山本学治という建築家——素材・構造・歴史をひとつの眼で見る

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はじめに――あなたは「新建」を知っていますか

建築やまちづくりに関わる仕事を志す方なら、一度は「新建築家技術者集団(新建)」という名前を耳にしたことがあるかもしれません。1970年に結成された建築活動従事者の運動団体であり55年以上の実績があります。通称は「新建」。「住民派のまちづくり、生活派の建築創造」を掲げ、設計事務所の所員や所長、建設会社の社員、官庁の建築技術者、大学の研究者など、さまざまな立場の人々が集まっています。 (Wikipedia

この新建の草創期を支えた中心人物のひとりが、山本学治(やまもと がくじ)です。今回は、彼の生涯と思想をひも解きながら、現代を生きる建築の若い世代にとっての「山本学治という存在」の意味を考えてみたいと思います。

「構造」と「歴史」の両方を抱えた人

山本学治は1923年2月11日、東京都文京区に生まれました。1977年5月20日、急性心不全により享年54歳で逝去しています。わずか54年という生涯でしたが、その足跡は今も建築界に深く刻まれています。

東京帝国大学第二工学部建築学科を卒業後、同大学院に進み、小野薫・関野克両教授の指導のもと「近代建築の技術史的研究」に取り組みました。 構造工学と建築史という、一見すると別々の分野を同時に深く学んだことが、後の彼の批評の強さの源となりました。

大学院修了後は中村登一の推薦により東京美術学校建築科に赴任し、1964年には東京芸術大学教授に就任。構造学を担当し、講座制に移行後は建築史を担当しました。 Wikipedia芸術大学の建築学科という、工学系とは一線を画す場で教鞭を執ったことも、彼の思想の独自性を形成するうえで大きな意味をもったと思われます。

ミースからネルヴィまで——批評の射程の広さ

山本学治を語るうえで欠かせないのが、その建築評論の幅広さです。

戦前からの建築雑誌『国際建築』の復刊に浜口隆一らと参加し、建築家ミース・ファン・デル・ローエの評論から、ロベール・マイヤール、オヴ・アラップ、ピエール・ルイージ・ネルヴィなど海外の構造家の紹介を精力的におこないました。建築評論においても、近代建築を「構造」の視点から作家論・デザイン論・素材論・文化論・技術論まで広い視野で展開しました。 Wikipedia

「構造」という言葉は、建物の力学的なしくみだけを指しているのではありません。山本は、素材がいかに選ばれ、技術がいかに発展し、それが社会・文化といかに結びついているか——そうした「ものの成り立ち」全体を「構造」として捉えていました。代表的な著作『素材と造形の歴史』(鹿島出版会・SD選書)は、そのタイトルが示す通り、素材の選択と造形の変遷という視点から建築の歴史を描こうとした意欲作です。

また1974年刊の『建築批評の眼——現代建築における論理の追求』や、翌1975年の『現代建築論——史論としての展開』においても、建築を単に様式や意匠の問題としてではなく、技術と社会の絡み合いの中で読み解こうとする姿勢が一貫しています。

この姿勢は、現代において「サステナビリティ」「地域性」「構法」といったテーマが改めて問われている文脈と、驚くほど共鳴しています。

「新建学校」の校長——知識を社会へ開く実践者

山本学治が研究・評論にとどまらなかったことも、彼をひと回り大きな存在にしています。

彼は代表幹事として新建築家技術者集団(新建)の運営に参画し、東京支部代表として「新建学校」という講座を主宰。「校長」として毎年1講座を担当しました。また日本建築学会の学会誌編集委員や委員会委員・幹事なども多く歴任しています。

新建は「建築とまちづくりを社会とのつながりの中でとらえること」「地域に根ざした建築とまちづくりを、住む人・使う人と協同して進めること」を憲章に掲げています。 山本はその理念を体現するように、アカデミアと市民・実践者をつなぐ場を自らつくり出していたのです。

「新建学校」とは、講演や講座を通じて建築の知識を広く社会に開こうという試みでした。大学の外で、職業・立場を超えた人々が建築について学び、議論する。それは今日でいうオープンレクチャーや市民向けワークショップに通じる発想であり、当時としては非常に先進的な取り組みでした。

山岳家でもあった——「全体的な人間」としての山本学治

ここで少し意外なエピソードをご紹介したいと思います。

山本は登山家としても知られており、東京芸大山岳部長を務めていました。 Tobunken1960年12月には、長野県黒沢高原に東京藝術大学山岳部の山小屋「黒沢ヒュッテ」を自ら設計・建築しています。 Wikipedia

建築の理論家・評論家・教育者でありながら、みずから山に登り、山小屋を設計し、山の歌まで作詞作曲した——この重層的な人物像は、彼の建築観とも無縁ではないでしょう。「素材」「構造」「環境」「使う人」というキーワードが交差する場として、山岳建築は格好の実験台だったかもしれません。

建築を「社会の中の技術」として捉えていた山本にとって、書斎の外に出て自然と向き合うことは、思想を鍛える行為そのものだったのではないでしょうか。

54歳で逝った「未完の巨人」

山本学治は54歳という若さで急逝しました。死後、仲間・弟子たちの手によって3冊の建築論集が鹿島出版会から編まれています——『歴史と風土の中で』『造型と構造と』『創造するこころ』(いずれも1981年刊)。生前に書き溜めた評論・論考が没後に集大成されたこれらの本は、彼の思想の全体像を知るうえで欠かせない資料です。

もし彼がさらに20年、30年活動できていたなら、日本の建築論・建築教育・まちづくり運動はどう変わっていたでしょうか。その問いは、今なお有効です。

今の私たちに問いかけるもの

山本学治が生きた時代、日本は高度経済成長の熱狂の中にありました。四大公害病の裁判が相次ぎ、利潤追求のための環境汚染が断罪されていた時期でもあります。そのような激動の社会において、「建築とは何か」「技術者とは何のために働くのか」を問い続けた姿勢は、気候変動・地域衰退・住宅格差といった課題が山積する現代においても、深く刺さります。

デジタル化・AI化が進む今日、建築・まちづくりの分野でも新しい技術が次々と生まれています。しかしそのとき必要なのは、技術を操る能力だけでなく、「なぜその技術を使うのか」「誰のための空間なのか」を問い続ける哲学ではないでしょうか。山本学治はまさに、その問いを一生かけて体現した人物でした。

新建にはもちろん生前の山本学治を知り、共に建築運動に携わってきたメンバーがいます。
そんな彼らに山本学治の思想を改めて聴き、次の世代に伝えていきたいと思います。
また参考書歴リストをまとめておきました。
彼の著作を手に取り、建築と社会と自分の仕事との関係を、あらためて問い直してみてください。

引用・参考書籍リスト

山本学治 著作

  • 山本学治『素材と造形の歴史』SD選書9、鹿島出版会、1966年
  • 山本学治訳『現代建築の12章』SD選書、鹿島出版会、1965年(L.カーン、P.ジョンソン他)
  • 山本学治『建築批評の眼——現代建築における論理の追求』1974年
  • 山本学治『現代建築論——史論としての展開』井上書院、1975年
  • 山本学治(茂木計一郎ほか編)『歴史と風土の中で——山本学治建築論集1』SD選書243、鹿島出版会、1981年
  • 山本学治(茂木計一郎ほか編)『造型と構造と——山本学治建築論集2』SD選書244、鹿島出版会、1981年
  • 山本学治(茂木計一郎ほか編)『創造するこころ——山本学治建築論集3』SD選書245、鹿島出版会、1981年
  • 山本学治・稲葉武司共訳『機能主義理論の系譜』(原著:E.R.デ・ザーコ, 1957)鹿島出版会、1972年
  • 山本学治 編著『日本建築の現況——その系譜と60年代の展開』彰国社

関連書籍・参考文献

  • 浜口隆一『ヒューマニズムの建築』丸善、1947年
  • 浜口隆一『市民社会のデザイン——浜口隆一評論集』而立書房、1998年
  • 新建築家技術者集団編『建築とまちづくり』(月刊誌)
  • 日本建築学会「構法史家・山本学治先生の死を悼む(追悼・山本学治君)」『建築雑誌』第1126号、1977年9月
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