【毎日新聞110829】計2万人を超す戦後最大の死者・行方不明者を出した東日本大震災で、これまでの災害想定や地震学の常識は大きく覆された。幾多の地震や津波にさらされ、備えを固め、世界に例をみない高密度の地震観測網が整備されたこの国で、なぜ「想定外」は起きたのか。超巨大地震とそれに伴う津波が生じた仕組み、招いた被害から何を学べるか。全国の海域では従来の地震想定の見直しが始まった。次の大災害はいつ起きてもおかしくない。古代からの歴史も振り返りながら、これからの日本の防災を考えたい。
◇阪神の1450倍、同規模未体験 学界、甘い想定
東日本大震災をもたらしたのは、発生が予測されていなかったマグニチュード(M)9・0の超巨大地震だった。規模は阪神大震災(M7・3)のおよそ1450倍。世界では過去に発生していたM9級の地震をなぜ想定できなかったのか。背景に学術的な固定観念に縛られた地震学者たちの「思考停止」があった。
地球の表面は十数枚に分かれたプレート(岩板)に覆われている。今回の地震は、太平洋を乗せた海のプレートが日本列島を乗せた陸のプレートの下に沈み込む境界で起きた「海溝型地震」だ。年間8センチ程度の速さで沈む海のプレートに陸のプレートがくっついて引きずり込まれ、たまったひずみが限界に達して元に戻ろうと跳ね上がり、地震と津波が生じた。
政府の地震調査委員会(委員長・阿部勝征東京大名誉教授)は、過去の地震を基に、今回の震源域とほぼ同じ範囲を七つに細分し、それぞれの領域が20~400年程度の間隔でM6~8級の同じ規模の地震を繰り返すと考えてきた。典型例が日本の海域でも研究が進んでいるとされた宮城県沖地震だ。M7・5程度の地震が約37年周期で起きるとし、30年以内に99%の確率で発生すると予測していたが、実際は南北400キロ以上にまたがる六つの領域に破壊が広がった。調査委長期評価部会長の島崎邦彦・東京大名誉教授は「小さな所を気にして肝心なものが見えていなかった」と悔やむ。
理由の一つは、東北の海域ではM9級の地震が起きた記録や証拠がなかった点にある。最近の研究で平安時代の貞観地震(869年)がM8・4と推定され、「1000年に1度の巨大地震」の再来が指摘され始めたが、規模は8分の1程度だった。
東北沖でM9級のエネルギーがたまらないと考えられた根拠は他にもあった。世界のプレート境界は地域によって沈む角度が違う。浅い場所はプレート同士に強い摩擦力が働くため、蓄積するひずみが大きくなる。1960年にM9・5の地震が起きた南米チリ近海が代表的で、日本では東海・東南海・南海地震が想定されるプレート境界の南海トラフがこれに近い。一方、東北の海域は沈み込み角度が比較的深く、大きなひずみをためにくいと考えられたのだ。
他にも「定説」は覆された。今回の地震で最大50メートル近くずれ動いたプレート境界の浅い部分は、普段からひずみをためずにずるずると滑って地震を起こしにくいとされていた。しかし、国土地理院の今給黎(いまきいれ)哲郎・地理地殻活動総括研究官によると、海溝に近い浅い場所でプレート同士が地震前に強くくっついていたと考えられるという。今給黎氏は「従来の陸側からの観測網では分からなかったことで、今後、海溝型地震の発生様式を考える上で重要だ」と指摘する。
調査委は「学問的なパラダイム(思考の枠組み)に縛られていた点は大きな反省点」(阿部委員長)として、海溝型地震の予測手法の見直しを始めた。今後、国や自治体の防災対策に大きな影響を与える可能性がある。
◇M5以上余震、史上最多550回超 M8級や誘発地震警戒
大地震の後には震源の周辺でしばらく余震が続く。東日本大震災後、8月下旬までにM5以上の余震は550回を超えた。過去10年に日本全体で起きたM5以上の地震は年平均120回程度。今回の余震は観測史上最多だ。専門家は最大M8級の余震も起こり得るとして年単位の警戒を呼びかける。
大震災後、震源域周辺の地下断層が揺れを伴わずにゆっくりと動く「余効変動」という現象が続いている。特に東北から千葉県にかけての太平洋側で東方向への変動が大きく、国土地理院の観測では、発生翌日から7月半ばまでに最大1・8メートル程度ずれた。断層の面積とずれの量を累積すると、M8・4以上の地震に相当し、地下の力の加わり方が地震前の状況に戻っていないことを示している。
余震の数は時間と共に少なくなるが、本震の規模が大きいほど余震が収まるまでの期間は長くなる。山岡耕春・名古屋大教授(地震学)は今回の余震が収束する時期について「M7級の地震が1年に1回程度発生することを通常の状態とみなせば、おおむね1年程度の時間がかかるだろう」と説明する。しかし、大震災と同じ海溝型のスマトラ沖大地震(04年、M9・1)では5年半後にM7・5の余震が起きた。
余効変動などの影響で震源域から離れた場所で誘発される地震も起こっている。山岡教授は「大きな地震につながるかは分からないが、千葉県沖から茨城県沖、伊豆半島の東側で活動度が上がっている」と指摘。また、地震調査委員会は大震災後、危険度が上がった活断層として双葉断層(宮城・福島県)や牛伏寺(ごふくじ)断層(長野県)、立川断層帯(埼玉県・東京都)、三浦半島断層群(神奈川県)の4断層を公表した。本震と余効変動で地震を発生させるように一定以上の力が加わったと算出されたためだ。反対に地震を起こしにくいように力が働いた断層もある。
気象庁は「日本国内で地震に備えなくてよい場所はない。家具の固定や、今地震が起きたらどうするかイメージしておくことも必要だ」と呼びかける。
◇「直下型」にも備え必要
全域に活断層が分布する日本列島。東日本大震災のような海溝型に加え、阪神大震災のような直下型地震の危険も大きい。
直下型は主に、地殻に蓄積したゆがみを解消しようと活断層がずれて起きる。緊急地震速報が流れてから揺れを感じるまで間がなく、都市の真下で発生すると大きな被害を招きかねない。過去に地震を起こした断層の跡が地表に現れていない場合は発生場所の予測も難しい。鳥取県西部地震(00年)や岩手・宮城内陸地震(08年)は未知の活断層で起きた。
防災科学技術研究所(茨城県つくば市)の統計などでは、1900~昨年に死者を出した国内での地震の数は、直下型が海溝型の倍以上だった。M7未満の場合、海溝型は死者1人を出した例が2回あっただけだが、直下型は28回の地震で複数の死者が出ている。海外では中国・四川大地震(08年、M8・0)で約9万人、パキスタン地震(05年、M7・6)で約7万5000人が犠牲になった。
発生パターンが特殊なのが関東と東海だ。伊豆半島(静岡県)の下にフィリピン海プレートが沈み込むため、M8級の海溝型地震の震源域が内陸直下となり、深刻な被害が予想される。四つのプレートがせめぎ合う日本ならではの特徴だ。
◇揺れの被害、想定以下 地震波形の長さが影響
東日本大震災では、東北から関東にかけた広い範囲を震度6弱以上の強い揺れが襲った。しかし、津波の被害を除けば「揺れによる被害はそれほどでもなかった」との声は少なくない。
内閣府がまとめた沿岸を除く市町村の揺れによる建物被害を見ると、全壊棟数は7599棟。従来の被害想定の手法に今回記録した実際の震度を当てはめると、2万6000棟以上の建物が揺れで全壊すると推計されるが、実際は3分の1程度と大幅に少なかった。
理由について、気象庁地震津波監視課は「木造家屋の倒壊に影響が大きい1~2秒の周期の地震波形が少なかったことが影響しているのではないか」と話す。建物被害が多かった阪神大震災と比べても1~2秒の周期の地震波形は少なかった。
その上で、同課は今回の地震の揺れの特徴を「時間の長さと地域の広さ」と説明する。東北から関東の各地で震度4以上の揺れが2~3分、東京都心では震度2以上の揺れが6分以上続いた。また、宮崎と沖縄両県を除く45都道府県で震度1以上の揺れを観測した。
周期2秒以上のゆっくりとした揺れ「長周期地震動」の影響も大震災の特徴だ。超高層ビルは構造の特徴から、長周期地震動の影響を受けやすい。今回、東京都心ではビルがしなるように大きく揺れる姿が見られた。震源から600キロ以上離れた大阪府咲洲(さきしま)庁舎(大阪市住之江区、55階建て)も震度3だったが大きく揺れ、内装材やエレベーターなどに被害が出た。
想定される東海地震などでは、大都市圏の超高層ビルは今回より大きな影響を受けるとされる。気象庁地震津波監視課は「地震の規模が小さくても東日本大震災以上に揺れの影響を被る可能性がある」と指摘している。
◇50時間前にM7.3 40分前の三陸沖上空で電子量1割増 「前兆」判明は震災後--問われる「予知」
M9・0の超巨大地震が発生する約50時間前、この震源付近でM7・3の地震が起きた。この地震が後の地震の前ぶれである「前震」と分かったのは東日本大震災が起きた後のことで、地震予知の難しさを改めてうかがわせた。一方、巨大地震の前兆ともいえる現象は他にも発生した。
北海道大の日置(へき)幸介教授(測地学)は震災の2日後、国土地理院の全地球測位システム(GPS)のデータを解析中、地震発生の約40分前から震源域の三陸沖上空で電子の数が1割ほど多くなっていたことを発見した。
大地震直後には、震源の上空約300キロの「電離層」で大気が振動することが知られている。スマトラ沖大地震(04年12月)やチリ大地震(10年2月)でも発生前に起きていたが、M8・2を下回る地震では変化が小さく確認できなかった。日置教授は「電子が増える原因は地面にあると考えられる。詳しく観測していけば前兆のメカニズムが明らかになるかもしれない」と期待を寄せる。
東京大地震研究所の加藤愛太郎助教(地震学)は、大震災の震源の北東約50キロで2月中旬に活発化した地震活動が南進し、大震災の震源に近づいていたことを突き止めた。しかし、いずれの現象も震災後に判明したもので、実際にはいつ、どこで、どの規模の地震が発生するか予知することは難しい。巨大地震前には震源の断層が加速的に滑る「前兆すべり(プレスリップ)」が起きるとされているが、今回は確認されなかった。国が唯一、予知可能性を認める東海地震は前兆すべりの検出を前提としており、地震予知体制のあり方も問われている。
◇高速「射流」でエネルギー増大--被害拡大
東日本大震災では、海底の堆積(たいせき)物を巻き上げた真っ黒な大津波が沿岸の市街地を秒速約10~12メートル(時速約36~43キロ)で進み、ごう音とともにあっという間に人や車、家屋を押し流した。東京大地震研究所の都司(つじ)嘉宣准教授(津波・古地震学)は岩手県釜石市沖約50キロに設置された津波計の観測データを分析した結果、震災の津波は水しぶきを上げながら高速で進む「射流」になったことでエネルギーを増し、被害を拡大させたと指摘する。
射流は津波の水位が急激に上昇し、水の壁がてっぺんから崩れ落ちる時に起きやすい。都司准教授によると、津波の水位は陸地に迫り水深が浅くなることに伴って地震直後の12分間で約2メートル上昇したが、その後の2分間で3・5~4メートル急上昇し、釜石市の海岸では津波高が9メートルを超えた。
海上保安庁の観測船のデータなどから三陸沖のプレート境界近くで南北100キロ、東西70キロの範囲で海底が20メートル隆起したことが分かった。都司准教授は、震源域の海底の一部が急激に隆起して激しい射流を引き起こしたと考える。
徐々に水位が上がる「常流」の流れと異なり、射流になっている場所では、腰の高さの波でも人間は水底にたたきつけられ、起き上がれずにおぼれてしまう。元禄関東地震(1703年)では、古文書や流失した集落の位置から、九十九里浜(千葉県)に遡上(そじょう)高(津波が駆け上がった高さ)3メートルの津波が押し寄せ、3000人以上が死亡したとみられる。都司准教授は「遅い常流ではここまで死者は増えない。射流になっていたとしか考えられない」と推測する。今回の震災でも宮城県石巻市の平地で高さ3メートルの津波が車をひっくり返しながら、激流となって道路を進む様子が目撃された。
従来、津波に強いとされてきた鉄筋コンクリート造りの建物6棟がバラバラの方向に横倒しになった宮城県女川町では、浸水時は常流でも海に戻る「引き波」の時に秒速約7・5メートル(時速約27キロ)の射流になった事例が確認された。東北大の越村俊一准教授(津波防災工学)は「遡上する波は重力に逆らって陸地を駆け上がるが、引き波は駆け下りるように流れるので速くなる」と説明する。
射流は津波の映像や痕跡から確認することはできるが、揺れの時点でどこで射流になるかを予測することはできない。