2010年主張


主張 (建築とまちづくり2007年6月号

利用者の立場に立つ専門家は何処にいるのか
  ――介護報酬不正請求事件がかたるもの

丸谷博男
新建築家技術者集団全国常任幹事 エーアンドエーセントラル

 2007年4月、コムスンは東京都から業務改善勧告を受ける。それは、2006年12月18日~26日に東京都によって行われた、都内の事業所一八七カ所のうち五三カ所に、介護報酬の不正請求について立ち入り調査した結果によるものであった。
 その後、事業所指定の不正取得が全国各地で発覚し、これも処分を受ける前に事業所の廃止届を出すなど、悪質な体質が明らかになっている。
 さらにコムスンは6月6日、厚生労働省により介護サービス事業所の新規および更新指定不許可処分を受ける。その結果、2008年から2011年12月までに事業所認可が切れる7割以上の事業所が、順次廃止される見込みとなる。
 これに対してコムスンの親会社であるグッドウィル・グループは、従業員の雇用確保と介護サービスの維持を名目として、コムスンのすべての事業を同業の連結子会社へ一括譲渡することを発表する。これに対する社会の反発にさらに方針を変換し、分割譲渡へと動いている。
 試行錯誤を続ける介護保険制度の、まさに利用者不在の民間委託、民間活用の実態が明らかになっている。
 6月13日、さらにケアマネージャーに対する報奨金制度を設けていたことが判明する。介護保険法では、介護事業者がケアマネージャーに特定の事業所を利用するケアプランを作るよう指示したり、ケマネージャーが金品を受け取ることを禁じている。予想できたことであるが、実態が明らかになるにつれ、ますます利用者不在の企業活動が明らかになっている。
 しかし、企業の一職員であるとすれば、ケアマネージャーの独立性を保つことが大変困難であることは、誰もが理解しているのではないかと思う。
 ゼネコンやディベロッパーにいる建築士の社会性が問われている我々の業界と、まったく同じことといえる事件である。
   * * *
 昨年5月に介護を必要とする両親が近所に引っ越して以来、さまざまな変化があった。
 父親は当初は歩行できていたのだが、今では車椅子が離せない。もう歩行は不可能。また、母親はゆっくりとではあるが認知症が進行している。まだ息子を認知はできるが。
 現在居住しているマンションでは段差があり、また狭いユニットバスのため、すでに浴室の利用は不可能。母親との対応で父親も疲労困憊という状況。
 そこで有料老人ホームを探し始めたのだが、入居費で一人350~500万円、月々一人あたり17~18万円くらいかかるという。
 頭に浮かんだのが特別養護老人ホーム。たまたま取引先の福祉法人の運営する施設に空きがあり、幸運にも入居が可能となった。
 マンションに移る時にも、高齢者には冷たく、賃貸契約は息子の私がせざるを得なかった。また、マンションに住みながらヘルパーを一日に3回利用していたので、月に二人で約60万円の暮らしとなっていた。年金は25万円だったので、月々35万円の負担。しかし、特別養護老人ホームに入ると二人で27万円、かかっても30万円。年金との差はわずか5万円となる。一家の財政から考えると、革命的なことであった。
 ケアマネージャーからは出てこない発想が特養だった。特養は無理に決まっているという頭があるからだった。
 また、日常生活の中で介護保険で与えられている点数をどのように使うかという問題もある。ケアマネージャーはその時に自分の会社に使う点数を優先する傾向があり、真に利用者にとって一番いい使い方、最も利用者の負担が軽減される方法を提言していないという問題があるのである。
 介護事業の歴史はまだ浅い。改めて専門性と社会性を問いかけたいと思う。


主張 (建築とまちづくり2007年4、5月号

活発なデザイン論喚起を期待する

加瀬澤文芳
新建築家技術者集団全国常任幹事 ゆま空間設計 

 本年の『建築とまちづくり』誌の年間特集テーマは「ベーシックデザインとは何か」である。実は身近にいる古参会員から、なぜ今新建がデザイン論なのか、まして本号のテーマである「様式」を論じなければならないのかと問われた。確かに新建は久しく、デザイン論を正面から誌上テーマとして掲げて特集を組んだことはなかったように思う。
 私は全国常任幹事として研究集会の担当をすることが多かった。その中でデザイン論の分科会は正直なところ鬼っ子のような存在だった。分科会を設けても話がかみ合わず、なかなか実りある議論が交わされない。参加者が少なく、発言者が限られていて一方通行になる。というわけで近年はデザイン論分科会はもうやめようという意見が出されるほどだった。昨年の研究集会でも、まちづくりや住まいづくり、福祉や民家再生などそれぞれのテーマの中で、当然質の高いデザインは追求されるべきなのだから、あえてデザイン論分科会として別個に設定する必要はないという論調が大勢を占めた。
 ところが全国幹事の中からデザイン論分科会を強く希望する意見が複数出てきた。さらに幹事会の交流会での席だったと思うが、監査役をお願いしている大石治孝氏からも「デザイン論やらなきゃいかん」と叱咤された。
 このような経過があり、デザイン論分科会を復活させることになった。私は報告集を編集する立場だったので、すべての分科会の生原稿にひととおり目を通すことができた。みな力のこもった内容であり、必死でデザインに取り組んでいる様子がよく伝わってきた。作業は大変だったが役得であったと思っている。結果はデザイン論含め各分科会とも概ね充実した議論が交わされた。今回の『建まち』誌のテーマ設定はその成功が反映していると理解している。
 また千葉支部では新旧建築探訪という企画を継続している。東京にある新旧の著名な建築を探訪して見て歩き、自由に言いたいことを言い合う気楽な企画だが、これが意外と評判がよい。普段デザインに関わる仕事をしていない会員もいれば、他の企画は一切顔を見せないのにこの企画にだけ参加する会員もいる。他支部からもやってくる。他支部の会員の家族までついてくる。大家と呼ばれる建築家の仕事でも出来不出来がある。好き嫌いもあろうが、多数で批評しあうと評価が共通していることも経験する。議論するとずいぶん盛り上がる。みな建築が好き、デザインが好きなのである。研究集会を通じて、またこのような支部企画を通じて、会員はデザインに強い関心を持っているということがよく分かった。
 私は本年の特集テーマに大いに期待している。1月号は期待を裏切らない内容であった。三沢浩氏は、初期モダニズムを導入部としているが、レイトモダン、あるいはコンテクスチュアリズムといった切り口で論をさらに展開して欲しい。伴年晶氏は、「作風論はほっておいて、もっと上位のデザイン論に集中する」「つくる建築でなく、できる建築」等々、非常に示唆に富んだ言葉に満ち溢れていた。田中敏溥氏は氏の人間性が感じられ、デザイン論不要のデザイン論と言うべきか。真理であり全く同感、異論はないのだが、異論が出てきて侃々諤々議論を交わすのもデザイン論かとも思う。今後の誌面でさらなるゆたかな論が展開されることを期待する。
 住む人、使う人の立場に立ち、社会の真のニードに正面から向き合って、建築人としての職能を発揮することが我々の役割である。しかし往々にしてデザインが評価されなければ土俵に上がれないという現実に直面する。設計者はデザインの腕を磨かなければならない。『建まち』誌を種にして、学びあいながら、楽しみながら、会員間で大いにデザイン論を交感しよう。


主張 (建築とまちづくり2007年3月号

新建の50年を展望して

今村 彰宏
新建築家技術者集団全国常任幹事 ナベタ建築設計事務所 

 新建築家技術者集団が設立されて36年が経過しました。その間、社会はいろいろな変化がありました。高度成長からバブル期へ、そしてバブル崩壊、低成長期、最近では「市場原理」、「官から民へ」、「拡がり続ける格差」等々。建築とまちづくりの分野は常に社会の変化に影響を受けています。耐震偽装事件はその代表と言えます。私たち建築家技術者にとっての課題も様々な変容がありました。
 その中で変わらなかったものもあります。それは新建の姿勢です。「住む人・使う人の立場に立って進める、住民派のまちづくり、生活派の建築創造」は、36年間変わることのない私たちの姿勢でした。その姿勢によって、新建及び全国の会員はそれぞれの地域でその時代の情勢や状況の中から重要であると思われる新たな課題を見つけ、直面し、充分とまでは言えなくとも仕事仲間や住民などと一緒に課題の解決へ向けて真摯に取り組み、成果を上げてきました。
 障害者と一緒に福祉のまちづくり、施設づくり、住居改善を実現してきました。建築とまちづくりに関わる多くの矛盾(住宅地における高層マンション建設等)に住民と一緒に解決に向かって取り組み、まちづくり憲章等をつくってきました。建築物は、表面的な「美」を第一の目標にするのではなく実際の使い勝手が重要であること、使い手と共同してデザインすることを定着させてきました。まちづくりという言葉を根づかせてきました。職能人としての行動倫理を重視してきました。住む人・使う人と一緒に住まいづくり・施設づくり・まちづくりを進めてきました。建築家・技術者の疎外感を受け止め、一緒に改善してきました。36年間の成果を上げればまだまだあります。その成果を支えてきたのは千数百名の会員と読者、そして住民と会員外の仲間たちです。
 36年間、残念ながら千数百名の会員数には大きな変化はありません。今日の状況から考えれば会員を大きく減らさないことは評価できると言えるかもしれませんが、耐震偽装事件に象徴されるように、今の建築とまちづくりの情勢をみれば問題が山積していることは明らかです。とくに建築関係ではない国民からすれば、姉歯も水落も私たちも同類に見えているのです。
 これらの問題を解決するためには、新建は仲間を飛躍的に増やして活動する必要があります。私たち良心的な建築家・技術者にとっては逆境とも言える情勢ですが、しかしだからこそ新建設立の1970年にあったのと同様なエネルギーが結集できる環境だと考えられます。
 いかに頑張ったとしても、一人の力では多くの成果は得られないでしょう。建築とまちづくりの方向を私たちの憲章に沿ったものへ動かしていく力量を持つためにも、仲間を増やし、新建の組織を今の一・五倍程度にする必要があります。
 現今の建築とまちづくりの方向はどこかおかしい、ヘンだと思っている建築家・技術者はたくさんいます。自分一人ででもそうした状況を良くしていこうと考え、実践している建築家・技術者はたくさんいます。矛盾が多いなか、疎外感を持って歯がゆく思いながら仕事をしている建築家・技術者はたくさんいます。こうした現状を大きな転換期ととらえ、矛盾が多いときほど好期ととらえ、新建の36年に確信を持ち、新建の50年を展望し、全会員のエネルギーを結集して、新建組織を飛躍的に大きくしようではありませんか。それができる情勢です。
 11月の第26回全国大会、新建の50年が展望できる組織体制で臨みたいと思います。


主張 (建築とまちづくり2007年2月号

いま求められる建築運動

大橋 周二
新建築家技術者集団全国常任幹事 大橋建築設計室

 建築団体の中でその活動について「運動」という言い方をしている団体は、唯一新建だけではないでしょうか。故西山夘三全国代表幹事は、建築運動について「建築運動には建築創作活動の方法論に関する狭い意味での建築運動、芸術運動といってもいいんですが、そういうものがあります。これに対して、より社会的な、その中で人々がルーティン・ワークを続けている建築の体制そのものを改めていくための集団的努力、こういった建築運動があります」(『建築とまちづくり』84年3月号「日本の建築運動と創宇社」)と述べています。
 新建はこの35年、「住む人使う人の立場にたつ」「住民派、生活派の建築とまちづくり」などその活動を進める立場を明確にしてきました。そしてその具体的活動の成果は、2年に一度開催されているの全国研究集会において、会員が実際に関わった業務について交流し共有されています。
 今年3月に大阪で行われた全国幹事会では、「新建50年を見すえた運動を考える」という視点から、一昨年の第25回全国大会以降の全国の支部活動の現状を話し合い、組織の活性化と新たな前進飛躍に向け真剣な討議がされました。前大会を前後して新しい支部が結成される一方で、会員現勢は横ばいで推移しています。支部によっては会員の高齢化とともに会員数の減少が起こっています。運動団体としての新建にとって、全国の支部会員がつくりあげてきた活動成果を今後に継承、継続してしていくためには、会員拡大と支部づくりは欠かせない問題です。
 西山氏は、「建築運動はなぜおこってくるのか」ということについて、他の生産システムと違った建築の芸術的生産の特徴として、建設業者、建築主との間に立って仕事を行う建築家・設計者という、独立した技術者の職能が社会的に必要となることを解明しています。そして「建築の技術・芸術が取り組んでいる対象=『生活空間』の中に、その機能・用途・利用のあり方を通して、社会との矛盾と対立が生々しく入り込んでくる。こういったことを原因として、建築の体制あるいは芸術についての革新の動きが絶えず起こりますが、それはいつものんべんだらりんと起こっているかというと、そうではありません。社会が一定の発展をして矛盾が激化してくるような激動期・変動期にそういうものがポカッと頭をもたげてくるし、そのとき初めて気づかれるということもある」と言っています。
 前大会直後に姉歯事件=構造計算書偽造問題が発覚し、最近の富山県の設計者が関わった耐震強度偽装問題まで、建築士への信頼を危うくする大きな問題が続いて起きています。新建をはじめ建築諸団体もこうした問題を重く受け止め、その防止に取り組んでいますが、昨年の建築基準法改正では、確認検査業務の民間委託の問題など、この問題が発生した根本には触れられていません。同時に、問題が明らかになるに従い、社会的に必要とされる建築設計技術者の職能が確立できていない現状も語られはじめています。
 今日の建築界を取り巻く情勢、出来事は、私たち新建にとってもその役割と活動の社会的責任も大きくしていると思います。同時に、新建会員でなくともこうした事態をただ静観するのではなく、「何かをしなければ」という自覚を持った建築設計技術者も多くいます。
 先に引用した西山氏の「建築運動は何故おこるのか」、そして大きく変化する激動期・変動期とということを考えあわせたとき、今まさに私たちはその時期に遭遇しているのではないかと感じています。
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 全国の支部会員がこの間の活動の蓄積と経験を生かし、まわりの建築設計技術者に思いきって訴え、行動することが、支部活動の展望を見いだし、新たな可能性をつかむ第一歩になると思います。
 今年は11月に第26回全国大会が開催されます。この大会が、新建50年を見据えた運動を構築していく出発の大会となるよう、大会までの半年間の活動を実りあるものにしたいと思います。


主張 (建築とまちづくり2007年1月号

倫理綱領にご意見を

山本 厚生
新建築家技術者集団全国常任幹事 生活建築研究所

 昨年11月29日、「建築士法等の一部を改正する法律案」の審査のため衆議院・国土交通委員会に新建の本多昭一さんが、日本建築士会連合会の宮本忠長さん、日本建築家協会の仙田満さんとともに参考人として出席した。三人はそれぞれ意見を述べ、各委員の質問に答えた。そのなかで本多さんは改正案が不十分であることを、いくつかの看過できない具体的な内容を取り上げて指摘した。
 会議録を読んで、私がその本多さんのなかでも特に注目したのは、全面的な解決を目指すなら士法の第一条から書き直し、建築士の使命、職責、権利義務を明確にすべきだと主張したことだった。建築士の業務は、法令を守り、建築主の利益を保護するだけではない。建築物の使い手の生命、生活を保護し、町並み景観を創出するなどのためであると明言していた。
 1月の全国常任幹事会でそれを報告してくれた本多さんは、新建では真摯な論議が十分にできるから外へ出ても的確な発言ができるのだといい、倫理綱領づくりにも重要な役割を果たしうるといわれた。
 幹事会や常任幹事会では、昨年来、新建の倫理綱領案を検討してきたが、以下にその討議をふまえた私なりの意見を書き、今後の会員の論議に供したいと思う。
   * * *
■まず、倫理の基準を明確にすることである。これは基準法でも士法でもなく、倫理の綱領なのだから、そこには、道義的にしてはならないこと、あるいは必ずそうすべきことをはじめに明記する必要がある。私は次のように定めたいと考える。
 建築とまちづくりにおいて、いかなる場合でも厳守すべき原則は、①そこで生きる人びとの生命と財産を守り、その生活を豊かにすることである。②その結果がもたらす地域の生活環境や歴史環境、自然環境への悪影響を最小限に防止することである。
 建築とまちづくりにおける芸術・文化の創造や建築主の利益の追求など、他のいかなる目的も、この原則をふまえることなしには達成することができない。また、この原則の追求は、日本国憲法に明記され保障された国民の諸権利、すなわち基本的人権(第一一条)、幸福権(第一三条)、生存権(第二五条)、財産権(第二九条)の擁護を実行することである。
■次に、倫理綱領では私たちが何をすべきかを整理して書くことである。建築とまちづくりで前記の原則を徹底するための内容を、私は次の四条に区分けしようと考える。
 1 制度を確立し、実行する
 2 歪める仕組みをなくす
 3 各自の自覚と能力を高める
 4 社会的に見守る状況をつくる
 「制度を確立し実行する」では、①基準法や士法を改正し、基準、規定や資格などを的確にする。②審査、検査を厳格にし、違反者を公表する。③各団体が自主規定と自浄制度を持ち実行する。
 「歪める仕組みをなくす」では、①職能、権限を確立させ、生活、生業の保障を図る。②不正の仕組みにつながる設計、施工の癒着をなくす体制をつくる。③責任の所在、範囲を明確にする仕組みをつくり、賠償責任の保障制度を整える。④不正の告発を保障する仕組みをつくる。
 「各自の自覚と能力を高める」では、①倫理観を確立し、それが生きがいとなるような教育を徹底する。②責任を負える能力を具えるよう研鑽に努める。③倫理の原則に基づく技術の検証を追求する。
 「社会的に見守る状況をつくる」では、①人びとが主体的に判断できるよう普及、啓蒙活動をする。②倫理の原則に基づく評価が定着する社会的な仕組みをつくる。
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 以上、項目の整理も不十分で、文言も未熟だが、多くの方々のご意見を伺いたいと思う。