東日本大震災:仮設用地、住民が確保 「地域守りたい」
東日本大震災の津波で壊滅的被害を受けた宮城県南三陸町は、地元住民が確保した用地に建設する仮設住宅790戸について、地元住民優先で入居してもらうことを決めた。「すべてを奪われたあの町で、やり直したい」。コミュニティー崩壊を食い止めようと奔走した住民らが、行政を動かした。
南三陸町は震災発生から約1カ月後、73人の行政区長らに「仮設住宅は1900戸余り必要だが、公有地は1000戸分しかない。残りの住民は隣の登米市に移ってもらうしかない」と説明した。
しかし、中瀬町行政区長の佐藤徳郎さん(59)は「それではいけない」と思った。長男和徳さん(30)の「地域の人がバラバラになれば阪神大震災の孤独死の二の舞いになってしまうべ」という言葉にも突き動かされ、「自分たちで仮設住宅用地を確保しよう」と行動を始めた。
佐藤さんたちが住む南三陸町志津川中瀬町には、197世帯603人が暮らしていたが、震災で30人余りが死亡・行方不明となり、住民たちは七つの避難所に分散。現在は42世帯110人が登米市の旧小学校校舎に2次避難しているが、他は県外の親類宅などで散り散りに生活している。
「町に戻りたい」という住民の思いは強い。旧校舎暮らしの約10世帯は志津川地区の仮設住宅に当選したが、中瀬町からは離れるため全員辞退したほどだ。
佐藤さんは他の区長らと仮設住宅用地探しを始めた。「土地さ使わせてくれねえべか」。中には「先祖も喜ぶ」と仮設住宅38戸分の農地約60アールを無償提供した人もいた。
「民有地活用については国も県も駄目だと言っている」の一点張りだった南三陸町も、佐藤さんらの情熱にほだされ、次第に軟化。父親を震災で亡くした西条彰・建設課長は「町民の願いに応えるのが役所の務め。生活していた場所に戻ってこそ暮らしも仕事も再建できる」と語る。県も民有地活用を認可した。
佐藤さんは町全体の復興に思いを巡らせる。「これからが本番。子どもや孫に誇れる安全な町を残していがねば」【中尾卓英】
朝日放送 2011/04/20Wednesday放送「仮設住宅の理想と現実」