつながる関係、住民の成長、行政の成長、それぞれの変化など、学べることがこの記録集には多い。
 復興の取り組みには、多くの制約や複雑・困難な課題が突然発生する。「東日本大震災の被災地における市街地整備事業の運用(ガイダンス)」や「復興まちづくりの進め方(合意形成ガイダンス)」など政府の政策集があるものの、その運用は現場の力量と裁量に委ねている。個人情報保護や守秘義務、公平性などの制約もともなう。そうしたなかで住民組織・協議会の設立など、多岐にわたる難題に、必死で築いた「新しいまち」への取り組み記録である。
 震災から間もなく七年、復興の見落しは複合災害、復興災害(二次災害)を招いている。未解決のまま年を越す。

 


  

「建まちひろば」より

[福岡支部]- 新建学校−福岡2017「今あるモノを革(あらた)む」

  講師:伴年晶氏

  日時:2017年9月30日(土)18:15~20:30

  場所;アミカス2階 視聴覚室  福岡市南区高宮

 講師にお招きしたのは、新建大阪支部の代表幹事で、建築家の伴年晶さんです。

伴年晶 様

 

 先日は、福岡支部主催の新建学校講師としてお越しいただきまして、ありがとうございました。

勉強熱心、且つ好奇心旺盛な仲間が集まる福岡支部では、毎月様々な魅力ある例会が企画されています。大いに学び、語り、建まち10月号で大坪さんのご紹介の通り、例会後の美酒に会員相互のつながりを深めています。

 思い起こせば2016年、吉野の研究集会分科会で、初めてお話をお聞きする機会を得ました。

その時から、このわくわく感を是非福岡の仲間で共有したい。その時の思いが、今回ようやく実現致しました。

 9月30日、高宮のアミカスにて、6時15分開始。会員14名、会員外7名、計22名の参加を得ていよいよ新建学校が始まりました。

 

 今回のお話の中から、特に心に残りましたものをいくつかお伝えしたいと思います。

(いただきましたレジメを掲載した方が、私の拙い文章よりも強い響きがあるとわかっておりますし、

 話した事とずれていると、お叱りをうけるかもしれませんが、そこはお許しくださいませ。)

 

①設計はリズミカルな対話。建築はそこで生まれる。

 建築設計は対話。どれだけ相手の生活、感情のリズムに合ったものを出せるか。それも対話の中で、キャッチボールができるか。

 打合せの時は、いかにも建築家ムード、ではない雰囲気のファッションだそうですね。相手が構える事もなく、ごく普段に近い気持ちで会話が出来る。気を許し始めた相手から、本音がちらちら。様々な相談相手の思いを引き出し、対話の中で方向性を導いていく。

投げた言葉が受けとめられて、カタチになって戻ってくるこのリズミカルな時間の、なんと魅力的なことでしょう。こんな対話には、経験と準備もさることながら、伴さんの人間力あっての事だと,改めて感じております。

②目的と手段の幸せな結合は、その時空における固有の存在

時代をどう読むか、場所をどう読むかが、個性的デザインの根源である。

フリースペース「風曜日」。革められた古い商家が風を呼び、町へと流れていく。デザインは形ではないと、妻側の雨よけで教えていただきました。必要なものを探り出す力と、その表現の深さ。

 

③仕事の方向

 ・いじらない

 ・少しだけいじる

 ・ちゃんといじる

 ・点晴

お話をうかがって、既存の建築を判断する事の大切さを、あらためて感じています。と同時に何を相手が求めているのか、受けとめ、整理し、方向を決めることも。

いじらないところも、点晴で生まれ変わった空間から及ぶ空気感の流れで、呼吸を始める事も。

 

 2時間半という限られた時間でしたが、集まったみんなが充ちた時を共有し、これからの仕事に向かう思いに嬉しい課題ををいただいた、そんなひと時でした。お決まりの、場所を替えての懇親会では、近くでお話をしたいという福岡支部女子席(すみません。元女子も入っております。)の中で、科学と感性の事から、ご飯の炊き方まで、あらためて、伴さんの深さを垣間見たような気がいたしました。

 あの時間を振り返って、日頃から駆け足で仕事に向かっている私自身を、「革めなければ!」と力をいただいた新建学校でした。

 

 伴さん、本当にありがとうございました。

(福岡支部 矢野安希子)


[岡山支部]-  「今、あらためて触れる北欧デザイン

           A・アールトとG・アスプルンド」の報告

  日時:2017年10月3日(火)

  場所:ギャリー木陽(VANS岡山事務所隣のフリースペース)

  参加者:9名(会員外含)

 

去る 10 月 3 日(火) 19 : 00 〜、ギャリー木陽(VANS岡山事務所隣のフリースペース)において、岡山支部例会が開催されました。

 今回の講師は、支部会員の横田都志子(㈱ユニタ設計室)さん。去る9 月 5 日(火)〜 9 月 13 日(水)の(一社)エコハウス研究会研修企画・実施の「今、あらためて触れる北欧デザイン A・アールトとG・ アスプルンド」と題された北欧旅行に参加されての報告会です。参加者は、会員外の方も含めて9 名でした。旅の概要説明をした後、プロジェクターを使い、写真と図面をスクリーンに投影しての進行となりました。

 

 グンナール・アスプルンドが スウェーデンのストックホルムで、アルヴァ・アールトがフィンランドのヘルシンキで設計された建築を中心に見学する旅であったようです。

 G・アスプルンドについては、耳慣れない方が多いかと思いますが、1885年生まれのスウェーデン人の建築家で、アルヴァ・アールト、アーネ・ヤコブセンなど北欧の20 世紀の建築家たちに多大な影響を与え、北欧近代建築の礎を築きました。代表作の「森の墓地」は、広大な敷地に火葬場や礼拝堂が配置され、生涯を掛けて設計に携わったもので、ユネスコの世界遺産に指定されています。その「森の墓地」を皮切りに見学の旅がされたようで、代表作である「ストックホルム私立図書館」「夏の家」などの紹介がされました

 

 次に、A・アールトについては、馴染みの多いフィンランド人の建築家で、木や煉瓦を多用した有機的な建築スタイルは日本でも人気が高く、モノ創りの参考としている設計者も多いのではないかと感じます。その自邸やアトリエ、複数の教会とともに「厚生年金会館」などの紹介がされました。

 

  横田さんは、特に好きだった建築を以下のように説明されました。G・アスプルンドの「夏の家」では「湖を見るために主寝室兼書斎は軸線からわずかに振っていて、アスプルンドの孫にあたる女性が大切に住み継いでおられた」。次に、木造教会の写真について「建築家知らずで、大工の棟梁が教会ってこんなもんかなと見様見真似で建てたものとの説明でした。武骨な木の使い方のなかに温かみがあり、キリストや天使の壁画も妙に可愛く描かれておりました」。そして、赤レンガの写真のA・ アールト設計「セイナツァロの村役場」は「中庭を囲むヒューマンスケールの空間は見飽きない魅力を湛えています。手すりやドアノブに至るまで建築家の美意識が通底していました」。 そしてもっとも感動したことは、団長の丸谷博男さんが毎朝、前日見学した手描きのダイジェスト新聞を配達してくださったことだそうです。

 

  岡山支部では月一度のペース(目標)で、例会、見学会、懇親会、読書会などの企画を行うようにしています。今回のような具体的な建築を学ぶ勉強会ですと、会員外の比較的若い人も呼び掛けると参加してくれます。 例会とともにその後の参加者有志による懇親会で、それぞれの建築に対する考え方の話などをすることができ、今回も有意義な企画となりました。

(岡山支部・赤澤輝彦)


[東京支部]- 「豊洲新市場・オリンピック村 開発問題に

                ついての勉強会」の報告

  日時:2017年10月12日(木) 18:30~20:30   場所:都市住宅とまちづくり研究会 会議室

  講師:岩見良太郎氏、遠藤哲人

 

 10 月 12 日の「豊洲新市場・オリンピック村開発問題についての勉強会」は、16 名の参加で行いました。

 講師の岩見良太郎(埼玉大学名誉教授)さん、遠藤哲人さん(NPO法人区画整理・ 再開発対策全国連絡会議事務局長)のお話は大変貴重で、もう少し多くの皆さんに参加してもらいたかったです。

 

■東京都は区画整理を利用して東京ガスに特別な利益を与えた

  岩見先生からは、豊洲新市場の用地創出にあたって行われた 区画整理の実態をお話しいただきました。東京ガスは自ら汚染した豊洲埠頭の所有地について、後利用の開発計画も持っており、処分の意向はありませんでした。しかし東京都が、防潮護岸整備費(440億円)の肩代わりや区画整理事業の換地変更で、東京ガスの所有地を汚染地から汚染のない土地に換地するなどの便宜をはかり、豊洲新市場用地が創出されました。

  なお、区画整理事業で東京ガスの所有地は、汚染除去を前提に汚染地のない土地として評価されています。その裏で、東京都は汚染対策費の大半(結果的 に780億円)を肩代わりする協定書を東京ガスと交わしており、岩見先生の試算によると東京ガスが得た利益は1100億円に上ります。

  区画整理事業の照応の原則を無視していること、汚染地の扱いについて区画整理審議会がチェック機能を果たしていないことなど、事業の進め方に大きな問題があると思われます。

 

■オリンピック村整備に絡めた「書類再開発」で都有地をディベロッパーに投げ売り

  遠藤さんからは、オリンピッ ク選手村の整備と絡めた、たたき売りとも言える都有地処分の実態をお話しいただきました。 こちらは、東京都知事が「再開発」という「トンネル」を使って都議会や財産価格審議会をスルーし、結果として周辺相場の10 分の 1 程度の値段(129億 円)で都有地をディベロッパー に処分してしまいました。実に1200億円の値引きです。「これは再開発ではない」という指摘には、一同大いにうなずきました。

  個人施行の再開発事業の適用や特定建築者制度の活用など、巧妙な手口で脱法的な公有地処分が行われています。遠藤さんからは入手した資料を実務者の視点で見てほしいというリクエストもいただきました。

 

  どちらの問題も、東京問題研究会で詳細に内容を把握し、さらなる問題指摘の支援ができればと思います。

(東京支部・松木康高)


[京都支部]- 綾部市里山交流研修センター

             森もりホール見学会」の報告

  日時:2017年10月21日(土)

  場所:綾部市里山交流研修センター

 

 綾部市里山交流研修センターは、京都府の北部に位置する綾部市における農村都市交流の拠点として、閉校となった旧綾部市立豊里西小学校を活用して平成 12 年に開設されました。

平成26 年にスタートした京都府と府中部にある 6 市町が連携して豊かな森林の保全や、森林資源を活用した交流促進に取り組む「森の京都」の核となる施設として位置づけられました。しかし、平成 26 年 8 月の豪雨によりセンターの一部が土砂災害を受け、 旧体育館等の解体撤去に至ったことから、交流機能の回復となお一層の充実に向けて、地域産 材をふんだんに使用した、「森の京都」のシンボルともなる「森もりホール」を含めた綾部市里山交流研修センターの再整備が行われました。

 

  10 月 21 日、新建築家技術者集団京都支部では、森もりホールを設計された「むぎ設計工房」のご案内で見学させていただける 機会を得ました(参加者 13 名)。 設計プロポーザルで選定され設計監理を行うにあたり大切にされたことは、古い小学校の環境を引継ぎながらセンター全体の魅力を高めていくこと、できる限り京都府内産の木材を使用することでした。

 

  見学当日はあいにくの雨で少し肌寒い気候でしたが、皆和気あいあいと見学を行いました。 建物は内も外も木がふんだんに使用されており、特にホール内の木の存在感は圧倒的です。柱はヒノキ、梁は杉を使用し、すべて京都府内産の木材を使っています。建物内には杉やヒノキのすがすがしい香りが漂っていました。また一部に一般に流通している材よりも長い、6mを超える材を多く使っており、その調達と乾燥には大変な苦労があったとうかがいました。ホール内はさまざまなイベントに使用できるように、大空間として設計されています。その構造は、棟にキール梁を使用し、その荷重を支える 4 本組の組み 立て柱で作る大きなアーチを基本骨組みとし、さらに勾配が違う2 つの屋根をハサミ梁で構成しています。外観で印象的なのは、勾配が違う2 種類の屋根で構成された、建物を印象付ける独特な形状です。壁から張り出す柱と梁、木の存在感を感じさせる構造と意匠が一体となった デザインが採用されています。

 

  建物の前には芝生が生えた広場があり、その広場に向かって建物のほば間口いっぱいに開放できる建具があり、隣接する広場と一体となって使用することができます。その間にある階段も緩やかで幅が広い階段になっていて、客席としても使うことができそうです。

  さらには野外調理体験施設が 森もりホールに隣接して設置され、ここには流しが用意されています。また、有料でバーベキ ュー用の道具も借りることができ、緑の山々を見ながらバーベキューを楽しむことができます。 あいにくの雨でしたが、屋根があったためバーベキューを楽しむことができました。

  利用方法から発想を得たダイ ナミックな空間計画とそれを支える構造架構計画、それぞれの良いところがうまく組み合わさってできた素晴らしい建築でした。

 (京都支部・瀬尾真司)


[復興支援会議]-  「福島県浪江町視察」の報告

  日時:2017年9月25日(土),26日(日)

  場所:二本松市から浪江町

 

 9 月 25 、 26 日、参加者 9 名にて、避難地の二本松市から浪江町を巡りました。浪江町民は東日本大震災とその後の放射能汚染を逃れ約2万1000人の全町民が町外避難をしました。

 すでに6 年半が経過し、一部の地 域は2017年 4 月に避難解除となりましたが、元の町に戻る人も僅かで(住民登録者1万8173人中帰還者286人、町広報 9 月号による)ほとんどの住民はもどっていません。

今回は福島大学の間野先生のご尽力により、復興が進む半面、深刻な問題もはらんでいるといわれている現地の状況を直接見聞きしてきました。

 

 全行程   二本松市〜浪江町

 

【 9 月 25 日】

●二本松市石倉公営復興住宅 (300戸入居開始済)

 新町 なみえ住宅開発(積水ハウス 全 65 区画分譲販売中)

浪江に戻れない人々が町外コミュニティーづくりを目指している。現地案内をしていただいた浪江町商工会原田雄一氏は、住宅地内に浪江の人たちが憩える貸店舗を建築した。自らの店と貸店舗部分に飲食店を誘致し、町民の憩いの場を提供したいと尽力している

 

●二本松市安達運動場応急仮設住宅

全戸数約250戸のうち現在は40 戸あまりが居住しているが、10 月 3 日限りで退去要請が来ている。集会所で住民の方々約15 名と懇談し、震災直後からの大変な苦労をお聞きする。家族が別れて暮らしているケースも多く、子育て中の若い人たちの多くは職場のある地域に住んでいる。農業をしていた方は、「もう農業はできない、あきらめている、高齢化して体が弱ってきているのでどうしようもない」などと不安な心境を語っていた。

 

●NPO新町なみえ事務所にて

浪江町商工会長の原田雄一氏から震災直後以降の話を聞いた。商工会長として皆で帰還できるようさまざま試みたが、元の浪江町には戻れないとの結論に達 した。しかし「浪江人」としてのアイデンティティーは持ち続け、古くからの祭りや、10 日市と呼ばれる市なども浪江の町で復活を計っている。全面帰還が不可能な理由の一つとしては、商工業者のうち特に商業、サービス業は一定の人口がいなければ商売は成り立たない。特に浪江町の商圏は周辺の町や村も含めて成り立っていたので、その点では特に深刻である。帰還派との分断は残念だが、苦渋の選択であることを強調されていた。

 

●浪江町「民宿新妻」

再開したばかりの宿泊先の民宿にて浪江町役場の職員の方も加わり懇談した。避難解除はされたものの帰還者はごく少数であり、先が見えない状況は変わりないなどの話をされた。到着時間は夜であったため、見えていた灯は信号機の灯のみだった。翌朝気付いたのは、周辺には建物はたくさんあるものの、すべて無人でまさしくゴーストタウンだということである。そして建物の多くは解体中あるいは解体予定の表示板が掲示してあった。

 

【 9 月 26 日】

●浪江町中心部を視察

浪江町行政区長会会長、佐藤 秀三氏宅(店舗住宅)を訪問し、震災直後からのお話などを聞いたのち、中心市街地を案内していただく。佐藤氏は帰還第一号だが、奥様は昨日の仮設住宅におり、戻っても高齢夫婦のみとなるとのことだ。中心市街地では解体工事があちこちで進んでいるものの、昨年度の予定がこなしきれず、作業は大変遅れているようであった。放射性物質の汚染物扱いのため、単なるがれき処理のようにはいかない。 町はすべての生活利便施設が整っていて、かつては相当にぎわっていたことが想像できたが、今は無人の町であり、行きかうのは工事関係の車両が大半であった。その後町役場の敷地内の仮設店舗街で昼食(役場職員などでにぎわっていた)をとる。

 

 ●浪江町役場

会議室にて町職員からの2 冊の浪江町復興計画書をもとに、復興状況の説明をしていただいた。

 

 ●災害公営住宅の視察

役場職員の案内で、幾世橋団地(災害公営住宅、防集・戸建てはハウスメーカーによる建設であり、バリアフリー対応で断熱性能も考慮されおり居住性は良さそうであった)および福島再生住宅(雇用促進住宅を改修、EVを増設し室内はバリアフリー化、ともに居住性は良いようである)を見学した。家賃は収入に応じて段階があるが、将来家賃が上がる制度であることは問題である。まだ敷地造成中もあり、震災を機に相当の資金が投入されていることは実感できたが、住民の希望や地元主導で進められてきているようには見えない。

 

●復興公園用地

仮設住宅として使われていたログハウスを解体移築し、ゲストハウスとして再利用目的で建築されていた。当初は町に戻る人たちが、新しい住まいに入居するまでの一時居住用に使うが、その先は町訪問者用のリゾートハウスとしても活用することを構想しているそうだ。木造仮設(丸太組工法)であったことが幸いしたケースであり、居住性や再利用による資源の有効利用、そして地元業者の活性化にも貢献してくれたのではないかと思われた。現地説明の役場職員は建築の専門家ではないものの、分厚い図面一式を抱えて熱心に 案内してくれた。(ここでも専門 職員不足は深刻のようである)

 

●請戸海岸方面

放射性物質汚染のため、もっとも遅くまで被災直後のままであった地域である。海岸では防波堤工事が進み、3年前まであった震災の爪痕はほとんどなくなっていた。そこからは第一原発や仮設焼却施設を遠望できる。また近くに新設されていた共同墓地「大平山霊園」も訪れた。 一家の何人もが 3 月 11 日没と刻まれた墓碑が多く見られ、皆で無言で手を合わせた。

 

  今回の視察は新建災害復興支援会議メンバー以外の会員も含め、参加がありました。震災後から地域に入り、地元の信望も厚い間野先生が、帰還派・町外コミュニティーづくり派ともいえる両方の代表者を紹介していただいたことは、今回の視察を特に有意義なものとすることができたと思います。仮設住宅に残っておられた方々のお話の中で、「もうあきらめている」と 聞かされたことは本当にやり切れない思いがありますが、それでも最後まで残られている方々からは、仮設のコミュニティーで苦労をともにして、仲間としての温かい雰囲気を十分感じ取ることができました。

 また、懇談会にも同席してくれましたが、福島大学の学生さん男女1 名ずつが 1 年半前から仮設内に居住し、イベントのお手伝いなどしているとお聞きしました。すっかりなじんでいる様子からも、こんな形の支援も大きな力を発揮してくれていることを実感しました。

 

  今期のレポートはメンバーが分担して分野別により詳細な報告書を作成しております。機会を見て会員の皆様も含め、広く広報できればと思います。

(群馬支部・新井隆夫)