2017年1月号(No.459)

建築とまちづくりのさらなる展開

──第30回新建全国研究集会から

 

記念すべき第30回の新建全国研究集会は、修験道の地、吉野で開催された。自然とひとの心と営みが凝縮された地で、全国での建築まちづくりの活動が集約された。山伏の修行にはおよぶべくもないが、精神を集中し熱のこもった議論も交わされた。研究(実践)報告、シンポジウム、見学会などを通して集会の概要をまとめた。

 

 

新建のひろば   

・「災害対策全国交流集会inふくしま」の報告 

・愛知支部──「地域で生きる──障害者住宅の見学会」の報告 

・「第30回全国研究集会in吉野」参加者の感想 

・オリパラ都民の会主催・第7回提言討論会 

──「これでいいのか!2020東京オリンピック」の報告 

NPO日本の道主催、新建東京支部他後援 

──大槌町「槌音プロジェクト」チャリティ・コンサートⅤの報告 

・復興支援会議ほか支援活動の記録(20161021日~1120日) 

   

■連載  

《英国住宅物語 序》イギリス都市住居の伝統:17-19世紀のタウンハウス   佐藤 健正

《創宇社建築会の時代21》第21回もういちど研究の場所を─19321935─  佐藤 美弥 

《新日本再生紀行4》奈良県 十津川村 大字谷瀬(下)  三宅 毅 

20世紀の建築空間遺産16》フォード財団 本部ビル  小林 良雄 

 

 主張『変革期を迎えるための合言葉──40年前の「点検、構想、実践」に比して 

新建全国代表幹事 垂水英司

 

  昨年11月、私は所用があって欠席したのだが、第30回新建全国研究集会が奈良県吉野で開かれた。その前の数カ月、研究集会の準備のためのメールが飛び交い、メーリングリストを通して私のところにも頻繁に届いていた。今、私たちが直面している課題、論ずべきテーマが、分科会のラインナップとして固まっていく様子を私も瞥見していた。研究集会が成功裡に終わったと聞いて喜んでいる。 

 今回の研究集会の責任者を中心に進められる準備状況を見ながら、私は1972年京都で開かれた第1回全国研究集会のことに思いを重ねていた。実は、私はその第1回研究集会の準備責任を担当していたからである。もう40年以上も前のことで記憶も薄れているが、全国組織「新建」を立ち上げて初めての全国行事として、とても意気込んで取り組んだことが思い出される。そして、第1回研究集会全体のスローガンとして、「点検、構想、実践」という合言葉を掲げた。そして、この合言葉は、しばらく新建活動のいろいろな場面で使われたと記憶している。 

 当時、日本は経済成長の真っ最中、全国土は開発ブームに沸いていた。大気汚染、乱開発、モータリゼーションと深刻な公害が起こり、新建もさまざまな形で批判した。私たちの身辺には「点検」すべきことが無数にあったといってよかった。

  一方、私たちは「点検」にとどまってはならない、対案として将来像を「構想」することが必要だという思いもみなぎっていた。1960年東大丹下研究室が「東京計画」を発表したのに対抗して、京大西山研究室は「京都計画」を発表したが、私は大学卒業間近その手伝いをした。成長社会に身を置いていた時代、誰しも構想づくりへの熱い思いは共通した気分だったといえる。

  さらに、頭で考えるだけでなく、実際に手を動かす「実践」に結び付けようという思いも強かった。当時、大阪中之島の景観保存から中之島まつりへとつながる運動など、いくつかの支部で実践的な新建活動が取り組まれ、社会的反響を得つつあったことも、私たちを力づけていた。 

 成長期はいくつかの段階をたどりながら終焉した。成長が望めない時代に入ってすでに20年を越える。その間、私たちは「転換期にどう立ち向かうか」と問い続けてきたように思う。答えを見いだせたのかといえば、まだまだ途上だろう。

  ところが今、社会は再度大きく変転しようとしているかに見える。これまでの「成長から成長なき時代へ」の転換は、まだ連続的な変化だった。今回の変化は、どこか非連続的と感じられるのは、私だけでないだろう。トランプを裏返すと、そのほとんどがジョーカーだった。そんな喩えも真実味を帯びる。 

 かつて成長社会に身を置いた「気負い」の中で、「点検、構想、実践」という合言葉を使ってみた。いま、予測不可能な時代の入り口で、私たちはどんな合言葉がふさわしいのか。このような設問を自分自身に課してみるのも意味あると思うのだが、如何だろうか。