津波被災の沿岸中心/宮城、17市町が復興計画
【河北新報110515】◎土地利用など具体化/年内めど策定へ
東日本大震災を受け、宮城県内35市町村のうち17市町が、復興の方向性や取り組む事業などを盛り込んだ復興計画を策定することが、河北新報社のまとめで分かった。ほとんどが甚大な津波被害を受けた沿岸部の自治体で、計画では単なる復旧にとどまらず、新たな視点を取り入れたまちづくりを目指す。早い市町は8月ごろの策定を予定しており、年内には17市町が出そろう見込みだ。
17市町の策定手順と時期などは表の通り。直接的な津波被害がなかった内陸部でも白石、角田、大崎各市が策定する。ほかに利府町が復興計画に準じた計画を年内に策定するほか、大和町は復旧計画を作る。涌谷町は方針が未定という。15市町村は策定しない。
策定時期は「7月末~8月ごろ」とした角田市が最も早く、岩沼市や女川町も8月を目指すとした。気仙沼、名取両市や南三陸町が「9月」としたほか、仙台、石巻、塩釜の各市など「年内」とした市町も多かった。
復興計画をめぐっては政府の復興構想会議が検討を始め、宮城、岩手両県なども策定作業に着手している。国や県の計画が方向性や枠組みを提示するのに対し、市町の計画には、具体的な事業や地域の実情に即した土地利用の在り方なども盛り込まれる見通し。
大半の市町は、庁内に部局横断的な本部組織を設けるなど、策定作業を本格化させつつある。「『絆』と『協働』を基調に、新しい次元の防災・環境都市を再構築する」(仙台市)、「新エネルギー、環境、観光などを柱とした新産業創出や減災まちづくりを通じた都市の創造」(石巻市)など、一部の市町は基本方針や理念を公表した。
これまで示された計画期間は「10年」(石巻市や南三陸町)が主流で「8年」(女川町)もあった。各市町は、有識者や住民などの知見や意見を反映させる手法も取り入れながら、計画案づくりを急ぐ方針だ。
◎住民の声反映模索/参画、仕組みづくり急ぐ
まちづくりの取り組みが根幹から大津波にさらわれた宮城県内の被災自治体にとって、震災復興計画は今後の地域再生と住民の生活再建の重要な指針となる。各自治体は組織を発足させたり、アンケートを実施したりして、住民参画の仕組みづくりを手探りで進めている。
気仙沼市は14日、震災復興計画の策定に向け、「震災復興市民委員会」の委員を5月中に選任すると発表した。市内または市出身の若手経営者やまちづくり活動の関係者ら10人前後で構成する。それぞれが復興の青写真を描き、学識経験者らでつくる「震災復興会議」に提言する。
菅原茂市長は記者会見で「行政の発想にとらわれない提言をまとめてほしい」と期待した。
住民参加の組織づくりは、復興計画を策定する被災自治体で、ほぼ例外なく進んでいる。
南三陸町は6月中に「震災復興町民会議」の初会合を開く計画。メンバーは町内の各種団体代表に加え、公募も行う。
山元町は町民でつくる「復興対策会議」を6月上旬までに設置。塩釜市や七ケ浜町、多賀城市でも準備が進む。亘理町は5月下旬、被災した22行政区の区長を集め、意見交換会を開く。
仙台市は、避難所などに身を寄せる被災者約2900人を対象にアンケートを実施。復興計画のたたき台となる「復興ビジョン」を5月末に策定する予定で、寄せられた意見を反映させる。ビジョン策定後の6月には、5区2総合支所で地域説明会を開く。
石巻市も15日~6月30日、復興計画について、一般市民から郵便と電子メールで意見を集める。
津波で壊滅的な打撃を受けた地区では既に、集団移転の話し合いが始まっている。住民側の動きを復興計画にどう盛り込むのかも課題だ。
東松島市は6地区が集団移転を要望している。市総務部は「集団移転の対象となる各地区で懇談会を開いたり、住民代表に復興計画の検討組織に加わってもらったりする方法を検討している。住民が主導する形で議論を進め、同意を得たい」と説明する。
名取市でも複数の地区が集団移転の意向を示しており、被災住民代表に復興計画の検討組織に参加してもらう方向で検討している。
◎県との整合性課題/養殖漁業特区で対立も
宮城県の被災市町が策定を進める震災復興計画は今後、県の復興ビジョンとのすり合わせが課題となりそうだ。村井嘉浩知事は政府の復興構想会議で、独自の復興アイデアを次々に提案しているが、被災市町と綿密な調整は行っていない。産業や医療の再生などをめぐって、被災地の思いと県の広域計画にずれが生じることも懸念される。
県は10日以降、副知事や幹部職員が被災市町を回り、市町の復興計画の策定方針や県計画への要望の把握に努めている。市町が策定する津波浸水地域の土地利用は、県の素案をベースに検討。県と市町の双方が整合性の確保に気を配る。
だが、例えば水産業の再生は、知事が打ち出した養殖漁業への民間企業の参入を促す特区をめぐり、県と漁業関係者の意見対立が表面化した。特区創設が実現するかも不透明で、市町は復興の青写真を描きづらいのが実態だ。
首長からは「県の方針を早急に示してもらわないと、復興計画はつくれない」(井口経明岩沼市長)と注文が付く。県震災復興政策課の山本雅伸課長は「災害規模があまりにも大きく、方針決定までどうしても時間は掛かる」と理解を求める。
被災した公立病院の再建は、県の広域医療計画の見直しと密接に絡む。震災前から医師不足は深刻で「診療所化を選択せざるを得ない」(県幹部)地域もあるが、市町が病院維持を計画に盛り込めば整合性は取れない。
県も国の動向にほんろうされている。住宅の高台移転はスキームも財源も未定。政府内の動きが報道されるたび、担当職員が右往左往しているのが実情で、しわ寄せは被災地に及ぶ。
山本課長は「被災市町の意向を尊重するのが基本姿勢だが、県の復興計画とのずれは少なからず生じるだろう。完全に整合性を取ることは現時点では難しい」と話した。
2011年05月15日日曜日