買い物困った 仮設の配給打ち切り--岩手・陸前高田
【毎日新聞110610】岩手県陸前高田市は10日、仮設住宅入居者への食料などの支給を打ち切った。この日は各仮設住宅に自衛隊のトラックが最後の物資を搬入。配給された10キロ入りのコメなどを大事そうに抱える被災者の姿が見られた。
「誰かに車に乗せてもらわないと(買い物に)行かれないよ」。市立米崎小学校の仮設住宅で1人暮らしをする佐藤京子さん(71)は支給打ち切りを嘆く。配給されたレトルトカレーや缶詰などを衣装ケース2箱分と小さなかごいっぱいにためた。「(仮設の退去期限とされる)2年かけて、ゆっくり食べるつもりさ」
持病や震災後のけがで10種類以上の薬を服用している。42年前に建てた自宅は津波で壊れ、取り壊すが、毎日通い、近所の人と話したり庭の手入れをする。「家がなくなったら、おかしくなるかもね」
仮設住宅に知人は少ない。心を癒やしてくれるのは自宅から持ってきた鳥の人形。話しかけると2度オウム返しする仕掛けだ。「『よーぐ生き残ったね、おらと同じだな』って話してたの」
自治会長を務める佐藤一男さん(45)は5月初旬、両親や妻、子ら一家7人で入居。6畳1間と4畳半2間にキッチン、バス、トイレ。「収納がなく狭い」。夜は4畳半2間に布団を敷き詰め、子どもを抱いて眠る。9人で暮らす家庭もある。
佐藤さんはカキ養殖をしていたが、津波に施設を流された。事業再開へ向け、毎日漁港でがれきを撤去する。一方、米崎小の仮設住宅に入居する60世帯のうち18世帯は1人暮らしの高齢者。見回りもしており「仕事をしながらでは負担が重い」。高齢者の孤立を防ぐため集会所が必要と感じているが、市の担当者に「学校敷地内の仮設には建てられない」と言われた。最近は高血圧で病院に通う。
「何かしようとすると、いつもいつも壁が立ちはだかるんだ」【中川聡子】
寝られない 周囲の音、気になる--宮城・南三陸
「悪いことばかりが頭に浮かぶ。薬(睡眠導入剤)がないと寝られない」
宮城県南三陸町で魚の行商をしていた後藤久男さん(61)は、大津波でローンの残る自宅や船、トラックをすべて流された。震災のストレスで持病の手足のしびれがひどくなり、避難所生活で悪化。同町の「志津川自然の家」内の仮設住宅に当選し、妻(58)、次男(30)と5月10日に入居したが、安堵(あんど)する場所にはほど遠い。
間取りは4畳半2部屋と台所。風呂も沸かせる。プライバシーのない避難所よりも格段に良くなった。だが、どうしても、2階建ての自宅と比べてしまう。「文句は言えないけど、想像以上に狭い」。1部屋を夫婦で使い、生活用品を置くもう1部屋の隅で次男が眠る。
81世帯分の仮設住宅が建設され、今は約75世帯が暮らす。だが、隣と仕切る壁は薄いので「せきをするのにも周囲に気を使う」。
同町の水道復旧率は2%と低く、自然の家周辺も復旧していない。敷地内に給水タンクが置かれ、町が毎日補給するが、朝晩のピーク時に水が止まることもしばしば。後藤さんは「よその家と競い合うように風呂の水をためるんだ」と話し、疲れた表情を浮かべる。
入居した被災者には食料の支給がなく、車で15分かかるスーパーなどでの買い出しが欠かせない。家が無事だった人が避難所で支援物資を支給されていると聞くと、どうしても不公平と感じる。一方、仮設住宅に当選して鍵をもらいながら避難所にとどまる人もいる。「その気持ちも分かるなあ」とも思う。
入居者が集まって仮設住宅の運営方法やリーダーを決める会合が5日に開かれた。出身地区はばらばらで、顔見知りは数えるほど。「これから2年はご近所さん。気持ちを合わせていかないと」。後藤さんは前を向こうとするが、今は不安の方が大きい。