東日本大震災1年:宮城県の現状(その2) 難航する高台移転
◆県
◇都市計画担当職員の確保が課題
県は、津波被害を受けた沿岸15市町を「原形復旧はほぼ不可能」と位置づけ、20年度までの10年間で都市、産業の構造を抜本的に見直す復興基本方針の素案を打ち出した。これに基づき昨年10月、県震災復興計画を策定。海に近い住宅地の高台移転を進め、沿岸の産業エリアに通勤する「高台移転・職住分離」を柱に据えた。水産業は被災した全142漁港の集約再編を掲げたほか、規制緩和で漁業に民間企業の参入を促す「水産業復興特区」構想を盛り込んだ。
ただ、計画通りには進んでいない。県は当初、集落を大規模に集約する形で高台移転を進めようとしたが、半島部の漁師らが「内陸では生活できない」と主張。地区ごとの移転が主流になり、移転対象地区数は当初の約3倍となる約170地区に増えた。
水産業復興特区を巡っては、県漁業協同組合が「民間企業は経営が駄目になれば撤退し、海が荒れる」と反発。村井嘉浩知事は構想は撤回しなかったものの「13年度以降に導入する」と譲歩した。
課題は高台移転などを進める都市計画担当職員の不足だ。特に県内第2の都市、石巻市では住民との合意形成が進んでいない。県南部では福島第1原発事故による放射能汚染の問題も浮上。風評被害や健康被害を懸念する声が高まっており、汚染された廃棄物の処理基準の設定や損害賠償の範囲を福島県並みにするよう国に要望している。【宇多川はるか】
◆気仙沼市
◇魚市場、再起の象徴に
魚を仕分ける男性の背から湯気が上り、天井に仲買人の声が響く。気仙沼市魚市場。活気が戻りつつあることに、気仙沼漁協の菅野真参事(58)は「魚市場なくして、気仙沼の復興は始まらない。これからが勝負です」と力を込めた。
漁船3566隻の約8割が被災し、事業所も水産関連業を中心に約8割の3314カ所が被害を受けた。魚市場周辺は最大1・1メートル地盤沈下した。水産業を市の基幹産業と位置づける菅原茂市長は「魚市場を復興のシンボルとしたい」と復旧に力を注いできた。
昨年6月の魚市場再開までに敷地の一部をかさ上げし、東北電力や県にも協力を要請。カツオ船入港とともに開場させた。同10月に策定した復興計画は18年度までの本復旧を掲げ、12年度当初予算案にも整備費3億4100万円を計上する。気仙沼漁協の菅野参事は言う。「復興とともに企業が戻り、雇用も戻る。人も戻るだろう」
水産業が復興へ歩み始めた一方で、人口流出は止まらない。1月末現在の人口は前年同月比4247人減の7万56人。被災者の住居確保が難航したことも一因とみられる。山が海に迫る地形で住宅建設の適地が少なく、岩手県一関市にも仮設住宅を建設した。市として当初建てたのは計3451戸。だが、利便性などから被災者の要望に合致しなかったため、昨年12月には53戸新設した。
仮設住宅には人口の11%に当たる約8200人が暮らす。被害が大きかった地区などが対象の集団移転計画は昨年10月に説明会を始め、住民に合意形成を委ねている段階だ。
今年2月に今後の住まいに関して意向調査したところ、回答した6122世帯のうち588世帯が「市で新たに造成した土地」と答えた。復興計画は集団移転の完了時期を15年度としており、移転先の用地確保などが、人口減に歯止めをかけるための課題といえそうだ。【平川哲也】
◆南三陸町
◇「ついの住み家を早く」
「住居も仕事も先が見えない」。隣接する登米市南方町にある仮設住宅(約350世帯)の自治会長を務める宮川安正さん(73)は、不安を口にした。
平地が少ないため、仮設住宅の建設地探しには苦労した。町民約1万5000人のうち約4700人が町内の仮設住宅で暮らし、1000人余りは町外の仮設住宅で町の復興を待ち望んでいる。
昨年12月26日に復興計画を策定。さらに2月の臨時議会で、16年度までに最大1000戸の災害公営住宅を整備する方針を打ち出した。一方、壊滅的な被害を受けた全29集落の高台移転を進める予定だが、ほとんどの地域で候補地を検討している最中。安定した生活拠点を望む住民の思いは強まるばかりだ。佐藤仁町長は「ついの住み家を早く作れるようにしたい」と話す。
基幹産業の漁業は、23ある漁港全てが被災した。船舶約2000隻のうち無事だったのは1割ほどだが、支援を受けて震災前の3割程度まで回復。昨年10月には仮設魚市場も設置され、11年度の売上高は前年比7割程度は確保できる見通しという。
商工業では、12月の「伊里前福幸商店街」に続き、「志津川復興名店街」が2月下旬にオープンした。だが、町の担当者は「当面は家族経営でやっていくのが精いっぱいではないか。雇用の回復までは難しいだろう」との見方を示す。
多数の町職員が犠牲になり、鉄骨の骨組みだけが残る元防災対策庁舎。震災の悲劇を伝える象徴的な存在となり、ツアーバスも訪れるようになった。ガイドを務める鴻巣修治さん(66)は「1年という節目をすぎて人が来なくなることを懸念している。足が遠のくことは風化の始まり。防災を語り継いでいかなければならない」と訴える。【坂本太郎】
◆石巻市
◇事業所の販路、震災前の6割
ご当地グルメとして知られるようになった「石巻焼きそば」。JR石巻駅前にはのぼり旗が立てられ、PRに躍起だが、盛り上がりは今ひとつ。郊外店に客を奪われていたところに震災が追い打ちをかけ、「シャッター商店街」になっているからだ。
20年度までの震災復興基本計画によると、合併した旧7市町ごとに土地利用計画を策定する。市街地では、土地区画整理事業や再開発事業を進める。被災した市立病院は中心部へ移転し再建。津波が押し寄せた旧北上川河口部では、堤防も整備する。旧町の沿岸部の集落は高台への集団移転を図る。
石巻港の臨海工業地帯では日本製紙石巻工場などが操業を再開したが、操業している事業所の販路は震災前の6~7割にとどまる。大小44の漁港と、隣接する水産加工工場の再建には液状化や地盤沈下の対策が必要だ。雄勝(おがつ)地区では、伝統工芸品「雄勝硯(すずり)」の後継者不足がさらに深刻になった。
震災前に16万2822人(11年2月末)だった人口は、15万2775人(1月末)と1万人以上減少。市外への避難者も相当数いるとみられる。亀山紘市長は「インフラ整備はめどが立った。人口減少の対策については、早く住環境を整え、商店を再開し人を呼び戻すしかない」と話す。
被災者の境遇は深刻だ。仮設住宅の水道管の凍結対策は後手に回った。修復した自宅などに住む在宅被災者の要望は拾い上げることすらできておらず、ボランティアと連携して調査している最中だ。自宅近くの仮設住宅で支援活動をする藤井美恵さん(52)は「市は道路や堤防の計画ばかり説明するが、いつまで仮設に住めばいいのか、みな不安に思っている。復興の実感がない」と話す。
旧町役場などだった雄勝と北上の両総合支所は壊滅し、本庁舎も浸水した。被災者支援などが遅れ、旧市町ごとの連携に課題を残した。復興基本計画では「情報伝達や支援物資の連携で、本庁・総合支所間の連携が不十分な状況だった」と総括している。【熊谷豪、鈴木健太】
◆女川町
◇雇用求め920人流出
津波で壊滅的な被害を受けた女川町の中心部。横倒しのままになっている建物も残る=2月21日、近藤綾加撮影
県漁協女川町支所などによると、漁を再開した組合員は約2割。ホタテやホヤの養殖を再開した木村義秋さん(59)は今夏の出荷を目指すが、福島第1原発事故もあって不安は尽きない。「船やいけすを失い、マイナスからのスタート。やりたくてもできない漁師も多い。一番怖いのは、(福島と同じ東北地方ということによる)風評被害だ」と語る。
漁業とともに水産加工業も厳しい状態だ。約60社のうち営業を再開したのは約3割。港湾部の被害が大きい女川を離れ、石巻に移転する業者もいる。住民も雇用や住居を求め、1月末までに約920人が町外へ流出した。
港に面した町の中心部には、積み上げられたがれきの山が約1キロにわたって連なり、総量は約44万トン(推定)に上る。町は「東京都の協力も得て、12年度中に処理を終えたい」としている。
町は昨年9月、高台への集団移転を柱とする復興計画を策定。地盤かさ上げと盛り土により、震災と同程度の津波に襲われても浸水が3メートル以下となるような宅地を造成する方針で、18年度までの計画完了を目指す。
須田善明町長は「中心部に行政などのコア(核)機能を設け、将来に残せるコンパクトな街を作りたい」と説明。「住民から基本的な方向性の同意は得られた」と話すが、土地の買い取り価格など不透明な部分は多く、住民の不安は消えていない。町は「震災の記憶を伝えたい」として、港湾部にメモリアル公園を整備する方針も示しているが、反対意見も根強い。【佐野格】
◆東松島市
◇ノリ養殖再開目指す
養殖したワカメの漁をする県漁協矢本支所の漁師=東松島市で2月21日
11年から10年間の復興計画を昨年12月に策定。前半の5年を「復旧・復興期」と位置づけて集団移転やインフラ整備を進め、後半の「発展期」で魅力あるまちづくりを目指す。
国から環境未来都市に選定されたことを足掛かりに、被害が甚大な野蒜(のびる)地区や大曲浜地区で公園や防災緑地を整備するほか、太陽光など再生可能エネルギーの施設を誘致。これにより新たな雇用を生み出し、15年後には市内の消費電力全てを自然エネルギーで賄うという。
仮設住宅は1753戸建設されたが、現在も約50世帯が入居待ちをしている。集団移転計画も進むが、住民は不安な日々を送っている。グリーンタウンやもと(大塩緑ケ丘)の仮設住宅で暮らす主婦、三浦美枝子さん(37)は「また津波があるかと思うと、家のあった場所には戻れない。土地の買い上げもどうなるか不明で、動きようがない」と嘆く。
市は、津波被害を受けた野蒜小学校など市内の小学校4校を2校に、中学校2校を1校に統廃合することを検討している。また、不通が続くJR仙石線について阿部秀保市長は「人口流出の要因になっている。一日も早い復旧を」と訴える。
冠水した農地の5割は今年度中に除塩作業を終える見通し。漁業は、一部で特産のノリの養殖施設が被災したためワカメに切り替えていたが、今秋にはノリ養殖の再開を目指す。県漁協矢本支所の三浦正信委員長(58)は「ノリを製品として販売して、初めて復興したといえる」と力を込めた。【宗岡敬介】
◆松島町
◇団体観光客が激減
日本三景の一つ「松島」で知られる国際的な観光の町。津波は湾内の島々にぶつかって威力が弱まり、犠牲者は2人にとどまった。だが、昨年の観光客数は前年に比べ130万人以上減の約220万人と大きな打撃を受けている。
町産業観光課によると、修学旅行など団体客の落ち込みが著しいという。観光物産店を経営する相沢慶太郎さん(31)は「外国人客が訪れず、土産品の売り上げは昨年の10分の1ほど」と嘆く。
町の復興には、観光業の立て直しが急務。被災したJR仙石線の復旧も課題だ。大橋健男町長は「松島を訪れる人を増やすことで、『東北の顔』として(東北全体の)復興にも貢献したい」と話す。【宗岡敬介】
◆塩釜市
◇街並み再生へ結束
海に近いJR本塩釜駅そばの「海岸通商店街」。約40店舗のうち再開したのは10店足らずで、更地が目立つ。同商店街の店舗が加盟する商店会は再開発に向け、「まちづくり復興推進協議会」を設立した。会長に就任した眼鏡店経営の鈴木成久さん(47)は「結束の気持ちが強い今こそ、塩釜らしい街並みを再生したい」と言う。
建物の解体申請が市全体で約2000棟と被害は大きかったが、復旧・復興の取り組みは他の沿岸自治体よりも比較的早かった。魚市場は震災1カ月で再開にこぎつけ、他の被災漁港の「受け皿」も担う。災害公営住宅の建設にもいち早く着手。復興特区制度の開始を受け、「観光特区」を独自に申請した。
11年の観光客数は前年比35%減の150万人となったが、水族館などの誘致で巻き返しを図る。佐藤昭市長は「市民の目に見える形で復興の成果を示したい。使える制度はできる限り活用する」と強い意欲をにじませた。