全国幹事会-秋 の報告 19.09.14,15

「全国幹事会-秋」の報告 NEW!

  日時:2019年9月14日(土)13:00〜18:00 

     2019年9月15日(日)09:30〜17:00 

  場所:板橋グリーンホール 会議室

 

9月14日(土)と15日(日)の両日、板橋グリーンホールにて全国幹事会が開催されました。2020年の設立50周年記念に向けての準備や、直面する厳しい財政状況についての取組についての議論を行いました。

幹事の皆様、先日の幹事会大変ご苦労様でした。おかげさまで活発な意見交換ができたと思っています。

大会議案については、出されたご意見をもとに、常任幹事会でできるだけ修正し、議案としてまとめたいと思っています。ご意見が反映できなかった部分もあるかもしれませんが、ご容赦ください。

 

終了後の役員検討委員会の集まりでは、委員会から推薦した候補者の皆さんに意見をお聞きして、今後の進み方について意見交換しました。(略)

引き続きご協力をよろしくお願いします。以上、報告まで。

(京都支部:久永) 


 

[参考意見 ー 東京支部:丸谷]

新建の皆様

私がイメージしている50周年の趣旨は、以下のように感じています。

一文をお送りします。書きなぐりですので悪しからず。

 

近代建築運動が始まって100年、

新建創立50周年、

その俯瞰から未来へ

 

日本の近代的な建築生産と活動の歴史はまだ浅い。

旧東京帝国大学(現東京大学)工学部建築学科の卒業生であり当時のエリートが始めた日本で初めての近代建築運動が分離派建築会、1920年(大正9年)であった。 自分達の理想の建築像を、百貨店等での展覧会や出版物を通して主張した。それは、近代日本の変革と合わせ、過去から未来への発進であった。それを追って、より実務に近い建築技師とそれに賛同する建築学生たちが起こしたのが創宇社、1923年(大正12年)であった。ともに、展覧会と宣言文を原点に活動していた。

その後、太平洋戦争、軍国主義という日本一丸となって戦い残した犠牲と禍根を踏み台にして、再び民主主義社会へと突進して行った戦後の日本の道。その道も、前人未到の経済発展を遂げ大きく国土を形成して行った。しかし、その繁栄も、バブル崩壊という国際金融社会の巨大な渦に巻き込まれ、深く地の底へと下降してしまった。それにも関わらず、経済という生業の原点を失うことなく技術立国として、また平和立国としての二軸を持って、日本国民は歩んできた。

建築運動は、経済発展の騎手として国民の先頭に立つとともに、もう一方で捨て去られてきた国民の人権と生活圏を守り育む運動も忘れなかった。これらは国民の矛盾した二つの願いでもあった。

今、改めてこの100年の計、私たち建築人の原点とその戦いの歴史を俯瞰し、建築活動のあるべき姿を次世代に語り継ぎ、未来への道を指し示すため、この全国研究集会を開催する。


千葉県の南房総「館山市」周辺の状況

多くの家々にブルーシートが掛かっており、今回の台風被害の深刻さを物語っています。

新建全国幹事各位  <2019年9月19日のメール>

先日の全国幹事会はご苦労様でした。

千葉県の台風被害について、南房総の会員からメールが入りましたので送ります。

館山市の建設会社の現場監督の深野氏は伝説的に名の通った監督で、古くからの会員です。

自宅も被災したのですが、復旧に奮闘しています。

ちなみに千葉市内の私の自宅周辺は日常を取り戻していますが、隣接の市原市や八街市は

未だ停電が続いています。   加瀬澤

 

安房地方の台風被害報告

台風後会社の机に座ることなく、ひたすら被害状況の調査、自分でできる修理忙しく働いてます。

鋸南、富山、富浦、船形の被害は甚大で未だに電気水道が使えないところがあります。

我社にも300件超の修理依頼が来ています。

主に瓦、スレート、ガラスの入荷予定がまったく未定で全面復旧には、1年~2年全く予想が

できない状況です。東京電力の応援部隊や自衛隊の救援部隊がようやく動き出したみたい。

行政の対応の遅さには、つくづく思い知らされました。

各戸に設置された防災無線はほとんど役立たず。広報車が数回回ってきてもほとんど聞き取れず。

私が房州に来て40年ほとんど災害らしきものに合わず、房州は素敵な所だと思っていたのですが・・

これからは、地球の異変はどこにでも起きることだと思います。

まずは近況報告です。

渡辺建設株式会社   深野


[おまけ]上空より

下部は一昨年の九州北部豪雨で被害を受けた「朝倉」地域の状況です。まだまだ土砂の流出が見られ、既に解体された家屋の部分も多く見えます。