【朝日新聞110406】地震で家が壊れ、津波で建物が流される。東日本大震災では、多くの建築物が消えていった。そのありさまを見た建築家たちが、動き出した。避難所でのプライバシーを確保したり、仮設住宅のあり方に提案をしたり。いま建築に何が可能かを問い始めている。
「世界各地の被災地を見てきたが、今回はこれまでにない被害だ」
岩手県大槌町などを訪れた建築家の坂茂(ばん・しげる)さんは、こう語る。仏北東部のポンピドーセンター分館の設計を手がけるなどの活躍の一方、阪神大震災や中国・四川大地震などの折には現地に入り、紙で作った管による仮設住宅などを造ってきた。
■紙管で間仕切り
今回は、各地の避難所で紙管を使った間仕切りを作り始めている。柱となる直径約10センチ長さ2メートルほどの紙管に穴をあけ、細い紙管を通して梁(はり)にする。この梁から安全ピンを使って布をつり、カーテンにする。開閉が自在な間仕切りだ。
「仮設住宅に移るまでは避難所の環境が重要。今回の間仕切りがあれば、着替えなどの際のプライバシーが保てる一方、昼間はカーテンを開け、周囲の人と会話をしたり、テレビを見たりもできる」と話す。
紙管は切断が容易で、家族の大きさに合わせて設置可能。4×4メートルほどなら10分ほどで完成し、費用は2万円ほどという。すべて義援金でまかなう計画だ。
坂さんのチームはすでに宇都宮市や山形市、新潟県長岡市、大槌町の避難所に、ボランティアの力も得て、計100世帯分以上を設置。今後は、沿岸部も訪れる予定だ。
また、伊東豊雄さん、山本理顕さん、内藤廣さん、隈研吾さん、妹島和世さんという実力派の建築家5人が話し合い、今後、建築家からの発信を検討中だ。
■「仮設」に共有庭
それとは別に、山本さんは横浜国立大の大学院生らとともに、仮設住宅の配置などを提案。住棟を一直線に並べるのではなく、少しずらして路地や共有庭のよ うな空間を造れば、対話が生まれる「たまり場」になる、という。「今回、否定された20世紀的な日本社会には、建築家にも責任の一端がある。インフラは公 共が整備、住宅は経済原理で個人まかせ。住宅にはもっと公的な視点があるべきだった」と山本さん。
こうした行動は、どこから生まれてくるのか。
坂さんは、「建築家は行政や企業といった力のある存在のために設計することが多い。それによっていい建築も生まれるが、もっと直接、社会に貢献できないか、と考えた」と話す。
5人による議論を呼びかけた隈さんはこう語った。
「過酷な現状とデザインを橋渡しするのが私たちの役目。それなくしては、かけがえのない『場所の文化』が消えかねない」(編集委員・大西若人)