【読売新聞120111】東日本大震災は「災後」という言葉を生んだ。未曽有の被害が、時代の区切りと言えるほど、社会のあり方に変化を迫ったからだ。なかでも急務は、次の災害に向け、一人でも多くの命を守るための備えだ。災害に強い暮らしや地域を築かねばならない。震災がもたらした課題と新たな取り組みをシリーズで伝える。
宮城県石巻市立門脇(かどのわき)小学校の校舎は、今も黒こげの無残な姿をさらしていた。
2011年3月11日。激震から50分後の午後3時半過ぎ、校舎は津波とともに炎にも襲われた。住民の避難場所まで炎上する不測の事態が起きていたのだ。
「バン、バン」。校舎2階にいた佐藤裕一郎教頭(58)の耳に爆発音が響いた。校庭を見下ろすと、津波で押し寄せた100台もの車が、次々と燃え始めていた。その後ろからは出火した家屋まで迫っている。窓越しでも炎が熱い。
児童は地震直後に校外の高台に誘導したものの、校舎にはお年寄りを中心に数十人が避難していた。
「逃げろ」。授業で教師が立つ長い教壇を2階から裏山へ架け渡し、30人以上を脱出させた。
校舎隣の体育館にも、消防団分団長の浜谷勝美さん(69)ら10人ほどがいた。
車の炎上に気づいた浜谷さんは、腰まで水につかりながら、車内に閉じこめられた2、3人を引っ張り出した。車窓から顔を出して「助けて」と叫ぶ姿がほかにもあったが、炎は5メートル先に迫ってきた。
「すまない」と心でわびながら、浜谷さんは住民らを連れて裏山へ向かった。
炎はすぐに校舎に飛び火し、最上階の3階まで燃やし尽くした。小学校に避難していた住民たちの命は、間一髪で救われた。
「避難所まで焼けるなんて考えもしなかった。裏山がなかったら、逃げる場所すらなかった」と浜谷さんは振り返る。
宮城県警によると、小学校周辺では、55人が焼死体で見つかった。延焼面積は5・6ヘクタールに及ぶ。
宮城県気仙沼市の津波避難ビルや岩手県大槌町の小学校も炎上した。500人以上が避難していた仙台市立中野小は、火が200メートルまで迫り、ヘリコプターで異例の夜間空中消火を決行して延焼を食い止めた。
「津波火災」という新たな脅威の発生メカニズムについて、現地調査を重ねた広井悠・東京大助教は、こう推定する。
建物や車が、津波に耐え残った建物の周りに堆積する。「空き地や道路など延焼を防ぐ空間は埋め尽くされ、『薪の山』と化したところで、車の電気系統やガスボンベなどから発火して炎上する」という。
約7000棟が焼失し、500人以上が焼死した阪神大震災の教訓から、消火用水や消防車両の増強など地震火災への対策は強化された。だが、石巻地区消防本部の大江勝正・警防課長は「浸水で消防車も隊員も火災現場に近づけなかった」と悔しがる。
津波を警戒する沿岸自治体は「避難ビル」の指定を急ぐ。内閣府の調査では、昨年10月末で3986棟と4か月で倍増したが、津波火災への備えはない。
「防火基準を厳しくすると、民間ビルの協力が得にくい」(和歌山県)、「避難後の安全確保まで考えた対策は難しい」(高知県)。東海・東南海・南海の「3連動地震」の襲来が予想される地域は戸惑う。
「ビルに頼りすぎず、早めに高台へ逃げるなど、状況に応じた行動で命を守らなければならない。行政側は、2次避難できる場所の整備や十分な高さと延焼防止性を持つ建物の指定を進めるべきだ」と、関沢愛・東京理科大教授は訴える。
国の中央防災会議は3連動地震が起きれば、最大約8万棟の建物火災が起きると想定する。が、津波火災は「想定外」のままだ。
重化学工場やタンクが立ち並ぶ大阪府沿岸の「泉北コンビナート」。一角にある三井化学大阪工場(高石市)で昨年10月、例年の10倍という1750人が参加して避難訓練が行われた。
「津波で4メートル近く浸水」との想定で、全施設を止める手順を確認し、津波が到達する予想時間より早い45分間で避難も終えた。
以前の浸水想定は25センチでしかなかった。「東日本大震災に認識を根本から変えさせられた。津波は明日来るかもしれない。悠長に構えていられない」と、古賀司・地震津波プロジェクトリーダーは言う。
コンビナートや危険物施設は大津波に耐えられるのか。東日本大震災では、各地の臨海部で起きた大炎上が衝撃を与えた。
宮城県気仙沼市で旅館を営む熊谷浩典さん(42)は、湾内の船上で約4時間も体をあぶられた炎の恐ろしさが忘れられない。
津波を避けようと遊漁船で沖に向かった目前で鉄塔が倒壊、沖への出口をふさがれた。「炎が自転車ほどの速さで走り、家1軒分もあるがれきが無数に燃えて流れた」。海面はドロッとした油で覆われ、火の海は広がるばかりだった。
「サーカスの火の輪くぐり」のように、火と火の間を船で突き抜けた。最後は「溺れても焼け死ぬよりまし」と岸に近付いた時に飛び込んで助かったという。
なぜ、水の上なのに炎上するのだろうか。
東京理科大の松山賢・准教授は検証実験をした。
油をバーナーで熱しても炎上しなかったが、木材を浮かべると一変。まず木が燃え、その7~8分後、火は一気に水面に広がった。
「油がしみて燃え出した木材が『ろうそくの芯』になり、放射熱で周囲の油が70~100度の引火点を超えた」とみられる。
気仙沼湾では漁船燃料の重油などを蓄えたタンク23基中22基が流され、1万トン余りの油が漏れた。
6基を所有する気仙沼商会は「金具でコンクリートの基礎に固定していた。津波で浮いてしまうとは思わなかった」という。
消防庁によると、液体の危険物を扱う施設の被害は15都道県の3341件で、42件の火災が発生した。
被災タンク244基の分析では、浸水が3メートルを超すと配管が破損し、5メートル超で多くのタンクが土台から浮いて移動していた。
実は、危険物タンクの設計基準に、津波は考慮されていないのだ。
田中哮義(たけよし)・京都大防災研究所教授は「タンク流出を防ぐ柵や、浸水時に水面に浮いて油の拡散を防ぐ幕など、二重三重の防御策が欠かせない」と指摘した。
消防庁の「危険物施設の地震津波対策に関する検討会」が、昨年末にまとめた検証報告は、多額の費用を要するタンク流出対策には踏み込まなかった。
「避難や防潮堤の整備など総合的な防災対策をまず検討すべきだ」(消防庁危険物保安室)とする。
地方自治体の対応も進まない。四つのコンビナートに危険物を扱う57事業者が集中する大阪府。「最大3メートルの津波で1152ヘクタールが浸水」という震災前の想定は大幅な見直しが必至だが、具体的な検討は、国の議論待ちという状態だ。
国が2008年度に大阪湾堺泉北港の沖合で整備を始めた基幹的広域防災拠点(28ヘクタール)の使用が今春、始まる。災害時に船やヘリで運ばれた救援物資の中継地などの役割を担うが、大阪湾が炎上すれば無力化されてしまう。
浜田政則・早稲田大教授は行政、企業、専門家に呼びかけ、湾岸防災の調査会を来月にも発足させる。
「震災の検証が不十分」という危機感に突き動かされての行動である。